2017年3月31日金曜日

モノクロームのディストピア

何にでも合う靴問題で、
物理的にはOK,だけれども文化的にはない、
ということを書きましたが、
例外として文化的にあるとしたら、何にでもいつでも同じ靴でいいという文化コードのある
世界において、ということになります。
どこかにそういう民族がいるだろうな、ぐらいに思ってましたけれども、
まさにどんぴしゃりの世界を描いた映画をきのう見つけました。


原題は「equals」。

ちょっと疲れちゃったんで、映画を見せてくれっていうことで
きのう今週末見る映画を探していて、
最近、妹と車で行って、車で家まで戻るという大変に楽な方法で映画を見るのがよくなって、
車で行ける範囲で探していたのですが、
なんか今週末ないねってことで、
横浜まで距離を伸ばしてみたら、ちょっとおもしろそうなバカ映画があったんで、
それにしようかなどとスカイプで話し合っていて、
ついでにほかに何がやってるかな、などと探していたら出てきたのがこれ。

でも製作がリドリー・スコットで、クリステン・スチュワートが出てて、
一部、日本の安藤忠雄の建築があるところで撮影されたそうだけど、
ほとんどやらないのね、これ。

ほら、こういう世界だったら、いつも同じ靴ですよ。
服の形や色にバリエーションもないから、いつも靴は同じでいいんです。
でもこれって、「モノクロームのディストピア」でしょ?
(残念ながら、このフレーズはきのう思いついた・・・)

この映画、見ていないけれども、
きっと、「カラフルなユートピア」へ向かって脱出しようとする話なんですよ。
見ていないけど、そうだと思います。

だから、何でも合う靴1足ですべて済ませたい人って、
モノクロームのディストピアをご所望しているんです。
そして、そういう人は案外いるということです。
そういうことです。





2017年3月30日木曜日

中心ではないところからの視点

どなたかがはっきり書いていたのですけれども、
ゲイのデザイナーがいなかったら、
ファッションの発展はなかったと。
サンローラン、ケンゾー、トム・フォード、マーク・ジェイコブス、
ゴルチエ、アレキサンダー・ワンもかな。クリストファー・ベイリーもですね。
もちろんもっとたくさん。
この人たちが魅力的な服を作っていなかったら、
ファッションは今のように発展していません。

何が違うかといったら、やっぱり視点が違う。
とらわれも少ないです。
枠がない、かつ美意識が高いという感じでしょうか。

その他の文化もそうですけれども、
ど真ん中にいる人って、案外少ないです。
最近、登用されるデザイナーなんかも、
例えばフランス人なんかではなくて、
周辺の国だったり、名字から察するに移民の子孫みたいな、
そんな感じの人も多い。
案外、生粋のパリジャンです、デザイナーです、
なんて人はいません。(いるかな?わからない)

それはなぜかというと、
多様性を表現するためには、
そういった中心ではないということのほうが
案外、有利だからなのでしょう。
普通に真ん中にいたら、見えないことが多いでしょうから。


まん真ん中だから見えると思ったら大間違いで、
実は見えていない。
なぜか不思議なんだけれども、
よくわからないみたい。

デザイナーなんかは、それをわかっているのかいないのか、
よく中心地じゃなくて、郊外に住んでいますよね。
(日本のデザイナーは違いますけど)

そういう中心じゃない視点が、
実は豊かさを生むという。
マージナルにいるほうがいろいろわかるのでしょうね。














2017年3月29日水曜日

泣きながら作る服

初夏から真夏にかけて、コットンオーガンジーでできたノースリーブのブラウスばかり着ていたら、
妹より、もうそろそろやめにしたらとついに言われました。
確かにそうなのだけれども、かわりがないので探していたところ、
先日、やっと、薄手のコットンで、
しかもノースリーブという代物を見つけ、買ってみたのですが、
これがよく見れば見るほどすごいつくりの服なのです。
複雑なデザイン線、切り替え線の多さ、
立体的なつくり、
どうやったらこうなるのか、簡単には想像できない裏の構造などなど、
一筋縄ではいかない服です。

これを見ていた妹が、
「これってさ、ブンカの学生が泣きながら夜なべして作る服に似てるよね」と言いました。
そうですよ。
私らブンカの学生はこういう複雑なデザインを考えて、
毎晩夜中の1時まで宿題をし、泣きながらパターン作ったり、切ったり、縫ったりするのです。
で、そういうのが素敵な服だと思って、
そういう素敵な服をみんなに届けるのが使命だと信じてずっとやっていくのです。

一方、現在売られている服の中に、このような「泣きながら作る服」は多くはありません。
先日も20代のクライアントさんが、
「似たような服しか売ってないです。買えないです」ということをおっしゃっていましたが、
これは本当にそのとおりです。
特に若い人向けはこの傾向が顕著です。

なぜそうなったかというと、マーケットの意見を重視しすぎたからだと思います。
マーケットの要望は、
何にでも合う靴、
楽ちんな服、
ウエストがゴムの服、
どこへでも着ていける服とか、
大体そんなもの。
要するに、楽したいのよ、手っ取り早くおしゃれに見せたいのよ、
何にでも合わせたいのよって、
そんなのばっかり。
それに対して、はい、はい、そうですよね、
ウエストはゴムにしましょう、楽ですよ、考えなくていいですよ
に対応したデザインの服ばっかり作っていたら
こんなことになっちゃったのでしょう。
マーケットは絶対に正しいというわけではありません。
大体簡単なほうへ、楽なほうへ、怠惰なほうへ流れます。
その結果、デザインはやせていき、貧弱なものばかりが並ぶ店頭になりました。

「泣きながらつくる服」をつくり続けるのは、日本では少数派。
しかもなかなか売れません。
外国にはたくさんいて、まともに泣きながら作る服を作って売っていますが、
それを手に取る日本の人もぐっと少なくなりました。

確かにね、精神的に鍛えられていないと、
こういう「泣きながら作る服」は着られません。
理解力がないと、手に取ることもないでしょう。

しかし私はこの「泣きながら作る服」に再び出会って、
こういうものをこれからもより多く選んでいこうと改めて決意しました。
(って、前からそういう傾向だけれども)
私はこういう服を作る人たちを理解できるし、
彼らの熱意にこたえられます。
そういう人が少数派だったらなおのこと、
私はそちらの少数派になりましょうぞ。

ちなみにこれは、私には着られるけれども、ほとんどの人には着られない服です。
私はこれからもそういうものを選ぶ。
そしてそれがどんな服か知りたかったら、
私にじかに会う以外、知る方法はありませんので、
よろしくね。








2017年3月28日火曜日

何にでも合う靴と鞄問題

まだ探していますね、何にでも合う靴と鞄。
私のブログにどういう検索ワードでくるのかいつもチェックするのだけれども、
毎日これが1つ紛れ込んでいます。

この答えは、
「物理的にはあるけれども、文化的にはない」です。
同じ靴でどこにでも行くのは物理的にできるだろうから、
したければしてもよいけど、それは文化じゃないよってこと。
だって、犬だって、猫だって、
同じ足のまま、どこでも行くじゃない?
同じです。
物理的には行けるけれども、それは動物レベルで、
文化的じゃないねって話。
だから、どこへでも同じ靴で行く人を見たら、
ああ、犬や猫と同じだね、そうなんだね~と思えばいいわけ。

じゃあ、なんでそれを探すのって言ったら、
誰かに「何にでも合う靴は○○なので、それでどんな格好のときも
どこへ行ってもいいです」って言ってもらいたいからでしょ?
で、誰かに何か聞かれたら、
「だって、○○さんが言ってたんです!」って、その人のせいにしたいのよね。
うちにもよくそういうふうに言う人がくるわ。
自分の選択を誰かのせいにしたいだけの人がね。

これはすべて同じこと。
私が選んだんじゃないんです、○○さんがそうしろって言ったから、
似合うって言ったから、
その色以外変だって言ったから、
だから、だから、そうしてるんです!
私のせいじゃないんです!

そんなふうにいくら誰かのせいにしたって、
実際に買ったり、選んだりしたのはその人自身。
しかも簡単に変更できるのに、変更しなかったのもその人自身。
誰かのせいで責任逃れしようとしても、
それはしょせん無理な話。

たぶんそれは人生の態度の問題。
何でも誰かのせいにしたいのね。

そういうのは脇役人生っていうの。
主人公は、自分が着る服ぐらい自分で決めて、
失敗したら、自分で変更できる人です。
他人のせいにする人じゃありません。

脇役になりたい人はけっこういるみたいだわね。
別にそれでもいいけどね。





2017年3月27日月曜日

美しい春の宵に

本当は1日何も予定がなく、
出かける必要もない日というのが私には必要なのですが、
ここのところずっとそれがなくて、
休みと設定した日も出掛けたりしていたので、
脳が本日、ダウンしたようでした。

そうなると、何も思いつかないし、
書く文章は皮肉っぽくなるし、
耳は微妙にふさがってくるしで、
至るところに、お休みしたほうがいいというメッセージがあらわれます。
ただ今はまだお休みできないので、
休む以外での脳の状態をアップする方法を、
私にとってそれはビタミンCの過剰摂取と音楽を聞くこと、庭に出て花を見ることなのですが、
実施したところ、さきほど持ち直して、
一瞬、終わらないかもと思った作業も終わりがちゃんと見えてきました。
昔から、ぎりぎり倒れるまでやる癖があるので、気をつけねば。

で、さっきお庭に出てゆっくりしてみたのですけれども、
今、スイセンとチューリップが咲いています。
桜が咲く前にチューリップです。

そう言えば、いつか言ったシシングハースト城の庭も、
チューリップとスイセンが一緒に咲いていました。
あの旅から帰って、
庭にたくさんのスイセンを植えようと思った私。
あのときに植えたスイセンは、
今その数をふやし、満開です。

疑いもなく、スイセンの球根を植えれば、花は咲きます。
私は全く疑わなかったので、花は咲いています。
花など咲かないとほかに誰も信じないとしても、
私はゆるぎなく信じてきました。
今でも。

認める人はいないかもしれない。
誰も見つけてくれないかもしれない。
それでもきっと球根を植えたことでしょう。

あのとき夢見た景色が今、自分の庭に出現した美しい春の宵。
パリでなくても、ロンドンでもなくても、
それは実現できるのだと、改めて思います。
信じる者だけが見ることのできる景色を、
今ここで見ています。





2017年3月26日日曜日

アラフィフの皆さんの傾向

今月ははからずもアラフィフ月間となってしまいました。
皆さん、違う地域に在住で、異なった職業なのですが、
共通項があります。
それは、
・エレガント志向(望みは高い)
・なぜか小さ目のコートを選んでいる(身体に合っていないので脇線がずれている)。
・服が売っていないと言う。(これは全員そう言いました)
・実際のワードローブに占める○ニクロ率が高い(つまりカジュアル)。よって、
最終的に着ているものがどの人も何となく似ている。

傾向としては、
望むものと現実のギャップが大きすぎて、
どうやって到達していいのかわからない、
という感じでしょうか。

当たり前ですが、ギャップが大きいほど到達するのは容易ではありません。
いつものたとえですが、偏差値45なのに東大に入りたいと言っている高校生みたいです。
そして実力(経済力や体型)もないと言います。

洋服の世界というのは、
若いときは安くてカジュアルでも構わないけれども、
大人になって成熟するにつれ、高いもの、いいものを着るという、
大前提があります。
それがいわば大人のおしゃれとなります。
そこに到達するために、若いときからこつこつと勉強するなり、
お金をためるなりして、歩いていくというのが基本です。
けれども、実際のアラフィフの皆さんはこれをしてきていません。
今でも買う服が30代前半と変わりません。
だけれども、望みだけは高くなり、体型は変わってしまっています。

例えば20代のころ、同じ年代のモデルが載っている雑誌を見たときだったら、
ちょっとかわいい子がモデルをしていて、自分でもなれそうだなぐらいに感じただろうと思います。
それは経済的にもルックス的にもそうでしょう。
だけれども、アラフィフ対象の雑誌をこういった皆さんが見ると、
経済的にもルックスにも余りに差がありすぎるのだと思います。
もうこうなってしまうと、雑誌も参考にはなりません。

おしゃれも勉強も努力ですから、
努力してこなかったんだけど、今から何とかしてと言われても、
そう簡単に東大に受からないのと同じで、
簡単に望みどおりにはいきません。
しかも経済的にもルックス的にも、望みと現実が違うのならなおさらのこと。

ではどうしたらいいかというと、
現実と向き合って、今からこつこつ少しずつ歩き始めるしかありません。
財布の中身と体重の数字にしっかり向き合って、
できることしか始める以外ないでしょう。

ちなみに「服が売ってない」と皆さんおっしゃいますが、
私に言わせれば、こんなにも服が売っている時代も地域もほかにはありません。
これでないと言ったら、世界のどこに行ってもないです。





2017年3月25日土曜日

小学生男子

毎度のことなのですが、
なぜか私は小学生男子に人気です。
きのうもこんど小学2年生になる男子がきたのですが、
「もう来なくていいから」と言うと、
「先生、また来るよ」と言って、
「いや、もう来なくていいんで。先生じゃないし」とか言うと、
それでも負けずに、
「また来るーー」と言い、
「じゃあ、そんなに来たいなら来てもいいよ」ということで、
帰っていったのでした。
また来る、また来ると、何度も言っていたなあ。
ちゃんと1回で終わらせたから、来なくていいのに・・・

その小学生男子はスターウォーズのファンだそうで、
私はスターウォーズは最初のを見ただけで、
それしか見ていないと言ったら、
延々とスターウォーズの説明を私にしてくれて、
私はそれを適当に聞いていたのですが、
終わる気配がないので、
お母さまが店じまいさせたのでした。

男子たちに、
「小林さんは何の野菜が好きですか?」とか、
まだ聞かれるんですけれども、
一体何が知りたいのでしょうかねえ。
まあ、いいですけれども。
いちいち答えておりますが。

さて、明日は寒いらしいので、
体調を崩さないように皆様もお気をつけて。

2017年3月24日金曜日

マダム崩壊

きのうはすっかり午前中にセッションを入れていたことを忘れていて、
作業着のまま対応してしまいました。
すみません。
(ちなみに、私の作業着はアディダスの3本ラインのトラックパンツ)

で、何でしたっけ?
きのうもまた、40代の方から、「服が売っていない」というご相談が。
いや、売っているんですって。
日本よりたくさん服が売っている国なんて、そうそうありません。

ですからその認識は誤認です。
正確には、「自分の予算内で買える服が売っていない」です。
大体、この年代の欲しいものは高いのです。
でも予算がそれに見合っていないのです。
それをもって「服が売っていない」とおっしゃいます。

選択肢は2つ。
あきらめる、または予算をふやす。

そんな話を聞きながら、
では、昔はどうだったかしらと私も思い出してみたのですが、
昔は藤沢にも、鵠沼あたりに住んでいらっしゃるきれいにしたマダムが数多くいらっしゃいました。
私はすれ違ったことはありませんが、
小山明子さんも藤沢の小田急でお買い物していたそうですから、
そのレベルのきれいなマダムたちが、それなりの大人な装いでいらっしゃいました。
大人になったら、あんなふうにお金をかけたスタイルになるのだと、
疑いもなく思っておりました、高校時代。
私は藤沢西武のWAVEでMOMUSなんか、買っていたわけです。

あのころは、日本にも多少なりともマダム文化があったのでしょう。
特に、鵠沼みたいな高級住宅街があるような地域には、
確かにそれがありました。
今ではそれが崩壊して、そういった方々は少数派。

そして、鵠沼もマダムたちも、
その多くが、相続税が高くて、みんな、ご自分の邸宅を売ってしまって、
今では違う地域にお住まいです。

そういえば、
私がお付き合いしている華道家の鵠沼のおばさまは、いつでも、
「小林様はどうなさいますか?」と、様づけでお話しされます。
マダムでかつ華道家で、乗っている車は左ハンドルのベンツのワゴンでした。
そういう方々が、マダム文化を率先していらっしゃったのでしょうけれども、
今ではそれも崩壊しましたね。
残念な限りでございます。








2017年3月23日木曜日

第一回あみもの部開催のお知らせ


2017年4月15日(土)13時30分から、
ふるうつらんど井上さんの別室において、
第一回あみもの部を開催いたします。


集まって、編み物をしたり、おしゃべりしたりいたしましょう。

ここで講師の紹介です。

☆編み物部 講師 たなだゆきこ
幼少の頃より編物を始め約25年。
毛糸やビーズを使用したオリジナルのアクセサリーやウェアなどを製作
日本手芸普及協会ニット部門講師科修了(見込)

☆編み物部について

ニットの簡単な小物を編みつつ、おしゃべりしながら午後のひと時を過ごす部活です。
全くの初心者大歓迎。針の持ち方からサポートいたします。
経験者の方も、今編んでいるものがあればぜひお持ちください。


☆編むもの:
マフラー、スヌード、ルームシューズ、アクリルたわし など簡単な小物 どれか1点

☆用意していただくもの:

毛糸:
ユザワヤやオカダヤなどの手芸店や100円ショップにて、編みたいものに合わせてお好みの毛糸をお選びください。

購入毛糸の目安:
マフラー・スヌード:並太~極太 お好きな毛糸を約4玉~(長くしたい方は多めに)、どんな毛糸でも大丈夫です。  
マフラーとスヌードのグラム数参考:
並太~極太ともに180g以上はあったほうが良いです。
ルームシューズ:並太 約180g~(g数は毛糸タグに書いてあります)
アクリルたわし:並太 アクリル100% 1玉  アクリルたわしの毛糸はこちらでも何種類か用意しておきますので、その場で購入してもかまいません。

編み道具は、お持ちの方は毛糸に合ったものをご持参ください。
こちらでも様々な種類を用意いたします。その場で貸し出しまたは購入できます。
☆参加費1000円です。
  その他、別途、お部屋の使用料のかわりにふるうつらんど井上さんで何か1点以上の
お買い物をお願いいたします。売っているものは100円からあります。
☆募集人数:10名(どなたでも参加可能です)
☆開催日時:2017年4月15日(土)13時30分~16時30分ごろまで
☆開催場所:藤沢市 ふるうつらんど井上別室(小田急線長後駅から徒歩10分)
☆参加ご希望の方は、
お名前(本名)
緊急連絡先(携帯電話の番号等)をご記入の上、
メールの題名「4月あみもの部」とした上で、
fateshowthyforce@gmail.com 小林までご連絡お願いいたします。


16歳に聞いてみた

姪が16歳なんで聞いてみました。
「今着てる服あるでしょ。
それが、くたびれてないとか、傷んでないとかいう理由で、
30歳過ぎても着られるとして、
その服を30過ぎて着たいか?」
そうしたところ、
「やだやだ、絶対ない、無理無理」と言っていました。

16歳はまあこんな感想でしょう。

私は、この16歳女子が、30過ぎても今と同じ服は嫌という感覚は、
正常だと思います。
肉体も精神も成長しているのだから、
それが同じものを着たいと思うわけないと思うのだけれども。

ただし、リーバイスのジーンズとボタンダウンシャツとかTシャツだったら、
たしかに16歳でも、30過ぎても変わらないでしょうし、
16歳でラルフローレンのポロシャツを着ているのだったら、
30過ぎてもそれも変わらないでしょう。
16歳のときに、既に普遍的なデザインを選んでいたのだったら、
それを30過ぎてもということは、ない話ではありません。
それは逆に、おしゃれで、ハイセンスな16歳ってことで。

でも、しまむらで買ったような、安いポリエステルのブラウスを30歳過ぎて、
傷んでいないという理由で着ているのだったら、
どうなんだろう。
いい面を考えるなら、「エコに配慮しているね」だろうけれども、
精神的には成長していないという感じがします。
実際、私はそれを見て「これ、なんか幼い感じがするのだけれども」と言いました。

たぶん、それは16歳のころにはとてもお似合いだったし、
そのときの気分もそんな感じだったのでしょう。
けれども、30歳過ぎてもそれはそうなのかしら?
16歳と33歳、同じルックスな、
わけないですよね。
精神的にも違うはず。

その方は、
「その服はぼろぼろになっていないんです。傷んでいないんです」とおっしゃっていました。
そりゃそうでしょうね、だってそれ、ポリエステルだから。

ポリエステル問題については、やっぱり書こうかなと思う木曜日の朝でした。












2017年3月22日水曜日

原書講読会やりたいな


実はとある講座に出席しまして、
そこで英語の原書がある本の翻訳文(「率直に凛として」)について、
何かおかしいと感じたので、
すかさず講師に「その日本文の原文は何ですか?」と質問したのです。
そうしたら、それに対してその講師は答えられず、
次回、お答えするということでした。
さてその次回、その講師は「訳が新しく変わって、
「確固として」になりました。」と答えました。
ちょっと待って。
私の質問は、
「その日本文の原文は何ですか?」です。つまり、もとの英語が知りたいのです。
なぜそれに答えないの?

その講師は原著を持参していたので、
休み時間に原文を確かめました。
「direct and firm」でした。
英語圏にお住まいの皆様や、英文科出身の皆様でなくても、
firmと凛としたは、ちょっと違うよと思いますよね。
思わない?

まあ、違うんですけれども。
それで私は、ほとほと懲りたのです。
そのいい加減な知識に。
だから、もう誰かに聞かないで、頼らないで、
「Your Perfect Right」の原書講読会やりたいと思ったんだけれども、
誰かくる?
ちなみに、私は英文科出身じゃないので、そんなに精度の高い訳じゃなくてもいいのよ。
英文科出身の皆さん、やる?
で、内容は何かというと、アサーティブコミュニケーションについての本です。
これを原書講読して、実際にやるのがいいと思うのよね。
原典に当たるのが、一番いいと思います。
そうでないと、firmを凛としたとか、教わっちゃうからね。

☆内容と画像は関係ないのだけれども、今こそこの映画を見るべきだと思います。
そして私たちはきっと、近い未来に実際にIl conformistaを見ることになるでしょう。



2017年3月21日火曜日

老婆心ながら

私の大学時代のお友達の1人は羽振りがよくて、
20代後半で、阿佐ヶ谷のアーケードの途中にある高層マンションの10階の、
たしか家賃27万のお部屋に住み、一緒にご飯を食べに行くと1万で、
コーヒーはいつもカフェラミルに入ってたんで、1000円でした。

そんな彼女が洋服を買いに行くのにつき合ったことがあります。
その当時、彼女はコミケで「やおい」の同人誌を売っていて、
そのイベントがあるたびに新しい衣装をそろえていました。
(注:ちなみに私はこの「やおい」について読みませんし、全くわからないので、
私には聞かないでね)

今でも覚えていますが、
新宿伊勢丹でベッツィ・ジョンソンのワンピースを買い、
恵比寿の三越でラクロワの3万円のイヤリングを買ったんだよね。
たしか靴と合わせて合計10万円ぐらいだったと思います。

私はそういう彼女の姿を見て、いつも、
「日本経済に貢献しているね」と言っていました。
それは彼女が稼いだお金で買っていて、
借金もしていませんでしたから。

彼女のおうちのワードローブもぎゅーぎゅー詰めで、
すごいなーと思いましたけれども、
でもそれだけ広いお部屋に住んでいたし、
買う余裕もあったので、
それについて、もうやめたほうがいいよなんて、思いませんでした。
(そういえば、彼女と一緒に渋谷の文化村で映画を見て、
カフェ・ドゥ・マゴでお茶をしていたとき、
彼女はシャンタル・トーマスのミニスカートのスーツを着ていて、
そのスカートがとても短かったので、すれ違う人の目が点になったことを覚えています。
私は何着てたかな。それは覚えていない)

その当時は、同じ大学のクラブのその他のお友達も、
バブルなんてずっと昔にはじけていたにもかかわらず、
20代で時計がブルガリだったり、パリへ出張でヴィトンのバッグ買って帰ってきたり、
ロンドン行ったんで、バーバリーのコートを買ってきたとか、
まあ、その彼女ほどではなくても、けっこうそういうお買い物に仕方をしていましたから。
みんな、それだけ収入があったのだろうし、借金もしていないし、
そのためにほかの経費を削っているとか、
困っているとかなかったので。
まだまだ、経済は右肩上がりでよくなっていくのだと、
誰もが信じていた時代でした。

で、今も、もしあのころと似たような時代で、
しかも女性の賃金がもっと上がっていたのならば、
ああいうお金の使い方をしても、私は何とも思わないと思うのです。
でも現実は違います。

似たような気分で、
でも現実は全然違うのに、被服費にたくさんお金を使っている人を見ると、
なんだか恐ろしいのです。その額と枚数に、めまいがするほどです。
そんなお金の使い方をしていたら、大変なことになるよと、
老婆心ながら思わず言いたくなってしまいます。

おしゃれとかどうとか言う前に、
そっちのほうが心配です。
時たま病的にたくさんのものを買って、所持している方がいらっしゃいますが、
もう少し冷静に、自分が何枚持っていて、
幾ら使っているのか、振り返ってみたらよいのではないかなと思います。

2017年3月20日月曜日

何にでも合う靴

相変わらず、多くの人が何にでも合う靴を探しています。
もし何にでも合う靴があったとしたら、
その何にでも合う靴って、
誰とでも付き合う人(女でも、男でも)みたいな、
そんな程度の「合う」加減でしょう。
それでもいいならそうすれば?
そういう人もいるしね。


同様に、
何にでも合うバッグも、何にでも合うジャケットも、
みんなそう。
すべてその程度の「合う」感じ。

それを選ぶかどうかは、
人生の選択の問題と一緒。
本当に好きな人と一緒にいるか、
とりあえず、そのへんの、間に合わせの人と一緒にいるか、
本当は好きだけれども、お金がないから一緒にいないのか、
好きじゃないけれども、お金があるから一緒にいるのか、
もう好きじゃないけれども、
まだ終わらせることができないから一緒にいるのか、
その話と同じ。

好きなもののためなら全力を尽くす人はそうするだろうし、
そこまでやる気がない人はその程度ですませるでしょう。

たいして好きでもないものを
たくさん持ってる人は、
結局、誰もたいして好きじゃないし、
自分も好かれてないのよね。
本当にそれは一致しています。
それがいいのなら、そうすればいいと思う。
(私は他人の選択を邪魔しない主義なのよ)

何にでも合う靴が欲しいのなら、
すべてに対してその程度にしか合わない靴を選べばよい。
きっとそれは、その人の人生の選択に似ていると思います。
きっと他人はその人のことを、
あたかも何にでも合う靴のように扱うでしょう。
つまり、たいして合いもしないし、好きでもないっていうふうにね。




今日は春分です。

今日は春分です。
1年の始まり。
ちょっとお墓参りに行くので、
後でなんか書きます。

2017年3月19日日曜日

誘導尋問に負けた私

はい、皆さん、お疲れさまです。

前提条件がはっきりしない状態で
何かをやらせて、
後で、それは○○って指摘するのって、
ずるいよね。
よく会社でもあるだろうけれども。

前提条件がはっきりしない状態で、
質問しておいて、
それに答えると、
上げ足をとるというやり方、
結構やられている。
それって、
相手を陥れようとするときにするやり方なんですけれども、
今日はそれをやられました。
反論したけれども。

何言っているかわからないかもしれませんが、
今後も、そういうやり方の人には気をつけないとね。

今日も後で・・・

おはようございます。
ちょっとばたばたしているので、
また後で。

2017年3月17日金曜日

無意識にひかれるもの

私は、自分という舞台の演出家になりましょうとよく言っていますが、
実はそれはとても難しいのです。
自分に対する客観性を維持するのは難しいですし、
なかなか完全にはなりません。
だから、自分が演出の一人芝居やセルフプロデュースは難しい。

では他人に任せればそれですむのかと言えば、
そういうわけでもなく、
それはあくまで信頼のおける他人でなくてはなりません。
自分についてはどうしてもドーナッツのような認識しかできなくて、
核心の部分が抜け落ちてしまう傾向があると思います。

で、そこにたどり着くために、
あんまり考えずに、しかも素早く、ある程度の数の、
自分の気に入った写真なり切り抜きなりを集めるということをするのですが、
この方法はなかなかよいのです。
これはかなり核心に近付けます。

きのうもクライアントさんとそれをやっていて、
これはいいねーということを2人で言っていたのですけれども、
ではその集めたものの解釈は自分でできるのかという、
新たな問題が浮上してきました。
私はできるけれども、
みんなはできないのか?
かもしれません。

無意識に選んでしまったものには、
ものすごいヒントがあって、
それがまさに核心なのだけれども、
それを解釈できるかというと、
またそれは違った問題です。

ちなみに、自分が無意識に選ぶものについて、
その理由は普通はわかりません。
なぜなら無意識だから。
はっきりした理由があるものもあるけれども、
ないものもある。
またそれを選ぶ理由が合理的というわけでもない。

しかしその人の人生の満足度というものは、
それを取り入れることによって上がっていくのです。
無視すればするほど、人生は空しくなるでしょう。
だから、すべての人が同じものを選ぶということはあり得ません。
あり得ないのにそれをやるから、
空しくなる。
(だからまた、要らないものを買っちゃうんでしょ?)

無意識にひかれるものを排除すると、人生が荒廃します。
合理的に選んだ仕事、
合理的に選んだ配偶者、
合理的に選んだ服、
これら無意識の抑圧は、ユングが呼ぶところのシャドーとなって、
人生を襲うでしょう。
そうなりたくなかったら、無意識にひかれるものを排除しないことです。


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2017年3月16日木曜日

大量生産品のパターン

はっきり言うと、
大量生産品(特にファストファッション)のパターンで、
ものすごくいいパターンはないです。
あるのは、
とにかく多くの人に着られるパターンということ。
となると、
ほぼ「太め」「大き目」になります。
だから、「太め」「大き目」の人は、
「これはいいパターン」だ」と言うかもしれません。
なぜなら、自分が着られるから。

しかし、太っている人に入るようにしているということは、
その他多くの太っていない人のバランスを犠牲にしているということ。
もしくは、スタイルのいい人の、そのスタイルのよさを犠牲にしているということです。
よって、それがとてもいいパターンなどとは言えません。

本当を言うと、
太っている人は太っている人なりのいいバランスというものがあるはずです。
でもそれは大量生産品には見いだせないはず。
なぜなら、大量生産品は、太っていない人をもターゲットにしているから。

大量生産品って何かと言ったら、
ファミレスのようなもの。
ファミレスの料理、最高においしいねって、
いうことはない。
食べられなくもないけれども、
それが最高ではないということは、子供を除いて、
大人はわかっているはず。

なぜならそれは安い原材料と安い人件費で作られているのだから、
そこに最高はないわけで、
それを要求するほうがおかしいから。
でも、どこにでもあるとか、値段とか、そういう理由で利用しているにすぎない。
そこに最高においしいを要求してはいません。

ここへきて、
自分の身体に合っていないコートを着ている人を何人か見ましたが、
多くはこの大量生産品でした。
しかも、わざわざ小さ目を選んでいる。
小さいのを無理矢理着ています。
昔の販売員さんだったら、それは合っていませんよと指摘したでしょうけれども、
今は売りたいのが第一なので、合ってなくても売ってしまうでしょう。
そんな自分の身体より小さいものではきれいには着られないでしょうし、
そこに最高を求めること自体がおかしいです。

まあ、いいんですけれども。
それはどこか妥協したもので、
最高のものではないということをわかった上で着たらいいのではないかと思います。


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2017年3月15日水曜日

扱っている階層の差

誰かが物事には階層があって、
そのどこの層について話しているのか明確にしないと、
議論がかみ合わないということを書いていましたが、
まさにそのとおりで、それはファッションについても言えることです。

基本的に、
ファッション学校の生徒たちは、
服作りの階層についての勉強をし、情報を集めます。
そこには、着やせするとか、着まわすとか、何にでも合わせるとか、
そんなことは含まれていません。
それは階層がずっと下で、デザインを考えたり、作ったりする段階の話ではないから。
だから、そういったことが載っている雑誌を買ったり見たりもしません。

きのうファッションの切り抜き用にちょうどよさそうな雑誌を買って、
ぱらぱらと見たのですけれども、
何ともげんなりする感じで、
(例えば、ウエストはゴムで楽だとか、このスニーカーでどこへでも行けるんだとか、
あと、○ニクロのシャツが「立体裁断」だとか書かれていた日には、
服作りについてわかっていないにもほどがあると。
立体裁断とは、身体に生地をはわせて裁断しパターンを作る方法。
そんなことをしていたら、大量生産なんてできません)
何だろうこの感じは・・・と思ったら、
それがまさに階層の問題で、
余りにも扱っている層が違ったのでした。
大雑把ではありますが、作る側が扱う層と、
それを売る側や、例えば作られたものを扱うスタイリストなんかでは、扱う層が違うし、
考えていることも違います。
扱っている層が違うのに、こちらの層の側について、しかも間違っていることを
さも知っているかのように記述しているのを見ると、たいそうげんなりします。
実際に見たこともないのに見たことがあるかのように言う、その行為。

まあ、ウエストをゴム仕様にして、そうしたら売れるということで、
大量生産したいデザイナーなんかは考えるのでしょうけれども、
そうやってここにポケットをつけたら売れるとか、
このひもはとってしまえとか言っているあいだに、
「モッズコートのようなもの」が、しまむらで売られることになるのでしょう。

ただ、世の中はこの層の人たちの声が大きくて、
それはどうしてなんだろうと考えたら、
それはなぜかというと、作る側にいた人たちが、日本においては服を作るという以外の方法で、
ほとんど発言していないからです。
していたとしても、全然届いていない。
デザイナーの声が本当に小さくなってしまって、
デザインに対する哲学みたいな声が聞こえなくなりました。
どこかで言ってはいるのでしょうけれども、無視されている。

なぜ無視されるのかと言ったら、選ばれない、つまり売れないと、
どなたかが判断したからでしょう。
そのかわり台頭してきたのは、もっとイージーな考え方。
もっと楽で、何にでも合って、頭を使わない方法、
そしてそれが多くの人に支持された。

けれどもその支持したはずの人たちが言っているのです、
「服が売ってない」って。
なぜなの?
私はそっちの、楽で、努力しない側じゃないので、その理由はわかりません。
→わからないって思ったけれどもわかった。つまり、それはその夢はかなわないからだ。
だって、何にでも合う靴なんて、ないもん。

ただ、そろそろそれを終わらせないと、
文化としてのファッションは作れないです。

そういう雑誌には、ファッションと女性の自由と権利の関係の記事なんて、
一切ありません。
文化度、成熟度の差と言ってしまえばそれまでだけれども、
本当にそれでいいのかなと思います。

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2017年3月14日火曜日

金髪はかま姿

今日は外出先の駅前で、金髪ポニーテール女子のはかま姿を見ました。
卒業式のようです。
すばらしい色遣いとバランスで、目が釘付けでした。

今日はそれからずっとそのことが頭にあって、
先日、「修行が足りない」と思ったけれども、
何を、どうしたらいいのかということのヒントが、
その金髪はかま姿の女子にあるような気がしました。
私に足りないのは、まさにあれだわ。
わかったわ。
わかったけれども、その構築方法はまた別です。

もちろん言い訳はたくさんあります。
いやー、もう大変で、
服なんて買ってる場合じゃなかったし、
仕方ないっていうのは、自分でもわかっている。
わかっているけれども、ちょっとおざなりにしすぎていた。
そのことをあの金髪はかま女子が教えてくれた。
それでもなお、できることはあるでしょう?と。

そうね、できることはあるわ。
とりあえず、文章は頑張ってきたけれども、
次はね、
この「修行が足りない」部分を何とかするわ。

皆さん、卒業おめでとう。

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2017年3月13日月曜日

婚活ファッションについて聞かれました。

婚活ファッションについて聞かれました。
婚活って何をするか聞いたら、
コンパのたぐいだそうです。
コンパか・・・
わからないな・・・。

私、大学時代に友達にだまされて、
コンパにつれていかれたことが1度ありますけれども、
それがとても嫌で、
もう二度とこういうことはしないでくださいと、
その友達にきつく言ったことを覚えています。
とにかく座っているだけで嫌で嫌で、
アルコールも飲めないし、
(アルコールアレルギーなので、アルコールを飲むとぜんそく発作が起こり、
死ぬかと思うほどになる)
何もかも全部嫌い。

でも聞かれると一生懸命に考えるタイプなので、
考えてみましたが、
結論としては、男が着ないようなものの率を高くすればいいんじゃないのでしょうか。
だから、ジーンズ、トレンチコート、シャツ、スニーカー、
などという、男と同じのは向いていないでしょう。

向いていないとは思いますが、
それこそ、二十歳そこそこの美少女がそれを着てたら、
むしろそれはOKでしょう。
また、二十歳じゃなくても、
素敵な人がそれを着ていたら、
結局、それもOKで、
最終的には、着るものは関係ないという結果になるだろうと思われます。
わかりません。
男に聞いてください。


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2017年3月12日日曜日

脇役人生

私はいつも、みんな、自分の人生の主人公になろう!と言っていますが、
中にはそうではない人もいるらしい、ということは何となくわかります。
そんな話をしていたら、
「脇役になりたいんです」という人が出てくる小説があるよということで、
読んでみました。

主人公ではないその登場人物は、
私は才能がないので○○さん(主役の天才ギタリストの男性)のサポートがしたい、
○○さんが主役で、私がその脇役の人生を送りたい、
というようなことを言います。

何か昔の女性の役割みたいな感じで、
共感もしませんが、
まあ、そういう人がいるのはいいとして、
問題なのはその先です。

その脇役人生、ってつまり、その天才ギタリストの妻になることなのですが、
を達成するために、とんでもない偽装工作をやらかすのです。
それはないです、いくらなんでも。

お話ながら、ひどい、この人と感じつつ、
実際にいるかもしれないとも思いました。

私、脇役になりたいんですと開き直りつつ、
自分の目的の達成のためには不正をもいとわないという。
私、主役じゃなくていいんです、脇役でいいんですという
謙虚を装いつつ、やることは汚く、かつ無責任。

脇役でいいんですという、その人生丸投げ感が、
そして結果的に多くの人を傷つけることになるその無責任が、
私だったら、その人とは一番付き合いたくないと思わせます。

この小説は、その偽装がばれて、
主人公の2人は何となくいい感じになって終わるのですが、
この嘘がそのままばれなかったというのが、
こっちは私の好きなイアン・マキューアンの「贖罪」。
あちらのほうがいつまでも忘れられない物語。
その嘘は、一生かけてつぐなうほどの罪。

 脇役人生の目的達成のためについた
その嘘は、誰かの人生を変えるだけではなくて、
死に至らしめるかもしれない。
自分の人生の主役じゃなくていいんです、
脇役人生なんですと開き直る人には、
そんな危うさを感じます。

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2017年3月11日土曜日

あれから6年


あれから6年ですね。
あの日も寒い日で、
ストーブを消して、
家の中でダウンコートを着たのをはっきりと覚えています。
世界も自分もいろいろ変わってしまって、
もう元へは戻れません。

壊れたものを見ないようにしても、
しょせんそれは無理なこと。
土台はもうぐらぐらなことでしょう。
いまだに揺れている人をよく見ます。

その揺れた土台にはもう何も建設することができないのに。

あのときから作り直した人たちは
今、新しいものを、それはまだ小さいけれども、建設中です。
けれども、その亀裂を見なかったことにして、
小さな当て布で繕っただけの人たちは、
今にも崩壊しそうで揺らいでいます。
あと一つパーツが取り除かれてしまえば、
崩れ落ちてしまうほどに。

ディオールのマリア・グラツィア・キウリのデザインの春夏コレクションが売り出されていて、
興味深く見ていたのですが、
そこにはタロットカードの図柄を描いたスカーフと小さなバッグのシリーズがありました。

選ばれた図柄も運命の輪、星、太陽、世界など、
いかにも楽しげなもののほかに、
悪魔と塔があります。

塔は、日本人にはなじみがないかもしれませんが、
雷に打たれて塔が崩れている図像です。
アイデンティティ崩壊のシンボルでもあります。
こんな図柄をわざわざ売るというのが面白い。

マリアは、もしかして、
「ねえ、あなたが今まで築いてきたその塔は、
雷に打たれてもう崩壊しているんだけど、
気づかないのかしら?」と
言っているのかもしれません。

塔が崩壊してしまったと気づいている皆さんは、
それぞれの場所で、新しい塔の建設に取り組みましょう。

☆ 画像をディオール様よりお借りしました。こんな柄なのよね。みんな、買うかしら?












2017年3月10日金曜日

「封印」

青色申告と確定申告、提出しました。
みんなも終わったかしら?
終わっていない人は終わらせて、早くすっきりしましょう。
それにしても、私が床に領収書を並べていると、
どうして猫は全力で邪魔しにくるのだろう。
毎年です。やめてー、邪魔しないでーと叫びながら毎年やっています。

で、きのうはファッションレベル3のクライアントさんがきていて、
3は上級者編なので、
受ける方は少数なのですが、
自分で教えてて、この方法、いいなと自分で改めて思って、
私も自分でもう一度やろうと思いました。

なるべく簡単な言葉で説明していますが、
基本となっている考え方の中には、
まるでバニラエッセンスが入ったマドレーヌのように、
ラカンとロラン・バルトとソシュールのエッセンスが入っていて、
私が20代のときに考え続けていたことが、
今ここで結実したのでした。
(レジュメにはエッセンスだけではなくて、バニラビーンズの種が入っているみたいに、
言葉がそのまま入っています。)
(モードについて考えているのですから、この選択は間違っていません。)
無駄に勉強していると言われ続けて早何十年、
ここで使われるなどと、
当初は私とて予想していませんでした。

で、個人レッスンと終了すると同時に
このレッスン3どうするのですかという話になって、
私は、
「封印します」と答えました。


この「封印」という響きがとても気に入って、
その後、封印、封印、なんかいいな、封印と
口ずさみました。

というわけで、ファッションレッスン3は封印です。
よろしく。

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2017年3月9日木曜日

次は赤

そろそろコレクションシーズンも終わりますが、
今シーズン目立ったのは赤でした。
マックスマーラの全身赤ルックから始まり、
至るところで赤が。

私が美少女の皆さんは赤を着ましょうと最初に書いたのは、
2年ぐらい前でしょうか?忘れましたが。

で、赤です。
赤と黒との組み合わせも結構多くて、
例えばアレキサンダー・マックイーンなんかでも出ていましたけれども、
赤と黒って、緊張度が高いな、などと思っていました。
それと、赤ブーツもたくさん出ています。
赤いロングブーツとか。

赤ブーツなんて、滅多に売れないよねと思ったのですけれども、
そういや、私は20代の頃、赤ブーツ2足も持っていたということを思い出しました。
1足はケネス・コール、もう一足はヨウジの赤ブーツでした。
それで、バッグはゴルチエの赤いバッグで、
黒いパンツに、プリュックという今はもうないブランドの赤いセーター着ていました。
赤と黒、緊張度が高いと思いましたけれども、
過去に自分でやっていました。

あの頃はそういう気分だったのですけれども、
今はどうでしょうか。
けれども、さっきも赤いブーツを見ていて、ちょっとはきたいなと思ってみたりもして。

ただし、赤いブーツなんていうのは、
ほとんどの人がはかないので、実際に売られるかどうかは不明です。

ヴァレンティノの赤とピンクの組み合わせも麗しく、いいなと思いますが、
今からやろうかどうか、迷います。

私はやろうかどうか迷いますけれども、
引き続き美少女の皆さんには赤を推します。
Kちゃん、よろしく。

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2017年3月8日水曜日

エリザベス女王がアンオフィシャルなミューズだそうです。

http://www.vogue.co.uk/gallery/the-autumnwinter-2017-trends-the-queen-wore-first

この記事が面白いです。
17・18秋冬コレクションのオフィシャルではないミューズはエリザベス女王だ、ということです。
私も前々から、エリザベス女王は見本になっているなと思っていたのですけれども、
当たりです。


何を着てもよい、ということ

おとといからの、
エマ・ワトソンに対する「おまえ、フェミニストのくせに胸なんか出しやがって」騒動を受けて、
現在、正真正銘のフェミニストたちが、
何を着てもよい宣言をしています。

重要なのは選べる、ということ。
何を着てもよくて、
選ぶ自由と権利があるということ。
別におしゃれでなくてもよい。
おしゃれである必要などない。
おしゃれなど無視するという権利もある。

同時に、
あなたには似合わないと言われた色を着ても、形を着てもよい。
で、それがファッション。
男で言ったら、
男がスカートをはいてもよい。

婦人服の歴史は女性の自由と権利が裏テーマだけれども、
では、紳士服は何だろうかと、
きのうふと考えたのですが、
それも、ジェンダーの意味の解体ではないのでしょうか。
だから、コレクションなんかで盛んにメンズで花柄が出たり、レースの服を着せたりするのは、
そういうことが案に隠されている。
そして最新で言ったら、
グッチのアレッサンドロ・ミケーレはどんどん貼りつけられた「男性性」の意味を解体しています。
それが受け入れられるかどうかはさておいて。

ジェンダーレスというのは性差がないという意味ですけれども、
デザイナーたちがやっているのは、性差をなくすという作業ではなくて、
意味の解体だと思います。
男性の役割からの意味の解体。
ということは、まだまだ発展の可能性があるということ。
なぜなら、
現在、男性といえども、その役割という縛りでがんじがらめになっていますからね。


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2017年3月7日火曜日

「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」

現在、秋冬コレクションを開催中ですが、
この前のディオールの春夏コレクションでは、Tシャツに
 「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」
という文言が書かれていました。
これはかなり重要です。

ファッションの歴史を振り返ると、
特に戦後のそれは、
女性の自由と権利の拡大という裏テーマがあり、
そのために発展してきています。
ただ単にきれいとか、かわいいとか、「女子が好き」とか、
そういうのだけでは全然だめで、
それは何のためにやるのかといったら、
女性の自由と権利のためです。

今、エマ・ワトソンの下胸が見えている写真が、
「フェミニストなのにけしからん」という理由で一部の人たちから非難されていますが、
この批判非難は全くの的外れ。
(「Beauty and Breasts」とか、うまいこと言うなとか、感心している場合ではない)
重要なのは、好きなスタイルをする権利と自由がある、ということです。

マドンナも言っていましたが、
セクシーさを表現すると、
この手の輩から「バッドフェミニスト」と呼ばれるとのこと。
それは本当におかしいです。
なんで頑張っている人たちをそう呼ぶのか、本当に不可解。

男の視線を意識したセクシーではなくて、
自分自身のためのセクシーを好きなように表現する自由と権利がある、
そしてそれを実行することが重要。

で、先シーズンからディオールのデザイナーに就任したマリア・グラツィア・キウリが、
ディオールのデビューコレクションでなぜこの文言を入れたかというと、
戦後、ディオールがこのテーマでコレクションをしたからです。
だからマリアは、私はこのテーマをしっかり受け継いでいますよ、
と言いたいわけ。

特にパリコレクションにおいては、
裏にこの女性の自由と権利の拡大というテーマがないと、
認められません。

というわけで、
エマ・ワトソンもマドンナも、断じてバッドフェミニストではないのです。

同時に、どんな肌の色の人でも好きな色を着る権利と自由があるのです。
だから、あなたの肌の色にはその色しか似合わないからそのほかは着てはいけないと言ったら、
そんなものはファッションではありませんので、勘違いしないように。

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2017年3月6日月曜日

スカートは長く、そして衣食住にお金をかけない時代へ

パリコレクションが始まって数日、
長いスカートは完全に定着。
85年から95年あたりの、長いスカートの時代が戻ってきました。
私も大学生のころまではスカート派だったのですが、
その後、スカートが短くなるのと比例して、
スカートはかない派になっていました。
スカートが嫌なんじゃなくて、短いスカートが嫌なのでした。
またこれでスカート率を上げてもよさそうです。

さて、私は昔からなぜか経済について考えるのが好きでして、
定期的に経済の話を聞いたり、読んだりしているのですけれども、
次に起こりそうなのは、株の暴落と円高。
これ、私が言っているのではなくて、経済の先生が言っています。
まあ、不景気です。

そうなってくると、一般の人に必要なのは、
衣食住にお金をかけない暮らし。
理想は農家の人の暮らしとのことで、
私もそれは常々思っていたこと。

農家さんというのはふだんは非常に質素な暮らしぶりなのですが、
実はとんでもなく余裕があるのです。
なぜなら、食べるものはあるから。
自分たちの食べるものは用意できるというあの余裕が、
質素だけれども、独特の雰囲気をかもしだします。
(すごい質素なんだけれども、ベンツに初心者マークです)

なぜ衣食住にお金をかけないようにするかというと、
貯金をするためです。
いざというときの貯金です。

被服費は可処分所得の1割までは、私が勝手に言っていることですが、
貯金するならこれが限度です。
ちょっとぐらいの誤差はいいですけれども、常にこのラインを確認しながらお金を使わないと、
できないのは貯金。
これからは現金収入が増えるかどうかわからないので、
貯金を増やさなければいけません。

私は90年代にイギリスとフランスに旅行して、
例えばイギリスでは、市民がただ黙々と牧草地を散歩しているのを見たり、
パリでは、一番安いエスプレッソ1杯でみんながえんえんただしゃべったりしているのを見て、
ああ、これでいいんじゃんと思いました。
お金をかけなくても、豊かな人間関係が築けているのなら、
これだけで楽しいではないかと。

そのころ、私の大学時代の友達は結構羽振りがよくて、
例えば晩御飯を御一緒すると、そのたびに1万円が飛んでいったのです。
20代後半のころです。
友達に会いたい、けれどもそのたびに1万円、無理・・・
となって、だんだんと距離を置くようになったのでした。

でもパリやロンドンに行ったら、
お金をかけないで楽しくしている人たちがいるし、
特にパリで地下鉄に乗ったときは、
みんな、特に若い人たちは大した格好していないし、
オペラでさえ、え、そんな格好でくるの?というスタイルでしたし、
イギリスの田舎に行ったら、
もう格好なんてどうでもよく、
たまにローラ・アシュレーのドレスを着ればよし、程度。
毎日パーティーじゃないし、
ファッション業界の人じゃないんで、服なんてそれでいいのです。

で、多くの日本の皆さんもこれからは、
独自のお金をかけない楽しい方法を開発しなければなりません。
ただし、人間関係が豊かであるか、
人と付き合わないなら自然と付き合うか、
人とも自然とも付き合わないのだったら、芸術か学問に没頭するか、
どれかじゃないと、こういうときは楽しくないでしょう。

まだまだお金を使った楽しみに依存している人が多いですから、
独自でお金を使わないで楽しく生きる道を見つけましょう。
そうなってくると、地方は結構いいのではないかと思います。
なぜかというと、近くに農家がありますからね。

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2017年3月5日日曜日

長もちするもの

連日、店じまい閉店セールのようになっている私のセッションですが、
別に閉店するわけではなく、
スタイルを変えるだけです。

そんな中、きのうも実物を使って3色ルールを説明していたわけですが、
いつも説明に使うマーク・ジェイコブスの今はなきディフュージョンラインのネイビーのジャケットについて、
これって、いつ買ったのかなと思いだしたら、
たぶん2000年ごろだということに気づきました。1999年かもしれない。
というのも、2000年の7月にパリに行ったときに着ていたのをはっきり覚えているからです。
これ、今着ても何の遜色もありません。
マーク・ジェイコブスは結構ミリタリールックが多くて、
このジャケットも一種のミリタリーのデザインなので、
デザイン的に劣化することがないです。

ファッションレッスンは2010年から始めたので、
その時点でたしか10年たったから、
これは説明用にしていいやと、思ったのだと思います。

ですからこんなふうに、
何年たっても、デザイン的に劣化しないものについては、
お金をかけてもいいのです。

あと長持ちするものとしては、
ストールやスカーフ、
帽子、
ベルト
なんかも結構長もちするので、
お金をかけても平気。

夏以外の帽子も案外長もちで、
私は自分で作ったキャスケットをたぶん10年ぐらいはかぶっています。
スカーフなんていうのも、
案外へこたれません。

私が持っている最古のものは、
たぶんロメオ・ジリのジャケットと、ヘルムート・ラングのジャケット。
これはたぶん20年ぐらい前のもの。
でも、このヘルムート・ラングのジャケット、
今年、本当にいい感じにぴったりのシルエットなんです。
考えたら、ジリもラングもあのときはちょっと浮いた存在だった。
今、時代がぴったりなんですね。

ロメオ・ジリ、どうしちゃったのかと思ったら、
この前、記事が出ていて、
何でも自分のブランドの名前の裁判で負けたとかなんとかで、
自分の名前で活動できないそうで、
フィレンツェで発表されたオペラの衣装デザインを担当していました。
今の時代の気分にぴったりのデザイナーなのに、
もったいない限りです。

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2017年3月4日土曜日

アラフィフの皆さん

私が、個人向けファッションレッスンは終了するとアナウンスしたところ、
アラフィフの皆さんが多くファッションレッスンにいらしていて、
何やらいつもとは違う雰囲気の2月と3月です。

それで気づいたことがあります。
玄関に入ってくるとき、
何となくコートが変だなと感じる方が数人いらっしゃって、
試着の仕方の説明をしつつ、
その変だなと感じたコートを着てもらって、試着ポイントをチェックしてみると、
ほらね、脇線が前へ振れてます。
これはコートの大きさと自分の身体が合っていないということ。
バストが大きいか、背中の肉に引っ張られているか、
大体がこのどちらか。
ただし、パターンが変ということもあるので、
ある方のコートを私も着てみましたが、
パターンが変ではない。

なぜこうなるか。
まず第一は、試着をちゃんとしていないこと。
脇が前へいったり、後ろへいったりということは、
もう全然合っていないということなので、
着ていても何か変なはず。

次に、それをどこで買ったかよく聞いてみると、
ご自分の体型に合っていないブランドやお店で買っているということ。
端的に言えば、
若い人のお店、例えば30代向けみたいなところで買っているということです。
(ぱっと見ると、お嬢様のコート借りてきたのかなとか、
思うほどです)
そういうお店は、若い人向けの体型で作っているので、
背中やお腹に余計なお肉がついていないという設定のボディです。
これだと、細い人はそれでもいけますが、
そうでない人は無理です。

最近の販売員さんは、試着してどんなに変でも、
そのまま売ろうとしますから、
自分でチェックしなければいけません。
コートなので、そんなに安くはなかったはずですし、
ワンシーズンで捨てるわけでもないので、
注意が必要です。

さすがに60歳という方がいらっしゃったことはありませんが、
アラフィフぐらいで迷走すると、
次の60歳ぐらいはもっと大変そうです。
そのときこそ、なかなか望みの服は売っていない、
ということになるでしょう。
今のうちに軌道修正しておくのがよさそうです。


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2017年3月3日金曜日

どれだけ客観的になれるか

私がファッションレッスンをするとき、
自分は自分の人生の演出家なのだから、
劇場の一番後ろの席から見るような視点を自分で身につけましょうと言っています。
どれだけ自分を客観視ができるかが重要。

何が似合うか誰かに聞きたがる人は、
これがないという証拠。
自分を客観的に見られないから、
その責任を他人に丸投げします。
で、それが失敗したら、
それを決めた人のせいにする。

次に批評性について。
これ、さっき茂木先生のブログを読んだら、
私とほぼ同じことを言っていて、
知っている人はみんな知っています。
つまり、いいものを見続けないと、批評性が身につかないということ。
ファッションの場合、それをセンスと呼びます。
だから、センスは必要。

この2つをどんどん磨くと、
おしゃれにもなっていきます。
当然ですが。

では、そのために何が必要かと言われれば、
努力と勉強以外ないでしょう。
手っ取り早く何とかして、というのがお望みの方は、
それは得られないと思います。


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2017年3月2日木曜日

スカート丈、その他

二、三日前でしたか、
道を歩いていたら、ちらほら菜の花が咲き始めていました。
寒い日々がまた続いていますが、
春は確実にやってきているのだなと。
(そして、まだ青色申告と確定申告が終わっていない。
毎年、アカデミー賞とともに終わらせるのに、今年は・・・)

さて、今年の冬、たまたまなんですけれども、
タートルネックとか、ハイネックのものを一切着ないですごしました。
そういう主義というよりは、
ただ単に持っていなかったので。
そうしたところ、首が寒さに慣れたのか、
首元があいたままでも、結構、外出できました。
ということは、寒いと感じるかどうかは慣れなのでしょうか。

先日、16歳の姪が妙に長いスカートをはいていたので、
それ、ちょっといくらなんでも長いのでないの?と聞いたら、
短いスカートは寒くてはけない、とのことでした。
姪は学生ですが、高等学校の学生ではないので、
制服ではなく私服です。
街ゆく女子高校生たちのスカートがとても短いので、
あの年代は脚が寒くないのかと思っていたら、
どうやらそうではないらしい。
私の記憶でも、高校時代、寒い、寒いと言っていたような気がします。
ということは、単に慣れなのでしょう。
年齢の問題ではないです。

それで、いくらなんでもそのスカートは長すぎるということで、
ティーンエイジャー向けの洋服屋さんへ行ったのですが、
驚いたことに、スカートが長い、長い。
知らない間に、ティーンエイジャーまで、長いスカートが主流になっています。
ひざよりちょっと上の丈のスカートは隅に追いやられていました。
みんな、これからずるずるとスカートが長くなっていくのね・・・

あのパンツが見えそうなミニスカート姿の制服姿を見るにつけ、
ああ、あんな短いスカートの時代に高校生じゃなくてよかったと思っていたのですけれども、
もしかしてそろそろ、
制服のスカートも長くなるかもしれません。

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2017年3月1日水曜日

変化に対応していこう


いろいろな会社がどんどん倒産するのを見るにつけ、
ずっと続く会社や職業って、
多くはないのかもしれないなと思います。
私が最近つくづく思うのは、
あのままアパレル会社にいたら、
今ごろ相当困っていただろう、ということ。
だって、先がないですもの。
遅かれ早かれ、どこかで方向転換しなければならなかったことでしょう。

私もよく肩書きが何ですかと聞かれるのですけれども、
ないです、と答えています。
名刺もありますが、
肩書きは書いてありません。
だって、いろいろやっているから、
これ、というふうに言えない。

マルチにろいろやるのは、
時に揶揄されたりして、
いい印象はありませんが、
私の場合、いろいろできてよかった、と思っています。

未来を考えるにつけ、
まだまだ仕事や職種でなくなるものが出てくるでしょうから、
若い人は、あえてマルチに何かやるのがいいと思います。
後になって何が役に立つかわかりません。

変化こそ常態なので、
変化に対応すべく、
いろいろなものに手を出して、
いろいろ習得していきましょう。
きっと後で役に立ちます。

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