2013年9月30日月曜日

シルクの洗濯

比喩ではなくて、本当のシルクの洗濯についてです。
最近、シルクの入ったものを着ることが多いです。
しかも、暑い季節に着ていたので、
洗濯が必要になります。

大体、洗濯表示はドライクリーニングになっていると思いますが、
おしゃれ着用洗剤で、簡単に手洗いできます。
着たその日のうちに、
洗面所でささっと洗ってしまい、
手で水分を押し出す程度で、洗濯機の脱水にはかけず、
ハンガーにつるして、水滴が落ちてもいい、
お風呂場に乾かします。
そうすると、今の季節だと、次の日の朝には8割方、乾いています。

昔、ヨーロッパに行く際も、
シルクのキャミソールを持っていって、
やはりホテルの洗面台で洗い、お風呂場に干しましたが、
冬で暖房がきいていれば、すぐからからに乾きました。
シルクは、洗濯機洗いには不向きですが、
さほど扱いが難しい素材ではありません。

ただ、ある程度乾いたら、アイロンがけは必要になります。
しかし、脱水にかけたわけではないので、
さっとする程度で大丈夫です。
シルクにアイロンをかけると、表面がなめらかになり、
素材の美しさが引き立ちます。
来年は本当にシルクのシフォンやジョーゼットのものがあふれますので、
この方法は覚えておくといいと思います。

シルクは夏は暑くなく、
冬はインナーとして着ると温かいので、
実は1年じゅう、着られる素材ではないかと思います。
ニットの下に着るのでしたら、アイロンがけも見えるところだけでいいし、
冬場も案外重宝すると思います。
何より、化学繊維ではないので、かゆくならないのがいいです。
大事に取り扱えば、長持ちもします。

シルクに限らず、
着た日にすぐ手洗いして、軽くしぼって干すやり方をすると、
カシミアでも、高級なコットンのものでも、
洗うことによる傷みが少なく、長持ちします。
どれだけ丁寧に扱ったかで、結果が違ってきます。
だからこそ、丁寧に扱いたいなと思えるものを買ったほうがいいわけです。
そうじゃないと、雑に扱うから。

一点一点、丁寧に扱えば、どの服もみんな、長持ちするものです。

2013年9月29日日曜日

物語をはぎとる

服には、その本質とは全くかかわりのない、
情報や記号や物語が張り付いていて、
それに気を取られたり、
熱中している間に、
結局のところ、こちらがコントロールされてしまいます。

だから、ほんとのほんとにおしゃれになりたいと思ったら、
その情報や記号や物語にだまされないことが必要なのです。

情報や記号や物語をはぎとって、
それでも好きなのか考えてみるといいと思います。

それって、結婚相手選びに似ていますね。
その人物から、
情報やら記号やら物語やらはぎ取って、
それでも本当に好きなのか自問自答してみる。

結婚相手の場合、
相手は生身の人間なので、
一緒に生活してみれば、
いつわりの情報や記号や物語は吹っ飛びます。
そこで本質と出会ったとき、
それが本当に好きなものであったなら、
それは幸せなことでしょう。

服の場合は、どうやったらその本質と出会えるでしょうか。
とりあえず、情報や記号はのぞいて考えてみる。
ブランドのロゴとか、値段とか、何年のものだとか、
そういうのとは距離をとる。
その服が持っている物語、
たとえば、誰かに買ってもらったとか、
誰かが似合うと言ったとか、
そういうのも忘れてみる。
それでも本当に好きなのか。
買い物をするたびに、
それができたら、長く着られるものが選べると思います。

生身の本質はざらざらしていて、
さわったら熱かったり、冷たかったりで、
扱いにくいかもしれないけど、
それでもやっぱり好きなんだ、
ずっと一緒にいたいんだと思えたなら、
それはきっとそのとおりです。
しかも、それがきっと、幸せということなんだと思います。
なぜなら、情報も記号も与えられた物語を、
誰かを幸せにするものではないからです。
そのことはみんな忘れているけれど、
本当です。

2013年9月28日土曜日

見えない檻

多くの人がやりたいことが見つからないって言うけど、
その「やりたいこと」って、もしかしたら、
本当の意味での「やりたいこと」じゃなくて、
「やりたくて、かつお金になること」のことを言ってる場合が、
多いような気がします。

その時代、時代で、
お金になる能力とか技術というのは変わってくるし、
自分の才能と時代の流れは必ずしも一致しないので、
やりたいことがイコールお金になることとは限りません。
これは当たり前の事実だと思うんだけれど、
そのことを忘れているのか、無視しているのか、
考えていない人も多いです。

やりたいことと、お金になることが一致すれば、
それは最高だけれども、
なかなかそうはならないよねという中で、
なにをやっていくかということが大事だと思います。

お金になるとか、役に立つとかにこだわっていたら、
たとえば、大学の文学部なんて、いらなくなってしまいます。
美大だって、多くの人が画家や美術家になるわけじゃないから、
役に立たないものの範疇に入れられてしまいます。

お金にならないことをやるのは無駄なことだと思っているのかしら。
世界はたくさんの無駄なことでできているのに。

もちろん、それはその人自身の考え方じゃなくて、
社会や教育、親からの刷り込みの場合も多いです。
それはブロックです。
何もできないで、ただ考えているだけだとしたら、
そのブロックが強すぎて、動けなくなっている可能性は高いです。

お金にならないことには意味がない、
お金にならないことをやってはいけないという、
無言の圧力に長年、さらされ続けていたら、
それは見えない檻となって、
自分のやりたいこともわからなくなってしまうでしょう。

その見えない檻から出るためには、
自分でなにかやってみるしかありません。
誰に何と言われようが、
ときにはバカにされようが、
やってみるしかない。

誰も檻から出してはくれません。
ただ、それからは出られます。
自分で出ると決めさえすれば。
そう決められるかどうかが、分かれ道だと思います。


2013年9月27日金曜日

デザイナーに必要なこと

パリ・コレクションが始り、
きのうは、ドリス・ヴァン・ノッテンのコレクションの写真がもうすでにアップされていたので、
ゆっくり見ました。

ドリスは、日本人デザイナーが出てきた、そのあとの世代のデザイナーにあたりますが、
今でも十分通用するセンスで活躍しています。
そして、来年の春夏に向けても、
時代の気分を存分に表現して、
人気が出るだろうなという予感がします。

ドリスにしろ、ドルチェ・アンド・ガバーナにしろ、
長いこと活動を続けて、支持されているデザイナーたちは、
デザインの中に必ず時代の気分を取り込んでいます。
自分の表現したいものとか、作りたいものとか、
そういうものはひとまず置いておいて、
全体的な味付けは、そのデザイナーのものであっても、
時代から大きく離れるということはありません。

ひるがえって、
日本のデザイナーたちの多くを見てみると、
自分の表現にこだわって、時代の気分は二の次という方々が多いように感じます。
この結果、最近、めっきり、日本人デザイナーのなりはひそめてしまったわけです。

誰かが着ることによって完成する洋服に、
デザイナーのエゴイスティックな思いなど、不要です。
それは美術家とは違います。
自分にこだわり過ぎると、作品は、化け物のようになり、
人々の心には届きません。

自分はあくまで道具なのだ、自分を通して、
何かもっと大きいものの力が動いているだけだという認識がない限り、
それは傲慢で、小さなものになるでしょう。

服の神様に任せるということができなかったことが、
今の日本人デザイナーの状況を生みました。
自分の力で何かをやっているんだというエゴ、
それがある限り、
結局は、消えていきます。
それはどの世界でも同じことです。
どれだけ無私になれるか。
すべての行為のかぎは、そこにあります。




2013年9月26日木曜日

自分の才能を信じるということ

最近、お会いする多くの方たちに共通するテーマが、
「自分の才能を信じる」ということです。

自分の才能を信じるということは、けっこう難しいです。
なかなか自分自身を信頼できません。
本当にそうなのか、間違っていないか、
確信が持てません。

次に信じたところでも、
それを行動に移すのも、簡単なことではありません。
そこには必ず恐怖がつきまといます。
行動することの恐怖。

だけれども、リスクをおかさないと、
才能は使えません。
逆に言えば、
リスクをおかしてまでも、
自分の才能を信じた人たちが成功し、
天才と呼ばれるのだと思います。

多くの場合、
才能と、葛藤はセットで存在しています。
葛藤がないと努力しません。
なんでも簡単にスムーズにいく人のことを、
才能がある人とは呼びません。

やってみる前から、
才能がないとか、やっても仕方ないとか、
だめに決まっているとか、
そんなふうに考えている人は、案外多いです。
それは確かに才能がないことです。
「行動する」という才能に欠けています。

才能に関しては、やってみたところで、
そんなに大きな失敗は、多くの場合、ないです。
試してみて病気になったとか、死んだとか、しないです。
せいぜい会社をやめた、ぐらいでしょう。
その「せいぜい」ができないわけですけど。

誰かが言ってくれたからとか、
誰かに認められたから、自分の才能を信じるというのでは、
弱いです。
他人に依拠した自信は、他人によってくつがえされます。

根拠のない自信こそ、必要です。
他人が認めてくれなくても大丈夫です。
本当は1人ではありませんから。
見えない存在たちが、必ず応援してくれていますから。

2013年9月25日水曜日

関係に、永遠なんてない

最近、人間関係もいろいろ変わっておりまして、
年齢の離れた方々ともお友達になって、
長い間、しゃべったりしています。

年をとったら、友だちができにくいとか、
女同士の友情は育たないなどと、よく言われますが、
そんなこと、全然ない、と思います。

どれだけ心がオープンになれるかがカギで、
それができるならば、
年齢のせいで友だちができないということは、
ないとわたしは思っています。

ただ、当たり前ですが、変化というのはあって、
二十歳のころと今とでは、考え方も食べ物も着るものも違います。
(少なくとも、わたしは違います)
もちろん変わっていないところもあるけれど、
大きな部分で変わっているので、
その変化にそった人間関係というのは、ある程度、仕方ないかなと思います。

すべてのものは永遠じゃありません。
ずっとあると思ってはだめなんです。
今年の約束が、来年もまたできると思っては、
いけないのです。
今できること、今あるものは、今だけだから、
そのとき仲良しでも、来年どうかはわからないし、
仲が良くなかった人と、唐突に仲良くなるかもわからないし、
どこからともなく思いもつかなかった人と出会うかもしれない。
すべての新しい可能性を残しておくとともに、
すべてが終わる可能性も覚悟しておかないと。
ずっとこのままだよね、なんて、思っていたら、
次はありません。

うちに閉じこもったり、
かたくなになったり、
ずうずうしかったり、
人の心の中へ土足で踏み込んできたり、
約束を守らなかったり、
そんなことで関係は、簡単に壊れます。

関係は、壊れ物です。
注意が必要。

永遠ではない関係の中の、
今の一瞬をどう生きられるか。
過去と未来につながったままで、
誰かと会うことをやめたら、
いつだって、新しく人に出会うことができるし、
関係は生まれてくると思います。

2013年9月24日火曜日

情報として消費、その他

最近の雑誌は、セレブ、セレブとうるさいです。
誰々が何を着ていたか、こと細かにすぐ発表されます。
「セレブ」と呼ばれる方々も、そうされるたびに、
情報として消費されてしまいます。

また、有名人でご自分のブログに実際の自分自身のワードローブを公開している方も、
たくさんいらっしゃいます。
そして、その画像が知らぬ間に独り歩きし、
とんでもないところで目にしたりすることになります。
それでも彼女たちは、それが自分自身、
または自分のプロジェクトの宣伝になると知っているので、
特にとがめたりはしません。

ただね、そうなると、すぐに消費されてしまいますから、
ワードローブは常に常に新しくしなければならなくなります。
自分と会った人たちだけではなく、雑誌などの媒体、
自分のブログ、それから知らないところで、
想像をこえた数の人たちがそれを見て、
消費してしまっているわけですから。
そりゃあ、シーズンごと、あるいはシーズン中でさえ、
とっかえひっかえ服を変えます。

一般の人はそうではありません。
目にされる人の数はぐっと少ないです。
つまり、私たちは消費されていない存在なのです。
だから、有名な人や「セレブ」といっしょに考えてはいけないし、
比べることもありません。

それにしても、道を歩いているだけで誰かに写真を撮られ続けるなんて、
相当なストレスでしょうね。
そして、その撮られた写真を、今度はどこかの媒体で目にしたら、
それはそれでいい気分ではないと思います。
華やかそうに見えるけれど、
「セレブ」のみなさんも大変です。
つくづく、そういう立場の人間ではなくて、
よかったと思います。

2013年9月23日月曜日

残りもの

「残りものには福がある」ということわざもあるように、
残っているものイコール悪いもの、というわけではありません。
特に洋服においては、そのことが言えます。

売れ切れてしまったものは、
たくさんの人が欲しいものです。
そして、たくさんの人が買ってしまったものです。
ヒットの方程式の最大公約数をねらえば、
それなりに当たるでしょう。

しかし、何回も書いていますが、
たくさんの人が持っているものの中に、自分らしさはありません。
街に出たら、いろいろな人が同じものを着ている、
または持っている可能性があります。
もはやそこには、自分らしさを見つけることはできません。
だって、あなたはわたしじゃないから。

そこで残りものの話に戻ります。
残りものというものの中には、何種類かのものが含まれています。
もちろんよくないから売れ残ったものもあります。
しかし、そうでないものもあります。

たとえば、残るものの例として、たくさんの人が選ばない色、というものがあります。
ありきたりな色、黒や紺、グレーなどはそれなりに売れますが、
赤、オレンジ、黄色などは、その色のせいで残っています。
また、最近気づいたのですが、
シルク製品も残っています。
たぶん、洗濯の扱いが面倒だからだと思います。
(みなさんが思っているほど、シルクの洗濯は面倒ではありません。
手洗いでさっと洗って干すだけ。しかも早く乾きます)

これら色や素材で残ったものは、
その色や素材が好みな人にとってはお宝なわけです。

きのうは、お墓参りの帰りのお買いもので、
そんな「残りもの」を買いました。
実は、目をつけていたのは去年のこと。
これはわたしの色だけれども、絶対残るなと確信しました。
案の定、その色は残り、値段が下がりました。
そうしたら、そこで「買い」です。
デザイン的には問題がないので、去年出ていたものでも構いません。

残らないようなものばかり探して買っていると、
全体に自分らしさのない、
これといって特徴のないワードローブになります。
たくさんの人が欲しがるものは欲しがらないというのも、
おしゃれの1つの秘訣かなと思います。


2013年9月22日日曜日

さわって感じる

洋服について文章だけで表現するには、どうしても制限があり、
すべてを伝えることはできません。
特に難しいと思うのが、生地の質感について。
いい生地をたくさんさわっていけば、
ああ、この感じ、というのがわかるようになっていくのですが、
そもそもいい生地がどんな生地なのかわからないと、
その感じがわかりません。

かといって、それを文章で表現するのも、なかなか難しく、
滑らか、さらさら、ふんわりなど、
ありきたりな表現になってしまいます。
しかも、文章を読んでわかったつもりになっても、
絶対に実物は違うもので、
さわって感じたることによって理解したものに、
まさるものはありません。

100の言葉を並べても、本物の音楽や絵画を表現できないことと同じことが、
生地についても言えます。

あと、これはたぶんなのですが、
生地というものは、五感を超えた記憶を持っています。
まずはさわって、滑らか、つるつる、さらさらしているなど感じるのですが、
その先の何かにふれると、
じわじわと感動がわきあがる生地があります。
それはきっと、製造過程において、
何か特別なものがあるからなのだと思います。
それとは逆に、着ているだけで気分の悪くなる素材もあるでしょう。
たとえば、あれとかあれとか・・・。

わたしも素晴らしい生地のサンプルをたくさん持っていればいいのですが、
そうではないので、今、ファッションレッスンのレベル2の次の段階として、
実地訓練ツアーを開催しようかなと考え中です。
場所は御殿場のアウトレット。
ハイブランドの服をさわったり、試着し放題のあの場所は、
いわば、洋服のさわって体験できる美術館ですから。
ただ、まだこれは検討段階なので、決定ではありません。
やるとしたら、ファッションレッスンのレベル2終了の方が対象になります。

ネットでありとあらゆる情報が得られる時代ではありますけれども、
それでもまだ届かない世界があります。
実際にやってみて確かめる、行ってきて見てみる、さわってみる、聞いてみる。
それをおろそかにしてはいけないと思っています。


2013年9月21日土曜日

来年の黒

ニューヨーク、ロンドンと続いて、
ミラノコレクションも始りました。
プラダは変化球という感じの、ちょっとトレンドとは外れたコレクションでした。
好き嫌いは分かれるでしょうね。
なんせ、コートの全面に女の人の顔の絵がかいてあるのですから。

さて、来年の春夏、色がとにかく軽くなっています。
バーバリー・プローサムのテーマはイングリッシュローズ。
まさに、イングリッシュローズの色合いそのままに。

そんな中、では黒はどうなるのかという疑問がわきます。
イングリッシュローズの中では、黒は重すぎますから。
で、デザイナーのみなさんが出した答えはシアー。
つまり、透けです。
とにかく黒が透けています。
グッチがその代表例。
黒は使っている。
しかし、全身透けています。
ブラウスだろうが、スカートだろうが、パンツだろうが、
とにかくオーガンジーやシフォン、レースで透けさせています。

黒は使いたい、だけれども軽くなきゃ、ということで、
透けるという手段が選ばれたのだと思います。
黒だとしても、軽くなきゃだめなのです。
天女の羽衣、または妖精のドレスのように、
地上から離れるために軽く軽くがこれからの流れ。

シルエットも、もちろん変化したけれども、
使う素材も大きく変わっていった今のシーズン。
というよりは、今から始まる次の12年。
それぞれのワードローブの見直しは、
来年から本格的に始まるでしょう。
今年あまり着なかったものは、
来年はもっと着ない、というか、着られません。
今年は、着続けるものと着られないものの、
分かれ道の年かもしれません。
本格的な秋冬が始まる前に、
ワードローブの見直しをしようと思っています。



2013年9月20日金曜日

ケイト・モスが言うことには

ケイト・モスが、スチュワート・ワイツマンという靴のブランドの、
今シーズンのキャンペーン・モデルをつとめています。
そのための短いインタビュービデオがあって、
その中で、
「ショートスカートにはヒールの靴より、ロングブーツが合うと思うわ~」
みたいなことを言っています。
この意見、わたしも賛成です。
(この場合、ヒールとはパンプスのことのようです)

脚がまっすぐで、美しい方は、どんな靴をあわせても、
それなりにきれいだとは思いますが、
実際、日本人でそういう脚をお持ちの方はたくさんはいらっしゃいません。
となれば、脚のほとんどの部分は見せないで、
ブーツで覆い、
丈としても短さを楽しむほうが、
いいと思います。

ただ問題が1つ。
日本では、家に上がるとき、必ず靴を脱ぎますから、
せっかく全身でコーディネイトを完成させても、
家に上がったらおしまいです。
そうでなくても、脱ぎはきが面倒なブーツ。
ロングブーツでどなかたのおうちへお邪魔するのは、
なかなか勇気がいりますし、
脱いだときは、やっぱりもう違うバランスになっているわけで、
なんとなくおかしな感じがします。
ですから、ミニ丈にロングブーツというのは、
きょうは絶対、靴を脱がないとわかっているとき以外は、
やめておいたほうがいいわけです。

ブーツでなくても、ストッキングやタイツで補正ができる季節は、
秋冬ですので、そのまま生の脚を見せるより、
ずっといいと思います。
アンナ・デル・ロッソは、よく生脚でミニスカートをはいていますが、
やっぱり脚、特に膝上に年が出ています・・・。

ロングブーツのバリエーションは年々増えていっているので、
ミニ丈のパンツやスカートにチャレンジするなら、
今は適した時期だと思います。

2013年9月18日水曜日

ネットで春夏コレクション

きのうは朝から、ネットで14年春夏のバーバリー・プローサムのコレクションを見ていました。
19日には、プラダが春夏コレクションをストリーミングするそうです。
発表されたコレクションが、すぐにでも全世界に配信されています。

本当に20年前には考えられないことです。
チケットを持っているごく一部の人と、プレス以外、見られなかったコレクションが、
ネットにさえつながっていれば、
誰でもどこでも見ることができるのです。

昔はどちらかというと、秘密主義で、たとえば新しいコレクションは4体までしか、
雑誌媒体にはのせないなどと決まっていたようですが、
(デザインをすぐ盗まれるので)
今は、そんなことを気にせず、どんどん情報を流しています。
結果的にそのほうが、コレクションを発表するブランドにとっても、
メリットがあるからでしょう。
すべての人がショップにアクセスできる距離に住んでいるわけではないですから。

皮肉なことに、
こうやって、すべてを隠さず流してしまうブランドのほうが、
今では人気が出ています。
情報やコンテンツは無料なのか、という問題は、簡単にはいいことばかりだと、
言いきれませんが、結果的にはそう悪くはないのではないかと思います。

コレクションを見る行為と、実際にその服を着る行為は違いますし、
音楽にしたって、You Tubeのライブと実際とは違います。
情報を無料で流すことによって、
それぞれが、二次元とは違う、三次元での出会いを求めて動くならば、
そこには新しい動きが出るし、
たとえば、都会にいなければ知ることができなかったことを、
そうでない地域に住んでいても、知ることができるようになるということは、
大きいことでしょう。
特にファッション・ショーなどというものは、お得意客か、
プレスにしか実物は公開されていないわけですから、
テレビでもなく、ネットで流すことによって、特権が必要なくなります。

情報は無料で得るけれども、
実物に出会うために動く。
それがたとえ遠くであっても会いに行く。
そうすることによって、新しい動きとつながりが生まれる。
それがどんどん発展していけば、
いろいろ変わることが起きそうです。
新しいグリッドが、いたるところに生まれています。






2013年9月17日火曜日

ブンカの話⑦

きのうおしゃれブログのほうに高級生地ブランドとして書いたラッティ社には、
ちょっとした思い出があります。

ブンカの文化祭のとき、毎年、ラッティ社から生地の提供があって、
その生地を使ったデザインを考えて、
文化祭のファッションショーで作品を発表することになっていました。
クラスで何体とか決まっていて、
その中で私と友達で1体、製作を担当することになりました。
たしか、クラス全員ではなくて、先生が勝手に選んだメンバーだったと思います。

実はわたしは縫製はあまり得意ではなくて、
その時点で、先生の選抜はよくないと思いますが、
(ほかも似たりよったりだと言われればそれまでですけど)
なにか問題が起きなければいいなと思ったら、
やはり起きました。

今でも覚えていますが、色はフューシャピンクで、
コットンの生地でした。
それでハーフ丈のパンツを作ることになっていたのですが、
仮縫いのための切りじつけと裁断を、
わたしが任されていました。

切りじつけというのは、チャコで印つけができないときに行う、
生地への印のつけ方で、パターンを生地の上に置いてから、
しつけ糸で生地を2枚同時にすくって、周囲をぐるっと縫い、
最後に、その縫い目の中間を裁ちばさみで切っていくという、
特殊なものです。

そのときは、たしかそれが宿題になって、家で作業をしていました。
切りじつけの難しいところは、最後の段階で生地をいっしょに切らないようにすることです。
高価な生地だし、学校からのものだったので、
生地を切らないように気をつけて、切りじつけのしつけ糸を切っていったら、
なんと、生地まで切ってしまいました。
そんな失敗をしたのは、そのときが初めて。
あわてましたけれども、生地の端のほうだったので、
なんとかなるような気もしていました。

次の日、学校へ持っていって、
いっしょに製作をするパートナーの子に、生地を切ってしまったことを告白したら、
「大丈夫だよ、なおちゃん」とその子は言いました。
(その子だけ、わたしのことをなおちゃんと呼んでいました)

生地を切ってしまったのがばれないように、
どきどきしながら、先生の仮縫いチェックを受けました。
そして、その友達が最初に言ったように、
本当にばれないですみました。
そればかりではなく、
どういうわけか、その作品自体がボツになりました。
私たちは、ほっと胸をなでおろしました。
その後、その生地がどうなったかは覚えていませんが、
結局、仮縫いしただけで終わったと思います。

ラッティの名前を聞くたびに、
今でもあの切りじつけの事件を思い出します。
そして、いまだにラッティ社の生地で作られた服を、
着たことはありません。
たぶん、居心地悪いだろうと思います。
だって、それを着るたびに、あの切りじつけの失敗を思い出すわけですからね。
そんな思い出がなかったら、
ラッティ社の生地は、すばらしい生地だと思います。

2013年9月16日月曜日

来年の春夏は、変化が完了

ロンドンやニューヨークで春夏コレクションが始っています。
そして、もうすでにコレクションの写真がアップされています。
上がっているものだけをざっと見ても、
シルエットや傾向は、完全に変化してしまいました。

色も軽やかです。
白を中心とした、軽い色のコレクションがほとんど。
花柄も多いです。
これまでと同じ感覚では、
服は作れなくなっています。

こういうときに、新しいデザイナーやブランドの誕生があります。
それまでは、いいとは言われていなかった感覚の持ち主が、
にわかに脚光を浴びます。

1年ぐらい前から、今は大物、つまりコートやジャケットなど、
買うべきではないよと書き続けてきましたが、
ようやく来年は、買えそうです。
それはもちろん新しいシルエットのものです。

色も優しい色が増え始めました。
強い色のコントラストの服は少数派。
中間色のコーディネイトのは難しいですけれども、
選択肢は増えていくと思います。

感覚を先取りする人にとっては、
新しい時代が始まっています。
ただし、この新しさにその他大勢が追いつくのは、
もっとずっと後になることでしょう。
けれども、後戻りはもうできないということは、確かです。

2013年9月15日日曜日

靴の底

久々に台風で、大雨が降っています。
こうなると、お出かけはレインコートに長靴が必要になりますね。

ところで、雨のとき、気になるのは靴の底、ソールです。
最近、スニーカー以外で、ソールが滑りやすい靴が多いような気がします。
気をつけないと、こういう雨の日の、
特に駅などはすごく滑ります。

革底の靴も、見た目はそのほうが格好いいんだけれども、
やっぱり滑る。
特に駅の下りの階段は怖いです。
ヒールの靴だったら、なおさらです。

ソール1つとってもバカにできないで、
滑りやすい靴での、たとえば新宿駅で乗り換えのあるようなお出かけは、
躊躇してしまいます。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、
地下鉄へ下っていったりするのに、
靴底が滑ると、それだけで気になるから。

そんなことを考えていたのですが、
先週、いつもはいている、だけれども靴底が滑って困っていたブーツを、
底にラバーを貼ってもらう修理に出しました。
そして、きのうそのブーツが戻ってきました。

素材を指定したわけではないのだけれど、
裏に補強で貼ってあったのは、ビブラムソールでした。
登山靴で有名な、滑らないソールです。
早速、はいてみたら、全然違う!
ヒールで、しかも滑ることによって、
どうしてもつま先に力を入れていたのが、それだけで解消されました。

なんでもそうだけど、どうしてもっと早くしなかったのかしらと思います。
ほんのちょっと手を加えるだけで、
歩きよくなるなんて。
そのほんの少しの手間を躊躇させたのは、
面倒だったりとか、お金がかかるだったりとかするけれど、
その面倒やお金をかけてまでも、
したほうがよいことって、もっとたくさんあるかもしれません。

手間暇というものは、惜しんではならぬものです。

2013年9月14日土曜日

麻という素材

おしゃれブログのほうで、最近、アクセス数が多いのが、
麻について書いた投稿です。
みんな、麻について、どうしたらいいか、悩んでいるのですね。

わたしは、麻も秋冬に着ていいと思っていますし、
ちょっと毛羽だった、秋冬向けの麻の素材というのも、
今は出てきています。
インナーだって、麻にすれば、乾くのが早いし、
なかなか洗濯ものが乾かない冬の季節にぴったりだと思います。

ただ、麻といっても、実際にはいろいろ種類があって、
リネンと呼ばれているものは、いわゆる麻とは全然種類が違います。
可憐なブルーの花が咲く、繊細な草です。

そちらではなくて、これから注目されていくのは、
アサ科アサ属のヘンプのほうだと思うんですよね。

古くから日本に自生していて、
油もとれるし、実も食べられる。
育つのが早くて、電磁波を防御するとも言われています。

いいのだけれど、それとは違う問題があって、
現在は自由に栽培されていません。
だから、売られているのもごく少数です。

一方、リネンはリトアニアが産地として有名で、
今、わたしが実物を見てみたいなと思っている、
麻素材中心のコレクションを作っているデザイナーも、
リトアニアの方です。
日本では1か所でしか扱っていません。

麻という素材には、よれよれでも、着古してもよしいという、
独特の美が許されています。
化学繊維のように、つるつる、ぴかぴか、新しから美しいというのではなく、
着古した、なじんだ感じが美しい。
そんなことが許される麻素材の服は、
これからもっと注目されていいものだと思います。

2013年9月13日金曜日

ショップでの失敗

最近こそ、あまりお買い物はしませんし、
デパートへ行っても見ているだけですが、
昔は、ふつうにデパートで買い物をしていました。
そして、今ほど、販売員さんがしつこく要らないものを売ろうとは、
してこなかったと思います。
ただ、今も覚えている大きな失敗があります。

20代のころの話です。
渋谷西武のヨージ・ヤマモトのショップだったので、少し見ようと思ってのぞきました。
洋服を作っているので、見たり、試着したりするのは勉強の一部です。
そして、行ったそのときは知らなかったのですが、
後から聞いたところによると、無理やり買わせるということで有名な、
とある販売員の方につかまってしまいました。
まさに、つかまったという感じ。

わたしが欲しかったのは、当時、あまり売っていなかった、
赤いブーツでした。
試着してみて、サイズもぴったりだし、色もよかったので、
それだけ買おうとしたところ、
その販売員さんが、しつこくスーツの試着を勧めてきました。
試着だけならと思い、着てみると、
悪くはありませんでしたが、いるかどうかときかれれば、
そのときのわたしには必要のないものでした。
1度は断ったのですが、
その販売員さは、言葉たくみにわたしをうまくのせようとします。

半額ですから、確かに安くはなっていたのですが、
そのスーツ、形はいいとしても、
ウエストやら前やらの止めが、ボタンやファスナーではなくすべてホックで、
とても面倒くさいのです。
やっぱりいらないと思ったのですが、その販売員さんも負けません。
結果、その当時、販売員さんを適当にあしらう方法を知らなかったわたしは、
そのウールギャバジンのスーツを買いました。

ここまで書いたら、もうおわかりだろうと思いますが、
結果的に、わたしはそのスーツをあまり着ませんでした。
しかも、それを着ると、周りの評判もよくありませんでした。
わたしは、服について、周りから、それよくないというようなことは、
ほとんど言われたことがないので、
よほど似合わないスーツだったのでしょう。

似合わないし、ホックの開け閉めが面倒だし、
たいして気に入ってもいなかったので、
気づいたら、その服をほとんど選ばなくなっていました。

ただ、それ以降、販売員さんにのせられて何かを買ってしまうということは、
一切なくなりました。
いらないものはいらないと、結構はっきり言えるようになりました。
もちろん、その渋谷西武のヨージ・ヤマモトには、二度と行きませんでした。

ただ、最近はしつこい人をあしらうのも面倒なので、
そういう店には入りませんし、
たとえば、セールスの電話がかかってきても、
無視して出ません。
(セールスの電話は、用がない場合、放っておけば切れます)
無理に勧めるのもエネルギーがいると思いますが、
それをあしらったり、断ったりするのにもエネルギーがいります。

とりあえず、嫌な目にあったら、二度とそこへは行かない。
縁がなかったと思って、さよならすることにしています。

2013年9月12日木曜日

これからの新しい道

新しい雑誌に冬物のコートが掲載されるようになりました。
みな、当たり前のように、ビッグ・シルエットになっているのが、
なんだかおかしいです。
しかも、ほとんど外国のコレクション。

80年代、90年代に比べて、
日本のファッションの世界に対する影響力は確実に落ちたなと思います。

ただ、一方で、世界には発信しないけれども、
流行とは距離を置いた、
オリジナルなスタイルで、少量の服を生産している人たちも出てきました。
今後、期待できるのは、こちらの分野ではないかと思います。

彼らは、決して、表参道や青山にショップを開店するようなことはしませんが、
地道に、しかも、セールなどせずとも売れて、
コアなファンがついている人たち。
雑誌にも取り上げられないから、
有名ではないけれど、
買った人たちの心に満足と幸せを与えるような物作りをしています。
(でも、いまさら雑誌に掲載してもらったところで、
別にうれしくもないよね)

雑誌にも載らないし、
大量生産もしていないので、
そういうものたちは、見ることにおいて、消費尽くされていません。
これは理想的なことです。

たぶん、もうマーケットは大きくならないから、
そういったお店はコアなファンが支えればいい。

残念ながら、うちの近くに、そういう人たちはいないのですが、
わざわざ出かけていっても価値のあるような、
とっておきのお気に入りを見つけたら、
それについていきたいです。

(今、行ってみたいお店が2つあって、どちらもテーマは冬に着る麻なんだ)

2013年9月11日水曜日

プロに頼む

自分でできることは、なるべく自分でやるようにする主義ではありますが、
そのことにかたくなにこだわるのではなく、
プロに頼むべきことはプロに頼みます。

最近、弁護士さんや税理士さんとのミーティングが多かったのですが、
(内容については秘密。このブログもチェックされているので、書けません!)
ネットで調べただけではわからなかったことが、
いろいろわかるようになり、
結果的に、ものすごく安心できるようになりました。

わからないことに気をもんで、
心配し続けると、
それだけでエネルギーが漏れます。
不要な心配も生まれます。
だけれども、プロの的確なアドバイスを聞けば、
なんだ、全然心配することなかった、と気づきます。
そして、もし問題があったとしても、
適した問題処理の方法を教えてもらえます。
それは、素人にはわかりません。

わたしは何かを習いに行ったり、
プロの教えを請うのも好きです。
やっぱり経験を重ねてきたプロの方々は、
本には載っていないような、ネットで検索してもわからないような、
知識を持っていますし、
それはわたしのにわか勉強ではわからないことです。
自分ではできないことをプロに頼むということは、
決して悪いことでも、贅沢なことでもないと思います。
それよりも、余計なことを心配して、
漏れ続けるエネルギーのほうがずっと悪いです。

頼む勇気も必要だとは思いますが、
わたしはいつでも、自分でできないことは頼む勇気を、
持っていたいと思います。

追伸:関係ないけど、孫崎享さんも、情報を取りに行けって、言ってる。同じだね。

2013年9月10日火曜日

同じものは嫌

きのう、おしゃれブログのほうには、たくさんの人が持っているものは、
すでにおしゃれに見えなくなるという話を書きましたが、
わたしは、他人と同じものを持っていると、それだけで嫌です。
うわ、おそろいだ、うれしい!とか、
絶対思いません。

だから、どんなによいと思っても、みんなと同じなら買いません。
それはただ単に、気分が悪いから。

他人と同じという意味で、制服も嫌い。
制服を着て、みんなと同じ気持ちになんか、なりません。

これだけ情報の流通量がふえると、
それこそ、芸能人の持っているものがすぐに流れて、
誰々と同じ何々です、みたいな売り方をしているのをよく見ますが、
そんなの、わかった時点でもういらない。

昔、「ルームメイト」というアメリカ映画がありました。
ブリジット・フォンダ主演。(そういや、最近、この人、見ないね)
同居人を募集してやってきた女の子が、
もとから住んでいた女の子の髪形から服から、すべて真似していって、
そっくりになっていくというサスペンス映画でした。
あれは気持ち悪い。
誰かがそっくり同じになることの気分の悪さをよくあらわした映画だと思います。

同じものを持ちたくない、着たくはないので、
みんながあまり選ばないようなブランドのものを着ます。
有名なところのものだとしても、生産数が少なくて、
ほとんど知られていないようなものならよしとします。

とにかく嫌。
同じは嫌。
そんなわけで、きのうも1点、ある人と同じだとわかったものをチェンジしました。
同じとわかった時点で、見たくもありません。
それを決めた時点で清々しました。
ちょっと極端ですが、これからもたぶん、そうすると思います。


2013年9月9日月曜日

秋冬の帽子

秋冬の帽子を新調しました。
帽子は紫外線に当たるため、どうしても傷みます。
そのため、ずっと同じものばかりかぶっているというわけにはいきません。

最近、手頃な価格の帽子がたくさん売られるようになりました。
また、若い人たちを中心に、夏以外でも帽子をかぶる人が以前よりふえたように思います。

帽子というのは、手頃な値段で、いきなりおしゃれに見せることができる、
とても便利なアイテムです。
しかも夏は日よけ、冬は寒さ対策になります。
冬に1度、帽子をかぶってで出歩いたら、
もう帽子なしではいられません。
それほど、熱は頭から逃げていきます。

欠点は、髪形が崩れること、
そして、たためない帽子は、出先で置き場に困ること、
置き忘れしやすいことです。

帽子はその人のスタイルを遠目から判断するときにチェックされますので、
ブランドや質感より、色のほうがずっと大事になってきます。

マフラーやストールとおそろいにするとか、
タイツと同じ色とか、
そんなちょっとした工夫をすることで、
ぐっとおしゃれに見えるようになります。

また、案外、流行に左右されないアイテムでもあります。
そのときにちょっと流行る形はあるけれども、
この形は時代遅れだとかというのは、あまりありません。
去年あたりからは、70年代風のブリムの広い、
ガルボハットと呼ばれるものが多く出ていますが、
それだって、前からあった形ですし、
それが出てきたからといって、ほかの形ではおかしいというわけでもありません。
つまり、自分に似合っていれば、
失敗の形というものがありません。

今は、色の種類も形も豊富に出ていますし、
値段も1万円以下のものがほとんどなので、
チャレンジしてみるといいと思います。


2013年9月8日日曜日

猫の近況

うちの猫のまるちゃんが、うちから脱走してから1カ月と10日余り。
今は、お隣のうちの庭を拠点として、
ほうぼうを歩きまわる、野良猫生活を満喫しています。

今朝も、お隣の庭にいて、
お隣の奥様から餌をもらうのをじっと待っていました。
その餌は、わたしがまるちゃんにあげてもらうよう、お願いしている餌で、
まるちゃんの大好きなロイヤルカナンです。

さっき、近づいていって、声をかけてみました。
名前を呼べば返事はちゃんとしますが、
つかまえようとすると逃げます。

猫というのは、家の中から外へ出てしまうと、
人格ならぬ猫格が変わるところがあり、
前はあまり鳴かない猫だったまるちゃんが、
やけに鳴いています。
たぶん、おうちには入りたくないんだようと、
言っているのだと思います。

そりゃあね、外の世界に比べたら、
うちの中はせまくて退屈でしょうから。

しかし、このまま野良猫をやっているのも、
決して安全ではないので、
次の作戦を立てました。
それは、お隣の奥様に毎朝、餌をあげつつ、
声をかけて、なつくようにしてもらい、
まるちゃんが家の中に入ったら、
わたしが受け取りにいくという作戦です。
きょうも、窓のところにへばりついていましたから、
うまくいけば、隣のおうちへ入ると思います。

それにしても、脱走して1カ月も家に入らなかった猫は、
今回が初めて。
日中はさっぱり姿を見ないので、
わたしの知らないご近所のエリアを歩いているか、
寝ているかのどちらかなのでしょう。
猫の世界を100パーセント理解するのは、
簡単なことではないようです。

2013年9月7日土曜日

遠くから見ても光るもの

ブランド名という記号ではなく、
つまり、ロゴなんかついていなくても、
まじかでまじまじと見たわけではなくても、
とびきり輝いて見えるものがあります。
わたしはそういうものを見つけると、
そこに目がくぎづけになってしまいます。

先日も、ファッション・レッスンにいらしてくれた方のシルバーのブレスレットが、
とてもすてきで、
気になって、気になって仕方なくなりました。
やけにそこだけ目立ちます。
最初からそれはどこのものなのか聞きたかったんだけれども、
終わるまで我慢して、
最後にどこのブランドなのか聞いてしまいました。
そうしたところ、その答えは、
エルメス、
でした。

エルメス・・・
わたしはエルメスのデザインにすごく詳しいわけではないので、
(時計ぐらいならわかりますが)
それを見ただけで、エルメスのものだとはわからなかったのです。
しかし、さすがエルメス。
知らない人にも、その魅力を勝手に伝えてきます。

ちゃんとしているブランドの、
ちゃんと作られたものには、
こういう力があります。
だから、わたしはブランドを否定しません。

そういうものは遠くから見ても、
光って見えます。
そしてその価値は時間によって、薄れていきません。
そのブレスレットも、お母様からいただいたものだそうで、
新品ではありませんでした。
(けれども、その使いこんだ感じが、いい味になっていました)

ゴミにならない、
そういう価値を持つものは、
長い目で見れば、
お金の節約にもつながります。

そういうものを少しずつ集めて、身につけるというのが、
おとなのおしゃれかなと思います。

2013年9月6日金曜日

思想家の装い

The Future Timesをきっかけにして、
きのう、以前から名前は知っていたけれど、
ちゃんと読んだことのなかった内田樹先生の文章を読みました。
読んでいるうちに、
あれ、なんか、わたしと似たことを言っているなと思って、
内田先生の経歴を調べると、
先生はもとはフランス現代思想の先生なのでした。
どおりで、似ているわけだ。

そして、ふと、わたしが大学時代に授業をとっていた先生のことを思い出しました。
名前は白井健三郎先生。
どこか違う大学から来ていた先生でした。
授業の名前は「フランス現代思想」で、出席していた学生は10人ほど。
今考えたら、つわものばかりです。

先生は、思想家とはこのような風貌をしているものなのかと思わせる、
ふけば飛びそうな体躯に、銀髪、そして全身グレーのコーディネイトでいつもいらっしゃいました。
その当時、このように全身グレーの装いの人は、
ほとんど見たことがありませんでした。
石造りの建物になじみ過ぎて、
ほとんど自分の正体を隠すような、
不思議な装いでした。

授業はほどほどに難しく、
しかし、寝た記憶もないので、そこそこに面白く、
ちゃんと1年間出席して、最後はレポート提出で終わりということになりました。
そのレポート提出に関しては思い出があります。

そのレポートの期限が、春休み期間中だったので、
わたしは大学に行くと電車賃がかかるため、
郵便局で速達で送ろうと思いました。
先生が指定したミッシェル・セールの「生成」を読んでのリポートです。
何を書いたかは覚えていませんが、
期限に間に合うように気をつけていたのは覚えています。
たしか期限の3日前だったと思います。
郵便局から速達で大学に提出しました。
しかし、後になってわかったのですが、
大学に問い合わせたら、わたしのレポートは期限を過ぎて大学に届いたとのことでした。
おかげでその単位はとれませんでした。

そのときがっかりしたのは、単位がとれなかったことではなく、
(もう単位は十分足りていたので)
白井先生にレポートを提出できなかったことでした。
せっかく難解なミッシェル・セールを読んで書いたのに、
先生には届かなかったことです。
遠くから教えに来ているのに、出ている学生は10人そこそこ。
あのうち何人がレポートを提出したかわかりません。
たぶん10人以下でしょう。
なんだか申し訳ない気持ちになりました。

あれから何年もたって、
今ではもう、あんなふうに、見るからに思想家という人は見たことがありません。
理想があって、その実現のために哲学や思想について、
たくさんの人が学んでいた時代の、
その最後の残滓のような存在だったのかもしれません。

2013年9月5日木曜日

名前をつければ

言葉と概念は貼り着いているので、
その概念の存在しない文化圏に、それをあらわす言葉はありません。
そうした場合、他の文化圏の言語をそのまま適用する場合は、大変多いです。
たとえば、最近では、デューデリジェンスとか。
日本語にはないので英語のままです。

英語文化がこんなに入ってくる前は、
きっと中国語のまま、使っていたと思われます。
ということは、つまり、中国語の文化をそのまま輸入したということ。

これは何も外の世界に限ったことではありません。
人間の内部でも、いまだ名前のついていない広大な海のようなエリアがあって、
それは発見されるのを待っています。

赤ちゃんは、「切ない」という気持ちがわかりません。
それは、赤ちゃんが自分の感情の中から、
「切ない」だけを切り取って、分割していないからです。
それはいつも悲しいという広いエリアの一部分です。

しかし、名前がついていない、またはその名前を知らないからといって、
そこに存在しないわけではありません。
それは、いつでも確固として存在して、影響を与え続けます。

マインドは自分が知っている名前でしか、考えることができませんから、
その範囲でしか、自分を認識できません。
それは、広大な海の遊泳可能エリアのように、
とても狭い範囲です。
安全だけれども、深く理解することはできません。
けれども、波はいつでも遠く沖のほうからやってきます。

キネシオロジーの練習をしていて、
(そう、キネシオロジーに対応する日本語も、ありません)
癒しとは、この広大なエリアに、みずからすすんで出ていって、
名前をつけたり、発見したり、切り取ったりする行為なのだということが、
なんとなくわかりました。
それはちょっと怖いです。
なんせ未知の世界ですから。
自分の中の未知の世界を探検するのですから、勇気がいります。

暗い深海に潜り込んで、
自分に影響を与え続けてきた対象を見つけて、
その部分を切り取って、
光で照らせば、
なぜだか、その黒いかたまりはとけていきます。
そして影響力を失います。

取り出して、名前をつけてしまえば、それは敵ではなかったとわかります。
野良猫を拾って、名前をつければ、
その日から、その猫とは友達になれるみたいに。

問題は、その深い海にどうやったら連れていけるかということです。
何かいい方法があるはず。
今は、それを探しています。

追記:きょう、おとめ座のサビアン「家系図」で新月だった!きのうは書くつもりだったのに、今朝はすっかり忘れてました~。どうしようかなあ。あとで書こうかなあ。悩む。


2013年9月4日水曜日

髪形から変えていく

気分を変えるのには髪形を変えるのが一番ということで、
ちょっと髪形を変えてみました。
変えるといっても、長くすることはできないので、
短くするのみですが。

ただ、ショートカットというのは、
それなりのわざがいるので、
この人なら切ってもらっても大丈夫と思える人に出会えるまで、
簡単には頼めません。
失敗すると、中学生みたいになるか、はたまた年配の方みたいになるか、
どちらかに転んでしまうからです。

今回、この人なら大丈夫そうという美容師さんに出会えたので、
お願いすることにしてみました。
おそれ多くも、アン・ハサウェイの写真を見せて。
(前のバングルは重いバージョンです。もちろん顔は似ても似つきませんが)

どうやったら、中学生風ではなくて、
ああいうショートになるのかなと思って、
カットを見ていたのですが、
本当に細かい微調整で、あんな感じに仕上がっていきました。
そのニュアンスが伝わらない美容師さんだと、
中学生に仕上がっているところでした。

そんなわけで、今、アン風ショートカットになったわけですが、
そうすると、また着ているもののバランスが気になりだします。
やっぱりまずは髪形。
服はそのあとです。

今までどおりだと、ボーイッシュ過ぎる感じがします。
単なるボーイッシュだと、それは80年代風なので、
何かが違う感じがします。
だから、どこかにフェミニン要素を足さないといけません。
それをどこにしようか、今、考え中。
流行りのシルエットも変わることだし、
ワードローブ全体の構成を、
ほんの少しずつですが、
変えようと思っているところです。


2013年9月3日火曜日

買いたくないもの

私が勤めていた、某一部上場アパレル企業のデザイナーは、
ドナ・キャランやアルマーニのスカート、ジャケットを会社の経費で買ってきて、
部下のものたちに、
「同じものを作れ」と指示していました。
90年代のことです。

私は、そんなふうにしてつくられたものは、絶対に買いたくありません。
それはいわば盗んだものです。
デザインの盗品です。
そんなものは、手にしたくもないのです。

同様に、にせものもの嫌です。
にせとわかって作っていて、
それで儲けようとする心の持ち主が作ったものを、
買うのはいやです。

そのほか、不当な労働や、違法な労働のもとつくられたものもいや。
でもそうやっていくと、
世の中のものはかなり除外されます。
特にファッションの世界では。

これらには一種の傲慢さがあると思うのです。
お金の価値に左右されている、
おごりの気持ちがあると思うのです。

安く作るんだから、パクリでいいだろうなんて、
どうしてそうなるんでしょう?
そして、お金で雇っているんだから、
あんたたち、私の指示に従って、デザインを盗みなさいよなんて、
どうして言えるんでしょう?
法律よりも、道徳よりも、人権よりも、お金の価値が上の世界観が、
そこにはあります。

そこからは遠く離れたい。
そのシステムから抜け出したい。

たくさんの罠に落ちないようにしつつ、
抜け出す方法の模索と実践が、
これからも続きます。



2013年9月2日月曜日

おすそ分け

ときたま、なんのために毎週ブログをアップしてるんだろうって、
自分でも疑問に思うときがあります。
アクセス数はわかるけれども、
それ以上、あんまり反応はないし。

そんなとき、アジカン(アジアンカンフージェネレーション)の後藤さんが発行している、
The Future Timesという新聞に(といっても、WEB上のしか見たことないけど)、
ブログで自分の知識をお金をもらわずいろいろ書いている人たちの、
その行為は、いわばおすそ分けなのだ、ということが書いてありました。
それは、煮物を作ったら、あまってしまったから、
隣のおうちにおすそわけする、あれと同じなのだと。

なるほど。
そのとおりです。

わたしの場合、ファッションについて書くには、
別に参考資料もいらないし、
わざわざどこかへ出かけて調べる必要もありません。
雑誌は買うけれど、それは好きだから買ってしまうだけで、
ブログのためにわざわざ買っているわけでもない。
もうすでに十分にある知識を、
あまってもったいないんで、隣の人におすそわけしているのと、
それは同じです。

仏教だったら、それはお布施。
自分のできることを、ほかの人たちに贈る行為。
お布施というのは、別にお金である必要はなく、
笑顔だけでも、言葉を投げかけるだけでも、
それはお布施となり得ます。

だから逆に、余ってないのだったら、
わざわざ買い足してまで、あげることもないわけです。
買い足してしまったら、おすそ分けではなくなってしまうから。

幸いなことに、
まだ余っている状態なので、どんどんおすそ分けできます。
そして、その余りがなくなったら、
そのときが終わりのときなのでしょう。
それがいつなのか、自分にもまだわかりませんが、
とりあえず、あまっている限り、
このおすそ分けは続けたいと思っています。


2013年9月1日日曜日

自分にぴったりのもの

暑い8月も今日で終わり。
明日からは9月です。

今年の夏は暑い日々が多くて、
街ゆく人の服装も、かなりゆるかったと思います。
ボトムの丈も短い人が多かったです。
ああいうミニスカートやほホットパンツは、
昔、お勤めの人が着る服ではなかったのだけれども、
今はどうやらいいみたいですね。
ミニスカートのOLさん風の人を多く見かけました。
それともあれは、会社にいってから、制服に着替えるのでしょうか?
わかりません。

最近、コレクションで発表されるようなモードの服と、
いっぱんの人が着る服が、より一層離れているように感じます。
また、流行を仕掛けても、不発に終わることも多いようです。
それとは逆に、ミニスカートは、
特にモードの世界では流行でないけれども、
たくさんの人が着ています。
(もちろんたくさん売ってるからというのもあるでしょうけど)

モードとして発信されるものと、
たくさんの人が着ているものと、
自分が本当に着たいものとが、
すべてばらばらになって、
状況は混とんとしてきました。
この混沌とした状況は今後、もっと進むでしょう。

そんなときは、
流される情報に惑わされず、
あおられてもそれに乗らず、
自分の感性を磨きつつ、
直感に従い、
好きなものを着てるのが一番です。

自分がしたいスタイルはこれだってわかったら、
そんなにたくさん欲しいとは思わなくなります。
だって、自分にぴったりのものなんて、
たくさん売ってはいないから。
やっぱりそこに戻ります。