2013年3月31日日曜日

感想をいただきました。

先日、ファッション・レッスンをお受けになったM様より、感想のメールをいただきました。
すごく楽しそうな感じが伝わってきたので、
ご紹介したいと思います。

「今まで、着やすくて洗濯しやすいものを、とりあえず着るという状態で、
コーディネートを考えるということをあまりしたことがなかったのですが
(というか考え方もわからなかったのですが^^;)、
レッスンして頂いて、どうしたらオシャレに見えるかを教えて頂けたので、自分にも出来そうと思えたことで、オシャレが楽しみになりました。

買い物も、今後はゴールがあっての買い物になるので、あちこち回って途方にくれるということがなくなりそうです。

目から鱗が落ちっぱなして、ほんとに、レッスンを受けられて良かったです。
しかもものすごく、楽しかったです!!
本当に、ありがとうございました!!」

M様、どうもありがとうございました。

ちなみに、わたしはふだん、感想を送ってくださいとはお願いしておりません。
感想を文章にするかどうかは、人それぞれですかし、
必ずしもみなさん、文章化が得意とは限りませんから。
また、感想をいただいたとしても、勝手に掲載するようなこともしません。
今回はM様に許可をいただいて載せました。
いずれにせよ、感想を送らなくてはいけないわけではないですから、
今まで受けたけど、感想、送らなかったわ、悪いかしら、なんてことはありませんので、
お気になさらないように。
感想を送らなきゃいけないっていうだけでもプレッシャーですからね。

たまには、こういうのもいいかなということで載せてみました。
では。

着てないときも含めて考える


きのうからまた寒さが戻った湘南地方です。
それまで20度近くまで気温が上がったんで、
セーターを手洗いしてしまおうかなと思ったのですが、
また寒くなったので、すこし延期しました。

さて、冬に着たセーターのお手入れですが、
自分でほとんどものが洗えます。
ドライと表示があっても、大丈夫です。
ウール用の洗剤を使って、洗面器などで洗えば問題ありません。
ただ、乾かすときに、最後はアイロンで仕上げたほうがよいです。
そうすると、たとえば虫の卵が入り込んでいたとしても、
熱で死滅します。

あと、最近の片づけ本の中で、衣替えは必要ない、というようなことが書かれているようですが、
ウールのニットはそのままクローゼットに入れておくだけだと、
虫食いにあいます。
ウールのコートやジャケットもそうです。
日本の暑い夏は、あのよくわからん蛾がどこからともなくやってきますから。
だから、虫に食われたくないウールやシルクはちゃんと防虫剤と一緒に、
衣装ケースに入れましょう。
どんなに高いニットでも、虫に食われてしまったらおしまいです。

洋服って、着ないときも含めてどうするか考えないといけないんですよね。
洗濯はどうするかとか、収納はどうするかとか。
ニットをたくさん持っていて、それをちょっとずつ全部着てしまったら、
自分で洗濯するか、クリーニングに出すかしないといけないわけで、
その手間も含めて、何枚もつかを考慮する必要があるんだと思います。

また、しまうにしても、高い家賃のところに住んでいて、
たくさん枚数を持っていたら、その服のための家賃も払っているわけですから、
どこかで制限しないといけません。
ただ、条件は人それぞれなので、何枚かというのは、一概には言えませんが。

着ないときも含めて、見えないときも含めて、トータルで考える必要があります。
そう考えると、わたしなんかは、たくさん維持するのは無理です。
今ぐらいでちょうどよい感じです。

☆写真:ただいま、うちのチューリップが咲いています。バラ の芽ものびてきた。

2013年3月30日土曜日

結婚式に出席するときの服装のヒント


ごくたまになのですが、
結婚式に出席する際の服装についてご相談を受けることがあります。
ただ、わたしは結婚式やパーティーが嫌いなため、
ほとんど参りません。
よって、適切なお答えができないでおりました。

ですが、きのう、偶然にもファッション・レッスンを受けてくださった方が、
ブライダルのお仕事をされている方だったのです。
これはいい機会と思い、最近、結婚式のときの、女性の出席者はどんな服装なのか、
うかがってみました。

そうしましたら、やはりまだまだ、パステルカラーのサテンのふわふわしたドレスに、
肩からチュールやオーガンジーの羽織りものというのが主流だそうです。
それで、髪型もくるくるカールさせてアップ・スタイル。
だけれども、そんな方たちが多い中、きらっと光る服装の方がいるとのこと。
それは、どういう方かというと、
ごくごくシンプルなドレスに、控えめなアクセサリー、
そして髪型も、くるくるふわふわにしていなくて、シンプルに一つにまとめているだけ。
そういう方が出席者の中にいらっしゃると、目立つし、
おしゃれだなと思うとおっしゃっていました。

これはすごいヒントですね。
どんなにふわふわドレスを着ても、
まわりもみな同じようだと、かえって埋没してしまい、
誰が誰だかわからなくなります。
そんな中、そのふわふわをやめて、シンプルでシックなドレスに徹することが、
逆におしゃれに見える。

あと、これはわたしの意見ですが、
結婚式の主役は花嫁さんですから、
一歩ひいたぐらいのおしゃれでちょうどよいと思うのです。
間違っても、競ったりしないで。

あの、ふわふわドレスは、結婚式以外では、ちょっと着るシチュエーションが見当たりません。
レンタルしたとしても、それなりにかかるでしょう。
だったら、もうそれはやめて、ちょっと地味かなと思うくらいの、
クラッシックでシンプルなドレスにする。
それは結婚式以外でも、たとえばコンサートへ行くときや、
ちょっとしゃれたレストランへ行くときなどにも着られるような、
ほんの少し華やいだものにする。
そのためには、形はシンプルだけれども、
素材を、たとえばシルクタフタや、フランス製のレースやリントンのツイードにしてみるというように、
光沢のあるものや、上質なものにするのがいいと思います。

ほとんど着ないような服に、お金をかける必要はありません。
結婚式だって、同じです。
どうせ買うなら、自分が本当に年に何度も着たいなと思うようなドレスを選びましょう。
そのほうが、ずっと楽しいし、もったいなくないし、ドレスだって喜ぶと思います。

☆写真:さくらと空

2013年3月28日木曜日

東京には、なんでも売っているけれど

ファッションレッスンで、ときたま、
「こういうのって、どこで売ってるんでしょうか」と聞かれるのですが、
ごめんなさい、そればっかりは、わたしにはわかりません。

最近、あんまり買い物しないというのと、
都会にもめったに行かないし、
行っても、用事がすんだたら、すぐ帰ってきてしまうので、
あそこにあればあるわよ、とか、言えません。

世の中には、お買いもの付添でスタイリングというサービスもありますが、
スタイリストがいつものお店で上から下まで全部選んで、
それを持って帰ってもらうというやり方は、
わたしのやろうとしていることとは違います。

なぜなら、わたしはみんなに自分でできるようになってもらいたいから。
スタイリストさんが選んだものを上から下まで持って帰るだけだったら、
デパ地下のお惣菜売り場できょうの晩御飯を全部買って帰るのと同じこと。
次の日、そのセンスを自分で再現しようと思っても、無理です。
つまり、目的が違うんです。

だけれども、どんなスタイリストさんだって、
東京に売っているもの、すべてを把握するのは無理ではないかしら。
東京って、本当、何でも売っています。
デパートやら、セレクトショップやら、たくさんあって、
世界じゅうのいいものが集まっています。
それをすみからすみまで知っているというのは、たぶん、不可能。
時間的にも、地理的にも無理でしょう。

いつのころからか、東京って(といっても都心部です。奥多摩とかは違います)、
お金があると楽しいけれど、
お金がないと、ちょっとやりきれないというか、せつない場所になってしまいました。
そこら辺が、ロンドンやなんかと違うかなと思います。
たとえば、おいしいパン屋さんでパンを買って、
さて、どこかで食べようかな、なんて思っても、
ロンドンのように、気軽に座ってゆっくりできる、緑の多い公園も少ないし。
ちょっと休憩するにも、いちいちお金がいります。

わたしは一時期、というか、アパレルやっているときからなんですが、
お金がない状態がずいぶん続いて、
そのころから、自分のお金をどういう優先順位で使っていこうか、
なんてことばかり考えていて、
その結果、まずやめたのが途中でお茶休憩することでした。

まあ、そういう状況があったから、
少ない服でどうやったらおしゃれに見えるかとか、
お金を使わないでおしゃれにするにはどうしたらいいかとか、
考えていて、
それがあったから、今、こうしてブログを書いたり、皆さんに教えたりできるわけです。
だから、別に悪いことばかりではありません。

ただ、やっぱり都会に行って何か楽しむということは、
本当、しなくなりました。
だって、東京行って、美術館で絵を見て、お昼食べて、お茶してなんて言ってたら、
五、六千円はすぐなくなっちゃう。
それで服なんて買ってたら、3万、4万、すぐなくなっちゃう。
月に何回かそれをやってたら、1年我慢すれば、ロンドン行けるじゃんって考えて、
行かなくなったんですよね。
ロンドンで、ただで美術館、行ったほうがいいじゃんってね。
それで外国へ旅行するほうを優先してお金を使っていました。
(フィレンツェも、たまたま行ったときがアート・ウィークだったので、美術館がただでした)

服だって、見なければ、別に欲しくならないというのがあるでしょう。
見なければ、存在しないのと同じだから、
葛藤もありません。

たくさんあって、それがお金があれば手に入れられる状況って、
いいこともあるけど、よくないこともある。
たくさんあればあるほど生まれる葛藤というものは、あると思います。

ただ、今はちょっと違うかな。
別に手に入れられなくても、試着してみるだけで、すごく満足するようになりました。
服を着るという経験だけで、十分になってしまって、
必ずしも所有する必要はなくなりました。
それは美術作品を見ても、所有したいとは思わないのと似ているかも。

話がどんどんそれましたが、
そんなわけで、どこに売っているかは、部分的にしか、わかりません、
ごめんなさいというお話でした。

☆写真:さくら

2013年3月26日火曜日

雨でもお花見


きのうは、近所へ桜を見に行きました。
雨が降っていましたが、
土手に座り、お弁当を食べている人たちがたくさんいました。
桜が満開なので、
少しの雨だったら、濡れません。

「あいにく」の雨と言われるように、
雨は「あいにく」につかまって、閉じ込められています。
きのうは、雨が「あいにく」に閉じ込められていると思っていない人たちが、
桜の下でお弁当をひろげていたのでした。

服も同じです。
閉じ込める言葉が、いっぱいです。
やせてるからとか、太ってるからとか、
年だからとか、
同じ服と思われるとか、
きりがありません。

閉じ込められなければ、自由です。
雨が降っていようと、お花見する人たちのように。
最低限のルールを守れば、
(これは確かにあります。火を焚かないとか、ごみは持ち帰るとかね)
雨はあいにくではありません。

ルールを守りつつ、
閉じ込められないようにしつつ、
自由になれば、可能性はもっと広がります。
雨が降ったって、桜は美しいのです。

☆写真:雨の日の桜も風情があってよろし。

2013年3月24日日曜日

白シャツ、ふたたび

一時期、白シャツばかりを着ていた時期がありました。
ブンカに通っていた時期と、その後のニ、三年です。
そのときは、週末になると、
次の週に着る白シャツ5枚にアイロンがけをしていました。

そのときにお気に入りだった白シャツは、
ワ―カーズ・フォー・フリーダムというイギリスのブランドのシャツと、
ゴルチエのダブルカフスのシャツでした。

特にワーカーズ・フォー・フリーダムのシャツは、
着た時の分量感と、前立てについていたこったフリルの感じが好きで、
アイロンが面倒だったにもかかわらず、よく着ていました。

それがあるときから、さっぱり白シャツを着なくなってしまいました。
理由は、どんどんシャツのサイズがタイトになっていったから。
ストレッチが入って、ダーツでより細くなったシャツばかりになってしまって、
着なくなりました。

わたしは、どちらかというと、分量があって、
風が吹くと、ぱたぱたするような、中で体が泳ぐような、
そんなシャツが好きだったので、
タイトなサイズの白シャツは、あまり着たいと思いませんでした。

それがやっと、去年ぐらいになって、
風を受けてなびきそうな、そんな分量のシャツが市場に出てきました。
目安としては、身幅が95センチ以上で、100センチぐらいまで。
これぐらいのシャツを、ルーズに着たいのです。

今、わたしの好みの分量のシャツを探している最中。
なかなかこれといったものは見つからないのですが、
今、ちょっといいなと思える1枚があります。
もうちょっと探してみるつもりですが、
今年は久々の白シャツ気分なので、
何かしら買うつもりです。

ぴったりの白シャツが苦手だった方、
また、ぴったりの白シャツは似合わないと思っていた方は、
これからゆったりした白シャツが出てきますので、
ぜひ試してみてください。
似合わないのは、自分のせいではなくて、
シルエットのせいだったかもしれません。
身ごろの幅、袖幅、長さ、襟の大きさと形、白が黄色よりか、青よりなのか、
すべて吟味していけば、ぴったりくる白シャツに出会えると思います。
大事なのは、今流行っているシルエットかどうかより、
自分の好みのシルエットかどうかです。
白シャツというのは、いつの時代でも、すたれないアイテムです。
カール・ラガーフェルドがそう言っているのですから、
間違いないでしょう。

自分にぴったりの白シャツを着ていけば、
どこに行っても恥ずかしくありません。
それほどに、白シャツは最強のアイテムです。

☆写真:もくれん

2013年3月23日土曜日

「モテ服」を着たければ

これは好みの話です。好きな方法を選べます。

よく雑誌の見出しに「モテ服」と書いてあります。
そのモテるって、誰からモテるということでしょうか。

好きな人に好かれたいと、モテたいとは違いますね。
好きな人に好かれるかどうかは別として、
不特定多数の人に好かれたいということが、たぶん、モテるということだと思います。

不特定多数の人に、ただ漠然と好かれたいだけだったら、
テクニックを使えばいい話です。
それをやっているのが、アイドルと呼ばれる人たちでしょう。
不特定多数、しかも何万という人たちに好かれるように作られた、
技法の集大成です。

だからこそ、その不特定多数を裏切って、
ただ一人の好きな人と付き合ったりすると、バッシングされたりします。
違うだろ、おまえの目的は不特定多数に漠然と好かれたいってことだろ、と。

「モテ服」というのは、それと同じことです。
不特定多数の人たちが漠然と好きな感じがする、そのイメージを受け入れて、演じることです。
そのとき、その人本人が、本当はどういう人物かは、重要ではありません。
きっとある程度はうまくいくと思います。
モテ服を着たら、それをスクリーンとして、妄想をいだいた何人かの人たちから好かれるでしょう。
それが目的で、それで満足なら、そうすればよいでしょう。

だけれども、目的がそうでない場合は、
「モテ服」は、効果を発揮しません。
たった1人の好きな人に好かれたいのなら、その方法ではだめです。
その1人の人のためのスクリーンにならないと、だめです。
リサーチすれば、ある程度はつかめるでしょう。
相手の好みの格好をするというやつです。
相手が喜ぶのがうれしいなら、それもいいでしょう。

この2つまでだったら、大体は見当がつきます。
でも、実は、もう一つの道があります。

モテたい気持ちも、
誰か1人から好かれたい気持ちも、手放します。
なぜなら、どちらの気持ちも、それを遠ざけるだけだからです。
それは誰かから認められたかったり、
誰かを思い通りにしたい欲求からきているからです。

モテたい気持ちも、
誰か1人から好かれたい気持ちも手放します。
もういろいろ考えて、あれこれやるのはやめにします。
その結果、心が平穏になります。
心が平穏になり、すべてに対してあきらめます。
自分がどうにかしようとするのはやめて、上の存在にお任せにします。
不思議なことに、そうすると、運命は動き出します。
そしてやがて、魂の満足が訪れます。

エゴを満足させるか、魂を満足させるか、それは選択できます。
人生を、どちらのために使うか、それは自由です。

☆写真:近所のれんぎょう

2013年3月21日木曜日

着回しできない服もある

きのう、久々に「クウネル」を買ってみました。
わたしは、「クウネル」のセンスが100パーセント好きというわけではないのですが、
表紙の写真がやけによくて、一体あの写真はだれの写真なの?と気になったのと、
オリーブのスタイリストとして有名な大森伃祐子さんのリアルなワードローブがのっていたので買ってみました。

その中で、大森さんが面白いことを言っています。
「いわゆる「着回し」という概念はもないわけですね。」という質問に対して、
大森さんは、
「ないない、ないですね。」と答えています。

これ、すごくよくわかります。
ファッションが好き、オリジナルなものが好き、
デザインされたものが好き、となっていくと、どんどん着回しはできなくなるんです。
デザイナーの作品になればなるほど、ほかのものと一緒には、できません。

でも、そうすると、必然的に服の枚数は多くなります。
このワンピースにはこの靴、このバッグ、このコート、この帽子と、
ぴたっと計算が合うみたいにコーディネイトを作っていくわけですから。
ワードローブはどんどんふくらみます。

ただ、これはわたしがいつも書いているように、特殊な職業の人の場合です。
たとえば、デザイナーとかスタイリスト、ファッション業界の人、あと女優とかモデル。
あとは何だろう。1度着たら、もう二度と着ないようなお金持ち?

だから、うん、うん、そのとおりだよと思いながらも、
実際、普通の人には、それはできません。

世の中には、
着回しできる服と、
着回しを拒否する服とがあります。
必ずしも、特殊な職業の人ではないからといって、
着回しできない服を買ってはいけないというわけではありません。
たまにはいいと思います。
どうしても好きだったら、着回しはできないけれど買う、というのはありだと思います。

だけれども、無意識に着回しできない服ばかりそろえてしまうと、
結果的に、こんなにあるのに着るものがない、状態になります。
それは、誰とも仲良くできない子供ばかりの幼稚園のクラスみたいな感じです。
隣の子とは、ひとこともしゃべるつもりはない、みたいな。

どんな服だったら着回しできるか、そしてできないか、
それを見極めていくのが若いときじゃないかな、と思います。
くだらないものをいっぱい買って、いっぱい失敗して、大人になっていきます。
そうしないと、着回しできるシンプルがわからないわけです。

着回しできない服は、たまに食べに行くフランス料理のフルコースのようなものと考えるといいです。
日常的にはいらないけれども、食べたいときもある。
その頻度は人によって違います。
誕生日だけなのか、何かの記念日なのか、土日も行くのか。
それはそれぞれ自分で決めていけばいいと思います。

☆クウネルの表紙、だれの写真かと思ったら、なんと、タルコフスキーのポラロイド!そりゃ、いいわけだ。遠くからでも、光っていたよ。

2013年3月20日水曜日

毎日、あきないもの


春分、おめでとうございます。
きのうは、なんだか春を通り越しちゃって、
初夏の陽気の湘南地方でした。
今日から秋分まで、陽の季節です。

さて、わたしたちの生活は日常の積み重ね。
特殊な職業でもない限り、長い時間、着ているのは普段着、または仕事着になります。
しかも、毎日、です。
そうなると、毎日の着用にたえる服がよくなります。
食生活だったら、普通のご飯を毎日食べてもあきないように、
服も、毎日でもあきない服がよいです。

普通のご飯がごくごくシンプルな食べ物であるように、
毎日着る服も、シンプルが一番あきません。
ごちゃごちゃしたもの、デザインし過ぎのものは、長続きしない。
刺激的すぐたり、こすぎたりする味のものも、毎日はだめでしょう。
こすぎる愛情も、毎日はいらないでしょう。

たまに食べるとおいしいものとか、
たまに見るといいものとか、
たまに会うだけならいい人とか、いろいろありますが、
それはあくまで、たまにだからよいのであって、
毎日は無理です。

毎日でもあきない、
ずっと続くもの、
変化に耐えるもの、
そういうものは、シンプルなものです。

カール・ラガーフェルドは、
ジーンズと白いシャツとシャネルジャケットは、決してすたれないのだと言ったそうですが、
まあ、シャネルジャケットはみんな、持っていないとしても、
ジーンズと白シャツという、ごくごくシンプルなスタイルは、
流行をこえることができます。
(もちろんそのときどきで、流行のシルエットはありますが)

そして、それが理屈ではなく、
本当の意味で理解できたとき、
大人のおしゃれが始まるのかなと思います。

シンプルなものが似合う自分をどう作り上げていったらいいか、
服ばかりが印象に残らないようにするためにどうしたらいいか、
それでも毎日、新鮮でいられるためにどうしたらいいか、
そんなことを、ときたま考えています。

☆写真:小規模ながらも、うちも水仙祭り中!

2013年3月19日火曜日

コアなファンになっちゃおう


大手スーパーやショッピングモールの進出で、
街の商店街が壊滅的な打撃を受けているというのは、
日本国中どこに行っても同じだと思います。
けれども、何でもかんでも大手資本になったり、
チェーン店になったら、その街らしさもないし、
なんといっても、面白くありません。

服も同じで、日本全国に同じチェーン店があって、
大量に同じものが売られていて、
みんながそれを着ているというのも、味気ないし、おかしいです。

もちろんそういうお店の利点はありますよ。
便利とか、安いとか、近いとか、早いとか。
だけれども、人間はそれだけでは生きていけないでしょう。

ただ、小さいものがそれらに負けやすいのは確か。
レッドデータのリストに並ぶ植物のように、
簡単に絶滅してしまいそうです。

でも絶滅してほしくない。
均一化は豊かではありません。
だったらね、コアなファンになっちゃえばいいと、いつも思うんです。
そのお店なり何なりが継続できるだけ、
コアなファンが年間継続してそれなりのお金を落とせば、
そういった小さいものたちも存続できます。

1カ月1万円払ってくれる生徒さんが100人いれば、
どんなお教室でも十分成り立つでしょう。
この「1万」と「100人」は、それぞれ業種によって違う数字になると思いますが、
存続するのに十分なコアなファンがいれば、それでいい。
つまり、100万人に売れるように、薄味にすることはないと思うんです。

で、わたしたちのほうも、そういうお店なり個人の作家なりアーチストがずっと続けてほしいと思ったら、
長い目で見て(これ、重要ね)、応援していかなくては、と思います。
応援という形で保護していかないと、なくなってしまう。
人間ですから、いい作品のときもあれば、失敗作のときもあるでしょう。
それでも、トータルで応援していく。
そうすれば、小さいお店も、アーチストも生きていけます。

わたしも何か熱烈に、これ、絶対にいい、好き、と思ったら、
(それはカフェかもしれないし、アーチストかもしれないし、何でもいいです)
コアなファンになりたいなと思っています。
ずっと継続して応援していきたい。
いいときも、悪いときも、見守っていきたい。

そんなふうに思ったのは、最近、薄味なものにほとほと飽きたから。
そして、そういうものからは、ほとんど栄養をとれないとわかったから。
食べ物も、アートも、音楽も、たぶん、みんなそう。
薄味なものばかりに接していたら、心がかれます。

大きな資本に頼っていないような、小さなものたちにコアなファンがついて、
それが小さな村みたいに、日本じゅうにたくさんできたら、
とても面白いと思うんだけどな。
というかね、これから面白かったり、
なにか新しいものが生まれるのは、絶対そっちからだと思います。
だって、みんながほしいものを本当に提供してくれるのは、
その小さいものたちですから。

☆写真:うちのきんじょの桜も咲きました!

2013年3月18日月曜日

解釈するのは難しい

すべてのものはメッセージと思って、起きるできごとに注意をはらっていても、
そのできごとの意味がよくわからないことがあります。

先日も、ちょっと休憩しようと思って、入ったコーヒーチェーン店で出てきた、
紅茶が入ったカップの、ちょうど口をあてる部分に口紅のあとがべったりついていて、
驚きました。
「こ、これは、どういう意味?」

もちろんこういうお店はうつわを食器洗い機で洗っているでしょうから、
まずそこで口紅が落ちなくて、
しかもお店の人もそれに気付かなくて、
そのままわたしのところにきたわけですが、
だれかの口紅のあとがついたカップを見たところで、
いい気分になるわけがありません。

どういう意味だろうとニ、三秒考えて、わかりました。
そうだ、わたし、本当はここじゃないお店に入ろうと思ってたんだけど、
ちょっと遠いから、やめて近場のチェーン店にしてしまったんだ、
それがいけなかったんだ・・・
ということに気付きました。
行くべきところに行かなかったから、こんなカップが出てくるんだ・・・。
(もちろん、かえてもらいましたけど)

タロットでは、トランプのハートにあたるものはカップの形で表現されています。
ハートのエースとカップのエースは同じこと。
カップは気持ちをあらわします。
気持ちが満たされないという意味のカードには、カップが欠けた絵柄がかいてあったりします。
口紅がついたカップは、欠けてこそはいなかったけれど、
ハートは満たされないよということ。
そのとおりです。
はい、はい、わかりました。
ほんのちょっとの休憩も、人生の大事な1シーンとして、
大事にしないとだめ、
心が満たされる飲み物が提供されるお店に行かなきゃだめだよ、
ということですね。

そうやって、少しずつ少しずつメッセージはやってきます。
わたしたちは、それを見落とさないようにすればいいだけです。
そしてそれを追っていけば、
きっと、人生は奇跡的に展開していくのだと思います。

☆写真:桜と小さい三日月。

2013年3月17日日曜日

もし男だったら、何を着たい?

もしわたしが男だったら、断然着てみたいのは、
エディ・スリマンのデザインするもの。
つまり、ちょっと前だったら、ディオール・オム。
今だったら、サンローラン。

でも、エディ・スリマンのデザインしたものを着るのだったら、
それに見合うルックスを持っていなくちゃだめですね。
この人、何食べて生きているんだろうというほどひょろっと細くないと。
そして、ロックな雰囲気を持っていないとね。
理想はデヴィッド・ボウイみたいなルックス。
そういうルックスだったら、絶対に着ます。

こんなふうに、自分が今の自分と違う性別だったら、何を着たいか、
ときたま考えてみると面白いです。
きっと、それは、女性だったら自分の男性性の発揮の仕方、
男性だったら女性性の発揮の仕方に関係してくるのではないかな。
エディ・スリマンを着たいわたしは、反骨精神を持った、ロックな男性性を持っているということ。
しかも、それはマッチョの方向ではなくて、どちらかというとゲイに近い感じ。
で、そういう服装をしたら、それが発揮できそうな気がしているというわけ。
もちろん、実際にそうなるかは別の問題ですが。

あこがれの異性とは、自分の中にある異性像です。
なんていうことは、ずっと昔からユングが言っているわけです。
女性でも、男性でも、1人の人間の中に女性性、男性性、両方持っているわけだから、
理想は、それを統合したほうがいい。
エディ・スリマンを着たいわたしの中の男をどう自分の中で統合するか、
それがわたしの課題。
だから、今でもロックを聞くのかもね。

2013年3月16日土曜日

地元のデパートに足りないもの

きのうは久々に地元のデパートへ出かけました。
といっても、お買いものをしに行ったわけではなく、
デパートの中に入っているカフェで待ち合わせでした。

いわゆる婦人服売り場をざっと見て回ったのですが、
なんだろうなあ、
何かが足りないんです。
あえていえば、
「きらきらが足りないよ」という感じ。
地方のデパートは元気がないようです。

「きらきらが足りない」の「きらきら」は、1つは照明。
店舗の設備はすべてリニューアルされているわけではないので、
まだまだ普通の蛍光灯が多いです。
蛍光灯ばかり多いと、洋服はきらきら見えません。
どうしても会社や工場のようになります。

それから次は実際に並んでいる服。
みんなまだまだ、感覚が2011年ぐらいな感じです。
もう違うのに、全然追いついていない。

都会の最先端のものを置くデパートやセレクトショップだったら、
そういうことはないと思います。
そして、そういうところではお客さんも集まるだろうし、
服も売れるでしょう。
だけれども、中途半端な地方都市のデパートは、
セール品ばかりが目立って、なんだか残念です。

一方で、カフェはとてもにぎわっていました。
平日の昼間なのに、どこも8割方席が埋まっています。
春になったし、みんな、ちょっとデパートへでも出かけて、
うきうきしたいんですよね。
カフェの中だけは、照明もきれいだし、
何だかみんな楽しそうです。

「きらきら」しているところには、みんなが集まります。
そのきらきらは照明かもしれないし、
おいしい食べ物かもしれないし、
すてきな服かもしれないし、
くつろげる空間かもしれません。

人間だって、「きらきら」している人のところには、みんなが集まります。
それは笑顔かもしれないし、
優しい言葉かもしれないし、
おいしい料理かもしれないし、
一緒にいるとくつろげる、その雰囲気かもしれません。
別に何だっていいんです。
しかも、ほんのちょっとしたことでもいいんです。

なんだか元気がなくなっちゃったデパートも、
ほんのちょっとしたことで、きらきらすると思うんだけどなあ、
なんて思いながら、
帰りの電車に乗りました。

途中から乗ってきた大学生たちを見ていたら、
彼らの会話の中にはきらきらがありました。
ほんのちょっとしたところに。
何気ない言葉をきらきらにする魔法は、
誰だって、持っているのだと思います。

2013年3月15日金曜日

バイカラーコートの着こなしは

先シーズンの秋冬、バイカラーのコートが数多く売り出されました。
買った方も多いと思いますが、
買ったはいいけど、案外、コーディネイトが難しかったのではないですか?

きのう出かけたとき、前を歩いていた女の子が黒と紫のバイカラーのコートを着ていました。
そして、ふとその子のバッグを見てみると、
同じ黒と紫。
しかも、その紫がコートの紫とほぼ同じ紫なのです。
おぬし、なかなかやるなと思い、
足もとを見ると、紫のパンプス。
彼女はちゃんと色を考えて全身をコーディネイトしています。
ただ、後ろ姿だけしか見ていないので、
コートの下からはジーンズが見えただけで、
どんなインナーなのかはわかりませんでした。

おしゃれというのは、本当はこうやってやるものなんです。
これは、ちゃんと自分の持っているワードローブの色を把握していれば、
誰にだってできるし、
お金だってかかりません。
まずはここからです。

もちろんブランドものはすばらしいです。
それは決して否定しません。
けれども、そのすばらしいブランドのバッグを持つときも、
この基本ができているのとできていないのとでは、
おしゃれに見えるかどうかは、全然違います。
単なるブランドもののバッグを持っている人と、
おしゃれな人との差がここで生まれます。

色について、もっと意識しましょう。
それだけで、おしゃれ度はぐんと上がります。

2013年3月14日木曜日

リラックスできる服

久々に都内へ事務的な用事で出かけました。
遊びの用事ではなかったので、さっさと帰ってきてしまいましたが、
電車の路線によって、着ているものが変化するのか、
観察してみました。

乗ったのは、
小田急江ノ島線、
東急田園都市線、
東急大井町線、
なのですが、

小田急江ノ島線はなんとなくゆるい格好、
東急田園都市線は二子玉川あたりでブランドバッグ所持率、
そしてヒールの高さがピークに、
その先、大井町線に入ると、
また庶民的な雰囲気に、そしてちょっとゆるいな、という感じでした。
大井町線で、途中から、なんか頑張り過ぎているなという格好の人が乗ってきましたが、
その人は自由が丘でおりていきました。

田舎の服と都会の服というものが、あるとは思うのですが、
普通に生活しているレベルでは、そんなに差はないのかなと思いました。
都会といっても、青山、表参道、原宿、代官山、銀座、丸の内なんていうのは、
ちょっと特殊な場所で、そこにつどう人がまさに「都会の服」を着ているわけですが、
そうでない場合は、案外、リラックスしたごくごく普通の服を着るというのが、
いまどきの気分なのかもしれません。
それは年齢に関係なくです。

特に、リラックスした感じ、というのをどこに行ってもすごく感じます。
リラックス、つまり、くつろいでいて、どこにも無理な力が入っていない、
そんな感じが服装にもあらわれています。

リラックスすることは、本当に大事です。
リラックスしなければ、その人の本領は発揮できないからです。
1日に5分でも、10分でも、体も心も100パーセント、リラックスする時間を持てたら、
人生は少しずつよくなっていくと思います。
だから、どんな服を着たら、自分がリラックスできるかというのは、
知っていたほうがいいと思います。
だって、自分がリラックスできる服こそ、本当の勝負服ですからね。

2013年3月13日水曜日

「おしゃれノート」を買ってみた



雑貨屋さんをのぞいていたら、ちょっと面白い本を発見しました。
「おしゃれノート・リズリサ」 コクヨ
そして、あんまりよくできているものだから、
参考文献として購入してみました。
シールによる着せ替えブックなんですが、
リズリサというブランドの服をそのままイラストにしてあるそうで、
ディテールまで具体的に表現されています。
また、描いているのがデザイン学校の先生をやっていらっしゃる方で、
ダーツやで切り替え線がきちんと描かれています。


そしてこれがワードローブ。
見事にトーンが統一されていますね。
これならスタイリングもしやすそう。


で、やってみたのがこの結果。
このジャケットを最初に選んで、
セットアップではなくて、
どこかはずしたスタイリングを作りたかったのですが、
結構難しいです。
はずしアイテムもなかったので、普通な感じになりました。
あわせようとすると、ちょっとずつ色も違う。
スカートもジャケットから出てるし、
なかなか思い通りになりません。

これだけちゃんとテイストも色も合っていても、
スタイリングするのは難しいわけだから、
普通の人たちが毎日、スタイリングを考えるのは、
もっと難しいということですよね。
しかも、このイラストの女の子みたいに理想のプロポーションではないし。

わたしが子どものころも、シールではなくて、
ただの紙ですが、たくさんの着せ替え人形で遊んだものです。
あのときは色とか、はずしとか、抜け感とか、全く考えていませんでした。
だから、楽しく遊べたのかもしれません。
今はそうはいかないのよね。

2013年3月10日日曜日

何度も発見する

何度も何度も読み返す本というものは、そう多くはありません。
同様に、何度も見返す映画というのも、多くはないでしょう。

何度も読み返すということは、
何度読んでも発見があるということ。
前にも読んだつもりなのに、
ふたたび読んでみると、ちゃんと理解していなかったと気づくことが多いです。
その本が言いたいことが理解するまでにいくばくかの時間がかかるのかもしれません。

何度も読み返す、そのあいだに、何か変化があって、
気づきがあって、
成長があって、
やっとその本に追い付いて、
読み返すと理解できる。

きのう、久々にわたしにとっての「何度も読み返す本」を読んでみたところ、
今までさらっと読み飛ばしていたところに、
実は重大なことが書いてあるということに気付きました。
ああ、全然わかっていなかった。

本や映画だけではないのかもしれません。
人も、
場所も、
絵画も、
音楽も、
そのときはちゃんと理解していないかもしれない。
理解していないと心のどこかでわかっているから、
何度も行ってみたり、
見てみたり、
読んでみたりする。
そして、行くたびに、見るたびに、読むたびに、
新しく発見するのです。

でも、前に理解できていなかったとしても、
それも仕方のないことなのかもしれません。
理解するためには、それなりの経験と時間と痛みが必要でしたから。
そんなふうに考えれば、
年をとるのも、悪くはないものです。
若くしては理解できないことは、絶対にあります。

☆写真:デイジー

2013年3月9日土曜日

春色コートは春だけのもの


きのうはものすごく暖かい陽気で、
短パンにTシャツで子供を散歩させているお父さんを見ました。
いくらなんでも、そこまで暑くはないよと思いましたが、
とにかくもうウールのコートはしまってもいいかもと思えるぐらいの気温でした。
きょねんはたしか、お花見のころまでダウンジャケットを着ていたと思うのですが、
ことしはずっと暖かいです。
もちろん、地方によって違うでしょうけれども。

こうなってくると、
問題の春色コートが出てくるわけですが、
わたしは基本的にパステルカラーの春色コートはいらないアイテムに分類しています。
なぜなら、あまりにも着る期間が短いから。
春はほんの一時。
ゴールデンウィークを過ぎたら、気分はもう夏です。
その前に梅雨がありますが、
この春色コートが雨の日にも対応した、
ゴアテックスのレインコートならまだいいかもしれません。
レインコート、わたしは持っていませんが、
たしかに大雨の日には、あってもよかったかもなと思うアイテムです。

春色コートは単に色が春っぽいということだけなので、
秋に着ると、やはりそれは似合いません。
秋には秋色が着たくなります。

では何を着ればいいかというと、
通常のトレンチコートなり、ステンカラーのコートなりを着ればいいと思います。
特に春色にこだわらなければいいわけです。
また、冬とは何が違うかというと、
光の具合が違ってきますから、
けば立ち感のあるウールのものはやめましょう。
(梳毛と呼ばれる、表面がつるっとしたウールは大丈夫です)

どうしても春色のものを身に付けたかったら、
スカーフはストールなど、小物程度にしておいたらよいと思います。
それでも、春に何か違うコートを選びたい場合は、
うすいベージュやグレーを選べばいいと思います。
または最近、よく出ている麻素材のコートを選んでみるとか。
それだったら、夏の終わりごろまで着られます。

華やかな春色はお花たちに任せましょう。
色でお花とけんかしないように。
逆に、自然界に色が少ない真冬にきれいな色を持ってくるほうが、
おしゃれだと思いますよ。

☆写真:うちのすいせん。黄色はまさに春色だね。

2013年3月8日金曜日

トレンチコートの着こなし

だんだん暖かくなってきたので、
冬物のウールのコートの出番はぐっと減っていきます。
(もちろん地方によって違いますけどね)
そうすると、次に出てくるのがコットンやポリエステルの生地のコート。
その代表がトレンチコートです。
そして、これからが本当にトレンチコートの着こなしを楽しめる時期になります。

というのも、寒過ぎれば、前をきっちりしめて、
インナーもウールのニットと決まってしまうし、
今度は暑くなると、もうトレンチって感じじゃない、となってしまうので、
気温の問題からいって、コーディネイトの幅を持たせることができるのは、
春と秋のほんの短い期間になります。

最近、通勤着としてトレンチコートが定着してしまったようで、
トレンチコートが、どちらかというと、会社用のコートになってしまいますが、
それだけではもったいないです。
また、色もベージュと黒がメインなので、
誰が着ても何となく同じ感じになってしまうのが最近のトレンチコート。
だからこそ、自分なりの着こなしを考えたらいいと思います。

じゃあ、どうやるかって、
単純に会社に行くときとは全く違う格好をすればいいわけです。
ミニスカートやショートパンツにトレンチ、
レースのワンピースにトレンチ、
ダメージ・ジーンズにトレンチ、
もちろんカーゴパンツとあわせてもよし。
会社にいくときは、かっちりとした着こなしだったのを、
くずしまくればいいわけです。
トレンチコートというのは、かたさのあるコートです。
(わざとシルクとかで作ってない場合ね)
だから、インナーはゆるくすれば、新鮮になります。
ふわふわした素材のワンピースとか、
ランジェリーのような作りのドレスとか、
ジャージーのパンツとか、
素材自体がゆるいもの。
または、アイテム自体がカジュアルなものを持ってくるわけです。
つまり、オフィスには着ていかないようなものです。

そして、中に着るものが決まったら、
コートを羽織るとき、それが見えるようにするわけです。
前をしめないとか、
半分だけあけてベルトでしめるとか、
いろいろ方法はあります。
見せないと、意味がありません。
そして、それができるのは今から少しの間だけ。
失敗してもいいので、トレンチコートを持っていらっしゃる方は、
ぜひチャレンジしてみてくださいね。
せっかく買ったいいコートですから、
活用しないと損です。

☆写真:菊池京子さんの「colors」という本にはトレンチの着こなしの提案がたくさんのっています。

2013年3月7日木曜日

次の秋冬コレクション

きのうあたりから、湘南地方は一気に春めいてきました。
もうもこもこブーツはやめたほうがいいでしょう、という感じです。
ただ、日本列島は細長いので、まだまだ寒くて、雪がたくさん降っている地域もあるのですよね。
今年の雪は本当に大変だと思います。

さて、そろそろ各地のコレクションのレポートが終わりに近づき始めました。
あとはパリが少し残っているくらいかな。
昔と違って、今はネットでほとんどのコレクションが見られるので、大変便利です。
しかも時差がない。
昔は、2カ月後ぐらいにコレクションの写真が載った雑誌を買うまでわからなかったわけですから、
隔世の感があります。
そして、どのブランドもコレクションの情報を積極的に出しています。
秘密にはしないんですね。
それがかえって、宣伝になるということを知っているからだと思います。
昔は情報の流出を恐れていたわけですが、
知れ渡ってしまえば、誰かがコピー商品を作ったところで、
それがコピーだとばれますもの。

さて、ざっと全体を見渡してみますと、
次の秋冬シーズンは、まだまだみんなイメージの模索中というところだと思います。
かえって、春夏のほうが傾向がはっきりしていました。
それは軽さを表現するのに、春夏のほうが素材的にも簡単だったからだと思います。

そんな中、1つの大きな傾向は、肩のラインです。
みんな、ものすごいなで肩シルエットです。
プラダにいたっては、肩がずり落ちています。
全体のシルエットは、どんどん楕円形に近づいてきました。
また、軽やかの表現として、ルイ・ヴィトンはランジェリーに向かいました。


それともう一つ、やはりディオールの復活ということが言えると思います。
ディオールのクリエイティブ・ディレクターがラフ・シモンズに変わったのは、
ガリアーノの人種差別発言が原因なわけですが、
かえって、ラフ・シモンズのほうがディオールの正当な承継者のようです。
もちろん、ガリアーノの時代もディオールはそれなりに売れていたわけですが、
今のラフ・シモンズのほうが、ずっとディオールらしいデザインです。

ディオールが復活したというのは、
ディオールのシルエットが復活したということです。
やっぱりディオールのデザインは、洋服の一つの完成型なんですね。

50年代、60年代の映画の着こなしが、
今再び新鮮に見えてきます。
何日か前に、オードリーをCGで再現して作られたCMを見ましたが、
あのスタイルは、今でも全く古びることなくおしゃれです。
今年は古い映画を見直すのにいい時期かもしれません。



2013年3月6日水曜日

「今」にいるこつ

「今」にいることの大切さを、先日、ここに書いたのですが、
詳しいことは、どんどん怪しい内容になりますので、
具体的には書けません。
というのも、わたしは本名でブログを書いているからです。

これが、エンジェル・レイラとか、サラスバティ・ヨーコとか、
わけわかんない名前とか、
もしくは、円城寺すみれとか、一之瀬麗華とか、いかにもペンネームだったら書くんでしょうけど、
そうじゃないからねえ。
やめておきます。

でも、あやしくなる前の「今」に入るこつみたいなのは書けるレベルなので、
書こうと思います。

まず大切なのはリラックスです。
筋肉のどこかに余計な力が入っていない感じ。
だけれども、リラックスだけでもだめです。
同時に集中もしてなければなりません。

一番この状態を感じやすいのは、
大好きな作業に没頭して、時間の感覚がなくなる状態のとき。
このときは完全に「いま」に入り込んでいます。
人によっては、それは編み物かもしれないし、マラソンかもしれないし、ペンキ塗りかもしれないです。
それは人それぞれなのですが、わりと単純作業の中に、
こういう瞬間が訪れやすいです。
また、ものすごく上手な人からエステやマッサージを受けている間も、
この状態に入れるかもしれません。
まずは、そういう状態を体で覚えること。

そして、そのあいだは過去も、未来にも思考を飛ばさないこと。
過去と未来に思考を飛ばさなければ、感情も動きません。
感情は動かず、風のない日の水面のようになります。
ぴたっととまっている感じ。
集中すると思考は飛びませんので、その状態になるには自分が何をやっているときが一番近いか、
リサーチするといいと思います。
そして、その感覚を日常の中に持ち込むのです。

もちろん、1日じゅうそんな状態でいることはむりですから、
1日のうち5分でもいいので、すっとその状態に入れるように訓練するといいと思います。
そのためにはまず自分がどうしたらそうなるか見つける、
そして繰り返しそういう状態に入るように練習する、
それだけです。
編み物をしなくても、ペンキ塗りをしなくても、マッサージ中でなくても、
その状態に入ることができればOKです。

そして、そういう状態に何となく入れたなと思ったら、
こんどは意識を頭からハートに持っていきます。
これは、意識をハートに置いた、と自分で設定するだけでいいです。
それがうまくいくと、ハートを中心にあたたかいものが込み上げてきます。
それはまるで小さな太陽がハートにできたかのような感じです。
そうすると、その瞬間、ふっと「今」の中に永遠が見えてきます。
いわゆる、つながりやすい状態になります。

つながるって、どこへつながるかって?
もちろん、それは宇宙です。

とりあえず、ここまでです。
これだけできると、けっこういろいろわかってきます。
確実にね。

2013年3月4日月曜日

実は、ベージュは難しい

ワードローブを構築するとき、
自分のメインのカラーとしてベージュを選ぶ人は多いです。
けれども、実はベージュって、結構難しい色なのです。

ベージュは、赤、黄色、黒、白から成り立ちます。
つまり、色の構成要素が多いのです。
それに比べて、黒は黒のみですし、
グレーは黒と白です。

そのほか、色の三原色である赤、青、黄色も、
いわゆるニュアンスのある色を選ばない限り、
さほど難しくはありません。

ベージュといっても、色にかなりの幅があるので、
違うブランド同士をベージュをあわせようとすると、
ほとんどあわないです。
あるものは赤みが強かったり、
あるものは黄色が強かったり、
または白が強かったりと、いろいろです。
どこが強調されているかは、
デザイナーや、生地メーカーの好みで決められますから、
それがそれぞれ違って当然なのです。

言えることは、2つのブランドを持ってきて、
同じベージュに見せようとしても不可能ということです。
たとえば、Aというブランドのベージュのジャケットと、
Bというブランドのベージュのスカートを持ってきても、
スーツのようには見えません。
また、グラデーションに見えるかといえば、そういうふうにも見えません。

その点、黒やグレーはそれが可能です。
違うブランド同士の黒を持ってきても、そんなに変わりありません。
その意味で、ベージュは難しいのです。

最近、はやりのグレージュは、もっと幅があります。
基準のない色です。
また、カーキなども、それぞれのメーカーでかなり違います。

もしベージュのジャケットでスーツに見せたいなら、
最初からスーツで買うか、
買い足すとしても、同じブランドのものを選ぶと、
大きく差は出ないでしょう。
(ただ、シーズンが違ってしまえば、当然ながら変化していきますが)
または組み合わせの必要のないコートやワンピースを選ぶなど、
最初から面積が多いものを選ぶのもいいと思います。

ベージュをメインに持ってくるコーディネイトは、
上品で素敵なのですが、
組み合わせるときは、上記のことを考慮してくださいね。
そうすれば、失敗は少なくなると思います。

2013年3月3日日曜日

本当に必要な枚数は

ファッション・レッスンの中で多い質問は、
洋服の必要枚数についてのものです。
皆さん、何枚必要なのか、とても知りたがっています。
ただ、実際のところ、その方の日常やお仕事によって、
必要枚数は変わってきます。

けれども、本当のところ、皆さんが知りたいのは、
何枚あれば、みんなにいつも同じ服ばかり着ていると思われないかというところだと思います。
自分の生活に合った必要枚数ではなくて、
他人の目から見た、必要枚数です。

なぜそこまで他人の目が気になるかというと、
1つは、他人に認められたいからという気持ちがあるからだと思います。
他人にどう思われるか、
つまり、他人にどうしたらよく思われるか、
そしてそのために何かしたいという気持ちがあります。

何回か書いていますが、
他人がどう思うかをコントロールすることはできません。
そして、他人といってもたくさんいるわけで、
その人たちすべてのニーズにこたえることはできません。
他人によく思われたいというのは、しょせん無理な話なのです。

強く他人に認められたいという思いがある人の中には、
自分で自分を認めていないという人がいます。
自分で自分を認めていれば、
他人にどう思われようと、
他人が自分のことを認めてくれなくても、
さほど気にならないものです。

他人に認められたいという気持ちがある限り、
何枚必要なのか、
そしてそれは多いほうがいいのではないかという気持ちからは抜けられません。
だから、まず最初にやるべきなのは、
他人に認められたいという気持ちを手放すことなのです。

他人に認められたいという気持ちがわいてきて、
おなかのあたりがそわそわしてきたら、
その感覚をまず認めて、感じ取り、
感じきったら、さよならすることです。
なかなかさよならできなくても、
自分は他人に認められたかったんだと気づくだけで、
大きく違います。

服の必要枚数はそれぞれ違います。
他人に認められたいという気持ちが完全にうせたとき、
本当に必要な枚数がわかります。

2013年3月2日土曜日

気になることは早く片付けたほうがよい

きのう、ずっと気になっていた青色申告と確定申告の書類を終わらせました。
見直しは同じ日にしないで、月曜日にして、それで郵便局へ持っていって郵送で提出です。
気になることがあるというのは、やはりよくないです。
エネルギーが漏れます。

もちろん、いつだって、すべて完了、終わったということはないですから、
何かしらやらなければいけないことがあるわけですが、
青色申告と確定申告は1年の中でも一番気にかかる存在です。
それはたぶん、苦手だから。

たとえば、気になる人っていますね。
苦手とか、嫌いで気になる人。
それも、本当はもう気にならないという状態に持っていったほうがいいんです。
気になったままだと、
またその人が苦手な状態で、嫌なことをする状態で、
自分の前にあらわれます。

もう何にも気にならない、
顔を見ても、名前を聞いても、
心が一ミリたりとも動揺しないという状態まで持っていくと、
不思議なことに、その人は自分の世界から消えていきます。
これは何度も経験済みです。

気になるということが、何かしらのエネルギーを発するのかもしれません。
それを相手も察知して、そのようにあらわれてくる。
頼んだわけではないですが、何かしらやらかしてくれます。
しかし、それも、あれ、そんなことあったっけ、ぐらいまで持っていくと、
何事も起こらなくなります。
不思議なのですが、そういう法則のようです。

気になることによって漏れているエネルギーは、たぶんその方向へ向かっていくのでしょう。
そうならないためにも、気にならないのが一番です。

2013年3月1日金曜日

「いま」にいることの大切さ

「いま」にいることがとても大事だということは、いろいろなところで言われています。
仏教、禅などなど。
瞑想するときも、「いま」にいるのが大事で、
雑念にとらわれないようにと言われます。

なぜ大事なのかは、いろいろ理由があるでしょうが、
人間は過去にも未来にも存在できなくて、
ただあるのは「いま」だからということが、まず言えると思います。

だけれども、それだけではないのだと、この半年で大きく気付きました。
今という瞬間には、永遠があるのです。
それはx軸とy軸のような関係です。
過去から未来へと続くのがx軸だとすると、
水平方向にy軸として、無限へ続くエリアがあります。
それが永遠です。

そして、その永遠の中に、無限の情報網が存在し、
それにアクセスできるようになると、
世界は二重の意味を持ってあらわれます。
ただ、それに気付くには、常に過去でも、未来でもなく、
「いま」にいなければなりません。

このことに気付いてしまったら、
今までの自分ではいられなくなります。
そして、今まで「いま」にいなかった自分が悔やまれます。
「いま」にはすべて必要な情報が含まれています。
思考や感情に邪魔されなければ、
いつでもどこでも、それにたどりつけるのです。

ランボーは「永遠」という詩の中で、こう言っています。

Elle est retrouvée,
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.

「見つかったぞ。
何がだ!――‘永遠’。
太陽と手をとりあって
行った海。」
(粟津則雄訳)

わたしは二十歳のころ、ランボーと同じ永遠を、
南武線の電車が多摩川を渡るとき、
水面に太陽の光が反射するのをながめていて見つけました。
たしかに、そこには永遠がありました。
だけれども、今まで活用してなかったんです。

「シンクロがたくさん起こるようになりました」なんて、
のんきなことを言っている場合じゃないです。
すべてに意味がありますし、
しつこく、何度でも教えてくれます。
(このしつこさは、本当にすごいです。わかるまで、繰り返し教えてくれます)

いつか、こういうお話を皆さんにシェアできたらなと思います。
本当にシンプルです。
こればかりは、秘儀でも何でもありません。
誰にでも、できます。

☆写真:玄関の花をラナンキュラスに変えようと思って、きのう買いました。