2015年12月31日木曜日

自分100パーセント

先日、
小林さんは、ファッションやって、美術鑑賞会やって、キネシオロジーやって、
占星術もやって、
1人でいろいろやって珍しいですね、という感想をいただきました。
自分ではなんも不思議に思ってはいないのですが、
他から見ればそうかもしれません。
(そのほか毎日、文章を書いて、
コンフィチュールのレシピも提供しました)

で、私もなんでやっているのかなと考えたとき、
この「自分100パーセント」という言葉を思い出しました。

これは、私がインテグレート・ヒーリングの講習に通っているとき、
実習になるといつも使っていた目標の言葉です。
自分100パーセントの能力を発揮する、
自分100パーセントを経験する、
いつもそんな言葉で目標を作っていました。
今、その目標どおりのことをやっています、
もちろん自分で。

こうやっていろいろなことに興味を持って、
勉強したり、習ったり、実行したりすることを揶揄する人も、
昔はいました。
「器用貧乏」とか言われたし。
でもあれをやっていなかったら、今の私はありません。

しかも、まだ在庫はあるのです。
来年は、そのうちの1つ、シェイクスピア関連を取り出して、
イベントをやる計画がもう既に1つあります。
(久々に舞台に立ちます!芝居じゃないけど・・・)
あともうひとつのプロジェクトにも着手する予定。
できることは次々にやっていきます。

自分100パーセントを経験のほうは、
こちらは向こうからやってくるものもあるので、
私の予定としては未定。
ですから、
「隣の席はあけておく。スケジュールは全部埋めない」で、
来年もいきます。
そうすれば、入ってくるものを経験することができます。

これだけやっても、別に忙しくもありません。
私はアパレルのときの長時間労働にほとほと懲りているので、
やり過ぎということを自分に強いることはしません。

思えば、3年前、4年前とは全然違います。
あのころ、想像できなかったことを今、やっています。
自分100パーセントとか言いながら、
その詳細については、自分もよくわかってはいなかったけれども、
結局、そうなっています。
来年も、私の知らないことが、きっと実現していくことでしょう。

さて、今年、セッションやイベントにいらしてくれた皆様、
そして、文章を読んでくださった皆様、
その他、かかわってくださった皆様、本当にありがとうございました。
地球というのは、関係性の惑星なので、
一人では何もできないのです。
私が自分100パーセントを実現できるのも、
私以外の他人がいるからです。
参加してくれる人、読んでくれる人、場所を提供してくれる人、作ってくれる人、
それがあって、自分100パーセントが実現できました。
本当にどうもありがとう。

来年も私の残りの部分を展開していきます。
引き続き、お付き合い願えればと思っています。

(ブログは明日もアップします。正月休みは関係なしです)


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本日中にいただいたメールは返信いたします。1月1日から3日まで、メールの返信はお休みいたします。






2015年12月29日火曜日

「大きなつづら」をとりにいった方々

舌切り雀という昔話がありますね。
強欲なおばあさんは、大きなつづらを雀たちから無理矢理とってきて、
そのつづらの中からは魑魅魍魎が出てくる、
というお話です。
強欲と引き換えに魑魅魍魎です。

今年、4人のクライアントさんから、
似たような話を聞きました。
その方たちは、
「大きなつづら」を欲、または努力したくない、楽したい、
という理由で、自分からとりに行ってしまった方たちです。

けっこうな「魑魅魍魎」です。
お金を奪われそうになったり、
だまされそうになったり、
そして最後、極めつけの方は、魂を持っていかれていました。

でも皆さん、自分から行っちゃったんです。
いろいろな警告やサインを無視して。

ただ、皆さん、すんでのところで魑魅魍魎から逃れられました。

「変容」する前に、
自分と向き合う必要性が出てきます。
自分が無視してきたこと、
隠してきたこと、
否定してきたこと、などなど。
それは人それぞれなので、どのように出るかはわかりませんが、
この欲、努力したくない、楽したいという自分の面を持っていた人たちのパターンが、
一番すさまじいようです。

特にこの3つがそろってしまうと、
すさまじいです。
悪魔に魂さえ渡しかねません。

努力しないで、
楽していい思いをしようとしても、
そんなのはないんです。
バレエを練習していないのにバレリーナにはなれないし、
ピアノを練習していないのにピアニストにはなれないし、
食べているだけの人が料理人にはなれないんです。
努力しないで何か得ようとするのは、
強欲の1つのバージョンなんです。

しなかったらしないなりで、
別に何ににもなれないし、
そこに欲まで入ってきたら、
転落です。

舌切り雀のほかにも、
似たような昔話や童話はあると思います。
昔からみんな、知っています。
現代の人たちは、忘れてしまったのかな。

ちょっと怖い経験談を聞いた年末でした。

追記:なんかこんなこと書くと、すごく怖そうですけど、ほかはこんな怖いことは起こってません。大丈夫です。

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2015年12月27日日曜日

それでも人生は選べる。

例えば、ある人が、
そこへ行ったら絶対にだまされる、
またはとても危険な目に遭うというところへ、
自分の意志で行こうとします。
なぜ自分の意志かといえば、
メリットがあると考えたから、
または魅力的と思えたからです。

大体そういうときは、
そちらへ行くと危ないというサインがそこかしこに出ています。
誰かの忠告だったり、
または自分自身の具合の悪さだったり、
経済状況の悪化だったり。

それでも、その人は、
他人の忠告を振り切って、
そこへ行こうとします。
それでもなお、メリットがあると考えるからです。

その場合、
それはその人の自由意志です。
失敗や、
危険な目に遭うことや、
崩壊さえも、その人は選べます。
その人には、崩壊の危機を体験する権利さえもあるのです。

もしかして、その人はそこまで行ってみなければ、
わからないのかもしれません。
痛い目に遭ってみないと、気づかないのかもしれません。

優しい忠告を振り切ったのはその人です。
その人は、振り切ったその結果を経験することになります。

キネシオロジーで確認すると、
その人の意識は、そんなことは望んでいません。
誰かの忠告も、
体の不調も、
経済状況の悪化も、
その人の意識がサインとして起こしてくれていることです。

皮肉なことに、
裏切られたのは自分の魂です。
振り切ったのは、自分の本当の声です。

裏切られた魂は、こう言います。
そんなに行きたいのなら、
地獄の果てまで見てくれば?
私はもう何も言わない。

地獄の果てまで行くことさえ、自分で選べます。
それを誰も止めはしないのです。
行きたいのなら、どうぞ行ってくださいませ。
ええ、
私も、
とめません。

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2015年12月20日日曜日

あきらめること、あきらめないこと

基本的に赤字になることはやりたくないので、
どう考えても採算がとれない、
またはそれだけの額を趣味として出したくないという場合、
あきらめることが多いです。

今、来年やるイベントが少し決まっていて、
それに付随して、ちょっと新しい取り組みをしようかな、
どうしようかなと考えていたのですが、
それには道具が必要で、
しかも何十万もかかるようなもので、
仕事になるとは考えにくいし、
やっぱりあきらめたと思ったのがおととい。

それがきのうになって、
あっさりそのお道具が借りられるとわかって、
やはりそのプロジェクトを進めることにしました。
道具貸してくれるって言うんだから、
そのままやりなさいってことです。

何かうまくいっているときというのは、
自分があきらめたとしても、
つまり、それについて考えていなくても、
あきらめなくてもいい状況がやってくるし、
逆に絶対やりたいと思っても、
だめなものはだめというサインがちゃんとくる。
それは誰かにだまされたりという場合もあります。

ただ、そのプロジェクトを引き受けると決意した場合、
それなりの努力は必要で、
準備、練習することになります。

プロになるには1万時間を費やすことが必要とは、
よく言われることです。
1日8時間で丸3年分。
私はそのことに関して、どれぐらい費やしてきたかな。
最初にやったのは高校のときで、
ことあるごとにやってきたから、
もしかしてもう既にトータルでは1万時間は取り組んだかもしれないです。
だからといって、それでお金をもらうつもりはありませんが・・・

とにかく、
あきらめるべきものはあきらめ、
あきらめなくていいものはあきらめない、
その線引きがはっきりしてきました。

あきらめないでいいもの、
まだあるのかな。
あるかもしれないです。
来年は、そんなものに取り組みたいと思っています。


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2015年12月19日土曜日

「夢見つつ深く植えよ」

『夢見つつ深く植えよ』は、メイ・サートンのエッセイの題名で、
数年前に読みました。
そのとき、図書館にあるメイ・サートン全部読んだので、
この本に何が書いてあったか、はっきり覚えていません。
ただ、思ったのは、
ああ、人というのは年をとっても、
まだそんなこと、こんなことで悩むのか、
終わらないのか、というようなことでした。

さてきのう時間ができたので、
庭のチューリップの球根植え、300球弱と、
花苗60ポットの植えこみの後半戦を終了させました。
「夢見つつ深く植えよ」などと、
考えつつ。

しかし、でき上がって庭を見渡してみると、
全然足りない。
球根に関しては、
もとから植わっているスイセンがたぶん1000球ぐらいはあると思うから、
もういいとしても、
花苗が足りません。
もう倍は欲しいところ。

園芸家は、自分が植えたり、まいたりしなければ、
結果を見ることはないということを知っています。
当たり前です。
自分の家の庭に、
誰かが美しい花の苗を植えてくれることなどありません。
少ししか植えないのなら、
少しの花です。
自分以外の誰かに期待などしないし、
春になったら、どうなるかもわかっている。
だから種をまき、苗を植えます。

たくさんの花が見たいのなら、
たくさん植えなければならないということ。
そのために時間と労力とお金を惜しまないこと。

天体はまいた種、植えられた苗を応援します。
種もまいていない、
苗も植えていないのなら、
ジュピターの恩恵などありません。
月の満ち欠けと種まきの時期を結び付けたのはシュタイナーです。

園芸家はそれを知っています。
ジュピターの恩恵を受けたかったのならまきなさい、植えなさいと。
そしてそれでも、プルートの力で枯れるものもありますよと。

とにかく足りないので、
あと40ポットは買ってこないとなあ。
幸いにも、私が買いに行くのは近所の花苗農家が直売している販売所なので、
20ポット1000円です。
パンジー、ビオラ、葉ボタン、ストック、金魚草、各種ハーブがそろいます。
(おしゃれ苗屋さんでは、こうはいかない)

今年は暖冬で、まだバラとラベンダーが咲いています。
いつ剪定しようか、
考えどころです。

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☆12月27日(日)のIH体験シェア会ですが、月曜日にパンの予約に行きます。できれば、月曜日の朝までに参加希望の方はご連絡ください。締め切りはもう少し後にしますが、月曜日以降は若干名しか増やせませんので、よろしくお願いいたします。




2015年12月18日金曜日

幸せの状態にいること

ここ最近の幸せ感が半端ないです。
でもこれが何かを得たからでは、
全くないのです。
そしてこれは長い時間かけて、自分と向き合って、
自己ヒーリングしてきた結果です。

私は多くの人が思う幸せの条件に必須なものは、持っていません。
大金持ちでもないし、
社会的地位もないし、
幸せな結婚をしている、とかでもないですし、
たくさん服やバッグも持ってないですし、
車もないですしとか、
いろいろないものだらけです。

ものも人もすべて失われる。
それを幸せの基準にしているかぎり、
それははかないです。
手放したくないので執着が生まれます。
その幸せは、恐怖に裏打ちされます。

けれども、何かを持っていることに依存する幸せでなければ、
恐怖はついてきません。
失いようも、奪いようもないもの。
それが一番最強です。

失う恐怖がないって、すばらしい。
そしてそれこそが、
もっともなりたかったもの。

毎日の日常に嫌な出来事が何も起こらないわけではありません。
それは何かしらあります。
けれども、それはすべて通り過ぎます。
一瞬、感情は動くけれども、
でもそれは奪えない。
なぜなら、私の幸せは奪えないものに依拠しているから。

生存権がおびやかされない限り、
この幸せは続きます。

この社会は、
幸せとは何かを得るものだと、
ずっとアナウンスし続けるけれども、
そんなことはないって、
今ならわかる。
そして、その間違った前提があるから、
なかなか幸せになれないのだとも気づきました。

仏教はこれを「サマディ(三昧)」と呼んだ。
それは何をしていても、
誰かといてもいなくても、
アクセスできる幸せの感覚です。

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2015年12月17日木曜日

来年も予算を立てて

円安傾向によりインポートブランドのバッグ、靴、小物、アパレルは値上がりし、
そして、来年は消費税10パーセントが予定されています。
(まだどうなるかわからないけれど)
収入がふえないならば、
被服費に関して、同じように使っていたのでは、
この値上がりにそれぞれの財政は追いつきません。

しつこくしつこく書いているけれど、
まだまだ皆さん、たくさん買っていらっしゃいます。
もう目を覚まそうよ。

雑誌の世界は幻。
あれだけ服や小物、バッグにお金を使える女性はごく一部。

収入がある人は使ってもいいと、私も思います。
だけれども、ないのに使うのはおかしいです。

消費税が上がって、
自分の収入が変わらないなら、
被服費はその分、減らさなければ。

減らすのは全然難しくないです。
自分で自分を見直せばいいだけです。
(減らし方がわからない人は、習えばいいんです)

この前、おしゃれブログに書いた、
印象コントロールの失敗例を参考に、
必要なワードローブを見直し、
それと同時に、
買い物によって、感情を満たすような自分自身を認識すること。

販売員さんの言いなりに、定価で何枚も買い続けて、
めちゃくちゃなワードローブ構成になってしまった人を
何人か拝見しましたが、
それは、買うという行為、
そして、そこで得られる満足感のための、
一種の買い物中毒です。
使った額も半端ない。
でもそこで残ったのは、おしゃれと呼ぶにはほど遠いワードローブ、
そして「着るものがない」状態だったでしょう?

コントロールされる側ではなくて、
コントロールする側にならなくてはなりません。

まだまだ無駄が多いです。

というわけで、来年度も被服費の予算をきっちり立てて、
計画的にお金を使いましょう。
再び書きますけど、
目安は可処分所得の1割です。

なんで何度もこの話を書くかといえば、
私はすごい危機感を感じているから。
ファッション関連にお金を使って、
自分を育てることにお金を使わなかった結果、
崖っぷちを歩いている人たちを
実際に何人も見ているから。
結婚すれば安心というものでもない。
いつ離婚するかわからない。
それなのに無駄なお金の使い方をしていると、
その後、どうにもなりません。
できるところから変えていきましょう。



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2015年12月16日水曜日

本当の失敗ってなんだ

私は何かを企画するとき、
自腹を切るようなら、
つまり、赤字なら趣味、
利益が出るなら、それは仕事と呼んでいます。

とりあえず、今まで企画したことで、
赤字は出ていないので、それら全部、趣味にはなっていません。

最近、フィギュアスケートを見ていて、
そういえば、過去のオリンピックで荒川静香さんが金メダルをとったとき、
アパレルの友達と、部屋着とインナーの中間のウエアのブランドを作る企画をしていたんだ、
ということを思い出しました。
市場調査したり、
参考になる商品を買ってみたり、
1年ぐらいかけて雑誌の切り抜きを集めて、
半年かけてデザイン画をかいていました。
そして、では、私たちのサンプルを作りましょうということで、
デザイン画を友達に送った後、
彼女とは音信不通になったのでした。
メールも電話も無視された。(うん、たぶん、家に行けばよかった)

まあ、たいした出費ではないけれども、
いくらかお金がかかっていたので、
それは「仕事」とは呼べないものになりました。
けれども、現物用の生地を買ったりする前だったので、
それはそれでよかったし、
音信不通になるような人と仕事をするのは不可能だったと、
今では思います。

(そして、送ったデザイン画と参考資料のサンプルが、
約1年後に彼女から送られてきた。
その時添えられていた文言が「お元気ですか?」でした。
私はちょうどメニエールで寝込んでいたときだったので、
その「お元気ですか?」がたいそう効果的でしたよ)

さて、ではこれは失敗かといったら、
私はそうは思いません。
なぜなら本当の失敗とは、
何もやらないことだからです。
それは過ちかもしれないけれども、
失敗ではありません。

やったらやったなり、
学んだこともある、
次にどうしたらいいかもわかる、
何よりそれは経験となって、
その後の人生の糧となります。
そのために使った時間と労力は、
決して無駄ではないです。

何もやらないなら、
何も行動しないなら、
「失敗」という経験さえしないのだから、
それこそ本当の失敗です。
やろうと思ったけどやらなかった、
これも失敗です。

その失敗は、
その人しか知りません。
誰も何も言いません。
何もしないので、
その失敗は表面化しませんが、
きっとその人が死ぬ時、
その事実が胸に去来することでしょう。

今年を振り返ってみて、
いろいろ無駄なこともやったりしましたが、
それもやらないよりはまし。
しかも赤字にはなっていないので、
すべて私にとっては仕事。

来年も本当の失敗をしない年にしていきたいです。
それは私が何かやる、
行動すればいいだけのこと。
簡単です。

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2015年12月15日火曜日

高次な感情を指針にする

感情にも低次なものと、高次なものがあります。
発達していない、本能的な、
または単なる好き嫌いや、
損得に関連したものなどは低次の感情です。
わかりやすいのは、
ささいなことで切れやすい人の感情。
刹那的で、論理性がなく、おさえることができません。
これは感情の中では最も低い次元のものです。

一方、高次な感情は、
例えば芸術やその他の訓練、または日本でしたら、いわゆる「道」がつくような、
書道、茶道、柔道、剣道など、
そして各種スポーツなどによって養われます。
それをすることによって、
低い感情をそのまま表現するということは抑制されます。
その行為はすべて結果を左右するからです。

また訓練だけではなく、
各種の芸術鑑賞、音楽でも絵画でも文学、演劇でも構いませんが、
それらも感情を育てます。

昨今、特に教養とか藝術に関しては、
切り捨てられる傾向にあると感じます。
特に難解なもの、
高等なものは避けられます。
とにかく「わかりやすい」が最上のような考え方が
一部の人の中にあります。

だけれども、簡単な、わかりやすいものだけに接したのでは、
この高次な感情は育ちません。
ライトノベルだけ読んでいてもだめなんです。

難解なもの、高等なものは、
見る側の成熟を要求します。
ついてこないのなら、置いていきます。
ですから、見るほうも見る訓練をしなければいけません。
それは一朝一夕ではできないものです。
見る側でさえ、5年、10年の訓練が必要になります。

感情が高次になると、
それを指針にすることができます。
それについていくことが、運命とも言えます。

人々が「わくわくする」という言葉を使うとき、
低次のものと、高次のものの区別をつけていません。
同じ「わくわくする」でも、低次のものについていっても、
それでは運命は開けませんし、
成長はありません。
エゴイスティックな「わくわく」はたくさんあります。

感情は放っておいても、高次のものへと成長するわけではないです。
ですから、年をとっていても、
低次の感情に振り回されている人たちはたくさんいます。
(切れるお年寄りなどがいい例です)

「わくわくする」ものすべてがいいと考えるのは、
あまりに単純すぎます。

あと、これは私の考えですが、
高次の感情を育てた人は、あまり「わくわくする」と表現しないと思います。
それはちょっと「わくわく」とは違う。
高次の感情が感じるのは、
変容を伴うような、
高みへ登れるような、
もっと崇高なものだからです。

とにかくどんな方法でも構わないので、
感情を育てましょう。
茶道、華道、書道もいいですし、
お能や狂言を見るのもいい、
たくさんの芸術に触れるのも、
また自分で練習するのもいいです。
(もちろん、哲学の本を読みまくるのもいいです。難解なものをね)
街で見かける、切れたお年寄りのようにならないためにも、
何もしていない人は何かやっておいたほうがいいと思います。
それをしないと、物事の選択ができません。
そして、それをやった人との差が、どんどんついていきます。

追記:ファッションも同じです。高次な感情を育てていないと、高次なレベルのもののよさがわかりません。もちろん、それを選択することもできません。

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2015年12月14日月曜日

おしゃれジャージはくるのか?

今日はブラック・マンデーらしいので、皆さん、お仕事、忙しいかも?

ファッションにおけるスポーツ・ウエアの重要性は年々高まり、
この前のシーズンでクロエやボッテガヴェネタが、
ついにおしゃれジャージを発表しました。
現在でも、パーカーやスウェットパンツを日常着として着用することは定着しましたが、
次にきたのは、サイドにラインが入ったようないわゆるジャージです。

そういう私もここ最近、特に夏はスポーツ・ウエアをよく着ています。
アディダスとかプーマで、
ステラやチャラヤンのデザインのものがあれば、買っちゃいます。
住んでいるのが湘南エリアなので、
このゆるい格好でどこへでも行けます。
小田急江ノ島線と江ノ電は全く問題ありません。
(たぶん、都内も平気です)

で、このたびジャージです。
ジャージといって思い浮かべるのは、
ヤンキーの皆さんが、黒いジャージで、キティちゃんの絵がかいてあるつっかけをはいて、
コンビニ前でたむろしている姿です。
(うちの近所では見ませんが・・・)
そういう意味では、時代を先取りしていました。

さて、おしゃれジャージですが、
日本でも定着するでしょうか。
私が考えるに、ゆくゆくは定着するでしょうが、
本格的に誰もがやりだすのは、やはり4、5年先ではないかと思います。
それまでは、ごくごくおしゃれな人たちが、
クロエのジャージなんか着ちゃって、代官山の蔦谷書店へ行くぐらいではないでしょうか。
(なんかわからないけど、そういうイメージね)

内容的にはジャージなんで、
別にクロエやボッテガである必要はないんですが、
それをおしゃれに見せるためには、
スウェット・パンツをおしゃれに見せる方法と一緒です。
その他のもののグレードを高くする、
これに限ります。
だから、キティちゃんの絵のかいたつっかけはだめ。
だけれども、セリーヌの健康サンダルならいいわけ。

そんなもの持ってませんという人は、
例えばテーラードカラーのジャケットとあわせたり、
チェスターコートの下に着てみたり、
固いものをあわせるといいです。
そういうときは靴も普通のスニーカーではなく、
きれいなサンダルをはいたり、
レースアップの革靴にしたり、
ギャップを作っておくことです。
ジャージにパーカーだとスポーツの人なので、
そちらへはいかないこと。

私はどうしますかね。
もともとジャージはあんまり着ないからな。
そういえば、大学時代、スウェット・パンツで学校、行っちゃったことあります。
南武線と武蔵野線は平気でした。
でも、フリースよりは、今はジャージのほうがおしゃれな感じがします。
一般の人はクロエやなんやら買えないので、
アディダスやプーマあたりで試してみるといいと思います。
ヤンキーに間違われないように。


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2015年12月10日木曜日

もうすぐセールの時期ですが

いわゆる普通のセールというものに行かなくなって、
もう何年にもなります。
わざわざ今の時期、セールに行かなくても、
アウトレットなんかに行けば、
いつでも値引きされたものが売っているから、
決まった期間に、せっつかれるようにして買い物する必要が、
なくなりました。

うちでファッション・レッスンを受けた方々も、
もうセールには行っていないと思います。
そんなふうに買い物する必要がなくなったはずだから。
(皆さん、一様に、たくさん買わなくなったとおっしゃいます)

それにしても、
この「新しさ」に価値を置くファッションのシステムは、なんともやるせないです。
10月に店頭に並んで、1月に半額ということは、
その新しさというのはせいぜい3カ月か4カ月。
半分はこの値段だったかと思うと、
つくづく変なシステムだなと思います。

服は生鮮食品と違って腐るわけでもないし、
家電製品のように、常に新しく進化するわけでもない。
それなのに、3、4カ月たつと、もう価値は半分とみなされます。
作っている側にいる者とすると、
これがとてもむなしいです。
このむなしい世界から抜け出せてよかった。

そんな中、
グッチ・グループの会長が、
アレッサンドロ・ミケーレのコレクションは、当分の間、
セールに出さないと発表しました。
それでいいんです。
誰かもっと早くそう言えばよかった。

新しさに価値をもたせる、
時期がきたら半額で売るという
悪のシステムを考え出したのは、
西洋のファッション・システムでしょうが、
今、彼らだって、そのループから抜け出せなくて苦しんでいるはずです。
いつからこうなんでしょう?
戦後なのは確かだろうけれど・・・。

構築的なワードローブを計画して、
ファッション全体の仕組みを知って、
予算の範囲内でお買い物するならば、
わざわざセールで買う必要はなくなります。
あおられて買うことはないです。

とにかく、今年もセールには行きません。

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2015年12月9日水曜日

「若々しい人」とはどういうことなのか


では、「若々しさ」がある人ってどういうことなのか、
ということです。

肉体的な若々しさは、
運動や食べ物に大きく左右されるでしょう。
また、強い紫外線に長い間、さらされていたのでは、
肌が老化するということも、容易に理解できます。

では精神の若々しさとは?

これは私がやっているインテグレート・ヒーリング(キネシオロジー)の考え方でもあるのですが、
人にはさまざまなプログラムがインストールされていて、
それは一種、ウイルスのようなもので、
さまざまな不具合を人にもたらします。
そのインストールは、
家庭、学校、社会など、多くの場所で行われます。

ただ、そこまでだと、
今の時代に生きる人すべて同じです。
家庭においては、人それぞれ差がありますが、
学校や社会はそれほど変わりありません。

それなのに、
若々しい人と、そうでない人に分かれます。
パソコンになぞらえて言えば、
そのウイルスに感染して、
しかも起動させ、
そのプログラムを使ってしまうと、
若々しさは失われます。

何が起きるかというと、
被害妄想、
凝り固まった信念、
想像力の欠如、
狭い視野など、
です。

ウイルスに感染していたとしても、
起動させなかった人はそうはなりません。
また、ウイルスに気づいて途中で自分で消去した人も、
そうはなりません。

無自覚にそれをそのまま使い続け、
動かないパソコンで、
無理矢理に問題を解決しようとすると、
それは障害となってあらわれます。
それは肉体的、精神的、対人関係においてなど、
いろいろな場合があります。

時間がたてばたつほど、
その問題を解決するのは困難になります。
家の掃除や片付けも、
パソコンも、
これとよく似ています。
ただ、パソコンも家も新しくしてしまえばそれで解決ですが、
人間の場合、そう簡単には新しくなりません。

それと、これも私の観察からわかったことですが、
人間にはかなりの部分で自由意志が与えられています。
それは例えば才能を使わない自由意志、
運命を生きない自由意志です。
魂が用意した物語を完全に無視することさえ、認められています。

ウイルスに感染し、そのプログラムのまま生きることは、
魂の物語を生きることではありませんが、
人にはそうする自由意志があります。
どちらでも選んでよいのです。

若々しくあるか、
老けているか、
それも自由意志です。
逆に言えば、
人それぞれが選んだ結果です。
そのままでいいのなら、そのままですし、
気に入らなければ、選び直すことができます。

「運命」は、何もしないでそのままの人、つまり行動しない人のことを、
それでいいのねと、解釈します。


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2015年12月8日火曜日

ファッションは年齢で区切れない

実年齢は関係ない、
だけれども、差はあるお話の続きですが、
プラスマイナス10歳の差があるので、
何歳はどんなファッションというくくりはできないと、
私は思います。

だって、40歳の人でも、
30歳の感じの人と、50歳に見えてしまう人といるわけですから、
それを同じにはできません。

私がよく使う「大人」という言葉も、
その人にとっての「大人」という意味合いで、
実年齢が何歳というお話ではありません。

ハイブランドも、基本的に年齢設定はしていません。
プラダもグッチも、
うちのブランドは何歳ぐらいがターゲットだから、
みたいなことはやっていません。
しかし、
試着してみればわかりますが、
体型に関しては、それなりのものを彼らは要求してきます。
年齢は何歳でもいい、
けれどもそれなりに努力してね、
というのがハイブランドの側の態度。

確かに、
女性の場合、皆平等に出産できない年齢というのはあると思います。
それは純粋に生物的な問題なので、
さほど年齢差はないでしょう。
実年齢はそのときには有効です。
けれども、それ以外では、あまり関係ない、
と私は考えます。

何より、
あと何年残っているか、
それは個人差がすごくある。
100年生きる人の40歳と、
55年生きる人の40歳、
意味が違います。

モデルの山口小夜子さんがお亡くなりになって、
何年かたちますが、
あの方はまさに年齢を超えた方でした。
「山口さんも50歳を過ぎたのだからこういう服を着なさい」とは、
 誰も言わなかったはず。

精神、
肉体、
仕事、
ライフスタイル、
それらは実年齢とは関係ありません。

だから、私もファッションレッスンのときは、
年齢は聞いていません。
見たまま、
お話ししたままの印象で、
そのまま進めます。

いろいろな考え方があるかとは思いますが、
私は、
ファッションは年齢で区切れないと、
考えます。

☆「ファッション・レッスン」「インテグレート・ヒーリング(キネシオロジー)」等、各種セッションのお知らせはこちらです。





2015年12月7日月曜日

関係ない、だけど差はある


年齢は関係ないという話をきのう書きましたが、
私が観察して気づいたのは、
差はかなり大きい、ということです。

大体実年齢プラスマイナス10歳です。
つまり、40歳の人でも、50歳ぐらいの感覚の人もいれば、
30歳ぐらいの感じの人もいます。
その差は実に20歳。

また、老けて感じることの多くが、
やはりその人の精神性です。
ただ、面白いことに、精神性は顔にもあらわれるようで、
凝り固まっている人は、
例えば、眉間に深いしわが刻まれていたりします。
それはある意味、印です。
それは隠せなくなっています。

会話に柔軟性もないですし、
自分の主張や
要求ばかりする人も多いです。
彼女たちには独特の、無理矢理、自分の要求を押し通そうとするところがあって、
それがいわゆる「おばさんのずうずうしさ」なのかなとも思います。
そういう人は、
一様に、実年齢プラス10歳ぐらいの感じです。
だから30歳でも、40歳ぐらいの感じを受ける人もいます。

他人と比較するのではなく、
目指したらいいのは、
自分の年齢マイナス10歳の、
精神性の若さ、柔軟さ、しなやかさだと思います。
それは可能です。
だけれども、努力は必要です。

マイナス10歳の人たちは、
見た目も若いですし、コミュニケーション能力も高く、
ものすごく可能性を感じます。
魅力的なので、多くの人に好かれるでしょう。
そういう人たちは、
仕事も結婚も、年齢に関係なく、実現していくと思いますし、
実際、そうなっています。

他人を気にする、他人と比較するのではなく、
見るべきなのは自分です。
自分の実年齢に対して、自分はどれぐらいなのか、
それをいつも見ていけば、いいと思います。

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2015年12月6日日曜日

年齢は関係あるかな?

私が何年かにかけて、
クライアントさんを観察した実際のところ、
実年齢は、いろいろな面において、関係ありません。
実際の年齢よりずっと若く見える人もいれば、
実年齢よりずっと老けて見える人もいます。

ルックスだけではなく、
実年齢よりずっと若々しい精神の人もいれば、
実年齢よりずっと凝り固まった精神の人もいます。

導き出された答えは、
年齢は関係ない、です。

どうやら人はあるところから、
年齢を超えていきます。

年をとってもなお、
みずみずしく、
しなやかで、
やわらかく、
好奇心を失わない人もいるかと思えば、
まだ若いのに、
固く、
新しいものに興味を示さず、
閉じこもった感じの方もいます。

若ければいいものでもなく、
年とればわるいわけでもない。
何に依拠するかといえば、
完全に個人の問題。
個々人の差は激しいです。
その差は、すごいです。
その差は何を見ればわかるかといえば、
自分とそのまわりの現実です。
それを見ればわかるでしょう。

素敵な人は年をとっても素敵ですし、
そうでない人は、いくら若くても素敵ではありません。

だから素敵な人たちは、
年齢なんか恐れずに、
そのみずみずしさを維持し続けてれば、
本当に大丈夫です。
人生でも、ファッションでも、
何歳代はどうするなんてこと、
気にしなくても大丈夫です。

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2015年12月5日土曜日

ある程度の距離感が必要

キネシオロジーのセッションって、
究極、何をしているのかと言えば、
すべての「不幸」を生み出している思考、記憶、概念、信念の除去です。
ですからそれは掃除や片付けに非常によく似ています。
禅寺のような空間を作って、
そこに簡単に「幸せ」が入ってくるのを待つわけです。

しかし、禅寺でさえ、
毎日、掃除をします。
庭はきれいにほうきで掃きます。
以前、大学のゼミで禅寺合宿へ行きましたが、
まずやることは、お部屋の掃除でした。
私たちの目にはとてもきれいに見えるのに、
住職から見たら、そうではないらしいのです。

そんな、美しく、もののない禅寺でさえ、
毎日、掃除するのですから、
私たちの日常もそうでなくてはなりません。
ヒーリングが進んで、
かなりのごみが片付けられたとしても、
毎日、多量のごみが入ってきたのでは、
意味がありません。

今月も、小田急線の「ODAKYU HOME」という冊子がやってきました。
そしてまたしても、林真理子さんがとんでもないことを書いています。
「日本のレストラン」という題名の文章の中に、
こんな一節があります。
「「日本の女性は、ステータスはないけれどもパワーはあります」
そう答えたのも昔の話。現代の女性たちは、パワーはもちろんステータスもある。
努力して多くの女性たちが手に入れてきたものだ。
私はお喋りしながらおおいに飲む若い女性たちに、未来の管理職を見て頼もしく思うのである。」
(ODAKYU VOICE 2015年12月号 10ページより引用)

なんという現実認識。
これが日本の有名な作家の認識だとしたら、
どこをどう見たら、こんな考えになるのか、
理解不能です。

日本の女性のステータス、つまり地位は、
先進国の中でぶっちぎりの最低レベルです。
男女の収入格差もひどさも同様です。
女性管理職の割合の低さも、もはやお話にならない程度。
若い女性の多くが非正規雇用なのに、どうして彼女らが管理職になるのでしょうか?
はあ?
なんですか、これ?

ただ、純粋にこの文章を何気なく読んでしまった人たちは、
これを信じてしまう可能性があります。
けれども、この間違った日本の現実の事実認識を読んで、
頭に入れてしまったら、
これもまたしても思考の「ごみ」となるでしょう。

この文章は最後、こう結ばれます。
「日本は結構いい国ではなかろうか。」

うむ。
これは、もしかして、意図的な刷り込みのための文章なのかなと思います。
日本の女性の地位が低いなどということは、
誰にとっても常識レベル。
で、それを知っていて書いている。
そして、最後の結論に無理矢理持っていこうとしている。
彼女、誰からお金をもらってるんでしょう?
お金をもらうと、
どんな嘘でも書けるのでしょうか。
それとも、事実を歪曲して見る目が養われるのでしょうか。

ま、こんな感じで、
日々、要らないごみたちは、私たちの思考に侵入してきます。
しかも、それらいい人を装っているから始末に悪い。

親も学校も会社も、
「あなたの幸せを思って」という態度をとって、
私たちにある思考や信念、概念を植え付ける。
けれどもそれらすべて、
私たちを「幸せ」から遠ざける原因になっているのです。
せっかくセッションできれいにしても、
また同じように入れてはだめです。
そしてもし入ってきたのなら、
また掃除しなければなりません。
そう、あの禅寺のように。

たぶん、禅寺もそうだと思いますが、
こういったものから、ある程度の距離をとることは必要だと思います。
あ、これはごみだわ、
持ちかえってはいけないと瞬時に判断できるようになるまでは、
遠ざける必要があるでしょう。

ごみは、そこかしこにあります。
持ちかえらないように。

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2015年12月4日金曜日

猫が一瞬、痴呆に

この前の日曜日の朝のことでした。
たぶん、今年一番の寒さだったのだと思います。
うちの16歳の老猫のおとらの様子が何だか変なのです。
部屋の中を意味なくうろうろしています。
よく見ていると、
壁に突進していって、ぶつかったりしています。
明らかに変です。
名前を呼んでも返事をしません。
というか、わからないみたい・・・

観察していると、
それはどうやら猫の痴呆のようで、
名前もわからず、
喉もならさず、
今まですぐ逆ギレする凶暴猫ちゃんだったのに、
大人しくなり、
ご飯も食べず、水も飲まず、
部屋の中をただ歩きまわっています。

びっくりしちゃったけど、
日曜日はワークショップの日だったので、
とりあえず現場へ行って、
終わったらすぐ家に戻りました。
症状はそのままで、かわりなく、
もう年だから仕方ないかとあきらめましたが、
どうやら寒いようなので、
湯たんぽを作って、猫ハウスに入れてみたら、
その湯たんぽにかじりつくようにして、
おとらが眠りました。
どうやら寒くて、頭までおかしくなったみたい・・・

ああ、また今日から動物の介護か、
などと思いつつ、
けれども、どんな生き物でも死ぬのだから、
これぐらいですんでよかったと思い直し、
とにかく暖かさをキープしようということで、
猫用のアンカを猫ハウスに入れて、
その夜は寝たのでした。

次の日の朝、
いつもの猫の水置き場を見てみると、
盛大に飲み水が床にこぼれています。
ああ、これから、こういう日々が続くのだ・・・
と気落ちしたのですが、
おとらの様子はそんなに悪くなさそうで、
トイレに連れていったら、
ちゃんとおしっこができました。

ただ、何も食べていないようだったので、
(うちは常食はドライフードです)
ふだんはあげない、パウチのウエットのフードをあげてみたところ、
ぺろぺろ食べ始めました。
あら、もしかして、なんだかよくなっているのかしらということで、
その日は、ひたすら湯たんぽの入った猫ハウスで眠って終わり。

そしてその次の日。
おとらの名前を呼んでみると、返事ができるようになりました。
普通に起きてきて、
椅子の上に座ったりもします。
もしかして、治った?
なんか普通じゃない、これ?

というわけで今日に至りますが、
名前を呼んだら返事ができる、
喉をごろごろ鳴らす、
ご飯を食べる、
トイレも行ける、
水も飲めるということで、
おとらが痴呆から復活しました。
寒くて、一瞬、頭がおかしくなったみたいでした。

まあね、
死ぬことは、悪いことではないんですよね。
だって今から100年も生きたら、
そのほうが嫌ですから。
一緒にいるあいだだけは、
楽しく過ごしたい。

これは人間でも同じではないですか?
誰がいつ死ぬかわからない。
明日、会えなくなるかもしれない。
だとしたら、
多くのことを経験したほうがいい。

そんなこともあって、
「いつか」ばかり言う友達にメールするのはやめました。
「いつか」なんてない。

これから寒さが厳しくなっていくので、
引き続き、老猫には注意が必要です。

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2015年12月2日水曜日

女性性、男性性、ともに薄まっている

この2カ月ぐらい、
コンカツファッションや、コンカツのためのセッションにかかわっていたので、
勉強のために、
ほかの人が書いていることをいろいろ読みあさってみましたが、
ほぼ、皆さん、言っていることは同じでした。

私のところにも、
「結婚したい」というテーマでいらした方が過去に何人もいたので、
どういう人たちがそういうふうに言ってくるか、
自分なりに把握してはいましたけれども、
ほかの人の言っていることと、私の観察結果と、
見事に一致していました。
その辺については、
ネットで検索するとばんばん出てきますので、
興味のある方は、探してみるといいと思います。

で、結局のところ、
したいけれどもできない方々というのは、
多くの人が指摘していることができていないということで、
原因はそれだけです。

同様に、
結婚したものの、その後の夫婦関係がうまくいっていない理由も、
ほぼそれにつきます。

ほぼそれとは何かというと、
女性性を表現していない、です。
最大の問題は、「女性的」でないことです。

ファッションについては、
やはり考えるところがありまして、
今の日本は、「女性的」なファッションが隅に追いやられています。
ピンクハウスはなくなりました。
(そうそう、私もピンクハウスのジャンパー1枚、持っていたの。思い出した)

キネシオロジーでチェックすると、
簡単にその人が何パーセント女性性を発揮しているのかわかります。
今年、何人もの人をチェックしましたが、
100パーセント発揮している人は、いませんでした。
そして、何人もの方々に対して、
女性性復活のセッションをしました。

要するに、「色気」のない世の中なのです。
男性と女性はバランスをとりますから、
女性性が発揮されていないとき、
男性性も弱くなります。
女らしいがいなくなったら、
男らしいもいなくなります。
女らしさのない女性のお相手は男らしくない人です。
(このバランスが崩れると、カップルはうまくいきません)

この薄まった感じが急速に広がっていて、
それがまだ進行中な感じがします。

あらがっている勢力は、
残念ながら少数派です。

私も、うちにコミットメントしてセッションを受けにきてくれる方たちも少数派です。
少数派ですけれども、
みんな、頑張ろう。
薄まらないで、
濃く生きましょう。

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2015年12月1日火曜日

捨てるということの本当の意味

「片付け」も「シンプル」も、
何か捨てるということが目的の1つだと思います。
目指すところは禅寺のような空間。

ものを捨てるとき、
一緒に捨てるべきなのは、
「これがなくては生きていけない」という執着の心。
だから、捨てるとは、一種、仏教の教えと重なるところが多いです。
執着と煩悩を捨てるということ。

では、どんどん捨てていって、
どうするかというと、
入ってくるのを待つ、ということです。

どこから入ってくるか、
それは上からです。

アーチストは、さんざん練習なり訓練をして、
本番でからっぽの状態を作るようにします。
上からの啓示を待ち、
その啓示にこたえられる自分を作り上げるのです。
そのためには、身体が自動的に動かなければなりません。

同じことを生活全般に広げるために、
まずは捨てる。
なぜなら、それまで自分が持っていた執着と煩悩は、
いわば二流品だからです。
本当に最上なものは、
「上」からやってくる。
天使の階段をおりてくる。

「好き」という気持ちには、理由がない。
理屈で好きになるのなら、
もうそれは「好き」とは違います。
その理屈も理由もないものに、
自分を明け渡す。
その行為は、罪ではありません。

常にからっぽの状態を維持するのが重要です。
だから、入ってしまったら、
出さないといけない。

新しく買ったら、
古いものは捨てないといけません。
同様に、新しい考えが入ってくるなら、
古い思考や信念も捨てなければならない。

なんでそんなことをするのかと聞かれたら、
それが最上だから。
そしてたぶん、
この世で経験することができる、
最上の幸せだから。

最後まで詰めていなかった、キッチンの片付けを再開したら、
まだ、なんでこんなもの持っているんだろうというものがありました。
新しい段階になったら、
必ず古いものはいらないとわかる。

そして、
まだまだ古い感情や記憶、思考や信念が残っていて、
それが私の人生のある部分を停滞させていました。
それはこの前、セッションで取り除いた。

以前、このことは考え方としてはわかっていなかったけれども、
今は「それ」を生きているので、
実感としてわかります。

残りの人生、
できるだけ最上を経験したい。
そのためなら、
どこまでも捨てます。

そうだ。
シモーヌ・ヴェイユの言う「重力と恩寵」ってこのことだね。
どれだけ重力から離れ、
恩寵を受け取るか。
ああ、そうだな、きっと。

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