2015年1月30日金曜日

洋服の中の戦う要素

園芸研究家で、今は洋服のデザイナーもしている吉谷さんのブログを見たら、
洋服について「武器たる服」と表現したところ、
なぜ戦う必要があるのか?というコメントがきたという文章を読みました。

きっとコメントを書いた人にとって、
戦うことイコール悪いこと、もしくはネガティブなことなのでしょう。
または、戦わないで生きていきたいとお望みなのでしょう。
それは人それぞれなのでいいとして、
洋服には、少なからず戦う、もしくは守る要素があります。
なぜなら、現代の洋服は、軍服の影響を大きく受けているからです。

ざっとあげただけでも、
トレンチコート、
ダッフルコート、
Pコート、
モッズコート、
MA-1ジャケット、
N2-Bジャケット、
チノパンツ、
カーゴパンツ、
サファリジャケット、
などなど。
これ以外、私の知らないものもあると思いますし、
柄物としても、カモフラージュ柄は定着しました。
女性のロングブーツも軍服っぽい。
このどれかは、多くの女性のワードローブにあるものです。

これは2つの大戦以降の西洋服装史の流れだと思いますので、
私たちはここを避けては通れません。

トレンチコートなんて、日本語にすれば、塹壕用の外套です。
毎日、塹壕用の外套を着て街に出るのですから、
戦う気、まんまんです。

言葉だけではなくて、現実のそのアイテムが軍服由来です。
それでも嫌だと言うのなら、
それを徹底して避けるか、
洋服はやめるか。
しかし、着物にしたところ、武士だって着物を着ていますから、
同じと言えば同じです。

なぜそうなったのか、
歴史の中で考えてみるのも面白いと思います。
この鎧のような、特にコート、ジャケット類は、
都市生活者にとって、必要なものなのかもしれません。
それほどまでに、
都会は見えない銃弾(前にも書いたなあ)が飛び交っていて、
それから身を守るためにも、
軍服が必要であるという、
心理的な要素もあるのでは?

世界中でこれほどまでに広がった軍服由来の服。
20世紀、21世紀の集合的無意識は、
守る、戦うを服に求めているのかもしれません。

追記:今、いろいろ軍服由来を並べてみて、ロングブーツ以外は何も持っていないと気づきました。
今、カーゴパンツもないし。私、戦う気ないんだな・・・

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2015年1月29日木曜日

去年の大雪


去年、関東地方では数十年ぶりの大雪がありました。
藤沢市も、今まで経験したことがないような大雪でした。

実はあのとき、ブログには書きませんでしたが、
インテグレート・ヒーリングのマチルダのコースを受けるために、
10日ばかり、横浜まで通いました。
しかも、その10日のうちに、あの大雪の週末が2回とも含まれていました。

行きは何とかたどり着いても、
帰りの電車は止まり、
人によっては近所のホテルに泊まったり、
1時間のところ3時間もかかったりと、
大変なことになりました。
小田急江ノ島線も止まったのですが、
私は江ノ島線に乗り換える4駅前に、
なぜか思いついて、
途中の駅で降りて、バスを使って帰ることができました。
電車は止まっていましたが、バスは動いていたのです。

そしてまた次の日、雪でダイヤが乱れている電車を使って、横浜まで行きました。
講義が始まると、暖房は消され、外で雪が降っているにもかかわらず、
窓が開けられます。
窓の外の雪をながめながら、英語の講義を聴きます。
最初は通訳さんが訳す日本語を聞いていましたが、
途中から、その通訳の訳がかなり間違っていると気づいて、
英語を聞くように切り替えました。
(特に、否定形のところを、肯定のまま訳すので致命的)
鉛筆を持つ手がふるえます。
何かの修行のようです。
(私は、永平寺?と思いました)
理由は、マチルダが「暑い」からということでした。
雪が降っているのに暑いとは、普通の人ではありません。

身体の前と後ろにカイロをつけて、
コートを羽織り、ストールをぐるぐる巻きにして講義を受けました。
(帽子はやめておきました。ニット・キャップだったらよかったかも)

そんな日が10日も続きました。
そのうち、帰りの電車が止まるらしいと大騒ぎになったのは2日間。
さすがに普通の人ではない人が言うことは強烈で、
「ここ(この会場)に泊まればいいのよ」とおっしゃっていました。
(実際に、そんなことは許可されていません。
結局、電車が完全に止まって移動できなくなった人たちは、
スーパー銭湯に泊まったそうです)
私は動物が待っているから電車が動いているうちに帰ると言って、
最後の1時間の講義を出ないで帰りました。

駅からうちまでも、雪と風で倒れそうでしたし、
うちに戻ったら戻ったで、庭には1メートル50センチぐらいの雪の山ができていて、
玄関へ向かうアプローチがどこなのか、わからない状態でした。

そんなわけで、今年は雪に対して、慎重になっています。
基本的に、雪だったら中止です。
電車が止まるので、セッションもやめておきます。
私は誰かに対して、
大雪の中、這ってでも来いとか、
雪で帰れないのなら、ここに泊まればいいのよとは、
決して言えませんし、
自分がそうするのも嫌ですから。

☆プラダのメンズ、14/15春夏キャンペーンのビデオでイーサン・ホークがペンデュラム使ってますよ。何調べてるんだろ?


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2015年1月28日水曜日

自分の気分を維持するために

きのう、青色申告と確定申告の書類がうちへきました。
かれこれ15年近く、自分で申告をしていますが、
この書類がきてから提出する2月の終わりごろまで、
何ともゆううつで、いつも何かに縛られているような気がして、
心底楽しかったり、リラックスできたりしませんでした。
けれども、今年は違います。
この書類がきても、早くやっちゃおう、という気分になりました。

理由は、今年はクラウドの会計ソフトであるfreeeを導入していて、
そこに日々の売上、かかった経費は全部記入してきたので、
あとはまとめてくれた数値を記入し、
少しだけ自分で計算するだけだからです。
かかるお金は月々1000円ぐらい。
青色申告のソフトを買うのと変わらないので、こちらにしてみました。
これで、例年のように、2月末まで憂鬱にならなくてすみます。
そう考えると安いものです。
1年のうちの12分の1、嫌な気分で15年も過ごしてきたのですから。

何をストレスに感じるかという感受性は、人によって違います。
けれども、もし何か自分で自分に対してできることがあったら、
ストレスを軽減するために、それをするのは決して悪いことではないと思います。
私にとって、その大きな1つはテレビのニュースを見ないということでしたし、
ネットでも、決して気分が悪くなるような情報には接しないようにして、
安全なところだけぐるぐる回るようにしています。
(ただ、時たま、変なところにアクセスしてしまうことがありますが、
その際は急いで離れます)

そのほかにもできることはたくさんあるでしょう。
嫌な思いをしたお店には二度と行かないとか、
あからさまに人を無視するようなグループには近付かないとか、
ラインはやめるとか、
(もちろん私はラインなんてやりませんが、
いろいろなところでもめているという噂を聞きます。)

自分の気分を維持して、
生活の質を保つために、
わざわざ嫌な気分になるようなものから自分を遠ざけたり、
ほんの少しのお金で解決するのなら、プロに頼んだり、
まず、自分で気分が悪くならないようにするほうが、
気分が悪くなってから、その気分を戻すためにいろいろ努力するよりも、
ずっと少ない労力ですみます。
病気でもなんでもそうですが、なってからなおすのは、とても大変です。

自分を守ることは、悪いことではないです。
そのために、時には逃げることも必要です。
世間の一般論だけ聞いていたら、こちらの具合が悪くなります。

そんなわけで、今年は青色申告、確定申告の受け付け早々に、
書類を提出できそうです。

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2015年1月27日火曜日

雨の冬


関東地方の今年の冬は、雨が多い感じがします。
しかし、ということは、
雪にはなっていないということ。
(東北、その他の地方は雪が多いと思いますが)
寒いように感じますが、
雪にはならないということは、それほど寒くはないのかもしれません。

雨が多いので、
冬晴れの日も少ないです。
青空が少ないと、
何となく憂鬱になります。

立春が近付く頃になると、
そろそろ真冬の装いに飽きてきます。
特に、ダークな色合いだけではつらい感じがします。

暗くどんよりした冬空のときは、
せめて着るものの色だけでも、
どこか1つ明るい色を入れたいです。
インナーのニットでも、マフラーでもいいし、
小さい面積でもいいから、
何かしら明るい色を足したほうが、
見ているほうもほっとします。

私はどちらかというと、
他人の目とか、気にしないほうだけれども、
さすがにこう暗い日々が続くと、
色だけでも明るいものが見たいし、
見せたほうがいいなと感じます。

そういうわけで、
今年はどこかに黄色を入れています。
冬の黄色は、
太陽の光のかわりをして、
見ると、気持ちが安らぎます。

これを読んでいる皆さんも、
どこか明るい色を取り入れたらいいのでは、という、
今日は提案でした。

☆写真:黄色いニットを撮ってみた。

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2015年1月26日月曜日

「完成品」は何か物足りない

先週末から、
セッションで出てきた、
とある問題に取り組んでいます。
それについては、コースの中で出てきていないので、習っていません。
だけれども、それについて知る必要があるのですが、
まず、文献がない。
少なくとも、日本語では、ほぼない。
それでも、少ないものを拾い読みし、
そういうことがあるというのがわかったまではいいけれど、
本当に知りたいのは、
その調整の仕方です。
これは、はっきり言って、どこにも書いていません。

もしかして、24万円ぐらい出して、
何かの講習を受ければ、教えてくれるかもしれないのですが、
教えてくれる確約もない。
それに、その講習会が開催されるかどうかも、よくわからない。

本当に困ったのだけれども、
結局、
自分で実験してみて、
調整の仕方をいろいろ試してみる方法しかない、
という結論に達しました。
どこにも書いていない、
教えてくれるところもない、
だから、その方法を自分で開発です。

実は、事あるごとに、こういった問題に突き当たり、
これまでの数々のオリジナルの方法を開発(ってほどでもないけれど)してきました。
そのちょこちょこした技を使いながら、セッションをやります。
コースで習った「完成品」では物足りないからです。

でも、何かを最初に開発する人って、みんな、そうなんだろうと思います。
問題はわかる、
けれども、どこにも解決方法が書いていない、
では、どうしようか、
その繰り返し。
思いついたことを実験してみて、
効果があるかどうかチェックする。
そういうことでしか、何かを開発することはできません。

1つ何かの問題解決方法がわかって、ほっとして、
しばらくすると、すぐ次の問題が出てくる。
始めてしまったから、終わりがないです。

どんなものでも、
習ったことは決して完成品なんかではなく、
土台ではあるけれど、
そこから自分なりの創意工夫や、オリジナリティの開発が必要なんだと思います。

よくデパートの地下なんかで売っている、
出汁やら材料やらがセットになった鍋セット。
確かに、お鍋はできるけれども、
何か物足りない。
同様に、ファッションでも、
上から下までひとそろえのスタイルを同じブランドから全部買うというのは、
完成されてはいるけれども、何か物足りない。

その物足りなさで満足するかどうか、
の問題です。

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2015年1月25日日曜日

システムから抜け出して

例えば、アパレル業界というものは、
歴史的に、どこかから搾取して利益を得るというシステムの上に成り立っています。
だから、そのシステムの中に入ってしまうと、
いつでも搾取される側になる可能性が生まれます。
1つの組織から抜けて、お隣へ行けば、
もうそういう状態にはならないかというと、
そういうわけではなく、
そこから脱出するためには、
そのシステム内からの脱出が必要です。

システムから脱出したからには、
もう以前のような考え方、方法は通用しませんから、
それぞれの創意工夫や努力が必要になります。
それができない、もしくは嫌ならば、
システム内にとどまらなければなりません。

そのことに早い段階で気づけた人はラッキーです。
多くの人は、
お隣のシステムの中へ移動するだけです。
だからまた同じ問題が生じて、
次の移動先を探します。
けれども、システム内にいる限り、
起き続ける問題も同じです。

今、そこかしこで昔からの、(といっても、たかだか60年やそこら)
システムがほころび始めています。
今までとは違う方法論が必要です。

それは、しかし、今までなかったものですから、
まだほとんどの人が知らないものです。
ですから、それぞれがそれぞれのやり方で新しく構築していかなければならないでしょう。
仕事の形は変わります。
今まだ存在しない、名前もついていないような仕事なので、
あそこへ行って、入れてもらおうというわけにもいきません。

リスクを最小限におさえれば可能だと、
私は考えています。
具体的には固定費をかけないで、身軽である方法です。
固定的な店舗など持たないで、
展示会形式で、必要なときだけどこか借りればいいし、
ツアーのように、日本を縦断していってもいいです。

そのときに、今のようなピラミッド型の組織ではなく、
小さな個人を横につなぐ、フラットなネットワークに変わるでしょう。
誰かが誰かを支配するやり方ではなく、
横に、必要なときにつながる、ゆるいつながりです。

「今のシステムの中でどうしたらうまくいくでしょう」と聞かれても、
もういい案など、ほとんどありません。
システムから抜けると決意して、
新しいやり方を模索するほうが、
よほど夢や可能性があります。

決意は早ければ早いほどいいと思います。
そして、十分な準備期間を持って、
実行に移せば、
それは成功すると、
私は思います。

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2015年1月24日土曜日

裏庭に播いた種

役に立つ、役に立たないで、
まだ考えるところがあるんだけれども、
ついおとといぐらい、
ネットで記事を読んでいたら、
私が大学のときに習った先生の名前が出てきて、心底驚きました。
大学生のときは、そのありがたさが全くわかっていなかったんだけれども、
その先生はいわゆるその分野の重鎮で、
その後のその分野での発展に非常に影響を与えた人物なのでした。
それなのに、私たちはあんまりまじめじゃなかった。
(授業は出ていたけれども)

その名前がいきなり出てきたのを見たとき、
実は私の考え方というものは、
そのとき重要と思っていなかったものにとても影響されていて、
しかもそれが土台になって今があるのだということに気づいたのでした。

結果は何十年もたってからやってきます。
裏庭にまいた種から芽が出ていて、
ふと気づいて、見に行ったら、
大きな木になっていて、実がなっていたみたいな、
そんな感じ。

ふだんは見にいかない、家の裏側に、
実は立派な庭ができていて、
あるとき気づいて見に行くと、
大きな木が育っていて、
あとは手入れされるのを待っているだけ。
もちろん手入れは必要ですけれど。

どれだけ自分で自分の庭に種をまいたか。
播いていないモノは、収穫できない。
たまに鳥が種を運ぶだろうけれど、
それはこちらの要らない植物。

豊かさというものは、
自分がどれだけ種をま播いたかに比例しています。
播いていない人はそれを買おうとするけれども、
自分で育てることでしか、
収穫できない実がある。
それを多くの人は、知らないのかもしれません。

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2015年1月23日金曜日

できることをできるやり方で

カンボジア製のシルクのアクセサリーが届きました。
いわゆるシトラス・タイプというやつですね。
写真は三重にしてありますが、
実際は168センチのロング・ネックレスです。
お値段は2480円。
買ったのはこちら。
商品はこちらのページ

これ、各1色1本しか入荷がなくて、私がこの色を買ったので、
同じ色はもうありません。
もちろんフェアトレードで、
誰かの不幸の上に作られたものではありません。
どうせ買うのなら、フェアで、しかも誰かの支援になるものを選びたいです。

けれども、そういう情報は、こちらが探さなければ出会えません。
フェアな団体や人たちは、なぜか宣伝が下手ですから、
こちらがわざわざ行かないと、見つけられません。

日本も含めて、世界中に、こういうものはもっとたくさん存在するはずなので、
そういうものたちともっと出会いたいと思います。
なかなか実際に使えるものとは出会えないのですが、
根気良く探せば、必ずあるはずです。

すべてのものをフェアなものに変えるのは大変ですが、
少しでもできることはあるはず。
選ぶこともそうだし、
署名をするのもそう。

気づいたら動く。
そして行動を変える。
それぞれが、できることをできるやり方で少しずつ変えることによって、
世界は変わると思います。


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2015年1月22日木曜日

2015年秋冬、メンズコレクションが始まっています。

ひっそりと(でもないか)、2015年秋冬のメンズコレクションが始まっています。
最近はほとんどのブランドでライブストリーミングがあるので、
ライブで見ることが可能です。
一部のお得意様やバイヤー、ジャーナリストのためだけだったものが、
誰でもアクセス可能な状態になりました。
しかも時間差もなく。

今までメンズにはそんなに興味がないので、
熱心に見ることはなかったのですが、
最近はメンズのコレクションにレディースが数点入りこんでいて、
そこの部分が見たくてチェックしています。

それが理由で見始めたのですが、
当然、全体を見るわけで、
そうすると、だんだんとメンズの傾向が見えてきます。

メンズの場合、シャツ、ジャケット、パンツ、コートなどという、
全体の構成はあまり変わらないので、
シルエットと細部が変化していきます。
けれども、この変化もレディースほど顕著ではありません。
ぱっと見ただけでは、
いつもと同じにも見えます。
しかしよく見ると、そうではありません。

今回、やはりきたかと思ったのが、
メンズのレースのTシャツです。
メンズにレースは無理だろうと思っていたのですが、
グッチのコレクションで、レースのTシャツが出てきました。
メンズでフリルは以前からあったし、
80年代、アダム・アントが実際に着ていました。
デュラン・デュランも。
花柄も、少しは着ている人が過去にいました。
しかし、肌が透けて見えるレースはなかったと記憶しています。

大げさではないけれども、
メンズの流れにフェミニンの要素が入り込んでいます。
シルクでフリルのついた真っ赤なシャツとか、
この前のバーバリーのひょう柄のコートとか。
はっきりとした主張ではありませんが、
ファッションレベルでは、もう既に武器を捨てています。
戦う気などありません。

世界中で、武器による戦いを推し進める勢力がある一方で、
武器を捨て、
花柄やフリルのシャツを着て、
戦わない勢力が出現する。
どちらも、人間の深層心理のあらわれであると思いますが、
私は武器を捨てた勢力を支持します。
メンズはみんなで花柄シャツを着てください。
男性の中の、抑圧された女性性を解放しましょう。

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2015年1月20日火曜日

私たちは本当に知らなすぎ

きのう、2月の天気予報を探していて、
お天気のページを見ていたところ、
その脇にフェアトレードの通販ショップのPRが出ているのに気付きました。
こういった、脇にうるさく出てくる広告をわざわざ見るということは、
普段しないのですが、
きのうはなぜかちょっと気になって、
見始めたら、案の定、止まらなくなり、
止まらないだけではなく、
カンボジアのシルクに興味を持ち、
最終的にシルクのアクセサリーを1つ注文しました。

しかも、それだけでは飽き足らず、
そのシルクが作られている背景までもが知りたくなり、
いろいろ調べていったら、
その製品がつくられている村は、
10年前に日本人がカンボジアのシルクの復興のために、
人為的に作られた村で、
世界中からテキスタイルを見に訪れる人がいるということ、
パーマカルチャー、その他の視点からも、
注目されている場所であるということがわかりました。
日本からも大学生が多く訪れています。

昔からの伝統を受け継ぎ、
桑畑を作り、カイコを育て、
糸にして、手織りの機で織る。
そのすべてがひとつの村で行われている。
それを世界中から見に来る人がいる。
ときたま新聞などでは紹介されるようですが、
そんなふうにでき上がった商品があること、
それは十分に今のファッションに生かせるものであることなど、
多くの人が知らないと思います。
前にも1度書いたけれど、
情報は自分から取りに行かないと、
本当に何にも知らない状態になってしまう。

実物はまだ来ていないので、そのままで使えるか、
ちょっと手直ししたほうがいいのか、何とも言えないけれども、
完璧なフェアトレードで作られたもので、
しかもすべて1点もの。
私が1つ買ったら、その色は終わり。
それで値段は2400円。
何だか、いろいろな意味で溜息が出ました。
つくづく知ったつもりにはってはいけないと思います。

アンコールワットから車で1時間ばかりのその村には、
その村の施設に滞在して、蚕祭りや染めを実習するツアーもありました。
いつかそんなところにも行けたらいいなあと、
きのうは夢想。
生地を一から作っている場所など見たこともないし、
博物館に入るようなテキスタイルにも興味があります。

とにかく今はそのアクセサリーの到着を待ちます。
多くの物語を携えて、
それはうちにやってきます。


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2015年1月19日月曜日

煮干しは食べるものってわかっていない猫状態

きのうはうちで占星術のトランジットに関してのワークショップをしました。
参加した皆さん、おつかれさまでした。
そんなに難しくもないのですが、
初めての用語や記号だったので、混乱したことと思います。
皆さんが無言でもくもくとお菓子を食べていたのが印象的でした。

きのうはそのトランジットの説明が、
自分が今まで知っていた「星占い」とあまりに違うので唖然とされている方もいらっしゃいました。
私が「マイバースデイ」につぎ込んだあの時間とお金は何だったの、みたいな。
まあ、別物と思っていただけたらと思います。

それとは別の話ですが、
猫用の小アジの煮干しをいただいたので、
猫の皆さんに1本ずつあげてみました。
10歳以上の先輩チームはすぐに食いつきましたが、
まるちゃんとみけちゃんは違いました。
なぜなら、まるちゃんとみけちゃんには、
今まで煮干しをあげたことがないからです。

みけちゃんは、これは何ですか?という感じでしばし眺め放置。
まるちゃんは、手でこちょこちょいじってから、
サッカーボールのように、煮干しを手ではたいて遊び始めました。

みけちゃんとまるちゃんは、煮干しを食べるものとは認識していないので、
意味わからん、
これは遊ぶ道具、と思ったのでしょう。
よく知らないというのは、こういうことなのですね。

こういうことはほかにもたくさんあると思います。
知らないから本当のよさを経験できない。
また、「星占い」の例のように、
余りにもいい加減な知識を中途半端に仕込んだために、
用法を間違えてしまうというような、
そんな例もあると思います。
私にもきっと、よくわかっていないから、
本当に楽しめていないことがいくつかあるはず。

サッカーボールのようにして遊んだまるちゃんの煮干しは、
ほかの猫にとられてしまいました。
あーあ、おいしいってわかってないって、損なことね。
もう一度あげてみましたが、同じことの繰り返し。
おかしくて笑っちゃいますが、
人間だって、同じようなことをしているかもしれません。
人よりもっと高い視点の存在に、
笑われているかもしれないです。
いえ、かもではなくて、
笑われているに違いないです。
おいしいものがおいしいとちゃんと気づくように、
おいしくないものをおいしいと思いこまないように、
気をつけていきたいものです。



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2015年1月18日日曜日

「役に立たない、無駄、お金にならないこと」の結果

「役に立たない、無駄、お金にならないこと」が結果的にどのように役に立ったのか、
ご質問があったのでお答えする。
しかし、私が知っているのは私に関してのことなので、
私に関してのこと、である。

例えば、私はこうして毎日、朝、起きぬけに15分ほどの時間を使ってブログを書いている。
事前の下調べはない。
そのときの思いつきである。
一方、週に1度、ファッションに関するブログを、こちらは45分ほどかけて書く。
こちらも、年代や名前の参照を除いては、
下調べは一切なく、思いついた「お題」について一気に書く。

これらができるようになったのは、すべてこれら
「役に立たない、無駄、お金にならない」と他人から言われた、
もしくは思われた行為のおかげである。

例えば、何かについての本を読むとき、絵を見るとき、旅に行くとき、
これは何かのためになるだろう、あるいは何かのネタにしようと思って、
そのような行為をしたことはない。
いつもただ、知りたいから、見たいから、行きたいからだけがその行為の理由である。

もちろんその間、
私だって、いわゆる仕事の資料なるものを買ったり、読んだりしたこともある。
まさにそれは何かのために役立つためであったが、
現在、それらの本で手元に置いてあるものはない。
そのときは役に立っただろうが、それはその後、
見たくもない資料となったゆえ、すべて手放した。

そして、今でも読み返し、まさに「役に立つ」本とは、
20年前に、ただ知りたいという欲求を満たすために買った本だ。
それは何度読んでも発見があり、
新しい解釈がある、宝の山のような本だ。

そして今でも頭の中で反芻されるのは、
上野の博物館のほの暗い一室にあるロセッティのラヴィングカップであり、
広尾の小さなギャラリーで見たアラーキーの水平線の傾いた写真であり、
巨大なレンガの壁が崩れ落ちるところから始まったピナ・バウシュのダンスのシーンであり、
知らないおじさんとタクシーに相乗りしていったシシング・ハースト・ガーデンのスイセンであり、
高校時代に毎日1冊読みつづけた、現代詩のシリーズの一節や三島由紀夫であり、
大学時代に覚えたシェイクスピアのせりふや、大きく影響を受けた丸山圭三郎先生のご著書だ。

これらすべて私の血となり、肉となり、
今の自分を作っている。
それらがあるからこそ、毎日こうやって、ほとんど何も考えていない状態から、
文章を書くことができる。
確かに、その文章自体が役に立っているかどうか、疑問ではあるし、
お金になっているかといえば、それはなってないよね。
しかし、毎日、何人かの方がこの文章を読む時間を作り、
いわば「共有」しているのは事実であり、
その結果、私は新しいつながりを得ている。
それはお金には換算されないが、
失うことも、朽ち果てることも、奪われることもない。
厳重な金庫など持たなくとも、
誰もそれを奪えない。

誰でもが同じ可能性を持っている。
それは文章という形をとるとは限らない。
それぞれが、それぞれの形を持つものだろう。
そして、それは分け与えたとしても減らないものだ。
それは減ってなくなることを恐れる必要のないものだ。
そして、それこそが私の得たものである。
何より、それはお金では買えない。
(いまだブログの読者をお金で買うことはできない)

さて、これらが「役に立たない、無駄、お金にならないこと」の結果である。
それを評価するかどうかは、人それぞれだろうし、
誰もがこの価値を必要としているとも思わない。
しかし、私にとって、本当に欲しいものの1つはこれであったと、
今は言える。
この力はなにものにも代えがたい。
私の魂いが欲していたのは、この力だ。
ずっと私が、表層の私とは違うところで望んでいたものが今手に入ったと、感じている。


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2015年1月17日土曜日

あれから20年

阪神大震災から20年、
そしてそれに続く地下鉄サリン事件からも、もうすぐ20年か。

阪神大震災のころはよく、
コムデギャルソン・トリコの厚手の黒いタートルネックのニットを着て、
その上にヘルムート・ラングの
やはり黒いモアレ生地の中綿入りフード・ジャケットを着ていました。
そして、続く3月、地下鉄サリン事件の日は、
黄緑色のラングのコットンのテイラードカラーのコートを着て、
黄色いストールをしていました。
何か大きな事件があったとき何を着ていたかは、
案外よく覚えています。

あの頃からよくなったこと、
もっと悪くなったこと、
両方あります。
よくなったのは、インターネットの普及で、
情報がとりやすく、
しかも、こちらはお金がかからずメールやブログが書けたりするようになったこと。
悪くなったことは、挙げるときりがないので書かない。
(それにしても、この20年間、大きな地震が多いです。日本は地震の活動期に入っていますね)

きのう、人のオープンさということについて考えていました。
ネット環境というのは一見、非常にオープンに見えるけれども、
実際に誰かと会ってみると、
けっこうかたくなで閉じこもった人が多いです。
メールやネット上でのオープンな感じがいきなりなくなる人も多い。
ネットの中の架空の空間では広く開け放たれつながっているのに、
実際にはつながっているわけではない。

きのう読んだ本に、
人はつながりを失うと心身、精神ともに病気になると書いてありました。
縦のラインでは天と地とのつながり、
横のラインでは人とのつながり。
天と地とのつながりを回復する、またはさせるのは案外、容易です。
けれどもその先の、人とのオープンなつながりを回復させるのは難しい。
難しいけれども、そちらがぜひとも必要であると感じます。
そうしないと、仕事も人間関係もうまくはいかないから。

災害が起こってからでは遅すぎる。
そして、災害は大きなものだけではありません。
閉じこもったかたくなさは、危険です。
物理的な危険と、
そうでない部分の危険と、
できるところから、それに対して点検と準備をする必要があると思います。
開かれていることは、
安全につながります。

蛇足ですが、今でも私の手元に残っているのはヘルムート・ラングの服です。
あの当時は将来、どちらが残るかわからなかった。
 そして、地下鉄サリン事件の日、ラングのコートを着て遊びにいった友達の家に
集まったメンバーとは、今でも賀状のやりとりをしています。
そのときは、20年後のことなど、考えもしなかった。

後になってからわかることは多々あります。

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2015年1月16日金曜日

なんで日本とアジアの人を使わないのかな

さっきボッテガヴェネタのアラーキーによる広告写真を見ました。
とてもいいです。
モデルの女性はサスキア。
男性は誰かわからないけれど、アジア系。
2人が手をつないでいますが、
許されない恋人たちのような雰囲気をかもし出し、
物語が見えてきます。

私の記憶する限り、
アラーキーは今までどんなブランドのキャンペーン広告もしたことがありません。
日本のブランドがまだ元気だったときでさえ、
採用されてはいません。
(もちろん選ばれればいってもんじゃないけど)

先月、買った雑誌。
レイアウトも美しいし、中身も充実しているけれど、
モデルは全部白人女性です。
そうする必要性がわかりません。
日本の雑誌なのに。

長年、我慢してきましたが、
日本の一部のファッション誌の徹底した白人至上主義にうんざりです。
今、パリコレなどでは、中国系や韓国系のモデルも多いです。
私もサン・フェイフェイは特に好き。
でも日本の雑誌の表紙やブランドのキャンペーンには使われない。
なんでなの?

最近、電車に乗ると、ローラが出ている広告写真をよく見ますが、
すごくきれいだなといつも思います。
今まで見なかったタイプの美しさ。
(いたんだろうけれど、モデルとして選ばれなかっただけでしょう)
ああいう人だって、若者向けのファッション誌以外では表紙にならない。

別に日本のブランドやファッション誌に起用されることがたいそうなことだとも思いませんが、
もう何年も続く、
この傾向が、結局のところファッションの衰退も招いたと思いますし、
日本のブランドに不信感を持つのもそのためです。

彼らに審美眼があるのだったら、
アラーキーなんて、20年前には選ばれていたはず。
でもそうではなかった。
何はともあれ、機会があったら、
ボッテガヴェネタのアラーキーの写真、見てくださいね。
(クレジットはAraki Nobuyoshiです)

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2015年1月15日木曜日

役に立たない、無駄、お金にならないこと

何年か前に「フォトセラピー」という数回の連続したワークショップに参加したことがあります。
講師の方はどこかの大学院の博士課程に在籍中で、
盛んに「役に立つアート」ということを言っていました。
私はその「役に立つアート」という言葉にいつも引っかかりを感じていました。
つまり、彼女にとって、アートとは、役に立つものと役に立たないものとがあるということです。

それでもワークショップの内容はなかなか面白くて、
針穴写真やポラロイドのSX70を使わせてもらったり、
最後は写真を引き伸ばして、マットをつけ額に入れ、
展示までするという、短期間にしてはよくできた内容でした。

しかし主眼はあくまで「フォトセラピー」です。
写真を撮ることによって癒される、
よって、写真を撮ることが役に立つという図式です。
ワークショップに参加してみた結果、
とくだん何か癒されたという感じは全くしませんでした。
別にどこも治ってはいません。
(自分が今、キネシオロジーのセッションをしているので、
その治っていない具合はよくわかります)

役に立つ、役に立たない、
お金になる、お金にならないという選別で、
多くの役に立たない、お金にならないものがふるい落とされてきたのが
ここ20年ばかりだと思います。
その中には娯楽にさえならない哲学なんかも入っていました。
私がセッションをしていても、多くの人にこの傾向があることがわかります。
それは役に立たない、無駄、お金にならないからやらないのだと、
何度もそんな言葉を聞きました。

そしてそのように10年、20年とやってきた結果、
役に立った、お金になった、有益だったかというと、
それとは全く逆のことが起こっています。
役に立たない、無駄、お金にならないからやらないと強く言う人のほうが、
見事に空っぽで、何もできるようにはなっていません。

「役に立つアート」を標榜していた、その写真作家の講師の女性も、
とんと噂を聞きません。
多くの人がどんどん癒されて、
さぞかしフォトセラピーが普及しているかというと、
そんなこともありません。

今の時代のように、社会の仕組みや組織が崩壊し、
転機を迎え、新しい価値観や技術、才能が必要になってくるとき、
本当に力になるのは、
多くの人が言っていた、
役に立たない、無駄、お金にならないこと、
つまり、文化系の知識や経験、そして教養だと、
今、はっきりわかります。
短期間で、近視眼的な利益を最優先に考えていた人たちは、
今、おろおろしています。
(その最たるものが、今だけ、金だけ、自分だけの人たち)

農業なんてお金にならないと一時期言われていたでしょうけれど、
今、私が通うオーガニックの農家さんには独特の余裕があります。
去年の冬の雪でハウスが全滅していますが、それでもなお動じません。
10年、20年、30年ではない、
連綿と続く人間の歴史と文化の上に立つ職業は、
それがいっときお金にならないとしても、強いのです。

まだ多くの人がそのことに気づいていません。
気づいた人と気づかないでそのままの人とで、
今後、どの側にいるのか、変わってくるだろうと思います。
 
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2015年1月14日水曜日

男もひょう柄なのか


早いもので、もう2015年のメンズの秋冬コレクションが始まっています。
で、バーバリー・プローサムのコレクションがおとといあたりあったのですが、
男にひょう柄のコートを着せています。
男にもひょう柄か。


今シーズンはどこも、みんな、柄物着ようよということで、
花柄を中心にいろいろな柄が提案されていて、
もう既に柄物だらけの状態です。
それは今まで続いたフラット、プレーンの状態の反動気分の問題でもあるし、
ワードローブに柄物ないでしょという戦略的な問題でもあると思います。
確かに男性のワードローブにひょう柄はないでしょう。
男性が着る柄物といえば、チェックやストライプぐらいですから。
水玉も着ないでしょうし。

しかも、柄物と柄物を組み合わせるコーディネイトがたくさん提案されています。
これは、コレクションなどで、最初から色彩計画ができる場合は難しくないのですが、
あっちも買って、こっちも買って、おととしも買ってなどというのが一般的なわれわれにとって、
簡単なことではありません。
(リバティだけそろえるとかなら、できなくもないです)

実際、私もなかなか気に入った柄物には出会えなくて、
ここ何年も買っていません。
チェックやストライプはいいけれど、気に入った色と柄の花柄は本当にない。

男物の話に戻りますが、
男性の柄物といったら、今まではせいぜいネクタイの柄。
それでも花柄やひょう柄はほとんどなかったはず。
ポール・スミスでは、メンズのきれいな花柄シャツを何年も出していますが、
あれを実際に街で着ている人は見たことがありません。
奥さんが、これ、きれいだから着てとか言って、買ってきても、
嫌とか言われちゃうんでしょうね、きっと。

しかし、男性もアロハシャツは柄物でしたね。
茅ヶ崎市役所の職員は、夏は確かアロハシャツ着用です。
(調べたら、市議会もアロハシャツでした。みんな柄)
柄物、着ているではないですか。
みんなで着れば恥ずかしくないのでしょう。

たかが柄物シャツですが、
社会の大多数が着ていないものを着るということは、やはりチャレンジです。
男もひょう柄を着なさいよというメッセージは、
ただ単におしゃれだからという理由ではなく、
社会の多数派に反旗を翻そうという提案です。
ひょう柄を着る人数は少ないかもしれない。
けれども、
マイノリティや少数派の意見は尊重されるべきだというデザイナーの訴えであるようにも思えます。
(バーバリーのクリエイティブディレクターのクリストファー・ベイリーはゲイですしね)

☆写真:気づけばうちの蝋梅も満開に。

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2015年1月12日月曜日

「楽しい」のその先のもの

たくさん選択肢があって選べない、
何事においても、
というのがいろいろな場面での今の現状ではないかと思います。

雑誌も、映画も、本も、服も、食べ物も。
明らかに昔より選べる範囲が広くなった。
にもかかわらず、なぜか同じものが選ばれる。
多品種小ロットの生産がいいとされたのに、
同じものが選ばれる。

市場に選択を任せていると、
選ばれるものしか残りません。
そうすると、実はいいものがぼろぼろ落ちていく。

きのう、お勧めの映画を聞かれて答えましたが、
私が挙げた全作品が、レンタルビデオ屋さんにないと聞いてびっくりしました。
なぜ小津安二郎の「東京物語」も、ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」も、
ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」もないの?
(難解なものはお勧めしなかったにもかかわらず)

だから、たぶん、図書館を民営化したら、
名作は落ちていく。
シェイクスピア全集とか、落ちていく。
誰が「コリオレイナス」を読むんだ?という話になる。
哲学書なんて、もっといらなくなる。

均質化は、難解さからの逃避でもあります。
服も、本も、音楽も、食べ物も、わかりやすく、消化しやすいものが多くの人に選ばれる。
人は、放っておいたなら、怠惰な生き物なのかもしれません。
でもそれで本当にいいのでしょうか?

確かに、
楽と楽しいは同じ字ですが、
楽しいの先は、難しいを経てから出現するのではないでしょうか。
みんな、「楽しい」ごときで満足しているの?
その先があるのにさ、
と、一部の人は知っていると思います。


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2015年1月11日日曜日

均質化されたおしゃれスタイル

情報が広く行きわたるようになったこと、
服装全体のカジュアル化、
同調圧力漂う空気など、
たくさんの理由があって、
老若男女の服装が似てきています。
家族みんなが同じアイテムを着ている。
おじいちゃんからおばあちゃんまで。

たぶん、この傾向が顕著になり出したのは、
フリースの上着が流行りだしたころからで、
拍車をかけたのは不景気。
それプラス、ハレとケという、
日常と非日常の消失。
おまけに夏と冬がとても長くなったので、
1年間の服のバラエティも少なくなりました。

みんなが同じようなものを選ぶので、
その組み合わせでおしゃれなスタイルを作ると、
どうしても似てきます。
前にも例に出した、
ボーダーシャツ、
ジーンズ、
スニーカー、
トレンチコートがその代表例。

この組み合わせは別に悪くはないんです。
悪くはないんだけれども、
そのスタイルがたくさんいたら、
もはやそれはおしゃれには見えません。
そこには新鮮さとか、驚きもないし、
個性やオリジナリティもありません。

以前はこの「似たスタイル」が広がるのは、
ある程度同じ世代だったのですが、
今ではそれがもっと広い世代まで広がっています。
そしてついに最近、
年配の方がモッズコートを着始めました。
不景気が進んだら、
このカジュアルな均質化はもっと進みます。
そして、進めば進むほど、おしゃれからは遠く離れていきます。

だから、ある程度、基礎ができたら、
次に考えるべきなのは、
ここから抜ける方法です。
悪くはないけど、みんなと似ているね、ではなくて、
そういう格好の人はいないけれど、
格好いいねへの移行。

そうすると、1つの解答はもうありません。
トレンチコートには何をあわせますか、
はい、これです、
というものはありません。
みんな、それを探しているけれど、
そんなのない。
制服じゃないんだから。

1つの答えを探し続ける人たちと、
そうではない方法やスタイルを考える人たちの
二手に分かれるでしょう。

どちらがいい悪いという話ではありませんので、
どちらの側でも構いません。
ただ、世の中の眺めとしては、
みんな同じより、
みんなそれぞれ違うほうが、
面白くて、楽しいとは思いますけれどね。

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2015年1月10日土曜日

負ける気がしないわという姿勢

うちにはいじめっ子猫のおとらというのがいまして、
それが、いつもみけちゃんをいじめています。
みけちゃんはまるちゃんと姉妹なのですが、
まるちゃんはおとらにいじめられていません。
どこが違うからなのだろうと観察してみたら、
面白いことがわかりました。

まるちゃんは、例えば自分がイスの上に乗っていて、
下をおとらが通ったりするときに、
積極的におとらのことを猫パンチします。
理由もなく。
それに対して、おとらが「にゃー」と反撃しようとしますが、、
まるちゃんは、
何なのそれ?あたし、あんたに負ける気がしないわという感じで、
ひるまず猫パンチ。
そんなことを繰り返すうちに、
おとらはもはやまるちゃんに近づこうともしません。

かたやみけちゃんはビビりなので、
おとらが近付けば、うなり声をあげ、耳を寝かせ、後退します。
けんかになる前から負け状態です。
そして、最終的におとらに襲撃されて、おしっこを漏らしてしまいます。
これが何度も繰り返され、
おとらは怒られても、みけちゃんいじめをやめません。

負ける気がしない猫は負けることなく、
最初から負ける猫はやっぱり負ける。
あまりに簡単な原則です。

しかしこれって、人間にも当てはまらないでしょうか。
最初から、負ける姿勢の人は負けます。
やっても仕方がない、うまくいかないに決まっているという態度でやったら、
それはやっぱりそのとおりになる。
そして、うまくいくに決まっているという姿勢の人は、やはりうまくいく。
これは態度、姿勢の問題で、
自分で最初に設定したとおりになっているだけです。
しかもそれは誰かが決めるのではなくて、自分で決めることです。

この「自分で決める」が自分でできなくて、
誰かにやってもらおうとする人もいますが、
それではやはりうまくいきません。
「大丈夫だよ、絶対うまくいくよ」と言ってくれる誰かを探していて、
それがない限り、動かない。
他人はその人の、うまくいかないに決まっているという態度を察知するから、
大丈夫と簡単に言うこともできないし、
言ったら、何だか嘘みたいなので言わない。

映画やドラマは、主人公が誰かに「大丈夫だよ」と言ってもらうところから、
物語が動きだしたりしますが、
現実はそうではありません。
あの「大丈夫だよ」と言ってくれた人物は、
あくまでも主人公の分身です。
分身が自分に対して言った言葉です。

残念ながら、負ける気がしない姿勢の人と、
最初から負ける姿勢の人とでは、
あらわれる現実が違ってきます。

みけちゃんがいじめられないようになるには、
あるときから、負ける気がしないわという態度に転じることが必要です。
実はみけちゃん、以前はももちゃんという猫からもいじめられていたのですが、
最近、立場が逆転して、
今では、ももちゃんを追い詰めるようになりました。
何がきっかけかはわかりませんが、
ももちゃんに対しては負ける気がしなくなったようです。
ということは、みけちゃんがおとらにいじめられなくなる日もいつかくるでしょう。
きっと1度思いっきり反撃してみて、
負ける気がしないと自分で確信できたら、
そうなるのだと思います。

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2015年1月9日金曜日

多くの人には知られていないけれどもいいもの

きのうは最近、お知り合いになった方のご案内で、
大田区立龍子記念館へ行ってきました。
こちらは近代日本画の巨匠と言われる川端龍子さんの作品を所蔵している美術館です。
(お近くの方は行ってみてください。そのとき、お庭とアトリエを見るのも忘れずに)

私は高校のころから、西洋絵画を中心に展覧会に行き、
大学でフランス美術史の授業も受け、
パリ、ロンドン、フィレンツェで本物も確認しなど、
(アレッツォにピエロ・デルラ・フランチェスカの壁画まで見に行き)
西洋の美術、写真などはとても多く見てきたのですが、
日本美術の歴史は本当に手抜かりで、
ここ数年、そこを反省し、
これからはもっと日本画を見ていこうと決意していたところでした。

川端龍子さん、日本美術史に出てくるので、お名前は存じておりましたが、
いまひとつ作品を見た記憶はなく、
もちろん作品は初めて見るものばかりでした。
そしてどれも素晴らしい。
(月並みなことばですみません)
どうして今まで見てこなかったのだろうかと、反省しました。
特に金箔表現がたまらない。
クリムトとか言っている場合じゃないです。
(クリムトこそ日本画のパクり)

使われている岩絵具も、
ラピスラズリ、マラカイト、アズライトなど、
鉱石や半貴石が多く、
絵そのものがこれによって光っています。

まあ、絵について語り出せばきりがないですが、
何が言いたいかというと、
多くの人に知られてはいないけれども、
いいものがたくさんある、ということです。

マスメディアが伝える、上から下への伝達方法は、
そろそろ終わり。
インターネットの出現によって、
かなり崩れてはきましたが、
もう一歩進んだ時代が、もうじきくることでしょう。

いずれにしても、必要なのは見る力、審美眼。
服でも料理でも文学でも音楽でも、なんでもそう。
審美眼さえ養っていれば、
砂の中から砂金を見つけられます。

それができるようになるためにも、
何か1つの分野を徹底的に見続ける、やり続けるということは重要です。
それができれば、ほかの分野に応用ができます。
絵を見分ける審美眼が身につけば、
音楽さえ、わかるようになるからです。
そうしたら、こちらはマスメディアに踊らされることもなくなります。
(逆に、いいと言っているのに大したことないものがわかるようになります)

まずは自分の身近なところの、
多くの人には知られていないものを見つけていくことから始めるのがいいでしょう。
何かしら、絶対にあるはずです。

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2015年1月8日木曜日

同じことの繰り返しをバカにするなかれ

ボッテガヴェネタの2015年の春夏キャンペーンの広告写真をアラーキー(荒木経惟)が担当しています。
私はアラーキーのところの猫の名前を真似して、
うちの猫にもチロと名前をつけるほど、
ある時期、アラーキーの作品が好きで、よく個展を見に行っていました。

(1回、花の写真を買いそうになったこともあります)
まだそのころは今ほど認められていなかったし、
ましてや、海外の美術館に展示されるなんていう雰囲気でもありませんでした。
(アラーキーは自分では天才とか、巨匠と言っていましたが、
周囲はそんなふうに見てはいなかった(笑))

しかし、私が見始めた数年後、ぼちぼち認められるようになり、
ファッション誌などでも取り上げられるようになりました。
そんなとき、某有名な、料理やライフスタイルについて活動するフランス人が、
自分の著書で、アラーキーの作品は同じものの繰り返しでつまらないと書きました。

その当時、そのフランス人はファッション誌などではかなり有名だったので、
一瞬、その言葉を受け入れそうになりましたが、
いや、待てよ、本当にそうか?と徐々に思うようになりました。

アラーキーには独特のスタイルがありますから、
確かにそれは変わりません。
けれども、よく観察すれば、
スタイルの中に表現されていること、
その視点はいつも違います。
いつも違うから、私たちはそれを見に行きます。
同じことの繰り返しだからつまらないという感想は、
その人が同じものしか見いだせないほどに、
貧相な感性の持ち主だということのあらわれです。

しかしこここ数年、
その某フランス人は姿を消し、最近はめっきり話題を聞かなくなりました。
一方、アラーキーはあれよあれよという間に海外でも著名なアーチストになり、
この前もカルチエ財団のために何か写真を発表していました。
私が広尾の小さなギャラリーで見始めたころ、
まさかこんなに有名になろうとは、思いもしませんでした。
(花の写真、買っておけばよかった。確か8万で、額装したら10万ぐらいだったかな)

スタイルの確立を目指している人の行為は、
一見、同じことの繰り返しのように見えます。
けれども、それは決して毎回同じではありません。
スタイルは洗練され、
テーマは動いていく。
スタイルの洗練のためには、繰り返しは必要。

ボッテガヴェネタのキャンペーンなので、
各種ファッション誌に写真が出ると思います。
モデルはサスキアです。
スタイルの洗練が、
同じように、洗練を目指すハイブランドに、認められたということだと思います。

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2015年1月7日水曜日

ドライビング・フォース

新年になって、
何人かの方から「動き出しました」という報告をいただきました。

皆さんのお話を聞いたり、観察していてわかるのは、
ドライビング・フォースのない人が多いということです。
自分でドライブする、初動の力がないので、
何となく誰か、または何かが起こるのを待っている。
だけれども、その誰かも、何かもいつまでたってもやってきません。

ドライビング・フォースがないのだったら、
どこからか持ってくればいいです。
ある人たちは、もうすでに勝手に動いています。
しかし、それは少数です。

それはおみくじだっていいし、
読んだ本だっていいし、
星の言葉でも、友だちの言葉でもよい。
とりあえず、莫大な投資をしなければ、
困ることはありません。
あとは、赤字にならないように気をつけるだけ。

どっちにしろ、
今のままだったら、プラスマイナスゼロでしょう。
時代としては、そのまま放っておいたらゼロに向かうという状況です。

もちろん、「大丈夫、このままでも安全です」という言葉を信じる人たちもいます。
それはそれで構わない。
けれども、事実を見ようとも、知ろうともしないで安全だと言っているのなら、
それは虚しい空想です。
しかもそれが、誰か他人の空想だとしたら、そんなのに乗ることもないし。

ドライビング・フォースだけではなく、
他人の応援を待っていても、そんなものはきません。
誰かが「ありがとう」と言ってくれたらとか、
いつくるかもわからない「励みになる言葉」に頼っていたら、
いつまでたっても始まらない。
やる人は、そんな言葉がなくてもやります。
「ありがとう」なんて、誰も言ってくれなくて当たり前。
(私たち、電車に乗るたびに、駅員さんに「ありがとう」と言わないのと同じ)

待たない。
なかったら、どこかから持ってくる。
それでも動かないのだったら?
タイタニック号みたいに、沈むまで待ってみる?
それはそれでドラマチックな物語ではありますが。

社会は今が底じゃないです。
もっと底がこの先に待っています。
そのときにどこにいるか。
今から準備しても、悪くはないと思います。

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2015年1月6日火曜日

絶対に必要な仕事

明らかにこの社会は、楽しい仕事、誰もが好きな仕事だけでは成り立っていません。
土日祝日が休みじゃない仕事、
お正月もお盆もごく普通に働く仕事もたくさんあります。
今年のお正月はスーパーも1月2日から通常営業でしたし、
年賀はがきは毎年、1月1日もちゃんと配達されます。
それは誰かの役割であり、
それがないことに、社会は回りません。
その必要性は、好き嫌いの問題ではありません。

時たまですが、
「私は好きなことしかやらない」とか、
「好きな仕事をしていない人は売春婦と同じ」と言う人がいますが、
それを聞くたびに、
何とも嫌な気持ちになります。
(この2つとも、直接聞いた言葉です)
仕事は、好き嫌いだけで成り立つものではありません。
そしてこういうことを言う人たちが、
暗に、好きとは関係なく仕事をしている人たちを批判しているのも、
何ともやり切れません。

そういう私も、
つい最近まで、生活のお金のための仕事として、
三権分立の「司法」の部分にかかわる、
この社会の根幹を形成する部分の一端を担う仕事をしていました。
そんなの別に好きではないです。
面白くもありません。
だけれども、誰かがそれをやらなければ、
社会は回らない、絶対必要な仕事です。
(本来、公務員がやるべき仕事だったものが、
外注に出されるようになったものです。
秘密にかかわる仕事なので、ここでその内容は書けません)

その他にもこの手の仕事はたくさんあります。
それがなければ、社会が絶対に回らない仕事。

そんな仕事に従事している人たちを、
単に「好きでない仕事をしている」という理由で非難する人たちの想像力のなさに、
私は驚きます。
そんな人たちだって、絶対にそういう仕事に支えられて生活しているはずです。
鉄道もバスも、郵便も、清掃も、みんなみんなそうです。

今年のお正月も働いている人たちをたくさん見ました。
そういう人たちの働きなしに社会は動きません。
そういう人たちを見下したり、批判したりする人たちこそ、
本当の意味で、
想像力の欠如した、
最低で、
気の毒な人たちです。

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2015年1月3日土曜日

結婚式に出席するときの衣装

結婚式に出席するのに何を着たらいいですかと質問を受けたら、
貸衣装でいいので着物がいいですと、
今はお答えしています。
年齢が上がれば上がるほど、
あの中途半端なドレスは、素敵ではありません。

着物は、やはり格が違いますし、
ドレス以上に華やかな色がらなので、
堂々としていられます。
また、招待した側の方にも、お喜びいただけると思います。

しかし難点は、着物は高価だということ。
それからルールが細かくて、
特に季節感にうるさいので、いつ何を着てもいいというわけにはいかないことです。

現在、あつらえた着物はとても高価です。
シャネル・スーツがいくら高いと言っても、
着物には及びません。
帯から草履から、何から何までそろえて、
100万円以上は当たり前。
かくいう私も、振袖も含めて、着物は持っていません。
(着たことはあります。高校の演劇部のとき。松竹に着物を借りに行きました)

ただ、便利な貸衣装があるので、
それを利用するのがいいと思います。
妙なドレスを買ったところで、ほとんど二度と着ませんし。
着つけもしてくれる貸衣装屋さんで、その当日お借りするのが一番ではないかと思います。

ところで、あつらえたお着物は大変高価ですが、
古着の着物は、手の届く範囲のものがたくさんあります。
特に、背が高くない方の場合、古着からでもかなり選べます。

西洋の衣服を知れば知るほどに、
着物のよさがわかるようになります。
中途半端が一番格好悪いです。

☆写真:引き続き、エスプリ・ディオール・東京展から。X線か何かで中の構造がわかるらしかったけれど、壊れていて作動していませんでした。残念。

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2015年1月2日金曜日

恐怖と脅しから自由になって


去年、おととしは、いろいろと新しい技術を習得する年でした。
けれども、それは確かに新しい技術ではありましたが、
知らないことではなかった。
それこそ20年以上かけて考えてきたこと、知っていたこと、
できるようになったこと、
それらのことの使い方としての技術の習得でした。
だから、私にとっては、ああ、そうやって使えばいいのね、わかった、という感じ。
これがもし、何にも考えたことも、知っていることもない分野で、
いきなりその技術を習ったとしても、
それを使えるようになるにはそれなりの時間がかかったと思います。

私も今の形で仕事をするようになるまでは、
それとは別に、いわばお金のための仕事を並行してやる期間がありました。
そして、徐々に、そのお金のための仕事をやめていって、
あるとき、そのお金のためにだけやる仕事から完全に離れました。
私の周囲でうまくいっている人も、こんなふうに、
お金のための仕事と、自分のやりたい仕事を並行してやる期間があって、
徐々に1本にしていっていった人のほうがうまくいっています。
また、お金にならなくても何かをずっとやり続けてきた人たちは強いので、
そういう人たちもうまくいっています。

アパレル会社もそうだったのですが、
それまでは、どこも恐怖で人を支配しようとする人ばかりが多かった。
仕事をする前は、いつも吐き気がしたものです。
(脅しに負けて突発性難聴になって、それからメニエールになったんですけどね)

もちろんそうではない会社もあって、
そういうところで働いている人たちはラッキーだと思います。
けれども、アパレル会社を始めとして、
私が知っている企業は、最低の賃金で、無限の責任を、
恐怖と脅しでおしつけてくるところが多かった。
収入が変わらないとしても、
この恐怖と脅しから離れられたということが、
私にとってはとても大きかったです。
そして、今でも恐怖で仕事をさせる企業は多いと思います。

もしそういうところにいるのなら、
何とか何か自分の得意、またはやりたいことを続けて、
ソフトランディングする形で、そういうところから離れていくといいと思います。
いきなりはうまくいかないから、
徐々にで。

ディオールの展覧会を見て思ったのは、
この作品は恐怖や脅しのもとに作られたものではないということです。
脅された結果できたものなど、
誰かを感動させるはずがありません。

☆写真:エスプリ・ディオール・東京より、すてきなイラスト。ちなみに写真撮影は自由でした。

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2015年1月1日木曜日

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、きのう、重い腰をあげて、銀座まで行ってきました。
目的はディオールの大展覧会であるエスプリ・ディオール・トーキョー展。
このところ、雑誌を買っていなかったのと、
ディオールはフェイスブックも「いいね」していなかったので、
こんな展示をやっていると全然気づかず、
知ったのは12月10日すぎ。
なんだかぐずぐずしていたのですが、それでもやっぱり見に行くべきだと思って、
きのう行ったら、やっぱり行ってよかった。
(いつもそうだけど)
確かに、服作りの最高峰がここにはありました。
会場に一歩入って、このスーツを見ただけで、涙が出てきました。

この2体は、1940年代と2010年代のバー・ジャケットのスーツ。
後ろのスーツとは、20年ぶりのご対面。



 この白いジャケットは、私たちがトワルと呼ぶ、服のひな型です。
今回の展示は大変珍しく、このトワルがたくさん展示してありました。
一般の人には興味がないでしょうこのトワル、ほとんどの人はスルー。
けれども、ここにこそ、本当のすごさがあるのです。
そしてわざわざ展示のために持ってきたということの意味。
どのトワルも、このまま着て出かけられるレベルの美しさ。
繊細な縫製、修正の痕跡のライン、細かいピン打ち。
私はこれを見たとき、日本で服作りをやめて本当によかったと思いました。
こんな技術も伝統も日本にはありません。
ないから誰も教えてくれない。
教えてくれないのに、それを要求します。
(おしゃれブログのほうに書いたけれども、
日本の大手アパレルメーカーは、このトワルの全身組み立てをやらないで
服を作ってしまいます。
明らかな努力の差、手のかけかたの差です)

いろいろな思いが去来しました。
日本には本当のエレガンスが、まだないこと。
日本で服作りを目指さないでよかったこと。
そして、本物を知ったからには、
適当なものを買わないようにしないといけないこと。
また同時に、高みを目指すなら、決して底辺を無視してはいけないこと。
60年以上前の輝くスーツやドレスたちが、
そのことを教えてくれました。
流行じゃないから廃れない。
これらはスタイル。
これからどれだけスタイルに出会えるか、選べるか。

もう中途半端なものは買わないわ。
普段着はスポーツウエアとジーンズでもいいから。

そして最後に銀座の街の雑感です。
本当に不景気。
景気よくお買い物しているのは観光客。
日本の皆さんはデパ地下でお買い物。
そして、本当に黒とグレーばっかり。
思えば、バブルがはじけた頃も、街は黒ばっかりでした。
明るいきれいな格好をしているのは外国人観光客の皆さん。

12月31日の表参道駅。
思えば、20代の私は、年末もこの駅にいましたっけ。

ディオールの展覧会、必見でした。
紹介するのが遅くなって申し訳ありませんが、
1月1日は休みで、1月4日までこの展覧会はやっています。
場所はディオールの銀座店。銀座松屋の前なので、すぐわかります。
ハイブランドですが、見ている人はみんなカジュアル。
入口にスタッフが立っていて、どうぞ入ってください、という雰囲気にあふれています。
もしお時間があるなら、
気後れせずにいらしてみてくださいね。
たぶん、次に日本で見る機会は、ほぼないでしょうから。
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最後にお勧めのフィルムはこちら。
音楽がディペッシュモードのこのバージョンが、私は好きです。