2016年1月31日日曜日

フェミニズムとの兼ね合い

「恋する男の段階」というのがございまして、
「電車男」(テレビ版)も、きっちりその段階を踏んでいましたが、
その中で、
「料理をするかどうかの確認」というのがあります。
(その他、詳しくは金星講座で説明しますね)

なんでかわかりませんが、
付き合っている相手がいるかどうかわかった後、
彼らは必ず質問してきます。

そのときに、
そんなことを聞くなんて、
フェミニズムに反するわとか、
性的役割分担を固定化するつもりねとか、
思う方もいらっしゃるようですが、
これは心理の話であって、
法の話ではないのです。

私も大学時代、
「女性学」という講義もとっていたし、
随分たくさんのフェミの本も読みました。
そこでもっとも攻撃されるのは、
性的役割分担の固定化と、
いわゆる伝統的な「女性らしさ」です。

「少年のように」というブランドは、
明らかにこの流れから出てきたもので、
伝統的な女性らしさの否定です。
だから、メイクもしないし、
きれいな、「女性らしい」と思われる色も着ません。
それら否定しているので、黒ばかりということになります。
(色気の否定です)

フェミニズムという学問の流れはその後も続き、
ラディカルフェミニズムのようなものも出てきます。

そしてそれを研究している学者たちは、
例えば、去年の夏、大学生の女子が、
「お母さんが作ったご飯」と発言しただけで、
ただちに攻撃するのです。
実家に帰ったとき、お母さんがご飯を作ってくれて、
それを食べることが喜びだと言っただけで。

でもこれは単にその日の現実にあったひとこまを描写しただけにすぎず、
お母さんは毎日ご飯を作るべきなどと、
一言も言ってはいないのです。

そして、80年代から日本でも盛んになったフェミニズムの結果、
何が起こったでしょうか。
男女機会均等法の一期生で、今でも総合職で仕事をしている女性は、
1割にも満たないという調査結果がこのあいだ出ました。
議員や管理職に占める女性の割合も先進国の中では最低です。
賃金の男女間の差も広がり、
男女間の不平等は進むばかりです。
結婚していない人も増えました。
多くの女性が、恋愛がうまくいかなくて悩んでいます。

日本において、
フェミニズムは単なる学問で、
現状や現実を変える力はほとんどなく、
状況は悪化するばかりです。
しかも何の権力もない女子学生が言った、
「お母さんが作ったご飯」発言を批判することに熱中しています。

心理学と法は違います。
金星の性質も、法律ではありません。
どんなに法で規則を作ったって、
恋愛する男女の心理を強制することはできません。

重要なのは、選べる、ということです。
女がご飯を作らなければいけない、
女がご飯を作ってはいけない、
どちらも強制されるべきではありません。

そして、何千年も続いている男女の間の心理は、
数年のたかが学問で変わるわけではありません。
フェミニズムの学者がどんなに叫んでも、
すべての美術館から、スカートやドレスを着た女性の肖像画はなくなりません。
同様に、「ロミオとジュリエット」を否定することはできません。

ですから、
料理をするかどうか聞かれて憤慨しても構いません。
だけれども、それがうまくいかない原因でもあることは知っておくべきです。
それに憤慨し続けるのなら、
うまくいかない、恋愛できない、結婚できないを選んだのです。
自分で選んだからには文句を言わないこと。
それだけです。

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2016年1月30日土曜日

システムから抜けても平気

「東大話法」で有名な安冨先生のインタビュー記事が面白いです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47501
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47518

要約すると、「システムから抜ければ?」という話。
私がずっと前から言っていることと同じ。

私は男については別に何も言ってきませんでしたら、
考えたら、もっと締め付けはきつく、
しかも社会的な立場を失うのは恐ろしいはず。
「立場」という概念が日本語にしかないということは、
知りませんでした。

システムが要求するような理想のスタイルを実現できるのは、
限られた人だけ。
なぜならその席は限られているから。
夫婦と子供2人で、夫と妻は正社員で働き、
郊外に戸建ての一軒家があり、
子供は二人とも大学へ進学する予定、
なんていうファミリーは、もうほとんどいません。
実現不可能。

そして、その実現不可能な「幸せ」をシステムが要求します。

ここで二重の苦しみが生まれます。
なぜなら、もともと席は用意されていないので、
その席につけない人が多数出現すること。
女性の非正規雇用は6割を超えているのですから、
半分以上がそうであるということ。

そして何より、
このシステムが要求する「幸せ」のスタイルを実現できたところで、
個人が幸せだとは限らない、
ということです。

だけれども、いまだにこの幻を多くの媒体がおしつけてくる。
そして、そうでなければいけないと考える人たちもたくさんいます。

安冨先生は、女の服装を着ることで、システムのルールから外れたわけだけれども、
その方法は人それぞれであり、
いろいろなことが可能です。
ただし、前提条件として、
システムから外れてもいいんだと決意を固めなければなりません。

決意を固めたら、
そのときから、システムが示す「幸せ」は、望む「幸せ」ではありません。
どうしたいのか、
どうなったら幸せなのかは、
常に自問自答しなければいけません。
その作業は必須です。
そこには勇気が必要です。

多くの人が動けないのは、
システムから外れているにもかかわらず、
それを認めていないから。
認めないので先へ進めない。
次にどうしたらいいかわからない。
動かないから、次の一歩は見えてこない。

何が好きかわからないとよく言いますが、
動かなければ、何が好きかなんてわかりません。
そして動かなければ、
その動かなかった時間、
年をとっていきます。

システムから抜けても平気です。
逆に、システムにしがみつくほうが危険です。
そろそろ多くの人が気づいてもいいころだと思いますが、
いかが?

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2016年1月29日金曜日

恋愛ドラマを始めたいなら

「電車男」(テレビ版)を最後まで見終わりました。
おかげで、たくさんのヲタ言葉を知ることができました。
「しますた」とか、「キボンヌ」とか「むー」とか、
これら全部、そうだったのですね。
全く知りませんでした。
大変勉強になりました。

さて、これって一体いつの話と思って、
製作年を見てみると、2005年です。
10年前です。
まだみんな普通のケータイです。
ケータイではネットにつながらないという設定なので、
iモードはないのか、使っていないのか、どちらかです。
もうこの設定自体、今では考えられません。
時代を感じさせます。

そして、出てくる女性たち、ほとんどOLのようですが、
の衣装です。
シルエットは今とほとんど変わりません。
メイクや髪形もあまり変化なし。
けれども、ジャケットを着ていますし、
カットソーやジーンズの仕事姿もありません。
というか、ほとんどカジュアルがありません。
例えば、スポーツやアウトドアのシーンがあったら、
カジュアルな衣装になったのかもしれませんが、
そういうシーンがなかったので、カジュアル一辺倒というのがありません。

エルメスさんが家でもタイトスカートみたいなものをはいて、
上にパーカを着ているシーンがありました。
つまり、パーカというのは部屋着なのよ、ということです。
ドラマなので、理想形ですし、一般的な人よりはきれいにしているとは思いますが、
この10年のカジュアル化がすさまじかったことがわかります。

男性のファッションは今とあまり変わりありません。
(ヲタの方々はちょっとわからないです。同じなのかしら?)
この10年で女性だけが極度にカジュアルに、
そして男性が着るような服を着ることがふえました。

これは逆に言うと、現在は服装において、女性性を表現することが難しくなったということです。
服装は
デートと日常も差がなくなった、
男女の差も少なくなった、
仕事とプライベートの差もなくなった、
ということです。

差がなくなった結果、面白くなくなりました。
メリハリが消えました。
そして、ドラマが生まれません。

最初のシーン、
もしエルメスさんがTシャツにジーンズだったら、
あのドラマは始まりません。
変な言い方ですけれど、
酔っ払いに絡まれて、誰かに助けられるような格好をしていないと、
恋愛というドラマは始まりにくいということです。

そういうことも含めて考えると、
自分が生きたい物語にふさわしい服装というのがわかってくると思います。
(って、これはいつも私が言っていることですが)

恋愛ドラマを始めたいなら、
それに見合った衣装にすること。
それが肝要です。

蛇足ですが、
エルメスさんはいつも待ち合わせ場所に、
少し時間に遅れて、小走りにやってきます。
そのほかはきっちりしているのに、そこが面白いです。
スカートやドレスで小走りでやってくる女性を見るのが男性の憧れなのでしょうか。
そうか。
今まで気づきませんでしたわ。
まあ、そうらしいので、誰かやってみて。

それから気づいたこと。
なんでさえないヲタの恋愛がうまくいくのか。
なぜなら彼はヲタだから。
専門知識がある。
情熱がある。
それを続けている。
そこら辺、ドラマはちゃんと描いていなかったけれども、
結局、彼の強い魅力はそこですね。

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2016年1月28日木曜日

古典になる恋愛ドラマ


5月5日の「シェイクスピアのオペラ(仮題)」のために、
「ロミオとジュリエット」を読みなおしていますが、
まさに恋愛ドラマの古典と呼ぶにふさわしい内容が、
ぎっちりつまっています。
100年後も読まれていること間違いなしです。

ひるがえって、最近の恋愛ドラマはどうでしょうか。

きのう何かを見ていたら、
25年後の「東京ラブストーリー」という絵があらわれてきました。
50歳になったリカとカンチとあります。
それを見たとき、これって、恋愛ドラマなのよね?と疑いました。
特に50歳のリカ、ひどすぎです。
(それともリアルと言うべきか。50歳ってあんななのか。そうなのか?)

そんなことを思ったのですが、
私は「東京ラブストーリー」にしろ、
「ロング・バケーション」にしろ、
見たことがないのでよく知りません。
マンガも読まないので、マンガの原作も知りません。
ただ、何となく、昔流行っていたなということは知っています。

でもこれら、あの頃、バブルが終わったぐらいでしょうか、
流行ったドラマは古典になり得ないと思うのです。
あれらの中には「ロミオとジュリエット」の要素が欠けています。

多くの女の子たちは少女漫画を読みます。
少女マンガの漫画家たちはほとんど女性です。
そして、その後は、女性の脚本家によるテレビドラマや映画を見ます。
ここには、絶対的に欠けているものがあります。
それは恋する男性側の心理です。

ドラマとして優れていないわけではないと思いますが、
恋する男がどうするかという視点に欠けている、
もしくは理解が足りないと思います。

では、どんなのだったらいいのかしら。
アーサー王の物語のグィネヴィアとラーンスロットみたいな、
そんな要素が入っているのは。

そして、私がすぐ思いついたのが「電車男」です。
もちろん私はそんなもの、見ていません。
しかし、知りたくなっちゃったので、きのう途中まで見ました。

こちらは見事に男性の心理が描かれています。
そして、男が好きになる典型的な人物「エルメスさん」が秀逸です。
美人です。
高根の花です。
自分で聞き間違えておいて、男に努力させます。
付き合ってもいないのに、頼んだりします。
何だか変に天然です。
その天然せいゆえ、男を振り回します。
女子視点から見たら、「あり得ない」ことが多いです。
でも、そんな理解不能、理不尽な女性のために、
恋する男は頑張るのです。
なんでかって、その人は金星、ヴィーナスそのものだから。
(金星ヴィーナスを全く感じさせない女性たちの描き方もお見事)

女性の脚本家や漫画家、作家のものに、
この視点はありません。
つまり、私たち女性がわかっていないのはここなんです。

「ロミオとジュリエット」の有名なバルコニー・シーン。
あれが、ジュリエットがロミオのバルコニーの下に行ってはだめなんです。
古典にならない。
でも女性の脚本家や作家のものは、
ジュリエットにそれをやらせちゃう。

そろそろ気づきましょう。
私たちの多くが、勘違いしています。
「ルールズ」や、ジョン・グレイ博士の著書は、そのことを言っているのです。

そうね、
リアルなエルメスさんみたいな人が小説を書けば、
いいんだろうけれど、
女の人たちに売れないんだろうな。
エルメスさんみたいな人からは遠い女性小説家が売れるのでしょうな、きっと。

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2016年1月27日水曜日

幸せと罪悪感

夢をかなえようとしたり、
幸せになろうとするとき、邪魔になるのが罪悪感です。
ほとんどの人が何らかの罪悪感を持っています。
(持っていない人もいると思います。
そうでなければ、税金で毎日あんなに豪華なもの食べていられないはず・・・)

親や学校は子供をコントロールするために、
罪悪感を植え付けます。
多いのが、
「みんな(またはあの人)を差し置いて、私だけ幸せになってはいけない」
というもの。

親や学校というのは、幸せは限られた分量だけしかないと考えているようです。
受験や入社試験など、イメージするからなのでしょうか。
あの人は落ちて、私が受かるのはいけない、みたいな。

しかし、幸せの分量は限られていませんし、
みんなが幸せであるか、そうでないか、他の人にはわからないし、
そして、そもそも誰かの幸せは奪ったり、奪われたりするものではありません。

それなのに、幸せを「モノ化」することで、
あたかもそれは有限で、
とったり、とられたりするもののように錯覚させ、
権力のある側がない側をコントロールします。

この罪悪感、
ひとが夢を実現させようとするとき、
大きな邪魔になります。
私だけ幸せになるのは罪、というように。
夢がかなってうれしいはずなのに、
罪悪感がそうはさせません。

どこでどう引っかかってくるかは人それぞれです。
家族に対しての罪悪感なのか、
友だちに対しての罪悪感なのか、
動物に対しての罪悪感なのか、
世界じゅうの人に対しての罪悪感なのか。
持とうと思えば、どんなものでも対象になります。

そういう私もありました。
自分では意識していない意外な罪悪感。

しかし、ひとはその人自身が幸せであるほうが、
他人に対しても何かできるのです。
他人だけではなく、
世界じゅうの人に対しても、
動物や自然に対してもできることがふえます。

逆に不幸せなときは、自分以外のことに目を向ける余裕がありません。

それから、幸せはモノでもないし、有限でもありません。
そのときに、私は我慢して誰かが幸せではなくて、
関係するすべての人にとってベストな状態を目指してもいいわけです。

兄弟もそうです。
「お姉ちゃんは我慢して、妹や弟に幸せをもたらすものをあげなさい」
なんておかしいです。
「みんなが幸せで楽しくなる方法を考えようね」でいいんです。
それは探せば絶対あります。

植えつけられた罪悪感なんて、捨ててしまいましょう。
関係するすべての人が幸せになる方法を探して、
実行しましょう。
絶対にありますから。


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2016年1月26日火曜日

ライバルなんて、いないんじゃないの?

何かをやる、やらないという話になったとき、
私はそれも人生の選択だから、
やらないならやらないでよろしいと思っているので、
やらないからといって、だからどうとか思わないのですが、
ここのところ、いろいろなところで、
「何もしないのに何か得ようとするのは詐欺と同じ」とか、
「何もしないのに何か得ようとするのは盗むのと同じ」とか、
そんなことを読んだり、聞いたりして、
そのとおりだなと思います。

というのも、
結構堂々と、
「何もしていません!」
「何も努力していません!」
「何も勉強していません!」とおっしゃる方がいて、
それならそれでいいんじゃないの?
と私は思うのですが、
何もしないということは、
何も得られないので、それでいいんだよね、ということです。

どういうわけか、
結婚したいけれどもできませんという方で、
こういうふうにおっしゃる方が多いです。
で、これこれこういうふうにするといいよと言っても、
きっぱりと、
「嫌です。できません」とおっしゃいます。
だったら、それでいいんじゃないの?
そのかわり、恋愛とか、結婚もないですし、
ということです。

実は結婚に関してなのですが、
相談しておいて、
何もやりませんでした、
これからも何もやりませんという方は多いです。

ということはね、
どういうことかというと、
頭抜けることは簡単だということ。
だって、やらない人がこんなにも多いんですもん。
もはやライバルなんかでさえありません。
最初から、エントリーさえしていない人です。
東京マラソンをビルの中からぼーっと眺めているようなものです。
シューズやウエアを買って、
「マラソン完走したいです」とかなんとか言っても、
勝つことも、完走することもありません。

なぜやらないかは、
人それぞれ理由があって、
一概には言えません。
言っているだけで、本当は結婚などしたくないという場合もあると思います。

ライバルなんて、本当は誰でもいなくて、
大体の場合、自分だけです。
負けたなら、
やらなかった自分に負けただけ。
でもそれでいいと思っている。
何にもなりたくない、
何にもやりたくないという自分が勝ったんです。

天体の影響もあると思いますが、
やる人とやらない人の差が、
最近、すごく出てきています。
つくづく、ライバルは自分だけだなと思います。

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2016年1月23日土曜日

5月5日!

きのう正式に予約を完了いたしました。
2016年5月5日、子どもの日です。
わたくし、ものすごく久々に舞台に立ちます!
シェイクスピアです。
でもお芝居じゃないです。
解説です。
もちろん1人じゃありません。

今回一緒にやるのは、
ほぼ2年前から、
インテグレート・ヒーリングのセッションを通じてお知り合いになった、
オペラ歌手のクライアントさんです。

練習もしてきました。
勉強もしてきました。
もちろん音大も出ています。
先生にもついています。
それでも自分では届かない部分について、
セッションしてきました。
その結果、昨年、ソロでのコンサートを成功させることができました。
それまでは、何人かのうちの1人という舞台が多かったのです。
その状況を突破しました。

しかし、人生というのは、次々にステージが展開するものなのです。
1つクリアしたら、また次が出てきます。
それが5月5日になります。

さて、私が予約してきたところは、
藤沢市民会館小ホールです。
最初は違うところを予定していたのですが、
何となくそこは納得いかなくて、
小ホールに電話してみたら、5月5日、1日空いているということで、
即決いたしました。

藤沢市民会館小ホール、
そこはなんと、
私が高校の演劇部のときに立った舞台です!
何十年ぶりに、同じ舞台に戻ります。
しかも、自分で予約しちゃって(笑)。

私はオペラは、残念ながら詳しくないのですが、
シェイクスピアとオペラでくっつけられるということで、
今回の企画になりました。
詳細はまだ決まっていないので、
決まり次第、御連絡いたします。
そして、私を通じてチケットを御購入してくださった方には、
特典をつけようと思っていますので、お楽しみに。
そう、そしてこれは、この前書いた、
ちょっとおめかしするというシチュエーションに最適ですから、
ぜひぜひいらしてくださいね。
ちなみに時間は13時30分開場、14時から16時までです。

それにしても、
まさか高校のときに立った舞台にまた立つとは、
半年前の私ですら、想像しておりませんでした。
ということは、半年後もまた想像してなかったことが起こる可能性がある、
ということですね。

想像以上のことが起こる人生は楽しいです。
癒されるって、そういうことです。
次に何が起きるか、
本当に楽しみです!

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2016年1月20日水曜日

メリハリをつけるという練習

おしゃれの続きの話ですが、
いつメリハリをつけようか、
という問題が出てきています。

今、多くの人が会社、または仕事場と家を行ったり来たりするだけの毎日で、
休日は車で大型スーパーにお買い物へ行ったり、
シネコンで映画を見たり、みたいな感じだろうと思います。
それでも都会はあれやこれや遊びに行くところがあるけれど、
ちょっと郊外、そして地方だと、行くところがないという話を聞きます。
例えば、デートが回転寿司みたいな、そんな感じ。

そうなると、
ハレの日の服なんていりません、ということになる。

そういう私もひとのことは言えなくて、
放っておくと、すぐ引きこもり気味になるし、
特に最近、都会が苦手なので、
いつでもどうでもいい格好になりがちです。

そんなフラットな日常の中で、
いつ、ちょっと格好つけてお出かけしようか、ということになります。
これは自分でその機会を作らなければなりません。

考えられるのは、まずはパーティーや宴会。
まあ、パーティーなんていうのはごくたまにしかないし、
ましてや自分で主催するなんていうのはほとんどないでしょうから、
これはちょっと除外。
日常とパーティーのあいだぐらいで、
少しおめかしするところが望ましい。

例えば、ファミレスではなくて、予約していくようなレストラン、
美術館や、それに付随するカフェ、
そして最後に劇場やライブハウス。

ヨーロッパなんか行くと、
小さな町にも、小さいながらも立派な造りの劇場があって、
ああいうところだったら、
誰もがおめかししたい気分になるな、と思います。
日本の劇場だと、なかなかああはならないけれども、
それでも行ってみたら、少しはおめかししたい気分にはなる。

実は、先週、うちの近所にある湘南台文化センターという、
私の好きな素敵なホールであった、オペラのレクチャーつきコンサートに行ってきました。
最初は、近所なんで、
服も買い物と同じでいいや、と思ったのです。
だけれども、チケットを買いにホールの入口まで行ってみたら、
やっぱり寒いけど、ダウンはやめてウールのコートにしようとか、
ワンピースにしようとか、思い直したのでした。
そして当日、いつもはつけないジュエリーなんぞつけたりして行ったところ、
やはりそれで正解。
席は一番前だし、
両隣のおばさまたちも、
ゴージャスまではいかないけれども、ちょっとおめかしした、みたいな感じでしたから、
ここはダウンコートにジーンズではなくてよかった。
(そうそう、そこで西村悟さんという素敵なテノールの方の歌声を聞いて、
オペラに目覚めてしまったのでした。よかったです、はい)

どんなに近所でも、ここは劇場。
日常ではないのです。
知ってたけれども、忘れていました。

そういう機会は、
自分で作らないとありません。
ブランド物のバッグを持って歩けとか、
そういうのじゃなくて、
自分で工夫して、日常ではないおしゃれをしてみる。
そんな機会を持つことも、
おしゃれの練習だと思います。



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2016年1月19日火曜日

次の秋冬、どうしましょうか。

どうやら、日本の報道しか見ていない、聞いていない方々は、
日本の景気がよくなっていると思いこんでいるようですが、
海外の報道や、各種指標が示すように、
日本の景気はリセッション、つまり後退です。
(まさか、例の人が言った、日本の平均が夫手取月給50万、妻パートで手取月給25万って、
信じてるわけじゃないよね?そうなのか?)

それと連動していると思うのですが、
2014年度の女子の大学進学率は3割でした。
これはどんどん下がってきています。
ああ、私たち、そんな時代に生きているのですね・・・
(私が高校のころ、演劇部の先輩も後輩も全員、大学進学しました。
それが普通と思っていた、あのころ)

さて、現在、来年の秋冬のプレコレクションが次々発表されていますが、
ファッションはどんどんゴージャスな方向へ進んでいます。

ゴージャスとは何かというと、
装飾が多かったり、
ロングやフレアで生地が多く使われていたりと、
どちらかというと、デザインが過剰です。

そうなると、当然、価格は上がっていきます。
見るからに、これ、高そうだね、という感じがします。

日本でファッションが盛り上がった、90年前後というのは、
バブルがはじけた後とはいえ、
こんなにもひどい不景気ではありませんでした。
まさか、働いても生活できないだなんて、ほとんどの人が思っていませんでした。
(私も全くそんな考えはありませんでしたが、後に思い知らされました)

だから、若い人たちはファッションにばんばんお金を使ったし、
それで困るということもなかった。

その頃も今とは違う装飾主義があって、
ビッグ・シルエットで、大き目のアクセサリーが特徴でした。
眉毛も太く、化粧も濃かった。
何かそういう無駄をしても、大丈夫な時代でした。

しかし、今回、ファッションの流れと、日本の、特に女性の置かれた状況は逆行します。
90年前後のように、多くの人がファッションを楽しむ、という感じにはならないと思います。
ならないというか、できません。
そんなとき、どうしようかということです。
2000年代の気分を引きずったまま、2020年を目指すのかどうか。

できないものはできないんだよって、確かにそうです。
ただ、改善の余地はあると思います。

1つは、もっとメリハリをつけること。スタイルにも、予算にも。
どうでもいいときはどうでもいい格好、
これぞというときにおしゃれをする。

私、これはよくわからないのですが、
何人かの方から、私は休日はほとんど何もせず、会社にしか行かないから、
会社で素敵な格好をしたいというお話を聞いたのですが、
会社はそんなに大事なところなのかな?その人にとって。
お話を聞くと、普通の平社員のようでしたが・・・
アパレル会社じゃなかったら、
会社に、おしゃれって必要なのかな?
いや、これはよくわかりません。そうなのかもしれません。

言いたいのは、日常と仕事、もっとメリハリをつけたほうがいいよ、
ということです。

あとは、無駄な買い物をなくすこと。
着ていない服がなくなるようにすること、でしょうか。
傾向としては、
たまにしか着ない服がかなりの量あり、
1枚のクオリティが低いという方が多いです。
しかも、どれもみんな似ているから、そのバラエティの意味が他人には通じません。
これを改善する。

そうやっていかないと、
この流れについていけないと思うのです。
ファッションがグラマーでゴージャスになっていく、
それなのに、いつも定番ルックみたいな、そんな感じ。

ふだん着はジーンズにVネックのニットやTシャツでいいです。
だけれども、これ、というときにはゴージャスをちょっと入れる。
そんなふうに今から練習していくといいと思います。

この流れは2027年ぐらいまで続きます。
あと10年ちょっとはあります。
10年見越して買い物してください。

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2016年1月18日月曜日

売っている服が似ている。

もう春もののニットを着てもよいと書いた次の日に雪です。
さすがに今日は寒いです。

さて、このところ、ドメスティック・ブランドと言われる、
日本のあまり有名ではない、
こまごまとした小さなところの洋服をつらつら見ていたのですが、
とにかく似ています。
ブランド名とか関係なく、なんだかみんな同じ。

現在、かつてないほどの量の服が売られているし、
ブランドの数だって多いです。
インポートもありますから、
需要に対して供給過剰です。
それなのに、売っているものが似すぎています。
その結果、みんな、何となく同じ格好になってしまう。

昔、そう、例えば2000年より前は、
誰かと「かぶる」などということは、ほとんどありませんでした。
似ている2人、ぐらいはあったかもしれないけれども、
通り過ぎる人、みんな、何となく似ている状況は起きてこなかった。

ファッション・レッスンをするときに、
どういうスタイルになりたいのか、
なりたいスタイルの写真を切ってもらうのですが、
その結果がどうしても似てきます。
いいとか悪いとかいうよりも、
今はそういう時代です。

ただ、前にもどこかで書いたけれども、
似たような格好だと、素の部分が目立ちます。差がつきます。
スタイルのよさとか、
若さとか、
そんなところに目がいきます。
みんなが一粒ダイヤのペンダントをしたら、
そのダイヤモンドのクオリティで差がついてしまいます。
一番だけがいつも輝いて見えます。

実は、なりたいスタイルと、自分の人生をどうしたいかはリンクしていて、
なりたいスタイルがはっきりしない人は、
人生でどうしたいのかもはっきりしていません。
誰か、何かと同じであればあるほど、
自分の人生をどうしたいのかもはっきりせず、
ぼんやりしたものになります。
「これ!」という人がない人は、
人生についても、「これ!」というものがありません。

これだけ似たようなものが売られていて、
それでも何とか成り立っているということは、
今はそういう人たちが多いのでしょう。

これは安全なのでしょうか?
私は、ここに危機感を感じるのですけれど・・・
同じであることのリスクに、
そろそろ気づいたほうがいいのではないかと思います。


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2016年1月17日日曜日

そろそろ春ものニットを着てもよい。

今年は暖冬で、私は重たい冬物のコートを一度も着ることなく、冬が終わりそうです。
気温も高めですが、
立春も近づいてきました。

立春が過ぎてからでもいいですし、
気の早い人は今からでもいいと思いますが、
もう、コットンカシミアや、春もののコットンのニットを着てもいいと思います。

特に今年は、
細かい縄編み(ケーブル)が流行っているので、
春夏ものだろうと、ニットが厚手です。
そうなると、日本の夏は暑くて無理です。

しかし、この暗い時期、
その厚手のニットをインナーにするのは問題ないですし、
まだまだほかの人が着ていませんから、
気分も目にも新しく、いいと思います。
これも暖冬だからできること。

ただ、雪が降っている地方は、
さすがにまだ無理でしょうね。
雪が降っていない、関東より南限定です。

あとはそれができないとしても、
立春が過ぎたら、
色は明るく明るくいきましょう。

今、みんな暗いですから、
こういうときは明るい色を着てしまったほうが、
何かとお得(たぶん)。

グレーに黒ばかりあわせていた人は、
グレーに白にすれば、
子供っぽくはなりません。
幸い、白だけは今もけっこう売っています。


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2016年1月15日金曜日

新しいルールズを読んだ。

常日頃、LINEって、もめそうと思っていました。
私はガラケーなので関係ありませんが、
仮にアンドロイド携帯にかえたとしても、
LINEを導入するつもりはありません。

ここのところ、ジョン・グレイ博士やら何やらをいろいろ読み返していて、
そのつながりで、ルールズもまた読んだりしてみたのですが、
2013年に、新しいルールズが出たということを知って、
それはまだ読んでいなかったので、早速読んでみました。

内容的には変わりませんが、
本のほとんどのページを割いて、
携帯電話、フェイスブックやEメール、ネットチャットとの付き合い方の説明をしています。
案の定、
特に恋愛においては、
フェイスブックその他、もめ事、うまくいかないことの原因になっています。

普通の友達関係でもあれだけもめるのです。
恋愛となったら、それはもっとでしょう。

基本的には、フェイスブックやツイッターに自分の私生活を露出させるな、
携帯にすぐ出るな、自分からメールするな、きたメールにすぐ返信するな、
チャットはオフにしておけなど、
要するに、その便利と言われている機能を極力使わないようにしなさい、
という話です。

ただ、これは心理学の本ではないので、
なぜ彼女たちがそうやってしまうのかについては書いていません。
なんであれほどフェイスブックにリア充を投稿しないといられないのか、
「今日は風邪気味です」とわざわざツイッターに書くのか、
どうでもいいメールを、変な時間に送るのかなどについては触れられていません。

私が聞いた、コンカツでうまくいっていない人たちも、
似たようなことをやっていました。
だから、ルールズに書いてあるルールは守ったほうがいいのです。
だけれども、本当はそれだけでは足りなくて、
そうしなければいられないその人の、
自信のなさ、自己価値の低さを癒さないと、
また違う問題が起こります。
例えば、うまいことこれで結婚できたとしても、
それからまた問題が起きてきます。
そして、そちらのほうがより深刻で、長期になります。

結婚さえすればいいという風潮は、
まだまだあるので、
その後がどうなったのか、
どうすればいいのか、
案外、過小に考えられています。
なんか日本って、そういうところがある。

会社に入ればいい、
結婚すればいい。
その後のほうが重要なのに。
そして、その後のほうが実は人生を破壊するほどのダメージを受ける可能性があるのに。

ルールズに書いてあるようなことをやらずにはいられない自分。
それが癒されないと、その後もうまくはいきません。
ルールさえ守ればうまくいく、ということでもないです。

ルールズ、そのとおりだと思いますが、
それだけじゃ足りないです。
せめて、ジョン・グレイ博士までは読んでいただきたいと思います。

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2016年1月13日水曜日

マニュアルは通用しない世界へ

マクドナルドが入ってきたあたりからでしょうか。
接客マニュアルができて、
そのとおりにやれば接客はうまくゆく、
というようなことに世の中はなりました。

論理的に組み立てられた手法で、
論理に隙も、破たんもありません。

確かにそれである程度まではうまくいくのです。

それは何でもそうなのです。
マニュアルどおりにやれば、
ある程度までうまくいくのです。

方程式があって、
人はそのとおりの反応を、
ある程度まではします。

しかし、いきつくのは、
マニュアルでは途中までしかいかないという発見と理解です。
この世は多様性に満ちていて、
女性はこうに決まっている、
男性はこうに決まっているは、全く通用しない段階が訪れるのです。

これは自然を扱う職業や、ガーデナーなどの趣味の人たちはわかると思う。
それから、芸術をやっている人たちにもわかると思う。
確かに練習段階や、準備の段階ではマニュアルどおりにやるけれども、
それだけでは途中で植物は枯れるし、
人々は感動しないでしょう。

そうなんだ。
マニュアルどおりに演奏しても、人々の心は動きません。

確かにマニュアルの論理は破たんしていません。
それは正しいです。
けれどもうまくいかないのは、
扱う対象を画一的にとらえすぎているから。

そういう人たちって、
マニュアルどおりにやって、うまくいかないと怒るんです。
勉強していないって。
違います。
本当に勉強しているのなら、
マニュアルが通用しない世界へたどり着くのです。
そして、そちらの世界のほうが広大です。

その広大な世界を自分で開拓した人は、それが「仕事」や「作品」になるのでしょう。
それをやらないと、「作業」に甘んじることになる。
マニュアルという「作業」でやったことでは、人の心は動かない。

そんなことを今年も肝に銘じていきたいと思います。

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2016年1月12日火曜日

ヨーカドーでゴルチエ、試着してきた。

うちから歩いていけるヨーカドーがなくて、
一度は見てみないことには感想も意見もないので、
どうにか行きたいなと思っていたのが、
きのうやっと行けて、ヨーカドーで展開しているゴルチエを試着してきました。

もう既にセールが始まっていて、
ほとんどの商品が五割引きでしたが、
ほぼすべてのラインナップが残っていました。
地元(湘南台のヨーカドー)ですが、
見ているお客さんはいません。

ぱっと見た感じ、黒が多いです。
とりあえず、端から着られそうなものすべて試着してみました。

まず、どれも大きい。
まあ、私はどちらかというと、7号なので自分が小さいということですが、
それにしてもコートは大きいです。

そして、着てみると、笑っちゃうほど、80年ぐらいから95年ぐらいのシルエット。
学生時代に戻った気分を味わえます。

ビッグシルエットはいいとしても、
プリントの柄、
メジャーやまち針の刺繍、「7」の文字など、
いらないデザインが多いです。
これさえなければ買ってもよかったのに、という感じ。
特に「ゴルチエ」とカタカナが書いてあるプリントは、買う人が少ないでしょう。

そして、価格。
ヨーカドーにしては、驚くほど高いです。
半額にしてもまだ高い。

発表されたときの予想どおり、
これはかなり売れ残っていると思います。
正直、今の日本で、どのシーンでこれを着たらいいのかわからない。
どれを着てみても、
ブンカの学生みたいで、
もはや私にはいらない感じ。
何か買おうかと思っていたけれども、
この私でさえ買えませんでした。
もちろん、大きすぎるというせいもありますが・・・

たぶん、日本じゅうで大量の在庫になっていると思われます。
この責任、誰がどうやってとるのかしら?
ひとごとながら、気になります。

春夏も2月から展開するそうなので、また見に行ってみたいと思います。


そして、家へ帰ってきたら、
ボウイさんの訃報が・・・
高校生のころからずっと好きで、
たぶん、私の音楽を聞いた総量の中で一番多いので、
いつかは死ぬと思っていたし、
長生きもしないだろうと思ってはいたけれど、
ショックです。
すごく遠い人なのに、すごく支えられていた。
近くの人にはない力で・・・

好きな人は我慢しないほうがいいです。
行けるときに行っておかないと、
会えるときに会わないと、
次の機会なんてありません。

ああ、それにしてもショック・・・
今日は1日、聞きまくります。

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名曲はいろいろあれど、ほかではやらなさそうなのを1つ。
「キャットピープル」のテーマ。
このころ、私がもっとも美女だと思っていたナスターシャ・キンスキー主演です。
なぜかときたま聞きたくなります。
putting out fire with gasolineです。



2016年1月7日木曜日

どれだけ自由になれるか

どれだけ自由になれるかが、
幸せの1つの鍵です。

自分を縛る思考、思い込み、記憶、教え、誓いから、
社会がおしつける「幸せ」の画一的な価値観から、
どれだけ離れられるか。

ただし、私たちは社会の中で生きていますから、
社会のルール、例えば法律は守らなければいけません。
また、社会のシステムにからめとられていますから、
それは無視できません。
例えば経済的な面で、特に日本は不平等な社会です。
だから大変なんです。
簡単ではないんです。

また、女性性という面でも、
日本社会は、それを抑圧してきます。
仕事をしてる女性なら、誰でもそういう場面に出くわします。
男性性を発揮しなければ仕事にはならない、
だけれども、男性性優位で生きていると、
病気になったり、男性とのパートナーシップがうまくいかなくなったりします。
(実際、女性性を抑圧すると、結婚したいのにできなかったり、
結婚している場合、夫が浮気したりします。そういう例をたくさん聞きました)

仕事を頑張れば頑張るほど、恋愛や結婚がうまくなくなり、
女性性100%で生きようとすればするほど、お金がうまく稼げなくなります。
この2つのバランスをどこに決めるかが非常に難しいです。

本当は、女性ですから、
女性性100%で生きてしまうほうが簡単だし、自然なんです。
だけれども、女性性優位でできる仕事は少ないし、
かといって、経済の自由度が落ちると、何かと不自由です。
(現在、不自由を通り越して、危険です)

ほんとにほんとに難しい。

前にも書きましたが、
実際は、女性性も男性性も発揮できていない人が多いです。
(身体に聞くとわかります)
そうすると、仕事もままならない、男性とのパートナーシップもうまくいかないという状態になります。
こういう人たちは、つまり、全く自由ではないのです。
そして、まさに崖っぷちを歩いています。

膠着して動かなくなってしまったら、
そのくっついた部分をひとつずつはがしていかなければなりません。
今のままだったら、今の延長の未来です。
嫌だったら、変わらなければならないということです。

私はよく、趣味を持てとか、
勉強してくださいとか、書いていますが、
どうやら、余りに不自由だと、そこまでもたどり着かないようです。

まずは「変わる」と宣言すること。
今のままの未来は嫌だと認識すること。
自分で抜け出せない檻ならば、
ヒーリングなどを利用して出してもらうこと。
そうしてどれだけ自由になれるか。

自由になればなるほど幸せは感じられます。
変な話ですが、
状況がどんなであっても、感じることができます。
前提条件に頼らなくなります。

その道はあります。
その道を選ぶかどうかは、自分の選択です。
いつも言ってるけど、
ただ、それだけです。

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2016年1月6日水曜日

自分のモデルは自分で考えるのよ

2日の記事で、
日本では、そんなバブル時代の延長みたいなロールモデルの人はもういません、
無理、
ということを書きました。
だからといって、悲観する必要はなし、です。
それならそれなりの方法を別途考えるのです、自分で。

確かに、正社員は少ないです、
40歳過ぎてから結婚した人も少ないです、
通勤に40万のフェンディのバッグで行く人も、ほとんどいません。
だけれども、それは幸せかどうかといったら、
別です。

正社員なら幸せ?
結婚していたら幸せ?
フェンディの40万のバッグ持ってたら幸せで、しかも仕事ができるっていうわけ?

違うでしょう?
幸せの状態でいるために、そんな前提条件、いらないでしょう?

ちなみに、正社員ではなくても仕事はできます。
自営業がそうです。
もちろんそれが簡単とは言いませんが、
ブラック企業で自殺に追い込まれるより、はるかにましです。

それから、40歳過ぎてから結婚できる女性は少ないというのが統計でわかりますが、
恋愛に年齢は関係ありません。
40歳過ぎてようが、
45歳過ぎてようが、
その女性が男性に対して恋愛対象と思われるのだったら、
恋に落ちる男はたくさんいます。
(現実に知っていますとも。リサーチ済み。
実は、年齢も、どんな仕事かも、結婚しているかどうかも、関係ありません、男には)
結婚しているからって、恋愛状態ではないでしょう?
悲惨な夫婦はたくさんいるでしょう?

それからよく、
結婚していない女性に対して、さびしい老後で、一人で死ぬんだみたいなことを書いている人がいますが、
うちの両隣の70歳過ぎの女性お二人。
結婚していて、子供もいますが、今はともに一人暮らし。
子供なんて、滅多に遊びに来ませんよ。
(お正月だって、すぐ帰っちゃった)
夫婦一緒に死ぬわけじゃないんだから、
最終的には誰かが1人になるし、子供世帯と同居なんて、今や珍しいでしょう?

また日本だって、将来的には同性婚が認められるでしょう。
正式にではないかもしれないけれども、
一部、婚姻と同等の権利は認めざるを得ない状況になるはずです。
だったら、好きな女性同士、一緒に住めばいいという選択肢も出てきます。
ひとこともしゃべらない、もはや愛のかけらもない夫と暮らすより、
そのほうが断然楽しいに決まっています。

ちなみに、お隣の75歳のフラの先生をやっているご婦人、
シャネルのバッグもダイヤモンドも持っていましたが、
先日、売り払ってしまいました。
だって、そんなの持っていたって、別に幸せじゃないですもん。
売ったお金どうするのか聞いたら、
ハワイへの旅費にするんだそうです。
フラの先生ですから、これは勉強のためでもあるわけ。
まさに自己投資です。

そしてこのお隣の75歳のご婦人、
夫に20年前に先立たれ、
子供や孫は家に滅多に遊びに来ませんが、
75歳でまだフラを教えていて、
その収入があります。
これは社会が示すロールモデルとは全く違いますが、
すごく幸せなことだと思います。

つまり、社会の示すロールモデルを実現したとしても、
必ずしも幸せではない、ということ、
幸せのためにどうしたらいいかということは、
個々それぞれ違うということです。

けれども、それに対する答えはどこにも書いてありません。
それは自分で見つけるしかありません。
なぜなら、自分がどうすれば幸せなのかは自分しかわからないから。

40歳過ぎても、
50歳過ぎても、恋する女でいたいなら、それでいいじゃないですか。
だったら、そのために何が必要なのか考える。
60過ぎてもなお、好きな仕事で収入を得たいならどうしたらいいか、
自分で考える。

その方法は日本の学校では教えてくれません。
親も知らない。
マスコミなんて、もってのほか。
とにかく自分で考える、考える、考え抜く。

そうしたら、そこに幸せはあります。
他人には理解できないかもしれないけれども、
他人からは、
「あの人、ひとりでかわいそうね」と、言われるかもしれないけれども、
そんなこと言われたって、
自分の幸せは減りもしなければ、奪われもしません。
何よりそういうことを言う他人も、社会も、そして親も、学校の先生も、
あなたの幸せに責任を持つこともなければ、
そのとおりにして失敗したって、つぐなってはくれません。

その道はあります。
公道じゃないけれども、あります。
そのために必要なのはとにかく自分で考えることです。

☆おしゃれブログアップしました。こちら。 きのうの夜から訂正、加筆してあります。どうぞ。

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2016年1月5日火曜日

面倒くさいのはお好き?

冬なので、お出かけのときはブーツです。
しかも、ロングで、ニーハイです。
脱いだり、はいたりするのがたいそう面倒です。
自分の家は靴の脱ぎはき用の椅子が設置してあるから問題ありませんが、
誰かのお宅へ上がるときは難儀です。
それでも、ニーハイのブーツをはいていき、
ほかの人より脱いだりはいだりするのに時間がかかっています。

大体、おしゃれなどというものは面倒くさいのです。

モノづくりをする人は、
好き好んで、みずからその面倒くさいをやります。
服作りしかり、お菓子作りしかり、
その他、作るということはほぼみんな、面倒なのです。
これはなんでも簡単、早いがいいという方向性とは、
全く逆です。

もちろん私も面倒くさいのものを好んで選びます。
普通のものなんか、選びません。
それが私の人生に対する態度です。

しかし一方で、
簡単、早いを志向する方たちもいます。
私も何回も、
「それは大変ですね」
「それは面倒ですね」
「それは難しい」と、
言われました。
だって、おしゃれについて教えているのですから、
そりゃそうです。
おしゃれとは、面倒なのですから。

だからといって、
そんな方々を批難するつもりはありません。
それはそれでいいと思います。
お互い好きでやっているのですから、
私とすれば、
「好きにすれば」ということです。

どちらかです。
おしゃれのために面倒くさいを選ぶか、
または、おしゃれなど、もうどうでもいいか。
これもまた人生の選択です。

きのうの続きではありますが、
簡単、早いがいいのでLINEで連絡をとるのか、
なんでも電子レンジで調理するのか。
全部、それは選択です。

ただし、その結果は自分で受け入れなければなりません。
簡単、早い、だから、おいしくなかったなら、
それはその人の選択の結果。
自分の選択に責任はついてまわります。

ちなみに、
難しく、面倒くさく、時間をかけても、
うまくいかないこと、
おいしくないことはあります。
私はそれを知っていますし、受け入れます。
努力した分だけ見返りがある、なんてこともありません。

それでも、私は面倒なほうを選ぶ。
なんでかって?
そのほうが楽しいから。
面倒くさいっていうのはね、
楽しいんです。
(それは、難攻不落なゲームに興じるのに似ていますわね)

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2016年1月4日月曜日

長く付き合うもの

きのうふと、
自分が毎日座っているイ―ムスのアーロンチェアを買ったのが、
15年以上前であるということに気づきました。
検索してもらえればわかりますが、
アーロンチェアは高いです。
私が買ったときは12万円ぐらいでした。

15年以上前から、
ほぼ毎日使っているのですから、
この12万円は高くないです。
むしろ、毎日使うもの、
長く付き合うものは、それだけのお金をかけて買ったほうがいいです。

もちろん、高ければいいというものではなくて、
それを買うまでに、
どういったものがいいのか時間をかけて考えて、
リサーチして、
比較検討した結果、
それなりの対価を払って手に入れるべきです。

長く付き合うものというのは、モノだけではなくて、
例えば仕事もそうです。
長く続けたいのなら、
それに対するエネルギーや時間の投下が必要になります。

人もそうではないでしょうか。
長く付き合う人、
例えば、結婚相手などは、そんなに簡単には決定しないでしょう。
それなりに時間とお金と労力をかけたもの、
だからこそ価値も高いし、
長く付き合える、というものです。

結局、そこを適当にしてしまうと、
扱いが粗雑になるのです。
この椅子がもし10分の1の価格だったら、
今ごろ買いかえているでしょう。

でもあのとき私は、
毎日快適であること、
腰痛にならないこと、
長く付き合うこと、
デザインが美しいこと、
毎日、見ていて飽きないことなど、
すべて考慮して、最終的に手に入れたのでした。

考えた時間、
リサーチした時間、
比較検討した時間、
探す労力、
そして最後にかかったお金、
これらは膨大です。
だけれども、
だからこそ、この椅子とは長く付き合ってきたし、
今後も付き合っていけます。

簡単に手に入れたものを、
人は大事に扱わない。
それはモノも、人も同じこと。

フェイスブックの簡単なつながりが、
何かとても不快なのは、
そこに粗雑さ、イージーさが見えるから。
大切な人であればあるほど、
フェイスブックなどでつながりたくはありません。

それは簡単、安い、
そして、早く捨てられるものだからです。

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2016年1月3日日曜日

読んだだけでは身につかないわけ

お料理の本でも、何かのその他のテクニックの本でも、
読んだだけではなかなか身につきません。
読む、理解する、実践する、
そして初めて身につきます。

私のファッション・ブログのほうに、
かなりのことを書いていますが、
読みましたとおっしゃっていらした方に、
例えば3色ルールのコーディネイトを、洋服の実物を使って説明すると、
「やっとわかった」というふうにおっしゃいます。
それまで、読んで、理屈はわかっていても、
実際に理解はしていなかった、ということです。

これだけたくさんの料理本が出版され、
ネット上ではたくさんのレシピが公開されているにもかかわらず、
料理上手がふえたという話は聞こえてきません。

それについてはいろいろなことが言われています。
いわく、
「習熟度は払った額に比例する」
まあ、それも一理あるとは思います。
でも、そうなると、図書館の完全否定になります。
図書館の本は、無料で読みましたが、
理解しなかった、
ということではない。
また、ヨーロッパの大学の多くは授業料が無料ですが、
だからといって、学生に全く知識や教養が身につかなかったわけではないです。
逆に、高い授業料を払っても、全然身についていない人たちもいます。
学校出たのに、それについてやらないとか・・・

原因は払った額ではなく、
文章のインプットと、
実践とのあいだの距離だと、私は思います。
つまり、文章上での理解と、実践との架け橋がないのです。
そこには橋がかかっていないので、
アウトプットできない人が多いのです。

例えば、本を読んだだけでは自動車は運転できないでしょう。
それを埋めるのが自動車教習所です。
どんなにたくさんの料理本を読んだところで、
優れた料理人にはなれないでしょう。
それを埋めるのが料理学校です。

だから、どんなに私がファッションの知識を無料で提供したところ、
別におしゃれな人がふえたわけではありません。
そうでしょ?

私自身も振り返ってみて、
料理、特にお菓子作りがうまくできるようになったと感じたのは、
コルドン・ブルーの日曜日のお菓子コースで、
毎週、お菓子作りをちゃんと先生にならってから。
料理本はたくさん読んでいたけれども、
それまではなかなかうまくできませんでした。
そういうものなんです。

平面の知識を立体化するためには、
その間に架け橋が必要で、
それは、文章を読んだだけでは築けない。
別に、無料の文章の価値がないわけではないです。

実際に習った人たちは、
架け橋ができるので、
理解が立体化します。

これはその他のどんな分野にでも言えること、
料理だろうが、編み物だろうが、同じ。

架け橋を誰かに作ってもらいにいくか、
または、何年もかけて自分で実践しながら作り続けるか、
どちらかだと思います。


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1月1日から3日まで、メールの返信はお休みいたします。


2016年1月2日土曜日

そんなのモデルにしてもしょうがないの。

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1990年代、OECD加盟国34カ国中、日本のGDPは3位まで上昇しました。
そのちょうど同じころ、
表参道あたりでは、
そのシーズンにランウェイで発表されたばかりのスタイルを、
20代、30代の男女が着て、実際に歩いていました。
ただ、そういった、いわゆるパリ・コレクションで発表されるようなものを
そのまま着るのは、
いわゆる「モード」が好きなアパレル関係者や、ファッション学校の学生がメインで、
その他、一般の人たちは、さほどそれらに興味はしめしていませんでした。
ただ、そのころから、バッグだけはヴィトンを持っていましたが。

先日、発表されたOECD加盟国中の日本の一人あたりのGDPは27位です。
それなのに、です。
ファッション誌は、あのころ以上に、ハイブランドの商品や「セレブ」であふれています。
もはや、経済大国などとは、口が滑っても言えないのに。

同じ1990年代、
派遣社員というのは、ごく一部でした。
アパレル業界でさえ、そんな人を見たことはありませんでした。
大体、構成員は学生のアルバイト、または正社員です。
しかし、今や女性の非正規社員は6割を超えます。

女性の初婚年齢、離婚率、独身者の占める割合も90年代より上がっています。
だけれども、社会が示すロールモデルが、
いまだに、経済大国だったころの日本と変わりません。
もうそんなモデルになれるような立場の人、ほとんどいないのに。

もう既に正社員の席がないのです。
最初から椅子が用意されていないのです。
50歳で結婚していない男性は2割です。
5分の1は結婚しないという決断です。(理由はともあれ)
正社員もないの、結婚するつもりの男も減ったの、離婚もふえたの。

この社会が提示するロールモデルとのギャップが、不安を生みます。
不安なので、それを解消するために「女子力アップ」に励んだり、
コンカツパーティーに出たり、何かを一生懸命買ったり、
リア充をフェイスブックにアピールしたりします。
(企業はものやサービスを売りたいから、不安をあおるんだよ)

でも、もともとそんなモデルにはなれないのです、ほとんどの人が。
ファッション誌に出てくる、クリスマスに自分へのご褒美として、
100万以上もするようなジュエリーや時計を買える正社員の女性なんて、
ほとんど日本にはいないのです。
だって、そういう構造じゃないから。そういうシステムじゃないから。

外国に住んでみれば、
このギャップが見えてくるでしょうが、
内部にいて、日々そんな情報にばかり接していると、
なかなかそれに気づけません。

これは見えない大きな檻であり、鎖です。
この理想のイメージに縛られている限り、
ほとんどの人が幸せを感じることはできません。

今年も引き続き、社会構造の変化が進みます。
安泰だと思われていた企業の倒産、リストラもあるでしょう。

まずは自分の中の価値観を変えて、
ひとりひとりが自分の頭で、
他人とは比べない、自分なりの幸せについて考えていくことが大事だと思います。

最後に注意が。
「人生の目標は悟りを開くこと」などと言って、
そのほかの地球の生活がおろそかになり、
グラウンディングが全くできていない状態の人が、ときどきですが、います。
悟りを開くことが悪いとは言いませんが、
そんなのは、地球での生活がきちんとできるようになった後の人が言うことです。
「地球を癒したい」も同様。
地球を癒す前に自分を癒してください。
(その前に、選挙へ行きなさいよ。そんなこともできないで、地球なんて癒せませんから)

ぼけっとなんにも考えないで生きていても、
なんとかなる時代はもう終わったし、また当分の間、来ません。
次の時代を見据えて準備をしましょう。
今年もまだ、激動が続きます。

関係ないけど、当時と大学の学費も全然違う。
私、今でも覚えているんだけど、私が行った大学の学費、年間36万だったの。
「月3万でこれだけ授業受けられるなんて、安いよね」って言ったのを、
いまでも覚えています。

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2016年1月1日金曜日

それぞれの花を咲かせましょう。

先日のシェア会でも、
その他のクライアントさんの話を聞いても、
わかるのは、
それぞれの目指すところは全く違う、
ということです。

これが例えば二十歳ぐらいだったとしたらどうでしょう。
そのころ目標は、
就職して、または経済的に自立して、
何歳ぐらいまに結婚して、
子供ができて、
などとなるでしょう。

またその後でも、
ごく普通の社会の感覚や常識、情報などの中で暮らしていたら、
子供が大きくなったら、
再就職して、
家のローンはいつまでに完済して、
などとなるかもしれません。

それらは誰でもなんとなくわかる。
なんとなくわかるので、
マーケッティングの対象になる。

けれども、それぞれの目指すところ、目的、目標が全く違ってしまったら、
それはその人に話を聞いてみなければわからないし、
ましてやマーケッティングの対象など、なり得ません。

ガーデナーならよく知っていますが、
バラと百合とデルフィニウムは同じように育たない。
バラは樹で、ユリは球根植物で、デルフィニウムは宿根草です。
植える時期、
育てる場所、
育て方、
咲く花の時期、
そしてもちろん咲く花の形、色、香り、すべて違います。

私たちは、多様性の世界に生きていて、
それは自然を見ればわかること。
同じ花を咲かせようだなんて、目指すほうがおかしい。

ファッションも、
アストロロジーも、
そしてキネシオロジーによるヒーリングも、
究極、それを目指しています。
見れば見るほどわかる。
みんな、それぞれその花は違うのだよ、と。

今年、日本社会はまだまだ女性に対して厳しい時期が続くだろうと思います。
だけれども、そのときに、
今の社会が強く提示する「美しい花」という
価値観からそっと抜けて、
自分の花を咲かせることを目指すのなら、
そこには新しい世界、社会が待っています。

お金や時間の使い方、
学ぶべきこと、
楽しいと感じること、
全部、変わってくるでしょう。
それに気づいた人たちから、抜けることができます。

バラがユリのような花を咲かせたいと望むなら、
自然界は全力でもって、反対し、枯らせようとしますが、
バラがバラのような花を咲かせようとコミットメントするなら、
全力で応援してくれます。
そのとき、バラはバラの顔になる。

今年も、自分という花を咲かせつつ、
それぞれの人が、それぞれの花を咲かせることができるよう、
お手伝いできるような仕事をしていきたいと思っています。

コンクリートの壁を抜け出して、秘密の花園へ行こう。
自分と、そしてほかの人の花を楽しみましょう。


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