2013年11月30日土曜日

3パーセント減らせばよい

消費税の税率が3パーセントアップするならば、
3パーセント、被服費を減らせばよいです。
3パーセントと言わず、もっと減らすことも可能。

まずは、賢くワードローブを構築していけば、
普段着であるにもかかわらず、年間を通してほとんど着ない服を買うことがなくなります。
もうそれだけで、3パーセントはこえている。
それから、買い物の仕方の変更。
まずは年間予算を作る。
思いつきで買わない。
ここまでは、普通に考えられること。

もっと先へ行きたければ、
システムの外に出て、服を買うかどうか決定すること。
システム、つまり、現代のファッションという枠です。
現代ファッション・システムが意味づけしたものから、
遠く離れて、服や小物など、そのものの本質を見抜けば、
いらないことにお金を使っていたということがわかります。

「ロゴ」が入るだけでポロシャツの価格が高くなっています。
では、その「ロゴ」にはどれだけの価値があるのでしょうか。
単なる情報なら、それ以上の意味はありません。

ただ、システムから出ようとするあまり、
不当な労働の上につくられた服を買ってしまっては、
元も子もありません。
それは注意が必要。

本質を見極め続ければ、たくさん買う必要も、持つ必要もなくなります。
それでも買ってしまうのだとしたら、
なぜほとんど着ないような服を買ってしまうのか、
自分の行動を振り返ってみるといいでしょう。
それはみなそれぞれ理由が違うと思うので、ここではその理由については言えません。

よく、南の島の孤島に行くのにどの本を持っていくかという質問がありますが、
南の島ではなくても(なぜなら暑いので、あまり服がいらない)、
孤島で、誰にも見られなくて、それでも着たい服は何か、
自分で自分に問うてみたら、
本当に好きなもの、必要なものがわかるかも。
孤島に行くのだったら、3パーセントどころじゃなく、もっと減らせるでしょう。
とにかく、賢くなりましょう。


2013年11月29日金曜日

シャンティ、シャンティ

いつでもどんな状況でも、
心の中に平安があり、
そこにフォーカスすれば、幸せを感じられるのが理想だけれども、
それがうまくできないことがあります。

今の状況は、私にとって耐えがたい。
何度も言いますけど、
私は「1984年」の世界には住みたくないのです。

この感覚は、私がアパレル会社に行っていたときに感じていたものと同じです。
情報は統制され、外部に接することができず、
長時間労働でも、生活できない低賃金しか払われないため、
時間とお金の関係で、病気になっても病院にも行けないような、
そんな会社にいました。
(これは現政府が推し進めようとしている形にそっくりです)
しかも、そこから抜け出すのにも簡単ではなかった。
なぜなら彼らは退職届を受理しないからです。
退職の理由は病気か結婚に限られていました。

それでも、なんとかその会社を辞めてしまえば、
それで少しは希望が見えました。

今は、まだあきらめてはいないけれども、希望がほとんど見えない。

そんなとき、ヨガのプラクティスで「シャンティ」とチャンティングすれば、
少しは心が落ち着きます。
この前、ヨガの先生に作ってもらったプラクティスは、
この「シャンティ」をずっと言いつづけながら行うものでした。

まだ安定した発声で「シャンティ」と言うことができません。
いつでもかすかに揺らいでいます。
確固たる平和を心の中に築くことは難しいけれど、
それでもあきらめずに続けます。




2013年11月28日木曜日

パーティーって、みんな、やるの?

この時期になると、
店頭には多くの「パーティー向け」のファッションが並びますが、
そんなに多くの人がパーティーをやるのでしょうか。
仮にやるとして、そのとき、ああいう服って、着るのかな?
いつもあのパーティー服を見るたびに疑問に思います。

ファッション業界は、ああいう服に力を入れたがるけど、
実際の着る人たちは、そんなに必要ないと思ってるのではないでしょうか。
あったとしても、年に数回のためのパーティー。
特殊な職業の人でもない限り、ほとんどいらないと思うのですけど。

それに比べて、相変わらず、日常着の提案は乏しいなと思います。
幼稚園や保育園の送り迎えのママたちのファッションは、
本当にみんなよく似ている。
あれは、選択肢が少なすぎて、似たような格好になってしまうのでしょう。
この中から選びようがない、ということで。

パーティー・ウエアの充実より、
日常着の充実のほうが今、必要とされていると思うけど、
ファッション業界の人たちは、それに気づかないのでしょう。
きらきらしたものばかり追いかけて、
日常を重要視しないから。

何か、わーっと興奮するようなものに熱狂している間に、
本当に大切なことを考えないようにする、忘れているようにする、
そんな傾向があるように思います。
ほとんどやらないパーティーのために一生懸命になって、
日常の足元のことを考えないようにする。

バーゲンの季節まであと1カ月。
着飾った人たちを見るのはほんの一瞬。
熱狂していない時間のほうが、ずっと長いです。

2013年11月26日火曜日

ファッションも表現

ファッションも表現の一種なので、
「表現の自由」が保障されていなければ、
本当に好きな格好ができません。

「表現の自由」がなくなったら、
あの恰好はだめ、スカートの長さもこれじゃなきゃだめ、
あの色は禁じられている、
あの素材は着てはいけないなどなど、
次から次へと規制がしかれて、
結局、個性のない、みな同じ服ということになります。

私がかよっていた中学校では、
靴下は白で、三つ折りにしてはくこと、というルールがありました。
「三つ折り」にするという規制がされていたわけですが、
「三つ折り」に意味などありません。
でも、三つ折りにしていないと、
学校の取り締まりの先生に捕まるのです。

服は目に見えるので、
規制の対象にしやすいです。
意味ないルールをどんどん作って、
次々に取り締まって、
自由を奪っていきます。
自由を奪うためのルールなんで、
意味づけなんて、どうでもいいのです。

「表現の自由」を規制するものに対しては、
表現者は声を上げていくべきだと、私は思います。
だって、それがなかったら、表現なんて、できないから。

ファッションは、明らかに、多くの女性に物事を深く考えないでいるための道具として使われています。
それはテレビ番組と一緒です。
洋服にうつつを抜かしている間に、
みんな、選挙に行かないでしょ?
そんなことは考えなくていいように、
仕向ける、その手段に利用されています。

アパレル産業は、世界の経済と深い結びつきを持っています。
貧困問題とも無縁ではありません。

ファッション誌は、そんな問題があたかも存在しないかのように、
無視し続けるけれども、
無視したからといって、ないわけではありません。
その行為の結果は、必ずわが身に降りかかります。

「表現の自由」が保障されていない国において、
ファッションは成立しない、
私はそう考えています。

国際人権団体、ヒューマン・ライツ・ウォッチの声明はこちら


2013年11月25日月曜日

植物の色合わせは難しい


植物の色合わせは、洋服の色合わせより、数段難しいです。
近くの、センスのいい苗屋さんで、寄せ植えの苗を選んだのですが、
選んでは並べてみて、選んでみては並べてみてを繰り返していたら、
小一時間ほどたってしまいました。
洋服より、ずっと難しい。

特に今回は、主役をフォーエバーローズの赤いバラに決めたので、
それに合う植物を探すのに四苦八苦。
大体、自分の好みで選ぶと失敗します。
あくまで主役を引き立てるような脇役たちを探さなければなりません。
そのこつは、普通だったら、絶対に私が選ばないような色、形のものを持ってくること。
好きな色、形だけで作ると、全然よくなりません。

自然の色と形、質感は、人工の布なんかより、ずっと多様多彩で、
それらをしっくりなじませるのは、
知識と経験がやはり必要だと思いました。

私は、1995年頃から10年間ぐらい、
RHS(英国園芸協会)に入っていたので、
知識はもうあります。
だけれども、経験は少ない。

昔から寄せ植えはあまり得意ではなかったので、
ずっと作っていなかったのですが、
これも回数を重ねないと、なかなか早く選べないし、
うまくもならないでしょう。

私が行くこのお店は、いつも寄せ植えが素敵なので、
まずは真似してみて、その後、自分なりの組み合わせを作っていくのがいいと思っています。

☆写真:寄せ植え。左はお店の寄せ植えを真似して選んでみたもの。右は自分で選んだもので、まだ植え込んでいません。

2013年11月24日日曜日

来年の手帳

来年の手帳は買っていません。
実は、今年も買いませんでした。
いただいた、どこかの薄っぺらい手帳があったので、
それでよしとしました。

きのう部屋の掃除をしていたら、
その手帳が雑誌にはさまって出てきました。
実は、私は今年、手帳に書き込むということをほとんどやらなかったのです。
それで、手帳はどこかへ置きっぱなしにしたきり、
すっかり忘れていました。

持って歩く手帳には何も書きこみませんでしたが、
カレンダーには大体の予定を書きいれていました。
そのほかほとんどは、「うきうき家計簿」の日記部分に予定を入力しました。
で、それで何の不自由もなく、12月まできました。

これは人によって違うと思います。
細かく手帳に書き込むのが必要な人もいることでしょう。
ただ、私の日常レベルで、それは必要なかったということです。
特にプライベートの予定は、歯医者と整体の予約以外は、
紙に書いていません。

紙に書いて、それが残るのは少し抵抗があります。
捨てるにしても注意しなければいけないし。
書いたものって、証拠になりますから。
手帳は証拠になるから、
それだったら、evernoteにメモして、
いらなくなったら、後で削除しちゃったほうがいい、
というのが私の考えです。

gmailも、あまり長期間アクセスがないと、
消えるようになるシステムなんですよね、たしか。

というわけで、今年も薄い手帳と家に置いておくカレンダーだけあればいいな、
というのが今の私の方針です。

2013年11月23日土曜日

そのデザインは何のため?

だんだん日の出の時間が遅くなってきたので、
朝起きるのが、日の出より早くなってきました。
大体、朝の6時に犬の散歩に出るのですが、
今は少し明るくなってきた空に月と星がきれいです。
今朝は月の隣に木星が輝いていました。
木星はラッキースター。
今朝は月と木星がコンジャンクションなので、
気持ちが軽くなります。

さて、朝は寒いので、
私はパーカのフードを頭にかぶっています。
フードって、ほとんどかぶっている人はいませんが、
首の後ろ、耳、頭まですっぽり覆われると、
かなり暖かいです。
首の後ろと耳が覆われる分、
帽子より暖かいと思います。

服には、ほとんど使われないけれど、
形式的に何かついているデザインのものがけっこうあります。
トレンチコートのパーツなども、
ほとんど飾りです。

使われないけれども、
そこをきちんと作っている服のほうが、
何か上等のような感じがします。
使われないとわかっている、
だけれども、きっちり作るという、
その心意気がいいわけです。

その反対に、
細部はとことん適当に作られた服もあります。
そんな服は、デザインしたひとの心の貧しさが透けて見えます。

そうかと思えば、無意味な切り変えや、背中のポケットなど、
デザイナーのエゴで作られた無意味さもあります。
そんな服は、押しつけがましてくて、着ていられません。

デザインにはそれぞれ意図があります。
その意図がデザイナー自身のエゴのあらわれなのか、
着る人のためを思って作ったものなのか、
そんなことを見極める目も、
いい服を見つけるには必要です。
エゴで汚された服は、
どんなに頑張っても、素敵には見えませんから。

2013年11月22日金曜日

ドルマンスリーブにはどんなコート?

今年初めてモモンガニットを買いました。
独特のパターンで、上下がどちらかわかりにくいデザインです。
今まで着たことのない形で新鮮でいいんだけれど、
これを着ると、上にコートは着られません。
よって、現在は家の中だけで着ています。

ドルマンスリーブもそうですが、
袖下がぐっと下へ下がると、
アームホールが広くなり、
普通のコートは着られなくなります。
上にコートが着られないニットでは、
外出するときに着られないので不便です。

この前、いつもドルマンスリーブのニットを着ている友だちが、
コートを着ていたので、
思わず袖はどうなっているのか見せてもらいました。
マント風のコートで、
そのマント風の袖をめくったら、
本体のアームホールが丸くくりぬかれていました。
彼女はその穴に、無理やり腕を入れていました。
別に、ドルマンスリーブ対応コートではなかったです。
薄いニットだと、それでも大丈夫だけど、
ローゲージのニットだと、たぶん、無理でしょう。

ドルマンスリーブのニットの上には、
やはりドルマンスリーブのコートか、
または、ほとんどないですが、キモノスリーブのコート、
そうでなかったら、袖がないマントですね。
どれもメジャーではないデザインです。
真冬のマントは寒いらしいし。

これだけドルマンスリーブが流行っていますから、
それに対応したコートも、そろそろ出てきていいころ。
とりあえず、今年はほとんど見ませんでしたので、来年でしょう。

私のモモンガニットもかわいいのですが、
ドルマンスリーブ以上に袖の幅があるのと、
ローゲージなので、コートは無理そう。
上にニットのポンチョでは、あまりにもぞもぞしそうなんで、だめです。
そうなると、ウールのマントぐらいです。
マントは持っていないので、モモンガニットを着ての外出はなしです。
なかなか、すべての要件を満たす服というのは、ないということですね。

2013年11月21日木曜日

remember the milk 導入

占星術をやることの大きなメリットの1つに、
自分の苦手分野を知るというものがあります。
私の場合、単純な入力が非常に苦手です。
これは水星と海王星のアスペクトを持つ多くの人の共通点で、
これで困っている人はたくさんいると思います。

これは注意すれば直せるものではありません。
ですから、そうならないための工夫を自分でしていく必要があります。

私の場合、特に間違えやすいのが数字の入力。
文章の場合は、てにをはや誤字は後から見直せば気づくのですが、
数字の場合、1度間違ってしまうと、後から見ても気づきません。

今年に入って、2度目の入力ミスを、きのうやらかしてしまい、
すごく反省しました。
ただ、反省したところで、このミスが直るものではありません。
方法を考えなければなりません。

というわけで、きのう remember the milk というタスク管理のフリーソフトを導入しました。
私の場合、入力の際、ミスしてしまうので、
自分で入力せずに、コピー・アンド・ペーストできればいいわけです。
このソフトは、予定をコピペで入れることができます。
もちろん最初の日付が間違ったものであったら、どうしようもないのですが、
それでも、書き写すという作業が1つは減るので、
ミスの頻度もぐっと減ります。

世の中には、
この単純な入力がとても得意な人も、
ものすごく苦手な人もいるわけです。
決して、みんなが同じことを同じようにできるわけではありません。
現代社会は、ある分野のスキルを、みなにひとしく要求しますが、
それはそもそも無理なことなのです。
そのことを理解しているのといないのとでは、
他人に対する態度が全く違ってきます。

そんなわけで、これからタスク管理は remember the milk でやっていこうと思っています。
ただ、欠点は、ネットにつながらなくなったらどうにもならないということ。
少しの間、このソフトで頑張ってみて、だめだったら、また違う方法を考えます。
気づいたら、違う方法を探して試してみる、
自分の欠点のカバーには、それしかないですね。

(作業をした日をよく見たら、水星逆行中でした。やっぱり気をつけなきゃだめだな・・・)

2013年11月19日火曜日

案外、バランスはとれている

この前のことですが、
用事があって、朝と夕方、ラッシュ時に電車に乗る機会がありました。
次の日の朝、気づいたら、両目が半分しか開いていない状態になりました。
正確に言えば、もっと開いているけれども、
気分としてはそんな感じ。
目がぱっちり開きません。

次の日、整体へ行って、目が開いていない趣旨を説明すると、
ストレスで頭ががちがちになっているという説明を受けました。
頭の整体をやってもらったら、左目はすぐ開きました。

ラッシュ時に電車に乗ったくらいで、目が開かないとは、
私はどれだけストレスに弱い身体の持ち主なんだろうと思いましたが、
なんだか、それでバランスがとれているような気がします。

陰陽のバランスの陰の部分というか、
違うところが陽なので、ストレスに弱く、病気になりやすいということが陰なわけです。
私は健康至上主義ではありませんから、健康がすべてだとは思っていません。
もちろん、健康であるにこしたことはないけれど、
健康でなければいけないとなると、
そうでない状態や、そうでない人を否定することになります。
健康でない、または病気である、よって生産性がないから無価値、
簡単に言うと、稼ぐことができないから価値がないという価値観は、
危険な考えです。

それは置いておいて、
私は、ストレスに弱い身体を持つことによって、バランスを保っています、たぶん。
これがものすごく元気で、何でもできてだったら、
きっとだめなんです。
パーフェクトになったら、逆に何かが欠ける。

また、完璧になったら、あとは終わるだけということもあります。
日光の東照宮の逆柱のように、
完成は崩壊の始まりであるというのは、そのとおりでしょう。
完成されたら、終わります。

きのう、自分でアシンメトリーについて書いていて、
そのことを改めて考えました。
いつものように、「アシンメトリー」について書くというお題だけ決めて、
あとは自動書記状態です。
結論はどこにいくのか、わからないまま書き始めます。
地球での生活というのは、
完璧でないことでバランスが保たれるのでしょう。


2013年11月17日日曜日

つば広帽、買ったはいいけど。

私はほぼ、1年じゅう、帽子をかぶって外出します。
理由は、夏の日差しを避けるため、
冬の防寒など、もちろんあるのですが、
太陽光を直接、目に入れないためです。
目に太陽光が直接入ると、それが原因で頭痛になります。
サングラスという手もあるのですが、
度入りを作るのが面倒なので、今のところ帽子です。

で、冬の帽子は、キャスケットと中折れ帽なのですが、
どちらもブリムと呼ばれる帽子のつばが狭いのです。
夏のあいだはかなりつばの広い帽子をかぶっていて、
日差しが目に入らなかったので、
冬にも、それがいいのではないかと思い、
新しくフェルトのつば広の帽子を買いました。

なかなか素敵です。
エレガントです。
つばの広さも十分で、目に光が入るのを防げます。

早速、どんな感じか見てみようと、
家の中で帽子をかぶりながらうろうろしていたのですが、
全開ではないドアをすり抜けようとしたとき、
帽子のつばが壁にぶつかるのに気づきました。

当たり前ですが、つばが広いので横幅が広いです。
ですから、帽子をかぶったまま、狭いところは通り抜けできません。
帽子が両側の壁にぶつかります。
待てよ、ということは、もしかして、
これをかぶって電車に乗るのは無理かも?

夏のつば広帽は、麦わらに似せたペーパー素材で、
へらへらしていたので、電車にも乗れましたし、
たたんでかばんに入れることもできました。
けれども、冬のこの帽子の素材はフェルト。
かなりしっかりしています。
そういえば、電車の中で、こんなつば広の帽子をかぶっている人は、
見たことがありません。
ものすごく空いている昼間の時間なら大丈夫そうですが、
朝晩の混んでいる時間帯は、どう考えたって無理。
ということは、これは徒歩、または車のとき専用ということになります。
そこまで考えていませんでした。

そして、人どおりの多い都会の街でも、この帽子は不向きなのかもしれません。
すれ違うたびに、いちいち誰かにぶつかっていたのでは、
安心して歩くこともできません。
いかにも、かぶっている人をあまり見ないわけです。

日差しも目に入らないし、素敵なんだけど、
どうやらこの帽子、出番は少なそうです。
それでもかぶりたいなら、ブリムの幅を少しカットするしかないかも。
でも、そうすると、全体のバランスは変わってきます。
どうだろう。
カットして、いつでもかぶれるようにしたほうがいいか、
それともこのままにして、人にぶつからない外出のときのみにするか、
考えてしまいます。

本当はもっといろいろ考えなければならない重要なことがたくさんあるのに、
こんな、どうでもいいことで悩んでいるなんて、時間の無駄。
無駄とはわかっていても、ファッションが好きだと、その無駄なことに時間を使ってしまいます。
そういうとき、ファッション好きもそろそろやめたいと思うのですが、
月と金星が天秤にある私は、それがやめられません。

せめて、服のことを考える時間をもう少し短くしないとね。
ああ、本当に無駄過ぎです。






2013年11月16日土曜日

観察を続ける

洋服の作り方は学校で学びますが、
ファッションの流れや、時代の気分みたいなものは、
いろいろなものを観察することによって学びます。
それは街ゆく人、ショップ、雑誌、インターネットなどさまざまです。
とにかく観察です。

数多く観察していくと、
必ず見えてくるものがあります。
共通点だったり、ちょっとした変化だったり、
曲がり角の雰囲気だったり。
時代は流れているので、観察はずっと続きます。
やめてしまったら、終わりです。
もうわかりません。

音楽なんかもそうですね。
ずっと聞き続けていると、
音楽の流行の流れだとか、雰囲気がわかりますが、
やめてしまうと、一気についていけなくなります。

ずっと飽きずに観察できるものは、やはり好きなもの、
得意なものだと思います。
そのことについてだけは、もう何十年もわかっているということがあれば、
それはその人の得意分野です。

天気の観察とか、星の観察とか、株価の値動きとか、
富士山とか、海の様子とか、お相撲だけは見ているとか、
みんな、そうでしょう。
ずっと見ていくとわかることがある。

私はそれがたまたまファッションだけれども、
人それぞれ何かあるのではないかと思います。
そして、もしないのだったら、今から始めればよい。
自分が何十年も、飽きないで観察できるものがあったとしたら、
それは後々、その人の強みになります。

結局のところ、才能とは、続けられる能力ということです。


2013年11月15日金曜日

自分を明け渡す

役者が、本当にすばらしい演技ができたときというのは、
役者自身が果てしなく消えて、空っぽになり、
その役に役者自身が入りきったときです。

ピアニストも、スポーツ選手も同じだと思います。
その瞬間、限りなく自分がなくなり、
何か、自分よりもっと大きなものに受け渡すことができたとき、
見る人を感動させられる演技なり、演奏なり、プレーができます。

その自分が果てしなくなくなった瞬間、
演技、演奏やプレーがきちんと、正確にできるよう、
毎日、練習や訓練をします。
料理も、絵を描くことも、書道もそうです。
自分がなくなっても、自動的にその動きができるように、
ある程度の基礎訓練は必ず必要です。

自分を自分より大きなものに明け渡したとき、
人は、自分が持っている以上の力を発揮することができます。
それは、経験があったからできるわけではありません。
必要なのは、どれだけ自分を明け渡すことができるか、です。

それができていれば、
役者がその悲劇を実際に経験していなくても、
同じ悲しみを表現できます。
経験にないことは表現できないわけではなく、
その明け渡しの度合いで、表現できる範囲が決まります。

自分がやってるんだと思った瞬間、
それはすべて壊れます。
自分でない、もっと大きな力が自分を通して流れているんだと理解すれば、
それはできます。

人間として完全でなければ何かができない、ということはないと思います。
多くの経験をしていないから演技ができないとか、
多くの感情を知らないから、演奏できないから、
完璧に癒されていないから、ヒーリングできないとか、
それはありません。
もしそれを求めるのであれば、そんな人間は一人もいないでしょう。
もしできないのであれば、
経験がない、知らない、癒されていないからできないという思い込みにとらわれているから。

料理をするときも、100メートル走を走るときも、
ダンスを踊るときも、
どれだけ自分がなくなる瞬間を持つことができるか、
それがおいしかったり、人を感動させたりするための秘訣だと思います。

2013年11月13日水曜日

思いこみを揺るがす言葉

まだテレビがうちにあったとき、
もっとも退屈だなと思っていたのは、
自分にとって全く関心のない人々のインタビュー番組でした。
確かにその人は有名だろうけれど、
だから何なの?という感じで、
何かのスペシャリストでもない限り、
有名なだけの人の話、たとえばプライベートや子供の話は退屈極まりなく、
うんざりするものの1つでした。
だから、今でもインタビュー記事というものは、あまり好きではありません。

だけれども、きのう「ほぼ日」で読んだ、岸恵子さんの
「50代、60代が一番すばらしかった」という言葉には、
ちょっとはっとさせられました。

10代がとか、20代がとか、せいぜい30代までで、
50代、60代が一番よかったと語る女性は、
ほとんどいません。
いや、実際はいらっしゃると思いますが、
そういう方々は、マスコミではあまり取り上げられません。
マスコミは「若さの素敵さ」ばかり取り上げられますが、
年齢が上がると、それはどちらかというと、
批判や蔑視の対象になります。
そんなメッセージばかり聞かされていると、
50代、60代が一番いいだなんて、
想像することが難しくなっていきます。
思いこみはそうやって作られます。

だけど、実際は経験してみなければわからないもので、
その人にとって、若いときが一番いいだなんて、決まっていないはず。

刷り込みや思いこみは、本当に役に立ちません。
なぜなら、それは事実でないことが多いから。

きのう読んだ岸恵子さんの言葉は、
希望が持てるものであったと同時に、
何となく、50代、60代なんていいわけがないという、
私の刷り込まれた思いこみを気づかせてくれたものでした。
きっとそういうことはもっとたくさんあります。

刷り込みと思いこみを取り外して、
とらわれた状態から抜け出したいなと、
あらためて思いました。

2013年11月12日火曜日

自分で決めたルール

きのうは、ファッション・ブログのほうを、
自分の中でアップする日と決めている日だったのですが、
夜まで違うことをやっていて、
終わってからでは、眠いので無理だとあきらめてやめにしておきました。

依頼された仕事だったら、やめるということはありませんが、
単に自分の中で決めたルールなので、
無理してやるのも違うなと思って。

ルールとか枠とか、
ある程度は必要だと思いますけれど、
それにとらわれるのもよくないなと思います。
わたしが書いているおしゃれルールにしても、もちろんそう。

ただ、枠がなくて適当にやるのと、
知っていて、あえてやらないのとでは全く意味が違うので、
わかっているということは大事。

きのうは無理してでもやるという選択肢もあったけれど、
あえて、そうではないほうを選びました。
そのほうがちゃんとした文章を書けると思ったから。

ブンカにいるときは、いつでもとにかく「期限内」に提出を目標にしていたから、
作品のクオリティより、間に合わせることが大事だったけれども、
それは向こうが決めたルールだったから。
自分で決めたルールだったら、
自分でそのとき守るかどうかも決めればいいことです。
ファッションもそれは同じ。
自分で決めたルールに縛られることはありません。

というわけで、後ほどおしゃれブログはアップしますので、
よろしくお願いします。ではまたあとで。

2013年11月11日月曜日

見落さない

出会っていても気づかなければ、
それはその人にとってないのと同じです。
見えていても、気づかなければ、
それもないのと同じ。

もちろん、人間はすべてのことを記憶しないように、
そもそもできているのだと思うけれども、
それにしても、やっぱり見落しが多い。

見落しを防いでくれるのは、
やはり外のもの、人、ことに対する興味や好奇心だと思います。
目の前にあるものを見つけられるか、
見つけられないかの差は、それがあるかないのかの差。

別にどっちでもいいんですけれど。
あったほうが、世界の意味が何倍にもなって、楽しいです。

この前、私の目の前をすごい大物が通って、
まわりを見たら、
気づいている人と、気づいていない人にぱったり分かれていました。
じろじろ見るのはよくないけれども、
気づいたほうが、人生は楽しいと思う。

見間違いは得意だけれども、
やっぱり見落しはしたくないなと思います。
だって、ほんと、意外なところに、意外なものが存在していますから。
情報を取りに行くのと同時に、
まわりの世界の出来事を見落さないようにしたいと思います。



2013年11月10日日曜日

アンテナ


アンテナは、張ったら張っただけなので、
自分で設定したところまでの情報が入ってきます。
その設定範囲は個人の自由です。
小さくすることもできるし、大きくすることもできます。

アーチストの人たちはかなり大きくアンテナを張っているので、
ちゃんとそれに見合った情報が入ってきます。
小さく設定してしまったら、それなりなので、
新しい作品も、新しいアイデアも、キャッチできません。

もし何にも思いつかないと言うのなら、
アンテナを張る範囲の設定を最初から小さくしているのかもしれません。
小さいほうが守りやすいと信じているから。
守りやすいから、そのほうが幸せと思いこんでいるから。

でも、そんなこともないです。
一歩出ても平気です。
岩につながれたアンドロメダを、
ペルセウスは助けてくれたけど、
誰にでもペルセウスがいるわけではないし、
そもそも自分で岩につないでいるのかもしれません。

岩というのは物質。
土のエレメント。
土につながれるというのは、
さわって感じられるものとか、食べるものとか、着るものとか、
もろもろの実感できるものにつながれているということ。
それはやっぱり不自由です。
もちろん、それさえも選べるわけですけど。
ワードローブをシステマティックにするということは、
自由への第一歩だと思います。

☆写真:黒蝶、半額になってたから買いました。球根なんで、来年も大丈夫です。 


2013年11月9日土曜日

封印をとく


たとえば、どこかへ行ってみて、そこで嫌な思いをしたら、もう二度と行かないって思います。
何かチャレンジしてみて、さんざんな目にあったとしたら、もう二度とやらないって思います。
そうやって封印してきたものは、けっこうある。
ただ、その封印も永遠のものではなく、
期間が決まっていたりします。
たとえば、それは10年後にとかれるということもあり得ます。

その封印をといたとき、
なぜ10年前はそれ以上、近づかなかったのか、
無視しながら、見ないようにしながら生きてきたのか、
ちょっとだけわかることがあります。

嫌な思いにもちゃんと意味があって、
そこでもう二度と行かないと決めたのも、
それはそれでよかったことで、
10年後の封印がとかれる日のために、
大切にそれはとっておかれたのです。

そのとき、その嫌という気持ちを無視して続けても、
それ以上、得るものや、達成できることはなかったのでしょう。
そして、そこへたどり着くのに10年かかった。

もっと早くやっておけばとか、
もっと早く出会っておけばとか、
思うことはしばしばですが、
きっとそれは完璧なタイミングでやってきているのです。

今回、わたしがあることに対して持っていた封印がとかれました。
それはずっと忘れていたけれど、
確かに、ずっと避けてきたことで、
でも今、さわってみたら、
ちょうどいいタイミングで再会できた感じです。

自分の運命の流れを信じて任せれば、
必要なことは必要なときにちゃんと出会うことになっていると、
それが過去、捨て去ったものであっても、
ちゃんと戻ってくるのだと、
再認識しました。
だから、これはいいこととか、悪いこととか、簡単には言えません。
可能性に対していつもオープンでいれば、
それにはきっと出会えるのだと思います。

☆写真:うちの秋バラ。

2013年11月8日金曜日

コントロール不能


だんだん日の出の時間が遅くなってきたので、
犬の散歩と日の出が同じぐらいの時間になりました。
ただ今年は、まだそんなに寒くないので、助かっています。

さてきのうのヘレナさんの話の続き。
ヘレナさんは、人間は自然と切り離されると、幸福ではなくなると言っています。
それは本当にそのとおりだと思います。
単純に私なんか、アスファルトやコンクリートにおおわれていて、
地面が出ていないエリアに行っただけで疲れてしまいます。

ただ、日本全体を見たら、
都会よりも郊外、もしくは田舎のエリアのほうが広いです。
いくら都市部に人口が集中しているといっても、
地面が見えないようなエリアに住んでいる人は、全体でみれば少数派。
だから、自然と切り離されたというのは、
物理的な問題ではなくて、
生活スタイルなんだと思います。

わたしの住んでいるエリアだって、
ちょっと電車に乗れば海だし、
農家はたくさんあるし、
山だっていこうと思えば行けるし、
もちろん庭に土があるから、庭で野菜育てるのも可能だし。
ただ、どれもこれも意識するか、やる気がなければできません。

自然って思い通りにならないから。
それは人間の身体もそうなんだけど。
自然って、人間の思考をこえている存在です。
思考をこえた存在があるということを忘れないということが、
重要だと思います。
思考を整えたからといって、何でもできるわけでもない。
身体も自然の一部と理解すれば、
それがメンテナンスはできても、
完全なコントロールは不能だと、
気づくはずだと思います。

☆写真:秋バラもちょっとは咲いています。雨にぬれた朝のアンブリッジローズ。


2013年11月7日木曜日

幸せとローカル

きのう、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんという、
ローカリゼーションの運動の創始者の先生の動画を見ていて、
それは主に食べ物の話なんだけれども、
作った人と、それを食べる人があまりに遠い存在になったことが不幸の始まり、
というようなお話を聞いて、洋服についても、まさに同じだなと思いました。

ファストファッションの問題点は、
それがどのような人が、どのような環境で、どのような待遇を受けてつくられたかわからないこと。
わからないから、
どんな劣悪な状況で、生きていくにも足らないほどの賃金によってつくられたものだとしても、
気にならなくなります。
でもそれはそれを作る人も、買う人も幸せにはしないだろうということは想像にかたくありません。

作る人がわかっているものを買うということは
安心だし、お互いの満足感も高まります。
そして、それが結果的に幸せにつながるということです。

日本でも、作り手が分かる形で服作りをして、
ローカルなお店なり、展示会をして、販売している方々がいらっしゃいます。
わたしも目をつけているところがあるのですが、
ネックは価格の問題。

ブラウス1枚4万円とかなると、今のこの日本のシステムの中において働いている場合、
簡単に買える金額ではありません。
しかも、これは不当な金額でもありません。
原価、工賃など考えると、日本で生活するにはこれぐらい必要です。
(もちろん、あら、高くないわとおっしゃる方がいらっしゃるのも知っています)

働く人を正規と非正規にわけて、
賃金に差をつけるというやり方は、今の日本のシステムです。
もう最初から、正規の人の割合と、非正規の人の割合が決められていて、
それは椅子取りゲームのようで、
必ず誰かが非正規になるように、
つまり同じ仕事をしたとしても、賃金が安くなるように、システムとして設定されています。
しかも、はっきりは言われていませんが、
非正規の多くは女性になること、という暗黙のルールがあります。
だから、それは努力の問題なんかではありません。
そういうルールの世界に、偶然にも住んでいるということです。
(ただわたしは、努力論にも反対なんですけどね)

そうなったときに、
1枚4万円のブラウスは、簡単には買えません。
 買えるようになるには、そのシステムの中でうまく渡り歩くか、
そのシステムから抜け出すことです。

システムから抜け出すためには、
そのシステム内の価値観で生きてはいけないんですよね。

作る人、買う人、両方とも難しいわけですけれど、
どこかに抜け道があると思います。
ヘレナさんも、きっとできるはずだとおっしゃっていました。
しかも、それには女性性が大事だとも。
私も、何かいい抜け道がわかったら、これからもここでシェアします。

そうそう、最後に。
ヘレナさんは、ローカルでオーガニックな農業とか食べ物の重要性をいつも言っています。
で、わたしも、うちの近くの農家さんの農園内で、
オーガニック農業についてのお話、ランチ、ファームツアーのワークショップを
来年の春、開催する予定です。
これはあと、日程を決めるだけなので、わたしが病気にならない限り、開催します。
湘南でオーガニックフード、興味のある方はご参加くださいね。


2013年11月6日水曜日

湯たんぽとはらまき

朝晩、特に夜は寒くなってきました。
きのうは、何となく冷えを感じたので、
湯たんぽを作って寝ることにしました。
やっぱり、いいなあ、湯たんぽ。
寝る前のひと手間で、寝ている間じゅう、快適です。

私は今まで、はらまきというものを使ったことがありません。
でも、今年はちょっと使ってみようかと思い、
近くのお店の下着売り場をのぞいたのですが、
気に入るやつが全然ない。
じゃあ、どういうのが気に入るのか聞かれても、
困るんだけれども、
デザイン的に許せるのが、あまりにないです。

機能だけとか、暖かさだけだったら、
それでいいんだろうけれども、
どれも余計な柄とか、ゴムとかついていて、
着る気が起こりません。

ハラだけのデザインが嫌なのかもと思って、
家に帰ってから、
ネットではらまきつきオーバーパンツを見始めましたが、
そっちはもっとない。
おしゃれな方々は着ないのかな、
それとも薄地の機能下着みたいなのを着るのかな、
とか考え始めましたが、
他人がどうしているかは知りません。

下着というのは、機能優先にするか、
デザイン優先にするか、
どちらかになるのでしょうか。
デザイン優先にしようとするから、
ないのはわかっているけれど。

この時期になると、なにかと下着で悩みます。
当分のあいだ、気に入るはらまき探しです。

2013年11月5日火曜日

1人でやるしかないと思う

ルイ・ヴィトンの新しいクリエイティブ・ディレクターが、
以前、バレンシアガのデザイナーだった二クラス・ゲスキエールに決まったようです。
現在、バレンシアガはアレキサンダー・ワンだし、
デザイナーもそんなにどんどん新しい人が出てくるわけではなく、
同じ人が移動しているだけ、みたいな感じもあります。
ファッションの流れが変わったのだから、
この流れにぴったりの新人が出てきてもよさそうなんだけれども、
業界も複雑になってきていますから、
そう簡単にはいかないのでしょう。

日本から出てくるかと言えば、
私はそうは思えないです。
今回の流れは、日本人に苦手なシルエットであり、造形なので、
日本で生まれ育った日本人には無理だと思います。
ちなみに今再びブレイクしているケンゾーは、
現在、日本人の賢三さんのものではありません。

けっこう、ファッション関係の仕事をやりたいんですという方は多いし、
質問や相談をされるんですけれども、
私は、あまりお勧めできません。
やるとしたら、どこかの企業に頼らない形で、
1人でやるしかないと思う。
今現在の、アパレル業界の内部のことはよく知らないけれども、
よくなっているとも思えないし。
やるとしたら、全部1人でやっていくのだという覚悟がないと、
潰されるだけでしょう。

ただ、環境としては、インターネットや個展など、
昔よりは1人でもやりやすい環境だと思いますから、
本当にやりたいんであれば、チャレンジするといいと思います。
いつも書いているように、
小さなローカルのエリア内で、
生活していける程度の成功は十分可能ですから。
それ以上、望むと難しいと思うけれど、
自分にとって成功とはなんだろうかと考えて、
それが生活できることだったら、
それは可能です。
コアなファンがつけばいい話なので、
問題はコアなファンの作り方です。

コアなファンを作るために、
他人のまねをしていたら、絶対だめです。
ブログにしろ、HPにしろ、
どこかで見たような写真や、
マニュアルが透けて見えるようなどこかで読んだようなフレーズでは、
コアなファンはつきません。
どこまでオリジナルにできるか、
ほかではないものができるか、
その点にすべてかかっていると思います。

2013年11月2日土曜日

量の問題

人間が生きていく上で、所有という意味で量は必要ないと思います。
もうすでに今の時点でたくさんだし。
だけれども、所有ではない分野、
たとえば練習、実践、情報、記憶などは、
ある程度必要なのではないかと思います。

今でこそおさえていますが、
私は昔から大量の雑誌を見て(読むじゃなくて、見るって感じ)、
年に多くの美術展、写真展へ行き、
ふらふらデパートの中を歩いたりして、
洋服はその他に関するものについての情報を
大量にインプットしていました。
雑誌を見て、デパートで実物を見たりしているだけなので、
所有はほとんどしていません。
(単に買えなかっただけですけど)

今はとにかく、いろいろな人にヒーリングの実践をしていて、
数をこなしています。
これは自分の中で納得いく回数がまだまだできていません。
(だから、みんな、遠慮なく来てね)

で、服に関してですけど、
あのころ、大量に見たり、さわったり、着てみたりした結果、
現在、何の資料もなくブログが書けるわけです。
英語のつづりとか、名前の確認以外、何も調べることなく書きます。
お題さえ思いつけば、あとは自動的に文章が出てきます。

スポーツの人も、音楽や美術、演劇の人も、みなそうだと思います。
ある時期、集中して徹底的に量をこなす時期というのが必要です。
そうしないと、自分の中から自然に出てくるようになりません。

大量に量をこなしている時期は、
それが何のためになるのかも、
本当に実力がつくのかもわかりません。
途中で嫌になったりもします。
でもそこでやり続けた先に見えてくる世界が絶対にあります。
それがあるとわかっていて、
それを見たいから、やめることなく続けます。


言い古された、当たり前のことなんだけど、
あきらめなければ、必ずそこへたどりつけます。
で、私はあきらめていないので、
まだまだ続けるつもりです。
よろしくね。


2013年11月1日金曜日

冬が始まった


今朝は空気がぴりっとしていました。
長かった夏のような日々も、これで終わることでしょう。
本格的な冬物は今日からかなという感じです。

それと連動してなのでしょうか、
きのうは首元のキャミソールの襟(襟って言うのかな?)が当たる部分の肌が、
かゆくなってきました。
もう肌がかゆくなるの?
早すぎです。
しかも首元。
これが始まったら、何か当たるだけでかゆくなってしまうので、
同じネックラインのものは着られません。
ひどくなる前に、
急いで保湿クリームを塗って、今朝はかゆみは引きました。

去年はウエストのゴムでかゆくなってしまって、
それから1カ月ぐらいかゆみが続いたんでした。
今年は夏は虫さされでかゆかったし。
夏のときも、かゆかったので、靴下類ははけなくなりました。

確かにかゆみというのは、症状としては軽いものだと思いますが、
かゆいと、集中力はなくなります。
痛みとも違うので、鎮痛剤を飲んで眠ればなおるというわけでもないし。
かゆみって、何のために存在するんでしょうね。
危険を知らせるため?

そういえば、何年か前、30をもう過ぎていたのに、
水ぼうそうになったことがありました。
子供の病気だと思っていたのに、この年でなるなんて。
あれも全身かゆくて、いただいた白い塗り薬を塗りたくりました。
あれは子供のころ、塗ったやつと同じものでした。

まあ、これからいろいろなかゆくなりやすい季節なので、
着るものに気をつけて、
ひどくなる前に保湿して、
気をつけましょう。
冬はレースのものは着られないかもしれません。

かゆみをあなどってはいけません。


☆写真:江ノ島の岩屋からの眺め。小学生がたくさんいました。