2016年11月30日水曜日

「おしゃれ」の意味は変わってきている

ふと思いました。
「おしゃれ」という言葉の意味、
特に洋服のおしゃれということについて、
変わってきている、変わってきたのではないかと。

例えば、自分で生地を買って、パターンを買って(引いて?)、
自分で作る時代の「おしゃれ」は、
今、多くの人が使っているような意味ではないのではないか。

向田邦子さんのエッセイを読んだり、
若いときの写真なんかを見ていると、
そこには真性の、新たに見つけられた「おしゃれ」がありました。
新たに見つけられたというのは、
洋服の世界において、という意味で。

その後、プレタポルテという、いわば既製服がたくさん出てきたとき、
たぶんそれは1970年代ぐらい、
真性の「おしゃれ」はまだ真性のままだったんだけれども、
怪しくなってきたのが、やはり1980年代かもしれません。

そのころ、ブランド物のバッグというのが出てきて、
おしゃれの記号化、情報化が徐々にあらわれます。

で、今はそれがかなり飽和状態になっていて、
記号と情報が先行しています。
ああ、そうか。
記号といっても、それは解読可能な記号なわけだから、
情報という裏付けがなくてはだめ。
だから、情報が広く行きわたる社会でないと、
その「おしゃれ」性は担保されない。

で、ここからは私の予感。
この情報の裏付けのある解読可能な「おしゃれ」は、
また少しずつ変わってくるのではないか。

それは若者がテレビを見なくなったり、
雑誌を買わなくなった現象と関連しています。
共通の認識された情報がなければ、
その記号は解読不可能となり、それまでの「おしゃれ」は解体されるのではないでしょうか。

ブランド物のバッグの、特にそのロゴやマークに価値があるとして、
多くの人が、そんなもの知らないという事態になったとき、
再び「おしゃれ」という意味の解体が始まり、
新しい意味づけがされるような、
なんだかそんな予感がする、11月の終わりです。


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2016年11月29日火曜日

アデルみたいじゃないブルー

30歳過ぎてからだったと思いますけれども、
髪にブルーのヘアーマニキュアをのせたことがあります。
脱色したわけじゃないので、アデルみたいな完全なブルーではないです。

当時、表参道のシマで髪の毛を切っていて、
そこの担当の山田さんが、新しく代官山のDABというお店ができて、
そこに移るので、次回はそこへ来てねということで、
代官山までカットに行っていました。
新しいお店はとてもいい場所にあるにもかかわらず、
最初の1年ぐらいはいつ行ってもすいていて、
店内には山田さんのペットのフェレットがうろうろ歩いていました。

いつ行ってもあんまり暇なもので、
山田さんが私に、「髪の毛染めない?」と提案しました。
当時、私は白髪もなく、猫っ毛と呼ばれるようなストレートのショートカットで、
髪の毛を染める理由などありませんでしたが、
山田さんが暇そうなので、どんな提案なのか聞いてみたところ、
「ブルーがいいと思う」ということだったので、その提案を受け入れることにしました。

私は、嫌なことは断固拒否しますが、
そうでない場合は、相手のクリエイティビティを尊重する性格なので、
こういうときは、案外簡単にいいよと言います。
また、髪の毛が伸びるのが早いので、失敗しても、原状復帰が早いことはわかっています。

で、仕上がったブルーですが、
美容院の中の照明では、さほどブルー感もなく、
なんだ、大したことないなと思ったのでした。
ちなみに髪形はストレートボブでした。ブルーがかったストレートボブです。

ではまたと言って、お店を出た後、
すれ違う人が皆、ちらっとこちらを見ます。
そんなにブルーかしら?と思って、
どこかのお店のウィンドウに写る自分の姿をのぞいたら、
けっこうなブルーになっていることがわかりました。
というか、太陽光に当たると髪の毛がブルーに光るのです。
室内で見た感じとは全然違います。

そのとき着ていたものを今でも覚えていますが、
アメリカのランズエンドから個人輸入した、茶色のダウンジャケットでした。
その当時、日本ではまだほとんどダウンジャケットが売られていなくて、
街でダウンを着ている人も全然いない状態でした。

その茶色のポリエステルサテンのダウンに、このブルーの髪が全然合わないのです。
私の本当の髪の色はどうやら自分が思っているほど黒くはなくて、
かなり茶色寄りだったようで、それにブルーをのせたら、
それまで選んでいた色の全体のバランスが崩れたのでした。

しかし、伸びるのが早いこと、そしてヘアーマニキュアのため、
1カ月もしたころには、ブルー感はなくなり、次回、山田さんのところへ行ったときも、
ブルー継続はなく、その後は山田さんのところで髪の毛を染めることはありませんでした。
(その後は、病気になったので、代官山までカットのために行くのは辞めました)

あのときほど、照明によってこんなにも色って違うふうに見えるのだと感じたことはありません。
そしてもちろん、それ以降、髪をブルーにしたいと思ったこともありません。
ブルーじゃなくて、金髪にしてみればよかったな。
それはそれで面白かったかもしれないです。

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2016年11月28日月曜日

仕掛けないことにはどうにもならない

きのうクライアントさんと、
トランプだって、自分が大統領になるなんて、
夢にも思っていなかったんじゃないかという話をして、
本当にそうだなと思いました。
多くの人が、そう思っていなかったけれども、
自分もあるところまでは、まさか大統領になるなんて思っていなくて、
でも仕掛けてみたら、案外できちゃった。

これはトランプがいいとか悪いとかいう話ではなくて、
あの妙な情熱というか、自分を信じる力というか、行動力でもって、
予想しなかった未来を自分に与えたわけです、あのお方は。
器としてふさわしい人、才能がある人はほかにごまんといるにもかかわらず、
それでもあの人がなりました。

夢の実現は自分一人ではかなわない。
例えば、結婚したいという夢だって、
相手がいないことには実現しません。
コンサートだって、観客がいなければ、それはコンサートとは呼べないです。
だから、夢がかなうのは結局、他者に向かって仕掛けた人。

他者に向かって仕掛けるというのは、
それはコミュニケーションだから、
誰かと交流したり、しゃべったりしないとそれは不可能。

コミュニケーションのための授業って、大学に行って授業を取らない限りないと思うから、
この力はどこかで身につけなければいけません。
どんなに才能があったとしても、あいさつもしないような人だったら、
仕事にならない。
あいさつをするというのはコミュニケーションの最初の入口だから、
それをしないのだったら、夢も実現しないでしょう。
でもそれもその人が選んでやっていることだから、
それはそれでいいですけれども。

今までいろいろな方のお話を聞いてきましたけれども、
できる努力はすべてやったけれども、これ以上、どうしていいかわからないと言ってきた人は、
2人しかいらっしゃいません。
 その他の、実現したいことがあるけれども実現しないという方は、
そのほとんどが、仕掛けていないことが原因なのではないでしょうか。
またはそのやり方が、
例えば、はい、やりますと言ったきり何もしないとか、連絡もしないなど、
何かが実現しないようなコミュニケーションの仕方なのではないかと思います。

逆に、細いながらも続けてきて、仕掛けていてる人の場合、
あとは時間の問題ですから、
やめなければ必ずどこかへたどりつきます。

というわけで、なんですか、
今日はサイバーマンデーなのですか?
何か起きるかもしれないですね。

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2016年11月27日日曜日

小ネタ。

男子の比率が多い学校の女子が言うことには・・・
同じ学校の男子は、
まず第一に、かわいい女子が彼女に欲しいと思う。
第二、どんなコでもかわいく見えて、普通のコでもよくなる。
第三、食堂のおばちゃんもよく見えてくる。
第四、もうこの際、男でもよくなる。
第五、というか、男がよくなる・・・

だそうです。

ということは、男子もライバルってことだね。


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2016年11月26日土曜日

前例はない

昔から誰かに憧れるということはほとんどないのだけれども、
というのも、それよりも、何を食べたら具合が悪くならないかとか、
そのための時間配分とか、そんなことばかり考えているから、
憧れはないにしても、では前例はあったかというと、
それもなかったと思います。
今みたいな状況は、多分、誰も予想できなかった。

その前例のなさと、
予想できなかった、過去の未来である今と、
この2つが同時にあるときに、
さて、どうしようかということです。
さて、どうしましょうか。

きのう、日本の大手化粧品メーカーのHPを何かのついでに見始めて、
そこに何かヒントや示唆があるのではないかと、
少し探ってみたのですが、
驚くほどに、何もありませんでした。
けっこう大人なメイクアップアーチストの女性が、
二十歳そこそこの若い女性にメイクを教える場面ばかり。
その先が、ない。

いや、そんなことはないでしょう、
どこかにあるでしょうよと思って、
年齢が高めの設定のブランドのコーナーも見たのです。
けれども、そこにあったのはタマラ・ド・レンピッカでした。
タマラ・ド・レンピッカ。
もう何年も前に日本にきたときに見ました。
タマラ・ド、レンピッカの生涯や、その言葉が延々と紹介されていました。

タマラ・ド・レンピッカ、悪くはないですけれども、
むしろよいですけれども、
いい立地、つまり東京の中心部にあって、
資金も潤沢にあって、情報も集められて、アーカイブもあって、
それでたどり着くのがそこなの?
確かにタマラもこの前の世界金融恐慌をくぐり抜けてきているから、
今まさにお手本だわ!という、そういうこと?
(たぶん違う)

お手本も、目指すべきものも、全然なくて、
それでも山を登り続けなければなりません。
なぜなら、自分で滑落するつもりはないから。

じゃあどんなになりたいかなと、
着たい服については切り抜きを作れるけれども、
なりたい自分の切り抜きはできないです。
なぜなら、それはもう既に存在したものでなないからです。


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2016年11月25日金曜日

どこへいってもついてくる

最近、海外に住んだことがあるというクライアントさんが立て続けにいらして、
お話を面白く伺っていますが、
ある方のこんな言葉が印象的でした。
「外国に行ったら変わると思っていたけれども、変わらなかった」
この変わらなかったの主体は自分です。

私が大学生のころは、
まだ今のような円高ではなくて、
留学する人もとても少なかったのですけれども、
それでも行った人は何か変わって帰ってくるはずだと、
私も思っていました。
けれども、あるとき、なんだ、全然変わっていない、と思ったのです。

リズ・グリーンがどこかで書いていました。
「どこへ行っても、あなたはついてくる」と。
どこかへ行ったら変わるなどということは、思い違いです。

同様の思い違いが、
おしゃれについても言えると思います。
おしゃれになったら、人生が何か変わるかもという期待。
この変わるというのは、よくなるかもしれないという意味で。
一ミリも変わらないとは言いませんが、
思ったほどは変わらないと思います。
なぜなら、リズ・グリーン風に言えば、
どこへ行っても、あなたはついてくるから。

どんなにブランドもののバッグを買ったって、
50万もするような時計を身に付けたって、
たぶんほとんど変わりません。

この変わるかもしれないという期待から覚めないと、
浪費の罠にはまるでしょう。

もうそろそろ覚めないと、
現実に追い抜かれます。


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2016年11月24日木曜日

人生がよくなるほうへお金を使いましょう

私はいつも、被服費は可処分所得の1割までと言っていますけれども、
これは私が勝手に決めた割合です。
根拠は以下のとおりです。
大体、家賃と水道光熱費、通信費などで可処分所得の半分はいくと思います。
次に食費。
最近だったと思いますが、多くの家庭のエンゲル係数が25パーセントというの統計がありました。
食費が可処分所得の4分の1です。
家賃等と食費でもうすでに75パーセント。
残りは25パーセントです。
ここから交際費、教養娯楽費、貯蓄、そして被服費となるわけです。
25パーセントしかないのですから、多くても被服費は1割です。

で、これはいらした方によく言っていますが、
お洋服にお金をかけたところで、人生はよくならないのです。
ブンカの学生のとき、
二十歳そこそこの同級生たちは、ギャルソンやら、ヴィヴィアンやら、ピンクハウスやら、
ばんばん着ていました。
ブンカは宿題が多くて、毎日夜中までやらないと終わりませんから、
バイトはほとんどできません。
ですから、これらの衣装代は親が出したものだと思われます。

私が仲良くしていた人も、なんだかいろいろ着ていました。
私はそれを見て、わあ、なんだかみんなすごいな、お金持ちなんだなと、
眺めていました。
(ちなみに、私はセールで買ったものしか着ていませんでしたので、
そんなコレクションに出るようなお洋服は着ていません)

でもそんな彼女も今では無印とか着ているのですよ。
あのままの勢いでどこまでいくんだろうと思っていましたけれども、
上がったのではなくて、どんどん落ちたのです。

それを見るにつけ、
あのお洋服に使ったお金、なんかほかのことに使えばよかったんではないの?と
思うわけです。

ブンカの学生の多くは、洋服にこそお金は使うものの、
そのほか、美術展を見に行ったり、音楽や映画に使ったり、
あんまりしないのです。
音楽、といっても普通に洋楽なんですけれども、驚くほど知らなくて、
いつも私が発表会用の曲を持っていっていました。
だって、みんな、知らないのです、音楽を。

ただもちろん、ブンカの学生ですから、
ファッションを目的化しても、悪くはないわけです。
それを職業にするつもりですから。
ただ、ファッションをやるにしても、
それだけではやっぱりだめなのです。
だめなので、仕事として続けられなくなってしまうのです。

そんな彼女たちを見ているから、
被服費の使いすぎはだめよと、警告しているのです。

もっと人生がよくなるほうへお金を使いましょうよ。
使い道はもっといろいろあります。
人生が豊かになったり、
ずっと後になってあのことがあったから今があると思えるような、
そんなことにお金を使ったほうがよいと思います。

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2016年11月23日水曜日

そんなフェイクな野心で死ぬことはない

フェイクの野心というのは、
それを持っていない人の想像をはるかに超えて、
それを持つ人を苦しみのドン底に落とすようです。

自意識過剰と高い理想が彼女たちを苦しめます。
でもそれら、全部、彼女たちが作り上げたもの。
誰かが与えたものではありません。

面倒なのは、
おしゃれとかファッションって、
そのフェイクの野心のために使われるってこと。
しかも、おしゃれとかファッションって、
お金があれば可能だからね。
お金があれば、全能感を味わえるからね。

好きなことをやっている人たちって、
その好きな対象から好かれたい!とか思わないものなんです。
好きだからやっているだけ。

好かれたい、つまり、愛されたいを目指してしまうと、
それは理想を自分以外の対象に求めるわけですから、
うまくはいきません。
もっと言うと、
自分の幸せが自分以外のものによって左右されるんですから、
そんなあやふやなものに自分の幸せを依存したら、
与えられるのは不安と、悪くすると絶望です。
(自分以外でも、それが神様というか、神的なものならOKだと思いますよ。
神様は揺るがないでしょうから)

好かれないなら好きにならない、
愛されないなら愛さない、
そんなことを目指したら、人は不自由にならざるを得ません。
そして同時に、それはとても危険なのです。
どれほど危険かというと、
その人を死に追い詰めるほどなのです。

みんなが悩むエルメスのスカーフ

およせいただくお悩みでけっこう多いのが、
エルメスのスカーフを持っているのだけれども、
どうやって使ったらいいのかわからないというものです。

エルメスのスカーフ、実はうちにもあります。
私が買ったものではなく、
私の父が1977年ごろ、ヨーロッパへ行ったときに、
ヨーロッパ三大土産として、グッチのバッグ、オメガの時計、エルメスのスカーフと、
買ってきたもののうちの一つです。
(当時、スイスにお住まいだったワタナベ先生の奥さまにお見立てしてもらったので、
趣味が悪いものではありません)

しかし、このエルメスのスカーフ、どうやって使ったらいいものやら、
私も正直、いい考えが浮かびません。
昔のELLEだったかについていた、
エルメスのスカーフの巻き方いろいろがのっている冊子をまだ捨てないで持っていますが、
あのやり方で今、街に出ていく勇気は、みんな、ないだろうと思います。

あれがバンダナぐらいの大きさだったら、
首にちょっと巻いたり、バッグのハンドル部分に巻いたりすればいいのだけれども、
大き過ぎるのですよね。
今は小さいサイズもあるらしいので、新たに買う人は小さいもののほうが、
使い勝手がよいと思います。
首元があいているニットに小さなスカーフを巻くというのは、
今でもかっこいいです。

例えば銀座なんかを歩いてみたとしても、
エルメスのスカーフの人って、ほとんど見ません。
いたとしても、大体が年配の方。
素敵なおばあさま、みたいな、そんな感じだといいのだけれども、
逆に言ったら、エルメスのスカーフって、少し老けて見えるということです。

エルメスのスカーフはけっこうコレクションしている人も多くて、
何枚も持っている方もいらっしゃいます。
それだけに何だかもったいないです。
きっと日本中のたんすにエルメスのスカーフが眠っているはずです。

それだけではなく、日本中のたんすの中に
使っていないパールのネックレス、めったにしないダイヤモンドのペンダントなどありそうです。
これらたんすの死蔵品たち、
何とか使えないものかと思うのですが、
パールとダイヤモンドはいいとして、
一番の難題はエルメスのスカーフだと思います。

どうせ使わないんだったら、
切ってしまって、バンダナの大きさにしちゃいます?
もったいないか。
でも使わないよりはましなような気もします・・・


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2016年11月22日火曜日

服が活躍している場合じゃないんでないの?

いつも気になるんですけれども、
「このパンツはこの冬、大活躍しそうです」という表現。
ねえ、考えてみて?
活躍したいのは服じゃないんじゃないの?
自分なんじゃないの?
「活躍」とは、大いに活動すること、目覚ましく活動することという意味ですから、
このパンツが目覚ましく活動するんですよ。
それでよいのでしょうか?

そうじゃなくて、
この冬、このパンツは私を助けてくれそうです、とか、
サポートしてくれそうです、
のほうがよいんではないの?

おしゃれの目的化もそうだけれども、
服に活躍させちゃって、
自分が脇じゃ困るわけです。
服に大活躍してもらって、
それをサポートする私って、
どう考えても変よ。

言葉は概念だから、
そんな言葉づかいをしていたら、
そうなってしまいます。

いつごろからかはわからないけれども、
服だの、バッグだの、靴だのを表現するこれらの言葉によって、
私たちは脇へ追いやられてきました。
何度も何度もそういう表現を聞いたり、読んだりしているうちに、
自分よりも、服や靴やバッグに活躍させちゃっているわけね。
だから優先度が高くなって、お金もたくさん使うわけよ。

私は、私より目立って、大いに活動する靴も服もバッグもいりません。
必要なのは、活躍する私をサポートしてくれる服、靴、バッグ。

私がよく「物語が始まる服」だの、
「主人公のためのワードローブ」だの言っているのはそのためです。
活躍する主体を間違えないように。
そして、おしゃれをする目的を忘れないように、です。

ヒールの靴

きのう、「麻とヴェルヴェット」をやめるかもと書いたら、
ブログをやめないでくださいというメールをいただきましたが、
題名を変えても、ブログはできる限り続行する予定です。
この淡々と、毎日、同じ時間にやり続けるということは、
訓練ですから、不都合がない限り、やめないほうが自分にとってもよいのです。
で、HPという枠を作る予定ですので、
その中に新しい形として入れるつもりです。

今日のお題です。

去年のクリスマス頃、
隣のフラの先生をやっているおばさま(70代一軒家で一人暮らし)が、
駅の階段で滑って足首を骨折。入院して、1カ月も歩けなかったということを聞いて以来、
ヒールの靴でお出かけするのが怖くなって、
フラット、または5センチヒールまでしかはかなくなってしまいました。
特に駅や、その乗り換えに危険を感じます。

けれども、心のどこかで、ヒールの靴をはかないと、
このままはけなくなってしまうかもという思いがあったのでしょう。
昨晩、「私はヒールの靴しかはかないの」と言って、
9センチヒールをはいている、美しい年上の女性が出てくる夢を見ました。
私は夢の中でも、あの靴で1日じゅうは無理だわ、
などと思っていて、
無理、だけれども、はきたいというアンビバレントな感情がわき起こったのでした。

しかしだからといって、
ヒールの靴で出かけて、
駅で転んだりしたら、それは最も避けるべきことなので、
はくとしても、持参してはきかえ、ということになるでしょうか。

シルエットが大きくなったので、
以前よりも、ヒールではないと似合わない服は減ったと思いますけれども、
それでもまだ、ヒールで全体のバランスをとらないとおかしい服はたくさんあります。
タイトスカートはその代表でしょう。
(おしゃれブログのほうに以前、書きましたが、
水着にハイヒールでわかるように、
身体にフィットしていればしているほど、
高いヒールが要求されるのです)


ヒールの靴なんて、なくても生きていけますし、
外反母趾やら腰痛やらにならないためにも、
高いヒールなんて、はかないほうがよいのです。

はきかえ用のヒール靴という新しいカテゴリーを
自分の中で作るといいのかもしれません。
そんな靴が1足でもあれば、
もう夢には出てこないかもしれません。


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2016年11月21日月曜日

フェスティブ・シーズン



フェスティブ・シーズンなので、
星の照明を置いてみました。
けっこうでかい・・・
窓際に置いたので、
帰りが夜になるときは、
つけておこうと思います。
戻ってきたときに、星が輝いているのが見えて、
何だか楽しそうではありませんか。

もしかして、
「麻とヴェルヴェット」という題名でのブログは、
いったん終わりにするかもしれません。


その際は、ブログ全部削除してしまいますから!
まあ、たいしたこと書いていないのでよろしい。
一応、予告しておきます。

須賀敦子さんが、自分が書いた文章について「ゴミみたいな文章」だと、
どこかに書いていましたが、
ごみまではいかなくても、チリみたいな文章ですかね、これは。
チリなんで、飛ばしてしまいます。


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2016年11月20日日曜日

寒くて雨

きのうの関東地方、夕方から大雨になったのですが、
その大雨の中、出かけてしまいました。
しかし、寒い、しかも雨というのは困りますね。
こんなに雨の多い11月も、過去なかったような・・・
そうすると、雨の多い冬用の装備を考えなくてはなりません。

困るのはやっぱり靴。
私はスエード好きなので、
冬の靴はスエードばかり。
そうすると、この雨はだめ。
きのうは防水加工してある靴ではないと無理なレベルの雨でした。

また、濡れると乾きにくいウールのコートというのもこの時期はだめ。
撥水加工してあるダウンなんかじゃないと、
きのうのような天候には対応できません。
時期的にレインコートという感じではないけれども、
大き目のレインコートで、
中は薄いダウンとか、
そんな感じが適しているのでしょうか。
きのうあたりだと、トレンチコートでは少し寒い。
(これもインナーに薄いダウンを着ればいいでしょうけれども)

今年の高温多湿の夏といい、
冬なのに雨といい、
衣服の最初の目的である、
暑さ寒さを防ぐという点からすると、
考え直さなければならないほどの気候変動です。

そうすると、
撥水、透湿など、
機能性の高い服が望まれるようになるでしょうか。
そういえば、あんまり雨ばっかりなんで、
この前、ゴアテックスを使ったレインブーツというの見てみたのですけれども、
まだまだデザイン的にはいまひとつ。
しかし、蒸れない、濡れないというゴアテックス、
レインブーツ、レインシューズに最適でしょう。
どこへでもハンターの長靴で行けるわけではないので。

6月あたりからずっと、
この湿度と雨、どうしたらいいか、
そればっかり考えているような感じです。


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2016年11月19日土曜日

妻が似ていくのかしら?

先日、おそば屋さんで、
後ろ姿がそっくりなご夫婦を見かけました。
年のころは40歳前後。
スニーカー、ジーンズ、セーターと、
着ているものそのものも似ているのですけれども、
背丈こそ違うものの、
体型の感じや、歩く雰囲気など、そっくりでした。

よく夫婦は似てくると言いますけれども、
どちらがどちらに近付いてくるのでしょうか。

先日見たご夫婦の場合だと、
奥さまのほうが旦那様へ接近していったようです。
なぜなら、旦那様には服装も含めて女性的な部分はありませんでしたが、
奥さまのほうは着ているものも男性と同じですし、
フェミニンな部分が少ないというか、
ないわけではないけれども、あまり重要視されていない雰囲気がありました。

たぶんおしゃれとか、もう関係ないところで生活していらっしゃるのだと思いますし、
もちろんそれで構わないのですけれども、
何か時代の変遷を感じました。
昔はこういうご夫婦はいなかったのではないかと思います。
こういうというのは、お父さんとお母さんの後ろ姿が着るものも含めてそっくり、というご夫婦です。

これはカジュアル化の功罪でもあると思います。
たぶんああなってしまうと、
夫婦だけれども、あまり男性、女性を感じない関係ではないかなと、
推測します。
家族ではあるけれども、
もはやお互いを異性としては見ないみたいな、そんな感じではないかなと。

そうなったとき、もし異性を感じる相手があらわれてしまったらどうなるのかしらとか、
要らぬ心配をしたりして、
これはいかがなものかとも思うのですけれども、
現実的にはどうでしょうか?皆様?

もしフェミニンなところがない奥さまが誰か好きになったとしたら、
あの格好はやめるのではないかしら?
それともそのままなのかしら?

いろいろ考えても答えは出ませんが、
カジュアル化とは、
結局、女性の非フェミニン化であると、思いいたった次第です。

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2016年11月18日金曜日

行動しているかどうかを判断基準にいたします。

今から2年ぐらい前でしょうか。
イラストレーターになりたいのだけれども、
発表する場がないというお悩みの方がいて、
その方は、ちゃんと学校でイラストの教育を受けた方だったので、
ならば、私のおしゃれブログにイラストをつけてもいいので、
何点か描いて私に見せてくださいと言ったところ、
はい、やりますと言ったきり、
何も連絡がこなくなった方がいます。

私は、ふわっとした具体性のない話が嫌いなので、
いつまでとか、具体的にどうしてとか言うほうなのですが、
そういう提案をしても、結局、何も動かなかったという方は
たくさんいらっしゃいます。
割合としては、やる方が2割、やらない方が8割でしょうか。
だんぜんやるほうが少ないです。

私はけっこう人の言うことを信用するほうなので、
やりたい、したい、なりたいというその方のお話を疑わないのですけれども、
最近やっと、(そう、やっと!)
あ、この人たち、言っているだけなんだ、
ということに気づきました。
やりたいんです、けれども行動はしないという方は、
結局、やりたくないし、やる気もないし、やらないのです。

私も初めは、その「したいんです」という言葉を信用していましたが、
したいけれども、行動はしないんですという場合、
別にしたくもないんです。
ただ言っているだけなんです。

だから何なの?というと、
これからは、
○○したいんです、けれども行動はません!
という方は、
やりたくない方だとみなします。
あ、言っているだけね、と思います。
そうすれば、私もその、したいんです、という言葉に惑わされずにすみます。
今まで、そういう方のお話を聞いて、
こうするといいよとか、ああするといいよとか、
知っていることをたくさん教えてきましたけれども、
ほとんど無駄でしたから・・・。

ええ、ええ、私が今まで間違っていました。
今後は、その人がどんな行動をしているかを、
判断基準にいたします。

あ、それから、「○○をやってください」と依頼して、
「はい、やります」と言ったきり何もやらないし、やらないということすら伝えてこない方と
一緒に仕事はしません。
これは作為的コミュニケーション(passive aggressive)のお方ですけれどもね。
無理です。


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2016年11月17日木曜日

おしゃれを目的化してはいけないという話

今日のお題変更。

ほとんど人にとって、
おしゃれやファッションより重要なことが人生であるはずです。
それなのに、ファッションにお金もエネルギーも使いすぎ。
そして、おしゃれが目的になってしまっています。
けれども大事なのは、おしゃれしてどうしたいの?
ということです。
モデルさんや女優さんは、「おしゃれでいる自分を維持する」が目的でいいと思いますけれども、
ごく一般の人の目的は、おしゃれになって、どうするか。
おしゃれしてどこへ行くか。
おしゃれしてどういう効果を得たいのか。
おしゃれしてどういう気分になりたいのか。

で、どういう気分になりたいかが、最終的に最も重要です。
おしゃれはしたけれども、結婚生活は破たんしました、ちゃんちゃん、
でいいのかということ。

何度も出てきている、
私が出会った「ギャルソンを着た悪魔」は、
コム・デ・ギャルソンを上から下まで着ていたから、
それはおしゃれかと言われれば、おしゃれでしょうよ。
でもその人の目的は、
「他人を不幸に陥れ、その姿を見ること」ですから、
そんなやつがおしゃれになったところで、
はっきり言って、無駄ですし、
逆にそのおしゃれが嫌みになります。
そんな人には憧れませんし、
みんなも逃げていきました。
そうなったら、おしゃれかどうかなんて、どうだっていいんです。
ついでに、ギャルソンも嫌いになるってもんです。
(そうそう、その人がつけていたカルバンクラインのエタ二ティという香りも、
私にとっては、吐き気のする香りでしたよ)

あれ、
なんかこの内容はもっと詰めておしゃれブログに書いたほうがよさそうな・・・
そんな気が今したので、
ここで終了。

あ、そうそう。
これは「結婚してどうしたいのか?」ということが重要なのと一緒です。
結婚が目的化して、その先がない。
具体的にどういうふうにしたいの、何をするの、どう感じたいのか?
これがないと、結局、行動しないと思います。

おしゃれでも、結婚でも、会社に入るでも、
それを目的化すると、
うまくいかないということです。

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2016年11月16日水曜日

ビッグ、だけれども細い

そういえば、先日、
アレッサンドロ・ミケーレのグッチやらプラダやら、
たくさん試着してきました。
感想は、
確かにビッグシルエットではある、
けれども細いです。

80年代後半から90年代のビッグシルエットは、
どちらかというと、全体にがばっとしていました。
ウエストなんかわからないぐらいに。
しかし、今回のビッグシルエットは、
全体として確かに大きいのではありますが、
締めるところはきっちり締めてきます。
理由は、
前回の80年代後半から90年代のビッグシルエットは、
海王星やぎ座シーズンですから、
どちらかというと、アンドロジナスで権力志向です。
やぎ座はパワーですからね。
しかし、今回はうお座海王星なんで、
フェミニンでなければいけないのです。
ビッグシルエットでフェミニンなんで、
締めるところは締める、となったわけです。

前にも書きましたが、
どこが細いかというと、
胸郭です。
肋骨のところです。
これはどういう意味かわかります?
そうです。
肋骨って、これ以上、細くはできないんです。
努力で痩せることができないのです。
そこが細いのです。
つまり、彼らは、非常な美意識を持っていて、
こちらにそれを要求してくるのです。
すごいですね。
おかげで、たくさん売れ残っています。

ちなみに、どれもサイズが大きいのはセリーヌとクロエ、ステラ・マッカートニーなど、
妻であり母である人がデザイナーである服です。
なんかこれもわかります。
ただ、どれも身長が高い人向き、たぶん165以上ないとあわないので、
私なんかが着ても、どれも変です。

しかし、ほとんどの人にとってハイブランドなど関係ありません。
ですから、問題なのはこのフェミニンなビッグシルエットがどう下流にくるか、
ということです。
それについては、
まだ考えていません。
なんか思いついたらまた書きます。

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2016年11月15日火曜日

1色、2色、3色のコーディネイトの見本


ボッテガヴェネタ2017年クルーズコレクションが、
3色ルールの見本のようないいコレクションです。
http://www.bottegaveneta.com/it/uomo/cruise-2017-shop-by-look_grd31635
3色ルール、よくわからないという方はごらんください。

男女とも、靴まで同じ色にするというところ、
それからほんの少し明度のグラデーションにしているところに注目です。

お野菜の値段

いつものように、ふるうつらんど井上さんで、
150円のキャベツと130円の小松菜を買って、
帰りに駅にあるオダキューOXというスーパーへ行ったところ、
お野菜の値段の違いにがくぜんとしました。
キャベツは半分で137円とかでした。

私は野菜と果物の8割ぐらいを井上さんで買って、
残りの、例えばバナナとかアボカド、それから地ものの葉野菜がないときは、
ベビーリーフなんかをオダキューOXで買います。

いつも書いているように、
井上さんはオーガニック農家です。
例えば「消毒1回」などと書いているもの以外はすべてオーガニックです。
しかも、今のように野菜が高騰している時期でも、
普通の値段です。
ただし、真冬にトマトやキュウリ、ナスはありません。
夏の野菜は夏しかありません。
キャベツも1年じゅう、ありません。
もう慣れたので何でもないですが、いつもスーパーへ行く人は、
これが不満かもしれません。

不思議なのは、
スーパーよりお安く、かつオーガニックなのにかかわらず、
では近所の住民が殺到するかというと、
そんなことは全くないということ。
けっこうな人が店の前を通り過ぎて、スーパーへ行って、お野菜を買ったりします。
なぜだろうか。

お店の人としゃべったりして、買い物をするのが嫌なのでしょうか。
ちなみに、井上さんでは、みかんとかお米は何キロくださいと言って、
好きなだけ買うことができますし、
トマトだって、梨だって、3個くださいとか、できます。
ブドウだって、一人分ぐらいの300円の藤稔のパックとかありました。
ちなみに、井上さんで扱っている熊本の右田さんのみかん、
すごくおいしいです。やめられないおいしさ。

しかし、安くてオーガニックなのにもかかわらず、
レジが機械的な対応ではないからという理由で、
スーパーへ行くというのも、よくわかりません。
そこまで誰かとお話しするのが嫌なのでしょうね。
それはそれですごいですね。

無農薬のリンゴだって1個130円とかだし、
これから出るレモンだって、1個100円とかなのに・・・
それでも来ないんだから、
これは逆にすごい信念があるということでしょう。
野菜や果物を買うという行為においても、
その人の信念があらわれるということですね。

まあ、私も井上さんとは仲良くしていただいているので、
行って、お店が暇なときは30分ぐらい、
立ち話をして帰ってきますが、
きっとそういうのが苦手、断固拒否という方が多いということでしょうね。
そういう方はそういう方でよろしいです。
きっとそれが楽しいのでしょうから。

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2016年11月14日月曜日

「野心」に取りつかれた人

脳の記憶はあいまいで、しかも勝手に穴埋めするということが書いてある本を読んで、
また、実際にキネシオロジーを通して、
その人の言っていることと、実際にあったこと、
起こったことが違うということも知っていて、
それでわかったことがあります。
言っていることと、身体から上がってくる身体の言葉とに乖離があればあるほど、
どうやらその人の人生はうまくいかないようです。

考えてみれば当たり前のことで、
いつでも、結婚したいという思考と、結婚したくないという身体の意見と、
同時に持っているのですから、運転席に常に2人座っているようなもの。
だけれども、動かすのは身体のほうなので、
結局、行動は身体が指示する方向へいきます。
つまり、思考は結婚したいだけれども、
身体が結婚はしないと言っているなら、
結婚するための行動はしない、になります。

これはなぜ起きるのかというと、
1つは身体の声を無視しているからです。
身体の声を無視して、
社会的な声、それは親であったり、先生であったり、マスコミであったりの意見を取り入れて、
そちらを重要視します。
だけれども、それは大体において、身体の望む方向と180度違うので、
いつでもブレーキとアクセル、両方同時踏んでいるような状態になっていて、
結局、どこへも行かないのです。

それと最近、気づいたのは、これは社会的な声だけではないな、ということです。
私はそれを「野心」と呼んでいます。
どうやらこの「野心」に取りつかれると、
妙にかたくなになって、心が柔軟性を失い、
人間関係から孤立するようです。
この「野心」は、自分で努力することなく、何かを達成しよう、得ようとする「野心」です。
「野心」に取りつかれている人の特徴は、
リアルな人間関係が希薄なことです。
(ネット上でのつながりは除きます。そこはペルソナを使って何とかつながれます)

自分の住んでいる地域、
働いている場所などで、
リアルに誰かと付き合っていない人。
これが「野心」に取りつかれた人の特徴です。
なぜなら、この「野心」には全くリアリティがないので、
リアルな人間関係が、その「野心」をおびやかす可能性があるからです。

鍵は、その「野心」を維持し続けるか、捨てるか。
維持し続けるというのなら、
その状況は続くでしょう。
その「野心」は、フェイクですから。


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2016年11月13日日曜日

マダムのスタイルは苦手

自分がマダムじゃないので、
マダム向けの雑誌は苦手でして、
ほとんど買いません。
年齢的には、それでいいのかもしれないのですが、
掲載されているスタイルも、魅力を感じないし、
関係ないなと思わせるものなので、
見る必要を感じません。

また、マダムたちの集いにも用事はないし、
そういった方々とも実際に縁もありません。

で、何がそんなに苦手と感じるのか、
居心地が悪いと感じるのか、考えてみました。
大体、あの手の雑誌のマダムたちは、
高価なジュエリーをたくさん(ここがポイント)身につけています。
指輪、イヤリングかピアス、ネックレスかペンダント。
そこに伸ばした手の指にネイル、そしてフルメイク。

このフルセットな感じがどうも苦手なのです。
苦手というのは、こういう人が嫌いとか、苦手とかいう意味ではなく、
私がやりたくないスタイルなのです。
タワーマンションの高い階に住みたいとは全く思わないのと同じように、
全くしたいと思わないし、どちらかというと、苦手です。

これにひざ丈のタイトスカートに肌色のストッキングとパンプスだったら、
もう無理という感じです。

そういえば、私はいわゆる企業の制服というのがとても嫌いでして、
何とかしてあれを着なくてもすむ職業につかなければ、と思ったのでした。
あれを毎日着るのは耐えられません。
マダムのスタイルも、
やれと言われたら無理なスタイル。
ほんと、マダムじゃなくてよかった。
タワーマンションとか、住む必要がなくてよかったです。

それは例えば似合うと言われたとしても、
絶対に着たくないものなのです。

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2016年11月12日土曜日

人生は待ってくれない

学生のころ、
高校の演劇部時代の友達が、
「これから、企業はほとんど週休2日制にかわっていくから、
入るときに土日が休みじゃなくても、大丈夫だよ」
ということを言いました。
当時の私は、そんなものかと考えましたが、
あれから20年以上たって、そんなことは実現していません。

また同じころ、男女平等への動きや議論も活発で、
大学で「女性学」という講義もあって、
受講していましたが、
誰もが楽観的な未来を思い描いていました。
つまり、男女の平等は進み、女性も働きやすい社会にこれからなっていくと。
これも現実は逆方向でした。

たしかにそのいつかは、いつかくるかもしれません。
けれどもそれは50年後かも、100年後かもしれません。
今はひどいけれども、いつかよくなる。
それは正論ではありますが、
それが実現されるのを待っていたら、
人生は終わってしまいます。

よく最近は若者に努力を求めるが、それはよくないという意見も聞きます。
求めたり、強要したりするのはよくないでしょう。
けれども、だからといって、
あ、そうか、努力しなくてもいいんだと、
開き直れば、
最終的に困るのは自分です。
そこで、あのとき努力しなくてもいいって言ったじゃない?と、
言ったところで、
その言ったその人は、あなたの責任をとってくれません。
教師も親も、みんなみんなそう。

もちろん、それも人生の選択です。
努力しない、行動しないを選んでもいいのです。
お好きなように、ということです。


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2016年11月11日金曜日

あめんぼ赤いなあいうえお

前にちょっと書いたことがありますが、
2013年ごろ、親の介護と看護、
そしてその後の数々のもめ事(弁護士マターとか、お金をとられたりとか、
税務署に呼ばれたりとか(笑))
をきっかけにして、私の顔、特に右側は軽い顔面麻痺になってしまいました。
そのころに初めてお会いした方は気づかれていないようですけれども、
明らかに、顔が左右対称に動かなくなり、
そのころから、なんだかメイクをするのもいやだし、
コンタクトを入れるのもいやだしと、
顔関係はどんどん適当に、そして今に至っています。

顔面麻痺に治療方法はありません。
あるとすれば、リハビリのみ。
で、自分なりにいろいろやってみて、
随分と回復はしてきたのですが、
最後のもうちょっとのところがうまくいきません。
たぶん、筋トレがまだ足りないのです。

そこで思いついたのが、
演劇部の発声練習である、
あえいうえおあお、かけきくけこかこ、というあれ。
あれをやればいいのだなと、そこまでは自分で思いつきました。
しかし、もっとなんかないかなと思っていろいろ検索していて、見つけたのが、
1つはリップロール。
息をはくときに、声を出しながら唇をふるわせ、ぶるぶるぶると言う、あれです。
顔の筋肉が弱っていると、これがうまくできないということで、
私もやってみたところ、全くできないことはないですが、
確かにうまくできない。
ついでに言うと、口笛が吹けない。
ああ、やっぱり筋トレが足りないのです。

で、もうちょっと検索していたら、
あえいうえおあおの上級バージョンとして、
「あめんぼ赤いなあいうえお」が出てきました。
これは北原白秋が作ったもので、
日本語で演劇をやる場合、定番の発声練習のための詩です。
演劇部は発声練習をするついでに、
顔の筋トレもしていたのです。
すごいな、演劇部。
いろいろカバーしています。

というわけで、演劇部時代に戻って、
暇なときに、あめんぼ赤いなを言いながら、
家の中を歩いていますが、
本気で大きな声を出すと、ネコが妙な顔をするので、
口の形だけ大きくして、あまり声は出さないようにしています。

 演劇部は、発声もやるし、メイクもやるし、照明もやるし、音響もやるし、
ペンキ塗りもやるし、衣装も作るし、舞台の写真も撮るし、
当日本番もやるしと、いろいろなテクニックを駆使しながらやるものなのですが、
最近どんどんなくなってきているとのことで、
本当に寂しい限りです。
今から私が作るか、演劇部・・・(嘘です)。

追記:全然関係ないけれども、ふるうつらんど井上さんのところで働いている高野君(28歳)が、
結婚相手を探しているそうです。高野君はどこかの大学院を出たインテリ農家で、
今後は井上さんのところから独立して、井上さんの土地を借りて農家をするそうです。
(収入は知りません。農家収入です)
オーガニックとか都市近郊農業に関心があって、誰かと結婚したい方がいらっしゃったら、
本名と生年月日を明記した上で連絡ください。
たくさん集まったら、高野君に今後の日本のオーガニック農家とその展望についてのお話を伺う会を開催してもいいです。


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2016年11月10日木曜日

人の記憶のあいまいさ


きのう通りを歩いていたら、
もうサンタクロースが飾ってあって、びっくりしました。
きのうは寒かったし、用事で鎌倉方面へ出ていたので、
もう年末の雰囲気がそこかしこにありました。

それにしても、江ノ島から鎌倉にかけての街の変化が早い。
行くたびに、空き地があらわれ、知らないお店ができています。

あまり通らないところだと、
その空き地に以前、何があったか思い出せません。
いちいち、あれ、ここ、前は何だったんだっけ?と考えてしまいます。
新しいお店ができたら、以前のお店は思いだせない・・・
人の記憶って、そんなものです。

今、人間の脳の記憶がいかにあいまいかという内容の本を読んでいるのですが、
本には、人の記憶は正確ではないし、
見えなかったものについては勝手に穴埋めをすると書いてあります。
私がよく、他人はボトムなんてほとんど見ていないという話をしますが、
それは本当にそのとおりで、
人は見るものを取捨選択し、捨てたものについては、穴埋めをして記憶しています。

服もそうなのですから、
顔についてもそうかもしれません。
人は正確にその人の顔など、見てもいないし、記憶してもいないかも。
顔でさえ、表情やしゃべったことなど、
印象全体で記憶は穴埋めされているかもしれません・・・

☆写真:夕方の江ノ島

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2016年11月9日水曜日

秋の夕暮れ

寒かった1日。
黄昏。

かびくさくなった衣服を再び洗う


今年の夏は湿度が高く、
部屋に作りつけてあるたんすの引き出しの中にしまっておいた、
ダウンベストがかびていて、洗ってみたのですが、
かびはとれたものの、かびくささが残っていたので、
再度、酸素系漂白剤につけてから洗ったところ、
やっとかびくさいのがとれました。

ついでにおとといは、天気もよかったので、
シルクのシャツをまとめて手洗い、
軽くしぼって、お風呂場につるしておけば、
次の日の朝には乾いています。

で、シルクとダウンジャケットの表面などに使われているポリエステルについて考えました。
湿気が高くて、暑い国の衣服って、
コットンとかシルクが多いですよね。
タイやインドもシルクが有名。
ポリエステルは、着ないとは言わないけれども、
こう蒸し暑いと、着ていられないし、
しまっておくとかびるのではないかしら?
(実際のところはわかりませんが)

たぶん、湿気が高くて暑い国の人は、
天然素材のものが中心で、
しかもたくさん所有しないのではないかと思うのです。
なぜなら湿度が高かったり、虫がいたりして、
管理が大変だから。

ヨーロッパは乾燥しているので、
こんなかびやら、虫やらには悩まされないはず。
だから、ある程度、たくさん持っていても、
場所さえあれば管理はできる。

けれども、暑く、湿度が高い国だったら、
管理するために、タンスに風を通したり、防虫剤を入れたり、
かびたら洗ったりと、いろいろと労力がかかります。
労力をかけたくなかったら、
所有する枚数を減らすしかありません。

日本の気候がこのままだったら、
長く湿度の高い夏が1年の半分近くですから、
暑い国と同じ考え方をしたほうがよいのかもしれません。

とにかくシルクは1年じゅう快適。
洗濯も簡単。
シルクのシャツをもう少し補充してもよいなと、
思ったのでした。

☆写真:フリーダ・カ―ロがお風呂に入っているみたいなティーバッグ。(いただいたものです。ありがとう)


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2016年11月8日火曜日

選択するときの早さ

例えば、だーっとたくさん並んだ中から最もいいものを選ぶとき、
一点一点チェックするのではなく、
ほとんど数秒のうちに目的物にたどりつくというのが、
多くのプロのやることです。
美術品とか、骨董品とか、
まずは、ざっと見た中で瞬時に選別してしまいます。
その後で、細かいチェックに入る。

この瞬時の判断を「一目惚れ」と呼ぶかというと、
そうではない気がします。
「一目惚れ」という中の「惚れ」には、
どこか理性とは無関係な感じがしますから。
ただ、早さという点においては、それは同じです。
ですから、誰かが選ぶのを見て、
それが鑑識眼による瞬時の選択なのか、
単なる一目惚れなのかは、わからないでしょう。

見境のない一目惚れは失敗すると思いますが、
瞬時に選択したものではなく、
熟考の上、決めたものは、それはそれで後になって気に入らなくなるかもしれません。

ではどうしたらいいかというと、
理性的で、熟考が必要な部分と、
瞬時の判断が必要な部分を分けるのです。

例えば、理性的に、今年の冬はコートを買うという計画を立てておいて、
選ぶときになったら瞬時に判断、
判断したものについては、再び理性的に価格やサイズをチェックするなど、
しておきます。

これを全部、
何買うかわからない、
一目惚れした、
値段とか素材とか無視して購入だったら、
それは失敗すると思います。

これはすべてについて言えることだと思います。
計画と行動のバランスが崩れていると、
結局、うまくいきません。
財布の中身は有限ですから、
有効に使いましょう。



2016年11月7日月曜日

部活の話

来年の春以降、やろうと思っている文化部の話が、
だんだん固まってきました。
とりあえず、ニットでやろうと思っていて、
参加費1000円ぐらいで、
ちゃんとヴォーグ学園で講師認定受ける予定の方に確認とったので、
そこは確保しました。
あと、アサーティブ・コミュニケーションの講師の方もOKだとのことでした。これも楽しいね。

それで、これは何でやるのかといったら、
本気でニットができるようになるため、
ではありません。
本気だったら、ヴォーグ学園へ行けばいいし、
それは部活じゃないです。

そうではなくて、
例えば、地方から出てきて、
都内で一人暮らしで、
仕事場の人間関係しかない場合、
休みの日に気軽に行けて、しかもコミュニケーションがとれる場所って、
ないからです。

会社や仕事場の知り合いは、
しょせん知り合いレベル。
それにいつも同じ人と会っていても、
それ以上の進展や、新しい発見はありません。

かといって、誰とも会わないとすると、
それはそれで何も起こらない。
誰にも会わないと、何も起こらないということになっています。

部活というよりは、お茶一杯で延々としゃべるカフェみたいな雰囲気がよいのですが、
「カフェ」と銘打つと、お茶を出さなきゃならないので、
そこはちょっと微妙なんで、カフェとは言わないでおきます。

では、なんでそれを私がやるのかなというと、
私はお金はないけれども(いや、ほんとに)、
そのほかではやっぱり恵まれていると思うから。
だから、ノブレス・オブリージュを感じるのです。
(もちろん私より恵まれている方はごまんといらっしゃいますよ)

ジェーン・オースティンの「エマ」という小説で、
エマはナイトリーさんに諭されます。
ミス・ベイトリーは貧しいのだから、そういうことをしてはいけないと。
まあ、そんなことです。

そんな感じで、来春以降、1000円ぐらいで、
もしかしてふるうつらんど井上さんで何か一品買うことという条件がつくかもしれませんが、
文化部をスタートさせますので、
休みの日、行くこと、やること、話す相手がない方は、
いらしてくださいね。

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2016年11月6日日曜日

湿気対策

去年は、ブーツに特別な湿気対策をしなかったので、
1年たって、はこうと思って、靴箱のふたをあけたら、
スエードのブーツのところどころ、かびが生えていたのでした。
今年はそうなるのが嫌でしたので、ロングブーツ用の湿気取りを入れて
保管したところ、みごとにブーツはきれいなままに。
そのかわり、湿気取りが湿度を帯びて、乾燥していたものが
濡れていました。

今年は湿度が高い時期が長かったので、
たんすの中も何とかなくもやっとしていて、
すぐに気づいて、湿気取りを入れればよかったのですが、
なんだかもたもたしている間に、
季節が変わってしまい、
よく見たら、やはり皮革は少しかびっぽくなっていました。
湿度が一定に保たれるお部屋なんか、
普通はないと思うので、
こう湿度が高い時期が続く場合は、
何かしらの湿度対策が、靴にも服にも必要です。

きのうは、ダウンベストの表面にうっすらかびを見つけて、
洗濯機で洗濯してしまいました。

ウールのセーターやなんかは、
自分で洗濯して、アイロンをかけて、
防虫剤と一緒にしまったので、
問題ありませんでしたが、
これも、アイロンがけを怠ると、
いくら防虫剤を入れてあっても、虫食いが見つかるかもしれません。
蛾も、随分と最近まで飛んでいましたから。

いずれにしろ、メンテナンスもけっこう手間暇かかりますから、
自分ができる範囲内までに、
ワードローブを維持するのが、
よいと思います。

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2016年11月5日土曜日

残っていくもの、消えていくもの

先日の龍子記念館での展示には、
第二次世界大戦中の作品も数点ありました。
画家ですから、はっきり何かを訴える作品ではありませんし、
作品としての完成度は、いつの時代に描いたものだろうと、
求められます。

一生画家であると決めたからには、
時代がどんなに変化しようと、
軸がぶれてはいけないのです。

信仰にも似た、
そのぶれのない志があったからこそ、
作品は残ったのだと思います。

志と、
絵を描くことに対する情熱と、
行動力と、
この3つは何をするにしても大事。

龍子さんって、院展をやめちゃって、
自分で「青龍社」という団体を立ち上げます。
気に入らなかったら、
文句を言っているだけじゃなくて、
自分で作って行動しちゃう。

そのときの風当たりはどれほどのものだったのか、
絵を見る限りではわかりませんが、
相当なものでしょう。

それでもやってしまえば、
そんなどうでもいい人たちの批判など、
歴史からは消えていくんです。

そうです、全部消えてなくなります。
残るのは、その信仰にも似た志を持った人の作品だけです。


きのうの問題の答えです。
まず、仲間はずれは「カシオペア」。ほかは恒星なのに、これだけ星座名ですね。
では何を入れたらいいか。一等星の恒星ならなんでもいいです。
アンタレスとか、カノープスとか。季節までは考慮しなくていいです。国によって季節は変わるので。
そこで入れてはいけないのは、ジュピターとかね。惑星はだめです。
わざわざメールで答えを送ってくれた方がいらっしゃいました。
どうもありがとう。

2016年11月4日金曜日

見ることの積み重ね


きのう行った大田区の龍子記念館は、
川端龍子さんが自分で1960年代に建てたものです。
たぶん、当時の最先端のスタイル。
ですから、床が高床式になっていて、
ピロティになっています。
ピロティというのは、上野の西洋美術館の設計者である、
コルビジェの提唱したスタイルです。

で、きのうは、こんなふうに横軸に、
そして同時に縦軸にも理解していないと、
本当のところは理解できないよという話をしました。
これは画家だけの話ではなく、
すべてにおいて言えることです。

これができないと、
きれいとか、きれいじゃないとか、
好きとか、嫌いとかで終わってしまうのです。
それでもいいけれども、
何かその先に向かうのでしたら、
それでは足りません。

あと、きのうもう一つ思ったのは、
そのときにしか見られないもの、経験できないものがあるということ。
きのうの池上本門寺の龍子さんが描いた龍の天井画も、
劣化が進んでいます。
もしかして、もう10年もしたら、危ういかもしれません。
同様に、龍子公園の竹垣も、朽ちてしまったら、
もう同じものは作れません。
機会は利用しておかないと、
次はないかもしれないです。

見ることの蓄積は過小評価されがちですが、
積み重ねていくと、それは大きな力になります。
その力がないことには、
見えてこないからです。
いいものがあっても、目の前で通り過ぎていく。

あと、きのう、池上会館の前にあった大田区のマイクロバスについていた名前、
多いにウケました。
「シリウス」
「ベガ」
「カシオペア」
「スピカ」
でした。

はい、ここで問題です。
「この中で、仲間はずれを1つ見つけて、
正しいものに置き変えなさい」

これ、きのうやっていたんだけれども、けっこうみんなわかっていなかった。
いやいや、大田区よ、これではだめだろうよ。
よく知らないと、こういう間違いをおかすという、いい例でした。

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2016年11月3日木曜日

本日はどうもありがとうございました。


本日、第二回「東京ハッピー」にお越しいただいた皆様、
どうもありがとうございました。
滅多に行かないであろう、池上の街をのんびり歩き、
池上本門寺の天井画を見ることで、
よりいっそう川端龍子の世界を理解できたのではないかなと思います。
「菊祭り」開催中。

やはり見ていくことでしか理解できないこともあるということですね。

関係ないですが、
今日、面白かったのは、
本日、わたくし、紺色のコートの中に黄色のワンピースを着ていたところ、
すれ違う子供たち、ほとんどすべてにじーっと見られました。
なぜだろうか。
子供の目には、黄色はとても魅力的に見えるのでしょうか・・・







いろいろ着ないもの

きのうはいきなり寒かったので、
結局、着ないものって何かしらと、いろいろ考えました。

いつも着るかもしれないと思って、1枚は所持してしまう、
ノースリーブのニットは、
やっぱりほとんど着ないです。
理由は、冬のノースリーブは寒いから。
そして、これは買わないからいいけれども、
私が着ないだろうものはロングジレ。
あれは11月過ぎたら、寒くて無理。
しかもけっこう丈が長い。
あれがコートから出るのはおかしいですから、
そうすると、あれより長いコートを着る機会でないと着ることにはならないので、
結局、着ないでしょう。
あと、最近のオフィスはどうなのでしょうか?
シャツにロングジレでも暖かいほどの気温設定なのでしょうか?
シャツじゃなくて、インナーは薄いニットにしろ、ということか。
とにかく、ロングジレ、要らない派です。
(先日、ロングジレをさんざん勧められ、断固として、いらないと言い張りました)

ブンカで素材の授業を受けたとき、
裏のないウールのコートは寒いからやめたほうがいいですと、
先生が言ったのを今でも覚えていて、
ダッフルコートに使うような、
目のつんだ素材でないと、
裏なしのコートは選べません。

小さいころから暖かいところで育ってしまうと、
寒がりになってしまって、
うちなんて、日本全体では決して寒いほうではないのに、
冬は家の中にいても寒いと感じることが多いです。
今朝もストーブとエアコンのダブル使い。
暖炉のある家に憧れます。
ペレットストーブもいいな。

11月、もう冬ですね。

2016年11月2日水曜日

ルールはあります。無視はできない。

ハロウィンの騒動で、
例の軍服デザインをした方が、
無邪気に無知を訴えていますが、
西洋の衣服には、ルールがあるんです。

何度か書いていますが、
現在の西洋の衣服のオリジンは軍服、制服由来のものが多いです。
ですから、これは否定できません。
トレンチコートしかり、Pコートしかり。
だから、「軍服はいけません」という話ではありません。

けれども、やっていいこととやっていけないことがあります。
それは、やはりルールなんです。

また、モードの変遷というのは、
女性の自由と権利のために発展してきたものでもあります。
パリ・コレクションが最も重要視されるのも、たぶんそのへんです。
フランス共和国の標語は、「自由、平等、博愛」です。
モードも、自由のために発展しているのです。

ですから、例えばトレンチコートのデザインを使うとき、
武器を持って戦うためのものではないものとするために、
それまで持っていた象徴的な意味を解体します。

同じように、女性服の中に男性のスーツと同じスタイルをさせるときは、
決して、「男と同じ」にはしないのです。
必ずベクトルは「女性の自由と平等」の方向へ変えてきます。
例えば、どういうことをやるかというと、
素肌の上にじかにジャケットを羽織るとか、そういうことです。

モードが探っているのは、
男のためではない女性のセクシャリティです。
だから、モードを考えているデザイナーの頭の中に、
「モテ服」はありません。
それはあくまで、セルフエスティーム(自尊感情)を高めるためのものです。

結局、そこまできちんと考えてやっていかないと、世界には通用しないということです。
ただ、楽しい、好きだから、やっているのではないのです。

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2016年11月1日火曜日

トレンチコートって、これね。

さっき上がったばかりのヴィデオです。
バーバリーがギャバジンを開発するシーンから始まります。
残念ながら、どうしてギャバジンと名付けたかのシーンはないです。
でも実際のトレンチコートについて、
これを見れば、なるほど、塹壕ってこのことかと、
わかると思います。
必見です。

創る愉しみ

いつだったか、
高校の演劇部の友達が(彼女は副部長だった。部長は私)、
パッチワークを習っていて、
もう10年も習ったころ、そろそろ教える側になったのだけれども、
親戚だかがバッグを作ってほしいということで、
作ってあげたが、お礼が3万しかなかったと、
たいそう怒っていたことがありました。

パッチワークのバッグ、その労力を考えれば、
3日やそこらではできませんから、
3万では安いです。
けれども、バッグの価格からしたら、
3万のバッグは、安いほうではありません。

自分で洋服を作ったり、バッグを作ったりするのは、
材料費も労力も、売っているものよりかかります。
だから、安く作るためという理由なら、
やらないほうがまし。

では何でやるかというと、
そこには作る喜びがあるからで、
そのためにやるのです。
売っているものと比べるためではありません。

編み物なんかも、たぶん、今はでき上がった製品を買ったほうが安いでしょう。
それに売っているもののほうが、自分で作ったものよりもきれいだし。

そういう私は大学生のころ、
自分で編んだセーターで、学校へ行っていました。
ローゲージの、白と茶色の二本どりのツイード調のものと、
もう一つ、薄いピンクの1本はモヘアにした二本どりのニット。
ピンクのニットに、やはり自分で作った真っ赤なフレアスカートをはいたりしていました。
それにゆるいパーマがかかったロングヘアの時期もありました。
まだ洋裁を習う前でしたから、本を見て作ったものです。
自分で考えて作って着るという、その楽しさのためにやっていました。

生活の中に時間的な余裕がなくなると、
この作る楽しさが奪われていきます。

きのうは久々にユザワヤへ行って、
まだまだたくさんの人が材料を買いに来ているのを見ました。
創る愉しみを知っている人は、
いなくなったわけではありません。

創る愉しみとか、
育てる楽しみとか、
受け身でない楽しみを知っている人は、
誰かから奪おうと、がつがつする必要もなく、
自分の人生を作るわざさえ、習得していくものなのだと思います。

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