2014年3月30日日曜日

職場の服装が大混乱しているらしい

最近、よく聞くのですが、
今、職場の女性たちの着るものがノー・ルール状態になっているらしいです。
オフィシャルとプライベートの境目があいまいになって、
スカート丈がどんどん短くなり、
とにかくゆるい方向へ向かっていってしまっているということ。
パンツが見えそうなスカートも当たり前だし、
チュニックだって普通ということで、かなり「ゆるい」ようです。

私は最近、会社組織には縁がないので、
ほとんどその内部に行くことはありませんが、
きょねん、何度か行った市役所と税務署は、職員の人たちがポロシャツやら、チュニックやらで、
随分とゆるいなとは思いました。
そのときは、この人たち、バイトかなんかなんだよねと思って、
その場はそれ以上、考えなかったのですが、
どうやら、バイトとか、正規の人とか、関係なくそうなっているらしいです。

それはたとえば、非正規社員の問題とか、経済的な問題とか、日本の真夏の暑さとか、
日本の女性の地位の低さ、男女平等度の低さなど、いろいろな原因があって、
その結果だと思います。
ゆるい格好で仕事をする人たちを、ゆるすぎる、やすすぎると一概に非難するわけにはいきません。
ここら辺、どうしようかということについては、明日、おしゃれブログのほうに書きたいと思います。

でもこの瓦解の傾向は、今後ももっと進んでいくでしょうね。
不平等な組織の中では、不釣り合いな装いしかできないわけですから。
意識していなくても、それが服装にあらわれているだけです。
正規の男性はスーツ、そしてそれに対して平等でない立場にいる人たちは、
同じレベルのスーツにはならないでしょう。
もし同じことを求めるなら、徹底した平等が実現してからになります。

平等が進んだ職場、職業においては平等なよそおい、
不平等が進んだところでは、限りなく離れたよそおい、
普通に考えれば、そうなることはわかりきったことです。
その服装、何とかしてほしいと言うのなら、まず平等を実現せよ、ということです。

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2014年3月29日土曜日

NORMCORE(ノームコア)

きのう、ネットのBritish Vogueのコラムを読んでいたら、
ノームコアなるファッション用語が出てきたという記事がありました。
ノームコア、つまり肝入りノーマル。
今の日本語で言ったら、ちょー普通じゃん、みたいな感じでしょうか。

説明によれば、この言葉は最初、ウィリアム・ギブソン(そう、あのサイバーパンクの!って、私は読んでませんが)の「パターン・レコグニション」の主人公のスタイルだそうで、
ロゴ恐怖症の主人公がごく普通の服を着て、そしてロゴがあったら、そのロゴを切り取って着ているというところからきたそうです。
どうやらこの主人公は、服につけられた情報と意味から逃れるためにそうやっているようなのですが、今呼ばれているのはそういうことではなくて、みんなと違うを目指すのは疲れちゃった、だからみんなと同じ、ちょー普通でいいのよ、ということのようです。
(ここら辺、解釈は間違っているかもしれませんが)

そこでそのノームコアの見本として掲載されていた写真はほとんどがモデルで、
黒スキニージーンズ、Tシャツ、バイカージャケットというようなスタイルです。

これがこれから流行ると言われているようですが、こんなスタイルは、名前こそついていなかったけれど、前からみんなしていたことだと思いました。

特にファッション業界ではそうですが、毎日毎日、デザインされた過剰なものを見ていると、
お腹がいっぱいになるんです。
それは毎日、豪勢なフレンチのフルコースを食べているみたいなもの。
そりゃ、毎日だったらあきます。
たまのフレンチのフルコースはいいですが、
毎日はご飯とお味噌汁がいいよね、みたいな感じになってきます。
それがたどりつくのがちょー普通です。

昔から、デザイナーはジーンズに白シャツという人が多いです。
女性のデザイナーも黒子みたいな格好をしている人がほとんどで、
毎日、疲れちゃうような大げさな格好をしている人は少数派です。
(いなくはないです。います)

一方、モデルというのは、これもまた、毎日毎日いろんなごちゃごちゃした服を着せられるわけです。
だから、日常は普通の疲れない服がいいわ、となるし、
第一スタイルがいいですから、そこら辺にある普通のものが一番かっこいいわけです。
スタイルがよければよいほど、服がごちゃごちゃしていないほうがかっこいいです。
そういえば、どんな服着てたっけというぐらいでいいのです。
(ここら辺のことは、前におしゃれブログのほうにも書きました)

ただ、これらはファッション業界という、普通とはちょっと違う特殊な業界の人たちの話。
そうではない普通の人たちの間にも広がるだろうと言われているらしいです。
けれども、もうすでにそうである人たちはそうでしょう。
今さらラベリングされなくても前からいたよね、と思います。
日本だって、ボーダーシャツにジーンズ、トレンチコート、スニーカーという、これもまたちょー普通の人たちは、随分前からたくさんいました。
それから、理系の大学の男子に多い、チェックのシャツにジーンズだって、ちょー普通だし、みんな同じです。
日本では逆に得意分野かもしれません、ちょー普通って。

今さらなぜこのスタイルに名前がつけられたかは知るよしもありません。
そして、名前をつけることによって、どんなメリットがあるのかもわかりません。
アメリカ発祥ということなので、マーケッティングのためでしょうか?
さて、わかりません。

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2014年3月26日水曜日

春がきている

今朝、犬の散歩に出てみたら、
うちの近くのソメイヨシノがほんの少しですが、咲いていました。
うちのスイセンも満開です。
2月があんまりにも寒かったので、春がすごく遠く感じられていたのですが、
気がつけば、春はここかしこにやってきました。

気温が上がって、固くなっていた身体が少しずつゆるんでくるのを感じます。
人間だって、季節と連動しているので、
放っておいても、自然に変化していきます。
その変化は、私が決めたわけではありません。

意図は必要だけど、コントロールできないと認めることは重要ではないのかなと、
最近、特に感じています。
たとえば、生まれたときのホロスコープが、
月にカイロン(傷をあらわす)と土星が0度で、それに対して冥王星と天王星が180度の人がいたとしたら、
天真爛漫に、自分に自信を持って、笑っていられるとは思えませんから。
「自分が現実を創造する」と言い張るのだったら、
まずそこから決めてほしいです。
(もちろん自分のお好みの容姿でね)

コントロールできないと認めたり、
あきらめたりすることが絶望的だと思っている人も多いみたいだけど、
そんなことはまったくなく、むしろ逆のことが多いと思います。

ただ、自分ができることまで放棄するのは意味が違うので、
そこを勘違いしてはいけません。
服なんていうのは、自分でコントロールすることができる部分が多いパートです。

自分よりずっと大きい力、
それは毎年、春への変化を起こすような、
そんな力をいつも信じることのほうが、大事だと思います。

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2014年3月22日土曜日

春の空気

きのうは私の家のすぐ近くのオーガニックの農家さんでワークショップをやって、
半日ほどそこにいたのですが、
遠くに行ったわけでも、知らないところに行ったわけでもないのに、
いつもとは違う空間、空気の中にいたような感覚で、
しかもその感じは夜まで続いて、とても不思議な感じがしました。
完全なる田舎でもないし、もちろん自然の中でもないのですが、
植物が今から芽を出して、花を咲かせていこうという時期のぞくぞくした感じが、
空気に充満していたのかもしれません。

今思い出しましたけれど、
これはイギリスで春の庭をまぐっていたときに感じた感覚と似ています。
それは美しさともまた違って、どきどきするものなのです。
きれいなお庭だからとか、花がたくさん咲いていたからとかともまた違います。
そして、決して写真を見ただけでは、その感覚は伝わりません。

都会の中で経験する楽しさの後の、あの独特の疲れた感じとは全く違う、
行動した後、さらに気が満ちるような感じ。
植物に触れている人たちは、これがあるから若々しく見えるのでしょう。
そして、心にがさがさした感じがない。
なぜなら、そこにすべてあって、
それは所有する必要もなく、
無限だから。
まだ形になる前の、エネルギーだけの形のみが出現している状態。

無限のものに接すると、確実に若くなりますね。
それは精神も、肉体もです。
(というわけで、きのうの参加者は、みんな若くなったわけね)

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2014年3月21日金曜日

次にくるもの

2012年の段階で、私はファッションの流れはこれからロマンチックへ移行して、
シルエットが変わり、フリル、レース、ドレープ、プリーツなど、装飾が過剰になると書きました。
現在、そのとおりになっています。
では、その次にくるものは何か。
それは大体予想がついています。

シルエット、フリル、レース、ドレープなどは、服の構造や装飾に関するものです。
それらについては、ほぼ出そろったと思っていいでしょう。
これ以上、付け加えるところはありません。
今は、今まで使われていなかった古い手法をあちこちから引っ張り出して、
久々に手にとってみたら新鮮に見える昔のジュエリーのように、
また使ってみているという状態です。
こうやって、古い手法の焼き直しがひととおり終わったら、
次は、その意味するところが吟味されます。
服それ自体にもっと意味を持たせるようになると思われます。

そして服はもっと神話的、呪術的、象徴的になっていくでしょう。
そう言えば、私も最初の段階で、女神のようなスタイルになると書いていました。
今はまだ、構造の変化だけで、女神領域までは達していません。
女神のようなとか、物語のお姫様のようなとか、
もっと服そのもの、スタイルそのものが意味あるものになっていくと思います。

それと同時に、ディテールは象徴的なものになります。
たとえば、ジャケットの裏にマントラのような言葉がプリントされたりとか、
何かを象徴するアクセサリーや刺繍、アップリケなど、
それがあることによる意味が強調されると思います。
単なる飾りではない、もっとその先の意味があるもの。
花はただの花ではなく、
バラであるとしたら、ヴィーナスの象徴であるとか。
(十二星座のシンボルはもうすでに出現済みです)

象徴なので、意味は1つではありません。
何重にも重なり、どこまでも深読みでき、わかる人だけにわかるというような、
そんなシンボルが使われるでしょう。

これらは大昔、ギリシャ時代や、そしてもちろん日本の古代においてもなされていたことです。
意味のある色や形を着るということ。
これが、現代の新たな解釈で復活します。
服にとって、この流れはとても面白いです。
問題なのは、それを楽しめる環境にいられるかどうか、ですね。

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2014年3月20日木曜日

やっぱりベージュは難しいよ

きのう、ファッション・レッスンで使おうと思って、
モードよりではなく、かつ完全にコンサバでもない、オフィスで働いている人が買うような、
そんなファッション誌を買いました。

そこで、見事に美しい色合いの、ベージュのコーディネイトのカットがいくつかのっていました。
ベージュの色がぴったり合っています。
美しいです。
そして、これはもしやと思って、
アイテムのクレジットを見ます。
1コーディネイト、アイテムはすべて同じブランドのものです。
しかも、これはモード雑誌ではないのですが、
ブランドはランバンやグッチ、ドルチェ&ガッバーナなど。
つまり、最新のコレクションからベージュのコーディネイトを抜き取ったスタイリングが載っているのです。
それは完璧ですよ。
ベージュの明度も彩度もぴたっと合います。

これは何を意味するかと言えば、それほどベージュは難しいということです。
ほかのブランド、ほかのシーズンのベージュとは合わせられないのです。
なぜならベージュと一口に言っても、
色が違うからです。

で、そのあとにつづくページはもうハイブランドではありません。
そしてベージュだけのコーディネイトでもありません。
ベージュはどこか1か所のみ。それにほかの色を合わせています。
普通の人ができるのは、せいぜいここら辺がいいところでしょう。

ベージュでばしっとそろえたいのなら、
同じシーズン、同じブランドのベージュアイテムを買いそろえるのがベストです。
去年買った、あのベージュのジャケットに合うスカート、今年買うわとか言っても、
それは無理です。
100パーセントないとは言いませんが、探す労力が無駄です。

ベージュのものは買い散らかさないほうがいいです。
いろいろあっても、コーディネイトできません。
ベージュはやっぱり難しいです。

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2014年3月19日水曜日

全身黒は楽なんだ

きのう、SARTORIALISTの記事を読んでいたら、
ファッション・ピープルがやっているような全身黒ファッションより、
色、素材、パターンのミックスのほうがずっと面白くない?
というようなことが書かれてありました。
実際そのとおりで、全身黒よりも、色を使う方がずっと難易度が高いし、
それは面白いし、楽しいです。

黒をすべて排除する必要はないと思いますが、
とりあえず全身黒という装いは、逆に、お手軽な感じがします。
なぜなら色について考えていないから。

そういう私も、アパレル業界に勤めていたときは、
ときたま全身黒い格好で仕事をしていました。
あれはなぜなのかなと考えたら、理由は楽だからなんです。
とにかくファッション業界というものは、時間を拘束されます。
忙しいというのとは違うのです。
とにかく、自由時間を奪っていくのです、組織が。
あのころの私のやりたいことの第一は寝たい、だけでした。
とにかくいつも眠くて眠くて、1分でも長く寝ていたいのです。
日曜日は、朝起きて、朝御飯を食べて、 それから寝て、
また食べて、寝てと、それしかやっていませんでした。
そうなると、服の組み合わせを考えている時間さえ、もったいないのです。
そんなこと考える時間に、寝ていたかった。
となると、全身黒は何も考えなくてよくて、とても楽なのでした。
買い物も、毎日のコーディネイトも。
制服みたいなものでしょうか。

世界じゅうのファッション業界の人が、みんなこんな環境で仕事をしているとは思えませんが、
としたら、最悪なわけですが、
少なからず、全身黒の装いには、楽だからというのがあるのではないかと思います。

色のことを考えたら、それは大変です。
特に色に対する感性が鋭くなればなるほど、
ほんのちょっとしたトーンの違いも我慢できなくなりますから。
絵具ではないので、思うとおりの色の服をそろえることもできませんし。


色は難しいです。
特定の色の生地を求めて、1日、日暮里を歩き回っても、それでも見つかりませんでした。
全身黒の人たちは、あのころ、そんなことはしていなかったのでしょう。
黒ばかりの服を売っていたブランドの、あのころの興隆、そしてその後の衰退を見るにつけ、
どちらを選ぶべきだったかは、明らかだと思います。

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2014年3月18日火曜日

満月の夜の夢

きのうのちょうど満月のころの時間、
変な夢を見ていて、その夢が切れたところで目が覚めました。
どこかへ行って、部屋へ上がるために靴を脱ぐのですが、
戻ってくると、その靴が片方しかないという夢。
けれども、そこに残されていたのは、やけに立派なブーツで、
実際に私が持っているものではありません。
で、そのかたほうのブーツには、ブランドのラベルが貼ってあるのが見えて、
しかもメモが取り付けられているのです。
ブーツのもう片方が現在ある連絡先のメールアドレスと、それは3万円ですということ。
なくしたのに、戻してもらうのに3万円ってどういうこと?
と思ったところで、目が覚めました。

非常にはっきりした夢であったということ、
そしてそれが満月の時間であったということで、
その夢の意味についてきのうは考え続けていました。
特に3万円が気になります。
なぜ3万円なのか。
そうしたら、夜になってその意味がわかりました。

私はその満月の前の日、イギリスの会社にフラワーエッセンスを注文しました。
ただ、注文してしまった後に、もう少し必要なような気がしてきて、
いろいろ調べ始めていました。
そして、説明を読めば読むほど、私が欲しいと思っていたものにぴったりだということがわかりました。
特にその中の3本はどうしても欲しいと思ったものでした。

そうです。3万円ではなく、3本だったのです。
ではなぜ靴なのか?
これは夢が教えてくれたわけですが、
たぶん、私がすでに注文した分というのは、靴でいえば、片方分であるということ。
歩くためのもう片方は、まだ注文されていないということを示しているのだと思います。
しかも、それはとても立派なブーツなのです。
今の私がまだ持っていない、どこまでも歩いていけそうな、そんなブーツでした。

夢や瞑想で見たイメージは、解釈しないでいると、
意味をなしません。
だから、夢を上手に使いたいのなら、
自分の中の解釈者、解読者を育てなければなりません。
そうしないと、どんな重要なメッセージも、
単なるイメージの断片になってしまいます。
解釈できるようになるということは、
膨大な知識のネットワークから情報を引き出すことができるということです。
(しかもこの情報はただ)

夢が指し示す方向へついていってみたら、
どんなことが待っているのか、
試してみたいと思います。


2014年3月16日日曜日

どこで見分けるか

きのうはセッションで使うフラワー・エッセンスをイギリスに注文しました。
日本からも買えるのですが、日本で買うと現地の3倍なのです。
外国からの送料を支払っても、そのほうが安い。
別に違法なことではないですし、
支払方法もいろいろ選べますし、イギリス製なのですから、
おおもとへ注文しました。

注文を終えて、ペイパルでの支払いの終了のお知らせメールもきて、
ほっとしていたら、そのフラワー・エッセンスの会社より、
本当は割引があるから、今からすぐ返金しますというメールがきました。
額にして2000円ほど。
しかも、今なぜかペイパルでうまくいかなくて、でもこれから出かけるので、
戻ったらすぐやるから、ちょっとお待ちくださいねというような内容でした。

私はついこの前、日本で、しかもそれは対面で、
1万円のペイバックの件でもめたばかりだったので、
(自分たちがミスをしたのを、あなたが我慢しろで終わらせようとした件)
ちょっとこのご丁寧な対応に驚きました。
そして今朝、また、今度は返金が完了しました、というお知らせメールがきていました。
とてもご丁寧だったので、お礼のメールを差し上げたら、
またそれに対する返事のメールがきました。

結局、この対応の差は国ではなくて、その人個人、またはそのカンパニーの方針なのでしょうね。
受付や窓口はやはりそのカンパニーの顔なので、
その顔がどうかによって、その中身も推測できます。

というわけで、今度くるフラワー・エッセンスはとても期待できるのです。
作っている会社の対応がそんなだから、
できた製品もすばらしいでしょう。
単なる「金儲け」のものとは、一線を画すと思います。

有名でなくても、小さなカンパニーでも、
いいものを作っているところはあります。
そういうところのものを積極的に選んでいきたいです。
そしてそのよさは、細部にあらわれているので、
それを指標に選んでいけばよい。
きっとそれはいいものだと思います。
いいものに、違いないです。

2014年3月15日土曜日

猫の近況、卒業について雑感

ときたま、うちへいらっしゃるお客様に、
「まるちゃん、どこですか?」と聞かれるのですが、
大丈夫です、猫のまるちゃんはいます。
お隣の外猫をやっています。
大体、私が朝、犬の散歩に出るとき、
まるちゃんもお隣のお庭にいて、
私が名前を呼ぶと返事をします。
きのうは、名前を呼んだら、
向こうから走り寄ってきて、私の足にすりすりしてきました。
だから、忘れたわけでも、嫌いになったわけでもないのです。
ただ、おうちに入るのだけは嫌なんです。
「おうちに入ろうよ」と言うと、
それは無理、それだけは無理って顔して、また行ってしまいました。
最近は、お隣で1日3食いただいているようで、
うちにいたときよりもころころしています。

さて、卒業生の姿をちらほら町で見かけるようになりました。
私も何回か卒業を経験しましたが、
すべての卒業が本当にうれしかったなと思いだしました。
大体もうこれ以上、こんなところにいられない、というところで卒業です。
ブンカの卒業もうれしかった。
すごくうれしくて、謝恩会なんて出ませんよって言ったのに、
クラスのえらそうにしている女子から、出席しないのに1万円とられました。
今でもありありと覚えています。

大体3年から4年で、もうこんなところいられない、終わりだと思うということは、
人生にすると、もう何回も卒業式が必要になります。
自分でそういうきっかけをつくらないと、
卒業式はありません。
振り返ってみると、卒業式はやらないけれど、
3年か4年で何か終わらせたり、変えたりしているなと思いました。
何かの終わりは絶対必要です。
終わらせないと、始まらない。
手放さないと、入ってこない。
それは「知っていること」についても同じだと思うから、
ファッションのことについても、知っていることは書いてしまう。
出さないと、入ってこないから。

今年は何から卒業しようかな、
そんなことを今、考えています。


2014年3月14日金曜日

外国でのジャパニーズ・ファッション

ときどき、外国発信のブログやフェイスブックで、
ジャパニーズ・ファッション好きの人たちが、
その姿の写真をアップしているのを見かけします。
ここで言うジャパニーズ・ファッションとは、
パリコレクションで発表されるようなそれではなく、
いわゆるロリータ・ファッション。
ドレスにフリルがたくさんついた、パニエの入ったスカートに、
ボンネットをかぶる、あれです。
彼女たちは、アニメなどの日本のポップ・カルチャー好きな場合が多く、
それらへのあこがれから、日本のロリータ・ファッションを、
どちらかというと、扮装の1つとしてしているようです。

それがなかなか、これは似合うのか、似合わないのか、
謎な感じです。
日本のロリータ・ファッションは、西洋文化へのあこがれから生まれたと思うのですが、
それが西洋に戻っていくと、それはそれで、また何か変な感じ。

もちろん、ロリータ・ファッションというものが、
相当な勘違いの上にでき上がったというのはわかるのですが、
できあがったものが、その、相当な勘違いの大もとへ戻っていったら、
もうすでにオリジンとは別物になってしまっていて、
オリジナルが似合うであろう人たちには似合わなくなっています。
どこかのサイトで見ていただければわかると思いますが、
何か変な感じです。

人というのは、ないものに憧れるものですが、
日本で西洋にあこがれて、勝手な妄想で作られたロリータ像が、
(もちろん、ナボコフの「ロリータ」を読むわけでもなく)
今度はむこう側から着てみたいと思われるというのは、
面白いです。

でもたぶんこれは、単にその服の形だけのせいではなくて、
日本のポップ・カルチャーへのあこがれが裏側にしっかりあるからです。
文化が好きだから、そこの服にも興味を持って、着てみたい、
次は着てみて写真をブログにアップしたいとなっていったのだと思います。

逆に言うと、文化的にあこがれがないならば、
それほど人気にならないということです。

あこがれがあるからそうしたい、それが似合うとか、素敵だとかとは関係なく、
ということなのだろうと思います。

関係ないですけど、憧れという漢字は、心が童だと書くんですね。
心が子供のようになっちゃうということでしょうか。面白い。


2014年3月12日水曜日

欲しいような気がしているものではなくて、本当に欲しいもの

一人の人が受け取り処理できる情報量というものは、
限られているのではないかと思います。
私は日本のテレビと新聞をやめて、ずいぶんたちますが、
だからといって、入ってくる情報量が減ったわけでもないです。
何よりもネットにつながっているので、
減った分がそによってふさがれて、プラスマイナスゼロといった感じ。

人間が環境の産物であるならば、
情報環境にも大いに影響されるわけで、
そこを取捨選択していかないと、
どうでもいいことに影響されて、迷いっぱなしということになります。

で、多くのどうでもいい情報は欲望をあおって、
いらないものまでいるような気分にさせるので、
そのあおる情報から距離を置き続けるということは、
現代を心静かに生きるためにも必要なことでしょう。

特にCMというものがほとんど目に入らないので、
(それでもYOU TUBEで最初に見ちゃうのよね)
新しい商品がほしいという心の状態はまったくおきません。

電車に乗るたびに、知らない飲料やらビールやらの広告を目にするけど、
あ、そんなものが売ってるのね、という程度。

何を言いたいかというと、
与えられた、いらない欲望と、
本当のところほしいものとはかなり違うということ。
子供が、新しいおもちゃを見て、あれ、欲しいと騒ぐけど、
あなた、本当のところ、あんなもの欲しくないし、いらないでしょということが、
大人になっても起こっているわけです。

ファッションも同じことで、
欲しいような気分になっている、本当は欲しくもないものをそぎ落としていくと、
そこにやっと、自分が本当に欲しくて、満足できるものがあらわれます。
それを持っていないと、だめなんです。
代替品ではだめなんです。
そういうものがそろっていけば、そんなにたくさんの服は必要なくなるということです。






2014年3月11日火曜日

本物と偽物

きのう、ネットを検索していて、探しているものを売っているサイトを見つけられたのですが、
少しして、そこはどうやら偽物サイトだということがわかりました。
最近、この手の偽物を、割と堂々と売っているサイトが多いです。

けれども、見分ける方法はあって、まず基本としては、「特定商取引法に関する表記」の部分を確認します。
そうすると、だいたい、所在地や連絡先がない、
そして何より、会社名がはっきりしないです。

または、会社のようなふりをしていて、株式でも有限も書いていません。
所在地も名前もはっきりしないところは、ほとんど偽物を売っている、
怪しいサイトです。

これは会社だけではなくて、個人のサイトでも同じで、
私は、変な名前だけで、本名を書いていない人のサービスは受けないことにしています。
名前もない、どこに存在しているかもわからない、
そういうサービスを提供している人はけっこうたくさんいます。

これは私の主義なので、そんなの気にしないという人もいるでしょう。
それはそれで構いません。
だけれども、私はどうせ何かのサービスを受けるなら、
ちゃんと名前を出している人から受けたいです。

怪しいサイトのもう一つの特徴は、
やけに自慢を書いていること。
今人気ナンバーワンとか、いくつ売れたとか、爆発的人気とか、
よくもまあ、自分でそんなことが書けるよなという文章が並びます。
あんまり並んでいるので、それが全く逆であるということがわかります。
つまり、嘘です。
彼らは、こちらをだまそうとしています。

ファッションは特に偽物が多いので、
注意しましょう。
基本は会社名、所在地など。
書けないような会社から、何か買ってはいけません。
それはきっと偽物です。

ついでに言うなら、コピー商品を売ることも、そして買うことも罪ですから。
買うという選択が、多くのことに影響を与えます。
そういう意味でも、偽物を作る人を支援するようなことをしてはいけないです。


追記:そういえば、今日であの日から3年。あの日も寒い日で、ストーブをつけながら仕事をしていたので、急いでストーブを消したのを覚えています。あと数時間で天王星が牡羊座、つまり占星術的にすべての始まりのサインへ入るという時間でした。天王星が太陽のまわりを1周するのに84年。新たな84年周期の始まりでした。天王星というテクノロジーを象徴する天体は、新しい周期に入って3年です。新しいテクノロジーは確実に存在しています。それを選ぶかどうかは、私たちに任されています。


☆3月21日のワークショップ「湘南でオーガニック・ランチの集い」参加者募集中。
詳しくはこちら



2014年3月10日月曜日

服の新陳代謝

なかなか暖かくならない春ですが、
このところ、夏物の服を見ていたら、
またあの長く暑い夏がくるのかなと思い、しょうしょうげんなりしていました。
夏の終わりとか、今ごろの冬の終わりなど、
気分や日差しは次のシーズンなのに、気温は前のままというときの服装が、一番困ります。
かっこつけて薄着したいところですが、
やっぱり無理。
寒さにはかないません。
しかも、今日の夕方はまた雪がちらつきそうということです。

このところ、色による季節感の出し方をお勧めしていたのですが、
実際、私ができているのは、グレーを少しばかり明るいものに変えることぐらいで、
ほかのアイテムはほとんど変わっていません。
方向性が決まって、ワードローブを構築していくには、
最低2年ぐらいはかかります。
今あるものを全部、捨ててというわけにはいきませんから。

けれども、新陳代謝は必要です。
すべてはバランスなんですけれど。

年齢が上がるとともに、過去のものが否応なくふえていきます。
過去の思いでの品とか、記念の品とか。
捨てられないものたちが。
身体だけではなく、モノの新陳代謝も悪くなったら、
それはやはり停滞です。
未来が見えてきません。

過去の世界だけに住むのは嫌だなと思ったら、
あるものは着果たしていく、そして手放し、新しいものを入れる。
この循環がうまくできてきたら、ワードローブの構築もうまくいっているということだと思います。


2014年3月9日日曜日

おしゃれ男子を観察

先日、電車に乗ったとき、
おしゃれな、たぶん大学生ぐらいの男子を見ました。

まず、目がいったのは、黒、グレー、ブルーの迷彩柄のパンツ。
トップスはブルーのジャケットで、襟元からグレーのタートルネックのニットが見え、
足元は少しあせた黒の革靴。
後ろ姿だったので、前はどうなっているかそのときはわかりませんでしたが、
ショッキングピンクのイヤホンをしています。
クールな色彩にイヤホンが、まるで女子が選ぶようなピンク。

電車をおりる駅がきたので、その彼を前から再度、見てみました。
ショルダーバッグを肩からかけていたのですが、
ビニールの素材のバッグは白と黒の柄が入っていて、
なんとそこに、彼がしているイヤホンと同じピンクの水玉模様が入っています。
この人の、さし色はショッキング・ピンクなのです。
イヤホンとバッグのピンクを合わせてきました。
私がレッスンで教えている基礎を完璧にマスターしています。

大学生ですから、高級なものは身につけていませんし、
ブンカの学生のように、奇抜なものを着ているわけでもありません。
何げないけれども、細部まで気を配ったおしゃれ。
言われなければ、その気配りのほどは誰にもわからないほどです。
すばらしい。

こういう毎日の何気ないスタイリングの積み重ねが、
実力を作っていきます。
何気ない、普通の日常を、
たいしてお金もかけずに、きっちりおしゃれに詰めていく。
何気ないけれども、
だからといって、何も考えないで服を集めていたら、決してできません。

こういう人は、もっと大人になっても大丈夫。
自分の年齢にふさわしいスタイルを作り上げていくでしょう。
たくさんはいませんが、たまにこういう男子を見ると、こちらもなんだか楽しいです。
こういう人がもっとふえれば、
街はもっと美しくなることでしょう。


2014年3月8日土曜日

行動することの恵み


先日、IHの創始者、マチルダの講義を受けました。
その中でマチルダが、引き寄せの法則について、
頭の中で考えているだけ、宝物マップを作って見ているだけじゃだめなのよ、
行動しないと意味ないわよ、と言っていました。
そのとおりです。

ちなみに、考えているだけも、見ているだけも、小さいです。
知っているだけと、経験したことがあるとの違いぐらいです。
考えていたと、行動したとのあいだには、日本とヨーロッパほどの距離があります。

多くの皆さんがうちまで長距離バスを使ったり、
飛行機を使ったりしてわざわざ来てくれます。
それは、考えていただけ、見ていただけではなく、
実際に行動した方々です。
考えているだけの人たちと、行動した人たちの差は大きいです。
その積み重ねが、きっと人生を変えていきます。

実際に行動してしまう人たちは、
「引き寄せ」とか言いません。
引き寄せたんじゃなくて、自分で行っちゃったんだから、言う必要がないのでしょう。
引き寄せはやってくるのを待ってくるイメージですけれど、
行動は自分から近づいていくことです。

もちろん行動できないには行動できないなりの理由やブロックがあります。
行動することのハードルがものすごく低い人たちは、行動するのが簡単ですが、
その逆の人は難しいです。
それはそうです。

それでも、その難しさを乗り越えて行動することの結果は、
やはり大きいです。

ただ、天体の影響で、行動できなかった人も行動せざるを得ない状況に陥ることはよくあります。
大体、それは一見、困った状況によって訪れますけれども。
それならそれで、その一見、不幸で困難な状況の中で動けばいいのだと思います。
どんな状況でも、動いたことによる恵みはありますから。

☆写真:河津桜

2014年3月7日金曜日

変化を受け入れて


2014・15の秋冬は、シャネルもルイ・ヴィトンのコレクションも終わって、
そろそろ全部出そろったなという感じです。

ルイ・ヴィトン、すごい変わっちゃいましたね。
名前は同じブランドだけれども、中身は先シーズンとは、もはや別物という感じ。
ルイ・ヴィトンの服のラインは、マーク・ジェイコブスが頑張って作ってきて定着した感じなので、
今回のデザイナー交代、そしてデザインの方向性の変更は意外でした。
(どうせ買わないから、関係ないんだけど)

ずっと同じ路線のものを作り続けていくか、
スタイルをどんどん変えてやっていくか、
2つの道があると思います。
どちらもいいところと悪いところはあると思いますし、
どちらの道を選ぶかはその人の好みの問題でもあると思います。

ただ、ファッションに関して言えば、時代の流れは絶対にありますし、
同じ路線をただ続けているというスタイルは合わないように思います。
芸術家だったら、それは問題ないのでしょうけれども、
服は美術館に飾られるものではなくて、
そのときに生きている人が着て、街を歩くものだからです。

ファッションを芸術と同じ並びで置くことが、日本でも過去流行りましたが、
それは失敗しました。
芸術作品は、あくまでそこに置いてあるだけで動きませんし、
誰かの体と一緒に運ばれて鑑賞するものではありません。

私がアパレルで働いていたとき、盛んに「クリエイション」という言葉でもって、
ファッションが説明されていましたが、
そのころ、「クリエイション」などと言って、いい気になっていたブランドは、
みな衰退しました。
自分のデザインした服を「創造物」などと呼ぶのは、あまりに傲慢だったのでしょう。
誰かが着て、やっと完成するということに対する理解が欠如していたのだと思います。

人にも、変化する部分と変化しない部分があると思いますが、
ルックスに関係する部分である服は、人の変化する部分を担っています。
変わっていって当たり前。
枯れない花は美しくありません。
生きている変化を、受け入れるということは、美しい行為だと思います。


☆写真:なんの植物かわからないけれど、銀葉がきれいなので撮りました。

2014年3月6日木曜日

書きながら考える

誰かと議論なり、おしゃべりなりしていて、
自分では気づかなかった、深い領域まで理解するということがよくあります。
それと同じように、書きながら考えて、理解に至ることが多々あるということに、
毎日、何かを書いていると気づきます。
その場合、書きつつ考えていくので、あらかじめ結論は用意していません。
ほとんどの場合、結論がわからないまま、書き始めます。

提出する論文やエッセイなどでは、結論がわからないまま書き始めるというのはやらないと思いますが、
気軽なブログの場合、このやり方は有効です。

流れにゆだねて書いていくと、自分の予期しなかった方向へ向かうことがよくあります。
そして、自分では想像することができなかった結論へたどりつくのです。
結末や結論を用意していると、そうはなりません。

結果がわからないまま何かをやることについて、多くの人が嫌がりますが、
実は面白いのはそこ。
想像以上があるというのは、本当に楽しいです。

ただし、お題はいつでも必要です。
お題がばしっと決まっていると、結論を知らなくても、
どこかへたどりつきます。
たぶん、お題のどこか、見えないエリアに結論は隠れているのでしょう。
いずれにせよ、予想どおりより、予想よりはるかによかったのほうが、
人生は楽しいです。


☆写真:クリスマスローズ

2014年3月5日水曜日

春分が待ち遠しい!

去年はやると言っておいてやらないでいることがたくさんあって、
ま、事情が事情だっただけに仕方ない部分もあり、
自分だけではできないので、できない部分もあり、
私はあまりそういうことはやらないのですが、
宿題を残したまま、学年が上がるような気持ちです。

その中の1つに、ヒーリング関係に関連したブログを作ろうかなと思っていたのですが、
やっぱり何かそれは違うような気がして、
やめることにしました。

当初は、ほかの人たちがやっているように、
いただいた感想と、それに対してこちらのレスポンスを書くみたいな形のものを、
「私も」やろうかなと思っていたのですが、
どうやらこの「私も」というのが違うようで、
やるのはやめました。

理由はいろいろあるのですが、
やはり内容があまりに個人的な問題なので、それをここで公表するのはどうなのかということ。
感想としていただいたものを、了解を得て載せるだけなら構わないとは、
今でも考えているのですが、
それをどんどん羅列していくのは、私の目的と違うかなと思いいたりました。
もちろん、そんな感想があったほうが受けにきてくださる皆さんには参考になるとは思うのですが、
それにしても、何かがどうしても違うのです。
(ここで「違う」と言っているのは、私にとって違うの意味であって、ほかの方々のことではありません)

あともう一つの理由は、ここでは書くことができないような、
超感覚の領域に関することを扱っているので、
そこについても書けません。
(相変わらずストーキングされてるしね)

何といいましょうか、
ある知覚を開くとわかる世界というのがあって、
それはまだまだ多くの人にとっては未知な世界です。
でも、本当にあります。


最近、「アナスタシア」のシリーズの本を読みましたが、
言うなれば、あのような世界です。
ただあれは、すぐに男女間の「愛」に話を持っていこうとするので、
そんな小さい話では足りないだろうと思いますけど。
(ちなみに「愛」という言葉を使った時点で、多くの人が誤解に陥り、
迷宮から出られなくなっているみたいです。「愛」という言葉の落とし穴は、案外深くて、
罪深いです。)

次の春分は、多くの人にとってターニング・ポイントになるだろうと思います。
新しい始まりはそこからです。

追記:ところで、このブログ、ウクライナからアクセスしている人がいるんだけど、大丈夫なのかなあ。心配です。


☆写真:クリスマスローズをアップで撮影すると、こんな顔に。

2014年3月4日火曜日

服は何枚持てばいいか


服の所持数というのは、案外、足りないぐらいでいいのではないかなと思います。
ぎりぎり、1週間コーディネイトできるぐらいの枚数でも大丈夫。
そのときは足りないような気がしても、
振り返ってみれば、何ともなかったということが多いようです。

今年の冬、
総裏のウールのパンツが、特に寒い日にはくためのものだったのが、
雪の日、はいっていった出先で破れました。
ウールのパンツがはいているときに破れたのは初めてだったんで、
すごく驚きました。
まあ、ストレッチのきかない素材なのに、かなりタイトな腰回りだったから、
後ろの股上に力がかかり過ぎたのだと思いますが。
けれども、総裏のウールのパンツはそれしか持っていなかったので、
次の日から、ジーンズの下にレギンスをはいて過ごすことになりました。
ともに木綿なので、寒かったですが、それでもなんとかなりました。
ただ、やはり真冬の寒い時期、ウールで総裏のパンツは必需品。
来年は1本、買い足さなければなりません。

今までも、こんなふうにぎりぎりでやってきましたが、
困ったことはないです。
それより、たくさん持ちすぎることによる、ウールのニットの洗濯とか、
収納の管理のほうがずっと面倒で大変です。
それからほとんど着ない服を持ち続けているという、そのことの、
心理的負担も嫌です。
(これも、フェイスブックでふえていく、連絡をとりもしない友達みたい!)

きのう、今年の冬は何を一番着たかしらと考えてみたら、
12月に家の中で着るように買った、薄い、腰丈まであるダウンジャケットでした。
冷える朝晩は毎日のように着ていましたし、雪の日は、コートのインナーとして着ました。
結局、よく着る服というものは決まったものです。

そういえば、ブンカのとき、1カ月、毎日違う服を着てくる女子がいました。
あの子の住まいはどんなだったんだろう?
毎日違ったということまでは覚えていますが、
何を着ていたかは覚えていません。
人間の記憶は、せいぜいそんなものです。

☆写真:今度、ワークショップをやるふるうつらんど井上さんのところのイチゴ。3月はイチゴの旬。もちろんオーガニック、かつおいしいです。







2014年3月3日月曜日

なぜか黄色

黄色いスカートは買わないなと思ったばかりなのですが、
なぜか今シーズン、黄色が目立ちます。
ディオールもプラダも黄色が出てきました。
ほかでもありました。
なぜ今、黄色?

もちろん、生地屋さんが黄色い生地を打ち出してきて、それを使ったとも考えられますし、
その生地屋さんは、予測会社のブックを見ながら、生地の色について検討しただろうから、
もとはそこから発信したとも考えられます。

ただ、誰かが発信しても、多くのデザイナーが使わなければ、
それは提案だけで終わるので、
こうして多くのデザイナーが同時に黄色を使うということは、
何か意味があるわけです。

日本に住んでいる人びとにとって、黄色と言えば、春の菜の花が一番思い浮かばれるのではないかと思いますが、
地域によってはそれが、黄色いひまわりだったり、黄色いバラかもしれません。
花の印象に限ってみると、花粉の色。

多くの文化で太陽は黄色で表現されますから、それはたぶん、太陽の色でもあります。
いずれにせよ、枯れていく色ではなくて、
生命力にあふれる、これから育っていく色です。

実際に黄色を着る人がふえるとは思えませんが、
その「黄色的なもの」は、どこかに波及していくでしょう。

子供はよく黄色を選びますし、黄色いものを着ています。
小学生の帽子や、ランドセルのカバー。
大人が黄色を身につけることで生まれてくる何か。
終わりではなく、始まりの何か。
そんなことを、今後、多くの人が感じてくるのだと思います。

☆写真:青空と河津桜。

2014年3月2日日曜日

パンツはどこへ行く


春がきたと思ったのに、また冬に戻っています。
寒いですが、雪にはならなかったので、よかったです。
「春の雪」だなんて、格好つけていられません。
そういえば、私が大学生のころ、小学生のとき何度も同じクラスになったことがある男子が、
大雪で停電になった夜、ろうそくに火をつけたまま眠ってしまって、
そのろうそくの火が何かにうつって、有毒ガス見たいなものを出して、
それを吸って死んでしまったという事件がありました。
家が火事にはならなかったので、それは不幸中の幸いでしたが、
人間って、こんなことで死んでしまうんだと初めて思った出来事でした。
たしか、二十歳ぐらいだったと思います。
それは、春の雪の夜でした。

さて話は変わって、
ギャランス・ドレがブログで、つぎのシーズン、「パンツはどこへ行ったの?」と書いていました。
確かに、パンツルックはすごく少なくなって、スカートがふえました。
フェミニンな印象のものを作り出すためには、スカートのほうが、それは向いています。

ただ、毎日がパーティーや舞踏会ではない私たち、普通の人にとって、
パンツは必需品ですから、なくなるということはありません。
そうしたら、イザベル・マランの14年秋冬コレクションでは、
新しいパンツのシルエットがたくさん提案されていました。
まさに次にくるパンツのシルエットはこれ。
(これと書いたところで、見てないんだから、わからないよね)

簡単に言えば、少しハイ・ウエストになって、
ウエストはタックがとってあり、
太めのシルエット、です。
80年代のシルエットにかなり近いです。
近いですが、あのころは、太いパンツにヒールの靴はあまりあわせなかったので、
全体のバランスはちょっと違うと思います。

細いパンツが嫌いだった皆さん、おめでとうございます。
ウエストが普通の位置、もしくは高い位置まであって、
腰まわりはタックがとってあって、
太もももお尻もシルエットがくっきり出ない、
ゆるやかなシルエットのパンツが戻ってきますよ。
もう少しの辛抱です。
楽しみに待ちましょう。

そのほか、マルジェラも流れるようなラインの、ワイド・パンツを発表しています。
パンツはパンツなりにフェミニンに、
そんな流れはもう始まっています。

☆写真:真ん中に列車のレールがあるのがわかりますか?桜のトンネルを抜けていく列車。
といっても、これは子供列車のレールね。