2016年8月31日水曜日

カフェで本が読めない

私はカフェで読書ができません。
きのうは、私にとって非常にストレスのかかる用事を1つ済ませた後だったので、
駅の近くの大きな窓のカフェで休憩することにしました。

きのうは待ち時間があると予想される用事だったので、
珍しく、バッグには須賀敦子の「トリエステへの道」を入れておきました、
待ち時間に読もうと思って。

カフェに一人で入って、
注文したものがやってくるまでの間、
本を読もうと思ったのですが、これが全然できない。
なぜできないかというと、理由があって、
私は視覚情報優先の性質だからです。
カフェみたいなところに入ってしまうと、
入ってくる人、
窓の外を通り過ぎる人、
並んでいる売りもの、
ウェイトレスさんの動き、
すべて気になって、読書に集中できないのです。
たぶん、よく多くの人がやっている、
カフェでパソコンを開いての仕事もできないと思います。
とにかく集中できない。

カフェで読書をしたり、仕事をしたりする人は、
私のように視覚情報が優先ではない人がほとんどです。
たぶん、視覚よりは聴覚なので、
ヘッドフォンをつけて何か音楽を聞くか、
耳せんをしているか、どちらかでしょう。
聴覚情報さえシャットアウトすれば、こういった人たちは集中できます。

しかし、私のように視覚優先だと、
アイマスクをするわけにもいきません。
そうしたら、読書になりませんから。

旅行先にも本を持っていってはみますが、
読書ができたためしがない。
外国の電車なんていったら、
見るものが珍しいばっかりで、何かを読んでいる場合じゃありません。

それでも暇つぶししたいとき、
一番いいのは、好きな音楽を持参して、
それを聞きながら、街ゆく人をぼーっと眺めること。
ぼーっと眺めていれば、目の中にどんどん記憶されていきますから、
後から引きだすことができます。

きのうも須賀さんの本、結局、読まずじまい。
けれども、この本はもう何度か読んだ本なので、別にいいのです。

私のように、視覚情報が優先の人は、ほかにもたくさんいると思います。
そうした人たちにとって、本を読むには、見慣れた視覚情報しかない場所が一番です。



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2016年8月30日火曜日

梅雨と台風の季節

今年の梅雨は1カ月以上ありました。
やっと終わったと思ったら、
台風の季節が到来。
この時期、雨ばかり降ります。
たぶん、9月中も注意が必要です。
家にいるだけならよいのですが、
外出するとなると、
雨の日の装備は必須。
しかも、湿度が高いときていますから、
湿気対策もなされているものでないと、
快適には過ごせません。

私は家での仕事が大半なので、
余りお出かけはしないのですが、
それでも今年の外出は、
なぜか雨の日に多くあたり、
そのたびに、靴がないとか、レインジャケットがないとか、
あわてます。

ゴアテックスのレインジャケット、
欲しいんだけれども、けっこう高い。
雨の日に外出しないのなら、
そんなのはいらないな、なんて思っていましたけれども、
こんなに雨ばっかり降っていると、
そうも言っていられず、
次回、アウトレットに行ったときは、
アウトドアのショップで調達してくる予定。

きのうも雨の中、出かけて、
はいていく雨靴がなくて、スニーカーで出かけましたけれど、
駅でほかの人の靴を見ると、
けっこう皆さん、ふだんの普通の靴。
濡れてもいい靴という意味でしょうか。
駅の階段で滑るのも嫌だしとか、
いろいろ考えると、
雨の日の靴選びは慎重にならざるを得ません。

きのう、誰か素敵なレインジャケットの人はいないかなと観察したけれども、
これも案外、皆さん、ふだん着でいらして、
雨装備の人はほとんどいませんでした。
でも、けっこう降っていたんですよ、台風が近づいていましたから。

雨というか、
その後の乾かない感じが嫌なのです。
きのうは速乾のスポーツウエアのパンツをはいていたからよかったけれども、
これでジーンズだと、
なかなか乾かなくて気持ち悪いでしょう。
単なる雨よけだけじゃなくて、
速乾も必要です。

とりあえず、次回、アウトレットへ行ったら、
エーグルとノースフェイスをチェックしに行きます。

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2016年8月29日月曜日

素敵なおばあさまを見た。

駅の改札脇のカフェにて、
素敵なおばあさまを見ました。

年のころは75歳ぐらい。
きれいにセットされたシルバーグレイのショートヘア。
私がこの方に目がいったのは、
まだ8月の暑い時期に、
黒いショート丈のテイラードジャケットを着ていて、
そのきちんとした雰囲気が珍しいなと思ったからでした。

その方は、その駅のカフェで男性と打ち合わせしているようで、
何か説明している様子が聞こえてきます。
とぎれとぎれに、「舞台」「カメラ」「大通りから」などと聞こえてくるのですけれど、
具体的にどんなお仕事をされているのかまでは、
わかりません。

ジャケットの下から見えるのは、黒とゴールドのストライプの、
フィット&フレアのワンピース。
素材は、上品に光り、少し張りのあるシャンタン。
それに、ワンストラップの黒いローヒールのパンプス。

左手には、ゴールドの時計と細いブレス、そして小指にゴールドの指輪。
右手には、黒とべっ甲か何かの素材の少し大ぶりなブレスと、薬指の、
やはりこれも大ぶりの、黒曜石のような素材の指輪。
耳には黒い、丸い形のイヤリング。

もうおわかりいただけたかと思いますが、
この方は、全身を黒とゴールドだけで構成しているのです。
両方の腕の過剰な装飾は、どう見ても、事務仕事をしている方ではなさそう。
女優さんではないと思いますが、
何か舞台関係者かもしれません。

持っているバッグも、黒と木目のような素材の、
四角い、かっちりした、あまり見たことがないようなバッグ。
サブバッグとして持っていた、ナイロン素材のバッグも、黒地に金の水玉と、
徹底しています。

暑いのにもかかわらず、ジャケット着用、
徹底した黒とゴールドの色遣い、
何か熱心に打ち合わせする姿は、
年をとったときの、1つの理想の姿でした。

きっとあの方はずっと、自分の人生の主役を生きていると思います。
脇役感ゼロでしたから!


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2016年8月28日日曜日

旅のワードローブを振り返る



実は、もう長いこと旅行に出ていません。
(日帰りの飛行機での出張はあります)

まずは自分の病気、次は家族の介護と看護、そして今は猫5匹がいるので、
なかなか家をあけられません。
そんなことをしている間に、世界が不穏な状況になって、
少し残念ですが、来年あたりちょっとだけでもどこかへ行けたらなと思っています。

で、自分自身の旅のワードローブについて考えてみました。
実は最初が最悪だったのです。
正確に言うと、自分自身じゃなくて、同行者が、ですが。

28歳のとき、初めていったロンドン。
一緒に行ったのは、高校の演劇部の友達とその妹。
妹は最初ついてくる予定がなかったのですが、
途中から行きたいということで、一緒に来ることになりました。

12月だったので、私はヘルムート・ラングのウールのロングコート、黒いウールのパンツに、
アンクルブーツで、変な格好ではありません。
しかし、一緒に行った姉妹が、残念な姿だったのです。

当時、その友達の妹はガールズバンドをやっていて、ストーンズなんかをコピーしていたのでした。
ですから、スタイルがロックです。
で、その姉妹はそのロック・スタイルのままやってきました。
大き目で、なぜかよれよれの黒い革ジャン、重そうなバイカーブーツ、
ローゲージで黒と赤のボーダーのニットにミニスカート。
ロックというより、パンクなのか。
日本で見たとしても、ちょっと小汚い感じ。
そして、そんな2人と一緒にホテルの受付に行ったり、レストランに行ったりしたら、
まあ、なんというか、あからさまな冷遇です。
イギリスって、なんて冷たい国って、思ったものです。

そして、次の年、今度は大学のシェイクスピア研究会で一緒だった友達と、
ロンドンへ行き、ストラッドフォード・アポン・エイボンまで遠征して、
ロイヤル・シェイクスピア・シアターでシェイクスピアの「十二夜」を見るというテーマの旅でした。
その当時、その友達はもうコバルト文庫の作家でして、
シェイクスピア研究会の友達仲間でもダントツのお金持ち。
季節は9月でしたが、当時、サンヨーで売りだした、ヨージ・ヤマモトの真っ白なコートを着てあらわれました。
一方、私は、当時あった、June,July,Augustという、ちょっとしゃれたブランドの黒別珍のジャケットに、ギャルソンの金のメタルがはめ込んであるベルトをウエストにしめ、
7分丈の黒別珍のパンツ、そしてアンクルブーツといういでたちでした。
そんな2人でロンドンのホテルへ泊まったり、
ハーベイニコルスの最上階のレストランで食事してみたり、
エディンバラの駅の近くの立派なホテルへ泊まったりしたのですが、
大体どこでも親切にされました。去年とはえらい違いです。

そのときです。
これは、どんな格好をしていくかによって、えらい待遇が違うなということに気づいたのは。
そして、その後、今度はルレ・エ・シャトーというホテルグループに入っているような、
マナーハウスや古城ホテルに泊まるためイギリスに行ったときは、
もっと用心して、当時あった、マーク・ジェイコブスのセカンドラインのオフホワイトのコートに、帽子と手袋というスタイルにしてみました。
これは全然問題なし。

マナーハウスのホテルは、夕食つきのプランで予約していました。
そして、そのレストランにはドレスコードがありました。
といっても、ジーンズやスポーツウエアのままはだめだ、というレベル。
そのときは、ふうん、ぐらいにしか思っていませんでしたが、
今ならわかります。
そのレストランは、まず、暖炉のあるバーラウンジでメニューを決めて、
食前酒をいただき(といっても、私はアルコールは飲めない)、
次に、メインホールへうつって前菜とメインををいただき、
コーヒーとデザートはまた違うお部屋に移るという、
由緒正しいスタイルのものでした。
こんなところに、作業着やらスポーツウエアで来られたら、
レストランという舞台の景色が壊れますからやめていただきたい、
という意味だったのですね。
周りの皆さんはどんな感じかというと、
女性の皆さんはワンピースまたはロングドレス、男性はスーツ。
私もワンピースにイミテーションのパールのロングネックレスをつけてレストランで食事しましたので、
これも問題なし。気分よく食事できました。
(ちなみに、このホテル、真冬に行ったので格安料金でした。箱根の旅館と同じぐらい)

旅のワードローブも、
そのシーンに合っているかどうかが重要です。
風景、照明、周囲の人たち、
その中で自分がどういうふうに見られたいか、
それが決まれば、
おのずと決まってくると思います。

☆ 泊まったマナーホテルの動画です。


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2016年8月27日土曜日

「大人のおしゃれ」ってなんなんだろう?と考え込む

日本独特のスタイルに、
40歳前後を過ぎた女性の、
少女おばさんスタイルと、おじさんおばさんスタイルがあります。
これは外国では、たぶんあまりいない。
まあ、いなくはないと思いますけれども、
少なくともそれがおしゃれな人として雑誌に載ることは、
まれだろうと思います。

少女おばさんスタイルは、
もう少女の倍以上の年齢になったにもかかわらず、
いまだ少女テイストの服を着るスタイル。
少女テイストは何ですかと聞かれて、
一番の特徴は、ハイウエストです。ウエスト位置が通常のウエストより5センチから10センチぐらいは高い。
あとは、フラットカラーとか、スカートが落ちないためのサスペンダーとか、
体型がわからないような、だぼっとしたシルエット。

おじさんおばさんスタイルは、
一瞬、これはおばさんなのだろうか?おじさんなのだろうか?と考え込むようなスタイル。
アンドロジィナスというよりは無性。
アンドロジィナスはセクシーだけど、セクシュアリティは排除しているので、セクシーさは
一切感じられない感じ。
(例えばユーリズミックスのアニー・レノックスは男装でしたが、とてもセクシーでした。
あそこからセクシーをとった感じ)

服は好きなものを着ればいいと思います。
そして、何より自由であるべきだと思います。
それは大賛成だし、全く異論はございません。
ですから、この2つのスタイルも全く問題がないのでございます。
けれども、この少女おばさんスタイルと、おじさんおばさんスタイルに関しては、
見るたびに違和感を感じます。
その違和感は、なぜそんなにまでしてセクシュアリティを排除するのだろうか、
という疑問です。

分かりやすく言うと、
少女おばさんスタイルとおじさんおばさんスタイルが主人公の恋愛ドラマって、
考えられないでしょう?ということです。
百歩譲って、少女おばさんはまだあるとして、
おじさんおばさんスタイルの女優さんが主人公で、
その恋愛ドラマって、そんなのないですよね。
あった?あったのかな??
(イメージとしては、小林聡美さんが地肌が見えるぐらいの刈り上げショートにして、
黒、紺、グレーのおじさんのようなスーツやらパンツルックで出てきて、それで始まる恋愛ドラマ。
あ、バイセクシャルとかじゃなくて、ヘテロセクシャルで。
バイセクシャルで、すごく複雑な展開のドラマだったらあるなって、今イメージが浮かんだ。逆に面白そう)

これは個人の問題ではなく、
日本の社会全体が抱えている、
なんでそこまでセクシュアリティを排除するのかという話にもつながるので、
そんなに簡単に答えは出ません。
ただ、推測するに、
そのスタイルをすること、つまりセクシュアリティを排除することで、
二次的利益はあるんだろうなと。

きのうはその話をしていて、
例えば、少女服のおばさんスタイルの人は、責任から逃れるという話。
なんか見るからに使用人みたいだよってことで、
この人が責任を持って仕事をばりばりしたり、銀行へ行っててきぱきしているところは
想像できない。

おじさんおばさんスタイルの二次的利益は何でしょうね。
セクシュアリティを排除して、女と見られないことによる利益って何?
男に好かれないってこと?逆に「女の仕事」と社会から思われていることをしないこと?
うーむ、わからない。

これは簡単な問題ではないので、
ちょっと考えただけではわかりません。
ただ、きのうはそういうスタイルの人たちが、
「大人のおしゃれ」の一例として、ファッション雑誌で紹介されたので、
なぜだろう?なぜこうなっているのだろうと考え込んだわけでした・・・
でもそれは単純に、そんなのおかしい、変だと否定したいというわけでもなく、
きっとこういう服装をしていると、
彼女たちは自由を感じるんだなと、ほほえましくも思うわけです。
なぜだろう?

「大人のおしゃれ」って何だろう?
難しいです。


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2016年8月26日金曜日

今年はもふもふしたファーの靴を皆さん、はくのでしょうか?

グッチのアレッサンドロ・ミケーレが最初にかかとがカットされて、
しかも、ソールの部分にもふもふしたファーがついたローファーを発表したのが
たしか2年前のこと。
あのとき、誰もが、あの妙な靴はなんだ?と思ったはずです。
それが川上での出来事。
それが下るのに2年余り。
今年は、もふもふしたファーがついた靴が、この秋冬、たくさん出てきます。

このように、流行の発信元から川下まで下ってくるのには、
時間がかかります。
2年なら早いほうで、
なんやかんやで、3年から4年が普通。
そのあいだに、当初の先鋭的な感じは薄れ、
誰もが着用可能なほどに、デザインは薄まります。
そうしてごく普通の人が着たり、はいたり、持ったりするようになります。

もふもふしたファー、かわいいですけれど、
雨が降ったらどうするのだろうかとか、
いろいろ考えてしまいます。
ヨーロッパのように、からっとした天気の日ばかりではありませんから。
それでも何とか、雰囲気だけでもファーをつけたいみたいな、
そんな靴がたくさん出てくるんだろうなあ・・・
というかもう伊勢丹の靴売り場には、たくさん並んでいるのでしょうな。

まあ、目新しいからおしゃれに見えますけれども、
そういうときは、早めに取り入れたほうがよいです。
爆発的に流行るということはないと思いますが、
余りに実用的でないので、
はきたいと思うのだったら、
早め早めに取り入れる、
それに限ります。
今日はこのへんで。


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2016年8月25日木曜日

たまには猫のこと

最近、うちの猫のまるちゃんが、
私と一緒に寝たがりまして、
寝ようとすると、部屋の前に先に走っていって待っています。
ちょっとでも部屋の近くに行くと、
私が寝るものと思っているらしく、
いやいや、まだ寝ませんよなどと、まるちゃんに言っています。

で、まるちゃん、夜、一緒に部屋に入ってきて、
私が横になると、
隣にぴったりやってきて、
頭をなすりつけたり、
身体をごろんとさせてぶつけてきてみたり、
猫らしくべたべたするわけですが、
1時間ぐらいすると、
はい、私の仕事は終わりました、みたいな感じで、
ドアを開けてくれと要求し、
走って出ていきます。
なんか私が一緒に寝てくれるよう頼んで、
仕方ないから付き合ってやってるのよ、みたいな、
そんな感じです。

もともと私は動物と一緒に寝ると寝不足になるから嫌なので、
途中で出ていってもらったほうがいいのですが、
あの、そそくさとした感じを見るにつけ、
何なの、その感じ?と言わずにはいられません。

おとといの夜も一緒に寝ようと、
まるちゃんが私の部屋に、私より先に入っていきました。
けれども、私はその日、寝ながら本が読みたくて、
枕を少し高く置いて、本を読み始めました。
すると、まるちゃんが、
脚にかみついたり、お腹を前足でたたいたりしてくるのです。
これが、けっこう痛い。
猫の手だって、つめがあるから痛いのです。

私が、「本、読むんだからやめて!」と言っても、
まだ噛みついてきます。
大体、言いたいことはわかっています。
「あたしが、このあたしが一緒に寝てあげるって言ってるのに、
なんで、なんで、なんで本なんか読んでるのよ!
やめなさいよ、やめなさいよ、やめなさいよ!」
ということでしょう。
だけれども、私だって頼んだわけじゃないですし、
どうしても今、本を読みたいわけですから、
「いや、だって私、頼んだわけじゃないし、本、読みたいから」
と言って、なおも読み続けると、
「わかったわ、あたし、帰る」と猫語で言って、
ドアを開けるように私に要求し、
走って出ていったのでした。

ほんとにおまえは女か?と思いましたが、まるちゃんはメスですから、
女と言えば女か。

猫なので、これに懲りたわけではなく、
相変わらず、一緒に寝ようよ、
時給分だけ働くわって、やってきます。
おかげさまで、夏の後半、寝不足気味です。
秋までには、この寝不足を解消したいです。


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2016年8月24日水曜日

ケンゾーさんの赤


赤いドレスが売っていないと嘆いていたら、
私が気づかぬ間に、
セブン&アイ・ホールディングス、
つまりイトーヨーカドーと西武とそごうで、
ケンゾーさんの新しいコレクションが始まり、
そこにはたくさんの赤アイテムがありました。
こちら

現在、パリコレでKENZOというブランド名で発表されているものは、
ケンゾーさんデザインじゃないんです。
(同様に、ジル・サンダーもヘルムート・ラングも自身のデザインではないです)

ケンゾーさんは、ブンカの最も誇る卒業生で、
学生はケンゾーさんのショーがあれば、
必ず連れて行かれます。
私も連れていかれましたよ。

で、ケンゾーさん御年77歳だそうですが(若い!)、
もう15年、服飾デザインはしていないそうで、
久々の復活です。

まだ売り場で商品を見てはいないのですが、
HPを見ると、
日本の着物からとったと思われる赤や朱赤の服がたくさん展開されています。
これを見ていて、
そうだわ、ケンゾーさんはハイパーミックスの元祖だわと、
思いだしたのでした。
(ケンゾーさんが元祖、アレッサンドロ・ミケーレは孫ぐらい)

70年代のパリに、
フォークロア、多色使い、柄と柄、フェミニンとマスキュリン、
これらをミックスさせるファッションを提案したのは、
ケンゾーさんなんです!
現在流行っている70年代テイストは、
40年たって、それがアップデイトされたもの。
このミックス感は、ケンゾーさんが西洋のファッションに持ち込んだものなんですね。

ケンゾーさんの服というのは、80年代、90年代、とても高くて、
見ているだけで、買えるようなものではありませんでした。
(妹が真っ赤な麻のパンツを買って、私は借りてはいていました)
それが今、手の届く範囲で買えます。
(そのかわり、素材はポリエステルだけど)

ラインナップをざっと見ましたが、
なかなか素晴らしい。
中でも複雑な柄のプリーツスカートはお勧め。総丈も75とありますから、
膝よりも15センチほど下です。
今期、フォークロアを強調したいなら、
この中から1色とって、大き目のフェアアイル・セーターをあわせると、
とてもかわいいはず。

と、絶賛していますが、
では、これは売れますでしょうかと聞かれたら、
そんなに売れないでしょうと答えます。
なぜかというと、
ここのところずっと、赤を選ぶ女性が少ないからです。
私ももう何人もファッション・レッスンで教えてきましたが、
赤を選んだ人って、1割もいない。
赤やオレンジって、人気がない色です。
だから、いつも売れ残っている。

この、いつも売れ残る色をメインにして展開するのですから、
西武さんはなかなかのギャンブラーだと思います。
(ゴルチエの売れ残りは結局、どうなったのでしょう?)

赤いドレス、スカート、ブラウスその他、お探しの方はぜひチェックを!
え、まだ高い?
大丈夫だよ、売れ残って、セールに出るよ。
(でも、プリーツスカートだけは売れちゃうかもしれませんね。ほかで売ってないから。
私もこのプリーツスカートはちょっと欲しい。nanacoカードで買えばいいのか?)

※この動画を見ると、どんなものが展開されているかわかりやすいです。

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2016年8月23日火曜日

魔法の言葉

きのうの台風はすさまじく、藤沢市では朝から携帯が避難情報で鳴りっぱなしでした。
そうかと思えば、避難勧告が出されていない市町村もあり、
なぜなのかと調べたら、
市町村レベルでの判断だということで、
これぐらい大丈夫と踏んだ市町村では、勧告は出ないのだそうです。
藤沢はちょっとの危険でも出していた、ということですね。

実は、私はアファーメーションが非常に効果的だとは、思っていません。
多少はあると思いますけれども、
非常に効果があるとは思いません。
なぜそう思わないかというと、
20代のころ、集中してソシュールと丸山圭三郎先生の著書を
読んだからです。
言葉に興味があったわけです。
なぜあったかというと、演劇部だからです。

で、ソシュールが言うように、
言葉の意味するものと、意味されるもの(シニフィアン、シニフィエ)の結びつきは、
恣意的なものであるにもかかわらず、
それが強固な結びつきをもつと、停滞や弊害をもたらします。

例えば、
「お母さん」という言葉を読んで(見る、聞く、何でもOK)、
うれしくなる人と、気分が悪くなる人がいると思います。
その場合、
「お母さん」と「気分が悪い」の結びつきが強ければ強いほど、
人生に摩擦や障害が生まれます。

アファーメーションは、このシニフィアンとシニフィエの強い結びつきを前提にしたものであり、
これが揺らいだら、アファームできません。

けれども、一番わかりやすいアファーメーションである社訓、
いまだに社訓を毎朝唱える会社があるかどうか知りませんが、
例えば社訓を毎朝唱えたところで、それは達成されたでしょうか。
社訓が、「毎年売上を伸ばしていること」だとして、
それは達成されましたか?
達成されていませんよね。
そんな方法で達成されるのだったら、全世界の会社が社訓をとなえまくるはずです。

人が変容するのは、
実は、意味するものと意味されるものの強固な結びつきが揺らいだときです。
上の例で言うと、
「お母さん」と「気分が悪い」の結びつきが、ほどけたときです。
ほどけてしまい、
「お母さん」と読んだり、聞いたり、見たりしても、
何にも感じなくなったとき、
そのときに初めて人は変わります。

では、この意味するものと意味されるものの結びつきが強固でないものには、
どんなものがあるでしょうか。
例えば、詩的な言葉がそうです。
詩的であればあるほど、この結びつきは弱いです。
だから、詩の言葉には力があり、生き延びるのです。

結びつきが弱いとはどういうことかというと、
さまざまな解釈ができるということです。
意味が1つではないということ。
いくらでも、何とでも解釈できるということ、
そういう言葉は力を持ち、生き延びます。

詩ではありませんが、シェイクスピアのせりふ、
「To be or not to be; that is a question」も、
いろいろな解釈ができます。
ですから、数種類の訳語が出てきます。
これは、この言葉に力があるからです。
日本でいったら、万葉集の詩歌もそうです。
複雑に読み解くことができます。だから今でも多くの人がそれを読むのです。

では、もっといって、最上級に力のある魔法の言葉とは、
どんなものでしょうか?
正解は、意味がわからないものです。
ここら辺で、目が点になっていませんか?
でも、読めばすぐに理解できます。

有名な魔法の言葉はなんでしょうか。
例えば、「アブラカタブラ」です。
サリーちゃんは魔法をかけるとき、「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン」です。
これは、誰が聞いても何のことだか意味がわかりません。
いいですか。
意味がわからないから、力を持つのです。

物語に出てくる魔法使いたちは、皆、この手の魔法の言葉を使います。
間違っても、アファーメーションのような、意味がわかる言葉を使いません。
なぜかって、そんな言葉には力がない、
人を変えることができないって、知っているからです。

そして、そうした魔法の言葉を使う魔法使いが出てくる物語が、
古くからあり、まだ伝えられているということは、
人はそのことに昔から気づいていたということです。
意味するものと意味されるもののかたい結びつきをほどくのは、
そんな意味のない、象徴的な言葉たちなのです。

そんなわけで、
アファーメーションについて、私は余り信用していません。
けれども、信用している人たちが多くいるということはわかっていますので、
あえて、その方たちと議論するつもりもありません。
これを読んで理解した皆さんも黙っていたほうがいいです。
アファーメーション信者は、フランス現代思想や言語学なんか興味ないだろうし、どうせわかってくれません。
それに、そもそもそんなこと、面倒ですからね。

ちなみに、よく言われる潜在意識は否定形を理解しないも嘘です。
そんなことは、よく勉強していないから言えるたわごとです。
無意識は、「何何するな」と言われれば、しっかり否定形で記憶します。


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2016年8月22日月曜日

台風ですが、皆様、大丈夫でしょうか?

すごい台風ですが、皆様、無事お過ごしでしょうか?
私の住むエリアも一部避難勧告が出ています。
幸いうちは高台なので大丈夫です。
けれども、川に近いところの皆さんは避難している模様。
くれぐれも気をつけて、
無理しないようにしてくださいね。

あと、台風とは関係ないのですが、
選挙割でファッション・レッスンご希望の方は、
8月中のご予約分までですので、お早目に。
レベル3は、ファッション・レッスン1,2を受けないと受けられませんので、
ご注意くださいね。

多くの人の2つの大きな悩み

日本の女性の多くが持っている2つの悩みは、
「結婚」と「仕事」です。
この2つがうまくいかないのは、
自分の「好き」と「社会」という2つの項目について検討しなければ、
結果を得られないからです。

多くのうまくいかない女性が陥っているのが、
「好き」の側面だけしか見ていない、考えていないということ。
好きな人と結婚したい、好きな仕事がしたい。
それは全く悪いことではありませんが、
それを最優先するためにはなおのこと、
「社会」の側面について、熟知する必要があります。

「社会」の側面を知るためには、
雑誌や新聞レベルをチェックしていたのでは、足りません。
積極的に自分で探していかないと、
本当に知るべき資料は上がってきません。
例えば、その職種の離職率、平均勤労年数、
その年代の婚姻率、離婚率など、
普通の新聞にさえ、めったなことでは載りません。

また、これらは地方によっても違ってきます。
それぞれの都道府県によって、最低時給が違うように、
出生率も婚姻率も違ってきます。

離職率について、統計的にわかったとしても、
自分が望むある特定の職業、
もっといくと、その企業についてはどうなのか、
それはもっと調べてみないことにはわかりません。
統計になってない可能性もありますから、
そうすると、その企業の人や、それに近い人に聞く以外、
知る方法はありません。

自分の「好き」を貫き通すためには、
同じぐらい「社会」の側面について熟知している必要があります。

「社会」の側面については、自分の努力でどうにもならない部分が多くあります。
自分1人がいくら頑張ったところで、
ある企業に入ったら、収入の上限は知れています。
また、学生の場合は、自分にとっての社会の最小単位である家族の都合によって、
望む教育を受けられないかもしれません。
それは日本社会の事情でもあるので、自分でどうこうすることはできません。

一方、その「好き」の主体の自分については改善したり、努力したりする余地があるでしょう。
けれども、その主体である自分は、努力をしたくない、あるいはできないかもしれません。
努力したくない、あるいはできないのなら、努力しないで済むための方策を、
また考えなければなりません。

何が言いたいのかというと、
「好き」を貫き通すためには、
それ以外の部分での努力が必要だということです。
そして、その努力をするのが嫌、もしくはできないのなら、
同時に「好き」を貫き通すのも難しくなるということです。
努力もしないけれども、好きを実現は、ないのです。

そこそこの努力で、そこそこの好きはあるでしょう。
どれを目指すかは、自分で決められます。
努力すべきと言っているのではなく、
自分でどこを目指すのか、まず初めに決めたほうがよいということです。
そうしないと、それはなかなか実現しません。

好きは貫き通したい、
けれども努力も行動もしたくない、
自分を変えたなくもない、
何とかならないか、
多くの人からそう聞かれましたが、
何とかなりません。
絶対好きにはこだわらない、自分にとって実現可能なそこそこ好きでいい、
それでも構わないのではないでしょうか。

例えば、私の場合は、病気をして以降、体力がないので、
いくらそれが好きだとしても、長時間労働は絶対に選びません。
アパレル産業という社会的な側面がそれを要求するのなら、
私は自分の「好き」にこだわるのをやめにします。そしてそれを選択しませんでした。
けれども、今ではそれでよかったと思っています。
私は体力的な面について、努力するつもりはないし、できないことを認めます。

いずれにしろ、自分でどこを目指すのか、
最初に決めてくださいね。


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2016年8月21日日曜日

美少女は赤いドレスがよく似合う、それなのに

8月もあと10日余り。
皆さん、夏休みの宿題は終わったでしょうか。
そういう私も、まだ宿題が終わっていません・・・
言い訳をするならば、
私には、夏休みがなかったので、宿題をやる暇もなく・・・
けれど、今週はちょっと時間があるので、終わらせますよ、はい、ええ。
(→終わりましたわ!)

さて、この前の鎌倉で、
目を引いたのは赤いワンピースの美少女だったので、
美少女には赤いワンピースをお勧めしているのですが、
赤いワンピース、なかなか売っていないそうです。
(お勧めするのはファッション・レッスンを受けた方で、
関係ない方には、別に何も勧めないし、言いません。)

これは卵か先か鶏が先かみたいな問題と同じで、
売っていないから着ていないのか、
着ないから作らないのか、
どちらが先かよくわかりません。

確かにブランドでラインナップをそろえるときに、
赤というのはよくさし色的に使っていました。
けれども、作っても結局は売れ残るのです。

ここのところ、アパレル企業も倒産が多く、
攻めの商品構成は難しいのでしょう。
無難に無難に、
売れのこらないように、
そんなふうに作っているのがわかります。
その結果、どのブランドも似たようなラインナップに、
そして着る人もなんだか似たような感じになってしまいました。

確かに在庫の山は恐ろしいです。
昔、アパレルにいたころ、
この在庫は最終的にどこに行くのか、
先輩に聞いたことがあります。
すると、ブランドのタグを取られて、
どこかのバッタ屋(と、その人は言っていた)に売り払い、
最終的にアジアのどこかの国で売られるらしい、
という話でした。
もうそのころは、値段はないも同然です。

同様に、生産した際に残った生地は、
これはタグも何もついていないので、どこのブランドかわかりません。
でも余ることには違いなく、
日暮里あたりの生地屋さんに、有名なブランドの余り生地が混ざっているという、
もっぱらの噂でした。

みんな在庫が怖いのです。
持っててもいいことはありません。
税金もかかるし。
私が自営業になる際も、
在庫がある商売は嫌だと思いました。
管理するのも嫌だし、仕入れとか、面倒。

このように、在庫恐怖症が日本に蔓延した結果、
赤いドレスなんぞ作る日本のブランドは少なくなりました。
(なくはないです。通販なんかには少しあります。)

でも、そういうときこそ、
美少女、そして昔、美少女だった皆さんは、
赤いドレスを着たらよいのです。
売っていないとわかっていながら、一生懸命探すのです。
隈なく探せば、1枚ぐらいはどこかで見つけられます。

いいなあ、赤いドレスの美少女。
私だけではなく、
多くの人が、そう思うはずです。


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2016年8月20日土曜日

感覚を言語化する

おしゃれブログにいろいろ書いていますが、
参考文献というものは、「チープシック」を除いては、
ありません。
なぜかというと、
あのブログを書き始める前、おしゃれの法則について書かれた本など、
一冊もなかったからです。
ときたま年号だとか、英語の意味を調べたりはしますが、
それ以外、参考にするものはありません。
すべて私の頭の中に入っているもの、
しかも、「何となくこんな感じ」というその感覚を言語化したものです。

もちろん頭の中に入っているのは今までの蓄積です。
中学生のころからファッション誌を買ってもらっていたので、
そのころからの蓄積と、学校(ブンカ)で習ったこと、
アパレル業界の現場で覚えたこと、
自分が着てみた服、パリやロンドンで見たもの、などで構成されています。
それは一朝一夕にはできません。
もう何十年とやっているのですから。

きのう、ネットの通販を見ていました。
夏の後半から秋にかけて着るトップスを探していたのですが、
何を見ても、これじゃない、これじゃないと、自分で感じるのです。
あんまり、これじゃないばっかりなので、
はて、私は一体どういうものを探しているのだろうかと、
途中で考えました。
この、これじゃない感じって、何がこれじゃないと感じてしまうのか。

実は、ここで言語化しないと、自分でも何がこれじゃないか、
よくわかっていないのです。
何となくはわかるけれども、それだけです。
ファッションの世界というのは、この「何となく」が多いのです。

けれども、それを言語化しようと思えば、それはできます。
きのう私が探していたのは、
「1枚でさまになるトップス」なのでした。
だから、ただ上に着るものという機能を果たせばいいというわけじゃなく、
シャツ1枚で出かけるので、
それだけ着てさまになるもの、絵になるものを探していたのです。
つまり、それはインナーとしてのトップスじゃないということ、
とにかくそれ1枚で出かけたいということ、
私が探し続けていたのは、そんな1枚でした。
で、そんな1枚はあんまり売ってないのでした。
(そのほかは素材と色をチェックしていたので、なおさらない)

この「何となく」を放っておくと、先に進めません。
私は何度となく、
「何となくわかったような気がします」というせりふを聞きましたが、
それは、要するに、わかっていないということです。
わかったような気がしているだけで、
言語化する作業を怠っていると、
結局、それはわからずじまいになります。

日本に入ってきた西洋の服は、
この「わかったような気がする」感覚だけで、
何十年もやってきました。
その結果が今です。
結局、よくわかっていなかった、
わからないままこれだけ広まった。

無意味な消費という意味では経済に貢献しますが、
文化的な発展にはつながりません。

服をたくさん所持してしまう理由も、
何枚買ってもおしゃれにはならない理由も、
ここら辺にあるのではないでしょうか。

要するに、それは単なる消費で、文化ではなかったのです。
そうならないためにも、
感覚を言語化することは必要です。


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2016年8月18日木曜日

夏の後半は秋物じゃなくて秋色を投入

私、もう何年も前から、
日本の夏は長くて、10月第一週まで夏日が続き、
夏物だけだと飽きるから、
夏の後半から秋色のものを投入するようにと
書いたり、言ったりし続けていますが、
これを書き始めたころ、
同じことが書いてあるのを読んだことはありませんでした。
それが今、雑誌を見ると、
同じことが書いてあります。
アイデアというものは、同時多発的に誰かの頭におりてくるものですから、
これが私のオリジナルのアイデアとは言いませんが、
三、四年前は、ほとんど誰もそんなことを言っていなかったのは確かです。

それで、です。
夏後半、気温が高いのは変わりありません。
まだ30度以上の日々が続きます。
ですから、いきなり秋モノを入れることは無理です。
暑すぎます。
では何かというと、
素材と形は夏で、
色が秋色のものを入れるのです。
色です、色。

では、秋色って何ですか?
という質問ですよね。
秋色とは、つまり、今の太陽の光の角度に似合う色。
夏至の頃に似合ったライトなものではなく、
ダークなものです。

え、でも私、夏至のころからネイビーとか黒を着ていたんですけど、
という人は、
もうそれ以上ダークな色合いはありません。
その他、やはりダークな茶色とかボルドーとか濃い紫もそうですが、
そういう色を着ない人には、秋色はないということです。
1年じゅう、黒、紺、白の人に秋色はないです。
グレーを選ぶ人は、そのグレーを少し濃いめにすればいいと思います。

昔(今もそうかもしれませんが)
ヨージやギャルソンのショップには、黒、紺、グレー、白しか並んでいませんでした。
ですから色の季節感はありません。
素材と形で季節が表現されます。

例えば、植物は季節によって色が変わっていきます。
けれども、都会の建物は季節が変わっても、色は変わりません。
都会に似合う服は、どうしても季節感が希薄になります。
背景が変わらないのですから、
当然と言えば当然です。
いつでも白からグレーのグラデーションでいいのです。

ただ、海や山があったり、植物の緑が多い背景のところで生活しているのなら、
そうはいきません。
なぜって、海の色も、山の色も変化しているからです。

正確に言うと、
空の色は変わってきています。
もう真夏の空の色ではありません。
空の色、太陽の光の感じが変わってきたのですから、
夏至の頃と同じ色では、なんだか居心地が悪くなるのです。

というわけで、
持っている人は、もう今から積極的に秋色を投入していきましょう。
もう気分は秋ですから。

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2016年8月17日水曜日

上達のための3点セット

このたび、ホーローのミルクパンの柄がぽっきり折れたので、
新しく買いかえました。
私はヴィタクラフトが好きなので、
ヴィタクラフトの一番小さいサイズのお鍋です。
これでヴィタクラフトの鍋が3個になり、
もうひとつ鉄のフライパンがありますから、
これだけで鍋は十分に足ります。

新しくお鍋を注文するついでに、
根元が欠け始めている鍋の柄も注文し、
新品にとりかえました。
ヴィタクラフト、お高いですが、
こうやってメンテナンスしていけば、たぶん一生もちます。

お料理もそうですが、
まずは作ること、そして次には自分ではなくて、
誰かに食べてもらわないことにはうまくなりません。
自分で練習する、
参考になるようなおいしいものを食べる、
作ったものを食べてもらう、
この3点がなければ、
上達しません。

インテリアも同じで、
いいインテリアを見る、
自分の家のインテリアを作る、
誰かに見てもらう、
この3点がなければ、なかなか上達しません。

いろいろな分野において、
自分でやる(練習する)、
いいものを見る、
見られる(読まれる)、
これがないとうまくなりません。

今、キッチン用品もインテリアも、
余り売れていないそうです。
なぜか。
簡単に想像がつきます。
他人に見てもらう、食べてもらう機会が少ないからです。
この場合の他人は、家族を除きます。

その点、ファッションは、
それを着て外へ行きますから、
おのずと他人の目にさらされます。
客観的にならざるを得ません。
しかし、料理やインテリアは、家に人を呼ばないと、
人の目にさらされることは余りありません。
インスタグラムにアップされた料理は、
見た目だけで、味はわかりませんから、
厳密に言うと、客観的とは言えません。

誰かに見せないと、
よりよくしようとは、
なかなか考えるようになりません。
文章も同じで、
自分だけのために書いていたのでは、
なかなか上達しません。

上達するためには、
お鍋を吟味したり、
誰かに出しても恥ずかしくないお皿について、
考えざるを得ません。
自分だけのためなら、100円ショップですべてそろえられるでしょうけれども、
他人にお出しするとなったら、
そうもいかないでしょう。
(それでもいいという人もいるでしょう)

みんなの話を聞いていると、
お料理をして、おもてなしをする人はいつでも多くをもてなし、
何もやらない人は徹底して何もやりません。
一人暮らしで何でも自由にできるのに、
誰も招きません。
招かないから、おもてなしもしません。
そうすると、当然のことながら、
料理もインテリアも上達はしません。

やりたくない人は、
別にやらなくてもいいんです。
けれども、どんどん差はついています。
10年他人に見せた人と、10年他人に見せなかった人、
実力の差は歴然です。

キッチン用品やインテリアが売れないということは、
絶対的に、10年見せなかった人が多かったという結果でしょう。
ということは、
やった人はもう随分遠くまで行きました。
残りの人が追いついてくることは、もうないでしょう。
やってきた皆さん、よかったですね。
ここまできたら、もう追い抜かれません。


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2016年8月16日火曜日

物語が生まれる場所

きのうは鎌倉で友達とずっとしゃべっていました。
お盆休みの最終日の人も多いようで、
街はものすごい人。
行列ができているお店が何軒もあります。
お昼はお友達が予約しておいてくれたのでよかったものの、
そうじゃなかったら、
簡単に食べられなかったでしょう。
それぐらいの人の多さでした。

江ノ島~鎌倉にかけて、
神社やお寺も多く、
海があって、林が残っていて、
けれども、しゃれたお店がたくさんあって、
明らかに都会とは違う時間の流れ方がしていて、
そんなところでは、
物語が生まれそうです。

印象的だったのは、
都会のカフェでよく見る、
ずっとパソコンやアイフォンを見続けている人がいないこと。
物語が始まってしまって、
しかもその登場人物が自分や相手ならば、
情報を拾う以外の目的で、
パソコンやアイフォンを見続ける必要はなくなります。

帰りに乗った江ノ電の車内に、
鎌倉文学館のつり広告が出ていて、
小学生ぐらいの女の子が、
「あ、あれ、○○ちゃんだ!知っている」と指さして叫んでいました。
今はちょっと弱いと思うけれども、
ここは文学や映画の地でもあったのです。

古いものと新しいもの、
文化とカフェ、
海と小さな山など、
その混ざり具合が絶妙で、
こういうところにこそ、未来があるのではないかと思います。
もちろん、そこには人が自由に集まらないといけませんが。

帰りは江ノ電を江ノ島駅でおりて、
海岸まで散歩。
もう夕方であるにもかかわらず、
まだまだ多くの人が江ノ島へ向かっています。

鎌倉も江ノ島も、
昔はこんなに人が集まってはいませんでした。
こんなになったのは、ここ10年ぐらいのこと。
年々多くの人が訪れるようになっています。

どこでも同じ景色、同じショップ、同じカフェの都会にあきた人や、
逆に、どこまでも続く田舎の風景に耐えられなくなった人たちが、
集まってきているのかもしれません。

いろいろな価値観がミックスされているところでこそ、
未来の展望が持てる、
物語が生まれます。
そこは画一的であってはだめなのです。
だんだんとそのことに、
多くの人たちが気づいているのではないでしょうか。

ついでに言うと、
いくら物語が生まれる場所に来たとしても、
行動しないことには何も変わりませんから。
考えているだけの人は、何も行動していないのと同じです。



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2016年8月15日月曜日

夕方の江ノ島

珍しく、
夏だというのに江ノ島まで行ってみました。
写真は夕方の江ノ島。
もうちょっと遅いほうが、
明かりがついてきれいかな。
なんだかちょうどつまらないころの時間の写真になってしまいました。

鎌倉、江ノ島、すごい人です。
行く人は、お昼のレストランは予約していったほうがよいです。
あと、メインの通りより、
1本入ったところは人が少ないので、
事前に調べておいて、
裏道を歩くといいです。

それにしても、真夏の江ノ島、すごかったです。

明日の朝は、送り火たくのを忘れないようにしないと。
すべての死者の皆さんの魂が安らかに眠りますように。

もうそろそろ秋モノスタート

今朝も涼しい湘南エリアです。
ここまで気温が下がり、
かつ太陽の光の具合が変わってくると、
秋モノを少しずつ入れていっていいと思います。

私も5月から着ていた、
ノースリーブの白いコットンオーガンジーのシャツに飽きて、
しかも、周りからも、そろそろ変えたほうが・・・
と言われて、
自分でもそれは重々承知していたので、
秋色のノースリーブを新調しようかなということで、
ちょっと探してみたのですが、
うーん、これがなかなかない。
なんでこんなにいろいろ売っているのに、ないのかしら?
まあ、確かに私がうるさいっていうのはあるんですけれども。

私はカットソーと半袖シャツではお出かけしない主義なので、
まずTシャツのたぐいはだめです。
そしてレーヨンとポリエステルは嫌。
で、1万円ぐらい、
などと言って探してみたものの、
その条件に合って、
変な柄ものじゃないトップスは、
なかなか売っていないのでした。
カットソーでしたら、
ノースリーブはいろいろありますね。
理想の形はMIUMIUにありましたけれども、
その程度でセールで2万5000円は高いし、
などと考えていると、また買えないのですよね。

こんなに選択肢が増えた世の中で、
しかも服なんて、ごまんと売っているのに、
その中に気に入るものはなかなかないというのは、
いかにも不思議ですが、
この感じ、多くの人が持っているのではないかと思います。

その差は何だろうと考えてみて、
一つ出てきた答えがデザインの視点という問題。
これ違う、これ違うって、私が思うのは、
大体過去を感じさせるもので、
あ、これこれと思うのは、
未来が見えるものです。
大げさな言い方ですが、
自分の未来が見える服をいつも探しています。

もう随分前に、「物語が始まる服を選びましょう」ということを
おしゃれブログのほうに書きましたが、
未来への夢が広がるという要素も重要です。
今から未来へ向かって、
これを着て、あれをやる、これをやる、あそこへいくなど、
思い浮かべることができる服、
そんなものをいつも探しています。

それとは逆に選べないのは、
こんなの着たところで、行けるのはうちの近所のスーパーぐらいとか、
家でくつろぐにはいいけれどもね、
などという服は、わざわざ選ぶ気にはなりません。
家でくつろぐとか、近所のスーパーに行くとかは、
過去にもう体験していて知っていること。
それには似合うね、それ以外、思いつかないね、
というのが過去に属している服です。

そんなことを考えながら、
もう秋冬物以外は目に入らない、夏の終わりで、
秋の始まりのスタートです。

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2016年8月14日日曜日

久々にファッション雑誌を買ってみた。

久々に新しいファッション雑誌を買ってみました。
このところインテリアや庭の雑誌は買っていたのですが、
ファッション雑誌は久々。半年ぶりぐらいでしょうか。

で、持った感じがまず薄い。
雑誌、薄くなりましたね。
そして、相変わらず15万のバッグやらなんやら並んでいますが、
いきなりそんなページの中に、トップス5000円とか、
ボトム1万円とか、そんなページが出てきます。
もう夢を語っているだけの時代は完全に終わりました。
届かない憧れは、
絶望をもたらします。
届くかもしれないと思えるから、
それは輝くけれども、
全く関係ない、
届くわけがないとなったとき、
その輝きは、
突き刺すナイフのように、
心をえぐります。

夢がなくてもやっていられないけれども、
実現不可能な夢ばかりでも、
それはそれで疲れるもの。
届きそうな夢を売っている間は許されたことも、
おとぎ話のようなあり得ない夢ばかりでは、
誰も見向きもしなくなるでしょう。
みんな、そろそろそのことに気づいたのかもしれません。

練習もしていないのにオリンピックに出たいと言い張る子供のように、
そんなほら吹きの話は、
もはや誰も信用しません。
信用しなくなって、
みんなどこかへ去ってしまいました。
最近、そんなものが多すぎるのでは?

私もすべてのやりたいことをやるわけではないので、
他人のことをとやかくは言えませんが、
自戒を込めて、
信用を失わないように、
実現不可能な夢を売る商売には、
手を出さないようにしようと、
改めて思いました。


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2016年8月13日土曜日

法律を守らないような人たちと一緒にいる必要はない

変な夢を見ていて、少し寝坊しました。
夢に出てきたのは、アパレルのブラック企業にいたときの上司とか先輩。
でもその彼女たちって、20代後半の人たちなんですよね。
その中でも印象的だった人が夢に出てきて、
なぜか私はその人に、
「○○さんはご結婚されたのですか」と聞いていました。
なぜでしょう?嫌みでしょうか。

夢ではなく現実に、
その20代の人たちが、法律を守らず、
ほかのブランドの商品をそのままコピーさせ、
部下に休憩をとらせず、
ときにはトイレに行くことさえ制限し、
私にはほかの人の2倍の量の仕事を与え、
残業代が出ないと知っていながら、たとえ土曜日であっても、
夜遅くまで残らせて、
残業させてやった仕事をはしから没にしていき、
生地屋さんの展示会へ社外へ出るときにもその交通費は払わず等々、
ああ、なんだかもう、挙げていくだけで気分が悪くなりますが、
それら主導していたのは、全員20代後半の女子でした。
恐ろしいな、20代後半女子。
無知でいることを武器に、彼女たちはそういうことをしていました。
今考えてみても、
そんなところで長く働けるはずはありません。
私など、自分のコートをラックにかけたという理由で怒られました。
コートを置く場所などありません。
じゃ、どこへと聞くと、イスの背か、床とのことでした。
これがアパレル企業です。
着てきたコートをイスの背にかけてお仕事しろなんて、
頭がおかしいとしか、言いようがありません。

どんなにその分野が好きでも、
こんなふうに法律を守らず、
人権を無視するようなところでは、結局、働けません。
好きとかやりがいを食い物にするこの手法は、
既にこのころからあったわけです。
人生という大きい視点で考えたのなら、
そこから逃げる以外、ありません。

それにしてもひどかった。
でも、まさに今、こういう目に遭っている人たちがたくさんいるんですよね。
残念ですが、そこで頑張ったとしても、
後でいいことはありません。
自分を守るためにも、
なんとかそこを抜けだして、
そういうところでないところで働くにはどうしたらいいか、
考えるのがいいと思います。
助けてくれる人は少ないかもしれませんが、
必要ならば、
ブラック企業対策専門の弁護士や、独立した労働組合に相談しつつ、
自分を守りぬいてほしいです。


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2016年8月12日金曜日

韓国コスメの実力を知る

コスメはどちらかというとうといほうなのですが、
先日、コンサートのプロモーションのために行ったエステを自分も受けることになり、
ミイラ取りがミイラになって、
でも、ミイラになったままでミイラもとった、
というか、ご紹介いただいたという、
結果的に行ってよかった、
という状況になっています。

そこのエステは、某化粧品メーカーのグループなんですけれども、
そこの化粧品が肌に合わなくて、
終わった直後から顔がかゆくなるのです。
それなら、使う化粧品を持参してくださいということで、
洗顔料、ローション、パックなど、
持参して、今、月1で通っています。
ちなみに「助けてー」と絶叫するほど痛いです。
しかし、確かに効果はあります。これで4100円。

(だって、今のお顔のまま60歳までいけるって言うのよ。本当か?)

で、問題はパック。
この前はオーガニック系の日本のショップで買ってみて、
それも悪くはなかったのです。
けれども何か物足りない。
もっといいものはないのかということで、
ここ数年、話題になっている韓国コスメを選んでみることにしました。

韓国コスメは、
外国のファッション誌に優れた韓国コスメトップ10がのったり、
「韓国はコスメのシリコンバレー」と書かれたりしていて、
もう既に世界的に評価されています。
けれども、自分が買ってみるのは初めて。
そこで選んだのがこれです。
SNP、Bird’s Nest Aqua Ampoule Mask,1000mg, 10Packets
今の相場で1524円。

海燕の巣のエキス入りで、10枚1500円程度ですから、
1枚150円とかなりお安い。
ま、試しに買ってみましょうということで、
買って、持参して、エステで使ってみたところ、
このパックがすごい。
このクオリティで150円なんて、考えられないぐらいのうるおい。
海燕の巣は、楊貴妃も美容のために使っていたということで、
相当美容効果が高いらしいです。
しかも、1枚のシートにたっぷりの美容液で、
余ったものを身体に塗っていいくらい。
パックが終わった後は、
一瞬、顔が真っ白になるし、
翌朝はすごくうるおっているしと、
久々にコスメで感動しました。
このクオリティのものをこの値段で作られてしまったら、
それは負けますよ。

日本の人はまだちゃんと認識していないかもしれませんが、
今、パリコレ等で活躍しているのは韓国人と中国人モデル。
日本人モデルはほとんど出てきません。
ショーに招待されているのもKPOPのアーチストや韓流スターたち。
残念だけれども、
日本は以前ほど注目されなくなっています。
それを真摯に認めないと、
このまま消えていきそう・・・
映画はもう随分前から差をつけられましたよね。

そんなわけで、感動の韓国コスメ、
また次にアイハーブに注文するときは違うものにチャレンジしてみたいです。

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2016年8月11日木曜日

注意が書きが増えちゃったわけ

私の予約ページにどんどん注意書きがふえちゃったわけは、
そう書いておかないと、
「書いていなかった」と言われてしまうからです。

例えば、「10分前には入れます」と書いておいたにもかかわらず、
あるとき、クライアントさんがお昼の12時30分ごろいらっしゃいました。
ごく普通の想像どおり、私はお昼休憩をして、何か食べていました。
お店ではないので、うちの庭以外、待つ場所はありません。
そこで、「10分前から入れますって書いておいたはずですが」と言うと、
「それより前には入れない」とは書いていなかったと言われました。
確かにそのとおりです。
そうは、書いてはいません。

書いてはないけれども、それぐらい常識でしょ、わかるでしょとは、
思ってはいけないのです。
みんながそう考えていて当たり前などない、と思っているぐらいでちょうどいい。
「理解しあうことなどない」と、私の昔の師匠が書いていて、
私もそのとおりだと思いました。
お昼時間は休憩しているのだから、入れないに決まっているじゃないなどと、
考えていない人もいるのです。

師匠は、共感を強要したら、それは支配、とも書いていて、
やはり私もそうだと思いました。
そう考えるのが当然でしょ、
そうすべきでしょ、
などと考えるのは、それは支配です。

例えば、何かお芝居をして、観客に対して、
「あなたたち、こんないい芝居を見て感動するのは当たり前でしょ、
感動しなさいよ」などと言ったら、
それは支配で、独裁政治です。
ネットのコメント欄でよくもめている、
「そんなことは非常識だ、ああすべきだ、こうすべきだ」は、
支配的な発想だと思います。

師匠は続いて、
高次思考が育つと、共感強要という生き方はしなくなるとも書いていて、
確かに、この師匠、誰かに何かを強要することなど、
一切なかったことを思い出しました。
「好きにして」っていう感じ。

私もこの姿勢には影響を受けていて、
セッションの結果を受けても、「好きにしていい」と言っています。
砂糖をやめてもやめなくてもいい、
その選択は尊重する、
いつもこう言っています。

病気をとるか、
アイスクリームをとるかで、
アイスクリームのほうが大事と言う人がいるのは知っていますから、
私はその選択を尊重します。

ファッションでもいつも言っているように、
すべての人が同じふうに感想を持つことなどありません。
それを強要するのはもってのほかですし、
すべての人からよく見られたいという思いそのものが、
実は他人をコントロールしたいという
支配的な欲望のあらわれなのだと思います。


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2016年8月10日水曜日

これから秋冬物を買うときは

毎日暑いのですけれども、
この時期になると、もう夏物を見てもうんざりするだけで、
頭の中は秋冬物でいっぱいです。

さて、ファッション・レッスン2の最後のところでは、
「これからどういうふうになりたいか」というテーマで作っていただいたマップ(ボード)と、
現在持っていて、これからも着る実際のアイテム、
その両方を見ながら、何が必要でどんなものを買い足していけばいいか、
をアドバイスします。

その中で、当然のことながら、これからの流行の方向性についても触れます。
それがないと、ファッションではありません。
方向性はあります。

で、最近お伝えしているのは、
これからはとにかくシルエットが大きくなるから、
もう小さ目のコートなど、買わないように、ということです。

私、2012年から、もうシルエットが大きくなるなると言い続けていまして、
だけれども、流行が広がるのには案外時間がかかり、
ここへきてやっと、大き目のシルエットのものが市場に出回るようになりました。
それでも、量的にはまだ足りないようで、
例えば、大きめなシルエットのTシャツなど、余りないから、メンズのものを買うそうです。
それは知らなかった。
確かにメンズなら大きいし、今の気分のサイズ感が表現できます。

また、スカート丈に見るように、大き目+長目というのも、
これからの傾向です。
長いカーディガンはその1つ。
秋冬はおばあちゃんたちも着るでしょう。

ここで、この大き目シルエットにすぐに対応できないのが、
たぶん今30代前半の方たちだと思います。
その世代の方は、
大き目のコートやジャケットを着てみても、
いまひとつぴんとこないでしょう。
それは自分が若いときに着ていたシルエットと、余りにも違うからです。
どれぐらいの大き目具合がいいのか、わからないと思います。
着ていればそのうちわかるようになりますが、
最初はわからないまま、着るのではないでしょうか。
それでも、以前のシルエットにしがみついているよりはましですから、
ぜひそうしてください。

大き目というのは、
肩幅、身幅、袖幅、アームホール、パンツの裾幅、全部です。
90年代を経験している人は、
なんだかまた戻ってきたわ、という感じだと思います。

流行というものはめぐります。
もしそのときに自分の好きなシルエット、好きなアイテムがあったら、
積極的に着たほうがいいです。
例えば、ウエッジソールの靴が流行って、それが好きなら、
そのときにはいたほうがいいです。
今年の秋冬からは、かかとがないローファーが出てきますから、
それが好きなら、そのときにはいたほうがいいのです。
そうでないと、次にいつこれが流行るかわかりません。

私も自分の最近の服を点検したら、
服からひもが出ているものばかりでした。
襟ぐり、袖口、パンツの裾、ウエスト、全部ひもがついていました。
自分でも気づかなかったけれども、ひも好きみたいです。
けれども、今はぺザントルックが流行っているので、
今、こういったものは目いっぱい着ていくことにします。


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2016年8月8日月曜日

真夏のおしゃれボーダー男子たちを観察

なんだか暑いですね。
日本はもはや亜熱帯でしょ?
ヨーロッパ発祥の衣装なんか、無理だよねと思う今日このごろ、
電車で、どこかへ向かうおしゃれ男子グループがいたので、
観察してみました。

年のころは二十歳ちょっとすぎでしょうか。
多分学生さんたちでしょう。
見るからに若いです。

6人ぐらいのグループで、彼らが面白いのと思ったのは、
そのうち3人がボーダーシャツを着ていたから。
けれどもこれが、ちょっと普通とは違うのです。
まず3人とも、ボトムがジーンズではない。
半ズボン、7分丈、9分丈みたいに、
一様に丈が短い、ワークウエアみたいなパンツ。
そこにそれぞれ、ニューバランス、ナイキ、アディダスのスニーカー。
特に真っ赤なナイキのスニーカーのチョイスはなかなかしゃれています。
ボトムの色は白とネイビー。
ボーダーはネイビーとか黒だったけれども、
幅がそれぞれ違います。太かったり、ちょっと細めだったり。
旅行なのか、キャンプなのか、みんなアウトドア用のリュックサックでした。

色のバランスも、
見るからにハンサムな男子はネイビーと白だけで控えめだけど、九分丈パンツではずし、
お調子者みたいな感じの男子はひざ丈ズボンに赤いナイキのスニーカーでトリコロールにまとめ、
もう一人、まじめなリーダータイプは白いパンツに白いスニーカーみたいに、
まるでキャラクターにあわせたかのような着こなしも面白い。

それがまとまって、みんなで楽しそうにアイフォンを見せあいっこしたりなんかして、
もうそれだけで十分です。
ほかに何も要りません。

若いからこそできるおしゃれって、
こういうものだよなと思いながら、
しげしげと観察しました。

あの楽しそうな感じ。
男も女も、ああいう感じの人たちはさぞかしモテることでしょう。
笑顔はパワーですから。

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2016年8月7日日曜日

とにかくパンツ(ズボン)は売れ残っている。

今年はあんまり暑くなくていいなと思ったのですが、
きのうあたりから34度、35度に気温が上昇。
やっぱり暑い夏になるのか・・・。

で、話は唐突ですが、
セール会場でも、アウトレットでも、
何が売れ残るかというと、パンツ(ズボン)です。
なぜなら、サイズ展開が細かいからです。
58、61、64、67、70等。
パンツを作るなら、この細かいサイズ展開が必要になります。
ですから、どうしてもロスが出ます。

それはハイブランドでも同じです。
ハイブランドのパンツもいつも残っています。

あと、これは私の想像ですが、
ハイブランドのパンツは、あまり売れないと思うのです。
なぜか。
どんなハイブランドのパンツをはいたところで、
ほとんどの場合、周りには気づかれないから。
人って、誰かにそれがどこのブランドかわからないものは、
買いたがらないのです。
よって、パンツやスカートは残ります。
スカートの場合だと、何の変哲もないタイトスカートが残ります。
同様に、どこのブランドかわからないから。

しかし、ではハイブランドのパンツ、価値がないのかと言えば、
そうではありません。
パターンが恐ろしく違います。
パンツのパターンって、難しいのです。
変なパターンのパンツをはいてしまうと、
脚は短く見えるわ、お尻は強調されるわで、最悪です。
いいパターンのパンツほど、
感動的なのです。
そんないいパターンのパンツは、たくさんは存在しません。
けれども、高度なテクニックを持ったハイブランドの中にはあります。

で、何が言いたいかというと、
ハイブランドで、パンツが売れ残っていて、
はいてみてかっこよくて、買える価格まで値下がりしていたら、
それは買いです。
ごく普通のパンツに長年培った技術が凝縮されています。
まずは試着を。
もしかして、パンツを買って、初めて感動するかもしれません。

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2016年8月6日土曜日

存在しているだけで幸せになるために

なんか最近、子供(といっても中学生まで)のクライアントさんがやけに多いなと思ったら、
夏休みだからなのでした。
そして皆さん、うちでたいそうくつろいでいらっしゃる。
まあ、病院ではないからいいんですけれども。
ときたま、この元クリニックがあった場所でセッションしている自分が、
なんだか不思議に思えてきます。

最近、皆さんのセロトニンとドーパミンのレベルをチェックしますが、
これが低い方々がけっこう多いです。
これが低いと、ただ存在しているだけで幸せ、という感じがありません。
ただ存在しているだけで幸せではないので、
幸せのテンションを上げるために、
甘いものを食べたり、
買い物をしたり、
刺激的な何かをしてみたりします。
けれども、そうやって上げたものは長く続かないので、
また上げるために繰り返します。

過度のストレスはこのセロトニンとドーパミンのレベルを下げます。
ストレス下で幸せを感じないのはこのためです。

今の社会は経済優先社会なので、
この過度のストレスから抜け出して、
買ったり、食べたりしないでも幸せを感じましょうとは、
決して言わないでしょう。
みんなが何もしなくても幸せになったら、
無駄な消費は激減しますから。

どんなに食べたって、買い物したって、
ストレス解消したって、
ドーパミンとセロトニンのレベルを維持することはできません。
その人にとってそれが過度なストレスならば、
そこから離れる以外、方法はありません。

過度なストレスを受けていると、
アドレナリンが出て、常に闘争か逃走の状態になります。
パワーハラスメントを受け続けていたら、こうなってしまうでしょう。
安定したセロトニンとドーパミンが出ている状態と、
アドレナリンが出ている状態、
どちらがいい仕事ができるかといえば、安定したセロトニンとドーパミンが出ている状態です。
闘争か逃走かでは、いい仕事はできないし、
幸せな生活も送れません。

でも。
そう、でも、仕事の現場では無用なパワーハラスメントをしてくる人たちがいるんです。
そんなことをしても、結果的にいい仕事にはならないのに、
バカなのかしら?と思いますけど。
でも、いるのは事実です。

私がアパレル業界にいたときにも、
そういう女の先輩がたくさんいました。
彼女らはいい仕事をしていたでしょうか?
していません。
そうやって、パワーハラスメントをすることで、
部門全体でいい仕事ができたでしょうか?
できません。

私も20代のころ、
そういう状況に置かれていました。
今、そのころの私にアドバイスをするとしたらこう言います。

「自分を守るためにそこから抜け出すためにどうしたらいいか全力で考えなさい。
他人がそれについて批判するかもしれないけれども、
無視してよろしい。
なぜかって?
他人など、決して責任をとらないのだから。
潰されるのは自分。」

なぜこういうかというと、
自分を幸せにする責任は自分にあるからです。
そして、そのためには時に全力で戦わなければ、ならないからです。


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2016年8月5日金曜日

映画の衣装に見る主人公の心象風景

きのう、宮沢りえさん主演の「紙の月」を遅ればせながら、見ました。
その中で、主人公の心象をあらわすものとして、
衣装が印象的に使われていたので、
紹介します。

持家に住み、夫は商社マンらしく、
子供はいないけれども、恵まれた生活をしている41歳の主人公の主婦は、
銀行に勤め始めます。
内勤ではなくて、外へ出て、定期だ、国債だを売って歩くのですが、
その途中で出会った、顧客のおじいさんの孫の大学生と、性的な関係を持ち始めます。
そこで、です。
この主人公、美人なのですが、自分に魅力がないと思っているのか、
お金で彼をキープしようとします。

この主人公は、最初、化粧気のない顔で、真っ黒のストレートの変形ボブ、
いつもグレーから黒い服装をしています。
それが大学生男子と出会って、関係を持つようになると、
真っ白いコートを買って着るようになるのです。
まずは真っ白いコート、
そして、フューシャピンクのニットや、黄色いニットを着始めます。
大学生男子を付き合って、人生が楽しくなってくると、
着るものにも色がついてきます。
映画なので、それまでの地味な服装の対比として、
色がついた衣装が出てきますから、
強調されていますが、これは女性の心理的変化をわかりやすく衣装で表現しているなと
思いました。

女の人って、人生が楽しくなると、色がついた服を着たくなるのかもしれません。
逆に、いつも白黒のモノトーンというのは、
生活自体がモノクロ映画みたいで、
そこにはうれしい、楽しいというカラフルな感情は少なめです。
そういう感情が少ないと、カラフルなものは選べない、
選びたくない、そんな感じでしょうか。

さて、映画自体の感想です。
主人公は銀行のお金をどんどん着服していき、
男子大学生に貢ぎます。
(しかも、この男子大学生のどこがいいのかさっぱりわからない。
若いというだけで、肉体が魅力的でもなさそうだし・・・)

この主人公、何か買ってあげる、モノをあげることで喜んでもらうことに、
自己価値を見出しているのです。
それも、高いものをあげたほうがより一層喜んでもらえると思っているようです。
なんでそんなに自己価値が低いかは、描かれていません。
41歳で男子大学生と付き合うには、こちらからお金を出さなければ、
という程度です。
そんな人に共感はできませんでしたし、
その自己価値の低さの原因が描かれていないので、同情のしようもありません。
そのせいか、何とも後味が悪い。

お金と男におぼれていく欲望の塊の人。
そのためには、自分の周囲の人をだまし、犯罪をも犯す、悪魔に魂を売った人の話で、
共感するところはゼロでした。
見なくても、よかった・・・。

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2016年8月4日木曜日

「ミルキーはママの味」

症状に関するセッションをするとき、
その症状の原因になっている食べ物をチェックしていきます。
多いのは甘いものと乳製品。
これらを過度に食べると、その症状はあらわれます。
症状は人それぞれなので、何がどうあらわれるというふうには言えません。

そして、甘いものと乳製品、あわさったものの摂取し過ぎの方も多いです。
例えばアイスクリームやケーキにのった生クリーム。

そこできのう、思い出したのが、
「ミルキーはママの味」というキャッチフレーズ。
これを考えた方は天才ですね。
なぜわかったのか?
甘いものと乳製品はママの味、
つまりママの愛の代替品です。

そういうことを言うと、
「私の母は、とてもいい母で・・・」
と話し始める方が多いのですが、
これは必ずしも現実の母親の話ではなく、
母的なるものの話です。
母的なるものの愛を埋めるため、
甘くてミルキーなものに依存します。

また、甘くてミルキーなものが大好きなのは女性に多いというのも、
興味深い話です。
男性で、アイスクリーム好き、生クリームたっぷりのケーキ好きというのは、
そう多くはありません。
彼らは、これらを依存するほどには必要としていません。

なぜか。

シンデレラや白雪姫の母親は継母ではなく、本当は実母だと言われています。
物語の中で、母親にいじめられるのは娘というのが定番です。
息子がいじめられる話はありません。
(母親にだめにされる息子の話はあるけれども)
たぶん、男性は、甘くミルキーなものに依存する必要がないほど、
母的な愛を受け取っているのです。

甘くてミルキーなものに依存し、
それを摂取し続けると、
婦人科系の疾患になりやすいです。
母の愛の代替品を求めた末に婦人科系疾患とは、
何だかね、という感じです。

もちろん、きっぱりと甘くてミルキーなものの摂取をやめればいいのです。
できないのは、
まだ愛が足りないから。

受け取れなかった愛は、
自分で自分に与えないといけません。
それは、現実の母親からではなくても可能です。
もっと大きな母的なるものは、存在しています、そこかしこに。

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2016年8月3日水曜日

好きの3点セット

選挙割を実施したおかげで、
7月、8月はファッション・レッスン強化月間です。
ファッション・レッスンを受けにきてくださる方が多くいらっしゃって、
とてもうれしいです。

全体的に言えるのは、
まだまだ皆さん、わかっていらっしゃらないということ。
たくさん持っているのに、買っても買ってもおしゃれに見えないという
どつぼにはまっています。

ただ、これは仕方のない部分もあるのです。
だって、本当にこれは、「誰も教えてくれなかった」んですから。
家でも、学校でも教えてくれませんし、
教科書もありませんでしたから、
それはしょうがないです。
日本は、衣服と住居の教育がおくれていると思います。

で、レッスンを受けてくださる方の中で、
どういうスタイルをしたらいいか、自分でもわからないという方が若干いらっしゃいます。
どういうファッションをしたらいいかわからないということって、
実は、自分がどういうライフスタイルをしたいのかわかっていない、
決めていないということと関連しています。

私はこれが好き、
あれをやりたい、
ここに住みたい、
こういう仕事をしたい、
というのがはっきりしている人は、
おのずと着たい服もはっきりしているのです。
だけれども、これらすべてぼんやりしていると、
着たい服もぼんやりしていて、
わからなくなってしまいます。
自分がやりたいことではなくて、
やらなければならないことに縛られていると、
服も、着なければならない服ばかりを選ぶことになってしまいます。

で、この、
私はこれが好き、
あれをやりたい、
ここに住みたい、
こういう仕事をしたい、
がないと、
ファッションのスタイルだけではなくて、
どういう仕事をしたいのかもわからないから、充実した仕事にも就けていないし、
望みのライフスタイルがはっきりしていないので、
「結婚したい」と口では言うものの、具体性が乏しくなり、
実際のパートナーが見つからなかったりします。

自分のこれ、というものがないと、
ファッションも、仕事も、パートナーも、
向こうから来ないだけではなく、
どんどん遠ざかっていきます。

好きな仕事もないんです、
好きな趣味もないんです、
好きな人もいないんです、
この3点はセットのことが多いです。

この3点セット、待っていても届きません。
まずは、自分はどうしたいのか、態度を決めなければなりません。
また、今まで生きてきた中でこれがわからないのだったら、
今までのやり方を変えないことには、この3点セットはあらわれません。

この3点セットが欲しい、
だけれども、変えるのは嫌だ、
この2つは両立しません。
どちらかです。
変えるのが嫌なら、今までのまま、それだけです。

男女間のリレーションシップの話をしていて、
「男性から声をかけられない」とおっしゃる方たちは、
この3点セットがないことが多いです。
自分のこれが好きがない人は、
不思議なことに、「好き」と言われることもないようです。
好きは好きを呼び、
好きなものがないは、好きなものはないを呼ぶようです。

今までのどおりのありのままの私がいいのなら、
どうぞそれをお選びください。
だけれども、それでは何も変わらないですから、
文句を言わないことです。

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2016年8月2日火曜日

それは新自由主義的な考え方

セッション料金の問題で、
私は一緒にキネシオロジーを受講した多くの方たちと、
いつも意見の相違を見てきました。
(私と同じ意見の人もいました。例えば鍼灸師の方)
今でも耳に残っている言葉があります。
ちょうど3年前の8月にこう言われました。
「今の30代女子は、セッション料金1万5000円から2万円、
簡単に出せます!」
つまり、簡単なのだから、セッション料金は2万円近くてもいいのだ、という意見でした。

私は全くそうは思いませんでしたけれども、
自分だけの思い込みではいけないので、
いらっしゃるクライアントさん達に常にこう聞いてきました。
「セッション料金1万5000円って、簡単に出せる金額ですか?」
それに対して、
「はい、そうです」と答えた方はいません。
多くは、
「1万5000円とか2万円だったら、受けない」という答えでした。

このセッション料金は1万5000円から2万円でも簡単に出せる論者とは、
いつも対立していて、討論がかみ合わないのですが、
きのう、その原因が急にわかりました。
その考え方は、新自由主義者の考えなのです。

例えば、彼女たちは、教育についてもこのように言います。
「受講料が高いのは当たり前。高いお金を払わないと身につかない」
これと似たようなことが昨今よく聞かれます。
例えば、OECD諸国の中で日本は一番、国からの教育費の援助、補助がない国です。
大学の授業料もダントツ高い。
なぜか。
日本では、多くの人が(もちろん全員ではないです)
教育が消費、または個人の投資と考えているからです。
投資すればするほど、ペイバックがあるのだから、
投資する本人が負担して当たり前という考え方。
だから、投資できる人はたくさん投資すればいいのだと、
公的援助は要らないのだと。
その考えの結果、教育への公的補助、援助がない国になりました。
また、治療のたぐいも、お金のある人が受けられるという考えもあります。
アメリカは既にそういう社会です。
お金のある人だけが医療を受けられる社会、ない人は保険に入れず、
高額な医療は受けられません。

これら、新自由主義的な考え方です。
お金のあるものだけがあらゆるサービス、
それは人々の生活の基盤を形成作るものだとしても、
受ける権利があるというもの。

話は戻ります。
彼女たちが言っていた、1万5000円から2万円のセッション料金を払える人たちというのは、
いわば、お金のある人、ということです。
もっと言うと、新自由主義的な社会の中で、富裕層の側にいる人ということ。

それは確かにそうでしょう。
1カ月の可処分所得が150万円だったら、1万5000円はたったの1パーセント。
簡単に払えますとも。

しかし、新自由主義的な社会の中で富裕層は1パーセントと言われています。
その残りの99パーセントはそういった人たちではありません。
もう少しこの定義を緩くして、10パーセントだとしても、
それでも多くはありません。
そういう人たちは、いないとは言いませんが、たくさんはいません。
(そして、それを主張する彼女らも、決して富裕層側ではありません)

こんなことを急に思いついたのは、
きのうも統計を見ていたから。
日本の単身女性の貧困率は4割を超えています。
いつも書いていますが、
日本女性の平均所得は、男性の約半分。
そんな中、1カ月の可処分所得が100万以上の人なんて、いなくはないですが、
少数派なのは明らかです。

では、こういったセッションに来るクライアントさんは、富裕層の側にいる人ばかりでしょうか?
ブラック企業にいて、うつ状態になって仕事が続けられなくなった方、
不登校から引きこもりになり、働いていない方、
こういった方々の中には富裕層の方もいらっしゃるでしょうが、
ほとんどはそうではありません。働いていないのだから、それはそうでしょう。

また、マチルダも講義の中で、
「精神科や心療内科にかかっている方たちのセッションを拒否するプラクティショナーやヒーラーがいるけれども、そんなのはおかしい。そういう方たちこそみるべきです」
と言ってましたから、
セッションの対象者は、そういった方たちも含まれます。

もういろいろ書いていますから、おわかりかと思いますが、
私は反新自由主義者です。
アメリカにいたら、サンダースを支持します。
なぜなら、新自由主義の行く先には、戦争経済しかないからです。
マージナルとしての辺境を開拓しつくし、
ついには国内の女性、若者というくくりを辺境化し、
植民地のようにしたけれども、それももう限界です。
残るは、地方を完全に衰退させ、都市へ人口を集中し、
戦争経済に力を入れる以外、
新自由主義の生き残る道はありません。
そんなもの、到底賛成できませんから。

そんなわけで、
セッション料金論争については、
彼女らと、永遠に決着はつかないでしょう。
そして私も今の考え方を
変えるつもりはありません。 

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2016年8月1日月曜日

変化するもの、変化しないもの

初心者向けのキネシオロジーの講座、
もう3回目になりますが、
内容はいつも全く同じではありません。
そのときいいと思うものにどんどん変えていっています。

学校の先生ではないので、
カリキュラムが決まっていてそのとおりにやるのではなく、
自分が、今年はこれがいいと思ったら、
どんどん変えてしまいます。
同じ原稿をいつも読む、
などということはしません。

きのうも初心者向けということで、
コンパクトにまとめて短時間でやりました。
例えば、私が習いに行った初心者向けのコースは3日間でしたが、
実際、キネシオロジーを仕事とする人以外は、
ほとんどが日常生活の中では使わない内容でした。
経絡とか五行とか、いらないです。
逆にそれが必要だったら、
違うところに習いに行くと思います。

枝葉をつけて、だらだらやることもできますが、
それは私の性に合いません。
だから、実際に私が日常的に使うことだけを短くまとめて、
それを紹介しました。
それで十分です。

去年とも違うのは、
その後、新しく知ったことで、
より使いやすいと思ったものを付け足してあるからです。
新しくいいものを見つけたら、
どんどん取り替えます。

そんな感じですので、
ワークショップもどんどん変えていっています。
ときどき、また同じワークショップをやりますかという質問をいただきますが、
全く同じことは、二度とやりません。

変化こそ、常態です。
文章や、絵画だったら、一度完成したらそこで止まりますが、
そうでない部分については、常に変化しています。
けれども、変化しない部分もあります。

服に関しても、
一度でき上がってしまった服そのものは変わりませんが、
それを身につけるその人自身は常に変化していきます。
変わっている部分と変わらない部分のバランスをとることが重要です。

これは、つまり、変化する部分がない場合もうまくいきません。
変化だけでも、うまくいきません。
軸がぶれます。
方向が見えません。

変化するものと変化しないものの見極めとそのバランスがとれるようになると、
生活全般もうまくいくようです。

おしゃれも同じです。
変化するものばかりでも、
変化しないものばかりでも格好悪い。
どこでバランスをとるのがいいのか、
常にその点に気をつけるのがいいと思います。


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