2017年8月19日土曜日

なぜ着る服がないと思うのか

いつも言っていますけれども、
服というのは必ず未来の自分のために買いますよね。
未来は明日かもしれないし、1カ月後かもしれない。

着る服がないということは、
過去の自分の選択が間違っていたということです。
自分が過去に予想した自分像と、現在のリアルな自分がずれている、
ということ。
そのずれが小さかったら微調整ですむけれども、
大きければ大きいほど、調整が難しくなります。

私たちは毎日、過去の選択の上に生きています。
服を着るというのは、その象徴的な行為。
学校も、仕事も、結婚も過去の選択。

過去の選択が本当に合わなかったら、
転校したり、転職したり、離婚したり、
大変ですけれども、行動力がある人は動きます。

では、服の選択は何を基準になされるのか、ということです。

衣服は人と社会との最初の接点です。
衣服の選択は、自分の社会的な立場の表明であり、
社会的なアイデンティティでもあります。

学校の制服は、今、私はここの学校の学生ですよという社会的なアイデンティティの表明です。
そのアイデンティティと自分が一致しない、絶対嫌だと言うのなら、
それを脱がなければなりません。

囚人に囚人服を着せるのは社会的なアイデンティティをはく奪するためです。

服を選ぶとき、
私はちょっと先の実現可能な目標を考えてくださいと言っていますが、
それは、未来の社会的アイデンティティのためです。
それはいまよりちょっと違うはずだから、
それを先取りしなさいよ、ということです。

私たちは成長します。
ですから、社会的アイデンティティにも少しずつ修正をかけていきます。
これがスムーズにできていれば、
毎日、朝起きて着る服がない、ということはありません。
これができている人は、
例えば転職や離婚といった、社会的アイデンティティが変化する場合においても、
容易に対応することができると思います。
ただ、そのときの変化は急激なものかもしれません。
全部、以前の服を捨てる、というような。

では過去も現在も未来も着る服がないと感じている人とはどういう人なのでしょうか。
それはね。
そ、それは・・・
社会的アイデンティティを自分で育ててこなかった人です。
自分で育てなかったので、自分ではわかりません。
子供のころは親が決めたものを着て、
学生になったら学生服を着てと、
そこまでは普通ですし、それでよかったでしょう。
けれども、問題はその先ですよね。

ここで誤解してほしくないのは、
私が使っている「社会」は、
日本で「社会人」「女性の社会参加」というようなときに使う「社会」ではないということ。
だから、働いていお金を稼いでいる人は社会に属していて、
そうでないときば属していないとか、そういう意味での「社会」ではないです。
普通、社会学で使うのはそんな限定的な意味ではないです。
だから、主婦は社会的アイデンティティなんてないよ、などという意味ではありませんので、
誤解しないように。


実は、私が「実現可能な未来の目標は何ですか?」と聞いただけで、
泣いて帰ってしまった方がいます。
(お代はいただきませんでしたよ!)
最初、意味がわからなかったんですけれども、
あとでわかりました。
その方は、自分で社会的アイデンティティを育ててこなかったんです。
私は未来の実現可能な目標は、いまより健康な自分でもいいと、言っているでしょう?
何も社会的な成功とか、そんなことは言っていない。
けれども、自分で育ててこなかった人にはそれさえないのです。
そうすると、何を着ていいかわからない。
衣服は社会との接点だから、
社会的なアイデンティティがなかったら、着るという行為は、
ただ単に暑さ寒さをしのぎ生活するための行為になってしまいます。
別にそれでもいいんですよ。
いいのだけれども、人は社会的な存在なので、
それだけでは不安なのです。

自分で自分を育ててこなかった人にとって「ない」のは衣服じゃなくて、
社会的アイデンティティです。
それを衣服の問題にすり替えています。
買っても買っても満たされないのは服じゃなくて、依存症の問題であるのと同じようなすり替えが、
ここでもなされます。

自分で自分のアイデンティティ をしっかり育ててこなかった人は、
どんなに服を買っても、
どんなにたくさんの服が売られていたとしても、
「着る服がない」と言い続けるでしょう。
衣服のせいにしている限り、その問題が解決することはありません。


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2017年8月18日金曜日

皆さん、どうしておしゃれになりたいんでしょう?と聞かれたけれども

皆さん、どうしておしゃれになりたいのでしょうか?と、
聞かれたのですけれども、
皆さんがどうしておしゃれになりたいのかは、
私は存じません。
それについてはリサーチしていないです。
それは学校で、みんな、どうして勉強したいの?と、聞かないのと同じ。
コルドンブルーにお菓子作りを習いに行って、
どうしてお菓子を作れるようになりたいのかって聞かれないのと同じ。
私にわかるのは自分のことだけです。

で、薄々感づいてはいるだろうけれども、
私がおしゃれというか、ファッションに関心があるのは、
音楽や美術に関心があるのと同じ並びで、
決して自分がおしゃれして誰かに見せびらかしたいってわけじゃありません。
それなので、いつも作る側に関心がある。
だから、スタイリストさんには関心がほとんどないです。
最近見始めたのは、クライアントさんたちがいろいろ言うので見ただけであって、
そうでなかったら、たぶん見ない。
見るとしても、クリエイティブなスタイリングをしている人、
つまり、これ、普通に着て歩けないなというようなスタイリングをしてくる人のだけで、
通勤着のスタイリングとか、全く興味ないです。
例えば好きなのはティム・ウォーカーの写真とスタイリング。
そういうのは大好きだけれど、ほとんどの人は、そういうのに興味がないでしょうね。

見せびらかしたいわけではないので、
買ったものをどんどんインスタグラムにアップするというのは、
逆に嫌です。
自分のものなんて、見せたくないです。
また美術はただ見たいだけであって、それを家に持って帰りたいわけでもないのと同じで、
たくさんの服を持って帰りたい、所持したいという欲望はゼロです。

私はただ単に、いつも自分が心地よく、その場にフィットしている感じでいたいだけで、
それ以上はないな。誰かに見られたいとかも、ない。
むしろ、見なくていいよ、と思っています。私のことは見なくてよい。

皆さんと接していてわかるのは、
私のようにファッションに興味のある人は、もはや少数派であるということです。
ほとんどはファッションなんて興味がない。
興味はないけれども、服は毎日着なきゃいけない、
どうせ着るなら、ちょっとおしゃれなほうがいい、
その程度の人が大半じゃないかと思います。

あとは、おしゃれじゃないと批判の対象になるとか、
「ださい」と言われるのでそれが嫌とか、
そういうのはあると思う。

もちろんほかにもいろいろな理由がある。
けれども、おしゃれをすることで何かを実現しようとすると、
それは失敗に終わると思う。

おしゃれになって人生が変わるとか、
おしゃれになったらハッピーになるとか、
そんなことは、私は言えません。
それは、このブレスレットさえ持てば幸せになれるという、
あの広告に似ている。
そんなふうに人をたぶらかすことは、
私にはできません。
幸せとは、ユングの言うところのセルフになること。
おしゃれしたって、セルフになんて、なれません。

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2017年8月17日木曜日

葛藤があるから努力できる

きのう、衣服は父の愛の代替品であるという仮説を立てました。
父的なものとは、社会という意味ですから、
父の愛が必要なのは、社会的に認められていると感じるためです。
皮膚の外側は、プライベートの外ですから、社会との最初の接点です。 
父からしっかりと認められて育てられた人は、
何らかの結果を出しても出していなくても、
社会的にも認められていると感じることができるので、
父の愛の代替品である衣服に依存することはないでしょう。
依存とは、つまり買っても買ってもまだ渇望するということです。
(スティーブ・ジョブズは渇望してなさそうです!)

本当に必要なのは父の愛、つまり父からの承認ですが、
衣服は単なるその代替品なので、決してそれを満たすことはできません。
だから、自分で自分を認めることが大事であると書きました。
では、自分で自分を認めるとは、具体的にどういうことでしょうか。

父の愛とは、社会からの承認です。
ですから、自分で自分を社会的に承認される存在に育てればいいのです。
社会的な承認は、何も衣服がもたらすわけではありませんし、
社長になるとか、そんな地位を得るということばかりでもありません。

日本で社会というと、何か大きな単位のように感じるかもしれませんが、
社会の最小単位は家族です。
ですから、父に認められなかったということは、最小単位の社会における承認に失敗した、
ということです。
構成する人員が少ないので、誰も認めてくれないということが起こりやすいです。

けれども社会は自分の家族だけではありません。
会社も1つの社会だけれども、学校でも地域でもサークルでも、
すべて社会の1単位です。
(インスタグラムというのも社会の1単位ととらえていいでしょう。
そこで承認されるためには、お買い物自慢がいい、ということになってるのでしょう)

会社で認められるということは、利益を上げるということなので、
日本の女性でその機会が与えられている人は少ないでしょう。
また、働いていない主婦の場合、家族という社会の単位では、
夫が父の代わりとして承認してくれないのなら、やはりその試みも失敗します。
(多くの女性は、夫を父の代替品として使い、父の役割を要求します。
しかしそれが得られないとなると、とたんに冷淡になります)

けれども、社会とはなにも会社や家族だけではありません。
(もちろんインスタグラムやフェイスブックだけでもありません)
そして利益を上げることだけが、社会的に認められるという意味ではありません。
(今の日本は、その点が重要視されすぎています)

どんな形であれ、社会という単位で何らかの役割を担い、認められる存在になれば、
承認欲求は満たされます。
あなたがいてよかったと思われたり、誰かの役に立つことをしたり、奉仕したり、
そんなことで承認は得られます。
親が愛を与えてくれなかったことによる葛藤は、
努力するためのエネルギーとなります。

その葛藤をエネルギーとして努力するかどうかは選べます。
努力しない人生の人もいます。
けれどもそれはその人の人生ですから、私たちが口出しする必要はありません。
努力しないを選ぶのもいいでしょう。

けれども、本当に人生に満足するためには、
努力して自分で自分を認められるようになる以外ありません。

私たちは、葛藤という努力するためのエネルギーも、
そしてそれを実行する機会も与えられています。
それを利用するもしないも、それぞれの自由です。


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2017年8月16日水曜日

服は何の代替品だろう?

スイーツは、特に乳製品と砂糖は母の愛の代替品として用いられるが、
服は何の代替品だろう?
どちらも依存性があるが・・・
わからないので、ここに疑問を投げかけておく。

え、まさか、父の愛の代替品なの?
そ、そうなの?

しかし、スイーツが内側をかりそめに満たすとして、
服は外側からのかりそめの承認を得るための道具だものね。
そうか。
父は社会性という意味だから。
似合うって言われたい、おしゃれって言われたいという欲求は、
お父さんに認めてもらいたいってことなのね。

スイーツは母の愛の代替品、
皮膚の外側の殻である衣装は、父の愛の代替品か。
過度にそれを求める人は、
幼少期にそれを親から与えられなかった、
もしくは与えられなかったと感じたんだね。
お父さんに認められなかったと感じている(もしくは無意識にそう感じている)人は、
服を買っても買っても、まだ足りないと感じる。
そして誰かに似合うねとか、おしゃれだねと言われることを熱望する。

けれどもスイーツも衣服もしょせん代替品。
決して満たされることはないんだよ。
スイーツをいくら食べても、あなたが欲しかった母の愛のかわりにはならないし、
服をたくさん買っても買っても、父の愛、つまり父から承認されるということのかわりにはならない。
どんなに買っても買っても足りないと感じるのは、
まだまだ父が認めてくれないと思っているから。

じゃあどうしたらいいか?
あなたが自分自身の父と母になるしかない。
そして自分で自分に愛を与え、自分で自分を認める以外に、
それを満たす方法はないです。


夏の雨、それからブレザー

夏の雨である。
日本のファッション業界は雨に対して無頓着すぎたのではないでしょうか。

売れないとか言っていますけれども、
しっかり雨に対応した服を提案していれば、
それなりに売れたと思います。
だって、雨が降るたびに、出かけるとき何を着ようか、
何を履こうかって、みんな、悩むのですもの。

これは何でもそうだけれども、
現実に対する正確な認識がないと、
適切な対処方法はわかりません。

真夏に梅雨に着るようなレインコートは暑くて着られないです。
私は、近所へのお買いものなんかはスポーツウエアで行っちゃうけれども、
そうじゃないときはどうするの?

私は、そうじゃないときは、
濡れるのを承知で格好つけたスタイルで行ってしまいます。
そして靴をだめにしたりする。

日本には梅雨、夏の台風、秋の長雨に対応した服装が必要で、
それは十分に売っていません。

これはみんなも声を大にして、
売ってない、売ってないと言っていいと思います。
そして、言い続けてメーカーに作らせましょう。

あと全然違う話ですけど、
ジャケットとブレザー、どこが違うのということです。
ブレザーはジャケットに含まれますが、
ブレザーと言った場合は、スーツとしてではなくて、ジャケット単体で売られているものもあるようです。(スーツで売られているものもあります)

ブレザーのBlazeは、炎という意味で、
イギリスのどこだかの大学の学生のメンバーが、
あたかも炎のような色合いのジャケットを着ていたことからそう呼ばれるようになったと、
以前、H&Mのコラムに書いてありました。
だから、ブレザーって、本当は赤い色のもののことなんですね。
現在は赤ではなくてもブレザーと呼びます。
今年はブレザーがちょこちょこ出始めているので、
何にでもブルゾンじゃなくて、テイラードカラーのジャケットというスタイルが多く提案されそうです。

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2017年8月15日火曜日

衣装から入る、というのはあり

芝居だったら当たり前ですが、
その役の衣装を着たら、
それなりにその気分になります。
姫だったら、姫の衣装を着れば、
姫気分になる。
姫気分になれば、動作やしぐさも姫となり、
周囲も姫として扱うようになります。

これは詐欺師の手口も同じ。
よく偽物医者とかいるけれども、
あれも白衣を着て、それなりの格好をしたから、
周囲は医者として扱う。で、だまされるわけ。

小さいレベルでこれはもう既に多くの人がやっていて、
「お嬢様ルック」というのはその典型。
お嬢様がどういう人のことだかよくわからないけれども、
お嬢様風の服を着て、お嬢様の気分になり、
周囲にもお嬢様として扱ってもらう。
それは似合うとか、似合わないとかの問題ではないです。
どんなに作業着がお似合いでも、
お嬢様に見られたかったら、お嬢様風のものを着るでしょう。

他人から似合うと思われたいと言うけれども、
それは決して、「その作業着似合うね」とか、
「さすが、そのコンビニの制服似合うね」とかではないはず。
そうじゃなくて、
自分が目指しているスタイル、
もしくは自分の憧れのルックが似合うと言われたいのでしょう?

例えば中学のとき、その中学の制服が大嫌いだとして、
「あなた、その制服がよく似合うわね」とか言われたところで、
うれしくも何ともない。

みんな、似合うって言われたいのは、素敵なドレスとか、
憧れの何かとか、そんなのでしょう?

似合うにこだわる場合、
コンビニの制服が一番似合ってしまったら、
それを着るのが一番よいとなります。
似合うにプライオリティを置くとはそういうことです。
似合うかどうかは、あなたの意思とは違うところで決定されます。
それは本当に受動的。

けれども、自分の理想に近づきたかったら、
そして本気でそうなりたいのなら、
なりたい自分の衣装を着て、
それに近付くための行動を起こす。
そんなふうに衣服を使うのがいいと、私は思います。
(もちろん受動的に生きたい人は、そのまま受け身でどうぞ!)


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2017年8月14日月曜日

褒めない人のほうが多数よ


誰かに過度に認められたい、褒められたいと脅迫的にいつも感じているのは、
幼少期に親(女性の場合は特に母親)に認められなかった、
または認められないだけではなく、否定された人が多いです。
彼らは、他人に対しては過度の承認や称賛を望みますが、
自分からはほとんどそうしません。
またはするためには、非常に勇気を必要とします。
なぜか。
彼らの親がそれをしなかったため、どうやって他人を承認したり、称賛したりしたらいいのか
わからないからです。
過度に求めるけれども、自分は決して、またはほとんどそれを他人には与えないため、
戻ってこないという悪循環に彼らは陥ります。
(もちろん天真爛漫な性格で、
誰に対しても認めたり、褒めたりする人たちも一部いますから、
そういう人たちはリターンなくしても認めたり、褒めたりしてくれます)

おしゃれだね、似合っているねと言われたい気持ちはわかります。
けれどもね、天真爛漫人口のほうがだんぜん少ないの。
天真爛漫な人ではなくても利害関係があったら褒めてくれますよ。
お店の人とか、取引先とか。(なんか売りたい人か、奪いたい人か)
でもそうでなかったら、褒めない人のほうが圧倒的に多いです。

あのね、100点を取っても絶対に褒めないお母さんって、いるの。
そんな人が、あら、すごくおしゃれねとか、言うわけがないの。
どんなに頑張ったって、きれいになったって、勉強ができたって、
褒めない、認めないという人は驚くほどたくさんいるんです。

だから、誰かからおしゃれとか、似合うとか、そんなことを言われるのを待つことはないのです。
認めるかどうか、言うかどうかは私たち自身の問題ではないから。
あなたがおしゃれじゃなくて、きれいじゃなくて、勉強ができなくて、稼ぎが少なすぎるから
褒められない、認められないんじゃなくて、
その人には他人を認めたり、褒めたりする能力がないんです。
(無視したり、否定したり、けなしたりする能力はありますよ。その人の親と同じようにね)

誰かに言われるのを待つのではなく、
自分で自分のことがわかって、認められるようになることが大事です。

どんなに素晴らしい作品でも、見ない人は見ないし、
認めない人は認めません。
認めたとしても、表立って言わない人もいます。
誰かにに褒められるのを待つ人生なんて不毛です。

誰も褒めてくれないって思ったら、人はそんなもんだと思ってください。
そして、あ、そうだった、うちの親も褒めなかったなと、
思い出せばいいのです。


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2017年8月13日日曜日

買い過ぎ問題

実際は、この方、買い物依存症かなという方も結構いらして、
服を買うことで、その瞬間ちょっとは気分が上がるようですけれども、
依存症なのでそれを止めることができず、
けれども、その気持ちの上昇も少ししか続かず。
しかも売るほうとしては、願ったりかなったりの相手だし、
この消費社会、破産するまで、誰かがだめとか、それはどうかとか言うことも少ないので、
そのまま買い物が続いているのではないかと、
疑われるようなケースもありました。

そうなると、自分はおしゃれのためだと自分に言い聞かせているかもしれないけれども、
もうおしゃれとか関係なく、
欠乏は満たされず、誰かに注意されると逆ギレしたりするので、
結局、放っておかれることになります。

依存症というのは、実はもうそこから快楽は得られない状態です。
買っても、買っても足りないのね。

しかしそこまでいってしまうと、
もうおしゃれとか、ファッションの問題ではないので、
私が言うのは、ガイドラインはこれぐらいというまでで、
それ以上、あなた使いすぎとか、そこまでは言いません。
そこは関与しない。
(私は誰かが破産する自由も認めているので)

買いすぎとか、買っても買っても着る服がないとかは、
それはその人の、簡単な言い方をすれば、心の問題で、
おしゃれになるにはどうしたらいいかとか、
そういう観点からは解決しようにないと思います。


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2017年8月12日土曜日

もうみんな、あきらめよう

先日、都内というか、東京23区内に住む人が、
都会にいる人の服装がだんだん面白くなくなってきたということを言っていました。
どんどん均質化してきていると。

思うに固定化された意味のコードが情報によって補強され、
インスタグラムへアップすることで焼きつけられて、
その結果、面白味のない均一化が始まったのではないかと。

その点、私がうろうろする小田急江ノ島線とか江ノ電沿線は、
この意味の固定化がないのです。
意味の固定化がないということは、クリエイティブということと同義です。
もうみんな、あきらめて、どうでもよくなっちゃっている。
どうでもよくなっちゃっているから、
他人がどんな格好していようが何とも思わないし、
口出しもしません。
その結果、いろいろな格好の人が出てきて、
面白い。
他人と比べることはできない。

つるまないで、
あきらめて、
どうでもよくなったら、
それぞれが面白いスタイルができると思うのですが、
いかがでしょうか?

ちなみに私は普通の人みたいでいること、やることをとうの昔にあきらめている。
できないし、やるつもりもないです。


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2017年8月11日金曜日

ヴァニティーズ

「ヴァニティーズ」というオフブロードウェイの御芝居がありまして、
日本でもたまに上演されます。
私が最初に見たのは高校生のとき、演劇部対象の催しかなんかで、
桜木町の神奈川県立青少年センターで見ました。
(ここは神奈川県の演劇の県大会が行われるところで、
私も中学、高校とも県大会出場したので、ここで芝居をしました。
回転舞台で楽しいの)

これがとっても面白かったので、
その後、大学のときも同じゼミのみちよちゃんを誘って、
新宿で見ました。
そのときは、なぜかストリッパーのお姉さん3人が演じていて、
舞台上で裸になり、大変なことに・・・
(今でも覚えているのが、みちよちゃんはICU高校卒仲間の彼氏も連れてきていて、
非常に気まずい感じになっていたこと、です・・・)

それはいいのですが、
ヴァニティーズ、つまり虚栄です。
話の内容は、同じ高校のチアリーダーのクラブの女子3人の高校時代、
大学生時代、卒業してから数年後について、3幕で紹介される、というもの。

内容は、要するに、最初は同じような境遇だった3人が、
3人ともそれぞれが見栄張り合戦をして、
最後、その見栄のために結局、あんたたち、不幸なんじゃないの?
という、そういう話です。
言いたいことは、虚栄は最終的に不幸を生むよ、身を滅ぼすよ、ということです。

小説や映画、芝居なんかでは、
時々、このことについて教えてくれますけれども、
今多くの人が接している媒体は、これについては言ってくれていないと感じます。

虚栄は最終的に身を滅ぼす。
肝に銘じて生きていきたいです。


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2017年8月10日木曜日

秋になったら取り入れたい素材

「注目の秋色夏素材」と書いてあるのを見ました。
では、秋色秋素材ってなんでしょうか?
そんなことはどこにも書いていないし、
正解があるわけではありませんが、
私が思うに、
秋素材、つまり真冬ってほどじゃないけど、
春でも、夏でもないんだよねという素材は、
コーデュロイとかヴェルヴェット、あとサテンかな。
それからセキンという、きらきらした素材やスパングルなんかも、
真夏のぎらぎらした太陽より、秋のほうが似合う感じが、
個人的にします。
(個人的なものなので、そうじゃないって言う人もいると思う)

夏の光にはぱりっとしたコットンとか麻のイメージだけれども、
秋になると、センシュアルなサテンとかスエードとか、
きらきらした素材が、斜めからの太陽光に映えると思います。

ですから、そういった素材のものを今からちょっとずつ、
部分的に取り入れるのがいいのではないかと。
ちょっときらきらとか、部分的にスエードとか、
リボンだけヴェルヴェットとか。
そんなふうにして、徐々に色、素材とも秋に移行していけばよいと思います。



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2017年8月9日水曜日

どの素材が暑いか

最近の検索ワードを見ていると、
「ポリエステル 暑い」
「アクリルは暑いか」
「レーヨンは涼しいか」とか、
そんなのが多いです。
要するに、化学繊維のものを着用すると暑いかどうか知りたいらしい。
高機能素材以外は大体暑いです。
レーヨンは原材料がパルプなので暑くはないけれども、
雨に当たると、紙みたいになります。
あと濡れて縮みます。

リヨセルが暑いかというのもあったけれども、
リヨセルはどうかな。わからない。

というか、私は素材の専門家でもないので、
知りたい人はメーカーに聞いてください。
ただ、大体、石油からできているものは暑いです。
それが目安です。
夏にアセテートとか、無理だと思います。

なんで最近、こんな検索ワードが多いのかなと思ったのですが、
皆さん、昔より、より多くの化学繊維を夏に着ているのでしょう。
昔はそれこそコットン、または麻でした。
よくてコットンポリエステルとか。
レーヨン麻か。
それがここ最近、化学繊維が多くなったのですよね。
ゆるふわとか、てろてろとか、そういうのがお好みの方は化学繊維が多くなるでしょう。
あと何?手入れが簡単とか、アイロンがいらないとか。
そういうのがお好みの方は化学繊維でしょうね。
そういう方は、暑さをとるのか、その簡単な扱いをとるのか、
どっちかですから、選んでください。

あ、関係ないけれども、信頼できるデザイナーはどういう人かと聞かれたら、
パターンがわかっててデザインする人と、生地を生産する現場へ見に行く人です。
先日読んだ日経の記事によると、日本の生地メーカーへ
一番足を運ぶのはシャネルとかセリーヌの人だって。日本のブランドじゃないって。



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2017年8月8日火曜日

たぶん2割

さっきふと思いました。
自分でおしゃれなスタイルを作れるようになりたい人はたぶん2割だろうと。
残りの8割の方々は、誰かおしゃれと言われる人の真似をしたいのだろうと。
ただそれだけだろうと。

だから私が教えている方法はその2割の人たちのためのもので、
あとの方々は関係ないでしょう。
そこを最初にはっきりさせたほうがいいのかもしれません。
フォロワーになりたい人は関係ないですから、無視してくださいねーって。

さて、その2割の方々。
自分のスタイルを確立させるためには、
やっぱり孤独が必要です。
客観的な視点は、孤独にならないと獲得できません。
また群れていてはスタイルは確立できません。
いったんその群れから離れましょう。
そしてスタイルが確立したら、
戻ってみればいいでしょう。
きっとそのときにその群れの立ち位置と欲望が理解できます。

そして最終的には、
その孤独を知っている、スタイルが確立された人たちで集うことになるでしょう。


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2017年8月7日月曜日

milanoteでボード作りはいいかも

https://www.milanote.com/?referrer=rcA1NptQzOALhYWbmC

 milanoteというサービス、
ネットからとってきた画像の切り貼りにはいいかもしれないです。
moodboardという題名でボードの例が出ています。
evernoteより使いやすそうです。

このアプリを入れて、
ここに自分の決めた色と好きなスタイルの画像を貼って、
それを持ち歩いて、買い物前にはチェックすればいいわけね。

今日は立秋

春夏秋冬というのは気温の話じゃなくて、
太陽の傾きによる光の加減なので、
まだまだ暑いけれども、
やっぱり今日から秋です。

暑いけれども、
もうダークな色合いのものをどんどん着てOKです。
人は見なれていないものにはっとする。
5月からノースリーブの私たちは、
今からなんとなく秋にしていきます。

見なれていないものを取り入れるために新しいものを買うのも1つの方法だけれども、
こうやって季節の先取りも得られる効果は同じです。

逆にどんなに新しくても、大勢が着ていれば、
それは見なれているものなので効果は薄い。
そのポイントを押さえていれば、
やり方はいろいろ考えられると思います。


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2017年8月6日日曜日

なんで被服費が1割かというとね

さて、私がなんで被服費は可処分所得の1割までと言うかというと、
私が調査したところによると、
大体、一人暮らしの場合、
食費が25パーセント、
家賃と水道光熱費と通信費で50パーセントなんです。
合計で75パーセント。
その残り、つまり25パーセントで、被服費、遊興費、交際費、貯蓄などということになります。
被服費が1割だとしても、残りは15パーセントです。
もうこれはぎりぎりのラインです。
被服費を1割以上使うと、たぶん貯蓄ができません。
または交際費をカットするかもしれません。
(私は、お金がかかるので土日はどこへも出かけないでうちへいるという話を
東京で一人暮らしをしている多くの方から聞きました。
けれども誰にも会わないでいると人生は発展しません。これはとても危険です)

私は20代、30代と被服費にたくさんのお金を使って、
その後、どうにもならなくなってきた人たちを見てきました。
ブンカの子たちもそうです。
20代、30代のころに使ったあの被服費、ほかのことに使っていたら、
今こんなことにならなかったのに・・・と思います。

お洋服にたくさんお金を使っても、
そのことが後になって人生を助けてくれる、ということはありません。
私は、1割以上使うのはとても危険だ、ということを言っているのです。

もちろんご結婚して、御家族がいらっしゃる方の場合は、
そのご家庭によって被服費に使える額は違ってくるでしょう。
お子さんがいる場合、家のローンがある場合など、
条件によって変わってきます。
だから1割より多い場合もあれば、
1割以下でまかなわないとならない場合もあるでしょう。

逆に夫婦ともに正社員や公務員として働いていて、お子さんがいらっしゃらない場合は、
もっとお金を使えると思います。
だから全部が一概に1割というわけでもありません。

ちなみに、私のように自営業の場合、社会保険料がめちゃくちゃ高いです。
日本の自営業者が少ないのも、社会保険料の高さが原因と言われているぐらいです。
そうすると1割を超えるということはとても危険なことになります。

1割というのは、だから日本の、特に女性の置かれている現状を踏まえての額です。
外国だったら、もっと違うと思います。

これから日本の景気がよくなる、ということはありません。
なぜなら人口が減少するからです。
私たちはダウンサイジングしていかなければいけない時代に生きています。
もう拡大はできないのです。

多くの人がまだそのことに気づいてないようだけれども、
一部の人はもう気づいていて、警告を発しています。

厳しいのは私じゃなくて、
この日本の現実です。
今にそのことをすべての人が思い知る日がやってきます。
それはごくごく近い将来です。

私が提案している方法は、
このダウンサイジングの時代におしゃれでいるための方法論です。

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2017年8月5日土曜日

Corduroy is coming back

Corduroy is coming back
と、プロモスティルが書いています。
70年代風がふえてきたので、
ヴェルヴェットに並びコーデュロイも復活。

しかし、コーデュロイのジャケットって、ほんと寒くて着る時期が限られている。
11月に入ったら、昼間出かけて帰ってくるような外出じゃないと無理でしょう。
かといって、25度もある10月だと暑い。

コーデュロイって、基本コットンなので、季節は問わない素材です。
だから9月だろうと、10月だろうと、着てもいいわけ。

私、その昔にものすごく薄いコーデュロイの生地を買ったことがあるけれども、
それだったら9月、10月もいけるのではないでしょうか。
で、それを9月半ばぐらいから着てしまう。
薄いコーデュロイのネイビーやダークブラウンのシャツとか。

しかしもしそれを作っているとしたら、
今売られているはず。
売っていないということは、
そんなもの、作ってないですよね、日本は。

見た目は秋なんだけれども、
着ると涼しいコーデュロイというのがいいと思うけれども、
どうだろうか。

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2017年8月4日金曜日

夏服に飽きるころ

涼しい日が続いています。
これで4日目。
私はだんだんと、夏の服に飽きてきました。
5月からノースリーブを着ていたので、
飽きても仕方ないです。
大体3カ月ぐらいで飽きるのでしょうか。

もちろんまだまだ暑い日がやってくるのでしょうが、
あと1週間もしたら、
白多目から、ダークな色多目へ移行。

サンダルも飽きちゃったけど、
(なんせ4月から履いてるから)
暑いから8月いっぱいは履くかしら。

とにかく頭の中はもう秋です。

そうそう、話は違うけれども、
パンツが太くなってくると、ウエスト位置が上がります。
なぜならタックをとるためです。
ローウエストだと、パンツを太くするためのタックがとれない。
太めであればあるほど、ウエスト位置は上がります。
逆に、パンツを細くするためにはウエスト位置を下げなければなりません。
ウエストとヒップの差の処理がダーツでできないから。
スキ二ージーンズがローウエストだったのは、
格好いいからというよりも、それでないと細くできないからです。


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2017年8月3日木曜日

山種美術館「川端龍子-超ド級の日本画-」



山種美術館で開催中の「川端龍子-超ド級の日本画-」へ行ってまいりました。
混んでいました。
いつも私が龍子の絵を見るときの、たぶん30倍ぐらいの人がいました。

「草の実」「爆弾散華」「八ツ橋」が一度に見られます。
その他、山種美術館所蔵のはなやかで、よりわかりやすい作品も一挙公開。

こんなに混んでいる原因は、
なんでもテレビでやったからだそうで、
そうするといきなりこんなに人が来るのですね・・・
絵は同じだし、日本美術史にしっかり出てくる有名な画家であるにもかかわらず、
今までは、なぜこんなに見ている人が少ないの?という感じだったのに、
テレビでやったというだけでこんなにも差があるなんて、などと
ある意味ショックを受けて帰ってまいりました。

みんな、見る目を養おうよ、と私は思うのですけれども、
それはやはり少数派なのでしょうか。別にいいけど・・・

それはいいとして、
今年も11月3日(予定)で、第3回の大田区の龍子記念館での絵の鑑賞会を開催しますので、
よろしかったらどうぞいらしてください。

あと関係ないけれども、
帰りの渋谷からの田園都市線で、
腕にクリスタルの数珠タイプのブレスレットをしているおじさんを5人見ました。
今、おじさんたちのあいだではあのブレスが流行っているのでしょうか?
周回遅れというか、もうみんなゴールしてしまっているのだけれども。
なぜ今なのか?
そして何のためにやっているのでしょうか?
おしゃれのためなのか?あれが?
まさか開運とか言わないですよね。運頼み?
謎でした。


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2017年8月2日水曜日

大量に買う人

服にお金をかけられない人は、
ファストファッションで服を買う傾向があります。
お金がない、よって安いところで買う、です。

しかし私が見てきたところによると、
ファストファッションで買う人って、
買う量も多いです。
なんでこんなにたくさん持ってるの?という人が多かったです。
安いから買っちゃうのでしょう。
だから結構な額を使っていると思います。

そしてもうひとつのたくさん持っている人の特徴は、
多すぎてどうしたらいいかわからない、
しかもおしゃれには見えない、という点です。

たぶん人間が扱える量というものには限界があるのだと思います。
スタイリストさんみたいにそれが仕事だったら扱えるでしょうけれども、
一般の人にそれは無理なのでしょう。

あとこれは服に限ったことではりませんが、
安いものを安く買っても、人はその買ったものを大事にはしません。
安いものをたくさん持っている人の服って、
なぜかしわしわです。
初めどうしてこんなにしわしわなのか理解できなかったのですけれども、
あれはタンスに突っ込みすぎて、ああなってしまったのでしょうね。
「こんなにしわしわですぐ着られるの?」って聞いたら、
着られませんというお答えがありました。

安いものを大量に次々に買っていくのは、
情報消費型のおしゃれです。
もちろんそういう人もいます。
けれども、それだって結構お金がかかるし、
それが大量になると扱うことができません。
あとモノも大事にしません。

私はこの方法にはもう限界がきていると思います。
もうこの方法を続けることはできなくなるでしょう。

今のうちに頭を切り替えて、
情報消費型おしゃれではなく、
あなたが情報として消費されない方法を身に付けたほうがいいでしょう。

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2017年8月1日火曜日

ジャンヌ・モロー


ジャンヌ・モローさんがお亡くなりになったそうです。
ご冥福をお祈りいたします。

ジャンヌ・モロー、日本ではあんまりジャンヌ・モローのファンという人は聞かないけれども、
ルイ・マルといったら、ジャンヌ・モローでしょう。
(私はトリュフォーよりルイ・マルが好き)

見るなら絶対「恋人たち」なんですが、
これの原題はLes amants。
L'amantだと「愛人」と訳されてしまう。
複数形だと、恋人たちになってしまう。

Les amantsと言えば、Loversで、
タロットの恋人たちのカードに結びつくのだけれども、
あのカードは女二人に男一人が描かれています。
Les amantsって聞いたら、
あ、それはきっと三角関係の話ねって、
なるのかもしれません。

ただ、ジャンヌ・モローって、映画でどんな衣装だったかはっきり思い出せない。
「突然炎のごとく」の大きなセーターと、
「小間使の日記」のメイドの衣装ぐらいしか、
はっきりした印象がありません。
あとは大体、白黒のモノトーンだったことぐらい。
シャネルとジバンシーだったって言うけれども、
どれがシャネルとかジバンシーとか、全然わからないし、覚えてもいない。
演技がうまいからか、衣装がかすんで見えたのかも。
女優としてはそのぐらいでちょうどいいのかもしれません。


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