2013年8月30日金曜日

発声

わたしは学生時代、ずっと演劇部にいたせいもあり、
発声にはうるさいです。
ここ何年か、自分の発声が悪く、
ちゃんと声が出ていない状態が続いていました。
ただ、この声が出ていないというのは、
音として声が出ていないという意味ではありません。
のどのチャクラが開いて、
自分の意思を世界に伝達するような声でが出ていなかったという意味です。
のどのチャクラは自分の意思と関連があるので、
開いていないと、それが伝わらないのです。

声が出ていても、のどのチャクラが閉じている人は、
しゃべっていることの意味が、なかなか外へ伝わっていきません。
それは声の大きさの問題ではありません。
わかりやすい例は、ファーストフードなどのレジの方。
しゃべってはいるのだけれども、
なにを言ってるかわからないときが多くあります。
あの発声の仕方は、のどのチャクラを閉じている話し方。
音は出しているけれど、意味が通じません。

一方、のどのチャクラがよく開いている人はどういう人かというと、
まず子供。
子供の声はとてもよく通ります。
透き通っていて、光のようです。
そして小さな声でも、言っていること、言いたいことはわかります。
(文法が間違っているというのは、また別の問題です)
それから歌手とか舞台俳優。
のどのチャクラが開いていない歌手や舞台俳優は、
歌詞やせりふが観衆に届きません。
生の舞台を見れば、それがわかります。

最近、わたしのとじていたのどのチャクラが、だんだん開いてきました。
まだ完全ではないけれど、
自分でも声が出ているのがわかります。
声がちゃんと出ていない期間、長かったな。
声が出ていないということは、
世の中に自分の意思がまったく通っていなかったということ。
ま、そのとおりなんですけどね。
今、改善されつつあるところです。

2013年8月29日木曜日

長持ちするもの

きのう自分で選んだものということを考えていて、
そんなもので、気に入って長持ちしているのは何かなと考えたら、
わたしの場合、それはまず箸でした。
買った場面まで鮮明に覚えています。

それは有楽町阪急で、友だちと映画の「御法度」を見る約束をして、
待ち合わせしていたときのこと。
1999年のことです。
早く着いたわたしは、有楽町阪急の中で、
江戸物産展みたいなものが催されていたので、
それを見ていたのでした。
そうしたところ、佃島あたりの漆器のお店が出店していて、
そこで当時はまだ珍しかった、五角形の塗りの箸を売っていました。
実演販売で、
この形のお箸だったら、豆の一粒もうまく取れますというようなことを言いながら、
売っていたと思います。

長いこと使いやすそうな箸を探していたわたしは思わず立ち止り、
その箸を買おうかどうしようか考えました。
というのも、あまり現金を持ち歩かないわたしは、そのとき、
お財布に1万円弱しかなかったのです。
しかも、そのときはカードも持って歩いていませんでした。
その箸の値段は5000円。
ここで箸を買って、映画を見て、電車賃をひいたら、
残りは2000円弱。
ご飯を食べにいこうということになったら、もう払えません。
5000円の箸は安くはありませんが、
手作りで、素材は黒檀、漆が塗ってあり、先が折れたりしたら修理もしてくれると言います。
そこまで考えたら、決して高いものではありません。

あんまり考えていたら、お店の方が消費税をまけてくれると言ってくれました。
こちらはそういうつもりで考えていたわけではなかったのですが、
そこまで言ってくれたので、やはり買うことにしました。
そして、そのとき買った箸は、今も美しいまま現役で、毎日使っています。
あのときの5000円は、むしろ安いくらいです。

わたしにとっての、この箸のようなものを、
毎日の中にもっとふやしていけたら、
すべてのものを大切にできるし、もっと豊かになるでしょう。
目先のことばかり考えて選択しないで、
もっと長い時間の視点の中で選択することが、
持続可能への道なんだと思います。


2013年8月28日水曜日

自分で選んだもの

システマティックな掃除と片付けの方法が知りたくて、
何冊か本を読みました。
その中のどれかに、
自分が使うタオルは自分で気に入ったものを買うといい、
というようなことが書かれていて、
なるほどと思いました。

いただきものを使っていると、
それが気に入っていればいいのですが、
そうでないと、
扱いがぞんざいになります。
自分で選んだとか、好きだという気持ちがないので、
どうでもいいものになってしまいます。

それを読んで、
わたしも先日、来客用のスリッパとして、
モロッコのバブーシュを注文しました。
ずっともらいもののスリッパを使っていたのですが、
自分で買うならバブーシュにしようと思っていたのです。

きのう、そのバブーシュが届いたのですが、
革のにおいがするので、ただいま日陰に干しています。

自分で選んだものでないと、
好きになれないので、
なかなか責任がとれません。
もたらされたもの、自分でいいと思っていないものについては、
投げやりな態度になります。
それはタオルでも、スリッパでも、
そのほか、もっと大きなことでも同じでしょう。

100パーセント、すべて自分で選んだ好きなものというわけには、
なかなかいきませんが、
少しずつでもそのパーセンテイジを上げていったら、
人生全体に責任を持てるのではないかと思います。
自分についても、100パーセント自分で選んだ、
つまり性格も能力も容姿も100パーセント自分で決めたものなんだと
思えたら、
人生は、少し変わるかもしれません。

2013年8月27日火曜日

試着のチェックポイントというのはつまり

きのうおしゃれブログのほうで、
試着する際のチェックポイントについて書きましたが、
これはつまり、服作りのときのチェックポイントです。
洋服を作る段階でどこをチェックし、
どこを修正していくかのポイントといっしょです。

たぶんこれは、昔のように、みなそれぞれが服を作っていた時代には、
なんとなく受け継がれていて、
特に考える必要もなかったんだと思います。
また西欧など、洋服の文化圏でも当たり前のことかもしれません。

ただ、もうすでに洋服を自前で作るということが少なくなったこと、
そして、決して洋服の歴史が長くはない日本に住む人たちにとっては、
どこを見るべきかというのは、わからないのだと思います。

文章の中にも書いたけれど、
これを書こうと思ったきっかけは、
雑誌のスタイリングで、脇線が前へ傾き、
前の裾が5センチも上がったまま、
得意げにドレスを着ている某モデルであり女優さんの写真を見たことです。
もちろん彼女が悪いわけではありません。
着せられているんだから。
だけを雑誌を作る側、
つまり、編集さんやスタイリストの方など、スタッフがこのことに気づいてない、
または気づいていてもそのまま無視して掲載してしまうということに、
大変驚いたからです。
洋服の基礎がわかっていないまま、
平気でいられるなんて、ちょっと信じられない。

誰かが教えてくれなかったとしても、
たくさんのいい服を見たり、着たりし続ければ、
着たときにどこをチェックすべきかは、
わかってくると思います。
それは、アルバイトの販売員さんとはレベルが違うはずですから。

プロが少なくなってしまったために、
服が合わなくても、それで大丈夫と言われてしまいそうです。
こちらも理論を知ってないと、反撃できず、
言われるがまま買ってしまいそう。

売るほうは売って終わりだけれども、
買うほうは違います。
家に帰って、もう一度着てみて、
それから次は1日じゅうその服を着てみたら、
なんだか変だとわかるでしょう。
なんか着にくいんだよね、このジャケットとわかるはず。
そしていずれ着なくなってしまいます。

Tシャツなんかは失敗してもたかがしれてますが、
コートやジャケットはしょっちゅう買うものではないし、
特に吟味が必要です。

そうやってハードルを上げていくと、
本当に自分に合うものは、とても少ないということがわかります。
自分にぴったりのものって、宝探しのようなものです。
こつはやっぱり根気よく探すこと。
それだけです。



2013年8月26日月曜日

靴から秋にするのもあり

朝晩はやっと涼しくなってきました。
湘南の夜は涼しいです。

この前、ショッピングモールの販売員さんが、
濃い茶色のノースリーブのシャツにダークブルーのジーンズ、
そして足元はブーツというスタイルでした。
暑いけれど、
色は秋色に、
そして足元だけはもう秋にというやり方です。
これはなかなかいいアイデア。

春先のまだ寒い時期にサンダルをはくと、
たいそうおしゃれに見えるものですが、
秋がくる前の、
まだ暑い時期に靴だけ秋にしてしまうというのも、
いいです。
あとは小物類もそれにあわせれば、
着ているものの薄さや長さはまだ夏でも、
秋の気分に転換できます。
私も9月に入ったら、ブーツをはくつもり。

そうそう、服のシルエットは大きく変わってしまいましたが、
靴の変化は少し遅いようです。
着るものが大きくなるので、
足もボリューム感があるものが出てくるでしょう。
ただ、どうやらヒールの靴は当分続きそう。
ボリュームのある服に、
ボリューム、しかもヒール靴というのが、
80年代とは違うところ。
まだまだみんな決定的なポイントを模索中なので、
確定するのはもう少し先、
たぶん二、三年後。
そしてそういうシルエットが市場を席巻するのは、
それ以降でしょう。
というわけで、こちらもこれだ、と完全に決定しないで、
様子を見るぐらいがちょうどいいです。
ただ、コートがビッグ・シルエットになるのは確かなので、
コート選びは慎重に。
これから長くお付き合いするアイテムですからね。




2013年8月25日日曜日

枠を手に入れたならば

犬の散歩に行こうと思って、
朝の6時前に起きましたが、
外は雨。
気温は22度。
秋を感じられる朝です。
小雨だったので、そのまま散歩へ行きましたが、
たくさんのとんぼが飛んでいました。

なんでもそうだと思うのですが、
枠があって、でもその中身は自由な場合、
いっけん、みな同じように見えても、
その枠の中は違います。

料理のレシピがあって、
それはもうすでに決まっているけれど、
じゃあ、誰が作っても同じものができるかというと、
そうではありません。

散歩のルートは決まっていて、
そこを歩いていくというのはそのとおりなんだけれども、
枠の中身は毎日違うし、
いろいろ工夫のしどころでもあります。

枠さえ手にすれば、それで成功したと思いがちだけれども、
レシピを知ったところで、
必ずしもおいしい料理ができるわけではないのと同じように、
その枠の中身をどうするか、
レシピという枠以外の部分をどうするか、
そこが問われます。
(もちろん、そんなの問わない人もいるけど)

楽譜もレシピもマニュアルも、同じように手に入れられる。
だけど、味が違うのは、
演奏が違うのは、
枠の問題ではないからです。

そんなことを思いながら、
わたしも今、枠の中身の部分をいろいろ試行錯誤しているところ。

もちろん枠がわからないと始められないわけで、
わたしが教えているファッション・レッスンはその枠の部分です。
枠がわかったならば、
中身をよくするためには練習と試行錯誤を繰り返すこと。
それは料理家もピアニストも同じです。
そして、その他のことも同じです。

2013年8月24日土曜日

スーツはどこへいく?

90年代から2000年にかけて、わりとスーツがはやっていました。
それは今、就職活動の方たちや接客の方が着ているようなものではなく、
もっとおしゃれなセットアップ。
必ずしも会社員のユニフォーム的なものではなくて、
デザイン性が高かったり、
スカートがフレアだったりと、
かなり選択の幅が広く、
日常のおしゃれ着として着られたのです。
真夏以外は、みな、よくスーツを着ていたものです。
わたしもヨージのスーツを着て、
どこへでも行っていました。

だけれども、2000年代になって、
服がタイトになったら、
ジャケットが小さくなってしまって、
スーツはだんだん着やすいものではなくなりました。
特にインナーにいろいろ着るのは無理な感じになりました。
よく見るとしても、ドラマの刑事役やキャリア・ウーマンの女優さんのスタイル、
または、コンサバな奥様たちの入学と卒業式のルックスが
メインでしょう。
あとは就職活動の無個性なスタイル。
おしゃれなスーツで遊びにも行く、という感じではなくなってきました。

で、これから新しい時代、どうなっていくのかなと考えると、
徐々に、デザイン性のある、つまりフォーマルな席や仕事着としてではない、
もっとリラックス感のあるスーツやセットアップが
出てくるのではないかと思います。
それは、シルエットが大きくなったから。
シルエットがある程度大きくないと、
遊びが生まれません。

堅苦しいものばかりになってしまったスーツですが、
そろそろ楽しいものへと戻ってきそうです。
そういえば、おしゃれブログのほうに、
「スーツ」というテーマで書いたことなかったな。

もうちょっと遊び心のあるスーツが出てきたころには、
書こうと思います。

2013年8月23日金曜日

服なんて、その程度のもの

ファッション・レッスンで、
よっぽどなもの、
たとえば絶対値下げはしないであるとか、
オーダーメイドであるとか以外の服は、
定価で買う必要がないと常々言っているのですが、
それはなんでかというと、
服なんかにお金をかけても、
人間的な成長とか、自分の力をつけることにはならないからです。

ブンカの学生だったり、アパレル会社にいたりして、
そのころから服にものすごいお金をかける人たちを知っていましたが、
その人たちが、服にお金をかけたおかげで、
人間的に成長したとか、
実力がついたということは、一切ありません。
これは断言できます。

だから若い人ほど、服なんかにお金をかける必要はないです。
それより自分を磨くために使ったほうがよっぽどいい。
同じ額で外国へ旅行できるのだったら、
そっちのほうがいいです。
思い出は朽ちない。
けれども、服は朽ちてなくなっていきます。

おしゃれに見えるかどうかと、
洋服にお金をかけた額は、まったく関係がないとも言い切れないけれど、
ふつうの人のふつうのおしゃれには、
そんな高額な服はいりません。
もちろん、長く着続けたいからいいコートを着るというのはあります。
そのための投資はいいです。
ただ、それは長期的に見てお金がかからない方法だからで、
毎年毎年、服を次々に買って捨てていくためではありません。

服をいくらたくさん持っていても、
なんの人間としての豊かさにつながらないのも同じこと。

前にその3枚で1枚のカシミアニットを買いましょうと書いたけれども、
その3枚を1枚にして、
お金をためて旅行にでも行くか、
何か習い事のためにでも使うかしたほうが、
人生は豊かになります。
服なんて、ほんとに、その程度のものです。
決して、人生で一番重要なものではないと、
わたしは思っています。

2013年8月20日火曜日

マーケッティングの果ての姿

きのうは整体へ行きました。
顎関節症は徐々に改善され、
かくかく言っていたあごが、今はみしみし言っています。
ただ、そんなに簡単には100パーセント治りませんね。

行ったついでに、近くのちょっとしゃれているモールへ行きました。
少しは秋物が出ているかなと思って。
といっても、買うつもりではなく、あくまで見るだけ。

案の定、ショップのほとんどはまだセール状態。
秋物があったとしてもごく一部。
秋物だけを全面にばーんと打ち出しているショップは数店ほどでした。

一回り見たけれど、
わくわくするようなものはほとんどありません。
どうしてかって、
遅いんです。
遅すぎ。

マーケッティングって、しょせん過去の情報の集積でしょ。
そのうえで商品を作ってるから、
それは過去の思考があらわれたもの。
新しい服なのに古いんです、考え方が。

たぶん、デザイナーのデザイン力が急激に落ちています。
もしかして、デザイナー自体も外注なのかもしれません。
詳しいことは知りませんが。

そんな中で、私がここはいいと思ったのは、
オニツカタイガーのショップ。
スニーカーのデザインもきちんと新しい方向性を示しているし、
それにあわせたアパレルもオリジナル性があり、
かつ、行きすぎたデザインでもなく、ちょうどいい塩梅。
リバティプリントのスニーカーが1万円だったけど、
それもなかなかよく、コーディネイトのポイントに使えるデザインでした。

流行の流れが変わっていくとき、
マーケッティングに頼って服作りをしてきたブランドは惨敗します。
過去を向いているのか、
未来を向いているのか、
作っているものを見れば、わかってしまうからです。

2013年8月19日月曜日

秋色をひとあし先に

夕方の風の中には、はっきりと秋を感じるようになりました。
うちは海から近くはないのですが、
この時期の南風は、明らかに海からの風です。
少し湿気を含んだ、勢いよく吹いていく風と、
夜空の星が冴えてきたのを見ると、
季節はしっかりとうつっているのだとわかります。

秋に近づくのに、
気温だけが夏のままのこの時期は、
1年でもっとも何を着たらいいのかわからない時期なのではないかと思います。
たぶん、気温が下がるには、あと1カ月はかかるでしょう。

だけど、やっぱり光は違うんです。
8月の終わりの海水浴場が、
なんとなくさびしい感じなのと同じように、
夏色の服のままでは、なんとなく違和感があり、
そのから元気がさびしく見えます。

そんな感じにならないためには、
色を変えるのがいいと思います。
半袖やノースリーブだとしても、
秋色のものを着る。
栗やぶどうをなど、秋を連想させるようなものと同じような色を、
どこか1色付け足す。
そんなふうにして、
気分だけは秋を先取りすると、
それだけでおしゃれに見えます。
季節の先取りというのは、
いつだって、おしゃれに見える基本ですからね。






2013年8月17日土曜日

今年の秋冬、どんなかな?

お盆が終わって、
といっても、まだまだ気温が高い日が続きそうですが、
それでも朝晩は涼しくなり、
太陽の光は、確実に傾いています。

そうなると、秋冬もののことを考える季節の到来。
昔は、9月になると、なんだかすっかり秋気分だったのですが、
最近、秋を感じるのは10月になってからでしょうか。
それまでの約1カ月、秋冬は何を付け足そうか、考えるのに最適な時期です。
まだ暑いのに、さわるウールがたまらない!
(これは一部の人でしょうけど)

さて、前々から書いているように、
シルエットの大きな変化を迎えている今シーズン、
わたしが次に出てくるだろうなと予想しているのは、
ボリュームのあるスカートです。
しかもひざ下からロング丈。

今年の夏はかなりロングのワンピースが定着したと思うので、
秋冬は、これの秋冬バージョンが出てくるでしょう。
特に、ひざ下またはロング丈で、しかもボリュームのあるスカートは、
最近ずっと流行っていなかったので、
多くの人のワードローブにはないはず。
50年代のディオール風の、フィット・アンド・フレアの
ひざ下丈のフレア・スカートなんていうのは、かなり出てくると思います。
あとは、ウールのもさっとしたロング丈かな。

とにかくシルエットが変わると、バランスが変わってしまうので、
ほんのちょっとずつですが、今までの流行のものを着ると、
違和感を感じるようになります。
特にジャケットやコートは顕著です。
流行りものであればあるほど、その違和感は大きいです。

逆に、ジャケットやコートをオーソドックスで、
シンプルなデザインのものでそろえていた場合、
ほとんど違和感は感じないはず。
じゃ、これまでの流行りものって何なのかといえば、
身幅、肩幅がタイト、ウエスト位置が高めなものでしょう。
中にほとんど着こめないタイプのジャケットやコートです。

新しいバランスを提案している、とてもいいお手本だなと思うブランドはアクネ
アクネが今、発表しているスタイルは、
これから主流になるバランスです。
(特にジャケットとコートの分量感に注目。ここね。)

一気にこのバランスを作るのは無理だけれど、
徐々に移行していくため、今年は何を付け足すか、
ゆっくり考えていきましょう。
まだ暑いけどね。

2013年8月15日木曜日

眉は太くなる

facebookのBritish Vogueの投稿に、
カーラ・デルヴィーニュのため、眉毛はもう抜かないのだ、
みたいなことが書いてありました。

もちろん、流行を牽引する人の出現の影響もありますが、
眉毛が太くなってくるのは、それだけが理由ではないと思います。

80年代、太い眉毛が流行しました。
当時、太眉で有名だったのがブルック・シールズ。
ブルック・シールズの美少女っぷりはすごかったです。

80年代のファッションの特徴はビッグ・シルエット。
肩幅も、襟の大きさも、見幅も、すべての部分が大き目に作ってありました。
この大き目なシルエットには、細い眉よりも、太い眉のほうが合うと思うのです。

服がタイトになるに比例して、眉毛も細くなっていきました。
感覚的な問題ですが、
なんとなく、みんな、ぴったりしたものに太い眉毛は、
合わないなと思い始めたのではないかと思います。

(例外もありますね。ボディコンのお姉さんたちの眉毛は太めでした。
ただ、髪の毛のボリュームはビッグでした)

太くて整った眉が復活しますので、
そろそろ眉毛の育毛を始めたほうがよいのかも。
抜いたところは生えにくいと言いますから。

眉毛が太くなっていったら、
メイク全体のバランスも変わるでしょう。
眉毛が太くなるにつれて、口紅の色が濃くなるかもしれません。
今年の秋冬は、みんなが飛びつくかどうかは別にして、
赤い口紅が数多く提案されるかもしれませんね。
ただ、80年代と同じということはないので、
新しい提案です。
柔軟に、適度に取り入れるのが賢いと思います。

2013年8月14日水曜日

流行はほどほどに

きのうはスピカ食という、恒星スピカの前を月が通り、
スピカが一瞬、見えなくなるという天体現象の日でした。
外に出て見てみたのですが、やはり肉眼では見えませんでした。
あと、ペルセウス座流星群もピークですね。
うちのほうはきのうかなり雲が出ていたので、
あきらめて寝てしまいました。

スピカ食を観察し終わったら、
なぜか、聖子ちゃんが聞きたくなり、
You Tubeで古い歌を聴き始めました。
そうしたら、またしても、止まらなくなり、
次々と見てしまいました。

そのうち気づいたのは、
歌詞も曲も声も古びれないのに、
服とメイクだけはやけに古臭いということです。
流行を取り入れた舞台衣装という性質上、
やむを得ないことだとは思いますが、
今から見ると、
これの一体どこが素敵と思って、当時はそうしたのだろう?
という衣装ばかりです。
同じ曲を80年代も、90年代も、2000年代も歌っていますので、
そのたびに着ているものが変わります。

CDで聞いただけなら、この妙な違和感には気づかないでしょうけれども、
映像があると、歌よりもそこばかりに目が行ってしまいます。
なぜその襟なの?とか、なぜその白い変な長さのレギンスをはくの?とか。

けれども、その当時、それはきっと流行の最先端で、
なんだかとても素敵に思えていたのでしょう。
しかし、後になって見てみると、
理解不能なのです。

そんな中で、いちばんほっとしたのは、
デビューしてすぐのころの、
メイクも薄く、ドレスも飾りの少ない白いワンピースのときのもの。
形こそアイドルのための衣装ですが、
やり過ぎてないので、いちばん見られます。

流行はほどほどに取り入れるほうがいいです。
やり過ぎれば過ぎるほど、
後から考えたら、
どうしてあんな格好がよかったのだろうか、
理解できません。
理解できないだけではなくて、
どちらかというと、恥ずかしいです。

それにしても、曲自体が古びれないというのは、
本当にすごい。
今聞いても新鮮だし、もう一度聞きたいと思えます。
特に、松本隆さんの詞は秀逸。
あの言葉づかいで、
物語をつむいだら、さぞかし素敵なお話だろうと思います。
服も、あんなふうに、古びれないセンスのものを選ぶのが一番いいのですけれど、
それはなかなか難しくて、永遠の課題です。

2013年8月13日火曜日

シルエットとシャツの裾

最近、タイトではないデザインのパンツがどんどんふえてきました。
ウエストにタックが入ったものや、
全体が太いワイドパンツ。
パンツのシルエットが大きくなると、
シャツの裾は外に出しているのではなく、
中に入れることになります。

ニットだったら入れませんが、
太いシルエットのパンツに、
シャツの裾を外で出すと、
全体のバランスがとりにくいです。
ボトムが太いので、
どこかでしめるところを見せたくなるわけです。
そうなると、シャツの裾は中に入れます。

長いこと、パンツにシャツの裾は外が続いていましたけれども、
これからはだんだん入ってきます。
そうなると、ベルトが目立つようになってきますので、
ベルトのおしゃれができるようになります。
パンツに裾を外の時代は、
いいデザインのベルトがあまり売っていませんでした。
でもこれからは出てくるでしょう。

シルエットが変わっていく時期は、
小物にも変化あり、ということですね。

2013年8月11日日曜日

気温35度以上の日

再び暑さが戻ってきました。
やっぱり、35度を超えたら、洋服のおしゃれなんか無理なのではないでしょうか。
洋服、つまり西洋の服は、気温35度を前提として作られてはいないと思います。

3,4年前でしょうか。
袖のないジャケット、つまりベストにテイラードカラーがついたような形のものを、
デザイナーが多く提案しましたが、
あれも流行りませんでした。
少なくとも、わたしは街であの袖なしジャケットを着ている人を見たことがありません。
真夏でも、あれはやはり暑すぎると思います。
けれども、それ以外、これといって暑すぎる日のファッションは提案されていません。

襟にこだわる西洋服は、
真夏の暑さに負けます。
暑いと、限りなく襟はいらないと思えます。
ネックの広く開いたもの、
そして襟などついていないものを着たくなるのは当然です。

暑い国々の伝統的な衣装は、
どれも首元が開いています。
襟でつめたりしません。

この暑さの中でも、ビジネスマンの方々はスーツ姿で、
尊敬します。
あの汗だくになったスーツは、水洗いできるのかしら?
ドライクリーニングは石油系なので、気持ち悪いですね。
高校生の男子の黒い長ズボンも暑いだろうな。
木綿のサッカー地かなんかで作ればいいのにね。
彼らは真夏でも部活動で学校に通いますから。
女子はスカートを超ミニにしてしのいでいますが、
あれもいっそ、短パンにしちゃったらいいじゃないと思いますけど。

気温35度以上の夏のための服は、
まだ真剣に考えられていません。

まだまだ改良の余地があります。
すべて出尽くしたように見えて、
まだまだないものは、こんなところにもあります。

考えていけば、もっといい方法やスタイルが、
あるはずだと思います。

というわけで、気温35度以上の日のための服は、
まだまだないですね、というお話でした。


2013年8月10日土曜日

ロックな彼女

先日、駅のホームの待合室に、
ロックな装いの女の人が座っていました。

ビーチサンダルは黒、
黒のスキニー・ジーンズ、
黒い帽子、
持っている扇子も黒、
長袖のシャツだけは水色のサテン。
指には蛇の指輪、
胸元には、髑髏のチャームのついたロングネックレス。

彼女自身も、ものすごくやせていて、
頬はこけ、
真っ黒なロングヘアーです。

はっきり言って、湘南には似合いません。
真夏には、暑苦しいです。
ただ、この暑い中、
自分の主張を通すというのは潔いなと思いました。
ふつうは状況や気候を考えて、
なかなかあそこまで貫けません。

ひるがえって、私もあのスタイル、するかしらと考えたら、
いや、わたしはあれはしないだろうなと思いました。
髑髏のネックレスはしないなあ。

ロック・スタイルって、いつの時代にもあるけれども、
決してメイン・ストリームにはなりません。
だけれども、あのスタイルが好きという人は必ずいて、
流行と関係なく、続けています。

そのロックな彼女は、
冬になったらどんな格好するのだろう?
やっぱり黒い革のライダーズ・ジャケットかしら。
それとも、黒いダッフルコートにエンジニア・ブーツ?
想像すると、楽しいです。





2013年8月9日金曜日

早寝早起き

早寝早起きの毎日です。
きっかけは、なんてことはない、光熱費の節約のために早寝したから。
真冬の夜は、夜が更けるほど、寒くなります。
うちは灯油ストーブを使っているので、
時間が遅くなればなるほど、灯油がぼんぼん燃えているのがわかって、
これはもったいないなあと思いました。

で、思いついたのが早く寝てしまうこと。
わたしは夜出歩かないし、
テレビもないから見ないので、
別に夜遅くまで起きている必要はありません。
湯たんぽ持参でさっさとベッドに入ったら、
早い時間でもすんなり眠れました。
冬の寒いときには9時半ごろ寝てたかな。

そうしたら、自然と朝起きるのが早くなりました。
早寝早起きは、早起きから始めようとすると挫折するけれど、
早寝から始めると、すんなりうまくいきます。
最近も、遅くとも22時には寝てしまいます。

ただ、完全に生活時間がその時間帯になってしまったので、
今度は遅くまで起きてるのが苦手になりました。
22時過ぎるともう限界。
たぶん、ふつうの感覚では22時が24時ぐらいな感じ。

でも、であるからこそ、朝は目覚ましなしでも早く目が覚めます。
ありがたいことに、旅行に行くときぐらいしか、
目覚ましの必要がありません。
もうずっと、あの不快な目覚まし音で起きるというのをやっていないです。
だいたい、予定どおりに目が覚めます。

今は大体、朝6時に犬の散歩。
日中ほど暑くはないけれど、
それでもうちに戻ってくると、汗だくになっています。
シャワーを浴びて、一息ついたらブログを書きます。

光熱費の節約はいろいろやってみたけれど、
早寝早起きが一番簡単で、
効果があるようです。

2013年8月8日木曜日

Modern Love


きのう、デヴィッド・ボウイのValentine's Dayのビデオをユーチューブで探してみていたら、
画面の右にModern Loveのライブ映像があることに気づき、
見てみました。
Modern Loveは、私が何度も繰り返し聞いた、「Let’s Dance」アルバムの中の曲です。
歌詞の出だしはこんな感じ。

I catch a paper boy
But things don't really change
I'm standing in the wind
But I never wave bye-bye
But I try, I try

そこで気づきました。
絶望とあきらめにひたるのは簡単だし、
今のトレンドだけれども、
それを選ぶのはエゴなんだと。

どうせこんなもんだとか、
よくなるわけがないとか、
何をやっても変わらないとか、
つまらなくて当たり前とか、
自分が生きていることをなえさせるような、
一見、正当なように見えて、
実はまったく中身のない、その考えは、
エゴから出たものです。
魂は、絶対にあきらめない。

もちろんエゴの声に従って生きるのを選択するのは自由です。
それをやめろとは言いません。
でも私はそれがエゴだって気づいたし、
魂を信じているので、
そんなふうに生きるつもりはありません。

同時に気づいたのは、
美しさとは、魂の声を聞いて生きている人の中にあるのだということ。
エゴに従って生きている人たちの、
あの独特の生気のなさからは、
美しさは生まれないのです。

絶望に押しつぶされそうになったら、
それはエゴの声だって気づけばいい。
そんなもの、信じる必要はありません。

Modern Loveの歌詞はこう終わります。

Don't believe in modern love.

☆写真:近所のオーガニック農家さんの無農薬のりんご。りんごは農薬かけないと育たないとか、エゴの声を聞いてたら、作れない。




2013年8月6日火曜日

ネットは魅力的だけれども

ipadもkindleも持ってはいないのですが、
たとえば、British Vogueがipadで購読できることを知ったら、
紙の媒体も、そろそろ終わりなのかもなと思います。
特に雑誌のように、何年たっても何回も読み返すようなものではなく、
情報としてのものは、そろそろ紙にこだわる必要はないのかも。

読書は、絶対、紙に書いてある字のほうが好きだし、
読みやすいのですが、
イメージをどんどんおっていく雑誌の場合、
紙である必要性はどんどん薄れていくでしょうね。
しかも、evenoteに張り付けてしまえば、
スクラップもできるし。

最近は雑誌でも、まずは紙で発表して、
古い記事はネットで無料で読めるようなところがふえています。
雑誌という宿命上、古くなったものは、
価値がぐっと下がってしまうわけです。

ただ、マップを作るには、
まだ紙の媒体が必要。
瞬時にたくさんのものを見て、
そこからピックアップしていくという作業は、
ネット上ではやりにくいです。
手を動かしていく過程でのインプットというのもあるし。


パソコンですべてすまそうとすると、
圧倒的に体全体の動作が減ります。
そうすると、感動は薄くなり、
記憶はあいまいになる。
映画だって、大画面で見たほうが、
体への浸透度は高いでしょう。

また、動きというのは脳に影響を与えるので、
それを軽く見てはいけないです。

記憶という面ではどうなんでしょう?
ネットで見たものと、
実際にでかけて見たものとは、
やっぱり違うでしょうね。
そんなことを考えていたら、
昔、見たマン・レイの写真の数々を思い出しました。
オリジナルプリントをじかで見るという体験は、
体にしみこんで、いつまでも忘れません。


2013年8月5日月曜日

お金に換算できないもの

夏になって、
庭の雑草ののびる速度が著しいです。
あのパワーはどこから生まれるのだろう?
1週間前に草取りをしたばかりなのに、
もうほぼもとに戻っています。

庭仕事をしていると、
自分の思う通りにいかないことだらけです。
雑草はのびるし、虫はとんできて、バラを食い荒らすし。
だけれども、同時に贈り物もたくさんあります。

今年もうちのいちじくの木には、
実がたくさんなっています。
この木は、ほとんど手入れというものをしていません。
冬になったら、短く切るだけで、
あとは肥料もやらない。
それでも毎年、実がなります。

哲学者のサティシュ・クマールさんは、
人間が作っているものの材料は、
自然がすべてただでくれたものだと、おっしゃっていたけれど、
本当にそのとおりです。

宝石だって、石油だって、果物だって、木綿だって、
人間は加工はしただろうけれども、
もとはただのもの。
加工賃や育てたお金は人間にはらったけれども、
自然にはお返ししていません。
ましてや、お金なんかでは。

女の人が生み出す力も、
これに近いのではないかしら。
優しい言葉や、話を聞く能力、
本来、お金に換算できないもの。

厳密に言うと、
これは女の人ではなくて、女性性の生み出す力です。
だから、男性にもそれはある。
女性性を発揮すれば。

それから、音楽や芸術なんかも、
本当はお金と交換するものではなかったでしょう。
また、シャーマンによるヒーリングも。

ローカル、スモール、そしてお金では換算できない価値の交換。
こんなことが、これからの時代のヒントだと、
再び考えています。

2013年8月3日土曜日

道具はけちらない

長持ちするものは多少高価なものでもよいというのは、
洋服以外にも言えます。
これからわたしたちに必要なのは、
安い消費財をどんどん消費し続けることではなくて、
よいものを長く持ち続けること、
そして、 何かを生み出す道具にお金をかけることではないかしら。

たとえば、裁断ばさみ。
わたしはブンカのときに教材として買った、木屋の裁断ばさみを今でも使い続けていますが、
まったくへたれることなく、まだまだ何年も使うことが可能です。
たぶん、死ぬまで買いかえる必要はありません。

一生ものの道具というものは、
通常、値段が少し高めだけれども、
買いかえる必要がないということ、
修理ができること、
そしてなにより、そこから新しいものが生み出されるわけだから、
決して高いということはありません。
やっぱりそこをけちってはだめ。

わたしは鍋も、ビタクラフトが気に入っていて、
2つのビタクラフトの鍋を毎日使っていますが、
これも、もし壊れたとしても修理が可能です。
毎日の料理を生み出す鍋も、修理可能で、
長持ちするものというのが正解だと思います。

もちろん、いい道具があるだけではだめで、
それを使って自分自身が何かを生み出さなければいけません。
道具があれば、
いろいろなものが作りだせる能力こそが、
本当の豊かさであり、
これからの時代、もっとも必要なものだと思います。



2013年8月2日金曜日

柄物と柄物は難しいけれど

柄物と柄物を組み合わせるのはとても難しいです。
白いキャンバスに絵を描くのとは違って、
もうすでにある柄と柄の色をマッチさせるのは、
できないとは言いませんが、
かなり高度なテクニックです。

この前、British Vogueのホームページを見ていたら、
今売っている号の中のスタイリングで、
フレヤ(モデル)が、ブルーのストライプのシャツに、
ひょう柄のコートを組み合わせた写真が載っていて、
やられた、と思いました。
 ブルーのストライプとひょう柄が、合うのです。

雑誌に載っているコーディネイトで、
柄物と柄物を組み合わせているものの多くは、
同シーズンの同ブランドでそろえたものです。
それだったら、白いキャンバスから始めるのと同じで、
デザイナーは何もないところから柄物同士を考えているので、
合います。

だけれども、違うブランド同士で柄物と柄物を組み合わせるのは、
とても難しいです。
フレヤの、このスタイリングは、ひょう柄以外のところはブルー系でまとめて、
アクセントとしてひょう柄を持ってきています。
そうすることで、ブルーはストライプという柄であったとしても、
無理なく柄物同士が組み合わされていました。

これを応用するなら、
たとえば、全身はブルー系で統一。
その中にチェック、またはブルーと黒または茶の2色の柄物を入れて、
足元、またはバッグだけひょう柄というのはありだと思います。

ひょう柄って、もしかして、花柄よりも、受け入れる範囲が広いのかも。
わたしも昔、ひょう柄のベルトを持っていて、
よくジーンズにしていましたが、
ブルーとの相性はよかったです。
ひょう柄、使う面積を広くしなければ、
案外、使えそうな柄です。





2013年8月1日木曜日

猫は近所にいる

きのうの夜は、猫騒動で遅くまでかかってしまったので、
ちょっと寝坊。

毎朝6時にうちの周辺を猫を探して歩いていたのですが、
まったく見当たらず。
そもそも猫なんて歩いていません。

ただ、今回、脱走したまるちゃんは、
もと野良猫なので、うちの周囲の地理は知っているはずです。

しかもこのところ毎日のように雨が降っていたので、
汚れた地面だと、猫は嫌がって歩かない。

そうしたら、きのうの夜10時ごろ、
外で猫の鳴き声が聞こえました。
しかもちょっと聞き覚えのある声が。
ただし、姿はまったく見えません。

外に出て、うちの裏を見てみたら、
なんと、物置の屋根の上で、まるちゃんが鳴いているではないですか。
一体どういうつもり?

どうやってのぼったのかよくわからないけれど、
どうやっておりるのかもよくわかりません。
とりあえず、いつもの餌を持っていったら、
そんなに食いついてこない。
餌でつれないとなったら、もうどうしようもないです。
少し待っていましたが、屋根の上で鳴いているだけで、
どうしたいのかよくわかりません。

1時間もねばったでしょうか。
最終手段として、植物の支柱で、無理やり下におろそうとしたところ、
おりたのはいいんだけど、
また隣の畑に入って、どこかへ行ってしまいました。
というわけで、今朝はまだつかまっていません。

だけれども、もう帰ってきているのはわかったし、
どうやら、帰る意思があるのもわかったので、
また今晩、帰ってくるのを待つことにしました。

それにしても、雌猫も1週間も旅に出るのですね。
何をしていたのだろう?
それは謎です。