2013年5月31日金曜日

ギャランスもシンプル・ワードローブ?


ブログのSartorealistをチェックするついでに、
そのガールフレンド(と思われる)、ギャランス・ドレさんのブログも時々チェックします。

で、きのう最近見てなかったなと思いチェックしたところ、
ギャランスも、洋服をもっと少なくしたい、少なく、そしていいものを買う、
着ないものはワードローブから出した、わたしの周りの人も同じようなこと言ってるわ、
と書いていました。
http://www.garancedore.fr/2013/05/29/my-new-ten-commandments-of-style-ok-five/

そして、これからは、
少なくする、
少なく、そしていいものを買う、
パーフェクトなもの選ぶなど、
ワードローブの構築の方針を述べています。
(あとは、わたしはジゼルじゃない!とか書いています)

洋服をたくさん持っていて、
けれども、その中で着ているものはごく少数というのは、
世界の都市に住む人たちの共通の悩みなのかもしれません。
ただ、今までは、
ファッションの側の人から、こういうことを言う人は少なかったと思います。

ファッションの側にいると、どうしても、
より新しいもの、
たくさんのもの、
どんどん買い替える、
という方向に流されてしまって、
なかなかそこから抜け出すことも、違うよと声を上げることもできません。
そこから抜け出るには、
一歩下がった、より客観的な視点と視野が必要になります。

どちらにしても、ここ何年かのあいだに、
人々が多くの服を抱え込むようになってしまったというのは事実だと思います。
境目は80年代なのかなあ。
ファストファッションの出現で、その傾向にさらに拍車がかかりましたし。

これからは、好き嫌いの感性だけでは足りなくて、
ワードローブの構築にも知性が必要ということですね。

☆写真:なんか見てる。そこには何もないんですけど・・・

2013年5月30日木曜日

大人の服はどこで買う?

このところ、立て続けに、ファッション・レッスンで、
服をどこで買っていいかわからないというご質問をいただきました。

日本は30歳前後のターゲットのお店はたくさんあります。
だけど、そろそろそこを卒業しようと思ったとき、
次に行くところがないと。
ビームス、ユナイテッド・アローズ、ジャーナル・スタンダードとまわっていればよかったのに、
なんとなく、もうそこは違うなと思うけど、次、どこへ行っていいかわからないという。

正直な話、わたしもお店についてはよく知りません。
わたしが住んでいる近くには、定期的に行ってチェックするようなお店もないし、
だいたい、定価では買わないし。

昔はそこの年代の服はデパートへ行って買うことが多かったんだと思います。
伊勢丹だったり、あと、西武も昔はよかったです。
でも今、新宿伊勢丹は除いて、ふつうの地方のデパートって、
ラルフ・ローレンなんかは入っているでしょうが、
それ以上はないという感じではないでしょうか。
(少なくとも、うちの近く、藤沢とか町田とかはそうです)

で、近くに行くお店はありませんが、
わたしがいいなと思っているお店、ないことはないんです。
ただ、ネットでチェックしていて、行ったことがないんで、
絶対お勧めとかは言えません。

どういうお店がいいかというと、
セレクト・ショップで、オーナーさんみずからがヨーロッパなどで買い付けをしているお店。
買い付けするのがオーナーさんなので、その人のセレクトが気に入れば、
けっこういいのではないかと思います。

行ったことはもちろんないのですが、わたしがときどきネットでチェックしている、
そういうセレクトショップは、
札幌のフォルトゥーナさん(http://fortuna.frenchkiss.jp/)と、
京都のアモモさん(http://www.rakuten.co.jp/amomo/)。
フォルトゥーナさんはミキ・ミアリーが豊富にあり、
この前はデザイナーのミキさんを招いてのパーティーまであったようです。

アモモさは、オーナーさんの買い付けの模様がブログにアップされていて、
これもとても面白い。
ちゃんとヨーロッパの工場まで行って、現場を見てくるなんて、
なかなかできるものではありません。


こういう、ここのオーナーのセレクトが好きなんだよなというショップを見つけておくと、
いいのではないかと思いますが、
そこを見つけるまでが難しいんですよね。
そういうわたしも、地元では、見つかっていません。

でもこういった大企業、大資本に頼らず、地道にやっている人たちを応援するのは、
とてもいいことだと思います。

2013年5月29日水曜日

What are little girls made of?

マザーグースの歌にWhat are little boys made of?
というのがありまして、
その2番はこんな感じです。
What are little girls made of?
What are little girls made of?
Sugar and spice And all that's nice,
That's what little girls are made of.

この前、レディー・ガガの「Marry the Night」のミュージックビデオを見ていて、
この人って、こういう経験から今の姿になったんだということがわかりました。
(ちなみに、わたしはガガについて、あんまり詳しくないです)
表現されているのは過去の傷。
彼女は傷ついたアーティストなんですね。

たとえば、女優さんなんかも、けっこう浮き沈みの激しい人生を送っていたりして、
それが彼女たちの力になり、大女優となっていきます。
傷とか悲しみとか葛藤がないと、人々の心に訴える演技をすることはできません。

また、画家やミュージシャンといったアーティストも、
やはり人生の陰の部分を経験していないと、
うわっつらだけの、きれいな作品しか作れない人になってしまいます。
逆に言えば、どれだけ陰の部分を表現できるかが、
本物のアーティストと、単に美しいものを作る人との境目になるわけです。
そして、それを見抜くのが目利きです。
(ということはつまり、目利きもそれだけの陰の体験が必要だということかもしれません)

残念なことに、陰がないと、陽が輝きません。
陰陽の落差が激しいのが、こういったアーティストであり、
それ以外の人々には、そういった経験は必要ないようです。
これはどちらがいいとか悪いとかの問題ではなく、
この世に生まれた役割が違ったということでしょう。

今、理由のわからない、いつ終わりがくるとも思えないような陰の体験をしている人たちにも、
きっとそれなりのお役目があるのだと思います。
その意味は、少し後にならないとわからないでしょうが、
いつかきっとその日は来ると、わたしは思います。

2013年5月28日火曜日

ファッションの発信国

1990年から2012年ぐらいまで、
ファッションの世界を今振り返ってみると、
割とアメリカのブランドや、アメリカ出身のデザイナーの影響が、
強かったと思います。
カジュアルでクリーンなイメージが、ハイブランドからファストブランドまで、
浸透していましたし、新しいブランドもどんどんふえていきました。
それまではラルフ・ローレン、ドナ・キャラン、カルバン・クラインがメインだったと思いますが、
フィリップ・リムとかアレキサンダー・ワンなど、次々と違うブランドが登場して、
その影響は世界じゅうに広まったと思います。

ただ、ここへきて、その勢いもそろそろ終わりかもなあと感じるようになりました。
アメリカン・ブランドの得意とするカジュアル、クリーンなイメージでは、
やっぱりなにか物足りないというか、
あいまいな言い方だと、気分が違うというか。
たくさん見ていると、そんな感じがします。

じゃあ、次はどこなのかというと、それはわからないのですけど、
たとえば、アクネなんかが先頭に立って、
どんどんファッション勢力図が変わっていくように思います。

では、1990年の前、80年代は、
日本のデザイナーの発信力が強かったのは確かだったと思います。
その前までは、全身真っ黒のスタイルは、
一般の人はしなかったわけですから、
海王星やぎ座時代の、骨っぽさ、アンドロジィナス、黒というイメージの具現者が、
日本のデザイナーでした。

もっとその前だと、海王星いて座時代なので、異国情緒。
ケンゾーのジプシー・ルックとか、サンローランのサファリルックとかでしょう。

今の時点では、まだアクネぐらいしかわかりませんが、
この先、2、3年で、意外なところから、
ああ、こういうのが今の気分なんだというブランドが出てくるだろうと思います。
着るかどうかは別にしても、どこからそういうブランドが出てくるのか、
注目していきたいです。

2013年5月26日日曜日

五分袖


今から10年ぐらい前でしょうか。
最近、人気のイザベル・マランは、
日本でライセンス生産をしていました。
そのころ、友達がそのメーカーの外注をしていた関係で、
何回かファミリーセールでイザベル・マランの服を買いました。
そのころは今ほどハイブランドではありませんでしたし、
色だしや全体の雰囲気が、どことなくシビラに似ているブランドでした。
また、値段設定もずっと低かったです。

そこで何枚か買ったのがTシャツです。
たしかファミリーセールで2000円ぐらいだったと思います。
それは、その友達のお勧めということで買ったのですが、
どこがお勧めかというと、袖が五分袖だからということでした。
Tシャツって、ほとんどいわゆる半袖、つまり二ないし三分袖ぐらいか、
または十分丈ですよね。
それがひじのちょっと上の長さだったのです。
ひじの上で袖が切れると、二の腕は見えません。
友達もわたしも、別に二の腕が太かったわけではありませんが、
この袖丈、いいよねということで、よく買って着ていました。

わたしは基本的に半袖Tシャツは着ないのですが、
じゃあ、ちょっと白いTシャツでも買ってみようかと思って、
五分袖のものをさがしてみても、売っていません。
(もしかして、すごく年配の方向けの売り場に行けばあるかもしれません)
ひじの少し上で切れる、あの袖丈は、大人にぴったりだと思うのですが、
なぜないのかしら。
二の腕を強調したくなければなおのことだし、
七分袖とはまた違う、エレガントな感じがすると思うのですけれど。
光沢のある、少し薄手のコットンで、つかず離れずのシルエット、
それで五分袖の白Tシャツだったら、買ってもいいと思うし、
今みたいな季節のジャケットのインナーにはぴったりだと思うのですが。
ブランドやメーカーのデザイナーがみな若いから、
五分袖のよさに気づかないのかな。

なかなか大人が買う服がないなあと思うのは、
やっぱり同年代のデザイナーが実際に作っているところは少ないからなのかもしれません。
30代前半までがターゲットの服は豊富だけれども、
そのあとは、どんどんなくなっていきます。
これはたぶん、マーケッティングのせいで、
そのあとの世代というのは、お金を使わないという調査結果からだと思いますが。
大人になると着るものがないというのは、
着る服がないというよりは、
選択肢がどんどん少なくなっていくということなのかもしれません。
ハイブランドまでいかなくても、
もう少し手頃な値段で、上質の服がふえたらいいのになあと思います。

☆写真:今年のそらまめ。もうおわりだって!焼いて食べたほうがおいしいっていうんで、焼いてみましたが、焼き足りなかったんで、この後、再び焼きに戻しました。







2013年5月24日金曜日

住むところ


最近、ちょっとお休み中でしたが、
インテリアの雑誌は本を見たり読んだりするのも大好きです。
昔はよく、理想の家を頭の中にえがいていました。
そのとき、どういうところに住みたいかなといろいろ考えていました。


わたしは車の運転ができないので、
歩いて駅に行けるところというのは必須条件なのですが、
そのほかにも緑の多いところ、静かなところ、
プライベートが守られるところというのも優先順位の上のほうにきます。

この中で、今のところは、駅から近くて、緑が多いという点ではいいですが、
静かさは残念ながらありません。
(藤沢市、戦闘機の訓練で非常にうるさいです!)
あと、プライベートも、そこそこという感じで、
うちの庭は、いつもお隣のおばさまが2階から見張っているので、
自分のうちの庭なのに、こそこそ行動してしまいます。


ただ、それがあったとしても、ここのいい点は、
なんといっても、オーガニックの農家が近くにあって、
そこでいつも野菜や果物が買えるというところ。
これはやっぱり大きいです。
毎日の食べるもののことですから、
なかったら、どうしようかと思います。

そう考えると、駅から歩いていける範囲で、
しかもオーガニックの農家があるエリアなんて、
なかなかないわけで、
恵まれているなと思います。
あとはプライベートが守られたら、最高なのになあと思いますが、
なかなか100パーセント満足できるところなんて、
ないですよね。

ないんだけれども、
あるかもしれない、可能かもしれない、何とかなるかもしれないと考えながら、
生活しています。
いつでも工夫の余地はあります。
たぶん、ちょっとの工夫で解決できる問題もあるだろうと思います。
(戦闘機を除けば!)

ここではないどこかを夢想しないで、
まずは、ここで何ができるかを、いつも考えています。

☆写真:この本は大好きなんで、捨てません。



2013年5月23日木曜日

ローカル・ルール

きちんと感について書いたとき、
すっかり忘れていたのですが、
よく会社の人がしている、
作業着にネクタイ。
あれは、きちんとしているの範疇にはいるのでしょうか。
もしそうだとしたら、
男性にとってのきちんと感は、「とりあえずネクタイしておけ」ということかしら。
上着は着なくても、ワイシャツにネクタイならOKのような。

それに対して、女性には、
これさえしておけばきちんと感になるのよ、
みたいなアイテムはありませんよね。
あるのかな。
知りませんけど。
それともよく事務の人が着ているベスト。
あれがそうなのかな。
「とりあえずベスト着ているからきちんとだ」みたいな。
会社によっては、そういうルールのところもあるのかもしれません。
とにかく細かいローカル・ルールについては、
知る由もありません。
まあ、きちんと感とは、その程度のものです。

自然界には絶対のルールはありますけれども、
人間が決めたルールに絶対はありません。
わたしが書いている「おしゃれのルール」にしたって、
全然、絶対なんかじゃないです。
そのことは、おしゃれのルールの最終回か、
何かのまとめのときに書こうと思っています。
ルールは絶対じゃないと知る。
そのことから新しく始める。

そういうことは、ほかの分野でも当てはまります。
たとえばダイエット。
このダイエットが絶対きくなんて、ない。
この食事法が絶対正しいなんて、ない。
どれもみんなローカル・ルール。
その地方だけで正しいだけです。
それを知らないで、他人に押し付けると、
とんでもないことになります。
それだけはいつも忘れないようにしています。
ファッションの世界も、しょせんローカルなんですから。



2013年5月22日水曜日

最悪な出来事も

わたしが占星術を本格的に勉強しようと思ったきっかけは、
病気になる時期を知りたいということと、
たまたま友達が連れていってくれた占星術師が、
あまりにい加減で、こんな人にお金を払うくらいだったら、
自分で本を買って勉強したほうがましだと思ったからです。

そのいい加減な占星術師は、代官山の駅前に一軒家を借りていて、
友達とわたしと2人で行ったところ、
わたしから30分で1万円取り、
その日、友達はちょっとだけ見てもらいたいということで、
30分見てもらったのですが、
いつもいらっしゃっているから今日はお金はいいですということで、
30分ただにしたのでした。
ここで何か気づくでしょう?
2000年ごろの話です。

ほんとうは1時間1万円なんです。
でもその占星術師は、定期的に通ってくるわたしの友達にいい顔をしたいために、
わたしを早く切り上げて、その分、わたしの友達を見てあげました。
けれども、結果的に1時間1万円はもらっているので、
自分はまったく損をしていないわけです。
このやり方、どうでしょうか?

世の中にはそういうやり方でお金儲けする人も、それはいるでしょう。
わたしがそのときたいそう憤慨したのは、
そういう人をなぜわたしに紹介するのかということのほうでした。
だって、この人、一種の詐欺師なんだから。
しかも、その30分内の中で、
その占星術師はホロスコープのチャートを作り始めたわけですから、
実質20分ぐらいで、読みではなく、
さかんに、損して得取れみたいなことを言っていただけ。
もちろん、将来いつ病気になる可能性があるかなど、教えてはくれません。
(依存させようとしている占星術師は将来のことを、半年ぐらいまでしか教えてくれません。)
これを聞いて、わたしは、これは絶対に嘘だと思いました。
そのホロスコープから、そんなことが導き出せるはずはないと。

そのときから、大量の本を買って、自分で勉強しました。
もちろん、勉強したことによって、その占星術師が大変な嘘つきだとわかりました。

でも、今考えると、
そういう詐欺師に出会わなければ、ここまで勉強することはなかったわけです。
結果的には、変な人に出会ってよかったんです。
人生、なにがいいことなのか、悪いことなのか、
ほんとうにわかりません。

そのときは、最悪と思えた出来事も、
後になって、ああ、あれがあったから今こんなふうになれたんだと思えることは、
たくさんあると思います。
最悪だって気づいたら、
もしかして、この後、最高が待っているに違いないと思うといいかも。
きっとそれは、ほんとうにそうなんだと思います。

2013年5月21日火曜日

猫の衣替え

この季節、猫の毛も生えかわって、夏向きとなります。
悩みなのは、抜け毛が大量に出ること。
うちは家の中で猫を飼っているので、
どうしても家の中に毛が散ります。
また、絨毯はないものの、クッションや座布団などのファブリックにも毛がついてしまいます。

まあ、動物と一緒に暮らすのだから、
ある程度は仕方がないのですが、
なにかいい方法はないものかと、ネットで検索したら出てきました。
その名もファーミネーター。
(これは英語のだじゃれ?)

見た目はバリカンみたいな感じで、
特許をとった特殊技術により、猫のインナーコートをとることができます。
きのう注文したファーミネーターがやってきたので、
さっそくやってみました。

取れる、取れる、それぞれが薄いセーター1枚分ぐらいのインナーコートが取れました。
今までこんなに取れたブラシはありません。

動物はなにも考えていなくても、
ちゃんとこうやって季節に対応しているんですね。
冬はなに着ようかとか、夏はどうしようとか、
考えなくても済むのがうらやましいです。

同様に、野生動物はダイエットなんかしません。
今日1日のカロリーなんて計算しなくても、
太るということはない。
自分の本能に従って食べれば、適切な体型を保つことができます。

いろいろなダイエット本があるけれど、
こういう、本能を大事にしよう、なんて本はないのではないでしょうか。
だけれども、ほんとうはそれが一番いいわけです。
動物を見ればわかることですから。

カロリー計算とか、なにを食べるべきとか、朝は食べろとか、食べるなとか、
ほんとうはそんなこと、どうだっていいことなのかもしれません。
それよりも大事なのは、本能の部分を取り戻すこと。
結局、それも1つの思考の檻だから。
本能とか、直感とか、その人にしかわからない感性を取り戻すことのほうが大事に思えます。
ダイエット本の最初に、
「あなたの本能をまずは取り戻しましょう」と書いてあったら、
それは信頼できる本でしょうね。


2013年5月20日月曜日

出したエネルギーは戻ってくる

まだ眠い日々が続いています。
やっぱり25日の月食まではだめみたいです。

さて、こちらは雑記ブログですが、
おしゃれブログに関しては、
ほんとうに私が知っていること、考えたこと、経験したこと、
まったく隠さず書いています。
(逆に、プライベート関連については書いていません。)
よく、これ以上は秘密とか、ワークショップでその秘密を公開とかいう方がいらっしゃいますが、
わたしはそういう方針ではないので、
太っ腹にも、全部書いてしまっています。
それはなぜかというと、
出したエネルギーは返ってくるという、宇宙の法があるからです。
(知ってた?)

一見、知っていることを全部書いてしまって、
しかも無料で見られるブログで、損のようにも思えます。
だけれども、出したエネルギーはいつか戻ってくるので、
最終的に損ということはありません。
ただ、残念ながら、戻ってくるまでは多少の時間差があります。
やまびこでさえ時間差があるのですから、
当たり前と言えば当たり前です。

で、この時間差ですが、大体どのぐらいなんだろうと常々思っていました。
ものにもよるようですが、結構あるみたいです。
つまり、戻ってくるまで結構時間がかかります。

実は、わたしはとある人たちを観察していました。
この人たちったら、こんなことをして、そのエネルギー、一体いつ戻るのかしら、
と思って見続けていたのです。
そうしたら、つい最近、エネルギーが戻って、
その人たちは結局、たくさんのものを失って、そこから逃げるしかなくなった、
という事の顛末を知りました。
その人たちが出したエネルギーが彼らに戻るまで1年8カ月ぐらいかかっています。
わたしの予想では、1年ぐらいでいなくなるだろうと思っていたので、
あれ、宇宙の法はやっぱりないのかしらとちょっと疑ったのですが、
予想より少し遅れて、ちゃんと出したエネルギーは戻りました。

小さいことから大きいことまで、出したエネルギーは戻ってきます。
だから、安心して待っていましょう。

2013年5月19日日曜日

目印をたどっていく

木曜日、時間があったので、
また散歩がてら、丘の上のパン屋さんへ歩いていきました。
川べりを歩いていくのですが、
途中、白鷺がいたり、つばめが目の前を横切ったりします。
そこからふと思って、この前、通ったのとは別の道を歩きました。
道端に駐車してある不思議な黒い車の車種を確認したり、
庭に植えてあるデルフィニウムの青に注目したり、
そんなことをしている間に、
使用が禁止されている公園にたどりつき、
今はもう誰も乗らないであろう、白クマの脇を通り抜けます。

ここまでたくさんのシンボルが出てきます。
白い鳥、
つばめ、
黒い車、
青い花、
白クマ。
わたしの知っている知識の中から、
それぞれの意味するところは何だろうかと考えながら歩きます。
でも、最後、白クマが出てきたとき、あ、これは大丈夫だなと確信しました。
なぜなら、丘の上にあるパン屋さんは、パン屋であると同時に、
「気まぐれ白クマカフェ」だからです。
(これはわたしが作ったネーミングじゃなくて、実際に書いてありました)

そして、お店のドアを開けると、
マイケル・ナイマンによるピアノ・レッスンのテーマが聞こえてきました。
わたしの大好きな曲です。
この時点で、きょうここへ来たのは正解だわと思います。
まあ、なにが正解かはよくわからないのですが、
パンと気まぐれカフェのコーヒーを買って、テラスのいすでちょっと休憩。

このお店の店構え、何かに似ているなと思ったら、
映画の「魔女の宅急便」に出てくるパン屋さんに似ています。
丘の上の見晴らしのいい場所にあって、屋根の形など、
そっくりではありませんが、同じような雰囲気です。
そこで休憩していると、魔女ならぬ、パン屋の女主人が奥から出てきて、
試作品の焼き立てピザをくださいました。
ああ、正解ってこのことか。
というわけで、焼き立てのピザをその場でいただきました。
おいしかった。

すべて、こういうことで、
これをちゃんといつもやっていれば、
たどり着くことになっています。
ですが、なにか感情や思考にとらわれていると、
これができなくなってしまう。
ちゃんと目印はあるんだから、
それをたどっていけばいいだけだよと、
どこからともなく、誰かが教えてくれました。
この「誰か」を何と呼ぶかは、みなそれぞれ違うので、
お任せします。

2013年5月18日土曜日

カジュアル化が進むのはいいけれど


わたしの普段の生活のシーンに、
テイラードジャケットはいらないなと常々思っているのですが、
さすがに銀行、役所、税務署なんかに行くときは、
いくらボトムがジーンズだったとしても、
テイラードジャケットを羽織ります。

先日も、税務署に行くので、テイラードジャケットを羽織っていったのですが、
途中で、あれ、なんか違うな、ということに気づきました。

というのも、わたしはテイラードジャケットを着ているのですが、
対応するみなさんは、ジャケットを着ていないのです。
こちらから見ると、やけにラフ。
男性は大体長袖ワイシャツですが、
女性はポロシャツだったり、ニットのセーターだったりします。
税務署なのになぜ?と思って、
廊下を歩いていたら、
「軽装ですが、ご理解ください」みたいな張り紙がしてありました。
つまり、暑いシーズンはジャケット着用しないよ、ということのようです。

ジャケットではなく、次にくる、きちんとした服装のものは何かと聞かれると、
返答に困ります。
なぜなら、ジャケット以外でのきちんとした服装という意味づけが、
まだ確定されていないからです。
意味するものと意味されるものが、まだしっかり結びついていないのです。
(はい、はい、またその話ですよ)

そもそも、テイラードジャケットだったらどうしてきちんとしているかなんて、
誰にも説明できません。
そういうものだからそういうものだ、だけです。
西洋の、テイラードジャケットというものは正装なのですよというコードを、
ただ単に受け入れただけで、住んでいる地域や文化が違うと、
正装も変わってきます。

じゃあ、暑いから、テイラードジャケットやめようよ、ネクタイやめようよとなったとき、
次にくる正装は何なのとなったら、
それはだれかがコードづけしないことには、決まらないわけです。
今の状態は、その次のコードが決まっていない状態。

特に女性の場合、どっちへいったらいいかわからないんで、
とりあえず肌の露出はおさえておくわ、みたいな感じではないでしょうか。

Tシャツがきちんとしたものとみなされないのは襟がないためと、
あとはたぶん、もともと下着だったという経緯があるからだと思います。
同じ意味では、タンクトップやキャミソールもそうですね。
それは下着でしょっていうことで。

また素材でいったら、綿メリヤス、いわゆるTシャツの素材。
これも下着感があるので、あまりふさわしくないと思われるでしょう。
あと、体操着みたいですからね。

でも、次の答えは、まだありません。
それは、その文化圏内で決めなければいけないルールだからです。

たとえば、茅ヶ崎市役所はアロハシャツは正装だと決めているそうですが、
それだったら、そのルールに従うしかありません。

これからだんだん暑くなってきて、
もっとどうしたらいいかわからなくなります。

わたしだったらどうするかな。
とりあえず、シャツカラーのシャツを着るなあ。
今のところ、それぐらいしか思いつきません。

☆写真:ベンジャミン・ブリテン。実物のほうがもっときれいです。


2013年5月17日金曜日

人に与えるのは印象

ここ最近、頭痛、軽いめまい、眠気が続いていたのですが、
どうやらそれは太陽フレアのせいらしいです。
眠気もすごかったので、何かあるなとは思っていたのですが、
太陽のせいだったのですね。
今月はまだ月食があるので、それまではこんな調子かもしれません。





さて、こちらの動画、ご覧になりましたか?
これは自分が思っている自分の顔の印象と、
他人から見たその人の顔の印象は違うんだよということを検証した動画です。
自分では自分のことを美しくないと思っているけれども、
同じ人を他人が見たら、ずっと美しかったという実験結果になっています。

服もそうですが、
顔も同じです。
他人が保持し続けるのは印象なんです。
どこにしみやしわがあったとかいう事実ではなくて、
感じた印象だけ。
細かいことなんて、覚えてはいないのです。

わたしもよく、この人、写真よりずっときれいだなと思うことがあります。
写真、特に現在の多くの写真はまことに写実がお得意。
目に見えないところまで写します。
けれども、実物は明らかに違うと感じる。
それは、その人の印象の中に、目に見えない情報も含まれているからです。
たとえば、すごく意地悪なことや嫌味を言われたら、
どんな美人でも、ブスな人として認識するでしょう。
逆に、ごくごく普通の容姿の人でも、その人からすごく親切にされたら、
天使のように美しかったという印象だけが残ります。

あともう一つ、その人に自信があるかどうかでも、
かなり印象が違ってきます。
もちろん自信がある人のほうがきれいです。輝いています。
占星術のセッションで、ホロスコープに明らかに才能のしるしがあって、
それを伝えると、来たときとは別人のようなお顔になるお客様がいらっしゃいます。
わたしはそれをよく「星のお墨付き」と言っているのですが、
そのことが、その人に確固たる自信を与えます。
だって、星の神様たちが才能があるって言ってるんだから、
怖いものはないでしょう、と。

優しさとか、自信とか、きれいな印象を与える要素はほかにもいろいろあります。
リラックスした感じもそうです。
いらいらしていない人のほうがきれいに見えます。
それからほんとうの意味で幸せな人も輝いて見えます。

他人にどう思われるかはコントロールできませんが、
自分がどういう状態にあるかはコントロールできます。

だから、太ってるとか、美人じゃないとか、そんなこと関係ありません。
優しくて、リラックスしている人は、それだけできれいな人なんです。

2013年5月16日木曜日

結婚式の服装 その2

先日、日本人のコユキさんと、イギリス人のポールさんの、
鎌倉の鶴岡八幡宮で行われた結婚式の模様の写真を見せていただく機会がありました。
格式のある神社での結婚式、
参列者はどんな服装なのか、興味深く拝見いたしました。

まず、コユキさん側のゲストですが、
お友達たちは全員、着物でした。振袖の方がほとんど。
これはたぶん、全員で決めてそうしたのだと思います。
これが鶴岡八幡宮という場所にぴったりでした。
しかもすごくゴージャスです。
こういうとき、着物はいいですね。

一方、イギリス人のポールさん側のファミリーはというと、
これも素敵でしたよ。
たぶん、イギリスで結婚式をしたら、こんな格好で出席するのだなというスタイルで、なぜかお父さんのネクタイと靴下は紫。
シャツも紺色。スーツがびしっと決まって、絵に描いたような伊達男です。
しかし、ここで最も目立っていたのはポールさんのお姉さん。
白地に大きな赤い柄の入ったノースリーブのワンピースに、
赤いハイヒール。
ここまでだったら、ちょっと派手目なドレスを着ている人なのですが、
なにが違うかって、その帽子。
つばが20センチ近くあるのではないかという、赤と白の帽子に大きな羽飾りがついています。
ブロンドの髪に、そのはすにかぶった帽子がよく似合う。
身長が175センチはあるそのお姉さんが、
鶴岡八幡宮の参道の真ん中を歩いている写真があったのですが、
なぜか周囲の人がみなよけていて、
そこだけ「セックス・アンド・ザ・シティ」の一場面みたいでした。
どこかのブランドのゴージャスなドレスというわけではないのですが、
たぶん、飛行機の手荷物で持ってきたと思われるその帽子が、
結婚式にふさわしい装いにしていたのだと思います。
さすがに、ああいった帽子を結婚式でかぶっている日本人は見たことがありません。
(まあ、いないとは言い切れませんが)

このカップルの参列者のみなさんは、お互いがお互いの国の伝統的なスタイルで、
格式のある神社での結婚式に参列したことによって、
とても華やかで、しかも堂々とした、
その場にふさわしいスタイルを作り上げることができたのだと思いました。
成人式でもないのに、振袖姿の女性たちが並んで神社の境内を歩いている写真も壮観でした。

悩みがちな結婚式の服装ですが、迷ったら、レンタルでもいいので着物というのが、
案外、日本人としての最適な選択かもしれませんね。

2013年5月15日水曜日

お金を使う優先順位


ほとんどの場合、使える予算というのは限られているわけですから、
それをどのように使うのか、予算組みなり、優先順位を考えなければならないと思います。
わたしがなるべくお金をかけないでおしゃれできないかという方法を考え続けてきたのも、
もちろん使うお金がなかったというのも1つの理由ですが、
それだけではなく、
お金を使う優先順位の1位がファッションではなかったということが大きな理由だわと、
改めて思いました。
それは今でも同じで、たとえシャネルのバッグを買うお金があったとしても、
それはバッグには使いたくない。
それよりフィレンツェにフラ・アンジェリコを見に行くことだったり、
何か習いに行くことに使いたい。
洋服や靴やカバンは、優先順位としては、そのあとになります。

なぜかというと、やはりものというのは、やがて朽ちていくものだからです。
それに比べて、経験は朽ちない、奪われない。
もちろん、場合によっては、記憶が失われることもあるでしょうが、
そうでない限り、一生、その経験は持っていけます。

ただ、ここで勘違いしてほしくないのは、
だからシャネルのバッグは価値がないと言っているのではないのです。
知識を得るという経験も、旅行に行くという経験も、ブランドバッグを持つという経験も、
プレミアムのついたワインを飲むという経験も、好きなバンドのライブに行くという経験も、
すべて等価値なんです。
そして、その経験のどれに重きを置くかは、その人個人の問題であって、
他人がとやかく言うことではありません。
1着のコートを着てみて、身震いするほど感動するという経験も、もちろんあります。
それはシェイクスピアの芝居を見て感動するのと同じ価値なんです。

それでもなお、ファッションが優先順位一番にはなりませんでした。
少なくとも今までは。
やっぱりまだ習いたいこともあるし、行きたいところもあるし、見たい絵もある。
それがもういいわとならない限り、または仕事上でどうしても必要とかならない限り、
ファッション関連予算は低くおさえられるでしょう。
当分のあいだ、この傾向は続きそうです。
まだ知りたいことややりたいこと、行きたいところがあるんでね。

☆写真:本日の収穫





2013年5月14日火曜日

ロックTって着たことないな

そういえば、今までバンドやアーティストのロックTシャツって、
着たことないなと思いました。
この前、ユニクロのチラシをちらっと見たら、
マドンナやら、いろんなアーティストのTシャツが出ていたけれど、
別に買いたいとも思いませんでした。
(もちろん買うとしたら、アーティストが作っているオリジナルを買うけれどね)
ただ、最近、ロックTは流行りだしているようです。

なんか、わたしはこのアーティスト好きですと表明しながら歩くのが恥ずかしいです。
いくらデヴィッド・ボウイ好きでも、
アラディン・セインの顔入りTシャツで歩けません。
何年か前、どこかのハイブランドで出していたけれど、
それでも着ないです。
好きだから、着ないです。

逆に好きでもないアーティストならいいのかといえば、
そんなこともなく、
大昔、わたしの友達が筋肉少女帯のいた事務所に勤めていて、
Tシャツ余ったからくれるって言ったけれども、
ただでもいらないと断りました。
(彼女は物販担当だったので)

小学生のころこそ、スヌーピーが好きで、
スヌーピーが大きくかいてあるTシャツを着ていたけれど、
それ以降、好きなキャラクターだから着るって、ほとんどない。

一番好きなものは隠しておきたいなという、
なんだか変な気持があります。
知っている知識はばんばん教えてしまいますし、ブログにも書いていますが、
ほんとうに一番好きなものは、人には秘密にしておきたいです。
それは私だけの傾向なのかどうかわかりませんが、
なんだか、ほんとうに好きなものとか、大事なものとかは、
隠されていることが多いようです。

2013年5月13日月曜日

ただいま出血中(親知らず抜いたあとよ)

さきほど、抜歯のスペシャリストの先生に親知らずを抜いていただき、
ただいま出血中。

今日はいつもの歯医者の先生ではなく、
そこから紹介されて、わざわざ抜歯スペシャリストのところへ行ったのでした。
なぜスペシャリストかって、
来る患者さん、来る患者さん、みんな、抜歯目的。
そういう先生がいるのです。
知りませんでした。
やはり難しいことはスペシャリストに任せろ、ですね。

で、さっきロキソニンも飲んだので、
痛みは20パーセントほど残るのみ。

それなのに、ちょっとなんか食べようと思って、
ご飯を口に入れたら、
違うほうの奥歯の詰め物が取れました。
なぜ?

骨をあらわすのはやぎ座。
ただいま、やぎ座冥王星と牡羊座天王星が90度。
そこにきょうはリリスが参戦して、ゆるいですがTスクエア。
そのせい?
(リリスは天体ではなくて、ダークムーンと呼ばれる感受点なのです)

骨かあ。
骨ねえ。
骨子とか、言うものねえ。
人生の屋台骨とか。
タロットだったら、Death。
骸骨ですから。

たぶん、わたしの中である部分のDeathが完了していないということだと思います。
さっさとおわらせて変容しなされ、ということでしょう。

まだ変容途中ですみません。
しばしお待ちください。
明日も歯医者さんへ行って、何か気づきを得てきます。



意識を向けること

今日は、親知らずを抜きに歯医者へ行きます。
わたしは20年近く、ずっと同じ歯医者さんへ通っています。
そして、例年4月ごろ、自主的に検診を受けることにしています。
つい先日も検診を受けにいったのですが、その際に、
まだ抜いていない親知らずが1本あり、
やっぱり抜いたほうがいいということになりました。
ほかの親知らず3本はすべて20年ぐらい前に抜いたのに、
なぜか1本残してあったのです。
なぜなのかは、わたしもよくわかりません。
しかし、それが原因で、どうやらわたしの顎関節症がなかなかよくならないようなので、
やっぱり抜こうということになりました。
抜く日を決定したのがゴールデンウィーク前なのですが、
なぜかこの前の新月の日から、親知らずが痛いです。
それまでこの1本の残された親知らず、まったく痛くなかったのに、
意識をし始めたとたん、痛くなりました。

それまで、まったく存在感がなかったのに、
意識を向けたとたん、急にあらわれてくるものというのはいろいろあります。
筋肉を鍛えるとき、そこに意識を向けるようにするのもそうですし、
呼吸法の練習で、ふだん意識していない呼吸に意識を向けるのもそうです。
意識を向けるほど、改めて存在に気づきます。
けれども、意識しなければ、それに気づかないで生活しています。

空の天体の動きも、意識しなければ、存在しないのと同じです。
月の満ち欠けも、太陽の傾きも、言われないと、なかなか気づきません。

今、わたしが行っているヨガの毎日のプラクティスにチャンティングが入っています。
それはスーリヤ、つまり太陽に同調するためのもの。
人間は、意識しないと同調できない。
太陽と同調するために言葉に出してみるというのが、スーリヤのチャンティングだと思います。

なぜ太陽かというと、それは地球が太陽系の惑星で、
わたしたちは太陽のまわりをまわっている星に住んでいるからです。
占星術も同じです。
ノエル・ティル先生も、
「Let the sun be your guide!(太陽をあなたのガイドにしましょう)」
とおっしゃっています。そのために占星術をやるのです。

まずは太陽に同調、そして宇宙意識につながれば、
どんどんよい流れに乗れるのだと思います。
昔から続く知恵というのは、結局はそこなんです。
方法はいろいろありますが、みんな、そこを目指しています。

2013年5月12日日曜日

日常に仮装を

ちょっと前からなのですが、
コンサバ系の雑誌とモード系の雑誌に載っている服や鞄、靴が同じものになってきました。
たとえば、コンサバ系の雑誌にもセリーヌやランバンあたりなら、
載っていますよね。
プラダも載っているかな。
セリーヌはむかし、どちらかといえばコンサバのブランドだったけれども、
デザイナーがフィービー・ファイロにかわってからは、
どちらかといえばモード系です。
どこらへんのブランドが境目かはわかりませんが、
たとえば、マルタン・マルジェラやアレキサンダー・マックイーンはコンサバ雑誌には載らないでしょう。
でもサンローランはどうだろう。鞄はコンサバ雑誌にも載っているかも?

なぜこうなったかというと、
ファッション全体がシンプルなスタイルになってきたからだと思います。
あんまり奇抜なものは流行やらなくなりました。
リアル・クローズという言葉が一時、流行りましたが、
ふつうに着られる服が主流になったからでしょう。
そうしたら、コンサバもモードもあまり変わりないわけですから。
この傾向はこれからも当分、続くだろうと思います。
たとえば、青山や表参道あたりに行ってみても、
むかしほど(むかしって90年代ね)、いかにもモード、という人はいなくなりました。
逆にあのときだけが異常だったのかもしれません。
ブンカの学生時代も、コム・で・ギャルソンの新作を着て学校に来る生徒とか、
クラスに1人ぐらいいましたもの。
今はたぶんいないでしょう。

奇抜なのは、ゴスロリとか、ヴィジュアル系とか、
どちらかというと、仮装にいくのではないでしょうか。
モードにも、コンサバにも偏らない、
その中間ぐらいで、
そこにときたま仮装が入る。
その仮装がゴスロリであり、山ガールであり、着物でありということですね。
日本は階級によるしばりがありませんから、
なんでも好きなものが着られて、
仮装して電車に乗ってもとがめられないし、
服装の点においては、ほんとうに自由なところだと思います。

あとは、むかしみたいに、ハレとケという、
ハレの日がどんどん少なくなり、
おわらない日常が続く毎日の中、
自分からそうした仮装の場を作っていかないと、面白くないというのもあるかもしれません。
別になんでもいいので、
みんながそれぞれ日常とは違う「仮装」する時間を持つと、案外よいのではないでしょうか。
どちらにせよ、待ってないで、自分から作るという姿勢が大事だと思います。

2013年5月11日土曜日

メイリオに変更しました

さっきから四苦八苦して、
フォントをメイリオに変更しました。

メイリオ、大すき。
メールもメイリオ。

しかし、これをやるのに1時間以上かかった・・・
奇跡的に、適当に改行したらできました。

疲れました・・・

フォントが変わったら、文体も変わったように見えるので、不思議です。

ついでに、最近、感想メールをいただくようになりました。
みなさん、どうもありがとう。
暇な時間にお返事、書きますので、よろしくね。


そろそろバラの季節

きのうの日食、別になにも起こりませんでしたが、
その前の夜から頭痛と軽いめまい、
そしてなぜか歯まで痛くなりました。
日食の時間を境に徐々に痛みがとれていきましたけれど、
一体、なにが起こっていたんでしょうか?

そういう日は文章も思い浮かばないです。
疲れと痛みはだめですね。

それはさておき、
最近、ご近所の庭のバラの花を見るのが楽しみです。
うちにもあるのですが、なんかうちのバラは遅い。
1つ咲き始めていますが、その次が続きません。
まだみんなつぼみです。
例年、肥料はやるものの、農薬一切やらないのですが、
ことしはちょっと頑張って、ニームオイルという、
インドのハーブのオイルを使ったローズディフェンスというのをまいてみました。
いつも飛んでくるゾウムシにつぼみをやられてしまうので。
でもどうだろう。そんなに例年と変わらないかも。
ゾウムシは飛んでくるので、防ぎようがありません。
同様に、カミキリムシも飛んでくるので、防ぎようがないです。
見つけたら、つかまえるのみ。
まあ、農薬やらないと決めたら、少しぐらいの虫害はあきらめるしかないです。
どっちかですから。

しかし、バラはやめられません。
バラには何かある。
絶対にある。
ちなみに、桜もバラ科。
前にもどこかに書いたけれど、
ローズウォーターのオーラってピンクです。
ふたを開けると、ピンクのもやもやがどーっと出てきます。
ただ、何時間ももたないけれどね。

もちろん天然ものでないとだめです。
合成の香水ではだめ。
だから、簡単にピンクオーラ強化したかったら、
ローズウォーターです。
最近は日本でも品質のよいローズウォーターが手に入りますから、
お好きなものを見つけておくといいです。
わたしもフィレンツェに行ったとき、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局で、
買ってきましたよ。
感じ悪い店員さんだったけど。頑張って買いました。
さすが、威張っているだけあって、いい香りでした。
今は切らしていますけど、
もうすぐうちの庭がバラの香りであふれますからいいです。
ああ、楽しみ!

2013年5月7日火曜日

まだ湯たんぽ

ちょっと陽気があたたかくなって、1度はやめた湯たんぽでしたが、
また復活して、今でも夜は湯たんぽと一緒に寝ています。
いいなあ、湯たんぽ。
しかし、ふつうはこの湯たんぽ、足元において寝るようですが、
わたしは足元にはおいていません。
お隣においています。
手をのせてみたり、背中にくっつけてみたりしています。
たぶんですが、背中にあたたかさを感じるツボがあって、
そこにぴったりくっつくと、あたたかさが倍増する感じがします。

そこで問題なのが、湯たんぽのかたさ。
わたしの今、使っている湯たんぽは、
実は獣医さんが猫に使ってねとくれたもの。
猫は使わなかったので、わたしが使ってますが、
プラスチックのかたい容器でできています。
だから、背中に当たるとちょっとかたい。
来年はかたくない、やわらかい湯たんぽを買おうと思います。
カバーがあるやつ。
カシミアのカバーとか、ありますよね。
カシミアでなくていいけれど、何か手触りのいいやつがいいなあ、
などと、今から夢想しています。
朝、湯たんぽのお湯を使って顔を洗うのも楽しいし、
エコだし、
ほんと、いいよね、湯たんぽ。

小さいほうきとちりとりも、相当、お気に入りですが、
こういうエコで便利なものって、
いっぱいあるはず。
もっといろいろそういうものを知りたいのですが、
なかなかそういうのって、情報が上がってこない。
土と混ぜるとたい肥になるアスカマンもそうですが、
自力でさがしにいかないと見つかりません。
受け身の情報と、自分から取りに行く情報があるけれど、
けっこう、自分から取りに行く情報の中に大事なものが含まれています。
ほんとうに大事なもの、真実なことって、隠されているのかもと勘ぐるぐらいです。
まだまだ知らないことがたくさんある、
そしてそれは隠されていることが多い、
最近、そんなふうに思います。

2013年5月5日日曜日

遠くに行かなくても


例年のことなのですが、
ゴールデンウィークは江ノ島、鎌倉には近づかないことにしています。
理由は、あまりの混雑に身動きできなくなるほどなので。
近くに住んでいるので、わざわざ今の時期に出かける必要はありません。
というわけで、午前中、時間があったので、近くをお散歩。
すごくいい天気だったのですが、案外、人は少なく、お決まりの散歩コースにも、歩いている人はまばら。
みんな、遠出しているのかな。
目的地は、隣の市の丘の上にあるパン屋さん。
ついこの間、そのパン屋さんの存在を知ったばかりだったので、行ってみることにしました。しかもそのパン屋さんは週2日しか開かないとのこと。
うちからそんなに遠くもないのに、初めて歩いてみるところは、
旅で訪れた知らない町を歩いているようで、
今、自分は旅をしているんだと思いこめば、
新鮮な気分を味わえます。
しかも、きのうはほんとうに人が出歩いてなかったので、なおさら旅気分です。

丘の上にあるので、最後は急な階段を何段ものぼって、やっとたどりつくと、
見晴らしのよさにびっくり。
視点が変わっただけで、今まで知っていた町の風景が一変しました。
自分の家の一部を店舗に改造した小さなパン屋さんは、買ったパンをお庭でいただくことができるということで、しばし休憩しました。
日常の中の小さな驚きは、こんなふうに視点を変えるだけで発見できます。
初めて訪れたパン屋さんに、隣町からやってきましたと声をかけるだけで、
お話は広がりますし、新しい何かを教えてもらえます。

むかし、外国旅行に行けるほどのお金がなくて、
もくもくとうちのまわりを散歩しながら、
「パリでなくても、ローマでなくても、今ここで見つけるんだ」と自分に言い聞かせ、
同じ道を何度も通っていたことを思い出します。
遠くに行けなくても、
想像力と観察眼があれば、同じぐらいの経験ができると、わたしは思っています。
住宅街を歩きながら、道路の脇に植えられて、
今、咲いている、目の前のバラの花に集中して入っていけば、
1つの花からすべてのことがわかる瞬間がやってきます。
たくさんとか、遠くとか、そういうことじゃない。
重要なのは、今ここの1つのことからどれだけ多くを受け取れるかという能力なんだと思います。
(もちろんそれは練習すれば習得できます)

☆写真:パン屋さんのお庭からのながめ。無料のお茶もありました。

2013年5月4日土曜日

なりたくないもの


基本的に、こうなりたいな、ああいうスタイルがいいなということだけを考えているのですが、
ときどき、将来、ああいうのはなりたくないなというスタイルについて考えることもあります。
それは言葉で伝えることは難しくて、
ほんのちょっとした感じなのですが、
あえて言うなら、おじさんおばさんみたいな、
性別不明みたいな、
かといって、デヴィッド・ボウイみたいな、アンドロジイナスな魅力があるわけでもないという、
そんな感じはなりたくないなと思います。
まあ、わたしはおじさん的要素が少ないと思うので、
ならないとは思いますが。

それでも、おじさんが使うようなアイテムを取り入れるときは、
ちょっと考えます。
最近、再びはやっているウィングチップの黒い革のひも靴なんかも、
いかにも歩きやすそうではありますが、
今のスタイルにそのまま取り入れたら、
マスキュリンな要素が強すぎるなとか、
全体のバランスを考えて、結局、買わなかったりします。

だんだん年をとってくるにつれて、
ああはなりたくないなというのはふえてきたけれど、
逆に、ああいう年上の人はいいなというのは少なくなってきました。
そこらへんも、年をとると着る服がないということにつながるのかもしれません。
憧れが少なくなってきて、あとは自分で考えなければいけないから。
で、いま、いろいろ考えているところです。

追記:関係ありそうでないけど、「おしゃれのルール」という本が出ていました。もちろんわたしとは関係ないです。なんかマンガみたいなイラストだったし。だから、これから「おしゃれのルール」で検索しても、違うところにいってしまうかも、です。


☆写真:うちのいちご収穫。肥料はアスカマンでできたたい肥のみ。味はまあまあかな。もちろん無農薬ですが。

2013年5月3日金曜日

流行の曲がり角


寒すぎても、暑すぎても片付けには向いていません。
最近やっと、片付けによい季節になってきたので、
きのうは雑誌の片付けなどをしていました。

基本的に1年より前のものは必要なところだけ切って、
あとは捨てることにしていますが、見落しがあったりして、
それより前のものが残っていることもあります。
それと、フィガロはよく「永久保存版」などとうたって、
旅行特集を組んだりするのですが、それにつられて捨てなかったものなどもあります。
今日は雑誌の回収の日なので、きのうはそれら古い雑誌、といってもおもにフィガロですが、
を選別していたのですが、
中身を見ずして捨てられないのが人情で、
捨てる前にざっと見ました。

それで感じたのは、ああ、もうずいぶんとファッションのトレンドは変わったのだな、ということ。
2011年と今とでは、だいぶ気分が違います。
今回は、古い雑誌を見て、ああ、もう全然違うわ、という感じがしたので、
どんどん選抜することができました。

なにが違うかと聞かれて、ひとことで説明するのは難しいのですが、
シルエットはもちろんのこと、雰囲気、色合いなどが違います。
あと、2011年ぐらいだと、まだフューチャリスティックといいましょうか、
変に奇抜な、やけに目立つデザインのものがあるわけですが、
今はもうそれは淘汰されて、かえってその目立ちたがりな感じは、時代遅れに見えます。
とがり過ぎているとでもいうのかな。
今はとがったものが似合わないです。

まあるく、ふわふわに、風景に溶け込むような、
輪郭はあいまいで、まるで印象派の絵画のような、
やっぱり音楽はショパンだよ、
ロマンチックだよ、というような、
ラデュレでマカロンだよ、というような、
そんな感じです。
これから買う服はそこらへんの要素が入っていないと、
なんだか時代遅れな感じがしてしまうでしょう。
どんなに黒くても、どんなにロックでも、
ロマンチックであること。
ロマンを感じない服はだめなんです。
この傾向はとうぶん続くので、お忘れないように。

おまけで、いま、新しいロマンチックだなと思う人。Bo Bruce.日本では無視されてるね。



☆写真:水たまりの太陽

2013年5月2日木曜日

フランカのスタイルが好き


雑誌が売れないということで、
どんどん廃刊していきますね。
まあ、これだけネットに情報があふれ、
しかも早いとなったら、わざわざ買うメリットはどんどん減ってしまうでしょう。
けれども、同時に新しく創刊されいる雑誌もあるわけで、
この前、かなり宣伝していた、新しいファッション誌を読みましたが、
あからさまなお金持ちターゲットで、お呼びでないという感じでした。

雑誌として、紙としての媒体は衰退しているようですが、
ネットでは以前よりずっと多くの情報があって、
特に海外の雑誌、ヴォーグやエルなんかのホームページは、
雑誌を実際に見なくても、十分見応えがあって、
ずいぶんすごい時代になったなと思います。
だって、わたしがブンカの学生のころは、
ヴォーグなんていったら、
紀伊国屋か青山ブックセンターの洋雑誌コーナーにいかないとなかったんですから。
しかも、買うと2800円とかして、とてもふつうに買えるものではなかったです。

最近、よくチェックしているのが、ヴォーグイタリアの編集長、フランカ・ソッツァーニの日記。
http://www.vogue.it/magazine/blog-del-direttore/2013/05/1-maggio?utm_source=facebook&utm_medium=marketing&utm_content=blog

毎日、フランカの写真がのっていて、コーディネイトがわかります。
文章はイタリア語なんでわかりません。わかるのは英語部分のみ。
フランカのスタイルって、いいなあと思って、毎日ながめています。
フランカが選ぶグリーンがわたしの大すきなグリーンと同じだというのもありますが。
目立ってなんぼの、アンナ・デル・ロッソより好きです。

秋冬はだいたいコートとドレスというスタイルで、
まったくぶれません。
もちろんヴォーグの編集長、衣装持ちですから、
いつも違う服なのですが、
連続してずっと見ていくと、イメージは変わりません。
服はいつも違うけれども、イメージは同じ。
これはたぶん、洋服に詳しくない人が見たら、
この人、いつも同じ格好じゃんって思うかもしれない。

結局、人が覚えているのはイメージですから、
服が多かろうと、少なかろうと、あんまり関係ないかもなと思います。
スタイルが確立されていれば、そういうことになります。
意外な人が服を多く持っていたり、多いと思っている人が少なかったりというのは、
きっとこういうことが理由でしょう。
数の問題ではないんですね。

追記:ヴォーグイタリアは、スティーブン・マイゼルの写真がだんぜんいいので、チェックしてみてね。
今、サマースタイルというテーマで出ている写真がそうです。

☆写真:うちのクレマチス。やっぱり写真がないと、息が詰まりますな。