2013年1月31日木曜日

春を先取りするなら今から


きのうの湘南地方はほんとうにあたたかくて、
まさに春が来た、という感じでした。
外に出て、富士山の写真を撮ったのですが、
空気がかすんでいて、何となくぼんやりした富士山にしかならなかったので、
写真のアップはあきらめました。

これだけ太陽の光がゆるくなってくると、
冬の服は徐々に退場かなと思います。
ただ、もちろんまだまだ寒い日が続きますので、
少しずつ、少しずつ、消えていってもらいましょう。

太陽がだんだんと天頂に上がってきているわけですが、
そうなると、光が明らかに違いますね。
この光の具合に不似合いなのは、フラノみたいな、
少し起毛したウール。
シャギーやツイードも、だんだん似合わなくなってきます。
ただ、ウールだからといってすべてだめなわけではなく、
ツイルやギャバといった、梳毛と呼ばれる、
けば立ちのない、光沢のあるウールは問題ありません。
サマーウールも梳毛です。
また、色が明るい場合も、春先まで大丈夫です。

そのほかにも、小物を明るい色に変えるというのも、
春の先取りのいい方法だと思います。
それと、抜け感。
首元、手首、足首なんか、素肌が見えると、
ああ、春が来たなと感じます。

季節の先取りは、おしゃれに見える手っ取り早い方法です。
簡単だし、テクニックもいりません。
もし、インナーとして、もう春夏ものを買ったという方がいたら、
どんどん着てしまいましょう。
外側は分厚いコートでも、中は春夏というのもおしゃれに見えます。
(ただ日本の夏は長いので、今から着たら、相当長く着ることにはなりますね)

先取りでおしゃれに見せるというのは、まさに今しかないので、
ぜひやってみてくださいませ。
案外これをやるのは少数派なので、周りの人は、あれ、なんかいいなと感じると思います。

☆写真:小田原のチューリップ。黄色は春の色だね。

2013年1月30日水曜日

行きつけへの憧れ

私はあまり外食というものをしないので、
行きつけのお店というものがありません。
ただ、一人でふらっと寄れるいつものカフェ、みたいなのがあったらいいなとは思っていました。
軽い食事ができて、ちょっと休憩できるような、そんなカフェで、
うちからもそう遠くないところに。
かといって、近すぎても駄目。
近かったら、うちに帰って、チャイ飲んだほうがいいということになってしまうので、
適度な遠さというのもポイントです。
いつもの買い物の帰りに寄れるような場所でとか、
いろいろ条件があります。

そんな野望を持って、早何年かが過ぎましたが、
最近、ちょっとここは行きつけになるかも、という予感がする小さなカフェ・レストランを見つけました。
オープンしてまだ半年。
店主はフランス帰りの女シェフ。
昼間の忙しいとき以外はお店を一人で切り盛りして、
積極的にカウンターのお客さんとコミュニケーションをとっています。
かかっているのはフランスのラジオ放送。
これ、ちょっとうるさいんだけど、
80年代のポップスがかかってたりして、面白い。
表通りから1本中に入った通りにあって、
席数も20に満たないくらい。
棚にはロブションの料理本が飾ってある。
カウンターに座ったら、
どんな手さばきで料理ができてくるのか、じっと観察。
小さなキッチンをうまく使いこなしながら、
一人分ずつ丁寧に作業する、その姿を見ているだけでも楽しい。
そして出てくるのは、一皿一皿、心のこもったおいしい料理。
決して豪華ではないんだけど、食べると心があたたかくなる。
このシェフがどういう境遇の人で、
なぜこの場所に店を出したのかは謎。

あらあら、何だかいいではないですか。
ドラマの設定みたいですね。
ここから物語が始まりそうです。

きのうで行ったのは3回目。
もうシェフも私の顔を覚えてくれていて、
常連さんきどりで席に座りました。
もしかして、私にとって初めての行きつけのカフェになるかも!

さて、いつかこのブログに書いた、
とってもすいている店内なのに、壁に向かって食べるよう席を案内した、
あのカフェ。
この前、前を通り過ぎたら、閉店していました。
それはそうだわ。
あのサービスではお客さんは来ません。

初めての行きつけのカフェで、どんな物語が始まるのか、
そしてその物語はどんなふうに展開するのか、
今からとても楽しみです。

☆写真、撮ったんだけどいまいち。今日はなしです。

2013年1月29日火曜日

毎日写真を撮るのは大変だね


どんなことでも毎日続けるのは大変なわけですが、
私にとって、写真を毎日撮るのは、大変でした。
まあ、写真家ではないので、仕方ないと思いますが。

あと、あまり出かけないので、
出かけた先で撮るとかもないですし、
買い物もあまりしないので、買ったものとかもないですし。

一時期、写真家のアラーキーが好きで、
写真展なんかをたくさん見たんですけど、
アラーキーの写真の枚数って、すごいのです。
膨大で、よくもまあこれだけとれたものだと思いました。
しかし、その膨大な量こそが、アラーキーが天才であるゆえんなのでしょう。
なかなかまねできるものではありません。

もちろんアラーキーですから、いろいろなモデルさんの写真がたくさんあるわけなのですが、
でも私がもっともすごいと思った写真展は、
日々の空の風景だけ写したもの。
自宅の窓から撮った空の変化だけの写真の連作で、
その中でも、地平線を画面に対して斜めに傾いて写した空の写真を見たとき、
これはすごいと思ったのでした。
それはただの空ではなく、
斜めの地平線とともにある空なのです。
そして、地平線を斜めに入れたということが、写真家の目になります。

日々、写真を撮り続けると、
日常の変化とか、ささいなことを発見する訓練になります。
それまで見落としていたものが見えるようになってきます。
光の角度とか、色とか。
植物の芽ぶきとか。
どんなことでも続ければ、ある程度は形になっていくものです。

ちょっとお休みしていた写真の貼り付けですが、
やっぱりあったほうが、格好がつくので、
できる限り、写真つきにしたいと思います。

☆写真:ろうばい、やっと咲いた。青い空とのコントラストがきれい。

2013年1月25日金曜日

長く着られる服って、どんな服だろう

どういうものが長く着られるものだろうかと、誰もが疑問に思うと思います。
長く着られるものだったら、多少、お値段が高くてもいいわけです。

私の場合、大体気にいると、穴があくほど着てしまうので、
着用回数の多いものは、長く着られるデザインでも、とっておいたものはないのですが、
現在、最も長く持っているものは何だろうかと点検してみました。
大きなものは3点あります。
(前におしゃれブログで出した、母のお下がりヴィンテージは除きます)

15年以上前のものは、
ロメオ・ジリのシルクの一重ジャケット、
ヘルムート・ラングの薄いウールの裏つきジャケット、
ちょうど10年前に買ったものは、
バーバリー・プロ―サムのライナーつきステンカラーコート
以上です。

ロメオ・ジリのジャケットは、おしゃれブログのどこかに写真があると思います。
これはデザインが大好き。
別にこれが流行っていたわけではなく、単に私が好きというだけ。
ロメオ・ジリのものはどれも作品のようで大好きだったのですが、
私には高すぎて買えませんでした。
それでやっとセールで買ったジャケットを今でも大切に持っています。
セールで3万いくらぐらいだったと思います。
ただ、着用回数は少ないです。シルクなので、夏には不向きのため、あまり着てはいません。

次のヘルムート・ラングのジャケット。
ヘルムート・ラングは大好きで、一時よく着ていました。
大好きなだけではなく、友達がたまたまヘルムート・ラングを扱っている会社にいたので、
もっぱらファミリーセールです。
で、今も持っているのはそのファミリーセールで買ったもの。
定価は4万いくらぐらいだけど、私は1万5000円ぐらいで買いました。
ラングって、出てきたころから、ジャケットに肩パッドがありませんでした。
ロメオ・ジリもそうだけど、私は肩パッドがあまり好きではないので、
当時は珍しかった、パッドなしのジャケットをよく着ていたのでした。
タイトなシルエットが流行ったころは、着ない年もありましたが、
今年あたりから再び復活です。
独特の流れるようなデザインは、今でも色あせません。

最後のバーバリー・プロ―サムのステンカラーコート。
これは、私がヨーロッパ旅行に行くときには必ず着ていくもの。
定価はたぶん30万ぐらいなのですが、
私はサンヨーの配送センターの脇にある、会社に付属しているアウトレットで買ったので、
なんと、3万円台だったのでした。たぶん、サンプルかなにかなのだと思います。
バーバリーはトレンチのほうが有名ですが、
私は背も小さいし、横から見ると薄い体型なので、
似合うトレンチが少ないのです。
体が薄いので、ダブルがまず似合いません。
肩パッドのない、ごくごく普通のステンカラーのコートで、
色はカーキ、ライナーはカーキのバーバリーチェック。
いくらサンプルだとはいえ、なんでこのコートがこんなに安かったのかというと、
たぶんですが、外から見ても、バーバリーだということがわからないのが理由だと思います。
脱がないとわからない。
しかも脱いでも、バーバリー・プロ―サムのエンブレムのような刺繍のマークがあるのみなので、
知っている人しかわからない。
バーバリーのものは、マークがついていないと、途端に安くなりますね。
このコートはごくごくシンプルなデザインなので、まだまだ10年ぐらい平気。

これらは定価はそこそこ高いものですが、
では、私が今まで買った一番高い服かというと、そうではないんです。
今まで買った一番高いものは、コム・デ・ギャルソンのウールのマント。
あれは15万ぐらいだったかも。
だって、青山本店でしか売ってないもので、本店で買っちゃいましたから。
そのころ、ヨージばっかり着ている友達がいて、
彼女と一緒にお店に行って、ちょっと張り合ってしまったんですね。
馬鹿でした。反省しています。
あれは、ほんとうにどうしようもなかったです。
着ていると、ずるずるずり下がってくる、
やけに重い、
重いのに寒い、
歩きにくい、
着にくい。
じゃあ、なんでそんな欠点ばかりのものを買ってしまったかというと、
当時、マントって売ってなかったんです。
しかも、そのマント、綿のヴェルヴェットとウールの二重構造でした。
で、ヴェルヴェットとマント好きな私は、それにつられて買ってしまいました。
そんな高かったマントですが、
10年ももちませんでした。
まず、すぐ虫に食われた。
そして、あまりの着にくさ、寒さに、徐々に着なくなってしまいました。

そのほか、ヨージ・ヤマモトのスーツなんかも、アパレルで仕事をしていたときには着ていましたが、
あれも、捨てました。
まあ、よく着たので、ウールがてかり出したのも原因ですが、
じゃあ、てからなかったら今も着ているかと言われれば、
それは無理なデザインでした。

長く着られるものは何なのか、
絶対これだとは言えないのですが、
やはり洋服としての基礎がしっかりしているもの、
もしくは、作品としても通用するデザインであること、
などではないかなと思います。
残念ながら、日本人デザイナーの服は、その条件を満たさなかったようです。
どちらかというと、流行りものの部類なのでしょう。

というわけで、これから未来を見据えて、
どんな服がずっと着られるか、考えています。
たぶんそれは、洋服の歴史をきちんと受け継いだものであると思います。

2013年1月24日木曜日

バッグも小道具だと考えると

妹のバッグ選びに付き合いました。
実店舗ではなくて、ネットの通販です。
これから何年も持てるバッグが欲しくて、
いわゆるハイブランドといわれるブランドのバッグを片っ端から見ていきました。

私は案外、ブランド物は持っていなくて、
どこのブランドのどういう形のバッグはいくらぐらいなどということは、
あまりよく知りません。
それが今回、まとめてだーっと見て、いろいろわかりました。
どれも、お高いのね。

だけれども、それだけのクオリティであり、
搾取的な工場で作られたものでないのなら、
それぐらいはするかもな、とは思います。

一緒に見ていったら、私も欲しいなと思えるバッグがありました。
だけれども、あとになって、やっぱりいらないという結論になりました。
なぜなら、今の私に、そのバッグは必要ないからです。

最近の私は、あまり都会には行きません。
(単に疲れるからですが)
湘南あたりをぐるぐる動いているだけです。
そうすると、そんなハイブランドのバッグは、いらないのです。
ほとんど意味ないんです。
私のイメージだと、そういうバッグが似合うのは、
表参道、青山、代官山、銀座、新宿、よくて横浜のみなとみらい地区ぐらいで、
(すみません、地方はわかりません)
湘南では、似合わないんです。

動くエリアが、いわば私という主人公の背景、シーンになります。
で、そのシーンには、小道具として、そのバッグは似合わない。
そうなると、やっぱり必要なくなります。
もしこの主人公が、都会でお仕事をする場面があったら、そのバッグを持たせてもいい。
だけれども、もし私が主人公であると同時に監督であったら、
そんなバッグ、湘南のシーンにはいらないねと言って、却下です。

場違いという言葉がありますが、
これは何もシチュエーションだけではなくて、
背景となるシーンにも言えるのだと思います。
どんなシーンにも、それにふさわしい小道具があるはず。
私の場合は、ハイブランドのバッグを買うよりは、
ぼろぼろになった、夏のビーチサンダルを買い替えたほうがよさそうです。
なんてたって、ビーチサンダルは、夏の小田急江ノ島線や江ノ電にぴったりのアイテムですし、
主人公が片瀬江ノ島の駅でおりるのだったら、
やっぱりはいているのはビーチサンダルでしょうから。

そんなわけで、バッグはやめて、夏のビーチサンダルを新調しようと夢想中です。

2013年1月23日水曜日

春の気配

だんだんと日が伸びてきました。
まだまだ寒い日が続いているのですが、
太陽の角度から、なんとなく春を感じるこのごろです。
梅のつぼみも動き出しました。
自然をよく観察して生活していた時代には、
こうやって春を感じてから、お正月がやってきたのですね。
だから、「初春」だし、おめでたいなと思えたのでしょう。

自然を無視しようというグレゴリオ暦にそって行動していると、
自然の変化にはやはりうとくなります。
新月、満月、潮の満ち引き、太陽からさす光の角度、
それによって動き始める草の芽ぶき。
これらを感じられるようになると、
自然と優しくなれるような気がします。
自分の中の自然の部分を認めることができる。

私の好きなサティシュ・クマールさんが、去年、来日したとき、
「自然は気前がいい。たくさんの果実や野菜も、すべてただで供給してくれる」
というようなことをおっしゃっていました。
それを心底信頼できたら、こんなにも、
生存をおびやかされるような恐怖を感じなくてすむのかもしれません。
社会は、足りない、足りないと訴えてきますが、ほんとうはそうではありません。
だけれども、私たちは、「希少」とか「レア」という言葉に弱い。
足りないと思わされて、それを持たなければと焦ってしまう。
ほんとうは余っているし、自分が所有する必要もない。
所有の喜びは一瞬で、長続きしないものだと、
みんなうすうす感ずいているのにね。

これからは所有する、握っていることによる喜びではなくて、
手放す、解放する喜びにシフトしていくのではないでしょうか。
何にもないところに、もらった1個のみかんは、それはそれはおいしいものです。
たくさん持っている場合は、手放していけばいい。
今までは、「その人、わたしのものよ!」とか言って、もめ事になったけど、
そこで、「え?私、いらないわよ」と言ってしまえば、
「私のものよ」と言って、握っていた人よりずっと幸せ。

握っていないで、手放すほうが、実はもっと幸せなのだと、
気付く人がふえつつあるように思えます。

2013年1月22日火曜日

今朝は寝坊、そして猫の話

今朝は寝坊しました。
犬もほえなかったし、朝だということに気付きませんでした。

会社勤めをやめて以降、
旅行など、朝早く起きる必要がある場合を除いて、
私は目覚まし時計というものを使いません。
だんだんと一定の時間に目が覚めるようになって、
遅くとも7時には目覚めるので、
目覚まし時計が必要なくなりました。

大体、朝7時に目が覚めなかったとしても、
犬がほえたりするので、なくても大丈夫です。
ただ、今日みたいに、雨が降って、外が暗い日だと、
犬も起きないので、ごくたまに寝坊してしまいます。

そうそう、猫は、一緒に寝れば、朝起こしてくれるのですが、
私は猫と一緒に寝ないし、自分の寝る部屋に猫を入れないので、
猫が起こすことは不可能。
猫が起こしてくれるのはいいのですが、
猫の都合のいい朝時間なんで、
とんでもなく早いです。
大体、夜明けが目安ですから。
あの、肉球のある手で、頬をさわられたり、
口に手を突っ込まれそうになったりします。

猫というのは、すごく自由気ままで、言うことなんかきかないと思われていますが、
そんなことはありません。
昔、うちでは、台所には猫は入ってはいけないルールになっていて、
何回も根気よく、このラインから先に入ってはいけないと教えたところ、
ちゃんとライン上に座って、中には入らなくなりました。

また、ジギーちゃんという猫に(もちろん、ジギー・スターダストからきています。
なぜかって、ジギーの髪は日本からきた猫に似ていると、歌詞にあるからです)
ドアをあけてほしいときは、ドアにかけたすずをならすように指導したところ、
ちゃんと覚えて、あけてほしいときは、そのすずをならしていました。
猫だって、やれば結構できるんです。

寝坊から猫の話になりましたが、
寝坊しても、問題が起こらない程度だったら、かえっていいかもしれません。
なぜって、それは、もう少し寝ていたいという体の声を、
素直に聞くことができたという証拠ですから。

2013年1月21日月曜日

風邪をひいたら

video

きのうの夜から寒気がしていて、
どうやら風邪の初期症状のようです。

そして、この風邪の初期症状を通して、
またしても自分の心のくせを発見してしまいました。

私たちは学校や会社にいたとき、
「休んではいけない」と言われます。
そのため、自分の体、ひいては自分の存在自体にとって、
休んだほうがいいにもかかわらず、休まないということがよくあります。
また、社会も、熱が出ても○○したとなど、
無理してやったことを称賛する傾向があります。

私も「無理をすることのほうが、自分を大切にして休むよりいいことだ」と思いこんで生きてきました。
けれどもね、その結果、体はぼろぼろです。
今回、またしても、それに関して葛藤がありました。
無理してでも○○すべきか、それとも体の言うことを聞いて休むべきか。

結局、休む、寝ていることに決めたのですが、
やはり小さいながらも葛藤や抵抗が生まれました。
休むことに対する小さな罪悪感です。
本当に休んでいいのだろうか、という。

でも、やっぱり休んでいいんです。
今までだってそうでした。
無理して休まないで、ひどく体を壊しても、
誰も助けても、フォローしてもくれませんでした。
休まないでやるように脅してきた相手も、最終的には逃げていきました。

心の底から、「休んでもいいんだよ!」と、休むべき人たちに言ってあげたいです。
だって、人間はそういうふうにできているんです。
機械だって、使いすぎると壊れます。
人間が壊れないはず、ありません。
そういうふうに、神様が設計したのですからね。

☆動画:窓の外の鳥に向かってほえるまるちゃん。重かったらごめん。

2013年1月20日日曜日

試着して何も買わなくてもいいの?

洋服を売っているお店で試着をして、
何も買わないで出てくるのはどうも気が引けると、
誰もが思っていることと思います。
では、販売する側の立場の側は、どう思っているのでしょうか。

私も過去、販売のバイトをしたこともありますし、
アパレルの会社に勤めていたときは、貴重な休みを販売に行かされたりしました。
(休みの日に出させておいて、代休がなかった・・・)

その経験から言えることは、
別に試着して何も買わないで帰っていただいても問題はないということです。
一番嫌なのは、暇なこと。
誰も来なくて、やることがないというのが、
販売員にとっては一番つらいことです。
誰でもいいから、うちの服、試着してみて!
というのが本音です。

それで気にいらなくても、何も文句はありません。
いりもしないものを売っても仕方ないですし、
そこに立っていることが仕事で、
ノルマがあるわけではないので、
誰でもいいからお店に来てほしいのです。

そういう事情がわかったら、
試着もしやすくなるのではないでしょうか。
そして、笑顔で、
「ちょっと考えます」とか、
「一回り、回ってみます」など言えば、
気持ちよくお店を出ることができます。

特にプロの販売員さんに、その傾向は強いと思います。
聞かれたら、いろいろ教えて差し上げたいですもの。
ただ、商品の知識が全くない、そのときだけのバイトの方は、また別なんでしょうけど・・・。

お客様のお相手をすること自体がお仕事なので、
試着だけでもいいんです。
次回、お店で試着をするときは、
そんなことを思い出していただけたらなと思います。

2013年1月19日土曜日

大人のダッフルコート

きのう駅で、白髪のおばさまが、とても素敵にダッフルコートを着こなしている姿を見ました。
ダッフルコートは大人が着てもいいですかという質問をときどきいただきますが、
ダッフルコートのような定番スタイルに大人も子供もありません。
重要なのは着こなし方です。

で、どんなふうなダッフルだったかというと、
まず、素材が茶色系のツイードでした。
ダッフルコートでツイードというのも、とても珍しいです。
そしてもう一つ重要なのは、かなりゆったりしたビッグ・シルエットで、
しかもロングだったということ。
生地はなめらかで光沢のあるもの。
よくあるような、かたくてがちがちした生地ではありません。
かといって、薄すぎるわけでもない。
ゆったりしたラインのツイードのロングのダッフルコートでした。
これはなかなか普通に売っているものではありません。

その茶色系のツイードのダッフルコートに、
黒のかばん、靴、手袋をあわせていらっしゃいました。
どれも遠くから見ても上質とわかるものです。
とても素敵な着こなしでした。

大人でもダッフルコートを素敵に着こなすヒントがここにあります。
上質な素材であること、
子供が着るのと全く同じシルエットではないこと、
あわせる小物も上質なものにすることなどです。

最近、マッキントッシュやエミリオ・プッチなんかで、
とても上質で素敵なダッフルコートが売られていますから、
ああいうものこそ、大人に似合うと思います。
ダッフルコート・ファンの方は、
ぜひ自分に似合うダッフルコートを探してみてくださいね。
きっと見つかるはずですから。

2013年1月17日木曜日

服は幸せにしてくれるの?


衣食住というのは生活の基本でなくてはならないものです。
だから、衣食住が嫌いなんて言っても仕方なくて、
誰もがみな、やらなくてはならない。
食べるの嫌いとか言っても、
まだまだ人間は食べずに生きていけません。

では、そのやらなければならないことで、
私たちは幸せになれるのでしょうか?

幸せになれる家とか、
幸せになる食べ物とか、
確かにありそうな気がします。
また、それぞれが工夫することによっても、
家が幸せな住処になったり、
食べ物が幸せを運ぶ食べ物になるような気もします。

では、果たして洋服はどうか。
中には、幸せになる服も、もちろんあるでしょう。
けれども、多くの人が、幸せになれない服に埋もれて、
不幸まではいかないとしても、困っているように見えます。

結局、服をたくさん持っていたって、
高い服を買ったって、
幸せにはなれません。
たくさん持つことがイコール幸せであると、
まだまだ勘違いされているけれど、
それは明らかに違います。
たくさんあれば、それなりの悩みや苦労が生まれます。

おしゃれに見せたいという、その根本的な欲求って、何なのかなあと、
自分でおしゃれについて書きながら考えます。
必ずしも他人のためでもないです。
おしゃれに見せて、他人をどうこうしようという話でもない。

ただ、その服がおしゃれに見えるように決まったときの心地よさというのはあると思います。
逆に、変な格好をしてしまうと、居心地が悪くなりますから。
心地よさはリラックスを生み、
リラックスは、幸せへの第一歩であることは間違いありません。

また同時に、自分らしくいられるというのも幸せであるための大切な要素です。
その方法の1つとして、おしゃれというものがあることは確かでしょう。

だけれども、これらのことは幸せに貢献することはできても、
幸せの絶対条件なんかではないんです。
究極のところ、何を着ていても、幸せにはなれるんです。
(「愛されコーデ」とかよく雑誌に書いてあるけど、
「愛され」は、追いかけたら逃げていっちゃうんだよ)

おしゃれというものは、もしかして幸せがやってきた後、
本当に楽しめるものなのかもしれません。
幸せの後の喜び。
幸せを求めておしゃれをしても、幸せにはなれないかもしれないけれども、
幸せになった後、おしゃれをすれば、それは喜びに変わるでしょう。

ここら辺は、どうでもいいものをたくさん買ってしまったり、
捨てることができないことに対するヒントになるかもしれません。

幸せな人が作った料理が幸せな料理で、
幸せな人が住んでいる家が幸せな家で、
幸せな人が作ったり、着ていたりする服が幸せな服。

結局は、そういうことなのかもなと思います。

☆写真:ビオラが凍っている


2013年1月16日水曜日

追いかけたら逃げていく


追いかけたら逃げていくというのは、どうやら本当のようで、
猫なんかも、追いかけたら絶対逃げていきます。
猫に来て欲しかったら、知らん顔しながら、
猫のおもちゃを持って楽しそうにしているのが一番で、
来て欲しいために、しつこく名前を呼んだりするのは逆効果。

この前、本を読んでいたら、
お金も追いかけたら逃げていくと書いてあって、
確かにそうかもしれないと思いました。

追いかけるということ自体が葛藤で、
あせればあせるほど、追いかけなければ届かないという気持ちがつのり、
さらにどんどん遠のいていく。

人間も同じで、
好きな人を追いかけすぎているのがストーカーで、
あれは絶対届くはずがないです。

届かないというその思いの強さが、
すべてのものを遠ざけてしまう。

その本には、そのほかにも面白いことが書いてあって、
お金とのリレーションシップについて見直せともありました。
そして、見直すときに、お金を人格化してみるとよいとのことで、
そのときに、お金に対して葛藤がある人は、
お金を怖い人であったり、自分を困らせる人のように思っている可能性があるんだそうです。
そして、怖い人だと思っている限り、お金は近寄ってこない。

追いかける葛藤とか、
怖い人と思う葛藤とか、
どれもこれも、持ち続けていると、うまくいきません。

リラックスして一人で楽しくしていれば、猫も寄ってくるように、
その猫のことを怖がっていなければ、猫も寄ってくるように、
何事も追いかけないで、
怖がらないで、
自然体でいることが、本当にそのものに近づくこつのようです。

☆写真:雪の後

2013年1月15日火曜日

真っ白い雪のように


湘南地方は、やはり日本の中では暖かいほうだと思います。
だから、雪はあまり降りません。
ここ数年は特に暖冬傾向のため、大雪の日はありませんでした。
ですが、きのうはここ数年来なかったほどの大雪でした。

ここら辺の住民は雪になれていませんから、
雪が降ったら大変です。
電車は遅れますし、
なぜか道は渋滞します。
歩きなれていないので、駅までの道も一苦労です。

きのうはうちの庭も、雪一面、真っ白になりました。
どこに何が植わっているかわかりません。
大きい木以外は、バラの枝だけが、
雪の中からのぞいています。

「犬は喜び庭かけ回る」とありますが、
昔、まだ猫を外に出していたころは、
猫たちも、雪の庭に出ていっては、
足跡をつけて遊んでいました。
猫だって、少しだけなら雪が好きなのだなと思ったものです。
現在、うちの正式メンバーの猫たちは、
外には出さないので、家の中から庭をながめているだけです。
それでもきのうの雪は、直径3センチもあるような、
ふわふわした牡丹雪だったので、
猫のまるちゃんなど、不思議そうに外をながめていました。
そういえば、きのうの雪は、まるちゃんが生まれて初めて見た雪でした。
まるちゃんは、まだ2歳ですから。

雪で真っ白になった世界を見て、
人間の心も、こんなふうにすべて白くなってしまえばいいのにと思いました。
それまでのネガティブな記憶をすっかり忘れて、
あたかも何もなかったのように、
白紙に戻すことができたらいいなと。

だけれども、雪も太陽の光で溶けてしまうように、
一時の、簡単な方法でやったヒーリングでは、
真っ白の心はすぐもとに戻ってしまうんですよね。
本当に真っ白くするためには、薄紙を一枚ずつはいでいくような方法しかなくて、
いくらきれいになったつもりでも、
まだまだ足りない。
もしかして、この作業は一生続くのかもしれません。
そして同時に、
真っ白な雪の下の、まだ芽の出ないチューリップの球根のように、
春に咲くことが決まっている花を、
大切に育てなければいけないですね。
とりのぞきつつ、
育てつつ、
毎日少しずつ、
それがきっと、一生続く、毎日のルーティン・ワークなのだと思います。

☆写真:雪の中のバロン・ジロー・ド・ラン

2013年1月14日月曜日

きらきらした人たち


結構、長いあいだ、
あまりたくさんの人に会わない生活をしていました。
私は月も金星も天秤座なので、社交的でないわけではないのですが、
やはりアパレル会社勤めの恐怖体験がトラウマになり、
一時期は、駅へと向かう朝の通勤の方々を見るだけで吐き気がしましたし、
私がいた会社の製品を取り扱っているデパートへは、
近づくことさえできませんでした。
また、いつパニックになるかわからないので、
レスキュー・レメディが手放せず、
いつも鞄の中に入っていました。
そのため、知っている人とか仲がいい人以外に会うのは、極力避ける生活をしていました。

それが最近、いろいろな方が私のところを訪ねてきてくれて、
(もちろんスカイプも含めて)
否応なしに、たくさんの方々にお会いせねばいけなくなり、
内心、びくびくしていたのです。
ところが、恐れることなど何もありませんでした。

恐れるどころか、会う方、会う方、みんなきらきらしているのです。
きらきらが飛んでいます。
何なのでしょうか、このきらめきは。

会社勤めをしていたころは、
本当に笑うことさえできなくなってしまって、
自分でも、表情がなくなったなと思っていました。
その後は、どちらかというと、たくさんの人とは会わない生活が続き、
仲のいい友達のほかは、動物や植物が心の友でした。

それが何がどう変わったのかわかりませんが、
最近、私にわざわざ会いに来てくれる方々は、
みんな、輝いています。
太陽みたいに。
太陽の、輝きのように。
冷たい氷雨ではなく、
暖かい光を投げかけてくれます。

自分の中の、完全にとけきっていなかった氷が、
やっと溶けてきたのかもしれません。
一時期は、これ以上は不可能かもしれないと、なかばあきらめていたけれど、
完全にあきらめたわけでは、ありませんでした。

出会う方々の太陽の輝きが、
その氷を溶かしてくれているようです。

みんな、本当に来てくれて、ありがとう。
そして、ブログを読んでくれて、ありがとう。
感謝の気持ちでいっぱいです。

☆写真:雪を見ているまるちゃん

2013年1月13日日曜日

市場はまだ追いついてないみたい


先日、妹と一緒に買い物に行って、
服を買うのに付き合ったのですが、
実際に現在、売っている服のシルエットは、
まだまだ前のシルエットを引きつづっていて、
今の気分にそぐわないものが多いです。

どれを試着してみても、
身幅、肩幅、丈など、小さすぎて、
雑誌やコレクションの写真ばかり見ている目には、
どれも違うのよ、という感じです。

なかなか新しいシルエットに追い付くのは難しいようで、
納得できるデザイン、シルエットのものが店頭に出そろうのは、
もうちょっと先でしょうね。

もちろん、流行の最先端をいく、ハイブランドは別で、
ごく普通に、デパートやショッピング・モールで売られているもの、
ということなのですが。

シルエットの変化は、パターンの変化ですから、
パターンが新しいものに追い付かないのでしょう。
絵でビッグシルエットをえがくのは簡単ですが、
実際、それをどう形作っていくかとなると、
難しい問題がたくさん出てくるのだと思います。

こんなときは、やっぱり、あんまりたくさん買わないのが得策。
というか、私など、買えない。
特にコートやジャケットは、ハイブランド以外はやめておいたほうがいいかなと、思います。
鞄や靴はその限りでないので、
大物を買うんだったら、そちらにお金をかけたほうがいいです。
あとセール品も注意ね。
シルエットがあまりに昔のコートやジャケットは、
着られる時期が限られると思います。

結局、妹は、またしても男物を買ったのでした。
そしてそのほうが、今の気分にぴったりのシルエットでした。
そういうこともあるので、
背の高い人など、男物をチェックしてみるのはいいと思います。

☆写真:冬の空と雲




2013年1月11日金曜日

きのうと違う今日の変化


今の先生について、ヨガを習い始めたとき、
毎日の呼吸の変化について注意するように言われました。
アーサナをするとき、呼吸がどこまでついてくるか。
それは、続けていると、必ず呼吸がちゃんとついていかない日があるから、
そういう日は、ヨガをやらないほうがいい、というお話でした。

それを聞いて、
そこまで細かく自分の呼吸の変化まで気をつけるのだとなと、
関心しました。
ただ、この微細な変化は、
毎日続けていないと、わからないことです。

文章を毎日、書くということの中にも、
当たり前ですが、小さな変化があります。
最近、私が見つけたのは、
私は、疲れすぎると、
何も文章が浮かんでこないということ。
疲れていないときは、1日に3つぐらいのテーマでも書けそうなのですが、
肉体的に疲れが行きすぎると、
何も書くことが思い浮かばないということがわかりました。
そんなときは、もう書くことはあきらめて、
さっさと寝ます。

ユングが言うところの、偶然の一致、すなわちシンクロニシティは、
この毎日のささいな変化を見つける力を養うことで、
認識しやすくなるのではないかと思います。
よく、
「シンクロがたくさん起こるようになりました」
のような文章を目にしますが、
シンクロニシティは、日常に起っていて、
急にたくさん起こるということはありません。

問題なのは、
それに気付く能力があるかどうかということ。
そして、その能力を磨くためには、
こうした、毎日何かを続けることによって培われた、
観察力を養う以外、ないのではないかと思います。

毎日続ける、
その内容は、何でもいいと思います。
毎日の花への水やりだったり、
犬の散歩だったり、
トイレ掃除だったり、
その中で、きのうと違う今日の変化を、
一つずつ気付くようにしていけば、
そして気付く能力が身についていけば、
世界じゅうに転がっている、シンクロニシティと呼ばれるサインは、
案外、簡単に見つけることができるようになります。

そのとき、世界のすべては意味を持って立ちあがってきて、
毎日、それを見つけるのが楽しくなるのです。

毎日続けることは、確かに大変だけれども、
この楽しさのためだったら、
できると思います。

それで、私は今日もこうして文章を書いています。

☆写真:ろうばい、まだ咲かない





2013年1月10日木曜日

去年の今ごろ

*頭の部分がかけていましたが、さきほど訂正いたしました。


去年の今ごろは、その前の年に始めた鎌倉三十三観音めぐりの最後を回っていたころでした。
本当は前の年の夏至に始めて、冬至に終わらせる予定だったのですが、
ずれこんで、年をまたいでいました。


三十三観音の1番のお寺、杉本寺でまず「初願」という印をいただきます。
つまり、これは願掛けのためにめぐる巡礼です。
私が去年の鎌倉三十三観音めぐりでかけた願は、
「宇宙と同期すること」です。

実は、私はもうずいぶん長い間、いろいろなことが全くうまくいかず、
特にアパレルで体を壊し、すべてが破壊されて以降、復活するための方法をいろいろ模索していました。
(といっても、体を壊して大した仕事ができなくなり、お金がかかる方法は無理でしたが)
毎日1時間ウォーキングしてみたり、
気功を毎日やってみたり、
占星術を勉強をしたり、
タロット・パスワーキングをやってみたり、
EFTを習って、タッピングしてみたり、
ヨガを習ってみたりと。
だけれども、なかなか自分100パーセントまで復活することは難しく、
何かが違う、
けれどもその何かがわからない、
そしてそれを修正する方法もわからないという状態がずっと続いていました。
そんな中、占星術の師匠の松村先生のお話を聞いて、
鎌倉なら近いし、やってみようと思い立ち、回り始めたのです。

お寺では、必ず声に出して般若心経を唱えました。
1か所、写経が必要なところがあり、写経もおさめました。
夏の暑い中、道を間違って、同じところをぐるぐる回ったり、
小雪のちらつく真冬の日、1度行ったけれども、ご住職がいなくて受け取れなかったご朱印をいただくため、同じお寺を再び訪れたり、
建長寺からわざわざ天園ハイキングコースを組み込んでみちゃったりとか、
たいした距離ではないけれど、なかなか大変な道のりでした。

「宇宙と同期すること」とは、
宇宙のエネルギーによってバラが美しい花を咲かせるように、
私が私として咲けるよう、
失ったつながりを取り戻す、宇宙とリコネクトすることです。
宇宙のエネルギーによってバラは咲くわけですから、
バラ自身の必死な努力によってではありません。

そんな去年の出来事を、きのう、ふと思い出しました。
そして、もしかして、あの願いは、かないつつあるのではないかと。
もちろんまだ100パーセント、軌道に乗っているわけではありません。
けれども、今は、
何がいけなかったのか、
そしてその修正方法は何なのか、
わかってきています。

いらないソフトのアンインストールも着々と進み(しかし、これが一番大変で、しかもまだ途中)、
声も徐々に出るようになり、
今、私が世界に提供できるベストなものを提供する機会がふえ、
世界に張り巡らされたサインを見落とすことが少なくなり、
行くべき道を選び、
偶然の出会いから世界が広がり、
そのことによって、自分の意識の壁をこえていく、
そのサイクルに入ることができているのではないかと。

小学生のときの、
2人の子供が縄の両端を持ちぐるぐる回す、あの縄跳びの中へ、
どうやったら入っていけるか、
ずっとわからずにいて、
何度も試しては失敗したけれど、
今は、何とかその縄跳びの中へ入っていけそうな、
ぐるぐる回る、あの縄を、
リズムよく飛び越えていけそうな、
そんな気がしています。

☆写真:ご朱印帳

2013年1月9日水曜日

制服だって、工夫すれば


制服というのは、やはり制限があり、それを個性的に着こなすのは難しいと思います。
私の高校時代は、いわゆる不良の方々はスカートをロングにしていらっしゃいましたが、
その他、大勢の普通の子たちは、
別段、制服を改造することもなく、そのまま着ていました。
みんなと差別化するためには、
はく靴の色、コートの色、手袋、マフラーの色とか、そんなものだったと思います。
(たしか靴下とセーターは色が決まっていたと思います)
私も紺色の制服の上にマクレガーのベージュのステンカラーのコートと、
スニーカー、手袋、マフラーをバーガンディにしていたと記憶しています。

昨今の高校生は、昔ほど規則が厳しくなく、
かなりの着崩しも許されるみたいで、
ちょっとは個性的な着こなしができるようです。
ただ、なかなかその中でセンスいいなあ、まで持っていくことは難しいのも確か。

ところが、きのう電車の中で見た制服姿の女子高校生は、
なかなかセンスのいい制服の着こなしで、目を引きました。

紺色のブレザーにプリーツスカート(かなりのミニ)、
白いワイシャツの制服だったのですが、
彼女は中に茶色いニットカーディガンを着ていました。
そして、その茶色いカーディガンをブレザーの裾と袖口から出して見せているのですが、
そのバランスがなかなかよいのです。
その制服のブレザーは、脇から見ると、かなりの前下がりで、
(たぶん5センチは下がっていたと思います)
その前下がりのブレザーに、前が下がっていない茶色いカーディガンの裾を出すと、
裾のきれいなカーブが目立ち、
水平線を描く茶色いカーディガンととてもよいバランスなのです。
そして、その裾から出ていたカーディガンとほぼ同じ幅の
スカート丈がその下に続いています。
彼女の脚は棒のような脚だったので、このミニ丈とハイソックスがよく似合っていました。
また、同じように袖口からもそのニットが見えています。
そして、はいているのは制服と同じ色のソックス(これは指定のものなのかも?)
で、靴はニットと同じ色。
ただ、指定のものと思われる鞄は黒でした。
これで、靴と同じ茶色なら、完璧な3色コーディネイト。
制服で、ここまでバランスをとるとは、素晴らしい。
こういう人の私服はどんなものか、見てみたいものです。

というわけで、制服でも、工夫しようと思えば、
色使いや、丈などのバランスで
何かができる、というお話でした。

追記:イラストにしてみようと思って、かいてみたけど、あまりの下手さにボツ。
もうずっとかいてないもんね、デザイン画。

☆写真:まるちゃん。「何だろうか?」と思っていると思われる。

2013年1月7日月曜日

正月の終わりに思う


そろそろお正月も終わり。
ちょっと知人たちのブログなんぞのぞいてみたら、
おせちやお雑煮を食べたり、旅行に行ったり、
初日の出や初もうでに行ったりと、
いかにもお正月のイベントをこなしている様子がつづられていましたが、
私がこの中で行ったのは、ご近所への初もうでぐらいで、
あとはいつもと同じ生活をしていました。

実は、小さいころからおせちというのが苦手で、
何が嫌いかって、あのすべての甘い味付けが嫌で、
食べられるのは数の子とかまぼこぐらいなものでして、
酢のものもだめなので、おなますもパス。
いつもさびしい3日間でした。
だけれども、
もう甘いおかずを食べなければならない義務もないので、
今年はいつもと同じ食事をしました。

また、初もうでですが、
朝の犬の散歩のついでに近所の神社へ行ったのですが、
そこの神社さんが、階段を何段ものぼっていくところで、
うちの犬も上りはよかったのですが、
お参りして、帰る段になったら、
おりるのが嫌だといって、足を踏ん張って動かなくなりました。
けれども、おりないことには帰れないので、
嫌がる犬を引っ張って、
(うちの犬、ラブラドールなので、かなり重いのです)
無理やり階段をおりてきました。
しかも、いつもより散歩の距離が長くなったため、
犬がへろへろになり、
結局、最後は私が犬を引っ張って歩く形に。
たいそう疲れた初もうでとなりました。

そういえば、前の犬(ゴールデン・レトリーバー)のときも、
近所の神社へ初もうでに行こうとしたら、
今度は神社でつく鐘の音が嫌だということで、
一歩も進まなくなり、途中引き返したこともあります。
大型犬づれの初もうでは結構、難しいです。

きのうもお飾りを外していたら、
猫のまるちゃんが、ぜひそのお飾りで遊びたいと言い、
それならと、私が輪飾りをまるちゃんのしっぽにつけて、大笑いをしたら、
それに憤慨したらしく、
もういいですと言って、それで輪飾り遊びは終わりました。
ちなみに、猫は人に笑われるのが大嫌いです。
屈辱的だと思うみたい。

そんなこんなで、お正月という期間は終わっていくのですが、
今年のお正月はすごく長く感じました。
いつもなら、お正月はあっという間なのに。
この変化はどうしてなのでしょうか。

これは多分なのですが、
クリスマスとか、お正月とか、
そういう人工的な暦の行事に左右されなくなったということだと思います。
そのかわり、自分の中では夏至、冬至、春分、秋分、
満月、新月のほうがずっと大事になったし、
意識をそちらにあわせることができるようになった、
ということではないかなと思っています。

まいた種から芽が出た日とか、
バラの新芽が動き出した日とか、
メジロが初めて庭にやってきた日とか、
自然のサイクルに素直に動く動物や植物たちのほうに共鳴することが多く、
人間の作った、人工的な、無理やりの時期に、
感情移入できなくなってきたのです。

だって本当に、正月だからって、全然、心踊らなかったですもん。
それよりも、
水仙の芽が出たり、
まいたネモフィラの芽が出たり、
初めて霜がおりた日なんかのほうが、
ずっと心躍る出来事でした。

たとえば、湖の近くに住んでいたら、
初めて湖が凍った日とか、
もっと海岸の近くに住んでいたら、
満潮で海岸線が変化した日とか、
そういう出来事のほうが大事になるのではないかしら。

そうなったら、星の運行ももっと気になるでしょうし、
日曜日だからといって、必ず出かけなければとか思わないでしょうし、
事故になりそうな日も予測できると思います。
(3日の日に東名を車で走っていた妹は、絶対これは事故が起こると予感したそうで、
予感がした1時間後ぐらいに、本当にその場所で事故が起きていたそうです。
もっと早く予感がくればいいのにねえ!)

人間の直観をより発達させるためには、
この、自然のサイクルにあわせるという行為が、絶対的に必要だと思います。
逆に言えば、それさえすれば、
誰にだって、ある程度、予測ができるようになるでしょう。
錬金術師たちは、必ず庭にいますが、
それは、きっとそのことをあらわしているのではないでしょうか。
自然のサイクルを知りつくすこと、
それのみが、錬金術を成功に導く道だということ、
そして、それこそが、欲望から自分を救いだす道だということを。

☆写真:水仙の芽

2013年1月6日日曜日

ブンカの話⑥


大変だった出来事ばかりがブンカの思い出なのですが、
じゃ、何か楽しいことはなかったのかなと、
今考えてみると、
1つだけ、ああ、あれは楽しかったなと思えることがあります。
それは何かというと、作業している最中のおしゃべりです。

ブンカの授業には、実習の時間が多くとられていて、
いすに座ってまつり縫いをしたり、
アイロンがけをしたり、
ミシンをかけたり、
先生にチェックしてもらったりと、
みんながそれぞれ違うことをやる時間があります。
その中でも、みんなで机を囲んで、手は何かしら作業をしながら、
たくさんおしゃべりをした時間が、とても楽しかったのです。

おしゃべりの内容は、他愛のないことばかりで、
時には、今まで出会ったとても変わった名前の人を思い出す、というテーマだったり、
恋愛の話だったり、
食べ物の話だったり、
本当、どうでもいい、今では全然覚えていないような内容ばかりなのですが、
そのときのことが、いい思い出として思い出されます。

学校なので、もちろん課題を完成させるのが目的なのですが、
課題が完成したときのうれしさや満足感より、
作品を完成させるまでの過程にあったおしゃべりの時間のほうが、
ずっと思い出深いのです。

これはきっと女性の長い歴史の中での共通の楽しみなのではないかなと思います。
囲炉裏を囲んでつくろいものをしたり、
暖炉の前でみんなで編み物をしたり、
そうやって、長い間、女の人たちが過ごしてきた時間と同じ時間が、
あの、実習の時間にはあったのです。
そして、今でも、それがなつかしいし、またああいう時間を持ちたいなと、思います。

私のかなえたい夢の1つに、
あの時間をまたみんなと共有したい、というのがあります。
年齢や肩書なんか関係なく、
完成させるのが目的でもなく、
うまい下手も関係なく、
お金になるわけでもなく、
今ここで、手を動かしながらしゃべっているという、ただその時間だけのための場が、
いつかできたらいいなと思っています。
ソーイング・カフェみたいなね。
何かの拍子に莫大なお金が入ってきたら、実行するつもりです。

輪になって、みんなで手を動かしながらおしゃべりする楽しさを、
たくさんの人に味わってもらいたい。
それはきっと、とても幸せな時間になることは、間違いないですから。

☆写真:寒いので室内での写真ばかり。しょうがないので、おとらでも。でもこのカメラ、室内には弱い。

2013年1月5日土曜日

美術館へ行くとき


美術館やギャラリーにもよく行きます。
外国に行く大きな目的の1つは、美術館に行くことです。

美術館に行くときのポイントは、
まず、かつかつ音がするヒールの靴ははかないこと。
美術館の床というのは、木の板が多いです。
それをかつかつ歩くと、かなり響きます。
音がなく、静かな館内に、その音が響き渡ります。
外国の美術館の場合も、石造りの建物が多いので、
音がする靴は、御法度です。

服装は自由です。
ただ、夏場の場合、かなり涼しい美術館があります。
美術館で暑いということは、まずありません。
作品の保存のために、室内の温度は22、3度ぐらいに保たれています。
ですから、ノースリーブなんかでいくのは、やめておいたほうが無難。
冬も、ものすごく暖かいということはないので、
大体、コートは脱がずに館内を回ります。

あと、これは服装ではありませんが、
お勧めなのは、入口に荷物を預ける場所があったら、
そこで大きなバッグ等は預けること。
身軽に鑑賞するのが一番です。

それと、よくいるのが、
美術館にお友達といらして、
絵の前で、全く関係のないお話(例えば、家族のことや噂話)をしている方。
あれはよろしくありません。
関係ないお話は、外でしましょう。

最後に、私の美術館での鑑賞方法をご紹介いたします。
まずざっと、一回り見て、
そして再び、最初に戻ってきて、こんどは気に行った絵をゆっくり鑑賞します。
最後に、最も好きな絵の前で過ごします。
もしソファなどがある場合、座って絵を見るのもお勧め。
全部を同じ時間、同じ集中力で見る必要はありません。
どの絵が一番好きか、ひかれるか、興味があるか、
いつでもそれに注意します。
自分にとっての一番を見つけるようにしていると、
だんだんいい絵がわかってきます。
これは一種の訓練なので、
やればやるほど成果があります。
これを10年もやっていれば、だんだんわかってきます。
そしてこの訓練の成果は、
すべてのものを選ぶときに役立ってくるのです。
いいものを見つける目が養われます。
そして、これはもちろん、服選びにも使えます。
お試しくださいませ。

☆写真:今年最初のうちのご近所の農家さんで買ったオーガニックのイチゴ。おいしい!
お皿はコンランショップで買った、ウェッジウッドのジャスパー・コンランのシリーズ。
パスタ、サラダ、そば、果物、スープと、何でもいける万能皿。

2013年1月4日金曜日

劇場へ行くときの服は


どんなに収入が少なくなっても、
ピナ・バウシュ様のステージだけは絶対に行くと、心に誓った私でしたが、
ピナがもう亡くなってしまい、
すっかり舞台はごぶさたです。
一番行っていたのは20代のころで、
コンテンポラリーダンス、演劇(ただ、日本の芝居はあまり好きでないので少ないです)、
シェイクスピア(これは別)、ロックのライブなど、
いつもお財布に3枚ぐらいチケットが入っていました。

行かなかったのは、バレエ(でもシルビー・ギエムは見た!)、クラシックの音楽、オペラ、ミュージカルで、
理由は単純にチケットが高いから。
だから、オペラはパリに行ったとき、オペラ座で見ました。
ミュージカルはロンドンで見ました。
(ウテ・レンパ―が出ると知って、当日券で見た「シカゴ」ね。すごい足の長さだった!)
どちらも、日本で見るのの3分の1ぐらいの値段。

で、どういう格好で行っていたかというと、
ふだんのお出かけの延長で、そのままです。
特にどうこうありません。
ただ、来ている人を見るのは面白いです。
ああいう舞台に来る人って、奇妙な格好をした人が、必ず混ざっています。
まず、流行は無視。
マイワールド全開です。
特にコンテンポラリーダンスと演劇は、面白い格好の人の率が高いです。
どこでそんな服、売ってるの?という人がたくさんいます。
だから、日本の場合、劇場に着ていく服はかなり自由です。
どんな格好でも構いません。
ただ、大きい鞄を席まで持っていくのは、あれはだめです。
お隣に迷惑がかかる。
預ければいいです。
それをのぞけば大丈夫です。

で、問題は外国の場合。
みんな、どんな格好なんだろうと、どきどきして行きました。
ロンドンやストラッドフォード・アポン・エイボンで見るシェイクスピアの場合、
これもどうってことないです、みんなの格好は。
普段着よりいいかなって感じ。

じゃあ、パリはどうかなというと、
やっぱり最初にオペラ座に行ったときは緊張しました。
夜だし、みんな、すごい格好なのかなあ、と。
そしたら、これも拍子抜け。
私が見た「カルメン」、(これはバスチーユのオペラ座ね)
のときは、高校生のグループがいて、みんなジーンズにスニーカーで、
え、そんなんでいいんだという感じでした。
大好きなプレルジョカージュ振付のダンスの舞台を見にオペラ通りのオペラ座へも行きました。
私、割と横から見るのが好きで、
バルコニー席をとることが多いんです。
あそこ、席が広いわりに、チケットが安い。
小さい部屋に入ると、6人分ぐらいの椅子が置いてあります。
一番前じゃないとみにくいんだけど、
コートかけがあったりして、場所も広いし、楽なんです。
で、そこの席のチケットをとって、パリオペラ座へ行きましたが、
皆さん、ごく普通の格好で、緊張するほどでもなく、
日本のほうが正装みたいな人が多いかもという印象でした。
ただ、香水はすごかったけど。
要するに、初日とか、最後以外、どうってことないようです。
ふだんの格好でよし。

最後にロック。
いっぱい行きましたよ、ロックはね。
クラブクアトロとか、オールスタンディングのところも何回も行きました。
これも皆さん、普通の格好ですね。
渋谷だったら、渋谷の街を歩いている人がそのままやってきた感じ。
今はもう、オールスタンディングは無理です。
2時間も立ちっぱなしでいられない。
今はゆっくり座ってみるのがいいです。

というわけで、舞台やライブに行くときの格好は、どんな格好でもいいということでした。
もし、着ていく服がないけど、どうしても見に行きたい場合は、
後ろのほうの席をとるといいです。
後ろに行くほど、服装の自由度が上がります。
あと、結構、通は後ろに座っていますよ。
ダンスなんか、評論家さんたちは、ほぼ後ろです。
それは舞台の全景が見えるからです。
特に若い方は、一番安い席で十分です。
(私も十分です!)
無理して高いチケットを買うことはありませんからね。

☆写真:今晩は、じゃがいも。

2013年1月3日木曜日

仲良しの猫


今、私が一番仲良くしている猫はまるちゃん。
まるちゃんは、2年半ぐらい前のあるとき、
「オーラ薄い母さん」が、
(←すべてのもののオーラが見える妹が命名。
もちろんオーラを見ることを仕事にしているわけではなくて、毎日、化学の実験をしています)
うちに3匹の仔猫を引き連れてやってきてしまい、
いついた仔猫の中の1匹です。

「オーラ薄い母さん」が毎日うちに来るようになってしまったので、
仕方なく、親子ともども4匹をつかまえて、
全員に避妊手術をしました。
そのときの証拠が、耳の先のカットです。

もらい手を探しましたが、もらってくれる方などおらず、
当時もう既に3匹の猫がうちにいたのですが、
新たに3匹がメンバーとして加わりました。
それがまるちゃんとみけけとプッチーです。

今、プッチ―はいません。
ある夏の夜、先輩猫のおとらが、網戸をあけて、
後輩のまるちゃんとプッチ―も引き連れてでていってしまいました。
おとらはどうせ行くところがない猫なので夜のうちに戻ってきましたし、
まるちゃんも、次の日の朝、隣の駐車場にいました。
けれども、プッチ―だけは脱走したきり、帰ってきませんでした。
あれから一度も、見たことはありません。
熊のお人形みたいにかわいい顔をしていたので、
どこかのうちで飼われているのだと思います。

ちなみに、「オーラ薄い母さん」は、避妊手術をしたら、
どこかへとっとと逃げてしまいました。

さて、今はまるちゃんと仲良しなのですが、
それまでは、ちろちゃんというグレーの猫と20年間ずっと仲良しでした。
ちろちゃんは、青山墓地に捨てられていた猫で、
絶対にロシアンブルーが半分入っていると思われる、
きれいなグレーの美人猫でした。

ちろちゃんとは本当に分かりあえて、
ほとんど会話ができたほどです。
私が映画のDVDを見ていると、
必ずあと20分で終わるというときに、
横に座って、肘にかみつきました。
もういい加減やめて私に煮干しをくれ、という意味です。
名前を呼ぶと、口で返事はしなくても、
必ずしっぽをパタパタとさせて、わかっているよと教えてくれました。
だけれども、飲み水が少なくなるとたいそう不機嫌で、
私に背中を向けてしっぽをパタパタさせ、
水がない!と怒っていました。

そんなちろちゃんが死んでしまった後、
すぐやってきたのがまるちゃんで、
今はまるちゃんと仲良しなわけです。

まるちゃんのいいところは、
食べ物をくれと、要求しないところ。
食べ物の要求のときだけ猫なで声を出す猫が多い中、
まるちゃんは、そういうことはしません。
朝起きると、くっついてきて、
私の足と足の間に入って一緒に歩きます。

特に、猫のトイレの砂を新しく入れてもらうのが大好きらしく、
トイレ掃除をしていると、必ず横によってきて、
「うれしい!」と体で表現しています。
そして、掃除が終わって、私が、
「終わったから、入っていいよ」と言うと、
必ずトイレに入ります。
ちゃんと意味が通じているからです。

まだ出会って2年なので、すべてわかりあえているわけではありませんが、
これからずっと一緒にいて、もっともっと仲良くなれそうです。
動物と築き上げた深い絆は、とても深く、ずっと続くのです。
そしてそれは、生きていることの喜び、楽しみの1つだと思います。

☆写真:そういうわけで、まるちゃんの写真ばかりになってしまう。

2013年1月2日水曜日

セールの季節だけど



もうずいぶん長いこと、この夏と冬のセールには行ってないのですが、
セールに行かなくなった理由は、
私がそれほど焦って服を買う必要がなくなったということのほかに、
年がら年中、どこかで値引きしているということもあると思います。
アウトレットや、ギルドなんかを利用すれば、
わざわざ今、焦って買う必要もありません。
アメリカやヨーロッパのように、日本もハイブランドのセールをするなら別でしょうけど、
ハイブランドはセールをやりませんから。

どうして年がら年中セールをやるようになったかというと、
重要と供給のバランスが崩れ、
常に供給過多だからです。
特に、現在、多く売られている服って、
20代からせいぜい40代向けのものが主で、
実際に人口が多い層の服は、ぐっと少ないです。
けれども、その20代から40代で服を買う人は限られているので、
どんどん服が余ってしまっているわけです。
逆に50を過ぎたら着る服が売ってないと言われるぐらいですから、
そこの部分の服は、あまりに少ない。


服あまりの傾向は世界的に言えることのようですが、
その中でも売れているのはファスト・ファッションと一部のハイブランドのみで、
一番売れないのは、無名のブランドだけれども、中途半端に値段が高いものです。
そういうブランドのものは、すぐに値下がりします。

もちろんそんなことはファッション雑誌なんかには書いてませんから、
まだまだ昔と同じ気分でいるつもりでしょうが、
状況は昔とだいぶ違っています。

だから、買うほうも賢くならないといけません。
焦って必要のないものを買う必要はないと思います。
日本でセールの時期しか安くならない魅力的なブランドって、
多くありませんから。

洋服を選ぶという意味においては、
買う側のほうが有利です。
心理的な脅迫に負けないように、
これ以上、いらないものをふやさないように。
そのためにも、これからも私はセールには行かないつもりです。
(あ、ファミリーセールだったら行きますけどね)

☆写真:太陽


2013年1月1日火曜日

新しい年


あけましておめでとうございます。

ここ数年、私は、今日はご近所の神社にお参りして、
ちゃんとした初もうでは旧暦のお正月に江島神社へ行きます。
旧正月のほうが気分がよいです。

旧暦とか、二十四節季、もちろん月の満ち欠け、
これらをちゃんと意識しながら生活すると、
精神的にも、身体的にもずっと楽です。
自然のリズムと体のリズムが一致して、無理のない感じがします。

それまではずっと無理してあわせて生活してきて、
精神も、身体も、リズムがぐちゃぐちゃでした。
そのダメージから回復するのに、
本当に何年もかかりました。
(まだ完全には快復していません)
壊すのは簡単だけれども、なおすには何十倍もの時間がかかります。

わかったのは、
なおすために、シンプルにする必要があったということ。
それまで、必要と思いこんでいたものや、そうすべきだと思い込まされていたものが、
本当はそうではないと気づく必要があったこと。
けずって、けずって、そしてやっと戻れました。

病気というのは、過剰なもの、余剰なものをいったんストップさせるために、
なるものなのかもしれません。
最初の病気では行動を、
次の病気では情報を、ストップせざるを得なくなりました。
けれども、それは必要だったのだと、今はわかります。

本当のゴールドのリングが1つあれば、
金メッキのリングが10個も20個もいらないんです。
本当にそう。
全部、そう。

金メッキだけでシンプルにすることは、無理なんです。
シンプルにするためには、ゴールドを集めなければいけないのです。

今年もまた、自分にとってゴールドでないものとはお別れして、
ゴールドだけを集めていきます。
すべてにおいてね。

☆写真:カメラ、なおった。フリーズしただけでした。最近のカメラって・・・。