2013年12月31日火曜日

今年もありがとうございました。

さて、ついに大みそかとなりました。
今年もいろいろなことがあった年でした。
プライベートでもいろいろあり、

なかなか思うようにできないことも多かった年ではありましたが、
インテグレート・ヒーリングと出会ったり、
クリスタル・ヒーリングと出会ったり、
それによって、私のところまでセッションを受けにきてくださるクライアントさんも変わってきたりで、
吉凶混合の1年でした。
占星術もヒーリングも日本じゅうどこでも受けられるものなのに、
わざわざ新幹線やら、飛行機でやってきてくださる方々もいて恐縮です。
本当にどうもありがとうございます。

それから、毎日、ブログをチェックしてくださっていた皆さんもどうもありがとうございます。
書くことは苦ではないのですが、プライベートのいろいろなごたごたで、
精神的に余裕がなくなったとき、いい文章が書けなくて、
せっかく時間を割いて読んでくださっている皆さんに御迷惑をおかけしてしまったなと、
反省しております。
どんなことがあっても、ある一定水準以上のものを書くというのが、
これからの課題です。

奇しくも明日は新月から始まる新年です。
今日で今年は終わりということで一区切りつけて、
また新たな気持ちと決意とともに、来年を始めていきたいと思います。

とにかく皆さん、どうもありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
というわけで、明日も通常どおりアップします。


2013年12月30日月曜日

掃除と片付け

今日、明日は年末の大掃除の方が多いことと思います。
一方、私は、年末はお仕事をして、お正月に大掃除をするつもりです。
現在の天気予報だと、湘南地方の1月1日の最高気温は15度と、かなりあたたかい。
お掃除には適しているのではないかと思います。

実は、私の目的としている掃除なのですが、なかなか進みません。
なぜか。
それは私がしているのは、自分のものの廃棄と片付けではないからです。

なぜなのかわかりませんが、
他人の荷物というものは、捨てるのに非常に労力がいるのです。
そして、その作業をした後も、異常に疲れるのです。

今までも何回か、家族のものの捨て作業をやってきました。
ごみも含めた段ボールを家に何個も送りつけてくるやからや、
高校時代の自分の使った参考書や読んだ漫画を捨てていないやからなど、
とにかく後始末をしない人々が多いのです。
死んだ父のものも、私が率先して片付けました。

今年の春は、母の洋服を600枚ほど、
資源ごみのためにたたんで結んで50個ほど作り、ゴミ捨て置き場に何往復もしました。
そんなことを繰り返していたら、体調を崩し、お掃除を途中断念。
そのまま苦手な夏になり、その他、対処しなければ問題がたくさんあり、
今にいたりました。

相変わらず、私が捨てるべきものは少ないです。
古い雑誌と、書き散らかした紙ぐらい。

お片付けの本は、他人の持ち物を捨てる指南書ではないので、
それをどうするか、ほとんど書いていません。
その作業をするときの、やる気のなさと、
終わった後の精神的な疲労をどうするかについてもなし。

でも日本じゅうで、私と同じようなことで疲労困憊に陥っている人はいるはずなんですよね。
誰かがどこかでやっているはずです。
もちろん、お金で片付ける人もいるでしょうけど。

お正月の3日間でどこまでできるかわからないですが、
できるところまでやってみるつもりです。
倒れない程度に。

一気に掃除すると、それはそれで気持ちいいものですが、
その前に自分が元気なことのほうが大事です。
倒れるほどに大変な掃除もありますが、
やっぱり倒れてはだめなのです。
持ち物は、少ないに限ります。


2013年12月29日日曜日

みんなが休みとは限らないんだ

今年も残すところあと3日となりましたが、
すべてのひとに長いお正月休みがあるわけではありません。
お休みの日に働いている人たちも、たくさんたくさんいます。
お店の人もそうだし、電車も動いているし、
レストランやカフェも営業しています。

いつもいつもそう。
ゴールデンウィークもお盆も、
誰かが必ず働いている。
週末だってそう。
土日に働いている人たちはたくさんいる。
だから、みんながお休みなんて、ないです。

そういう人たちがいるということを想像する力は持っていなければいけないと思います。
みんな同じじゃない。
「よい週末を」と言われて、
「よいお正月を」と言われて、
なんだか違和感を感じる人たちもいるということを。
そして、それは決して少なくないということを。

大きくて、力がある情報をうのみにして、流されて、
それが本当だと思うのは危険なだけでなく、
間違いさえおかしかねないということを、
いつも気にしていなくては。

日本のテレビも新聞も、最近ではラジオからも遠く離れた1年でしたが、
そうすることで、逆にわかってきたことがたくさんありました。
大きい音だけ聞かないように。
たくさんの意見だけが重要だと思わないように。

今、BBCのRADIO2から、デヴィッド・ボウイの「ファッション」が流れていますが、
右向けと、左向けと、
大きな声で言われても、
それが本当なのかどうか、よく見極めていきたいと思います。

2013年12月27日金曜日

ダブル・トーク

ジョージ・オーウェルの「1984年」が描くのは、
ビッグ・ブラザーと呼ばれる独裁者が社会のすべてを見張る、
暗黒社会が描かれています。
有名な小説ではありますが、
私はデヴィッド・ボウイが「1984」という歌を歌っていたので、
読んでみることにしました。
18歳頃のことです。

そこで出てくる概念に
ダブル・トーク(double talk)とダブル・シンク(double think)というものがあります。
これらは両方とも、文字づらが表現する意味とは逆の意味を言葉や思考に持たせるというものです。
つまり、言われたことを文字通りとってはいけないのです。
すべて反対の意味です。
うそは本当で、本当はうそです。

読んだ当時は、こんな社会があったら、
さぞや恐ろしいと思ったものでした。
そして、ダブル・トークが強いる独特のコミュニケーション方法など、
とてもじゃないけど、理解できるものではないと。
しかしそのときは、現実世界でダブル・トークを使う人などいなかったので、
自分とは関係のない世界の話だと思っていました。

ところが、今ではブラック企業と呼ばれるような、
(当時、その言葉はありませんでしたが)
某一部上場アパレル会社に入ったら、
そこで上司たちが使っていたのが、まさにダブル・トークだったのです。
言っていることはすべてうそ。
やることはまったく別のことです。

この分裂した思考と言葉の連中は、
一緒にいる人たちをことごとく破壊していきました。
そして初めて、他人の不幸を食べて喜ぶ人間たちを見ました。
本当にいるんだ、こんな人たちが、というのが当時の感想でした。

この冬休み、時間のある方々はどうぞ「1984年」を読んでみてください。
本が大変だったら、映画もあります。
(サントラはユーリズミックスです)
そこで使われているダブル・トークは、
今ではよく見られる話法だと思います。

今日もビッグ・ブラザーはダブル・トークを使い続けています。


2013年12月26日木曜日

カシミアニットの最終利用

きのう、夜になったら、ぞくっとして風邪の前兆があったので、
風呂に入り、葛根湯を飲んで、早めに寝ることにしました。
私は寝ていると、どうも頭とか、首の後ろとかが寒くて目が覚めるときがあります。
頭のてっぺんが寒いので、お布団をかぶって眠りに就くのですが、
どういうわけか、いつも途中で頭が布団から出ています。
帽子をかぶって寝ればいいと思うけど、
帽子をかぶって寝ると、次の日、髪の毛がぺしゃんこになるので、
それもちょっとね。

きのうは首の後ろの寒さが気になったので、
もう10年ぐらい着ている、
タートルネックのカシミアのニットを着て寝てみることにしました。
ときたますごく寒いとき、セーターを着て寝ることはあったけれど、
カシミアで寝るのは初めて。
これが正解。
朝までずっと暖かかったです。
きっと、カシミアジャージーのパジャマとかあるんだろうけれど、
パジャマで買うと高いだろうから、
もう穴があいたり、しみがついたりして、
もうすぐさよならする直前のカシミアだったら、
それを着て寝るのはいいアイデアだと思います。
そして首の後ろの冷えを防ぐには、
タートルネックは優れています。
おかげさまで、今朝目覚めたら、風邪っぽさはなくなっていました。

フリースのパジャマが多くでまわっていますが、
寝るときの化学繊維は疲れるので、私は買ったことがありません。
なぜだか、疲れる感じがします。
やっぱり寝ているときは自然素材が一番いいです。

これから始まる本格的な寒いシーズン、
風邪をひかないためにも、
カシミアのニットと湯たんぽで乗り越えようと思います。



2013年12月24日火曜日

不景気とファッションって。

不景気時代のファッションというテーマで書かれたものって、
あまりないです。
そんなの研究してもしょうがないかもしれないけれど。
でも必ず何かの傾向はあると思います。
今の不景気は若い世代を中心に襲っていますので、
若い人たちが服にあまりお金をかけなくなりました。
これは別に悪いことだとは思いません。

ヨーロッパに行ってみるとわかるけど、
基本的に若い人たちは、たいしたものを着ていません。
着るもののレベルは年とともに上がっていくという感じで、
若いころから華美な服装をしているのは、
ごく一部に見えます。
(アメリカは違うのかもしれません。でも、アメリカだって、派手なのは一部でしょう)

若いころこそ、少ないお金でどうやったらおしゃれに見えるか、
鍛えるにふさわしい時期だと思います。
安いものを着ていても、
多少変な格好をしていても、
若いのなら許されます。

日本はこれまで、若い人が割ときれいな格好をしている時代が長かったです。
だけれども、これからはそうはいかないでしょう。
とりあえず買って解決の時代はそろそろ終わりです。

価値観を変えないとね。
古い時代はそろそろ終わりを迎えようとしていますから。


2013年12月23日月曜日

デートのときの服装

大きな街に出なければ、
クリスマスとは無縁に過ごせると思っていたのですが、
このところ、BBCのRADIO2は、朝から晩までクリスマスソングです。
しかも、必ずワム、そしてマライアです。

面白いのはこの時期、インスタント・カップルが大量に発生します。
このあいだ、鎌倉へ行ったときもたくさんいました。
なぜわかるかというと、動きが不自然だし、
浜辺にハートをかいたりしているので、すぐわかってしまいます。
(浜辺にハートをかく2人はこの前、初めて見ました)
まだクリスマスはカップルでという思い込みはあるのですね。

ただ、昔と違うのは、デートのときの服装がずっと地味になっているということ。
普段着とほぼ変わらないぐらいの格好の人たちが多いです。
特に男性は、ほとんどわかりません。
女子はスカートが多いかな、というぐらい。

おしゃれブログに多くのことを書いてきましたが、
デートのときの服装って、書いたことがありません。
それは私が全く重要視していないというのが理由ですが。

私は、基本的に自分の好きな格好をすればいいという考え方ですが、
デートのときぐらい、相手の要望に少しだけこたえてもいいかもしれません。
つまり、相手がしてほしい格好です。
100パーセント望みをかなえる必要はないと思うけれども、
できるところはやれば、それは喜ばれるでしょう。

自分の夢をかなえてくれるのは、いつも自分以外の誰かです。
デートのとき、相手の望む服装をしたのなら、
それで、相手の夢はあなたによってかなえられるわけです。
そんなかんたんで、お安いご用なことだったら、
やってみるのもいいかも。

景気も悪いし、収入も少ないしで、
思うような格好をできないこともわかっていますが、
ほんのちょっとだけ、誰かの夢をかなえてあげられるのも、
クリスマスかもしれません。

2013年12月22日日曜日

思考からはなれる

私が占星術を習っていた松村先生はよく、
「体に閉じ込められてはいけない」と、
カシオペアとアンドロメダ姫の例を出して話していましたが、
最近、気づいたのは、体に閉じ込められる前の段階で、
思考に閉じ込められる、というか、がんじがらめになっている人のほうが多いということです。
思考優先なので、身体感覚が衰えています。

たとえば、身体感覚、つまり五感がそれなりに発達していれば、
そして正常であるならば、
(松村先生の言うのは、身体感覚が異常になった場合の話)
何か食べたとしても、お腹がいっぱいのところでやめられます。
また、そこにはおいしい、まずいは存在するかもしれませんが、
情報としての食べ物に興味はいきません。
(今流行っているとか)。
また、身体感覚が正常に機能していれば、
腐っているのかどうか、危険な物質、それは化学物質などですが、が含まれているかどうか、
ちょっとした味やにおいの違いで判別できます。
けれども、身体感覚が十分に育っていず、
思考優先だと、情報だけで食べ物を摂取します。
そこには、お腹いっぱいという感覚も、これは添加物が過剰で危ないという感覚もありません。

服においては、身体感覚が正常であったら、
1つしかない体に、そんなにたくさんの服が必要ないとわかります。
たくさん持っていたとしても、一度に着られる量は限られるからです。
けれど、服が情報としてだけ絶えず気にされるとき、
新しさや数が重要になり、肌が感じる快、不快、暑さ、寒さよりもそれは優先されます。
もちろん、現代は、服の情報化が進み、常にそれにあおられていますから、
そこから距離を置くのは難しいです。

まずは身体感覚、五感の正常な発達、
そしてそれが育ったら、
身体感覚にとらわれないで、自由に飛翔する想像力やイメージ力が育ちます。
それは五感をこえたハイパーな感覚です。
思考にがんじがらめの人は、身体感覚も乏しいし、
その先にある世界に入ることが難しくなります。

じゃあどうするか。
思考から離れる時間を自分で作るしかありません。
座ってする瞑想、動的瞑想、チャンティング、いろいろ方法があります。

それは無理だと言うなら、それまでだということです。
それがその人の生き方の選択です。
もちろんそれは尊重します。


2013年12月21日土曜日

「東京物語」

最近、映画館に映画を見に行くということはほとんどありません。
もう1年以上、映画館には行ってない。
新しい作品もあまり見たいと思わないし、
何より、そのときだけの楽しさとか、気分転換に興味を失いました。

もちろんいい作品もあります。
それは認めます。
ただ、多くのものはそのときだけの娯楽だから、
逆に渇望感が出てくるし、終わった後のむなしさが残ります。

おとといだったかな、BBCのRADIO2が面白くないので、
4に変えてみたら、小津安二郎の「東京物語」について語る番組でした。
もう最後のほうだったので、よくは聞かなかったけれど、
イギリスで、もちろんマニアにだろうけれど、「東京物語」が繰り返し見られているということが、
うれしくなりました。
そして、私も、今何を見たいかと言われたら、
「東京物語」です。

あの物語で、原節子さんは、戦争未亡人です。
寝るのも、食べるのも狭い1部屋で暮らしています。
特に悲しがるふうでもなく、変にハイテンションでもなく、
たんたんと毎日を過ごしています。
でも、最後で、「私はずるいんです」と言うんですよね。
何がずるいかは、言わないけれど。

このセリフは過去のものであるけれど、
未来的でもあります。
どんなふうにもとることができて、
謎を含んでいますが、
「ずるいんです」と自分を説明するとき、
そこには、批判と皮肉が含まれています。

テレビはないので、見るとしたらパソコン画面になりますが、
この年末、再び「東京物語」を見てみるのもいいかもしれません。
昔はよくBSで、お正月にやっていました。
今見たら、きっと前には見落していた意味を、
見つけることができると思います。


2013年12月19日木曜日

セールの季節到来

もうそろそろ秋冬物のセールです。
ただ、こう年中、どこかで誰かがセールをしていると、
わざわざ今セールで買うという感じではなくなってきていると思います。
特に日本では。

フランスなど、セールの期間が決められていて、
そのときでないとセール価格で買えないとなったら、
必死になって買ったりするのでしょうけれど、
日本はそうではありませんから。

セールの心得は、気分にのまれないことに限ります。
どうしてもあの雰囲気の中では、
冷静でいられなくなりますから、
そんな中で、本当に気に入ったもの、必要なものを見つけるのは、
普通のお買いものより難しいです。
そうならないためには、今から欲しいものに目星をつけておいて、
いざセールになったらそのタイミングで買うのが賢いです。
そうすれば、思いつきでの買い物をしなくてすみます。

洋服は完全に余っていますから、
売る方は、手を変え品を変え、買う側の心理をついてきます。
限定品とか、期間限定とか。
ただ、もうその方法もだんだん通用しなくなって、
買う方も簡単にはのらなくなりました。

あせらなくても服はたくさんありますから、
セールで無駄なものを買わないように。
何度も書いていますが、人生で一番大事なのはファッションじゃありませんから、
大事なお金を有効に使いましょう。

2013年12月18日水曜日

冬の鎌倉

久々に鎌倉まで行ってきました。
コースは去年、このブログで紹介したのと同じコース。
長谷でおりて、そこから徒歩で江ノ島まで戻るコースです。
ものすごくいい天気だったのですが、カメラは持参しませんでした。
雲ひとつない青空で、風もなく、海は凪いでいました。

今回は、大仏様まで拝みに行ったのですが、
人も少なく、静かで時が止まったよう。
長谷寺もいつものように、お庭がきれいに整備され、
デッキから三浦方面を臨む景色は穏やかでした。

そこから極楽寺を通り過ぎ、
稲村ケ崎方面へ出て、浜辺を歩きました。
波がほとんどない状態で、サーファーもごくわずか。
浜辺を散歩している人たちも、目に見える範囲には、数えるほどしかいません。
不思議な光が海に降り注ぎ、
外の状況がどうであれ、平穏を感じることができました。

この前、江ノ島へ行ったときは、パラダイスがここにあると思ったけれど、
今回は平和がここにある。

日本国憲法の第十二条にはこうあります。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」

この平和を維持するためには、日本に住んでいる国民は努力しなければならないと、
警告しています。
それほどまでに、平和とははかなくあやういものなのでしょう。

鎌倉の仏様たちの穏やかさとは反対の心を持つ人間の暴走を食い止めないことには、
この平和は維持できないのだと、ずっしりと感じた、冬の鎌倉でした。




2013年12月15日日曜日

街は華やいでいるけれど

街がイルミネーションで華やいできました。
今年の街ゆく人の傾向は、
実用的なダウンジャケット、ダウンコートがあらゆる年代に広がったことだと思います。
けれども、あ、あのダウンはおしゃれ、と思わせるようなダウンコートの人は、
ほとんどいません。
ダウンはまだ進化過程です。

また、ウールのコートのシルエットも、まだ変わっていません。
コートはそんなにしょっちゅう買いかえるものではないので、
変化はこれからやってくると思われます。

ファッション雑誌もいろいろ創刊されたし、
多種多様に売っていますが、
どれもすごく売れているという感じはありません。
ファッションの情報は、ネットからひろってくるのが主流なのでしょう。

若い人たちも、普通のブーツやムートンブーツにタイツ、ショートパンツやミニスカートという人が多いです。
ただ、若い人たちのファッションに、それ以外の動きが少ないようにも見えます。
新しいファッションというのは、通常、若者から広がるものですが、
今の日本は、そんな感じではありません。
私が20代のころに比べると、ずっとおとなしいと思います。
それは今の若者のやる気のなさが原因というよりも、
経済状況のせいでしょう。
だって、私が大学生のときだって、バイトの時給は1000円でした。
あれから20年以上たっているのに、時給がほとんど変わっていません。
むしろ落ちたぐらい。
それだったら、服にお金はかけられないし、ファスト・ファッションしか買えないのも、
当然です。

何が言いたいかというと、
日本のファッション体力は完全に落ちている、ということです。
私が初めてロンドンに行った1994年ごろの、
あのなんとも言えず、活気のない不景気のロンドンの街の人々と似ています。
不景気で、夢もなくなったら、ファッションは育たないのですね。
街の華やかなイルミネーションとは対照的な、なんだかさびしい2013年のクリスマスです。



2013年12月12日木曜日

ベージュ、ほんと、難しい。

前にもベージュは難しいということを書きましたが、
いや、ほんとに難しいです。

私はベージュの服は持っていないのですが、
今年はベージュのカシミアマフラーをしています。
(自分で買ったのではないもの)
そうすると、これがほかのものとことごとく合わない。

私の本当の定番マフラーは、95年にロンドンのハーヴィー・ニコルスで買った、
紫のヴェルヴェットのものなんですが、
これ、見た目はすごくよいものの、全然あたたかくないのです。
だから、寒いときはやはりカシミア。

自分で買えばいいだけの話なのですが、
とりあえず、あるものがあるので、
それを使っています。
けれど、やっぱりほかの色と合わせるのが難しい。
仕方がないので、オフホワイトのバッグとあわせてごまかしています。

ただ、これは色をそろえようとするから難しいのであって、
ベージュ単体と、ほかの色だったら案外うまくいくし、きれいです。
ベージュ+黒、
ベージュ+グレー、
ベージュ+カーキ、
ベージュ+オフホワイト、
ベージュ+ネイビー、
ベージュ+赤などなど。

ベージュの色を分解して、その中で使われているものとは特に相性がいいです。

ということは、つまり、ベージュもほかと合わせる必要のない大きい面積のもののほうが、
簡単ということ。
ワンピースとかコートとか、大判ストールとか。

色1つにとっても、考察することがたくさんあります。
考察、実践の繰り返しが大事だということは、
おしゃれも同じです。


2013年12月10日火曜日

変わっていくよ、きっと

今年のファッションの流れをそろそろ振り返ってみたいと思います。

まず、シルエットの大きな変化はかなり浸透しました。
もう後戻りはしません。
当分のあいだ、この路線です。

それとは別の流れとして、顕著だなと思ったのは、
新たなるブランド信仰です。
これは、いつも私が書いている、情報としてのブランドです。
ロゴ、柄、そのブランド特有の形など、
雑誌だけではなく、インターネットを通して、
情報が広く一般にも広がり、「どこどこの何々」がおしゃれに違いない、
というファッションの記号化が進みました。
記号に価値があると思われるようになったため、
まがいもの(いわゆるパチモノです)が多く出回っていると思います。

ただ、それはモノではなくて、情報なので、
どんどん消費されていきます。
情報優先のファッションは、古びていくのが早いです。
新しさが最も重要な価値観になってしまいますから。
その結果、どんどん買い替えを迫られ、中古市場がにぎわいます。
また、情報消費型のファスト・ファッションも、同じように流行りました。
これが極度に進んだのが今年かなと思います。

ただ、日本に限って言えば、来年、消費税が上がります。
景気が悪くなるということは、歴史が証明していますから、
情報消費型のサイクルに、ほとんどの人はついていけなくなります。
そのときに、やはり違う流れがくると思うのです。
それは、そんな競争はしない、情報サイクルから抜け出すということ。
そのことを真剣に考え出し、実践していく人たちがふえるでしょう。
だって、おしゃれなことと、情報を消費していくこととは、また別の問題ですから。

どちらにしても、美を見極める審美眼と、冷静で客観的な視点を持てば、
大丈夫です。
あおられても、のりません。



2013年12月9日月曜日

おしゃれなパパ

おしゃれなパパを見ました。
電車の駅で階段をのぼっていたら、
目の前に真っ白い革のトートバッグが。
真冬に真っ白いバッグを、普通の男性は選びません。
これはただものではないなと思い、
視線を下にずらすと、よく磨かれたツートーン・カラーのウィングチップ。
茶色い太いうねのコーデュロイパンツに、
トップスは、ウールのツイードのダウンベスト。
その下にはエクリュで、網模様が少し入ったニットです。

顔を正面から見ることはできなかったのですが、
長めの前髪を少しかき分けるようにして、
べっ甲色のウェリントンタイプのメガネが見えました。
全体に茶色のグラデーションで、白いバッグがポイントです。

その人はパパで、4歳ぐらいの男の子の手を引いています。
男の子はリュックを背負っていて、お洋服はごく普通。
すごくおしゃれなパパに、ごく普通の服装の子供です。

パパと男の子はその後、雑踏の中へ消えていきました。
あのパパはたぶん、編集者とか、セレクトショップ経営とか、
そんな仕事の方でしょう。
自由で知的、そんな感じがしました。

このパパ、一見して、どことわかるようなブランド物は持っていませんし、
着てもいません。
またすべて新品で、ぴかぴかな服ばかりというわけでもありません。
だから多くの人の目からは、特別、おしゃれな人にはうつってないでしょう。
わかる人だけがわかるおしゃれ。
これぞ、本当におしゃれな人です。

都会の素敵なパパを見た日でした。

2013年12月8日日曜日

そういえば、うちの猫

今年の夏に家から脱走した猫のまるちゃんですが、
ただいま、お隣の外猫となっています。

呼べば返事もするし、近くまで寄ってくるのですが、
つかまえようとすると、頑として拒みます。
1度、自由生活に戻ったら、
もう家の中だけの生活には戻りたくないらしいです。

で、朝、夕方とお隣の家の庭にきて、
お隣の家の中に入って、えさをもらっています。
お隣の家の中に入るぐらいなら、うちに入ればいいのにと思いますが、
猫の理屈は違うらしい。

時には小一時間もお隣の居間で休憩してからどこかへ行くそうで、
全くもって、よくわかりません。

寒くなったら、観念してうちへ戻ってくるだろうと、
たかをくくっていたのですが、
帰る気配は見えず。

日中、姿は見えないのですが、
梨畑か、ぶどう畑のあたりをふらふらしているようです。
体もさほど汚れていないので、
雨の日など、ビニールハウスの脇ででも、雨宿りできるのでしょう。

生まれたときからずっと動物と一緒に暮らしていますが、
いまだに100パーセント理解したとは言えません。
何を考えているか、わからない。
たぶん、お互いにわかっていない。
けれども、わかっていないまま、仲良く暮らすことは可能です。

100パーセントわかりあえることはなくて、
お互いに侵入してほしくないエリアを保ちつつ、
それでも一緒にいたほうが楽しい。
損か、得かばかりが重要視される社会の中で、
こういう関係は貴重です。
これからもきっと、猫と一緒に暮らします。

2013年12月6日金曜日

夢を見る君

「夢を見る君はテロリスト」とアナログフィッシュが歌っている。
「失う用意はある?それともほっておく勇気はあるのかい?」と続く。

夢見るだけでテロリストと呼ばれる国になるかどうか、
今日は瀬戸際。

それでもやっぱり夢を見る。
まだ方法は残されている。

方法は残されている。

日本人の集合的無意識が顕在化したのが彼らなのだから、
そこを変える手助けをする。

集合的無意識に働きかけるのは、言葉ではない。
言葉は切り分けられた結果。

切り分けられる前のケーキのような、
大きなかたまりに働きかければいいのだ。
その方法は、あるのだ。





2013年12月5日木曜日

80年代後半のマリ・クレール

「マリ・クレール」という雑誌があります。創刊、廃刊を繰り返しているので、
あるときがあったりなかったり。
きのう、セゾングループのことを思い出していて、
一緒に80年代後半の「マリ・クレール」についても思い出しました。

今は「フィガロ」を買っていますが、
それまではずっと「マリ・クレール」でした。
編集長が有名なヤスケンさんという方で、
執筆陣が豪華だったのです。
映画の蓮見先生とか、身体とファッションについての鷲田先生とか。
ファッション誌の中に、哲学よりの文芸誌がミックスされたみたいな感じで、
読み応えがありました。
あのセンスは、今の雑誌にはないです。
ファッションを読む人向けの文章ではなくて、
先生たちの、いつものままの文章が、モードと同等に並べられていました。

しかし、「マリ・クレール」も編集長が変わったら、
途端につまらないものになり、
つまり、編集長が変われば、もう違う雑誌なわけですが、
つまらなくなったので、買うのをやめました。

あの時代、見るものも、読むものも、そうやってちょっとずつ鍛えられました。
日本のデザイナーたちがパリコレで活躍していた時期と重なって、
夢と希望があったなと、今振り返ったら思います。

さて、これからの日本における「夢と希望」は、どこに見出せばいいのか、
今日、明日、考え直すことになるでしょう。
簡単に見つかりそうには、ありませんが。

2013年12月4日水曜日

堤さん

実業家、小説家、詩人の堤清二さんがお亡くなりになりました。
御存じだとは思うけれど、セゾングループを率いた方です。

80年代、90年代と、本当にセゾングループにはお世話になりました。
本はいつもリブロ、レコードやCDはWAVE、
パルコ劇場で芝居も見たし、クアトロには何度も行きました。
シネ・ヴィヴァンでエリック・ロメールの映画も見たし、

そして池袋のセゾン美術館では、イヴ・クラインやヨーゼフ・ボイスなど、
現代美術の展覧会に足しげく通ったものです。

リブロに行けば、あまり売れないような美術書や洋書がたくさんあったし、
WAVEでCDのジャケ買いをしたり、
当時、私が好きだった、クリエーション・レーベルや、
クレプスキュール・レーベルのCDをよく買いました。
そういえば、そのどちらのレーベルのアーティストもクアトロでライブをやったんだよね。
クレプスキュール祭りみたいなのもあって、楽しかった。
サラ・マクラクランのライブを見たのはパルコ劇場でした。
アラーキーの展覧会もパルコであった。
たくさんいろいろなことを見たり、勉強したりできた、80年代、90年代でした。

そう考えると、
セゾングループの衰退とともに、
私にとって、東京という街は魅力のない街になってしまったような気がします。
今では、行くだけで、くたくたに疲れてしまう。

堤さんが力を注いだ文化って、きっとお金にはならなかったでしょう。
ヨーゼフ・ボイスの展覧会に人が大挙押し寄せるなんてことは、ない。
お金にはならなかったけれども、
あれを見たり、聞いたりして、育った人たちはたくさんいます、きっと。

インターネットがまだない時代、
情報はその場へ行ってみなければ、届かないものでした。
海外のことは特にそうです。
それをごく身近なものにして、実際に見せてくれたのはセゾングループでした。
10代のころから、そういったものに接することができたのは、幸せなことです。

堤さんみたいな方がいたから、今、活躍している人がいるのです。
お金儲けだけ考えていたら、それはなかった。
堤さんという方は、芸術や文化で儲けようとしなかった、
志の高い、芸術家だったのだと思います。

2013年12月2日月曜日

お年寄りもダウンコート

だんだん、ダウンコートを着ている人がふえてきましたけど、
目につくのは、以前はダウンなど、着てなかったようなお年寄りの姿。
完全にお年寄りと呼ばれる世代まで浸透しましたね。
しかも、黒よりは、赤やオレンジなど、カラフルな色が多い。

そうなると、「ダウンコート」はボトムまで浸透したということになります。
つまり、特別、おしゃれには見えないアイテムになったわけです。

もうおしゃれには見えませんから、
普通のダウンコートは、すべての年代の人が着ている単なる防寒着です。
おしゃれとか、素敵に見せたいなら、
多くの人が選んでいるものとは違うものを選ばないといけません。

ジーンズ、Tシャツ、スニーカーなど、
広がれば広がるほど、ほかの人と差をつけにくくなります。
だから、それを着ておしゃれに見せるためには、
工夫が必要になります。

今では、お年寄りでもストレッチのジーンズ、Tシャツ、スニーカーです。
そして冬はダウン。
10年前、こんな光景は見られなかったと思います。

着こなしや、コーディネイトという意味では、
定番ほど、難しいです。
楽に、簡単に流れると、それはその他大勢です。

ものすごく流行っているということは、そういうことです。


2013年12月1日日曜日

本当に楽しいこと

私が最初にロンドンに行った90年代半ば、
通りを歩く人たちが着ている服は古ぼけて、質素なものばかりでした。
雑誌でよく取り上げられていたロンドンのストリート・ファッションなど、
特別な地域に行かなければ見られず、
新しく、きらびやかな服を着ている人など、
ほとんど見ませんでした。
(車はもっとぼろぼろでした)

私が行った当時、イギリスはまだ不景気で、
街も活気はありませんでしたが、
それを補ってあまりあるほどの歴史や伝統があり、
そちらのほうに興味があったので、
服や車がぼろくても、
あ、そういうものかと思っただけでした。

過去、消費税を上げて、景気がよくなった国はどこにもありませんから、
あの90年代に見たロンドンの街は、
これからの日本の姿なのかもしれません。
新しいものをどんどん買って捨てていくファッション文化は、
だんだんと終わっていくでしょう。

だからといって、どうっていうことはありません。
今までが異常でした。
クローゼットの中の服が、こんなに多くなったことは、
いまだかつてなかったでしょう。

その後、パリに行って、
カフェで一杯のエスプレッソだけを注文し、延々としゃべり続けている若者たちを見たときに、
本当に楽しいことって、こういうことだと思いました。
お金をかけないで、それでも楽しくおしゃれに暮らす。

私はもう随分と前にそれに気づきましたけど、
これからは、もっと多くの人たちが気づいていくでしょう。
本当に楽しいことはなにかといったら、
それはお金のかからないことばかりです。