2014年6月30日月曜日

今年の流行りはあるのか、そして服を選ぶための知性

毎年、何かしら今年の流行りはこれ、というものがあるのですが、
街ゆく人を観察していると、
今年ははっきりした流行がないように見えます。
売る側としては、「オールインワン」、いわゆるつなぎを多く提案してきていますが、
選ぶ人は少ないです。

あと、消費税増税の影響で、
まずは服を買うのを控えたということもあると思います。
バッグはどうかわからないけれど、
服は動いていないでしょう。
つまり、みんな新しいものをほとんど買っていないということです。

これは今年だけの話ではなくて、
時代は確実にこちらのほうへ動いています。
経済に成長はなくて、
定常を維持できれば上等です。

服は着ているとだめになりますから、
その部分については新しく買わなければなりませんが、
そのほかの部分は定常で、維持です。
定常で維持するアイテムと、
消耗品で買い替え必要アイテムにきっちり分けて考えざるを得なくなります。
(私がファッション・レッスンで提案しているのはこれですけど)

多くの人の、「長く着られるもの」を選ぶ基準が、
今まではほとんどの場合、価格だったと思いますけれど、
それだけでは足りなくなると思います。
特にアパレルの場合、価格のつけ方が恣意的ですから、
当てになりません。

服選びはこれまで、感性の部分ばかりが強調されてきたと思いますが、
私は知性も大切だと思っています。
感性というのは感覚で、それはだまされやすいです。
そして、もう随分長いあいだ、多くの人がだまされてきました。
だまされないためにも知性は必要。
今だけ、自分だけ、ここだけよければそれでいいというやり方は、
もう通用しないでしょう。

「洋服」を選ぶという行為に必要な知性とは、
世界経済、
法律、
為替、
農業(なぜなら綿は農作物だから)、
フェア・トレード、
世界中の文化と芸術、
哲学などです。
これらについての理解がなければ、
選べない。
だから、少しでも知っていくことが重要だと思います。

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2014年6月29日日曜日

服を買うとき何を選んでいいのかわからないという悩み

服を買うとき何を選んでいいのかわからなくなるというお話をよく伺います。
そんなことあるのかなと思っていたのですが、
私も先日、似たような体験をしました。

そこのショップにはいつもある程度、私の好みのブランドがあったのですが、
この前いったときは、そのブランドが大幅に縮小されて、
ほかのブランドものが多くを占められていました。
お目当てのものがなかったので、
ほかの、ふだんは見向きもしないブランドの服を、
なんかあるかなと見始めたのですが、
そのときに、見ても見ても、選ぼうと思っても、
何もない、何もないから選びようがないという、
一種の眩暈のような気持ちを味わいました。
そして、多くの人が何を選んでいいのかわからないと言っているのは、
このことではないかと思いました。

これといって方向性もなく、
こういうのが好き、こういうテイストのものが着たいというのもなく、
何となく服を探すと、
それは確かに何を選んでいいのかわからない感覚に陥ります。
なぜそうなるかというと、
そこに、望むものはないからです。
ない中から探そうとするので、
迷うし、戸惑うし、決められません。
世の中にはこんなにも服があふれているのに、
一歩、自分が望むものとは違う方向の世界に入ったら、
ないものはないです。
ないところから選ぼうと思っても、それは選べない。

実際、私はあまり買い物には行かないし、
たとえば、都会の街で、どこどこへ行けば何が売っているなんて、
わからないのですが、
少なくとも自分がどういうものを欲していて、
どういうところにはありそうだということがわかっていないと、
選ぶことはできません。

望むものはない中からのみ選ぼうとして、
そこで決めなければならないと思いこんだら、
それは苦しいです。
最終的に変なものを買ってしまいます。
服ごときだったら、失敗したとしても大したことありませんが、
もっと違うこと、たとえば配偶者や仕事だったら、
それは大変です。

選べないと思ったら、
そもそも探している場所が間違っているのではないか、
疑ってみるといいと思います。
山で貝を探したり、
海で山菜を探したりしようとしているのではないか。
案外、似たようなことをしてしまっているのかもしれません。

もし服を探していて、何を選んでいいかわからないと感じるなら、
探しているものはそこにはありません。
探す場所が間違っていたということです。

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2014年6月26日木曜日

セール時期がどんどん早まっているような

今では、いつもどこかしらで何かのセールをやっているので、
わざわざ夏物セールとか、冬物セールなどで買う必要はないと思うのですが、
それでも、年々、セールが早く始まっているような気がします。
もう夏物はちょっとずつ、特にネットでは、セールが始まっています。

服も、重要と供給では供給過剰になっているのですが、
靴とバッグも余っているみたい。
みたいというのは、どこかに数量が出るわけではないので、
感覚なのですが、最近、靴、バッグのセールが目立ちます。

で、一番、値引きされちゃうのが、
クオリティもデザインもすばらしいので、そこそこお値段は高いのですが、
日本では全く知られていないインポート・ブランドのもの。
これはもうどうにもならないようです。

結局、今の消費は、クオリティでも、デザインでもなく、
「記号」なので、
知られていないブランドというのは、市場にとって致命的な欠点です。
なぜなら記号性が薄れるから。
記号として認識できないから。

でも有名じゃないからといって、
悪いわけでは決してないのです。
ちゃんとすぐれたところはあります。
だけれども、多くの人が見る目を養うのを怠ったので、
選ばれないんです。

でも、見る目を養うのを怠った人たちを悪く言うわけにもいきません。
だって、世の中、主にメディアですが、
そういう方向へ誘導しましたから。
簡単、わかりやすい、深く調べない、
見た目だけで判断すればいいという価値観にさらされ続けたので、
本当にそうだと思いこんでしまっただけ。
その結果、いいものをまじめに作っているブランドも、
見出されなくなってしまったわけです。

見る目がないので、仕方ないから、「セレブ」が選ぶものを選ぶ。
見る目を養わない方向に仕向けて、
その結果、答えを教えてくれる「セレブ」を同時に用意する。
この2つはセットです。
「セレブ」がどこのブランドの何を着ていたか知りたがるのは、
自分に見る目がないと認めている証拠。
これはファッションだけの問題じゃないですね。
だから、「偽者」が認められちゃったりする。
音楽も美術も文学も、全部そうでしょう。

(2000年ごろまでは、たとえばファッションアイコンとしてジェーン・バーキンや、
カトリーヌ・ドヌーブ、オードリー・ヘップバーンはよく登場してきましたが、
どこそこのブランドのいくらの何を着ているかなどは、情報として書かれていませんでした)

セールの時期は、ふだん見ないようなブランドも、
見たり、着たり、さわったりする機会があるでしょうから、
実際に試着してみるといいと思います。
その中には、あ、これだ、というものが混ざっていると思います。

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2014年6月24日火曜日

いいものを見分けるために

いわゆる目利きになるためには、
いいものを見て、触って、感じ続けるしかありません。
それは絶対的に数の問題。
ただ、本物となると、
住んでいる地域によって、それらに触れることができるかどうか、
どうしても差が出てきます。

文学や文章については、
図書館があったり、今ではネット上に公開されているので、
誰でも触れることができますが、
美術、音楽、そしてファッションも、
地方だとおのずと難しいです。
それは残念だけれども、本当にそうです。

では、地方に住んでいるから無理なので、
あきらめてしまうしかないかというと、
そんなこともありません。
ないならないなりに、できることはあります。

ファッションについては、今、多くのコレクションがインターネット上で公開されますので、
自分が好きなブランドがあったら、
それを追っていくといいと思います。
ある程度、時間をかけて追っていくことによって、
バランスやスタイリングの傾向など、つかめてくると思います。
そしてある程度、わかってきたら、
有名ではないけれども、自分の好みにぴったりはまる、
小さなブランドを見つけるといいと思います。
それは世界じゅうに散らばっています。

また、それとは別に、地方に住んでいるからこそ経験できる自然の美しさや、
神社仏閣の様式美など、何回も足を運ぶことで、
自分の目に焼き付け、体で覚えていくというのもいいと思います。
この両方のことをやり続けて、
本物に出会うそのときまで、基礎体力をつけておきます。

そのほかにも、近くに美術館やギャラリーがあるなら、
わからなくても、買わなくてもいいから通い続けるとか、
いけばなや茶道を習うとか、
身近でもできることはあるはず。

重要なのは定期的に通ったり、見たりして、
回数を重ねていくということです。
1回のルーブル美術館よりも、
毎日の積み重ねのほうがずっと効果があり、やがてそれは実力となります。

最後にもう一つ。
わからないからといって、やめてはだめ。
最近、何でも「わかりやすい」ということが高評価であると思われていますが、
それは大きな勘違い。
平均をこえたかったら、わからない、理解できない分野に入っていかないと。
わかるものだけやっていたら、
つまらないものしか集まりません。
自分自身を振り返ってみても、
わからなかったものこそが、
いまだに自分を離さないし、
自分の芯であり、目標になっています。

目利きというのは、一般平均が理解できないものを見抜く力を持つ人たちのことです。
わかりやすいものだけで過ごしていたら、
決して目利きの境地までは到達できないでしょう。
ということで、わからないところへ行ってみましょう。
今すぐにでも。

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2014年6月23日月曜日

メンズもゆるくなっている

本題に入る前に、
7月に開催するワークショップですが、
案外早く埋まってしまいました。
ご予約いただいた皆様、ありがとうございます。
今回やる内容は、実生活に何かと役立つものなので、
農家さんと相談して(フルーツの収穫時期について)、
8月にも同じテーマでやろうかなと思っています。
8月になると、ソルダムか、梨、ブドウです。
ですので、やっぱり行きたいなという方は、
こちらのブログで発表しますので、引き続きチェックしてくださいね。

さて、現在、ミラノでは2015年メンズの春夏コレクションが開催されています。
ちらっと見たのですが、
みんなゆるいです。
夏だからのせいもあるとは思いますが、
ボトムはスウェットパンツだったり、半パンツだったり、
中には、それはパジャマでは・・・みたいなものもあります。
メンズはレディースほど、流行の変化が激しくないのですが、
ここへきて、急にゆるさがはっきりした感じがします。

このゆるいスタイルを披露しているのは、
どれもみな、若くて、決して太ってはいないモデルさんたちです。
だから、どんなにゆるい服を着ていても、
みんな格好いいです。

ゆるい服は、引き締まった体の持ち主にしか似合いません。
体そのものがだらしなく、ゆるっとしている場合、
その上にゆるい服をのせたら、
それはただ単にだらしない人です。

服がゆるく、リラックスしたスタイルになればなるほど、
体は鍛える必要が出てくる。
これは女性も同じなのですが、
男性のほうが、もっとはっきりしているかなと思います。

ゆるい服が流行っているからといって、
楽ちん、楽ちんなどと、喜んでいる場合ではありません。
それだけ肉体や生活の態度が問われるのですから。

実際にこのゆるい服、どこまで浸透するかわかりませんが、
日常的なウエアとしては出てくるだろうな。
体を鍛えている皆さんは、堂々と着てくださいませ。

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2014年6月22日日曜日

お金とは交換しないもの

内田樹先生のご著書をただいま4冊読み終わりました。
今日はこれから本丸のレヴィナスに突入。
で、先生が繰り返し述べていらっしゃるのは、
お金が発生しないところのエネルギーの贈与、
そして、そのためのコミュニティー作りについてです。
で、その中でエネルギーでもモノでもやりとりしてしまおうよ、と。

多くの「気づいてしまった」人たちは、
けっこう前から似たようなことを言っています。
市場主義経済はもう限界、
だって、開拓すべきところがないんだから、
ずっと成長し続けるなんて幻想、
だったら、経済成長しない社会ではどうやったらいいか、
こんなオルタナティブな方法はいかがと、
提案しています。
その一つが内田先生が提案する贈与であるし、
ローカルでエネルギーを回そうという提案です。
で、私もこちらの皆様に賛成なので、
似たようなことを今までも書いてきたと思います。

そんな中、
「私、男の人、5人養えるの~」とおっしゃる、
40代半ばの奥様にお会いしました。
私はその5人の根拠が何だかわからなかったんで、
「何を根拠に5人養えるのですか?」とお伺いしたら、
「だって、年収1500万だも~ん」ということでした。
そこで私は、
「5人で1500万って、ちょっと足りなくない?」と聞いたら、
「だって、今、平均年収が200万でしょ、足りるわよ~」ということでした。
こういう人、まだいるんだ、
面白いねー、
バブルはまだ終わってないだねと、
心の中で思いながらお話を聞いていると、
iPadを取り出し、
「今からこれ、買おうと思うんだけど、この中でどの色がお勧めかしら~」と
定価788円のキャミソールのどの色がいいかと私に聞くので、
「年収1500万だったら、もっといいの買ってくださいよ」と言ったところ、
「でも~、私の何億も稼いでる彼とか、兆稼いでる彼とか、
みんな、着てるのは○ニクロよ~」ということで、
そのキャミソールを買うということでした。
確かに、私としゃべっているあいだ、
ずっと胸元からピンクのブラジャーの端の部分を出しっぱなしにしていたので、
そういう人にはこういうキャミソールがお似合いなのかもと思い、
そのはみ出していたブラと同じピンクのものを勧めておきました。

で、こういう方たちは実際います。
もちろん、贈与もローカルもノブレスオブリージュも、
フェアネスについても考えてはいません。
考えているほうが、むしろ少数派ですから。
彼女がこれだけ堂々としていられるのは、
私は今の世の中のメジャー路線を走っているのよ、
という自負があるからでしょう。

そこで考えました。
私がもし男だったら、
この人に養ってもらいたいだろうか、どうだろうかと。
答えはすぐ出てきました。
「悪いけど、
お断りだよ。
俺の魂、200万で買おうなんて、
まだ悪魔に魂を売るほど落ちぶれちゃいねーよ。
それにこっちだって、
選ぶ権利っていうもんがあるだろ?
お金だけが魅力の女なんて、
意味わかんねー。
はっきり言って、いらねー」
となります。
私は美しい人が好きですからね。
心と魂もね。
そして心も魂も、お金と交換はしませんよ。


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2014年6月21日土曜日

2014年の夏至

今日は夏至です。
昼の長さが一番長い。
つまり、陽が極まった状態です。
これから陰に転じます。

変化というものは、まず気配から始まります。
思考より、もっと微細で繊細な気配。
その気配が形になるまでには時間がかかります。

その気配を感じ取ることに敏感な人たちが少数いて、
その人たちは、いち早く変化に気づきます。
2014年の夏至は、気づいた人たちと、
そうでない人たちが分かれる地点かなと思います。

いち早く気づく勢力のほうが、いつも少数派です。
今もまだ少数派です。
けれども、そろそろ勢力範囲を広げています。
きのうの話の続きでいけば、
パスする人と、
パスしないで持ったままで、その持っている量を自慢する人です。
流れを促す人と、
流れをせき止める人。

流れをせき止める人には、
流れを促す人の、その豊かさが理解できません。
だから、いつもそのせき止めた量を自慢します。
ダムみたいに水をためていたのだけれども、
実はそのダムの水はもうかなり少ないということに気づかない。
なぜならそのダムには亀裂が走り、
少しずつ漏れていたからです。
水は流れているほうが美しい。
どんなに小さな川でも、流れている水のほうがおいしい。
美しくて、おいしい。
そっちのほうがよくない?

観察していればわかります。
流れていておいしい水と、
ため込んでいておいしくない水の違いが。

たぶん今日の夏至はその決定的な分かれ道の日。
美しく、おいしくありたいのなら、
流れる道を選ぶのがお勧めです。


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2014年6月20日金曜日

gifted

今朝はさっきまでフェイスブックでメッセージのやりとりをしていまして、
今日、地方からこちらへやってきて、
私と江ノ島へ行って、そのあとセッションをする約束になっていた方が、
知人に今、鎌倉のアジサイがきれいだと聞いたのでそちらへ行きたいということで、
私との約束はキャンセルするかもしれないということでした。
ま、そういうことをやる人はしばしばいます。
たぶん、そっちのほうが「ハッピーだから」という理由でしょう。
ハッピー至上主義の方ですから。
約束よりハッピーが大事なのです。至上主義者とは、そういうことです。

今日のお題のgiftedですが、
英語で才能のある人のことをこう呼びます。
つまり、才能とは贈り物だということです。
それを受け取った人がgiftedです。

ここのところ、内田樹先生の本をまとめて読んでいるのですが、
先生は「贈与論」ということをよく書いています。
その中で、
才能とは与えられたものなので、
それは次の誰かに渡さなければならないものだということを、
繰り返して先生はおっしゃっています。
そして、もしその才能を誰かにパスしないのならば、
その才能は枯渇するだろう、と。

才能に限ったことではないのですが、
ポスト・グローバリズムを見つめて、
もうこの贈与しか、残っていないだろうということです。
贈与なので、通貨との交換ではありません。
そのままストレートに渡します。

この贈与論ですが、私が前から言っていることと、
半分ぐらいは似ています。
つまり、エネルギーを奪うだけで、そこで止めているならば、
もうそこには戻ってこないでしょうという話です。

案外、ここでどつぼにはまっている人を多く見かけます。
誰かに対して無料で「あげる」という行為が嫌な人たちがいます。
等価交換、もしくは多く得る、それでなきゃ嫌であると。

エネルギーは循環していますから、
出したらそれはいつか戻ってきます。
ただ、そこには時差があります。
すぐにではありません。
それに対する信頼がないから、
よけいにさし出すのが嫌なのかもしれません。

一度した約束を、自分のハッピーのために反故にするならば、
そこでエネルギーはとまります。
戻ってはきませんから、
その人が受け取るときには、何かしらの等価のエネルギーか、
もしくはそれ以上をさし出す必要が出てきます。

内田先生は、よいパッサー(渡す人)であれと言います。
私はサッカーには興味がありませんが、
サッカーではよいパッサーであることが、
もっとも価値の高いことだそうです。
たしかに、受け取ったボールを独り占めしていたのでは、
ゲームにはなりません。

というわけで、私もよいパッサーであることを目指したいです。
エネルギーの循環を断ち切ることは、しません。

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2014年6月18日水曜日

才能ってなんだ?

才能とは何かという定義はいろいろあると思いますが、
私が考える才能とは、
まず何より続ける力、
そしてそれに対する努力も苦にならない力です。

誰でも何かしらの才能は持っていると思うのですが、
続けないことにはどうにもならない。
気まぐれとか、ごくたまにうまくできたとしても、
それは才能ではないのではないかと思います。

続けるにしても、それが月1度より週1度のほうが、
週1度より、毎日のほうがより才能が高いです。

毎日、ご飯を作り続けているのなら、
それは立派な才能です。
毎日、家の片付け掃除をきっちりやって、
いつでも誰がきてもいいように整えているのなら、
それだって、立派な才能です。

そしてもうひとつ大事なのは、
これを誰かに強制されてやるのではなく自分から進んでやること。
だから、会社や学校でやれと言われてやるのは、
才能とはちょっと違う。
誰にも言われなくてもできるし、
やることが苦にもならないのが才能です。

これができている人たちはみんな知っていると思うけれど、
毎日続けると、発見があって、それに対して工夫が出てきます。
そしてその能力や技は磨かれていきます。
それは続けないと出てこない能力。
そして、やってみて初めてわかること。

私もこの日々雑記ブログを始めてそろそろ2年ですが、
毎日書いていてわかること、発見すること、工夫することがいろいろありました。
まず毎日書く体力をつけて、自動的に書き出すと、
自分でそれまで考えてもいなかったようなことが、文章として出てきます。
これは発見。
自分でも発見。
知らなかったこと。
で、それが積み重なっていくと、なんだか知らないところまでたどりついている。
それは私が想像していなかった場所です。

続けているから見えてくること、
できるようになること、
その積み重ねが才能となっていくのでは?

そうそう、写真を毎日撮り続けるのは私にとって、努力を要しました。
あれはちょっと大変だった。被写体が必要だし。
ま、そっちのほうは才能ないということでしょう。
毎日、写真を撮り続けることができる人もいるでしょうから。

続けるか続けないかは、その人の意志次第です。

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2014年6月15日日曜日

ファッションは芸術ではないですよ

そろそろセールの季節です。
もうすでにちょっとずつ始まっています。
まずは3割引き、そして5割引き、
それでも売れなかったら、7割引きから8割引きぐらいまではいきます。
売り出してから、たかだか4カ月やそこらで金銭的な価値が半減します。
そんなものが、芸術なわけないです。
すぐれた芸術は、経年によって価値が上がっていくものです。

ほとんどのファッションは芸術ではありませんが、
その中のほんの少し、
0.1パーセントにも満たないくらいのものは、
美術館で所蔵する価値のある、
芸術に近いものになり得る可能性を持っています。
たとえばディオールのニュールック、
ヴィオネのプリーツのドレス、
スキャパレリによる舞台衣装など。

もし、それぐらいの価値のあるものに出会えて、
所有できたら、それは幸運です。
そしてそれは決して使い捨ての対象ではありません。
芸術が使い捨てのものでないように、
芸術に近いものは、使い捨ての対象にはなりません。

半年やそこらで価値が半減し、
多くのものが使い捨てされる現在、
芸術に近いファッションは少ないです。
そしてひとつひとつの価値も薄く軽い。
だから、満足しません。
満たされた、もうこれ以上、いらないという状態がなかなかやってこない。
しかも、それを数で埋めてもどうにも埋まらない。

音楽でも、美術でも、
長く生き残るものは、人間界をこえた神(あるいは宇宙)の領域に届いたもの。
無限のエネルギーの入口に届いたものは、
ほんの少しでも、そこから流れ込むエネルギーで、
おなかがいっぱいになります。
そんなものは量産できない。
エッセンスは薄められすぎて、もうすでに効果はない。

大量生産であればあるほど満足できない。
そして、芸術からは遠ざかる。
これはすべてのモノについて言えるかもしれません。
ここからどうやって抜け出すか、
それがわかれば、
大量に買っても満足できない時代は終わるでしょうね。

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2014年6月12日木曜日

考え方を変えないとね

どうやら日本社会は完全に振り切ったようです。
もうとうぶん、景気がよくなることなんて、ないでしょう。
そして、女性に関する労働環境は、ますます悪くなっていく、
というか、よくなりようがないです、こんな法律のもとでは。
(この場合の労働環境は、勤め人という意味なんで、
自営業者はのぞきます。)

それでも生活して、服を着ていくときに、
今までと同じ考え方だと苦しくなります。
どういうことかというと、雑誌が提案するファッションなど、
ほとんどの人には手が届かないものになる、
ということです。
あの値段のものを実際に買える人は、
ごくごく一部です。
(今だってそうでしょうけど)
もし女性向けファッション誌が今のスタンスを変えないのなら、
このギャップはどんどん広がります。
見せつけられても、もう手に入れる余裕は、
ほとんどの人になくなります。
そしてそのギャップが苦しみを生み出します。

じゃあ、どうするかって。
その価値観で生きなければいいんです。
雑誌は雑誌、私は私、関係ないというスタンスです。
雑誌はしょせんファンタジー。
ファンタジーなんで、もはや参考にはならないです。

「洋服」「おしゃれ」に関する考え方を今までとは違うものにしていく。
(そういう提案はたくさんしているつもりですが)
新しいものをどんどん買ったり、
ブランドもののバッグを買える時代はもう終わり。
そりゃいつかは変化するでしょうけど、
そう簡単に次の時代はこないでしょう。

でも、逆に考えたら、
これはいいきっかけです。
おそかれ早かれこうなるでしょうから。
今までがバブルでした。
バブルはまだ完全に終わっていなかった。
でも、もうこれで終わり。

洋服ごときに生活や精神を圧迫されないように。
大丈夫です、できます。
ここからは知恵を働かせる必要がありますけどね。

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2014年6月11日水曜日

これぞパンク: Vivienne Westwood at TEDxAmRing


きのうヴィヴィアン・ウエストウッドがグローバル経済の罪について語っている動画を見ました。
(下にはってあります)
その中で彼女は、
「それぞれがグリーン・エコノミーに対してできることがある。
誰かが何かやってくれるだろうと思うのではなく、
どんな小さなことでもそれぞれができることをするべきです。」
と語っています。
この「するべきです」はhave to とshouldです。

これぞパンクであり、ノブレス・オブリージュです。
日本でファッションというものは、
多くが、
そのときだけ楽しければいいじゃん、
誰が作ったかどうかなんて気にする必要ないし、
将来や、世界のことなんて、知ったことじゃないわ、
だって今が楽しくてハッピーなんだもん、
という位置づけでみなされていますが、
世界の目で見たら、
それは主流ではありません。

ヴィヴィアン・ウエストウッドはまさにパンク・ファッションの元祖なわけですが、
精神もパンクです。
そしておかしいことにおかしいと叫ぶのは、まさにパンクです。
しかも、彼女は今では地位も名誉(デイムの称号を与えられています)、お金もあるわけですから、
そういう立場にあるものの義務として、
世界の平和のために活動する必要があるのです。

ヴィヴィアンもそうですが、
キャサリン・ハムネットも積極的に社会的な活動をしています。
昔から印象的なロゴで標語をデザインしたスローガンTシャツは有名です。

社会的に恵まれれば恵まれるほど責任が大きくなります。
その服は誰がどういうふうに作ったなんて関係ない、
なんてことは絶対にありません。
何ひとつ、人の手を通してつくられなかったものはないでしょ?
そこから始まって、世界はいろいろな形で大きくつながっています。

このことがわかっているかどうか、
そしてその上で行動できるかどうか、
これは大きな分かれ道だと思います。
たぶんだけれども、
自分のことだけやっていた人たちは、
きっと滅びていきます。
観察し続ければ、
きっとそれが明らかになる日がくるのがわかるでしょう。

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2014年6月10日火曜日

コンクールの優勝者はどこへ?

ブンカにいたときの話ですが、
ファッションのコンクールがさまざまありました。
ほとんどは学生か、または卒業後3年以内ぐらいの人が応募できます。
有名なのは雑誌の「装苑」がやっている装苑賞。
ヨージさんを含めた、有名なデザイナーが選考委員です。
だから、学生にとって、それに選ばれるということは、
ものすごく名誉なことです。
当然、将来は約束された、と錯覚してしまいます。

しかし、後年になってわかることですが、
たくさんあったコンクールの優勝者のほとんどは、
デザイナーとしては成功していません。
彼らは、コンクールに勝つのは得意なものたちだったのですが、
実際の服作りには不向きなものたちなのでした。

だいたい、コンクールで優勝するような人の作る服は、着られません。
大きなオブジェみたいなものを背負って歩くみたいな感じです。
婦人服向けのコンクールなのですが、
そんなの着る女の人はいないよね、という服ばかりでした。

なぜ選考委員のデザイナーたちは、
そんな着られない服ばかりを選び続けるのか、
理由はわかりません。
ショーとしての見世物には、確かになったかもしれませんが、
選ばれたとしても、その後のキャリアには何のたしにもならないのですから、
意図するところは不明です。
(かえって、下手に持ち上げられてプライドが高くなり、
キャリアの邪魔になったかもしれません)

不明なのですが、私が察するに、
選考委員会のデザイナーたちは、
無意識に、本当に実力のあるデザイナーを選ばないのだと思います。
なぜなら、ライバルになっては困るから。
育てる視点を持った人と、
同じ地平に並ぶデザイナーとではおのずから選ぶものが違うはずです。
選考委員が同業者ばかりというコンクールで優勝しても、
その後、活躍できない場合が多いのはそのためかなと思います。

コンクールで優勝して、
余計なプライドを背負って、世間の荒海へ出航した、
あの20代の若者たちは、今ごろ何をしているのでしょうか。
もう服作りはやめたかな。
人が着られない服作りに情熱をかけてしまったのですから、
それも仕方のないことだと思います。

つまり、ある小さい世界で認められなかったとしても、
気にすることはないということです。
それはその人たちの単なる好み。
違う世界にうつったら、違う価値観が存在します。
コンクールでさえ、その程度のものだということです。

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2014年6月9日月曜日

モノはしょせん有限

たくさん服やバッグを持っていることと、
毎週いろいろなカフェやレストランへ行ったことや、
どこどこへ旅行へ行った写真をFBに載せることと、
ハッピーであることとは全く関係がないと、
多くの人はもう気づいたと思います。
モノや食べ物なんていうのは有限のものだから、
その幸せも有限というわけです。
有限で、しかも1つの質量が少ないから、
もっともっと必要になります。
一種の依存症です。

ハッピーを有限のもの中に求めないで、
無限の中に見つけてしまったら、
その質量の大きさに圧倒されて、
渇望感は消え去ります。

必要以上に何かを持っているとしたら、
それは疑ったほうがいい。
どう考えても、必要以上に何かを持ちすぎたり、
集め過ぎたりしているとしたら、
逆にそれは、自分が不幸だよとみんなに教えているようなものです。
だから、そんな人たちのことを、
たくさん持っているからといって、
うらやましがる必要はないです。

たくさん持っている人の、
あのスカスカした感じは、
こちらまで不安にさせます。
会って話した後に、充実感が残らないのは、
そんな人たちです。
どうしてそうなっちゃったんだろうね。
たくさん、そして複雑な理由があるでしょう。
糸がこんがらがっているので、
原因にたどりつくのは難しそう。
それでもほどくことは可能です。
その人が望めば、の話ですけどね。

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2014年6月8日日曜日

雨の日々雑感

梅雨が予定どおりにやってきて、
雨の日々が続いているので、
1度しまい込んだハンターの長靴を、また箱から出しました。
ハンターの長靴、雨の日は大変心強いんだけれど、
脱ぐのが大変なんですよね。
なかなか脱げなくて足がつりそうになる。
でも、今年の大雪の日も含めて、ずいぶんはいています。
大雪、大雨、台風の日、全部使えますから、
長靴はあったほうがいいものです。

音楽(といってもロックなんかですけど)とファッションについてちょっと調べていたら、
結構知らないことがあって面白かったです。
たとえば、オアシスは労働者階級出身なので、ジーンズにパーカーなどの、
あのスタイルは労働者の若者に多いスタイルだけれども、
だんだんロックの成功者にも労働者階級出身者が減ってきて、
コールドプレイになると、もう中産階級なので、
着ているものは違う(要は、こぎれいになった)のだとか。
着ているものと階級には関連がありますから、
どうしてそのスタイルなのかということも、
見た目だけではわからないなと思いました。

誰かのブログで、
パリの街は大好きだけれども、
フランス語にも、フランス文化にも全く興味がないと、
多少自慢げに書いている人を見ました。
それも1つのスタンスだとは思いますけれど、
それって、人に対して、
あなたのルックスは大好きだけれども、
あとはどうでもいいと言っているのと同じなのではないでしょうかね。
ルックスだけが好きな相手なので、たまに美しいうわべだけ見ればよいということでしょうか。
1年に1週間の旅行なら、それも可能なのかもしれません。
(でもそういう人って、フランス映画も見なければ、小説も読まないし、
「天井桟敷の人々」も「危険な関係」もどうでもよい。
エリック・ロメール、は?何それって感じ。
建築史にも興味がないだろうから、この建物はいつの時代とかもどうでもいいし、
ル・コルビジェが誰かさえどうでもいいし、
ル・ノートルの整形式庭園なんか意味ないし、
アール・ヌーボーとゴシックの区別も関係ないし、
ノートルダムのガーゴイルも、なんか変なものがいる程度だし、
パリの区割りはエスカルゴと同じとか、
美術の話も出ないわけだから、ある意味、すごいよね。
ルーブルなんて行かないし、ヴァトーの「ジル」も見てこない。
好きと言っておきながら、そこまで無視するって、できないよねー)

ファッションにも似たところがあって、
常に見た目、見た目、見た目だけを強調されます。
だけれども、見た目だけではわからないことが多いです。
見た目だけで、
どこでだれが作ったか、さっぱりわかりませんし、
なぜその人がそれを着ているかもわかりません。
だけれども、
見た目がよければそれでいいじゃない、
楽しければいいじゃない、
ハッピーならいいじゃない、
とずっとやっていって、
見た目というモノとしての情報のほんの上澄み5パーセントばかりで判断するのは、
知的とはほど遠いです。
それでいいと言う人もたくさんいるでしょうけれども、
やっぱり私はそれは選ばない。
見た目だけで選ばない。
それはモノも、そして人も、です。

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2014年6月7日土曜日

ノブレス・オブリージュ


ノブレス・オブリージュとは西洋の考え方で、
「高貴な者には責任が伴う」という意味です。
この考えは現在でも生きていて、
たとえば地位、名誉、財力のある人、あるいは団体は、
それ相応の行動を、それがない人たちに対して行うべきであると、
考えられています。

ノブレス・オブリージュについて考えるとき、
私が思い出すのは、
ジェーン・オースチンの「エマ」のもっとも山場の場面です。
貴族のエマは自分に縁結びの才能があると思いこみ、
いろいろと余計なことをやらかすのですが、
物語の最後のほうで調子にのって、
ミス・ベイツという経済的に恵まれない立場のハイ・ミスのことを、
ちょっとおしゃべりが過ぎるという理由でバカにして笑うのです。
そうすると、紳士のナイトリーさんというエマが本当に愛している相手から、
怒られます。
そのときの理由が、あなたは高貴な人なんだから、
貧しい人を笑ってはいけません、というものなのでした。
そして、エマは改心するのです。

この場面、ノブレス・オブリージュがわかっていなかったら、
意味がよくわかりません。
エマの視点に立っていると、笑って当然じゃない?なんて思うのですが、
そうではないのです。
貴族たるもの、貧しいものを笑ってはいけないし、
逆に支援するという義務があるのです。

このノブレス・オブリージュなのですが、
これがあるために、今も特にヨーロッパの有名人やお金持ち、
大きくなった企業などは、何らかの支援事業を行います。
これはファッション・ブランドも同じで、
アートやアーチストへの支援が多いです。
それは、利益を出す事業とは別に行います。
シャネルも若い音楽家を支援していると思います。
ファッション以外では、
ミュージシャンでアムネスティやオックスファムを支援している人たちも多いですし、
作家のJ.K.ローリングは資産の何割かを子供のための支援に使っています。

日本のファッション・ブランドが急激に衰退していったのは、
1つにはこのノブレス・オブリージュの問題があると思います。
90年代、日本のブランドの多くがパリにおいても成功し、
事業を拡大しました。
けれども、そこでどこかの支援を始めたという話は、
一つも聞きませんでした。
集めたお金はとにかく自分たちの事業の拡大、発展のために使っていました。

個人でも会社でも、ある程度お金のある人たちは、
それを自分だけのために使うのではなく、ほかのそうではない人たちに、
たとえば寄付などの形で使うことが当たり前なヨーロッパの文化の中で、
それを全くしないでいたら、それ以上の発展はないのでしょう。
(もちろんそれをマーケッティングの一環として行う企業もあります。
あそこ、とかね。でもやらないよりはまし)
お金だけを集めて、自分だけのために使う姿は、
それが人でも企業でも、
かえって卑しく下品に見えます。
自分の幸せや裕福ぶりを見せびらかすのでしたら、
それにふさわしい寄付なり、慈善事業なりをする必要があるのです。

お金や権力、地位があって、それをぎらぎら見せつけるだけで、
それに伴う義務や責任を放棄するのは卑しいこと、
そのことを理解していない日本のブランドは、
それ以上、ヨーロッパで認められることはないでしょう。

日本のファッションの衰退の原因は、デザインだけではなく、
ほかにもいろいろあるのだと思います。

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☆動画:最近、これが好き。ヨーロッパの没落貴族のイメージ。そしてフィレンツェ。
 






2014年6月5日木曜日

柄物がふえている

きのうはグッチの2015年プレ春夏のコレクションが発表されていたので、
それをながめていました。
柄物、特に花で、大柄なものがふえています。
花の描き方も緻密というよりは、
少しラフで、写実的ではない感じ。
柄物のドレスやシャツなど、スカート、パンツまでありました。

柄物については、前におしゃれブログのほうに書きましたが、
難しいです。
私の場合は、なかなかこれが好きと思える柄物に出会わないので、
着たくないわけではありませんが、
あまり買いません。
特に大きな柄は、背が低いため、難しい。

しかし、さすがにグッチ様の柄は美しいです。
こういうのならいいよね、と思える柄です。
(買いませんけど)

これだけ柄物が出てきているのには、
何か理由があるはずです。
ボッティチェリのウフィツィ美術館にある「春」には、
花柄プリントのドレスを着た女神さまが描かれています。
初期ルネッサンスです。
今、気分はルネッサンスなのかしら?
だとしたら、今までは中世ってこと?
確かに味気ない工業生産時代は、
中世に似ているのかも。

また、最近では、バーバリー・プローサムのバッグのように、
革のバッグの上に柄を描いてしまうものもどんどん出てきています。
しかもどれも大きい柄。柄のいきをこえて絵です。
ディオールの新しいバッグにも花の絵が描かれています。
(ディオールの新しいイメージヴィデオのBGMはディペッシュモード)

これからルネッサンスがやってくるという気分をデザイナーが先にキャッチしているなら、
今は中世の最後の暗黒時代。
暗黒時代はいずれ終わって、ルネッサンスがやってくる。
とにかく時代の変わり目であることは確かで、
たぶん今はその終わりのほうなのでしょう。
永遠に続く社会システムなど、ありませんから。

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2014年6月4日水曜日

ファッションより重要なこと

私がいつも、ワードローブの構築と、
毎日のスタイリングをもっと体系的、計画的にやりましょうとおすすめするわけは、
ファッションにかかわることに多くの人が時間もお金もかけすぎだと思うからです。
女性向け雑誌のほとんどはファッション誌で、
それはほとんどの年代向けで、
あきれるほどの商品の情報であふれていて、
追い立てられ、あおられるけど、
ファッション業界以外の人にとって、
服なんて、人生において、そんなに重要なことじゃないです。

重要じゃないんだけど、
その割には、時間的、金銭的、空間的、労力において、
多くの人がエネルギーをとられすぎています。
しかも、服というのは感覚と物質の問題なんで、
結局のところエゴです。
服を着てよく見せようなんていうのが、
そもそもエゴです。

人間なので、服を着たり、靴をはく必要があるのは確かなことです。
また、人間ですからエゴはありますが、
このエゴの問題にあまりにとらわれると、
全体が見えなくなります。
今、感覚が快楽ならいいじゃない、みたいな刹那主義に陥ります。
全体でなくて部分しか見えない。
ひどい人になると、
自分の半径10メートルぐらいしか見ない。
その次は学校の中ぐらいの範囲。
次の人は代々木から新宿ぐらいの範囲。
たしかにね、そこだけ見ていれば、すべてがハッピーかもしれないけれど、
その上に地域、社会、文化圏、世界、宇宙という範囲がありますから。
それはあまりに小さい人生であり、
可能性は狭まります。

魂レベルまで届く服なんて、ほとんどありません。
(絶対ないとは言わないけど)

だからその小さい可能性の世界の中に閉じ込められないためにも、
洋服その他に関しては、もっとシステマティックにやってしまったほうがいいです。
最小の労力で、最大の効果を発揮できるように。

そして自分の中のエネルギーの多くを、
もっと大きなもののために使っていく。
1度気づいたら、そちらの可能性の大きさに驚くと思います。

もし私がずっとアパレル業界で働いていて、
朝早くから夜遅くまで会社に閉じ込められて、
休みもなく働いていたら、
そのことに気づかなかったでしょう。
モノを得ることでは絶対に届かない、
その先の世界、
そしてその先の宇宙の広さと深さについて。
それは服だけやっていたのでは、
絶対に行けないエリア。
そしてずっとずっと大事なエリアです。

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追記:ウクライナは、もう大丈夫なのかしら?





2014年6月3日火曜日

いいものを持っているのなら、それは使うに限る。

きのうは持っている真珠があるのだったら、
使ってしまおうという話を書きましたが、
真珠だけでなく、ダイヤモンドでも何でも、
いい食器でも、いいバッグでも、
何でも、もし持っているのだったら、
使ったほうがいいです。

ワードローブの数を減らしたシンプル・ワードローブにしてしまえば、
もともと持っている数が少ないので、
使わざるを得なくなりますが、
たくさん持っている方だと、
いいものなのに使っていない、
いわゆる死蔵品を持っている人が多いです。

高いものでも毎日使ってしまえば、
高くはないです。
減価償却と同じ考えです。
10万円のものを10年かけて使うのだったら、
1年1万円です。
1年のうち5回使うのだったら、
1回使用ごとに2000円だけれども、
100回使うのだったら、1回使用するごとに100円です。

「衝動買い」やら、「ひとめぼれして連れて帰った」などの言葉に象徴されるように、
ファッションに関するかかる費用は、
超短期的、しかも無計画な言葉で表現されることが多いです。
でもそうやって買い続けてきた結果が今の姿。
全然うまくいかなかったでしょ?
1年の予算を作って、その中で行動すれば、
持っているものが死蔵品だらけなんてことにはならないはず。
(もちろん失敗もあるけれど)

予算を立てる、
持っているものは使う、
建設的なワードローブを構築する、
これらのことをやれば、
やせ我慢することなく、
消費税が値上がりした分以上に、被服費を減らすことは可能だし、
失敗したもの以外はリサイクルショップに売る必要もない。
ほとんどのものは壊れたり、穴があいたり、破れたりして、
使い切ったころ、お別れすることになる。
これら全部、知的な作業。
感覚と知性、その両方とも必要です。

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2014年6月2日月曜日

真珠を持っているのなら、それは使うに限る。

きのう、初めてネットのオークションのサイトをよく観察しました。
聞くところによると、最近、
リサイクルショップに服やアクセサリーを持っていっても、
100円にもならないという話を聞いたからです。
リサイクルショップよりは、まだオークションのほうがましであると。

確かにリサイクルショップや質屋さんは、
中間マージンを取られますから、
買い取り価格と売るときの価格がかなり違います。
その点、オークションは売れたらその額が自分に入りますから、
そのほうがいいに決まっています。
ただ、売れたらの話ですけど。

オークションでも、ある特定のブランド品の価格は安定していました。
それでもひと昔より安く取引されている感じはします。
しかし、何よりも驚いたのは真珠のアクセサリーの値段の安さ。
新品で定価が15万円なんて書いてあっても、
売値はせいぜいよくて1000円。
ほかにも150円とか270円とか書いてありました。
きのう見たときはミキモトや田崎なんかのブランド真珠はなかったのですが、
それにしても、安すぎ。

真珠って、確かにジュエリーで、ジュエリーショップで売っているものですし、
買うときはそれなりにお値段がしますが、
やはりもともとは生物の一部分なので劣化します。
金やダイヤモンドと違って、永遠の価値があるものではありません。
たぶんそれが原因で、1度、誰かの手に渡った真珠は、
いわば二束三文のようです。

だとしたら、いらなくなったら売ろうとか考えないで、
今持っている真珠は頻繁に使うほうがいいです。
パールのネックレスって、持っている人は多いと思うのですが、
実際、やっているかというと、そうでもない。
明らかなイミテーションのじゃらじゃらしたものをやっている人は多いですし、
最近は、コットンパールという手軽なものも出てきたので、
それをしている人はよく見ますが、
本物の真珠をしている人を多く見かけるのは、
お通夜とお葬式ぐらい。
でも、真珠をお通夜とお葬式にしか使わないなんて、もったいないです。
買ったときから劣化は始まって、
いらなくなっても、二束三文でしか買い取ってくれないのだったら、
とにかく機会があるごとに身につけたほうがいい。

ただし、真珠は汗に弱いので、夏は注意です。
使い終わったら、汗をふいておきましょう。
酸にも弱いとのことなので、果物にも注意。

服もバッグも靴もジュエリーも使わなかったら、ただの置いてあるモノ。
手に入れたなら、放っておかないで、売れなくなるほどに使い切りたいです。

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