2014年2月28日金曜日

服の軽さ、服の重さ

きのうは発表されたばかりのドリス・ヴァン・ノッテンのコレクションをながめていました。
またしても、大柄です。
あるときから、街は柄であふれるのかもしれません。
何も考えず、ながめていたら、あるとき、この柄の感覚は、浴衣と同じだと気づきました。
正絹の着物はあまり着ることはなくなったこのごろですが、
浴衣はまだまだ、みんなが着ています。
そして、あの大柄の感じが、今回のドリス・ヴァン・ノッテンのドレスにとてもよく似ていました。

着物というのは、詳しく知らないのではっきりそうだとは言い切れませんが、
この着物にはこの帯などと、ある程度、組み合わせが決まっているのだと思います。
柄物の服も同じで、柄が大きくなればなるほど、着まわしには向きません。
そうだとすると、着まわす必要のない、
たとえばワンピースなどのアイテムに取り入れたほうがいいということになります。

着まわしという考え方も、服が細かくパーツにわかれてから出てきたものなのでしょう。
女性の衣服は歴史的に見ても、ドレスや着物のように、
上から下まで同じ1枚の布でできているものが多いです。
昔の人たちは、今ほどたくさんの衣服を持っているとは思えません。
1枚のドレスを作るためには、それなりに長い時間がかかります。
1枚の重さが、今とは全く違うはずです。
生地を機で織る、採寸する、パターンを作る、仮縫いをする、
仕立てるという工程を経て作ったものは、
今の「洋服」と呼ばれているものとはあまりに違うものなんだと思います。

大柄を使ったドレスへ向かうファッションの流れは、
もしかしたら、この衣服の1枚の重みへの回帰なのかもしれません。
ミラノ・コレクションで発表された、ドルチェ&ガバーナの動物のアップリケや刺繍がしてあって、
とても手がかかっています。

軽くなって、たくさんになって、回して、でもすぐに忘れさられ、使い捨ての服から、
思いがたくさんこもって、たくさんは持っていないし、着まわすことなんてできなくて、
でも決して忘れさられない、いつまでも持っているような、
そんな服への回帰が始まっているのかもしれません。
どちらを選ぶかは、その人の生き方によるのでしょう。

2014年2月26日水曜日

柄もの、実際はどうやって取り入れようか。

実際のところ、私は柄物があまり好きではないので、
ほとんど持っていません。
チェックかストライプは好きですが、
意味のある柄は苦手です。

また、特に好きではないのがジオメトリック柄。
千鳥格子も苦手で、見ていると頭痛がするような気がします。
だから今回、大量に出てきた柄もののコレクションは、
取り入れるとしても、バッグぐらいかなと思います。

全体の柄ではないのですが、今回、すごく面白いと思ったのは、ドルチェ&ガバーナの、
白鳥やきつね、フクロウがアップリケされたドレスたち。
これはかなり大胆です。
まさかドレスにフクロウがアップリケされる日がくるとは。
あんなアップリケは、幼稚園以来、見ていないと思います。

ただ、いい年の大人の女性がああいうものをちょっと着たり、
持ったりしているのは、決して嫌いじゃありません。
あれは究極の「隙」です。

今、気に入ったルックスをエバーノートに切り貼りしているのですが、
プレ秋冬のヴァレンチノだかの、大きな翼の刺繍がついたマントをペーストしてとってあります。
全体に大きな柄がちりばめられたものは苦手なんだけれども、
ああいう部分的なものは、案外悪くないかもしれません。

それぞれが、自分なりの柄やシンボルを見つけられると楽しいと思います。
私はウサギと決めたら、ウサギばっかり集めていくとかわいい。
あ、あの人、ウサギ好きなんだなって思われるのは、
大人の女性のかわいらしさにつながると思います。

2014年2月25日火曜日

ファッションは森へと向かう

クロエの春夏のキャンペーンの短いフィルムを見ました。
二人の女性(1人はルー・ドワイヨン)が森の中を走っています。
普通、ハイブランドの服を着て、森の中は走りません。
しかし、ここではあえて「森」の場面を選んでいます。

衣装デザイナーは、いつも背景、人物、照明、その他の人物を考えて衣装を作りますが、
クロエのキャンペーンでは、このうち、背景、そして照明に「森」が選ばれました。
何も考えずに見れば、気にせず通り過ぎるところですが、
ここにはメッセージが隠されています。

ここのところずっと、ファッションの背景として多く使われてきたのは都会、
または室内でした。
(もちろん、いつだって例外はありです)
都会で過ごすための服、人工的な照明の似合う服でした。
だけれども、ここ最近の服を見ていると、
都会には似合わないような、そんな質、色、形のものがふえてきたように感じます。

都会の利点は、お金があるということでしょう。
そこに働く人も、住む人もお金を持っているので、
おのずとその人たちに向けた服作りが多くされてきました。
都会にお金が集まるという点については、今後も変わらないと思いますが、
ファッションは別の方向を向き始めました。
これは何を意味するのか。

たぶん、都会で作られるものがある限界点に達したのでしょう。
そこではもうこれ以上、クリエイティブな表現ができなくなってきたのだと思います。
都会的なものだけが売り物の文化は、そろそろ限界なのでは?

森の中を走るクロエを着た2人の女性を作ったディレクターは、
そんなことまで意図してはいないでしょうけれど、
なんとなくそんなことを考えました。

都会に集まっていたものが解体されて、
みんなで森や海へ逃げるんです。
都会ではもうリラックスできない。
そして森には、まだまだ何かが生産される余地が残っているのだと思います。

2014年2月24日月曜日

着ないとわかっているもの

さっき、ボッテガベネタの次の秋冬コレクションを見ていたら、
グレーのニットに黄色いひざ丈スカートというコーディネートがあって、
すごく素敵だなと思ったのですが、
同時に、黄色いスカートは買わないなとも思いました。

見ているだけは素敵だし、着られないわけではないけれども、
手に入れないものというものがあります。
黄色いスカートの場合は、実際買ったとしても、あまり着ないだろうというのが大きな理由です。
そのほか、高くて買えないけれども、いいなと思うものとか、
買えるけれども、着る機会のないドレスとか、
素敵だけれども、なぜか袖が七分で、真冬は寒いから無理なものとか、
部分的には好きなんだけれども、
それをずっと着るだろうかとか、
よく着るだろうかと考えると、
決してそうはならないだろうなというものが多くあります。

嫌いじゃないけれども、ずっと一緒にいると疲れてしまう友達のように、
こんな服たちは、買ったとしても、いいお付き合いの仕方ができません。
着用回数が少なくて、ただたんすにしまってあるだけの服は、
なるべくふやしたくない。
(会いもしないのにふえていく、フェイスブックのお友達みたい!)

ただ、ここは難しいのだけれども、
簡単なお友達だけでも面白くないのですよね。
シンプルなカシミアのVネックのニットだけではつまらない。
ちょっと難攻不落なんだけれども、
それでもうまくお付き合いできたなら、
長く続けられそうな、
そして、なるべくありふれていないような、
そんな服でワードローブを埋めたいです。

2014年2月22日土曜日

今年はワードローブの入れ替え時

次の秋冬コレクションをいろいろ見ていたら、
確かにワードローブの入れ替えは今だなと思いました。
去年はまだ買うべきものが市場には多く出ていなかったし、
デザイン的にも洗練されていないものが多かったのですが、
そろそろ時が熟してきたようです。

いわゆる「業界人」ではないので、持っているものを総とっかえはしませんが、
ちょうどいい感じでいろいろくたびれてきたので、
(実はこのあいだ、ウールのパンツの生地が破れました!)
今年はそれらを徐々にとり変えていくことになると思います。

この切り替えというのは、
渦中にいると、なかなか気づきませんが、
何年かたって振り返ったとき、
ああ、あそこから随分と流れが変わったのだなとわかると思います。
流行の総括というのは、過ぎてみないとわからないものです。

そうそう、14年の春夏では、
やわらかなトレンチコートを提案していたバーバリー・プローサムでしたが、
秋冬になったら、今度はぺらぺらの単に生地を羽織っているような状態になっていました。
どんどん形がなくなっていきます。

シンプル・ワードローブにこれらのものをどうやってのせていくかが、
これからのテーマです。


2014年2月21日金曜日

もう秋冬コレクション

このあいだ、春夏のショーが終わったと思ったら、
もう秋冬が始まっています。
ミラノではもうプラダが終わりました。
最後にパリコレクションが残っていますが、
ここまでざっと見渡した感じだと、
「今までのワードローブに飽きちゃった人のためのコレクション」という感じだと思います。

特に多いのが柄。しかも大柄です。
シンプル、モダン、ミニマムなスタイルには、
柄は邪魔な存在でした。
2000年過ぎたころから、大柄の服を着ている人は、
時代遅れに見えたものです。
それが今度は逆に、もうそろそろシンプルなデザインに飽きちゃった、わけです。
とにかく、柄、装飾、引き続きレース、プリーツ、シアーな素材など、
デザインがてんこ盛りな感じです。

ということは、つまりどういうことかというと、
スタイリングはますます難しくなるということです。
まあ、実際はあの大柄のコートやなんかを買うのはごく少数だとは思いますが、
それでもどこかしら、たとえばバッグかもしれませんが、
柄は入ってくると思います。

今までの時代、シンプル、ミニマムのデザインの着こなしをしっかりマスターしておいたなら、
それが基礎練習となったので、少しずつ難しいほうへ行けばいいでしょう。
けれども、基礎ができていないとしたら、
このてんこ盛りのトレンドは、大変危険です。
実際に日常に着る側にとっては、難しい時代が始まったかなと思いました。

追記:ところで、BRITs Awardsでケイト・モスがデヴィッド・ボウイのコメントを読むときに着ていた、あのうさぎの服はカンサイのデザインなのかしら?だとしたら、あのうさぎは鳥獣戯画なのかしら?


2014年2月20日木曜日

それでも選択は任されている

ホロスコープは魂の地図です。
そこにあるのは、その人が生まれたときに持ってきたその人自身の設計図であり、
これからの航路です。
それは宇宙がくれたものなので、
宇宙の片隅の小さな星のローカル・ルールなど、関係ありません。
ましてや、社会が言うこと、親が言うこと、先生が言うこと、
世間体や常識、損得など、どうでもいい話です。

面白いことに、去年の夏から多くの人の筋肉の反射をとってわかったのは、
筋肉の反応を通して体が教えてくれることも、
ホロスコープが示していることと、ほぼ同じだということです。
体が教えてくれることが、魂のどのレベルなのかということは、
もう少し調べていく必要があるのですが、
少なくとも、それは、社会の常識や、損得や、学校でやれと言われたことではありません。

私は、ホロスコープを通して、魂の航路を読むものであり、
筋肉の反応を見て、体のことばを聞くものです。
つまり、魂の側に立っています。

そうなると、魂からのことばではない、そのひとのエゴとは別の考えを持つことになります。
社会的にこうすべきだ、お金がないから引っ越せない、
親から言われたなどなど、
話としては聞きますが、そちらを応援したり、援助したりすることはできません。

残念ながら、筋肉が教えたことを無視するならば、
天体の影響により、魂の道へ引き戻されるような出来事が起こります。
それは事故だったり、離婚だったり、病気だったり、
一般に不幸と呼ばれているようなことが多いです。

ただ、それでもどうするかの選択はその人自身にあると、私は考えています。
だから、魂からの警告を無視して、それを続けても、一向に構いません。
アルコール中毒の人に、アルコールをやめろと体が言っているよと伝えて、
それでもやめないのなら、その選択は尊重します。

ただし、それを選択したのなら、その結果は甘んじて受け入れるべきです。
病気になったり、離婚したりしたのは、自分自身の選択です。

死にそうな人が、それを食べたら、もしかして死ぬかもしれないよというときでも、
それが大好きでどうしても食べたいと言うのなら、それを尊重します。
その結果、死を選んだとしても、それはその人の選択であり、
他人が介入できるものではありません。

最終的に、魂との話し合いのテーブルに着くのは、自分自身です。
そしてその結果もらえる魂からのプレゼントを、
受け取るのも自分だけなのです。

2014年2月18日火曜日

我慢できないもの

人によってそれぞれ我慢ならぬ点があると思いますが、
私にとってのそれはなにかというと、アンフェアなことです。
フェアじゃないのことをされたり、見たりすると、
平常心を失います。
実は先週、転んでしまったのも、このアンフェアな事件が原因です。
はい、はい、わかっております。
たかだか1万円の話でございます。
でもね、向こうのミスを、しかも私1人だけに対して行ったミスで、
すみませんね、あなただけ我慢してくださいって、
それはあまりにアンフェアではありませんか?

アパレルにかかわってから、法律を守らない人や組織や会社から、
不平等な扱いを見たり、そして受けたりして、
もうほとほとうんざりなのです。
世の中は不公平に満ちていて、
だからこそ、法律で平等にしましょうと言っているのに、
わざわざそれを破るというのは、いかにも人間がやりそうなことですが、
もう金輪際いや。
そういうものとは縁を切りたい。

そう思っていたのに、またしても、それは確かにたかだか1万円のことですが、
約束を反故にされそうになって、とってもいらいらしていました。
そしたら、転んでしまったわけです。
アンフェアな人たちも嫌だけど、そんなことを気にする自分も嫌ですね、これでは。

で、ちょっと反省して、
わかりました、もういいですよ、そんな1万円の金券いらない、
私があなたたちのことばを信じたからいけなかったのね、
誰かにあげるわと言ったら次の日、
その1万円が現金で戻ってきました。
誰かにあげるわと言ったのに、私に戻ってきました。
ま、そんなもんです。

どうしても我慢できないことは誰にだってあるものです。
しかも、それのために嫌な思いや大変な思いをしたのならなおさらのこと。
でも、それでもそれは、手放したほうがいいんです。
わかっていますが、なかなかできませんけれどもね。
たぶん、手放してしまったほうが、いいものが戻ってくるのではないか、
そんな気がしています。



2014年2月17日月曜日

オリジナルにあたる

許されているコピーも、
許されていないコピーも、
どちらにせよ、オリジナルがあります。
もしオリジナルに手が届くなら、
私はオリジナルを選ぶことにしています。
それは何かもののこともありますし、
教えのこともあります。

複写機のコピーは、今やかなり正確にオリジナルを再現できますが、
そのほかのものはコピーすればするほど、薄まったり、
変形してきます。
それは避けられません。

コピーのもののほうが手軽だし、
安いことも多いです。
しかし、オリジナルのほうが得るものがはるかに大きいです。

翻訳もいいですが、できる場合はもとの言語に当たったほうがいいに決まっています。
先日、イギリス人の占星術の先生の講義を聞きましたが、
何か途中で翻訳がうまくいかなかったとき、
その先生が、
「Lost in translation!」と言いました。
「ロスト・イン・トランスレーション」で思い出すのは、
ソフィア・コッポラの映画。(あの映画はあまり好きではありませんでしたが)
翻訳したときに、何か失われます。
コピーしたときに、何か変わったものになっています。

確かめられるなら、できるだけオリジナルにあたってみる。
買えるなら、オリジナルのものを買う。
そうすることで、「失う」のを防ぐことができます。
コピーで出来上がったものには、なりたくありませんからね。

2014年2月16日日曜日

大雪に学ぶ

雪があまり降らない地域に住んでいると、
たまに降る大雪が、大変な影響をもたらします。
湘南地方でこんな大雪を見るのは初めて。
道に出るまでに、足が40センチぐらいは雪に埋まりました。
山梨や長野はもっと大変だそうで、
皆様、大丈夫でしょうか。

よりによって、きのうは外出せねばならない日で、
長靴をはいて、駅まで行きました。
この前の雪で滑っているので、
時間に余裕を持って家を出て、
あえて急がないようにして。

こんなとき役立つのは、頭の中にある知識ではなく、
経験や知恵です。
学校で何を勉強したとか、そんなこと、役に立ちません。
大雪の中、安全にどこかへたどり着くという行為ひとつをとってみても、
知識だけでうまくいくことは少ない。

知ってるだけじゃなくて、
言ってるだけじゃなくて、
しかもそれは重箱の隅をつつくような問題ではなく、
もっと中心、かつ大事なところに戻って、
そうやって対処しなければならない、
いつもとは違う出来事ができたとき何かできる力が、
本当の実力です。

何か起こったとき、
いや、それはマニュアルには書いていないだとか、
そのツールはそのままでは使えないから、
使えるようにメーカーはするべきだとか、
もうそんなこと言ってられない。
今あるものと、自分の知恵でそれを乗り越えなければね。

習ってないからできないだとか、
書いてなかったからできないだとか、
そんなこと言っていたら、
目的地にはたどりつきません。

と、そんなことを学んだ、大雪の日でした。

2014年2月13日木曜日

他人ではなく自分

きのうの話、つまり、簡単と思えることが実は難しい、の続きなのですが、
だから結局、敵は他人ではなくて自分です。
ライバルとか、いないんです。
毎日、ブログを書くかどうかは、他人がどうこうの問題ではないですから、
自分が書いたかどうかだけの話。
おいしいご飯をたいたかどうかも、他人は関係ない。

偏差値教育が進んだせいで、
「自分が上がるために他人を落とす」という考え方の大学生がふえて、
自分の知性を高める努力をしなくなったという話を読みましたが、
それは本末転倒で、
他人を蹴落としたところで、
自分の価値が高まるわけではありません。

逆に、そうやって他人を蹴落とすなんてことをしているおかげで、
マイナスなことが出てきます。
そこには「漏れ」が発生します。
そんなことをやっている人のところには、絶対に届かないものがあります。
届かないものの中に宝物があるのに。

そんなわけで、おいしいご飯を作るかどうかに他人は関係ないというお話でした。

それとは関係ないが(いや、あるのか)、日本の報道の自由は世界第59位だからね。
他国がどうとかの話ではないということね。

☆写真:桜も準備しているのだ。雪を降らせてみました。

2014年2月12日水曜日

簡単に思えることが、実は難しい

簡単に思えることが、実は難しいです。
たとえば、ご飯をおいしく炊く方法とか、おいしい紅茶のいれ方とか。
ブログを毎日アップすることとか、
毎日散歩することとか。
やること自体は、本当にたいしたことない。
ブログだって、書くのは難しいわけではない。
だけれども、それを毎日となると、途端にできなくなる。
紅茶もただ入れるだけなら、何にも考えなくてもできるけれども、
おいしくしようとすると、タイミングを見計らったり、
ティーカップを事前に温めておいたりと、
作業に何かしら注意が必要になります。

それらはどれも難しくはない。
だけれども、いざ、それをやるとなると、できなくなります。
そして、それを前提にして何かをのせようとしても、
その先はうまくいきません。

とってもおいしい海苔があって、
ご飯と一緒に食べようと思ったとき、
おいしいご飯と一緒のおいしい海苔のほうが、
よりおいしいわけで、
「ご飯」ということだけを目的としたご飯では、何か物足りないわけです。
それは学食のご飯と、高級料亭のご飯ぐらいの差でしょうか。
ご飯という意味では同じ。
だけれども、その中身には数段の違いがある。

実は、物事をうまくいかせるためには、
この、簡単に思えることを確実にやっていくことが重要になってきます。
簡単だと思って、たかをくくってはだめ。
そこを適当にやってしまったら、
結果が大きく違ってきます。

きのうはそんなことがわかってしまった1日でした。
おいしいご飯とか、おいしい紅茶とか、
そういうことが、毎日にとっては、大事なことです。

☆写真:天気のいい日の海岸は最高。特に冬の日。

2014年2月8日土曜日

靴を脱がなくてはいけないとき


今年は暖冬かしらと思っていたら、
やっぱり雪です。
雪の日は困るのが靴。
今年はソレルのスノーブーツを買おうと思っていたのですが、
いや、いらないでしょう、降らないでしょうと思っていたら、
降りました。
ハンターの長靴はあるのですが、
靴を脱ぐという状況があるところで、
あの長靴ははいていけません。
椅子に座って、思い切り、足から長靴を抜かないと、脱げない構造らしいです。

そのほかにも、靴を脱ぐことになっているのに、
立ったまま脱がなければならない入口とか、玄関がかなりあって、
ロングブーツなんかは、脱がないとわかっているとき、
または脱ぐことが可能な場所にしかはいていけません。
はいていきたい、
でも、脱ぐ場所がないからやめたという例がたくさんあります。

うちも靴が脱ぎにくい玄関なので、
靴を脱ぐために椅子を置いてあります。
ブーツのときや、ひも靴のときは、
その椅子に座って靴を脱いだりはいたりします。
この案はなかなかいいと思うんだけれども、
あんまりほかでは見ない。

靴まで含めて全体のスタイルの完成ですが、
脱ぐ状況が決まっているとき、
脱ぐところがあるかどうかも含めて、
妥協することが多々あります。
そこが、日本における服というものの、弱さかもしれません。

☆写真:椿もちょっとだけ咲いていた。 

2014年2月7日金曜日

優しく勝ち取っていく

整体の本の中に、服も何も、これからは流行などない、というような意味の文章がありました。
一瞬、私も、そうかもしれないと思ったのですが、
やっぱり、そんなことはないと思います。
誰かが仕掛けた形での、ある1つの流行が急速に広がるというのはないと思いますが、
流れにそった人々の気分というのはあります。
それは無意識の領域での選択なので、意識はできません。
何となく、今はこれがいいような気がするというのは、
必ず出てきます。

ここのところの、ファッションのゆるさ加減は、もうとまりません。
以前は外着として考えられなかった、
ウエストがひものパンツや、スウェット・パンツなど、
普通に街着となっています。
その気分をうまくすくいとったデザイナーがすぐれているわけです。

きのう、バーバリー・プローサムの今年の春夏のトレンチコートを見ていて、
これぞ今の時代のトレンチだわ、と思いました。
言うなれば、「優しいトレンチ」。
なだらかな肩線、やわらかな素材、
ゆったりしたシルエットが、リラックスした気分をあらわしています。
もはや、トレンチはたたかうためのものではなくなりました。

多くの人が流行に踊らされなくなる一方、
こういった、時代の気分の流れを的確にキャッチし、
それを選んでいく人たちはいます。

長いあいだ、トレンチはあまり似合わないし、いらないなと思っていたのですが、
こういった、優しいトレンチならいいなと思いました。
戦わない。
けれども、勝ち取っていく。
そんな方法が、きっと残されていると思います。

☆写真:この写真を撮った日は気温が15度ぐらいだったので、春の光の中のチューリップです。


2014年2月6日木曜日

おでんで楽しく



さて、おでんの話です。
最近、おでんをよく作ります。
1人分のおでんを作ってもおいしくないので、
誰かが来て、うちで夜、おしゃべりするときはおでんにします。

うちの近くには、気軽に、おしゃべりしながら食べれるような食事処がないので、
気力があるときは、何か作ります。
最近、料理力が大変低下していて、大したものは作れませんが、
おしゃべりがメーンディッシュなので、家でくつろぎながら食べれるなら、
それにこしたことはありません。

で、おでんなのですが、なぜかとても評判がいいです。
みな、おつゆを飲みほしてくれます。
私は今まで生きてきて、
おでん屋さんには2回しか行ったことがないので、
どんなおでんがおいしいおでんなのか、わかりません。
逆に、コンビニでおでんを買ったこともないので、コンビニのおでんの味も知りません。
(大学のとき、友だちがコンビニで買ったおでんを持参で学校に来たのを見て、
心底驚いたのを覚えています。)
しかも、あの黄色いからしが嫌いなので、うちにはありません。
代替品も今はなし。
(ゆずこしょうでもいいのかな?)

基本の具は、うちの近くのオーガニックの農家で大根と、
農家のおばさんが作っているこんにゃくを、
残りの、たとえば、ちくわぶやなんかはスーパーで買ってきます。
このこんにゃくがとてもおいしくて、
こんにゃくを食べたいがためにおでんを作るようなものです。
これを食べてしまったら、スーパーのこんにゃくは、
ゴムみたいな感じがします。

これをそれぞれ下ゆでして、
出汁に投入するわけですが、
私は出汁を作るとき、みりんのかわりに甘味としてアガベと、
煮切った日本酒を入れます。
(最近、アガベもあまりよくないと言われているので、大量には入れません)
だいたい、出汁を600CC作るとしたら、
日本酒は150CCぐらい入れます。
かなりの量です。
で、どうやらこれがおいしい原因らしいです。

おでんの欠点は、ご飯のおかずにならないことと、
緑の食べ物が欠如することなので、
おでんが始まる前に、グリーンスムージーを出して飲んでもらったりして、
けっこう無理矢理です。
それでも、うちで作ったおでんは、まったりおしゃべりするには最適のメニュ。
お酒を飲む人は、ここで飲むんでしょうけれど、
私は昔から、酒なんてなくたって、酔っている状態を作り出せるので、
なくても平気。
ふと気づけば、23時過ぎたりしています。
きのう、大根とこんにゃくを買ってきたので、あとでスーパーで具を買ってきて、
明日のおでんの仕込みをします。

☆写真:なんだかわからないけど、多肉植物。アップで撮ると、はっとする美しさがあります。


2014年2月5日水曜日

思い通りにならないものたち


きのう、整体関係の本を2冊読み終わりました。
社会にあわせて体が変わる、
具体的には骨盤が変わっているのだそうです。
ずっと緊張状態で、リラックスできなくなっている。
自分で意識できないところで、体が反応していて、
そこからいろいろな不具合が出ているということでした。
たしかに、今、骨盤がゆるんでいるかどうかなんて、
考えたこともありません。

骨盤をゆるめるために、
「骨盤よ、ゆるめ」などと、
骨盤に命令を下しても、そうはなりません。
マインドは傲慢で、
何でも言葉で解決できると思っているけれど、
そうはいきません。

問題なのは、それを理解しているかどうかということ。
言葉で何もかも思い通りにはならないということに、
気づいているかどうかということ。
マインドではどうにもならない、
人知を超えた分野は膨大です。
それがわかっていないと、
無理矢理どうにかしようとすることになります。

きのうはうちのほうでも雪が降って、
今は隣のおうちで外猫をやっているまるちゃんが外を歩いていたから、
「おうちに入りなよ」って言ったんだけれども、
猫なんて、言うこときかない。
(今朝も元気にお隣のうちの庭にいました)

言うこときかない体やら猫と、どう付き合うかが問題で、
コントロールして、どうにかしようとすると、それはもめごとになります。
雪が降るほど寒くなれば、猫だって家に戻ると思っていたのでしたが、
全然そうはなりませんでした。
思い通りにならないことはたくさんある。
傲慢にならないためにも、いつも肝に銘じます。

☆写真:ピンクのフリンジのチューリップ。

2014年2月3日月曜日

そのときの気分だけで買うのではなく


立春は明日ですが、
本当に日差しも風も春めいてきました。
気温はまだまだ冷たいですけれども。
きのうの夜は農務で電車が遅れていましたが、
濃い霧というのも春っぽいです。

そろそろセールもひと段落したのでしょうか。
季節のセールでのお買い物は、
今必要なものを買うというよりは、
これから先、必要であろうものを買うほうがよいと思います。
私は何も買わないにもかかわらず、
知らず知らずのうちに、そういう目で並んだ商品を見ています。
そうすると、残念ながら、次につながるものというのは少ないです。

今の気分で選んでいいものと、
より先を見て選んだほうがいいものとがあります。
今だけで終わるものは、そのときの気分を優先で構いませんが、
少し長く続くものは、
視線をそこまで飛ばす必要があります。

食べ物もそうかもしれません。
今食べたいと感じるものだけを食べ続けると、
長期的にいい結果にはならないかもしれません。
なぜなら、食べたものから肉体への結果が出るのには、時間がかかるからです。
動物などは、考えて食べているわけではありませんので、
今食べたいというか、食べられるものと、
健康を害するものとは、そんなに離れてはいないようです。

セールで買うときに考える必要があるのは、
服というものが、もはや体温を維持するだけのためのものではなく、
流行の流れの中にあり、私たちはいやがおうでも、
その流れの中を泳いでいるからです。
それを無視するのなら、考えてなくてもいいわけです。

それと同時に、服というのは、買ったそばから溶けていく氷とは違って、
質量をある程度の期間、保つものです。
そうであるならば、その期間も考慮する必要があるからです。

一つのものを選択するためには、
かように多くのことを考慮しなければなりません。
それがたとえセールだとしても、
それには変わりがないのです。

☆写真:黄色というよりは、オレンジのチューリップ。オレンジもいいな。


2014年2月1日土曜日

黄色いチューリップ


しばらく、写真のない投稿の日々が続いたのですが、
やっぱり息が詰まります。
当たり障りのない写真が撮りたくて、
先日、チューリップの咲く場所へ行ってきました。

チューリップの球根は、一定期間冷蔵処理した後に植えると、
花が咲きます。
写真のチューリップは外で咲いていたのですが、
これはたぶん冷蔵処理した球根を植えたものでしょう。

花が少ない季節、
花の力は強力です。
特に、春先の黄色にはひかれます。

いつの年だったか、
春に江島神社の初巳のお祭りに行ったとき、
遠目に見ても、とてもおしゃれな女の子がいて、
ネイビーのコートとネイビーのパンツに、
バッグだけが真っ黄色でした。
もうそれに目が釘付けで、
しばらく、私も黄色いバッグが欲しいなと思ったものでした。
(結局、買いませんでしたが)

まだ寒くて、街に色があふれていない季節だからこそ、黄色は生きてきます。
黄色いチューリップも、真夏に見たら、
それほど魅力的ではないでしょう。

その季節、その場所でいきいきとして見える色があります。
どっちにしても、チューリップは大好きな花です。
庭に植えても、鉢に植えても、
そして、花束を贈ったり、そしてもらっても、
チューリップを見ると、うれしくなります。

☆写真:うちの近くのチューリップ。