2014年1月29日水曜日

口から出まかせレベル

どんなことでも、10年もやっていれば、誰かに教えることができるようになると思います。
そして、それを20年もやっていれば、
口から出まかせで、そのことについて語れると思います。

即席とか、インスタントのものが好まれるこのごろですが、
口から出まかせレベルになるのには、時間が必要です。
私は何かを習うなら、口から出まかせレベルの人に習いたいです。

「お金になるかならないか」という価値観が、
多くの人の心を奪っていますが、
それはあまりに心元なく、頼りにならないものです。
20年前のことを思い出してみてください。
(思い出せないぐらい若い人もいるかな?)
20年前、誰もエクセルとか、ワードとか、言っていません。
時とともに、何がお金になるかなんて、あっという間に変わってしまいます。

20年前、うちの近くの駅に、地下鉄が来るのを大反対して、
地下鉄開通を阻止した商店街は、今はほとんど閉まっています。
「お金になるかならないか」というのは、表層のレベルの話です。
それはいつも表層だから、浮いたり、沈んだりします。

口から出まかせレベルになるためには、
お金になるかならないかなんて、考えていたらなれません。
20年のあいだには、お金にならない時期もあるでしょうから。

口から出まかせレベルの人のお話は、とても楽しいです。
好きなことを追求してきた自信と、その人が楽しんでいる感じが伝わってきます。
好きなことを長い間追求することができた自信とは、
その人がそれだけ自分を信じてきたということだと思います。
つまり、自分に内在する神を信じてきたということです。


2014年1月27日月曜日

土の上を歩くということ

最近、コンクリートの上しか歩いていない、都会の人たちが多いです。
たとえば、マンションに住んでいて、
家を出たらアスファルトの道で、
駅に行って、
電車に乗って、
またビルの中で仕事、なんていうと、
コンクリートやアスファルトの上しか歩かないことになります。
どうやら、これが体にはよくないようです。

土の上を全く歩かないと、
まず、疲れやすくなります。
それから、人によってはむくむらしいです。
筋肉反射で体に聞くと、
グラウンディングできていないと出ます。

グランディング、すなわち地に足がついているという状態ですが、
こんな都市生活者の生活様式も影響を与えているようです。
土の上を歩かないということの弊害について、
あまり聞きませんが、やはりあると思います。

それを避けるためには、
自分で意識して、地面が出ているところ、
たとえば公園を歩いてみるとか、
工夫が必要になります。
庭がある人はいいですが、
マンション住まいだと、自分で意識しない限り、難しいでしょう。

都会になればなるほど、
地面が出ているところは少なくなります。
きれいな靴をはいていたら、
土の上を歩くのも嫌でしょう。
だけれども、土のエレメントは、人間に必要です。
これを再び獲得しないと、
バランスを崩します。

ほんのちょっとしたことをするだけで、それが防げる可能性はあります。
マインド優先の人は特に、
土の上を歩くということが、重要になってくると思います。

2014年1月26日日曜日

光は春へ

夏が長くなり、夏物を着る期間が長くなりましたが、
冬も同様に、冬物を着ている期間が長くなったような気がします。
寒い春だと、4月の10日ぐらいまでは、
ダウンジャケットが手放せません。

けれども、ここ最近の日差しは、確実に春めいてきています。
そうすると、同じような感じの冬物を長く着続けていくのも面白くない。
もちろん飽きてきます。

気温は高かったり、低かったりしていたとしても、
確実に季節は変わっていきますから、
それにあわせて、グラデーションで着るもののどこかを変えていったらいいのかもしれません。
それはほとんどの場合、色になるとは思いますが。

薄物という意味での春ものではなくて、
色だけ春に近づけていく。
黒からシルバーグレーへ、
ネイビーから水色へというふうに、
ニットでも、マフラーでも、
そうやって、太陽の光にふさわしい色合いを付け足していくのがいいのではないかと、
最近、考えています。

カシミアのニットで、十分暖かいのだけれども、
色だけは明るい、みたいな、
仕様としては冬なんだけど、色は春。
夏の場合も、半袖で、薄い生地なんだけれども、
色は秋というふうに、
素材ではなくて、色だけで春と秋を表現していくというのが、
今の日本の気候にふさわしいでしょう。
寒かったり、暑かったりするのは仕方ありませんから、
そこは考え方を変えて、
四季をファッションにとりこんでいく。

たとえば、立春を過ぎたら、ウールのシルバーグレーや水色、薄いピンクの、
ツイードのノーカラーのコートを着る。
そんなふうにすれば、
まだまだ多くの人がダークな装いをしている中、
そこだけ春がやってきたようで、
自分の気持ちも華やぎますし、
まわりの人たちにも新鮮なイメージを与えることができると思います。


2014年1月24日金曜日

流行らないものもあるでしょう

今年の春夏、そして次の秋冬と、
かなりいろいろなタイプのスタイル、デザイン、柄が提案されています。
全体に流れるムードはリラックスですが、
その表現はさまざまです。
だけれども、これら提案されたすべて、実際にみんなが着るわけではありません。

特に、日本ではないだろうなと思うのは、
ミドリフ丈、つまり肋骨が終わるあたりのトップスです。
これを着ると、お腹の肌が露出します。
これはいくら提案されても、避暑地でも無理ではないかな。
湘南も無理だと思います。
まず、電車に乗れないです。

それから、ワンショルダーもなぜか多く出てきています。
なんだか、昔のディスコの服みたい。
(って、ディスコって、行ったことないけど)
ワンショルダーのドレスとか、トップスも多く出ているけれど、
これも受けいられないのではないかと思います。
理由は、下着が面倒だから。

それから、いくらシースルーやレースが流行るとは言え、
ボトムのシースルーも、実際は無理だと思います。
下半身が丸見えですから、これを普通の人が着るとは思えない。

すごくいろいろ出ているけれど、
その中で多くの人が選択するのは、案外少ないかもしれません。
時代がゆるいほうへ流れているのは確かなので、
ゆるいシルエット、ドロー・ストリングス(ひもって言えばいいのにね)、
ウエストゴム、みたいなのはどんどん広まっていくでしょう。
一度楽を知ってしまったら、もとへは戻れません。

そうなると、矯正下着とか、よせてあげるブラも、いらなくなりますね。
だって、体のシルエットがよくわからない服が主流になるから。
これからの時代は、サイボーグみたいな寄せてあげるブラではなくて、
軽くて羽のような、妖精ブラみたいなのがいいのではないでしょうか。
しめつけない、軽い、ゆるい、
ここら辺がキーワードです。


2014年1月23日木曜日

ドレスにスニーカー

今、つぎの春夏のオートクチュール・コレクションがパリで開催されていますが、
先日、シャネルのショーもありました。
で、早速、ネット上にはスタイルがアップされています。


そこで目を見張ったのが、
すべてのスタイルにスニーカーをあわせているということ。
ウェディングドレスにも、スニーカーです。
(着ていたのはカーラ・デルヴィーニュ)

シャネルは去年の春夏も厚底スニーカーだったのですが、
全部ではなかったような気がします。
(これは記憶違いかも?)

クローズアップの写真も出ていますので、
そのスニーカーがどんな仕様なのか見てみますと、
ドレスと同じ素材でできています。
同じ生地、同じ刺繍、同じスパングル。

ここからは3つのことがわかります。
ちょっと考えてみて?

まず1つ。
カジュアルなアイテムも、素材のグレードをアップさせればモードになるということ。
これはすべてのアイテムに言えることです。
カジュアルをカジュアルのままにしないためには素材が大事です。

2つ目。
ドレスと同じ素材の靴をはくということで、モードになるということ。
ドレスと同じなので、一番、似合うのはそのドレスに合わせたときです。
それ以外は合わない。
だけれども、それだからこそ、このドレスと靴がおそろいの生地でできているということは、
モードっぽいわけです。

3つ目。
どんなアイテムも、ビッグ・メゾンが、
「これでいいのだ、おしゃれなのだ」と認めたら、
それはおしゃれになるということ。
昔、ニューヨークのキャリアウーマンがスーツにスニーカーという、
それまではあり得ないスタイルで登場して、
それがカッコいいとなったわけですが、
それと同じ。というか、それ以上。
シャネルほどのビッグ・メゾンがいいと言うのだから、いいのです。
これからは、ドレスにスニーカーでも認められるのです。

それにしても、フラット・シューズのカムバックはすさまじいです。
厚底でさえなくなりました。
これは、ヒールの靴は歩きにくいから、というだけの理由ではないと思います。
もっと根源的な、
地面、つまるところの地球に対する憧憬の表現ではないかと思います。

2014年1月22日水曜日

セーターの重さ

ここのところ、ローゲージのニットをよく着ています。
長いこと、薄く軽いニットを着ていたので、
少々重く感じます。

けれども、この重さって、私が高校生のころは普通でした。
あのころ、みんな、こういうローゲージで重いニットを着ていました。
そして、編み物もけっこう流行っていました。
ローゲージでないと、手編みはできませんから、
編み物の流行は、ローゲージのニットが流行っている時代とリンクしています。
当時、私も、蒲田のユザワヤまで輸入の毛糸を買いにいって、
ふわふわのピンクのモヘアでセーターを編んで、
それを着ていました。
(そういえば、おととしも編もうと思って、本まで買ったんだけど、
そのあと、それどころではなくなってしまって、編まなかったな)

で、この重いニット、来年の秋冬も続いていきます。
ローゲージでビッグ・シルエットというのが、
これからの流れです。
ローゲージのニットは重いし、しまうとき、場所はとるけれども、
やっぱり暖かいです。
それに、編み地の表情もいろいろあって、
ニットの楽しさが復活した感じです。

まだ街ではセール中ですが、
来年へ続くものとして、
ローゲージのニットはお勧めです。
まだ、みんなそのよさに気づいていないみたいで、
この前見たときも、アクネのニットがセールなのに売れ残っていました。
(ま、セールでも高いですが)
学生時代とはまた違った、ローゲージのニットの着こなしがあると思います。
それは新しい発見であり、楽しみです。

2014年1月20日月曜日

大人のリュックについて再び

先日、電車に乗ったら、
高校生の女子たちのリュック姿に出会いました。
みんなそれぞれ大きいリュックに荷物がたくさん詰まっています。
たくさん詰まっているので、リュックがその重みで、ぐーっと腰のほうまで下がっています。
リュックの何とも言えない、かっこ悪さというのは、
この荷物を入れたときの、だらしなさなんだと思います。

ぐーっと下がりたくなかったら、
登山用のザックを背負うしかありません。
そうすると、胸とお腹にベルトみたいなものがわたることになります。
もうそうなると、おしゃれとは関係ありません。

大人のリュックの難しさって、
そのデザインもさることながら、
荷物を入れたとき、さまにならないことも原因でしょう。
荷物は入れたい。
だけれども、入れると、リュックの形が崩れるし、
下がってくる。

実用とおしゃれ、両方実現するのは、なかなか難しいです。
手ぶらで荷物を持ちたいなら、それを優先、
おしゃれとしてもちたいなら、荷物をたくさん入れない。
あと、厚みがあるものは混んでいる電車に乗ったとき、
かなり邪魔になりますし、ほかの人にもぶつかります。

どんな場所にも万能なリュックはなさそうです。
観光地を歩くためなのか、
ハイキングのためなのか、
大学に勉強に行くためなのか、
小さい子供がいるから両手をあかせたいためなのか、
それぞれが、それぞれの状況にあわせて選んでいくしかないのではないかな。
そうすれば、それなりのスタイルはできると思います。





2014年1月19日日曜日

学ぶにはいい時代

何かやり始めたら、
その時々で内容を更新したり、付け足していきます。
このところヒーリングにかかりきりで、
占星術のほうがちょっと止まっていたのですが、
今、新しい読み方を取り入れようと勉強していて、
それはそれでとても面白いです。
占星術に関しては、死ぬまでかかっても、すべてを知ることができないほど、
膨大な分野の学問なので、
終わりがありません。

昔と違って、洋書は簡単に、しかも安く手に入るし、
望めばオンラインで学習することもできるし、
いい時代になりました。
本はとにかく安いので、
(洋書だって、2000円とか3000円ぐらいです)
講座は高くて行けないという人も、
十分に勉強できます。

ファッションも常に新しくなりますが、
これも多くのブランドやメゾンが新しいコレクションを
ライブストリーミングしますので、
ネットにさえつながっていれば、
昔のように雑誌を出るまで待って、
しかも編集済みの、すべてではない部分を見なければならないということはありません。
実物も見たければ、都会に行けば見ることができます。

学ぶという意味では、今はかつてないほど、
手軽に、かつ安価ですることができるようになりました。
昔など、映画のビデオを見るために、
大学の英語ライブラリーみたいなところでわざわざ予約して、
狭いブースで見たものです。

かたくなに独学にこだわっている方もいらっしゃいますが、
やっぱりプロのこつとか、
本に書かれていないことというものはあるもので、
それが面白いから、習いに行くのは大好きです。
まだまだ習って楽しいことがたくさんあるというのは、
幸せなことだと思います。

2014年1月18日土曜日

着たい服を着て、食べたいものを食べる

着たい服を着る、
食べたいものを食べる、
やりたい仕事をやるというのは、
どれも同じ地平です。
ただ、これと逆のことを組織に入ると強制されます。
同じものを着る、
同じものを食べる、
同じ仕事をする。
組織やシステムにとって、
みんながそれぞれ違う服を着ることは、厄介なことなのです。

かといって、人間の着たい服、食べたいもの、やりたい仕事という欲求はおさえられませんから、
それは余暇にでもやってねと言われます。
だけれどもね、余暇までとられてしまったら、
それはいつやるの?

時間の拘束が長ければ長いほど、
自由は少なくなります。
私が過去いた、ブラックアパレル企業の社長は、
社員に向かって、
「うちの会社の服を着ろ」と言いました。
アパレル企業なのに、好きな服を着れないなんて、
あり得ないと思いました。
時間的、経済的な拘束の次は、
着るものを縛りつけようというわけです。
システムを強化するためには、
そのほうが有利だと考えたのでしょう。

多くの悩みは、
好きな服を着る、
好きなものを食べる、
好きな仕事をする、
好きなところへ行く、
好きな人に会うなどなどができたら、
解消するような気がします。
そして、その逆をする時間がふえればふえるほど、
悩みはふえ、疲弊します。

学校を出てから私たちが自分にできることは、
これらの時間をより多く獲得するためにどうすればいいか考え、実行することでしょう。
これができればできるほど、
幸福感は増します。

2014年1月16日木曜日

なんでこんなに増えちゃったんだろう?

アウトレットも含めて、
服は常時、どこかで値引きされて売られています。
なぜなら、そうまでしないと、在庫がはけないからです。
明らかに洋服、靴、バッグなど、
需要と供給のバランスが、供給過剰になっています。

私がアパレル業界で働いていた90年代は、
まだそんなことがなかったです。
セールはセール期間、またはファミリーセールだけだったし、
だからこそ、セールはかなり盛り上がって、
争奪戦になったりしたわけです。
しかし、こうもいつも値引きされていると、
そうはなりません。

90年代を振り返る記事が雑誌に出ていましたが、
あのころはまだ、日本のファッション業界にも、
今よりは希望がありました。
そして、ここが大きな違いですが、
多くのものは日本製でした。

その当時、有名商社のアルマーニのスーツにブルガリの時計の営業マンたちが、
盛んに中国生産を勧めてきました。
明らかにそのほうが工賃が安いです。
工賃の安さに目がくらみ、
上司たちは、次々に中国生産を決めたわけですが、
当時はまだ技術が安定しておらず、
とんでもない製品が多く上がってきて、
売り物にならない状態に頭を悩まされました。
技術の向上には時間がかかるのです。
いきなり、日本向けの製品を作れと言われても、
そんな、着たこともないようなものを作るのは無理だったのでしょう。

あれから20年近くたって、
中国製品の質は驚くほど向上しました。
一方、日本の縫製工場は次々となくなっていきました。
技術が追いつかれてしまったら、
工賃の差によって、日本の縫製工場は不利な立場に置かれました。
(だからといって、日本の縫製工場の工賃を落とせと言っているわけではありません。
自分の利益のために、あなたは安くしろというやり方には反対です)

日本よりはるかに安い工賃、
高い技術、そして豊富な労働力をバックにもって、
アパレルの生産量は増大したのでしょう。
しかし、そのはけ口は、増えてはいません。
洋服はふえた。
だけれども、買う人、買える人はどんどん減っている、
その結果として、今のようないつもどこかでセールが行われている状況が生まれました。

これはどこまでいくのでしょうね。
さすがにそれはわかりませんが、
飽和状態であることには変わりがないし、
これから買う人たちは減る一方。
すぐにではありませんが、
将来的に転換点が来ると思います。


2014年1月15日水曜日

見た目年齢と実年齢

ファッションについて考えるとき、
私は年齢についてほとんど考慮しません。

占星術をしているので、
その人の実年齢と、見た目年齢について多く観察しましたが、
30を過ぎるころから、
個人差のほうが激しくて、自分が勝手に想像する年齢と、
実際の年齢とは必ずしも一致しません。
すごく若く見える方もいれば、
その逆の方もいて、
つくづく実年齢と見た感じはまったく別だと思います。

では、その差はどこから出てくるのか、
それははっきりとは分かりませんが、
たとえばシミやしわよりも、
その人の「柔らかさ」のほうが重要のようです。

柔軟な思考、
やわらかな表情、
しなやかな言葉の使い方など、
それらは人を若々しく見せ、
シミやしわなど、忘れてしまいます。
簡単な言い方だと、若い精神の持ち主は若いです。
固まれば固まるほど、ふけて見えます。

最近、うわ、この人、若い、というか、変わらないと思ったのは、
私の気功とクリスタル・ヒーリングの先生のヒロさん。
(ヒロさんは男ね)
4年ぐらい気功ができなくなって、
ずっと会っていなかったのですが、
久々に本人に会ったら、
前より若くなっていました。
大きな理由は、もちろん気功の修練を毎日続けているおかげ。
毎日続けると、ここまで差が出るものだという見本でした。

逆に、え、この人、こんなに若いのと思ったのは、
不摂生な生活を続けて、妊婦ぐらいにお腹がせり出た男性。
運動もしていないし、食べるものも何も気をつけていません。
今の言葉だったら、メタボです。
メタボな時点で、若さなんてありません。

食べ物や運動のメンテナンスと、
柔軟な精神、思考が若くいられる秘訣かなと思います。

最後に、女性に年齢を聞くのは、アストロロジャーでもない限り、失礼なわけですが、
会うなり私に「いくつなの?」と言う女性の方がいます。
(男性に年齢を聞かれたことはありません)
そういう場合、私はいつもこう答えます。
「見た目どおりです」。


2014年1月14日火曜日

かわいいという才能

ホロスコープを作ってみて、
月と金星がコンジャンクション、つまりくっついている状態だと、
それは、「かわいいという才能」がある人です。
この人たちは、生まれながらにかわいい性格なので、
かわいくなるために特別何か努力する必要はありません。
(もちろんより磨くことは可能)

しかし、多くの人が、この月と金星のコンジャンクションを持ってはいないわけで、
そうすると、生まれながらのかわいい人というわけではなくなります。
これは男とか女とかの問題ではなく、
男でも月と金星がコンジャンクションしている人は、やはりかわいい性格です。

「かわいい」というのは、もはや才能なので、
ない人がいても当たり前です。
では、その才能を生まれながらに持っていないとしたら、
もうだめなのかと言えば、
そういうわけではなく、
後天的な努力によって、獲得することは可能です。
自分を客観的に見ることができて、
どういう部分が自分のかわいくないところか、
それを野放しにしないで、
コントロールすることができて、
かわいい人の行動様式を学ぶことができれば、
その人はかわいい人になれます。

しかし、人間というものは、
年をとるにしたがって、かたくなになるもので、
かわいくない方向に固まってしまうと、
それを溶かすことはなかなか難しい。
20代ではさほど目立たなかった、その人のかわいくなさも、
年とともに育っていき、
ついには老木のように、固く曲がらないものになり、
手の施しようがなくなります。

かわいいという才能がなかったとしても、
かわいくなることは可能。
ただ、同じぐらいの確率で、
かわいくなさを育てる人もいるので、
やはりその人がどうするかにかかってくるのだと思います。

2014年1月13日月曜日

旅力

ここのところ、ずっと旅に出ていません。
ま、事情がいろいろあり、旅行どころではなかったので、
仕方がないと言えば仕方ないのですが、
確実に旅力は落ちていると思います。

いつもほとんど一人旅なので、
それを重ねるたびに、
自分なりの一人旅のための知恵を重ねてきました。
荷物を少なくすること、
食べ物のこと、
乗りもののこと、
泊まるホテルのことなど。
そして、旅から戻ると、次回はこの点について改善しようと決めて、
また新たな予定を立てました。

インターネットが発達して、
昔よりずっと旅行はしやすくなりました。
昔はホテルの予約をファクスで送っていましたものね。
なつかしい!
今は飛行機も電車もホテルも、すべてネットでできますし、
通信料もかかりません。
そうなってくると、旅の仕方も変わってくると思うのですが、
そこで旅行に行けなくなってしまったので、
私の旅の知恵も未発達のままです。

旅ほど、頭の中での想像と実際が違うものはないと思います。
どんなに映像でその街について見聞きしていたとしても、
現地に実際に行って体験するのは違ったことです。

頭の中の想像の世界と、
実際の三次元の世界、
その両方のバランスが必要だと思います。
想像のその分だけ実際に行動する。
それが世界を楽しむコツでしょう。

2014年1月12日日曜日

マーケッティングの独特のいやらしさ

プレ秋冬のコレクションを一挙に見た後に、
普通のショッピング・モールに売られている服を見ると、
明らかな違いを感じます。
(全部ではないけれど)
明らかな違いを感じるのは、
たぶん、マーケッティングの結果、デザインされた服。
きのういいたとえを思いついたのだけれど、
それはあたかも、美術館に飾られているほんものの絵画と、
よく観光地の道端で売っている、テクニックを真似て、
それらしく描かれた風景画。
確かに描いている対象は似ているけれども、
そして、テクニックもそうなんだろうけれども、
あの道端の絵というものは、全身に偽物感があふれていて、
買うなどということは、考えられません。
だけれども、ショッピング・モールで売られている多くの服がかもしだしている雰囲気も、
あの絵画と同じ。
確かに似ているけれど、何かが違う。

マーケッティングを全部否定するわけではないけれど、
少なくともクリエイティブな商品には向かないのではないかと思います。
逆に、多くの人が欲しいと思っている電池なんていうものには、有効だと思いますが、
服と電池は違いすぎます。

つまり、こうすれば売れるでしょという方法論があって、
そのとおりにやっている姿は、
逆に、独特のいやらしさと、偽物くささがあるということです。
そのいやらしさは、「売れたい」という欲望。
みんなにいい服を提供したいではなくて、売れたいという作り手側のエゴの欲望。
そして、今売られているものやサービスには、
この独特のいやらしさを感じられるものが多いです。
マーケッティングで作られた音楽も、嫌な感じです。
あれと同じ。

で、そういうものをたくさん集めてきても、
全然素敵にはなれません。
だって、そこには感動がないから。
道端で売られている絵に感動がないのと同じこと。

平均化と、そして感動がない服と、
おしゃれを完成させるためには、
いろいろ避けなければならないことがたくさんあるわけです。

2014年1月11日土曜日

14年のプレ秋冬

各ブランドやメゾンは、もう今年のプレ秋冬、つまりほぼ1年後のコレクションを発表しています。
ショー形式ではなく、展示会が主です。
それを見ていけば、もっと先の流行の流れがわかります。

最近、次々、ネット上にアップされていくので、
いくつか見ました。
一言で傾向はと言われると、とても難しいですが、
服の可能性がいろいろな方向から探られているなという感じがします。
スカート丈も短いものから長いものまで出てきました。

また、同時に、新しい装飾がいろいろ提案されています。
レース、プリント、フリル、ドレープ、プリーツなど。
そうでなかったら、新しいシルエットの提案。
(特にいいなと思ったのは、クロエのプレ秋冬。すべてのスタイルにサイハイブーツをあわせていて、クール!)

これらを見ていて、久々にファッションらしいファッションに戻ったなという感じを受けました。
2000年以降、ファッションは少し画一化が進み過ぎました。
結果的に、みんなが似たようなスタイルになってしまいました。
ここ最近、書いている平均化のことです。
スタイルの最大公約数の平均を定番とよんで、
それを着るみたいなスタイルは、
基礎ではありますが、あくまで基礎です。
ご飯とおかずとお味噌汁、みたいなものです。

次の秋冬に示されるようなバラエティの中から、
それぞれが似合うスタイルを選んでいけば、
決して画一的、平均的にはなりません。

うお座海王星は、混沌とした価値の多様性も示しています。
あれもよい、これもよい、何でもありの世界です。
ファッションにとって、もっともふさわしい時代です。

こんな時代ですから、やはりそんな装いをしたいものです。
この続きについては、月曜日、おしゃれブログのほうに書く予定です。

2014年1月10日金曜日

小さな祝祭


ジュエリーについて、きのうは友達と語り合いました。
今の日本で、ジュエリーって、つけていくところがあまりないよね、という話。
つけていくところもないし、
みんな、ジュエリーを買うほど余裕はないし、
買えるとしても、すごく小さいのだし、
これから不景気がもっとひどくなったら、
もっと買わないし。

ファッションの平均化、均質化、日常化がどんどん進むと、
やっぱりそれは面白くないです。
日本語だったら、ハレとケのハレがなくなるというのは、
人間として、何か耐えられないと思います。
1年を通して、祝祭的な瞬間というのは、
人間にとって必要だったから、
今まで何千年も続いてきたわけです。

効率とか、利益のために切り捨ててきたものの中に、
とても大事なものがあって、
それがないと人間の生活が枯渇してきてしまいます。
それは豊かさではないです。

商業的に作られたお祭りではなくて、
(それは例えば日本のクリスマスのような)
それぞれの土地、またはコミュニティで、
それぞれの小さな祝祭は、あったほうがいい。

そこで、それぞれがおしゃれをしていく。
そんなことをやってもいいのではないかな。
そうしないと、ジュエリーの文化も育たない。

どちらにしろ、それをやるためにはいろいろな意味で余裕が必要です。
気持ちや時間の余裕も。
駅のホームで舌打ちしているようじゃ、
そんなことは実現できないでしょう。

冬の午後に、丁寧にお茶をいれて、
カップアンドソーサーを使っていただくような、
そんな余裕のある生活が必要なのだと思います。

☆文章と関係ないけど、最近これが好き。ナチュラルな歌声なのに、メイクはこい感じなのが面白いです。


2014年1月9日木曜日

アレクサンダー・マックイーンが言うことには

きのうブリティッシュ・ヴォーグのHPを見ていたら、
ファッション・デザイナーたちがファッションについて語った言葉がたくさん出ていました。
中でも、なるほどと思ったのがアレクサンダー・マックイーンの言葉です。

"Fashion should be a form of escapism, and not a form of imprisonment."
ファッションは檻ではなく、逃避でなければいけない。
ぐらいの意味です。
日本語の「逃避」はあまりよくない意味ですが、
この場合、そのあとに続くとらわれた状態の言葉に対比しているので、
そこからは出なければいけないというような意味だと思います。

つまり、ファッションが何かに縛られるためにされてはいけないのです。
何かに縛られそうになったら、そこから遠くまで逃げなくてはなりません。

とらわれそうになるものはいろいろあります。
社会の常識、
他人の目、
同調圧力、
ドレスコード、
記号としてのコード、
情報、
押しつけ、
安全ではなく、服従としての制服などなど。

「ファッション」とはという話なので、
衣服全般について言っているわけではありません。
ファッション、つまり、おしゃれでいるということはそういうこと。
何かにとらわれたらいけないのですね。
自由であるということが前提で、
それが自分の表現手段の一部であったとしたら、
当然、そうなります。

最近、日本では、多くの人がそこを勘違いしているかもと思います。
鳥かごから脱出しないとね。

2014年1月8日水曜日

ファッションの平均化から抜けて

きのうは小学生のファッションを観察していたのですが、
そういや、高校生ってどんな格好なのかしらと思いました。
制服姿は見るけど、私服はどんななのか、すぐには思い浮かびません。
たぶん、見ていないわけはないと思うんだけど、
区別がつかないんだと思う。

昔は、小学生ぐらいまでは、子供らしい服装をしたんだけれども、
今は小学生が大人のコピーになってしまったので、
そこから二十歳ぐらいまでが、みんな似た格好になってしまったんだと思います。
だから着ているものだけでは世代がわかりません。

ここ何年かで、日常着と晴れ着の平均化が進んだと思いますが、
実は、年齢による着るものの差というものも、なくなってきていると思います。
子供とお年寄りが同じデザインのダウンジャケットを着ているのですから、
これは驚くべき平均化です。

だけれども、同じって、やっぱり面白くないです。
私はパーティーなんて、ないでしょってよく書いてきたけど、
このままどこまでも平均化が続くなら、
逆にそれに抵抗する必要があるような気がしてきました。
パーティーのための服じゃなくて、デートのときの服とか。
放っておくと、いつも日常の延長になって、
メリハリがなくなります。

そういえば、私も今、お客様が来たときに着る服のことを「衣装」と呼んでいます。
私にとって、それは普段着とは違う位置づけなんで、
少し違うものを着るようにしています。
そんなにたくさんはいらないのですが、
この「衣装」はなかなか楽しいです。
私のセッションをするお部屋は、壁を自分でラデュレのような黄緑に塗ってあるので、
緑の部屋と呼んでいますが、
そこは私の小さな舞台であるので、
そこに合う衣装にしたいわけです。
壁が黄緑で、椅子がピンク。
その部屋に着る衣装は何がふさわしいか、
そしてどんな格好をしたいのか、
考えながら、選んでいます。

2014年1月7日火曜日

小学生の全身黒ファッション

きのうは電車の駅のホームで、
いまどきの小学生女子のファッションを観察しました。
どうやら、黒が相当流行っているみたい。
黒いダウンジャケット、ミニスカートまたはショートパンツ、
黒いタイツ、そしてもこもこブーツです。
3人の仲良し女子は、全員似たような格好。
ダウンも、ショートパンツも、もこもこブーツも、
完全に大人の写し絵。
しかもなぜか全身黒。
なぜ今、小学生に黒なのかしら?
うちの近くの駅なので、都市郊外ですから、
背景に合っていないわけではありません。

もちろん親御さんが買ったのでしょうから、
小学生の彼女たちの趣味が100パーセント反映されているものではないと思うし、
黒ばっかり売ってたのでそこから選んだと言われれば、
そうなのかもしれません。
しかし、子供が真っ黒って、なぜなのか、考えてみると面白そう。
歴史的にも、日常的に子供が黒い服ばかり着ていた時期というのは、
なかったのではないでしょうか。
紺色の制服はあっても、黒というのはないだろうし。
(あ、中学生男子の学ランは黒か)

黒というの色はすべての色を吸い込んで、
エネルギーをたくわえている感じもあります。
必ずしも悪い意味ばかりではありません。
企業にブラックをつければ、悪い企業ということでしょうが、
黒そのものが悪いということはない。

ただ、エネルギーを出していく色とは違うイメージ。
子供はどちらかというと、エネルギー発散型だと思うので、
そういう存在がエネルギーを内包するというのは、どういうことなのか。

しかし、彼らの中にも虹のように輝くエネルギーは存在しています。
それを今は出さないでおくという表明としての全身黒ファッションは、
多くの小学生女子の思いを代弁しているようです。
今は出すときじゃない。
私たちは、待っているのよ、と。

2014年1月6日月曜日

掃除には音楽

今年は2日、3日とうちの掃除をしていました。
とにかく分別が細かいので大変です。
たぶん、何でもまとめて捨てていいころ(または地域)の掃除に比べたら、
2倍の時間がかかります。
たとえば、雑紙という区分の分別のために、
小冊子についたホチキスの芯をとらなくてはなりません。
それをやるだけでも1時間はかかります。
単調で、しかも報いの少ない仕事。
(ないとは言わない。だって、あとはきれいになるわけだから)

で、そんなふうにいつ終わるかもわからない、
そして集中力とやる気が途切れそうになるときは、
音楽に頼ります。
私はもともと火のエレメントが少ないため、
火のエレメントを補うような音楽が掃除にはぴったり。
ここ数年、掃除のおともには、マドンナです。
マドンナは太陽星座がしし座。火のエレメントが強いです。
中でも「Confessions on a Dance Floor」アルバムは掃除にぴったり。
ダンスビートは、掃除がはかどります。


占星術でネイタルチャートを出して、
10天体を四大エレメントに分けると、
ほとんどの人が偏りが出てくると思います。
そういうとき、自分に足りないものを何かで補うといいです。
音楽はその1つの方法。
生理整頓が不得意な人は、たぶん風のエレメントが足りないだろうから、
理路整然とした音楽が、たぶん向くでしょう。
水が足りない人だったら、ショパンかな。
土が足りない人だったら、どっしりした、民族音楽なんかがいいかもしれません。
何が合うか、そして好きかは人それぞれでしょうから、
自分で見つけておくといいと思います。

いつだったか、エリック・サティを聞きながら作業をしたら、
大失敗でした。
やる気喪失。途中中断。
選択を間違うと、逆効果なので、そこは吟味して。

まだまだ掃除は途中です。
後半、これからもあいた時間に頑張ります。

2014年1月5日日曜日

イーディ・キャンベルもいいよね

2013年に大ブレイクしたモデルはカーラ・デルヴィーニュだったと思いますが、
今年はイーディ・キャンベルがもっとブレイクしそうです。
カーラが猫系の顔だとしたら、
イーディは完全に犬顔。
ずいぶん前からデビューしていたみたいですが、
以前のスタイルは、栗色のロングのストレートヘアに、
前髪をぱっつんと切って、どこにでもいる背が高くてスタイルがいい田舎のお姉ちゃんみたいな感じ。
それが、髪を切って、わざわざ黒髪にして、ロックっぽいショートにしたら、
いきなりブレイク。

カーラにしても、イーディにしても、正統派美人でないところが面白いところ。
正統派美人でいるよりも、どんな服でも着こなす表現力のほうが重要視されているからでしょう。
表現力で突出しているケイト・モスのように。

ところで、最近、ランウェイを席巻しているアジア人モデルは、
ほとんど中国人モデルです。
日本人モデルもいないわけではありませんが、
日本で騒がれているほど、実際には出ていません。
あからさまに、今のお得意さんは中国の方ですから、という感じ。
経済とモデル選びはリンクしています。
だとしたら、日本人モデルはこのままいなくなってしまいそう。
日本に目くばせする必要がなくなったら、
別にいなくたっていい存在だし、というようなことを考えているのではないかと思います。

ただし、全体の中でアジア人モデルは減ってはいません。
しかも最近では、プロモーションのスチールなどにも積極的に使われています。
ここらへんの感性は経済とは関係なく、
徐々にアジアの美しさがヨーロッパに理解されてきたのかなという気もしないでもありません。
本当のところはどうだかわかりませんが。

さて、戻って、イーディですが、
まだ日本ではそれほど認知度が高くないですが、
今年はどこかの雑誌の表紙になるのではないかな。
日本人にも親しみやすいお顔なので、きっとその日はやってくると思います。

2014年1月3日金曜日

もう春夏のプロモーション

各ブランドやメゾンは、新年早々、春夏のプロモーションを始めました。
冬はこれからという時期にもう春夏です。
このプロモーションが始まる時期が、年々早まっている気がします。
たださすがに、年が明ける前というわけにはいかないようですが。

ファッションはいつでも、みなれていないものが素敵に見えるという特徴を持っています。
ですから、冬のさなかのこの時期の春夏ものは、
春夏のあいだに見るよりも、数段素敵に見えるわけです。
素敵に見えますが、着るわけではありません。
寒すぎて、着られませんから。

結局、ファッションはものではなくて視覚に訴える情報になったのです。
情報なので、質量はないか、あったとしても薄いです。
服をたくさん持って捨てられない、片付けられないのは、
ものへの執着だけのためではないと考えたほうがよいでしょう。
だって、もうすでにものではないのだから、
執着しているのは情報です。
情報と自分の関係です。

情報が肥大した社会なので、
それらに毎日接していれば、そこから逃れるのは難しいです。
だけれども、情報はものそのものではありません。
実際にさわって、着てみると、あれ、やっぱりなんか違うということが多いと思います。
逆にそれがないのだとしたら、感性がどうかしてしまっています。
ものとしての力は、情報の力より、実は強いですから、
なんか違うものはしょせん長持ちしません。
長持ちはしないんだけど、捨てるほどではないという、
この中途半端な層が分厚くて、
ほとんどの人がそれに対処できないでいます。

いつも書いているけれど、
ここから抜け出すには、情報の網目からいったん離れて、
ものそのものと向き合うことしかないのではないでしょうか。
答えは、自分がいつも着てしまうものの中にあります。
それはどうしてそうなのか、
そして着ないのはなぜなのか、
ここらへんを問い詰めていかないと、
ワードローブはふえていくばかりでしょう。
情報は軽いけど、ものは重いです。