2013年12月31日火曜日

今年もありがとうございました。

さて、ついに大みそかとなりました。
今年もいろいろなことがあった年でした。
プライベートでもいろいろあり、

なかなか思うようにできないことも多かった年ではありましたが、
インテグレート・ヒーリングと出会ったり、
クリスタル・ヒーリングと出会ったり、
それによって、私のところまでセッションを受けにきてくださるクライアントさんも変わってきたりで、
吉凶混合の1年でした。
占星術もヒーリングも日本じゅうどこでも受けられるものなのに、
わざわざ新幹線やら、飛行機でやってきてくださる方々もいて恐縮です。
本当にどうもありがとうございます。

それから、毎日、ブログをチェックしてくださっていた皆さんもどうもありがとうございます。
書くことは苦ではないのですが、プライベートのいろいろなごたごたで、
精神的に余裕がなくなったとき、いい文章が書けなくて、
せっかく時間を割いて読んでくださっている皆さんに御迷惑をおかけしてしまったなと、
反省しております。
どんなことがあっても、ある一定水準以上のものを書くというのが、
これからの課題です。

奇しくも明日は新月から始まる新年です。
今日で今年は終わりということで一区切りつけて、
また新たな気持ちと決意とともに、来年を始めていきたいと思います。

とにかく皆さん、どうもありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
というわけで、明日も通常どおりアップします。


2013年12月30日月曜日

掃除と片付け

今日、明日は年末の大掃除の方が多いことと思います。
一方、私は、年末はお仕事をして、お正月に大掃除をするつもりです。
現在の天気予報だと、湘南地方の1月1日の最高気温は15度と、かなりあたたかい。
お掃除には適しているのではないかと思います。

実は、私の目的としている掃除なのですが、なかなか進みません。
なぜか。
それは私がしているのは、自分のものの廃棄と片付けではないからです。

なぜなのかわかりませんが、
他人の荷物というものは、捨てるのに非常に労力がいるのです。
そして、その作業をした後も、異常に疲れるのです。

今までも何回か、家族のものの捨て作業をやってきました。
ごみも含めた段ボールを家に何個も送りつけてくるやからや、
高校時代の自分の使った参考書や読んだ漫画を捨てていないやからなど、
とにかく後始末をしない人々が多いのです。
死んだ父のものも、私が率先して片付けました。

今年の春は、母の洋服を600枚ほど、
資源ごみのためにたたんで結んで50個ほど作り、ゴミ捨て置き場に何往復もしました。
そんなことを繰り返していたら、体調を崩し、お掃除を途中断念。
そのまま苦手な夏になり、その他、対処しなければ問題がたくさんあり、
今にいたりました。

相変わらず、私が捨てるべきものは少ないです。
古い雑誌と、書き散らかした紙ぐらい。

お片付けの本は、他人の持ち物を捨てる指南書ではないので、
それをどうするか、ほとんど書いていません。
その作業をするときの、やる気のなさと、
終わった後の精神的な疲労をどうするかについてもなし。

でも日本じゅうで、私と同じようなことで疲労困憊に陥っている人はいるはずなんですよね。
誰かがどこかでやっているはずです。
もちろん、お金で片付ける人もいるでしょうけど。

お正月の3日間でどこまでできるかわからないですが、
できるところまでやってみるつもりです。
倒れない程度に。

一気に掃除すると、それはそれで気持ちいいものですが、
その前に自分が元気なことのほうが大事です。
倒れるほどに大変な掃除もありますが、
やっぱり倒れてはだめなのです。
持ち物は、少ないに限ります。


2013年12月29日日曜日

みんなが休みとは限らないんだ

今年も残すところあと3日となりましたが、
すべてのひとに長いお正月休みがあるわけではありません。
お休みの日に働いている人たちも、たくさんたくさんいます。
お店の人もそうだし、電車も動いているし、
レストランやカフェも営業しています。

いつもいつもそう。
ゴールデンウィークもお盆も、
誰かが必ず働いている。
週末だってそう。
土日に働いている人たちはたくさんいる。
だから、みんながお休みなんて、ないです。

そういう人たちがいるということを想像する力は持っていなければいけないと思います。
みんな同じじゃない。
「よい週末を」と言われて、
「よいお正月を」と言われて、
なんだか違和感を感じる人たちもいるということを。
そして、それは決して少なくないということを。

大きくて、力がある情報をうのみにして、流されて、
それが本当だと思うのは危険なだけでなく、
間違いさえおかしかねないということを、
いつも気にしていなくては。

日本のテレビも新聞も、最近ではラジオからも遠く離れた1年でしたが、
そうすることで、逆にわかってきたことがたくさんありました。
大きい音だけ聞かないように。
たくさんの意見だけが重要だと思わないように。

今、BBCのRADIO2から、デヴィッド・ボウイの「ファッション」が流れていますが、
右向けと、左向けと、
大きな声で言われても、
それが本当なのかどうか、よく見極めていきたいと思います。

2013年12月27日金曜日

ダブル・トーク

ジョージ・オーウェルの「1984年」が描くのは、
ビッグ・ブラザーと呼ばれる独裁者が社会のすべてを見張る、
暗黒社会が描かれています。
有名な小説ではありますが、
私はデヴィッド・ボウイが「1984」という歌を歌っていたので、
読んでみることにしました。
18歳頃のことです。

そこで出てくる概念に
ダブル・トーク(double talk)とダブル・シンク(double think)というものがあります。
これらは両方とも、文字づらが表現する意味とは逆の意味を言葉や思考に持たせるというものです。
つまり、言われたことを文字通りとってはいけないのです。
すべて反対の意味です。
うそは本当で、本当はうそです。

読んだ当時は、こんな社会があったら、
さぞや恐ろしいと思ったものでした。
そして、ダブル・トークが強いる独特のコミュニケーション方法など、
とてもじゃないけど、理解できるものではないと。
しかしそのときは、現実世界でダブル・トークを使う人などいなかったので、
自分とは関係のない世界の話だと思っていました。

ところが、今ではブラック企業と呼ばれるような、
(当時、その言葉はありませんでしたが)
某一部上場アパレル会社に入ったら、
そこで上司たちが使っていたのが、まさにダブル・トークだったのです。
言っていることはすべてうそ。
やることはまったく別のことです。

この分裂した思考と言葉の連中は、
一緒にいる人たちをことごとく破壊していきました。
そして初めて、他人の不幸を食べて喜ぶ人間たちを見ました。
本当にいるんだ、こんな人たちが、というのが当時の感想でした。

この冬休み、時間のある方々はどうぞ「1984年」を読んでみてください。
本が大変だったら、映画もあります。
(サントラはユーリズミックスです)
そこで使われているダブル・トークは、
今ではよく見られる話法だと思います。

今日もビッグ・ブラザーはダブル・トークを使い続けています。


2013年12月26日木曜日

カシミアニットの最終利用

きのう、夜になったら、ぞくっとして風邪の前兆があったので、
風呂に入り、葛根湯を飲んで、早めに寝ることにしました。
私は寝ていると、どうも頭とか、首の後ろとかが寒くて目が覚めるときがあります。
頭のてっぺんが寒いので、お布団をかぶって眠りに就くのですが、
どういうわけか、いつも途中で頭が布団から出ています。
帽子をかぶって寝ればいいと思うけど、
帽子をかぶって寝ると、次の日、髪の毛がぺしゃんこになるので、
それもちょっとね。

きのうは首の後ろの寒さが気になったので、
もう10年ぐらい着ている、
タートルネックのカシミアのニットを着て寝てみることにしました。
ときたますごく寒いとき、セーターを着て寝ることはあったけれど、
カシミアで寝るのは初めて。
これが正解。
朝までずっと暖かかったです。
きっと、カシミアジャージーのパジャマとかあるんだろうけれど、
パジャマで買うと高いだろうから、
もう穴があいたり、しみがついたりして、
もうすぐさよならする直前のカシミアだったら、
それを着て寝るのはいいアイデアだと思います。
そして首の後ろの冷えを防ぐには、
タートルネックは優れています。
おかげさまで、今朝目覚めたら、風邪っぽさはなくなっていました。

フリースのパジャマが多くでまわっていますが、
寝るときの化学繊維は疲れるので、私は買ったことがありません。
なぜだか、疲れる感じがします。
やっぱり寝ているときは自然素材が一番いいです。

これから始まる本格的な寒いシーズン、
風邪をひかないためにも、
カシミアのニットと湯たんぽで乗り越えようと思います。



2013年12月24日火曜日

不景気とファッションって。

不景気時代のファッションというテーマで書かれたものって、
あまりないです。
そんなの研究してもしょうがないかもしれないけれど。
でも必ず何かの傾向はあると思います。
今の不景気は若い世代を中心に襲っていますので、
若い人たちが服にあまりお金をかけなくなりました。
これは別に悪いことだとは思いません。

ヨーロッパに行ってみるとわかるけど、
基本的に若い人たちは、たいしたものを着ていません。
着るもののレベルは年とともに上がっていくという感じで、
若いころから華美な服装をしているのは、
ごく一部に見えます。
(アメリカは違うのかもしれません。でも、アメリカだって、派手なのは一部でしょう)

若いころこそ、少ないお金でどうやったらおしゃれに見えるか、
鍛えるにふさわしい時期だと思います。
安いものを着ていても、
多少変な格好をしていても、
若いのなら許されます。

日本はこれまで、若い人が割ときれいな格好をしている時代が長かったです。
だけれども、これからはそうはいかないでしょう。
とりあえず買って解決の時代はそろそろ終わりです。

価値観を変えないとね。
古い時代はそろそろ終わりを迎えようとしていますから。


2013年12月23日月曜日

デートのときの服装

大きな街に出なければ、
クリスマスとは無縁に過ごせると思っていたのですが、
このところ、BBCのRADIO2は、朝から晩までクリスマスソングです。
しかも、必ずワム、そしてマライアです。

面白いのはこの時期、インスタント・カップルが大量に発生します。
このあいだ、鎌倉へ行ったときもたくさんいました。
なぜわかるかというと、動きが不自然だし、
浜辺にハートをかいたりしているので、すぐわかってしまいます。
(浜辺にハートをかく2人はこの前、初めて見ました)
まだクリスマスはカップルでという思い込みはあるのですね。

ただ、昔と違うのは、デートのときの服装がずっと地味になっているということ。
普段着とほぼ変わらないぐらいの格好の人たちが多いです。
特に男性は、ほとんどわかりません。
女子はスカートが多いかな、というぐらい。

おしゃれブログに多くのことを書いてきましたが、
デートのときの服装って、書いたことがありません。
それは私が全く重要視していないというのが理由ですが。

私は、基本的に自分の好きな格好をすればいいという考え方ですが、
デートのときぐらい、相手の要望に少しだけこたえてもいいかもしれません。
つまり、相手がしてほしい格好です。
100パーセント望みをかなえる必要はないと思うけれども、
できるところはやれば、それは喜ばれるでしょう。

自分の夢をかなえてくれるのは、いつも自分以外の誰かです。
デートのとき、相手の望む服装をしたのなら、
それで、相手の夢はあなたによってかなえられるわけです。
そんなかんたんで、お安いご用なことだったら、
やってみるのもいいかも。

景気も悪いし、収入も少ないしで、
思うような格好をできないこともわかっていますが、
ほんのちょっとだけ、誰かの夢をかなえてあげられるのも、
クリスマスかもしれません。

2013年12月22日日曜日

思考からはなれる

私が占星術を習っていた松村先生はよく、
「体に閉じ込められてはいけない」と、
カシオペアとアンドロメダ姫の例を出して話していましたが、
最近、気づいたのは、体に閉じ込められる前の段階で、
思考に閉じ込められる、というか、がんじがらめになっている人のほうが多いということです。
思考優先なので、身体感覚が衰えています。

たとえば、身体感覚、つまり五感がそれなりに発達していれば、
そして正常であるならば、
(松村先生の言うのは、身体感覚が異常になった場合の話)
何か食べたとしても、お腹がいっぱいのところでやめられます。
また、そこにはおいしい、まずいは存在するかもしれませんが、
情報としての食べ物に興味はいきません。
(今流行っているとか)。
また、身体感覚が正常に機能していれば、
腐っているのかどうか、危険な物質、それは化学物質などですが、が含まれているかどうか、
ちょっとした味やにおいの違いで判別できます。
けれども、身体感覚が十分に育っていず、
思考優先だと、情報だけで食べ物を摂取します。
そこには、お腹いっぱいという感覚も、これは添加物が過剰で危ないという感覚もありません。

服においては、身体感覚が正常であったら、
1つしかない体に、そんなにたくさんの服が必要ないとわかります。
たくさん持っていたとしても、一度に着られる量は限られるからです。
けれど、服が情報としてだけ絶えず気にされるとき、
新しさや数が重要になり、肌が感じる快、不快、暑さ、寒さよりもそれは優先されます。
もちろん、現代は、服の情報化が進み、常にそれにあおられていますから、
そこから距離を置くのは難しいです。

まずは身体感覚、五感の正常な発達、
そしてそれが育ったら、
身体感覚にとらわれないで、自由に飛翔する想像力やイメージ力が育ちます。
それは五感をこえたハイパーな感覚です。
思考にがんじがらめの人は、身体感覚も乏しいし、
その先にある世界に入ることが難しくなります。

じゃあどうするか。
思考から離れる時間を自分で作るしかありません。
座ってする瞑想、動的瞑想、チャンティング、いろいろ方法があります。

それは無理だと言うなら、それまでだということです。
それがその人の生き方の選択です。
もちろんそれは尊重します。


2013年12月21日土曜日

「東京物語」

最近、映画館に映画を見に行くということはほとんどありません。
もう1年以上、映画館には行ってない。
新しい作品もあまり見たいと思わないし、
何より、そのときだけの楽しさとか、気分転換に興味を失いました。

もちろんいい作品もあります。
それは認めます。
ただ、多くのものはそのときだけの娯楽だから、
逆に渇望感が出てくるし、終わった後のむなしさが残ります。

おとといだったかな、BBCのRADIO2が面白くないので、
4に変えてみたら、小津安二郎の「東京物語」について語る番組でした。
もう最後のほうだったので、よくは聞かなかったけれど、
イギリスで、もちろんマニアにだろうけれど、「東京物語」が繰り返し見られているということが、
うれしくなりました。
そして、私も、今何を見たいかと言われたら、
「東京物語」です。

あの物語で、原節子さんは、戦争未亡人です。
寝るのも、食べるのも狭い1部屋で暮らしています。
特に悲しがるふうでもなく、変にハイテンションでもなく、
たんたんと毎日を過ごしています。
でも、最後で、「私はずるいんです」と言うんですよね。
何がずるいかは、言わないけれど。

このセリフは過去のものであるけれど、
未来的でもあります。
どんなふうにもとることができて、
謎を含んでいますが、
「ずるいんです」と自分を説明するとき、
そこには、批判と皮肉が含まれています。

テレビはないので、見るとしたらパソコン画面になりますが、
この年末、再び「東京物語」を見てみるのもいいかもしれません。
昔はよくBSで、お正月にやっていました。
今見たら、きっと前には見落していた意味を、
見つけることができると思います。


2013年12月19日木曜日

セールの季節到来

もうそろそろ秋冬物のセールです。
ただ、こう年中、どこかで誰かがセールをしていると、
わざわざ今セールで買うという感じではなくなってきていると思います。
特に日本では。

フランスなど、セールの期間が決められていて、
そのときでないとセール価格で買えないとなったら、
必死になって買ったりするのでしょうけれど、
日本はそうではありませんから。

セールの心得は、気分にのまれないことに限ります。
どうしてもあの雰囲気の中では、
冷静でいられなくなりますから、
そんな中で、本当に気に入ったもの、必要なものを見つけるのは、
普通のお買いものより難しいです。
そうならないためには、今から欲しいものに目星をつけておいて、
いざセールになったらそのタイミングで買うのが賢いです。
そうすれば、思いつきでの買い物をしなくてすみます。

洋服は完全に余っていますから、
売る方は、手を変え品を変え、買う側の心理をついてきます。
限定品とか、期間限定とか。
ただ、もうその方法もだんだん通用しなくなって、
買う方も簡単にはのらなくなりました。

あせらなくても服はたくさんありますから、
セールで無駄なものを買わないように。
何度も書いていますが、人生で一番大事なのはファッションじゃありませんから、
大事なお金を有効に使いましょう。

2013年12月18日水曜日

冬の鎌倉

久々に鎌倉まで行ってきました。
コースは去年、このブログで紹介したのと同じコース。
長谷でおりて、そこから徒歩で江ノ島まで戻るコースです。
ものすごくいい天気だったのですが、カメラは持参しませんでした。
雲ひとつない青空で、風もなく、海は凪いでいました。

今回は、大仏様まで拝みに行ったのですが、
人も少なく、静かで時が止まったよう。
長谷寺もいつものように、お庭がきれいに整備され、
デッキから三浦方面を臨む景色は穏やかでした。

そこから極楽寺を通り過ぎ、
稲村ケ崎方面へ出て、浜辺を歩きました。
波がほとんどない状態で、サーファーもごくわずか。
浜辺を散歩している人たちも、目に見える範囲には、数えるほどしかいません。
不思議な光が海に降り注ぎ、
外の状況がどうであれ、平穏を感じることができました。

この前、江ノ島へ行ったときは、パラダイスがここにあると思ったけれど、
今回は平和がここにある。

日本国憲法の第十二条にはこうあります。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」

この平和を維持するためには、日本に住んでいる国民は努力しなければならないと、
警告しています。
それほどまでに、平和とははかなくあやういものなのでしょう。

鎌倉の仏様たちの穏やかさとは反対の心を持つ人間の暴走を食い止めないことには、
この平和は維持できないのだと、ずっしりと感じた、冬の鎌倉でした。




2013年12月16日月曜日

いらないつながりをカットする。

最近、自分でも書いている文章があまり面白くないなと思っていて、
読んでくれているみなさんには申し訳ないです。

実は、身内にツイッターで悪口を書かれたりしていて、
思うことが書けなくなりました。
(通報がありました。検索していて、見た方もいると思います。)
その上、ファシストが政権を握るし、
自由にできません。

ただ、その悪口を書く身内とは、今回、完全に縁を切ったので、
そのことは今後、一切、考えなくてよくなりました。
お見舞いもお通夜もお葬式もお墓参りも来ないのに、
いろいろ遊び回っている人のことを考える必要など、全くなかった。
その人がその先、どうなるか、運命が決めるでしょうから。

自由とか、安心とかないと、
表現も、ファッションも、真に楽しめません。
関係のあることに無関心ではいられません。

どうでもいいのに気になる人とは、
エネルギー・コードでつながれていて、
それがあると、なかなか自由に考えたり行動したりできません。
きのうもセッションで、エネルギー・コードのカットをやりました。
じゃあ、そういうの受けられない人はどうしたらいいのか。
案外、それはお祓いとかが効果あるのだと思います。
あとは、紙に名前を書いて燃やすとか。
昔はそうやって、何らかの儀式をすることによって、
解消したのだと思います。

そういうエネルギー・コードがあると、
足を引っ張られます。
これは比喩ではなくて、
本当に見えない何かが足を引っ張っています。
いらない見えないつながりは、
どんどん切りたいです。


2013年12月15日日曜日

街は華やいでいるけれど

街がイルミネーションで華やいできました。
今年の街ゆく人の傾向は、
実用的なダウンジャケット、ダウンコートがあらゆる年代に広がったことだと思います。
けれども、あ、あのダウンはおしゃれ、と思わせるようなダウンコートの人は、
ほとんどいません。
ダウンはまだ進化過程です。

また、ウールのコートのシルエットも、まだ変わっていません。
コートはそんなにしょっちゅう買いかえるものではないので、
変化はこれからやってくると思われます。

ファッション雑誌もいろいろ創刊されたし、
多種多様に売っていますが、
どれもすごく売れているという感じはありません。
ファッションの情報は、ネットからひろってくるのが主流なのでしょう。

若い人たちも、普通のブーツやムートンブーツにタイツ、ショートパンツやミニスカートという人が多いです。
ただ、若い人たちのファッションに、それ以外の動きが少ないようにも見えます。
新しいファッションというのは、通常、若者から広がるものですが、
今の日本は、そんな感じではありません。
私が20代のころに比べると、ずっとおとなしいと思います。
それは今の若者のやる気のなさが原因というよりも、
経済状況のせいでしょう。
だって、私が大学生のときだって、バイトの時給は1000円でした。
あれから20年以上たっているのに、時給がほとんど変わっていません。
むしろ落ちたぐらい。
それだったら、服にお金はかけられないし、ファスト・ファッションしか買えないのも、
当然です。

何が言いたいかというと、
日本のファッション体力は完全に落ちている、ということです。
私が初めてロンドンに行った1994年ごろの、
あのなんとも言えず、活気のない不景気のロンドンの街の人々と似ています。
不景気で、夢もなくなったら、ファッションは育たないのですね。
街の華やかなイルミネーションとは対照的な、なんだかさびしい2013年のクリスマスです。



2013年12月14日土曜日

金星力

女性らしさを表現したり、それを活かすためには、
自分の持っている金星の力を存分に活用する必要があります。
だけれども、実際は活用できていない女性が多いです。

その大きな理由の1つは、女性の会社勤めです。
会社では、金星力ではなくて、火星力を要求されるので、
金星を活かして生きようと思っても、うまくいきません。
朝の満員電車で金星力なんて、使おうものなら、遅刻してしまいそうです。

これは着ている服の問題ではありません。
どんなに見た目が女らしいといわれる服を着ていたところ、
中身がそうでなければ、それは金星力を発揮しているとは言えません。

金星はヴィーナスの惑星ですから、
愛を表現するものです。
笑顔で「ありがとう」が言えなくなったのなら、
もう金星力は死んでいます。
満員の通勤電車の中で、身体の不自由な人やお年寄りに席を譲らない時点で、
金星力は働いていないという証拠です。
きれいにしてればいいってもんじゃない、というのが金星です。

金星力も意識的に育てていかなければ、死んでしまいます。
すべての行動に「愛」が伴うように、自分で育てるしかないのです。
それが自然に育ったら、
努力せずに、男性からも好かれるのではないでしょうか。
もてないというのは、容姿とか、着ているものの問題ではなくて、
自分の中の金星力を自分でどれだけ育てたかの、
尺度ではないかと思います。


じゃ、どうやって金星力を育てるのかというのが問題ですね。
洋服のことはもういいとして。
美に浸るというのも金星です。
美術もそうですし、音楽も。
自然の美もあります。
それから動物と接するとか。
あとは、やっぱり優しさかなあ。
女性であるというだけでは、優しくないですからね。
優しさも、育てるものかもしれないですね。



2013年12月12日木曜日

ベージュ、ほんと、難しい。

前にもベージュは難しいということを書きましたが、
いや、ほんとに難しいです。

私はベージュの服は持っていないのですが、
今年はベージュのカシミアマフラーをしています。
(自分で買ったのではないもの)
そうすると、これがほかのものとことごとく合わない。

私の本当の定番マフラーは、95年にロンドンのハーヴィー・ニコルスで買った、
紫のヴェルヴェットのものなんですが、
これ、見た目はすごくよいものの、全然あたたかくないのです。
だから、寒いときはやはりカシミア。

自分で買えばいいだけの話なのですが、
とりあえず、あるものがあるので、
それを使っています。
けれど、やっぱりほかの色と合わせるのが難しい。
仕方がないので、オフホワイトのバッグとあわせてごまかしています。

ただ、これは色をそろえようとするから難しいのであって、
ベージュ単体と、ほかの色だったら案外うまくいくし、きれいです。
ベージュ+黒、
ベージュ+グレー、
ベージュ+カーキ、
ベージュ+オフホワイト、
ベージュ+ネイビー、
ベージュ+赤などなど。

ベージュの色を分解して、その中で使われているものとは特に相性がいいです。

ということは、つまり、ベージュもほかと合わせる必要のない大きい面積のもののほうが、
簡単ということ。
ワンピースとかコートとか、大判ストールとか。

色1つにとっても、考察することがたくさんあります。
考察、実践の繰り返しが大事だということは、
おしゃれも同じです。


2013年12月11日水曜日

直感

今やっているインテグレート・ヒーリングには、
代理セッションという手法があります。
それは、まず始まる前に、「私は○○です」と、誰かの代理となる旨を宣言してから始めます。
きのうはその代理セッションというのをやってみました。

そうすると、どういうわけか、代理になった人に代理の人の気持ちが浮上してくるのです。
そして、普段の自分とは関係ないことが思い浮かんだり、
なぜかお腹が痛くなったりと、確かに代理になっている状態になります。

そして、これも面白いのですが、
筋肉反射をしてみても、ちゃんとその代理の人の反応がとれます。
ここからは代理ですと宣言しただけで、そんなふうになるのが面白いです。

しかも、きのうは悩みの詳細な様子や、身体症状なども事前に聞いてなかったにもかかわらず、
セッションをしているあいだに、それがわかってきます。
たとえば、甘いものの食べ過ぎなど。

もちろん、できると思ってやっているので、できなければいけないのですけれど、
代理でもここまでわかるというのが不思議です。
ということは、自分で何か設定すれば、テレパシーも可能だということになります。

自分で意識を向ければ、ある程度のことはわかるのかもしれません。
もちろんそれは直感でやってきますから、
直感を無視してはいけないです。

きのうもその実験をしていたら、いろいろなことがわかりました。
しかも、そのほとんどがその後、本当に起きました。

直感を信じること、象徴的な現象を見逃さないこと、
そして、それを解釈する力、この3点セットがいつも重要です。

2013年12月10日火曜日

変わっていくよ、きっと

今年のファッションの流れをそろそろ振り返ってみたいと思います。

まず、シルエットの大きな変化はかなり浸透しました。
もう後戻りはしません。
当分のあいだ、この路線です。

それとは別の流れとして、顕著だなと思ったのは、
新たなるブランド信仰です。
これは、いつも私が書いている、情報としてのブランドです。
ロゴ、柄、そのブランド特有の形など、
雑誌だけではなく、インターネットを通して、
情報が広く一般にも広がり、「どこどこの何々」がおしゃれに違いない、
というファッションの記号化が進みました。
記号に価値があると思われるようになったため、
まがいもの(いわゆるパチモノです)が多く出回っていると思います。

ただ、それはモノではなくて、情報なので、
どんどん消費されていきます。
情報優先のファッションは、古びていくのが早いです。
新しさが最も重要な価値観になってしまいますから。
その結果、どんどん買い替えを迫られ、中古市場がにぎわいます。
また、情報消費型のファスト・ファッションも、同じように流行りました。
これが極度に進んだのが今年かなと思います。

ただ、日本に限って言えば、来年、消費税が上がります。
景気が悪くなるということは、歴史が証明していますから、
情報消費型のサイクルに、ほとんどの人はついていけなくなります。
そのときに、やはり違う流れがくると思うのです。
それは、そんな競争はしない、情報サイクルから抜け出すということ。
そのことを真剣に考え出し、実践していく人たちがふえるでしょう。
だって、おしゃれなことと、情報を消費していくこととは、また別の問題ですから。

どちらにしても、美を見極める審美眼と、冷静で客観的な視点を持てば、
大丈夫です。
あおられても、のりません。



2013年12月9日月曜日

おしゃれなパパ

おしゃれなパパを見ました。
電車の駅で階段をのぼっていたら、
目の前に真っ白い革のトートバッグが。
真冬に真っ白いバッグを、普通の男性は選びません。
これはただものではないなと思い、
視線を下にずらすと、よく磨かれたツートーン・カラーのウィングチップ。
茶色い太いうねのコーデュロイパンツに、
トップスは、ウールのツイードのダウンベスト。
その下にはエクリュで、網模様が少し入ったニットです。

顔を正面から見ることはできなかったのですが、
長めの前髪を少しかき分けるようにして、
べっ甲色のウェリントンタイプのメガネが見えました。
全体に茶色のグラデーションで、白いバッグがポイントです。

その人はパパで、4歳ぐらいの男の子の手を引いています。
男の子はリュックを背負っていて、お洋服はごく普通。
すごくおしゃれなパパに、ごく普通の服装の子供です。

パパと男の子はその後、雑踏の中へ消えていきました。
あのパパはたぶん、編集者とか、セレクトショップ経営とか、
そんな仕事の方でしょう。
自由で知的、そんな感じがしました。

このパパ、一見して、どことわかるようなブランド物は持っていませんし、
着てもいません。
またすべて新品で、ぴかぴかな服ばかりというわけでもありません。
だから多くの人の目からは、特別、おしゃれな人にはうつってないでしょう。
わかる人だけがわかるおしゃれ。
これぞ、本当におしゃれな人です。

都会の素敵なパパを見た日でした。

2013年12月8日日曜日

そういえば、うちの猫

今年の夏に家から脱走した猫のまるちゃんですが、
ただいま、お隣の外猫となっています。

呼べば返事もするし、近くまで寄ってくるのですが、
つかまえようとすると、頑として拒みます。
1度、自由生活に戻ったら、
もう家の中だけの生活には戻りたくないらしいです。

で、朝、夕方とお隣の家の庭にきて、
お隣の家の中に入って、えさをもらっています。
お隣の家の中に入るぐらいなら、うちに入ればいいのにと思いますが、
猫の理屈は違うらしい。

時には小一時間もお隣の居間で休憩してからどこかへ行くそうで、
全くもって、よくわかりません。

寒くなったら、観念してうちへ戻ってくるだろうと、
たかをくくっていたのですが、
帰る気配は見えず。

日中、姿は見えないのですが、
梨畑か、ぶどう畑のあたりをふらふらしているようです。
体もさほど汚れていないので、
雨の日など、ビニールハウスの脇ででも、雨宿りできるのでしょう。

生まれたときからずっと動物と一緒に暮らしていますが、
いまだに100パーセント理解したとは言えません。
何を考えているか、わからない。
たぶん、お互いにわかっていない。
けれども、わかっていないまま、仲良く暮らすことは可能です。

100パーセントわかりあえることはなくて、
お互いに侵入してほしくないエリアを保ちつつ、
それでも一緒にいたほうが楽しい。
損か、得かばかりが重要視される社会の中で、
こういう関係は貴重です。
これからもきっと、猫と一緒に暮らします。

2013年12月6日金曜日

夢を見る君

「夢を見る君はテロリスト」とアナログフィッシュが歌っている。
「失う用意はある?それともほっておく勇気はあるのかい?」と続く。

夢見るだけでテロリストと呼ばれる国になるかどうか、
今日は瀬戸際。

それでもやっぱり夢を見る。
まだ方法は残されている。

方法は残されている。

日本人の集合的無意識が顕在化したのが彼らなのだから、
そこを変える手助けをする。

集合的無意識に働きかけるのは、言葉ではない。
言葉は切り分けられた結果。

切り分けられる前のケーキのような、
大きなかたまりに働きかければいいのだ。
その方法は、あるのだ。





2013年12月5日木曜日

80年代後半のマリ・クレール

「マリ・クレール」という雑誌があります。創刊、廃刊を繰り返しているので、
あるときがあったりなかったり。
きのう、セゾングループのことを思い出していて、
一緒に80年代後半の「マリ・クレール」についても思い出しました。

今は「フィガロ」を買っていますが、
それまではずっと「マリ・クレール」でした。
編集長が有名なヤスケンさんという方で、
執筆陣が豪華だったのです。
映画の蓮見先生とか、身体とファッションについての鷲田先生とか。
ファッション誌の中に、哲学よりの文芸誌がミックスされたみたいな感じで、
読み応えがありました。
あのセンスは、今の雑誌にはないです。
ファッションを読む人向けの文章ではなくて、
先生たちの、いつものままの文章が、モードと同等に並べられていました。

しかし、「マリ・クレール」も編集長が変わったら、
途端につまらないものになり、
つまり、編集長が変われば、もう違う雑誌なわけですが、
つまらなくなったので、買うのをやめました。

あの時代、見るものも、読むものも、そうやってちょっとずつ鍛えられました。
日本のデザイナーたちがパリコレで活躍していた時期と重なって、
夢と希望があったなと、今振り返ったら思います。

さて、これからの日本における「夢と希望」は、どこに見出せばいいのか、
今日、明日、考え直すことになるでしょう。
簡単に見つかりそうには、ありませんが。

2013年12月4日水曜日

堤さん

実業家、小説家、詩人の堤清二さんがお亡くなりになりました。
御存じだとは思うけれど、セゾングループを率いた方です。

80年代、90年代と、本当にセゾングループにはお世話になりました。
本はいつもリブロ、レコードやCDはWAVE、
パルコ劇場で芝居も見たし、クアトロには何度も行きました。
シネ・ヴィヴァンでエリック・ロメールの映画も見たし、

そして池袋のセゾン美術館では、イヴ・クラインやヨーゼフ・ボイスなど、
現代美術の展覧会に足しげく通ったものです。

リブロに行けば、あまり売れないような美術書や洋書がたくさんあったし、
WAVEでCDのジャケ買いをしたり、
当時、私が好きだった、クリエーション・レーベルや、
クレプスキュール・レーベルのCDをよく買いました。
そういえば、そのどちらのレーベルのアーティストもクアトロでライブをやったんだよね。
クレプスキュール祭りみたいなのもあって、楽しかった。
サラ・マクラクランのライブを見たのはパルコ劇場でした。
アラーキーの展覧会もパルコであった。
たくさんいろいろなことを見たり、勉強したりできた、80年代、90年代でした。

そう考えると、
セゾングループの衰退とともに、
私にとって、東京という街は魅力のない街になってしまったような気がします。
今では、行くだけで、くたくたに疲れてしまう。

堤さんが力を注いだ文化って、きっとお金にはならなかったでしょう。
ヨーゼフ・ボイスの展覧会に人が大挙押し寄せるなんてことは、ない。
お金にはならなかったけれども、
あれを見たり、聞いたりして、育った人たちはたくさんいます、きっと。

インターネットがまだない時代、
情報はその場へ行ってみなければ、届かないものでした。
海外のことは特にそうです。
それをごく身近なものにして、実際に見せてくれたのはセゾングループでした。
10代のころから、そういったものに接することができたのは、幸せなことです。

堤さんみたいな方がいたから、今、活躍している人がいるのです。
お金儲けだけ考えていたら、それはなかった。
堤さんという方は、芸術や文化で儲けようとしなかった、
志の高い、芸術家だったのだと思います。

2013年12月2日月曜日

お年寄りもダウンコート

だんだん、ダウンコートを着ている人がふえてきましたけど、
目につくのは、以前はダウンなど、着てなかったようなお年寄りの姿。
完全にお年寄りと呼ばれる世代まで浸透しましたね。
しかも、黒よりは、赤やオレンジなど、カラフルな色が多い。

そうなると、「ダウンコート」はボトムまで浸透したということになります。
つまり、特別、おしゃれには見えないアイテムになったわけです。

もうおしゃれには見えませんから、
普通のダウンコートは、すべての年代の人が着ている単なる防寒着です。
おしゃれとか、素敵に見せたいなら、
多くの人が選んでいるものとは違うものを選ばないといけません。

ジーンズ、Tシャツ、スニーカーなど、
広がれば広がるほど、ほかの人と差をつけにくくなります。
だから、それを着ておしゃれに見せるためには、
工夫が必要になります。

今では、お年寄りでもストレッチのジーンズ、Tシャツ、スニーカーです。
そして冬はダウン。
10年前、こんな光景は見られなかったと思います。

着こなしや、コーディネイトという意味では、
定番ほど、難しいです。
楽に、簡単に流れると、それはその他大勢です。

ものすごく流行っているということは、そういうことです。


2013年12月1日日曜日

本当に楽しいこと

私が最初にロンドンに行った90年代半ば、
通りを歩く人たちが着ている服は古ぼけて、質素なものばかりでした。
雑誌でよく取り上げられていたロンドンのストリート・ファッションなど、
特別な地域に行かなければ見られず、
新しく、きらびやかな服を着ている人など、
ほとんど見ませんでした。
(車はもっとぼろぼろでした)

私が行った当時、イギリスはまだ不景気で、
街も活気はありませんでしたが、
それを補ってあまりあるほどの歴史や伝統があり、
そちらのほうに興味があったので、
服や車がぼろくても、
あ、そういうものかと思っただけでした。

過去、消費税を上げて、景気がよくなった国はどこにもありませんから、
あの90年代に見たロンドンの街は、
これからの日本の姿なのかもしれません。
新しいものをどんどん買って捨てていくファッション文化は、
だんだんと終わっていくでしょう。

だからといって、どうっていうことはありません。
今までが異常でした。
クローゼットの中の服が、こんなに多くなったことは、
いまだかつてなかったでしょう。

その後、パリに行って、
カフェで一杯のエスプレッソだけを注文し、延々としゃべり続けている若者たちを見たときに、
本当に楽しいことって、こういうことだと思いました。
お金をかけないで、それでも楽しくおしゃれに暮らす。

私はもう随分と前にそれに気づきましたけど、
これからは、もっと多くの人たちが気づいていくでしょう。
本当に楽しいことはなにかといったら、
それはお金のかからないことばかりです。


2013年11月30日土曜日

3パーセント減らせばよい

消費税の税率が3パーセントアップするならば、
3パーセント、被服費を減らせばよいです。
3パーセントと言わず、もっと減らすことも可能。

まずは、賢くワードローブを構築していけば、
普段着であるにもかかわらず、年間を通してほとんど着ない服を買うことがなくなります。
もうそれだけで、3パーセントはこえている。
それから、買い物の仕方の変更。
まずは年間予算を作る。
思いつきで買わない。
ここまでは、普通に考えられること。

もっと先へ行きたければ、
システムの外に出て、服を買うかどうか決定すること。
システム、つまり、現代のファッションという枠です。
現代ファッション・システムが意味づけしたものから、
遠く離れて、服や小物など、そのものの本質を見抜けば、
いらないことにお金を使っていたということがわかります。

「ロゴ」が入るだけでポロシャツの価格が高くなっています。
では、その「ロゴ」にはどれだけの価値があるのでしょうか。
単なる情報なら、それ以上の意味はありません。

ただ、システムから出ようとするあまり、
不当な労働の上につくられた服を買ってしまっては、
元も子もありません。
それは注意が必要。

本質を見極め続ければ、たくさん買う必要も、持つ必要もなくなります。
それでも買ってしまうのだとしたら、
なぜほとんど着ないような服を買ってしまうのか、
自分の行動を振り返ってみるといいでしょう。
それはみなそれぞれ理由が違うと思うので、ここではその理由については言えません。

よく、南の島の孤島に行くのにどの本を持っていくかという質問がありますが、
南の島ではなくても(なぜなら暑いので、あまり服がいらない)、
孤島で、誰にも見られなくて、それでも着たい服は何か、
自分で自分に問うてみたら、
本当に好きなもの、必要なものがわかるかも。
孤島に行くのだったら、3パーセントどころじゃなく、もっと減らせるでしょう。
とにかく、賢くなりましょう。


2013年11月29日金曜日

シャンティ、シャンティ

いつでもどんな状況でも、
心の中に平安があり、
そこにフォーカスすれば、幸せを感じられるのが理想だけれども、
それがうまくできないことがあります。

今の状況は、私にとって耐えがたい。
何度も言いますけど、
私は「1984年」の世界には住みたくないのです。

この感覚は、私がアパレル会社に行っていたときに感じていたものと同じです。
情報は統制され、外部に接することができず、
長時間労働でも、生活できない低賃金しか払われないため、
時間とお金の関係で、病気になっても病院にも行けないような、
そんな会社にいました。
(これは現政府が推し進めようとしている形にそっくりです)
しかも、そこから抜け出すのにも簡単ではなかった。
なぜなら彼らは退職届を受理しないからです。
退職の理由は病気か結婚に限られていました。

それでも、なんとかその会社を辞めてしまえば、
それで少しは希望が見えました。

今は、まだあきらめてはいないけれども、希望がほとんど見えない。

そんなとき、ヨガのプラクティスで「シャンティ」とチャンティングすれば、
少しは心が落ち着きます。
この前、ヨガの先生に作ってもらったプラクティスは、
この「シャンティ」をずっと言いつづけながら行うものでした。

まだ安定した発声で「シャンティ」と言うことができません。
いつでもかすかに揺らいでいます。
確固たる平和を心の中に築くことは難しいけれど、
それでもあきらめずに続けます。




2013年11月28日木曜日

パーティーって、みんな、やるの?

この時期になると、
店頭には多くの「パーティー向け」のファッションが並びますが、
そんなに多くの人がパーティーをやるのでしょうか。
仮にやるとして、そのとき、ああいう服って、着るのかな?
いつもあのパーティー服を見るたびに疑問に思います。

ファッション業界は、ああいう服に力を入れたがるけど、
実際の着る人たちは、そんなに必要ないと思ってるのではないでしょうか。
あったとしても、年に数回のためのパーティー。
特殊な職業の人でもない限り、ほとんどいらないと思うのですけど。

それに比べて、相変わらず、日常着の提案は乏しいなと思います。
幼稚園や保育園の送り迎えのママたちのファッションは、
本当にみんなよく似ている。
あれは、選択肢が少なすぎて、似たような格好になってしまうのでしょう。
この中から選びようがない、ということで。

パーティー・ウエアの充実より、
日常着の充実のほうが今、必要とされていると思うけど、
ファッション業界の人たちは、それに気づかないのでしょう。
きらきらしたものばかり追いかけて、
日常を重要視しないから。

何か、わーっと興奮するようなものに熱狂している間に、
本当に大切なことを考えないようにする、忘れているようにする、
そんな傾向があるように思います。
ほとんどやらないパーティーのために一生懸命になって、
日常の足元のことを考えないようにする。

バーゲンの季節まであと1カ月。
着飾った人たちを見るのはほんの一瞬。
熱狂していない時間のほうが、ずっと長いです。

2013年11月26日火曜日

ファッションも表現

ファッションも表現の一種なので、
「表現の自由」が保障されていなければ、
本当に好きな格好ができません。

「表現の自由」がなくなったら、
あの恰好はだめ、スカートの長さもこれじゃなきゃだめ、
あの色は禁じられている、
あの素材は着てはいけないなどなど、
次から次へと規制がしかれて、
結局、個性のない、みな同じ服ということになります。

私がかよっていた中学校では、
靴下は白で、三つ折りにしてはくこと、というルールがありました。
「三つ折り」にするという規制がされていたわけですが、
「三つ折り」に意味などありません。
でも、三つ折りにしていないと、
学校の取り締まりの先生に捕まるのです。

服は目に見えるので、
規制の対象にしやすいです。
意味ないルールをどんどん作って、
次々に取り締まって、
自由を奪っていきます。
自由を奪うためのルールなんで、
意味づけなんて、どうでもいいのです。

「表現の自由」を規制するものに対しては、
表現者は声を上げていくべきだと、私は思います。
だって、それがなかったら、表現なんて、できないから。

ファッションは、明らかに、多くの女性に物事を深く考えないでいるための道具として使われています。
それはテレビ番組と一緒です。
洋服にうつつを抜かしている間に、
みんな、選挙に行かないでしょ?
そんなことは考えなくていいように、
仕向ける、その手段に利用されています。

アパレル産業は、世界の経済と深い結びつきを持っています。
貧困問題とも無縁ではありません。

ファッション誌は、そんな問題があたかも存在しないかのように、
無視し続けるけれども、
無視したからといって、ないわけではありません。
その行為の結果は、必ずわが身に降りかかります。

「表現の自由」が保障されていない国において、
ファッションは成立しない、
私はそう考えています。

国際人権団体、ヒューマン・ライツ・ウォッチの声明はこちら


2013年11月25日月曜日

植物の色合わせは難しい


植物の色合わせは、洋服の色合わせより、数段難しいです。
近くの、センスのいい苗屋さんで、寄せ植えの苗を選んだのですが、
選んでは並べてみて、選んでみては並べてみてを繰り返していたら、
小一時間ほどたってしまいました。
洋服より、ずっと難しい。

特に今回は、主役をフォーエバーローズの赤いバラに決めたので、
それに合う植物を探すのに四苦八苦。
大体、自分の好みで選ぶと失敗します。
あくまで主役を引き立てるような脇役たちを探さなければなりません。
そのこつは、普通だったら、絶対に私が選ばないような色、形のものを持ってくること。
好きな色、形だけで作ると、全然よくなりません。

自然の色と形、質感は、人工の布なんかより、ずっと多様多彩で、
それらをしっくりなじませるのは、
知識と経験がやはり必要だと思いました。

私は、1995年頃から10年間ぐらい、
RHS(英国園芸協会)に入っていたので、
知識はもうあります。
だけれども、経験は少ない。

昔から寄せ植えはあまり得意ではなかったので、
ずっと作っていなかったのですが、
これも回数を重ねないと、なかなか早く選べないし、
うまくもならないでしょう。

私が行くこのお店は、いつも寄せ植えが素敵なので、
まずは真似してみて、その後、自分なりの組み合わせを作っていくのがいいと思っています。

☆写真:寄せ植え。左はお店の寄せ植えを真似して選んでみたもの。右は自分で選んだもので、まだ植え込んでいません。

2013年11月24日日曜日

来年の手帳

来年の手帳は買っていません。
実は、今年も買いませんでした。
いただいた、どこかの薄っぺらい手帳があったので、
それでよしとしました。

きのう部屋の掃除をしていたら、
その手帳が雑誌にはさまって出てきました。
実は、私は今年、手帳に書き込むということをほとんどやらなかったのです。
それで、手帳はどこかへ置きっぱなしにしたきり、
すっかり忘れていました。

持って歩く手帳には何も書きこみませんでしたが、
カレンダーには大体の予定を書きいれていました。
そのほかほとんどは、「うきうき家計簿」の日記部分に予定を入力しました。
で、それで何の不自由もなく、12月まできました。

これは人によって違うと思います。
細かく手帳に書き込むのが必要な人もいることでしょう。
ただ、私の日常レベルで、それは必要なかったということです。
特にプライベートの予定は、歯医者と整体の予約以外は、
紙に書いていません。

紙に書いて、それが残るのは少し抵抗があります。
捨てるにしても注意しなければいけないし。
書いたものって、証拠になりますから。
手帳は証拠になるから、
それだったら、evernoteにメモして、
いらなくなったら、後で削除しちゃったほうがいい、
というのが私の考えです。

gmailも、あまり長期間アクセスがないと、
消えるようになるシステムなんですよね、たしか。

というわけで、今年も薄い手帳と家に置いておくカレンダーだけあればいいな、
というのが今の私の方針です。

2013年11月23日土曜日

そのデザインは何のため?

だんだん日の出の時間が遅くなってきたので、
朝起きるのが、日の出より早くなってきました。
大体、朝の6時に犬の散歩に出るのですが、
今は少し明るくなってきた空に月と星がきれいです。
今朝は月の隣に木星が輝いていました。
木星はラッキースター。
今朝は月と木星がコンジャンクションなので、
気持ちが軽くなります。

さて、朝は寒いので、
私はパーカのフードを頭にかぶっています。
フードって、ほとんどかぶっている人はいませんが、
首の後ろ、耳、頭まですっぽり覆われると、
かなり暖かいです。
首の後ろと耳が覆われる分、
帽子より暖かいと思います。

服には、ほとんど使われないけれど、
形式的に何かついているデザインのものがけっこうあります。
トレンチコートのパーツなども、
ほとんど飾りです。

使われないけれども、
そこをきちんと作っている服のほうが、
何か上等のような感じがします。
使われないとわかっている、
だけれども、きっちり作るという、
その心意気がいいわけです。

その反対に、
細部はとことん適当に作られた服もあります。
そんな服は、デザインしたひとの心の貧しさが透けて見えます。

そうかと思えば、無意味な切り変えや、背中のポケットなど、
デザイナーのエゴで作られた無意味さもあります。
そんな服は、押しつけがましてくて、着ていられません。

デザインにはそれぞれ意図があります。
その意図がデザイナー自身のエゴのあらわれなのか、
着る人のためを思って作ったものなのか、
そんなことを見極める目も、
いい服を見つけるには必要です。
エゴで汚された服は、
どんなに頑張っても、素敵には見えませんから。

2013年11月22日金曜日

ドルマンスリーブにはどんなコート?

今年初めてモモンガニットを買いました。
独特のパターンで、上下がどちらかわかりにくいデザインです。
今まで着たことのない形で新鮮でいいんだけれど、
これを着ると、上にコートは着られません。
よって、現在は家の中だけで着ています。

ドルマンスリーブもそうですが、
袖下がぐっと下へ下がると、
アームホールが広くなり、
普通のコートは着られなくなります。
上にコートが着られないニットでは、
外出するときに着られないので不便です。

この前、いつもドルマンスリーブのニットを着ている友だちが、
コートを着ていたので、
思わず袖はどうなっているのか見せてもらいました。
マント風のコートで、
そのマント風の袖をめくったら、
本体のアームホールが丸くくりぬかれていました。
彼女はその穴に、無理やり腕を入れていました。
別に、ドルマンスリーブ対応コートではなかったです。
薄いニットだと、それでも大丈夫だけど、
ローゲージのニットだと、たぶん、無理でしょう。

ドルマンスリーブのニットの上には、
やはりドルマンスリーブのコートか、
または、ほとんどないですが、キモノスリーブのコート、
そうでなかったら、袖がないマントですね。
どれもメジャーではないデザインです。
真冬のマントは寒いらしいし。

これだけドルマンスリーブが流行っていますから、
それに対応したコートも、そろそろ出てきていいころ。
とりあえず、今年はほとんど見ませんでしたので、来年でしょう。

私のモモンガニットもかわいいのですが、
ドルマンスリーブ以上に袖の幅があるのと、
ローゲージなので、コートは無理そう。
上にニットのポンチョでは、あまりにもぞもぞしそうなんで、だめです。
そうなると、ウールのマントぐらいです。
マントは持っていないので、モモンガニットを着ての外出はなしです。
なかなか、すべての要件を満たす服というのは、ないということですね。

2013年11月21日木曜日

remember the milk 導入

占星術をやることの大きなメリットの1つに、
自分の苦手分野を知るというものがあります。
私の場合、単純な入力が非常に苦手です。
これは水星と海王星のアスペクトを持つ多くの人の共通点で、
これで困っている人はたくさんいると思います。

これは注意すれば直せるものではありません。
ですから、そうならないための工夫を自分でしていく必要があります。

私の場合、特に間違えやすいのが数字の入力。
文章の場合は、てにをはや誤字は後から見直せば気づくのですが、
数字の場合、1度間違ってしまうと、後から見ても気づきません。

今年に入って、2度目の入力ミスを、きのうやらかしてしまい、
すごく反省しました。
ただ、反省したところで、このミスが直るものではありません。
方法を考えなければなりません。

というわけで、きのう remember the milk というタスク管理のフリーソフトを導入しました。
私の場合、入力の際、ミスしてしまうので、
自分で入力せずに、コピー・アンド・ペーストできればいいわけです。
このソフトは、予定をコピペで入れることができます。
もちろん最初の日付が間違ったものであったら、どうしようもないのですが、
それでも、書き写すという作業が1つは減るので、
ミスの頻度もぐっと減ります。

世の中には、
この単純な入力がとても得意な人も、
ものすごく苦手な人もいるわけです。
決して、みんなが同じことを同じようにできるわけではありません。
現代社会は、ある分野のスキルを、みなにひとしく要求しますが、
それはそもそも無理なことなのです。
そのことを理解しているのといないのとでは、
他人に対する態度が全く違ってきます。

そんなわけで、これからタスク管理は remember the milk でやっていこうと思っています。
ただ、欠点は、ネットにつながらなくなったらどうにもならないということ。
少しの間、このソフトで頑張ってみて、だめだったら、また違う方法を考えます。
気づいたら、違う方法を探して試してみる、
自分の欠点のカバーには、それしかないですね。

(作業をした日をよく見たら、水星逆行中でした。やっぱり気をつけなきゃだめだな・・・)

2013年11月19日火曜日

案外、バランスはとれている

この前のことですが、
用事があって、朝と夕方、ラッシュ時に電車に乗る機会がありました。
次の日の朝、気づいたら、両目が半分しか開いていない状態になりました。
正確に言えば、もっと開いているけれども、
気分としてはそんな感じ。
目がぱっちり開きません。

次の日、整体へ行って、目が開いていない趣旨を説明すると、
ストレスで頭ががちがちになっているという説明を受けました。
頭の整体をやってもらったら、左目はすぐ開きました。

ラッシュ時に電車に乗ったくらいで、目が開かないとは、
私はどれだけストレスに弱い身体の持ち主なんだろうと思いましたが、
なんだか、それでバランスがとれているような気がします。

陰陽のバランスの陰の部分というか、
違うところが陽なので、ストレスに弱く、病気になりやすいということが陰なわけです。
私は健康至上主義ではありませんから、健康がすべてだとは思っていません。
もちろん、健康であるにこしたことはないけれど、
健康でなければいけないとなると、
そうでない状態や、そうでない人を否定することになります。
健康でない、または病気である、よって生産性がないから無価値、
簡単に言うと、稼ぐことができないから価値がないという価値観は、
危険な考えです。

それは置いておいて、
私は、ストレスに弱い身体を持つことによって、バランスを保っています、たぶん。
これがものすごく元気で、何でもできてだったら、
きっとだめなんです。
パーフェクトになったら、逆に何かが欠ける。

また、完璧になったら、あとは終わるだけということもあります。
日光の東照宮の逆柱のように、
完成は崩壊の始まりであるというのは、そのとおりでしょう。
完成されたら、終わります。

きのう、自分でアシンメトリーについて書いていて、
そのことを改めて考えました。
いつものように、「アシンメトリー」について書くというお題だけ決めて、
あとは自動書記状態です。
結論はどこにいくのか、わからないまま書き始めます。
地球での生活というのは、
完璧でないことでバランスが保たれるのでしょう。


2013年11月17日日曜日

つば広帽、買ったはいいけど。

私はほぼ、1年じゅう、帽子をかぶって外出します。
理由は、夏の日差しを避けるため、
冬の防寒など、もちろんあるのですが、
太陽光を直接、目に入れないためです。
目に太陽光が直接入ると、それが原因で頭痛になります。
サングラスという手もあるのですが、
度入りを作るのが面倒なので、今のところ帽子です。

で、冬の帽子は、キャスケットと中折れ帽なのですが、
どちらもブリムと呼ばれる帽子のつばが狭いのです。
夏のあいだはかなりつばの広い帽子をかぶっていて、
日差しが目に入らなかったので、
冬にも、それがいいのではないかと思い、
新しくフェルトのつば広の帽子を買いました。

なかなか素敵です。
エレガントです。
つばの広さも十分で、目に光が入るのを防げます。

早速、どんな感じか見てみようと、
家の中で帽子をかぶりながらうろうろしていたのですが、
全開ではないドアをすり抜けようとしたとき、
帽子のつばが壁にぶつかるのに気づきました。

当たり前ですが、つばが広いので横幅が広いです。
ですから、帽子をかぶったまま、狭いところは通り抜けできません。
帽子が両側の壁にぶつかります。
待てよ、ということは、もしかして、
これをかぶって電車に乗るのは無理かも?

夏のつば広帽は、麦わらに似せたペーパー素材で、
へらへらしていたので、電車にも乗れましたし、
たたんでかばんに入れることもできました。
けれども、冬のこの帽子の素材はフェルト。
かなりしっかりしています。
そういえば、電車の中で、こんなつば広の帽子をかぶっている人は、
見たことがありません。
ものすごく空いている昼間の時間なら大丈夫そうですが、
朝晩の混んでいる時間帯は、どう考えたって無理。
ということは、これは徒歩、または車のとき専用ということになります。
そこまで考えていませんでした。

そして、人どおりの多い都会の街でも、この帽子は不向きなのかもしれません。
すれ違うたびに、いちいち誰かにぶつかっていたのでは、
安心して歩くこともできません。
いかにも、かぶっている人をあまり見ないわけです。

日差しも目に入らないし、素敵なんだけど、
どうやらこの帽子、出番は少なそうです。
それでもかぶりたいなら、ブリムの幅を少しカットするしかないかも。
でも、そうすると、全体のバランスは変わってきます。
どうだろう。
カットして、いつでもかぶれるようにしたほうがいいか、
それともこのままにして、人にぶつからない外出のときのみにするか、
考えてしまいます。

本当はもっといろいろ考えなければならない重要なことがたくさんあるのに、
こんな、どうでもいいことで悩んでいるなんて、時間の無駄。
無駄とはわかっていても、ファッションが好きだと、その無駄なことに時間を使ってしまいます。
そういうとき、ファッション好きもそろそろやめたいと思うのですが、
月と金星が天秤にある私は、それがやめられません。

せめて、服のことを考える時間をもう少し短くしないとね。
ああ、本当に無駄過ぎです。






2013年11月16日土曜日

観察を続ける

洋服の作り方は学校で学びますが、
ファッションの流れや、時代の気分みたいなものは、
いろいろなものを観察することによって学びます。
それは街ゆく人、ショップ、雑誌、インターネットなどさまざまです。
とにかく観察です。

数多く観察していくと、
必ず見えてくるものがあります。
共通点だったり、ちょっとした変化だったり、
曲がり角の雰囲気だったり。
時代は流れているので、観察はずっと続きます。
やめてしまったら、終わりです。
もうわかりません。

音楽なんかもそうですね。
ずっと聞き続けていると、
音楽の流行の流れだとか、雰囲気がわかりますが、
やめてしまうと、一気についていけなくなります。

ずっと飽きずに観察できるものは、やはり好きなもの、
得意なものだと思います。
そのことについてだけは、もう何十年もわかっているということがあれば、
それはその人の得意分野です。

天気の観察とか、星の観察とか、株価の値動きとか、
富士山とか、海の様子とか、お相撲だけは見ているとか、
みんな、そうでしょう。
ずっと見ていくとわかることがある。

私はそれがたまたまファッションだけれども、
人それぞれ何かあるのではないかと思います。
そして、もしないのだったら、今から始めればよい。
自分が何十年も、飽きないで観察できるものがあったとしたら、
それは後々、その人の強みになります。

結局のところ、才能とは、続けられる能力ということです。


2013年11月15日金曜日

自分を明け渡す

役者が、本当にすばらしい演技ができたときというのは、
役者自身が果てしなく消えて、空っぽになり、
その役に役者自身が入りきったときです。

ピアニストも、スポーツ選手も同じだと思います。
その瞬間、限りなく自分がなくなり、
何か、自分よりもっと大きなものに受け渡すことができたとき、
見る人を感動させられる演技なり、演奏なり、プレーができます。

その自分が果てしなくなくなった瞬間、
演技、演奏やプレーがきちんと、正確にできるよう、
毎日、練習や訓練をします。
料理も、絵を描くことも、書道もそうです。
自分がなくなっても、自動的にその動きができるように、
ある程度の基礎訓練は必ず必要です。

自分を自分より大きなものに明け渡したとき、
人は、自分が持っている以上の力を発揮することができます。
それは、経験があったからできるわけではありません。
必要なのは、どれだけ自分を明け渡すことができるか、です。

それができていれば、
役者がその悲劇を実際に経験していなくても、
同じ悲しみを表現できます。
経験にないことは表現できないわけではなく、
その明け渡しの度合いで、表現できる範囲が決まります。

自分がやってるんだと思った瞬間、
それはすべて壊れます。
自分でない、もっと大きな力が自分を通して流れているんだと理解すれば、
それはできます。

人間として完全でなければ何かができない、ということはないと思います。
多くの経験をしていないから演技ができないとか、
多くの感情を知らないから、演奏できないから、
完璧に癒されていないから、ヒーリングできないとか、
それはありません。
もしそれを求めるのであれば、そんな人間は一人もいないでしょう。
もしできないのであれば、
経験がない、知らない、癒されていないからできないという思い込みにとらわれているから。

料理をするときも、100メートル走を走るときも、
ダンスを踊るときも、
どれだけ自分がなくなる瞬間を持つことができるか、
それがおいしかったり、人を感動させたりするための秘訣だと思います。

2013年11月13日水曜日

思いこみを揺るがす言葉

まだテレビがうちにあったとき、
もっとも退屈だなと思っていたのは、
自分にとって全く関心のない人々のインタビュー番組でした。
確かにその人は有名だろうけれど、
だから何なの?という感じで、
何かのスペシャリストでもない限り、
有名なだけの人の話、たとえばプライベートや子供の話は退屈極まりなく、
うんざりするものの1つでした。
だから、今でもインタビュー記事というものは、あまり好きではありません。

だけれども、きのう「ほぼ日」で読んだ、岸恵子さんの
「50代、60代が一番すばらしかった」という言葉には、
ちょっとはっとさせられました。

10代がとか、20代がとか、せいぜい30代までで、
50代、60代が一番よかったと語る女性は、
ほとんどいません。
いや、実際はいらっしゃると思いますが、
そういう方々は、マスコミではあまり取り上げられません。
マスコミは「若さの素敵さ」ばかり取り上げられますが、
年齢が上がると、それはどちらかというと、
批判や蔑視の対象になります。
そんなメッセージばかり聞かされていると、
50代、60代が一番いいだなんて、
想像することが難しくなっていきます。
思いこみはそうやって作られます。

だけど、実際は経験してみなければわからないもので、
その人にとって、若いときが一番いいだなんて、決まっていないはず。

刷り込みや思いこみは、本当に役に立ちません。
なぜなら、それは事実でないことが多いから。

きのう読んだ岸恵子さんの言葉は、
希望が持てるものであったと同時に、
何となく、50代、60代なんていいわけがないという、
私の刷り込まれた思いこみを気づかせてくれたものでした。
きっとそういうことはもっとたくさんあります。

刷り込みと思いこみを取り外して、
とらわれた状態から抜け出したいなと、
あらためて思いました。

2013年11月12日火曜日

自分で決めたルール

きのうは、ファッション・ブログのほうを、
自分の中でアップする日と決めている日だったのですが、
夜まで違うことをやっていて、
終わってからでは、眠いので無理だとあきらめてやめにしておきました。

依頼された仕事だったら、やめるということはありませんが、
単に自分の中で決めたルールなので、
無理してやるのも違うなと思って。

ルールとか枠とか、
ある程度は必要だと思いますけれど、
それにとらわれるのもよくないなと思います。
わたしが書いているおしゃれルールにしても、もちろんそう。

ただ、枠がなくて適当にやるのと、
知っていて、あえてやらないのとでは全く意味が違うので、
わかっているということは大事。

きのうは無理してでもやるという選択肢もあったけれど、
あえて、そうではないほうを選びました。
そのほうがちゃんとした文章を書けると思ったから。

ブンカにいるときは、いつでもとにかく「期限内」に提出を目標にしていたから、
作品のクオリティより、間に合わせることが大事だったけれども、
それは向こうが決めたルールだったから。
自分で決めたルールだったら、
自分でそのとき守るかどうかも決めればいいことです。
ファッションもそれは同じ。
自分で決めたルールに縛られることはありません。

というわけで、後ほどおしゃれブログはアップしますので、
よろしくお願いします。ではまたあとで。

2013年11月11日月曜日

見落さない

出会っていても気づかなければ、
それはその人にとってないのと同じです。
見えていても、気づかなければ、
それもないのと同じ。

もちろん、人間はすべてのことを記憶しないように、
そもそもできているのだと思うけれども、
それにしても、やっぱり見落しが多い。

見落しを防いでくれるのは、
やはり外のもの、人、ことに対する興味や好奇心だと思います。
目の前にあるものを見つけられるか、
見つけられないかの差は、それがあるかないのかの差。

別にどっちでもいいんですけれど。
あったほうが、世界の意味が何倍にもなって、楽しいです。

この前、私の目の前をすごい大物が通って、
まわりを見たら、
気づいている人と、気づいていない人にぱったり分かれていました。
じろじろ見るのはよくないけれども、
気づいたほうが、人生は楽しいと思う。

見間違いは得意だけれども、
やっぱり見落しはしたくないなと思います。
だって、ほんと、意外なところに、意外なものが存在していますから。
情報を取りに行くのと同時に、
まわりの世界の出来事を見落さないようにしたいと思います。



2013年11月10日日曜日

アンテナ


アンテナは、張ったら張っただけなので、
自分で設定したところまでの情報が入ってきます。
その設定範囲は個人の自由です。
小さくすることもできるし、大きくすることもできます。

アーチストの人たちはかなり大きくアンテナを張っているので、
ちゃんとそれに見合った情報が入ってきます。
小さく設定してしまったら、それなりなので、
新しい作品も、新しいアイデアも、キャッチできません。

もし何にも思いつかないと言うのなら、
アンテナを張る範囲の設定を最初から小さくしているのかもしれません。
小さいほうが守りやすいと信じているから。
守りやすいから、そのほうが幸せと思いこんでいるから。

でも、そんなこともないです。
一歩出ても平気です。
岩につながれたアンドロメダを、
ペルセウスは助けてくれたけど、
誰にでもペルセウスがいるわけではないし、
そもそも自分で岩につないでいるのかもしれません。

岩というのは物質。
土のエレメント。
土につながれるというのは、
さわって感じられるものとか、食べるものとか、着るものとか、
もろもろの実感できるものにつながれているということ。
それはやっぱり不自由です。
もちろん、それさえも選べるわけですけど。
ワードローブをシステマティックにするということは、
自由への第一歩だと思います。

☆写真:黒蝶、半額になってたから買いました。球根なんで、来年も大丈夫です。 


2013年11月9日土曜日

封印をとく


たとえば、どこかへ行ってみて、そこで嫌な思いをしたら、もう二度と行かないって思います。
何かチャレンジしてみて、さんざんな目にあったとしたら、もう二度とやらないって思います。
そうやって封印してきたものは、けっこうある。
ただ、その封印も永遠のものではなく、
期間が決まっていたりします。
たとえば、それは10年後にとかれるということもあり得ます。

その封印をといたとき、
なぜ10年前はそれ以上、近づかなかったのか、
無視しながら、見ないようにしながら生きてきたのか、
ちょっとだけわかることがあります。

嫌な思いにもちゃんと意味があって、
そこでもう二度と行かないと決めたのも、
それはそれでよかったことで、
10年後の封印がとかれる日のために、
大切にそれはとっておかれたのです。

そのとき、その嫌という気持ちを無視して続けても、
それ以上、得るものや、達成できることはなかったのでしょう。
そして、そこへたどり着くのに10年かかった。

もっと早くやっておけばとか、
もっと早く出会っておけばとか、
思うことはしばしばですが、
きっとそれは完璧なタイミングでやってきているのです。

今回、わたしがあることに対して持っていた封印がとかれました。
それはずっと忘れていたけれど、
確かに、ずっと避けてきたことで、
でも今、さわってみたら、
ちょうどいいタイミングで再会できた感じです。

自分の運命の流れを信じて任せれば、
必要なことは必要なときにちゃんと出会うことになっていると、
それが過去、捨て去ったものであっても、
ちゃんと戻ってくるのだと、
再認識しました。
だから、これはいいこととか、悪いこととか、簡単には言えません。
可能性に対していつもオープンでいれば、
それにはきっと出会えるのだと思います。

☆写真:うちの秋バラ。

2013年11月8日金曜日

コントロール不能


だんだん日の出の時間が遅くなってきたので、
犬の散歩と日の出が同じぐらいの時間になりました。
ただ今年は、まだそんなに寒くないので、助かっています。

さてきのうのヘレナさんの話の続き。
ヘレナさんは、人間は自然と切り離されると、幸福ではなくなると言っています。
それは本当にそのとおりだと思います。
単純に私なんか、アスファルトやコンクリートにおおわれていて、
地面が出ていないエリアに行っただけで疲れてしまいます。

ただ、日本全体を見たら、
都会よりも郊外、もしくは田舎のエリアのほうが広いです。
いくら都市部に人口が集中しているといっても、
地面が見えないようなエリアに住んでいる人は、全体でみれば少数派。
だから、自然と切り離されたというのは、
物理的な問題ではなくて、
生活スタイルなんだと思います。

わたしの住んでいるエリアだって、
ちょっと電車に乗れば海だし、
農家はたくさんあるし、
山だっていこうと思えば行けるし、
もちろん庭に土があるから、庭で野菜育てるのも可能だし。
ただ、どれもこれも意識するか、やる気がなければできません。

自然って思い通りにならないから。
それは人間の身体もそうなんだけど。
自然って、人間の思考をこえている存在です。
思考をこえた存在があるということを忘れないということが、
重要だと思います。
思考を整えたからといって、何でもできるわけでもない。
身体も自然の一部と理解すれば、
それがメンテナンスはできても、
完全なコントロールは不能だと、
気づくはずだと思います。

☆写真:秋バラもちょっとは咲いています。雨にぬれた朝のアンブリッジローズ。


2013年11月7日木曜日

幸せとローカル

きのう、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんという、
ローカリゼーションの運動の創始者の先生の動画を見ていて、
それは主に食べ物の話なんだけれども、
作った人と、それを食べる人があまりに遠い存在になったことが不幸の始まり、
というようなお話を聞いて、洋服についても、まさに同じだなと思いました。

ファストファッションの問題点は、
それがどのような人が、どのような環境で、どのような待遇を受けてつくられたかわからないこと。
わからないから、
どんな劣悪な状況で、生きていくにも足らないほどの賃金によってつくられたものだとしても、
気にならなくなります。
でもそれはそれを作る人も、買う人も幸せにはしないだろうということは想像にかたくありません。

作る人がわかっているものを買うということは
安心だし、お互いの満足感も高まります。
そして、それが結果的に幸せにつながるということです。

日本でも、作り手が分かる形で服作りをして、
ローカルなお店なり、展示会をして、販売している方々がいらっしゃいます。
わたしも目をつけているところがあるのですが、
ネックは価格の問題。

ブラウス1枚4万円とかなると、今のこの日本のシステムの中において働いている場合、
簡単に買える金額ではありません。
しかも、これは不当な金額でもありません。
原価、工賃など考えると、日本で生活するにはこれぐらい必要です。
(もちろん、あら、高くないわとおっしゃる方がいらっしゃるのも知っています)

働く人を正規と非正規にわけて、
賃金に差をつけるというやり方は、今の日本のシステムです。
もう最初から、正規の人の割合と、非正規の人の割合が決められていて、
それは椅子取りゲームのようで、
必ず誰かが非正規になるように、
つまり同じ仕事をしたとしても、賃金が安くなるように、システムとして設定されています。
しかも、はっきりは言われていませんが、
非正規の多くは女性になること、という暗黙のルールがあります。
だから、それは努力の問題なんかではありません。
そういうルールの世界に、偶然にも住んでいるということです。
(ただわたしは、努力論にも反対なんですけどね)

そうなったときに、
1枚4万円のブラウスは、簡単には買えません。
 買えるようになるには、そのシステムの中でうまく渡り歩くか、
そのシステムから抜け出すことです。

システムから抜け出すためには、
そのシステム内の価値観で生きてはいけないんですよね。

作る人、買う人、両方とも難しいわけですけれど、
どこかに抜け道があると思います。
ヘレナさんも、きっとできるはずだとおっしゃっていました。
しかも、それには女性性が大事だとも。
私も、何かいい抜け道がわかったら、これからもここでシェアします。

そうそう、最後に。
ヘレナさんは、ローカルでオーガニックな農業とか食べ物の重要性をいつも言っています。
で、わたしも、うちの近くの農家さんの農園内で、
オーガニック農業についてのお話、ランチ、ファームツアーのワークショップを
来年の春、開催する予定です。
これはあと、日程を決めるだけなので、わたしが病気にならない限り、開催します。
湘南でオーガニックフード、興味のある方はご参加くださいね。


2013年11月6日水曜日

湯たんぽとはらまき

朝晩、特に夜は寒くなってきました。
きのうは、何となく冷えを感じたので、
湯たんぽを作って寝ることにしました。
やっぱり、いいなあ、湯たんぽ。
寝る前のひと手間で、寝ている間じゅう、快適です。

私は今まで、はらまきというものを使ったことがありません。
でも、今年はちょっと使ってみようかと思い、
近くのお店の下着売り場をのぞいたのですが、
気に入るやつが全然ない。
じゃあ、どういうのが気に入るのか聞かれても、
困るんだけれども、
デザイン的に許せるのが、あまりにないです。

機能だけとか、暖かさだけだったら、
それでいいんだろうけれども、
どれも余計な柄とか、ゴムとかついていて、
着る気が起こりません。

ハラだけのデザインが嫌なのかもと思って、
家に帰ってから、
ネットではらまきつきオーバーパンツを見始めましたが、
そっちはもっとない。
おしゃれな方々は着ないのかな、
それとも薄地の機能下着みたいなのを着るのかな、
とか考え始めましたが、
他人がどうしているかは知りません。

下着というのは、機能優先にするか、
デザイン優先にするか、
どちらかになるのでしょうか。
デザイン優先にしようとするから、
ないのはわかっているけれど。

この時期になると、なにかと下着で悩みます。
当分のあいだ、気に入るはらまき探しです。

2013年11月5日火曜日

1人でやるしかないと思う

ルイ・ヴィトンの新しいクリエイティブ・ディレクターが、
以前、バレンシアガのデザイナーだった二クラス・ゲスキエールに決まったようです。
現在、バレンシアガはアレキサンダー・ワンだし、
デザイナーもそんなにどんどん新しい人が出てくるわけではなく、
同じ人が移動しているだけ、みたいな感じもあります。
ファッションの流れが変わったのだから、
この流れにぴったりの新人が出てきてもよさそうなんだけれども、
業界も複雑になってきていますから、
そう簡単にはいかないのでしょう。

日本から出てくるかと言えば、
私はそうは思えないです。
今回の流れは、日本人に苦手なシルエットであり、造形なので、
日本で生まれ育った日本人には無理だと思います。
ちなみに今再びブレイクしているケンゾーは、
現在、日本人の賢三さんのものではありません。

けっこう、ファッション関係の仕事をやりたいんですという方は多いし、
質問や相談をされるんですけれども、
私は、あまりお勧めできません。
やるとしたら、どこかの企業に頼らない形で、
1人でやるしかないと思う。
今現在の、アパレル業界の内部のことはよく知らないけれども、
よくなっているとも思えないし。
やるとしたら、全部1人でやっていくのだという覚悟がないと、
潰されるだけでしょう。

ただ、環境としては、インターネットや個展など、
昔よりは1人でもやりやすい環境だと思いますから、
本当にやりたいんであれば、チャレンジするといいと思います。
いつも書いているように、
小さなローカルのエリア内で、
生活していける程度の成功は十分可能ですから。
それ以上、望むと難しいと思うけれど、
自分にとって成功とはなんだろうかと考えて、
それが生活できることだったら、
それは可能です。
コアなファンがつけばいい話なので、
問題はコアなファンの作り方です。

コアなファンを作るために、
他人のまねをしていたら、絶対だめです。
ブログにしろ、HPにしろ、
どこかで見たような写真や、
マニュアルが透けて見えるようなどこかで読んだようなフレーズでは、
コアなファンはつきません。
どこまでオリジナルにできるか、
ほかではないものができるか、
その点にすべてかかっていると思います。

2013年11月2日土曜日

量の問題

人間が生きていく上で、所有という意味で量は必要ないと思います。
もうすでに今の時点でたくさんだし。
だけれども、所有ではない分野、
たとえば練習、実践、情報、記憶などは、
ある程度必要なのではないかと思います。

今でこそおさえていますが、
私は昔から大量の雑誌を見て(読むじゃなくて、見るって感じ)、
年に多くの美術展、写真展へ行き、
ふらふらデパートの中を歩いたりして、
洋服はその他に関するものについての情報を
大量にインプットしていました。
雑誌を見て、デパートで実物を見たりしているだけなので、
所有はほとんどしていません。
(単に買えなかっただけですけど)

今はとにかく、いろいろな人にヒーリングの実践をしていて、
数をこなしています。
これは自分の中で納得いく回数がまだまだできていません。
(だから、みんな、遠慮なく来てね)

で、服に関してですけど、
あのころ、大量に見たり、さわったり、着てみたりした結果、
現在、何の資料もなくブログが書けるわけです。
英語のつづりとか、名前の確認以外、何も調べることなく書きます。
お題さえ思いつけば、あとは自動的に文章が出てきます。

スポーツの人も、音楽や美術、演劇の人も、みなそうだと思います。
ある時期、集中して徹底的に量をこなす時期というのが必要です。
そうしないと、自分の中から自然に出てくるようになりません。

大量に量をこなしている時期は、
それが何のためになるのかも、
本当に実力がつくのかもわかりません。
途中で嫌になったりもします。
でもそこでやり続けた先に見えてくる世界が絶対にあります。
それがあるとわかっていて、
それを見たいから、やめることなく続けます。


言い古された、当たり前のことなんだけど、
あきらめなければ、必ずそこへたどりつけます。
で、私はあきらめていないので、
まだまだ続けるつもりです。
よろしくね。


2013年11月1日金曜日

冬が始まった


今朝は空気がぴりっとしていました。
長かった夏のような日々も、これで終わることでしょう。
本格的な冬物は今日からかなという感じです。

それと連動してなのでしょうか、
きのうは首元のキャミソールの襟(襟って言うのかな?)が当たる部分の肌が、
かゆくなってきました。
もう肌がかゆくなるの?
早すぎです。
しかも首元。
これが始まったら、何か当たるだけでかゆくなってしまうので、
同じネックラインのものは着られません。
ひどくなる前に、
急いで保湿クリームを塗って、今朝はかゆみは引きました。

去年はウエストのゴムでかゆくなってしまって、
それから1カ月ぐらいかゆみが続いたんでした。
今年は夏は虫さされでかゆかったし。
夏のときも、かゆかったので、靴下類ははけなくなりました。

確かにかゆみというのは、症状としては軽いものだと思いますが、
かゆいと、集中力はなくなります。
痛みとも違うので、鎮痛剤を飲んで眠ればなおるというわけでもないし。
かゆみって、何のために存在するんでしょうね。
危険を知らせるため?

そういえば、何年か前、30をもう過ぎていたのに、
水ぼうそうになったことがありました。
子供の病気だと思っていたのに、この年でなるなんて。
あれも全身かゆくて、いただいた白い塗り薬を塗りたくりました。
あれは子供のころ、塗ったやつと同じものでした。

まあ、これからいろいろなかゆくなりやすい季節なので、
着るものに気をつけて、
ひどくなる前に保湿して、
気をつけましょう。
冬はレースのものは着られないかもしれません。

かゆみをあなどってはいけません。


☆写真:江ノ島の岩屋からの眺め。小学生がたくさんいました。

2013年10月31日木曜日

エネルギー・チャージ


ちょっと時間があいたので、
久々に海まで行ってきました。
一番早く、かつ確実、無料で、しかも誰にも迷惑をかけることがないエネルギー・チャージです。

さっと電車に乗れば20分ぐらいで着くのに、
なかなか行く気になれず、
ずるずるしていたけれど、
やっぱり行ったら、来てよかったと思いました。

もちろんただ海まで行くのではなくて、
江島神社まで行きます。
いつもは手前の辺津宮までで帰りますが、
今回は中津宮、奥津宮まで行きました。
ここは、福岡の宗像大社と同じ、
宗像三女神が御祭神です。
山の上まで登らなければいけないのですが、
行ったら、行ったで気分がいい。

そして、帰りに灯台の前のカフェで休憩しました。
平日の午前中だったので、
まだ席もあいていて、
テラス席に座りましたが、
ここが最高の席でした。

きらきらひかる水面をながめていたら、
下界のごちゃごちゃした問題を、ふっと忘れることができました。
「地上の天国」を自力で作る力が足りないとき、
こうやって場所の力をお借りするのも、
いいかもしれません。
ほんの小一時間の小さな旅は、
大きなエネルギー・チャージの時間となりました。
やっぱりまた来よう、江ノ島。

☆写真:久々に写真を撮る気分になりました。このカフェ、本当に最高。
11時開店なので、開店してすぐ、テラス席へ行くのがお勧めです。


2013年10月30日水曜日

着用回数の問題

きのうは一気に寒くなったので、
ついにダウンジャケットを着てしまいました。
着てみながら、しみじみと、
これからこのダウンを4月の頭ごろまで着続けるのだなと思いました。
半年弱です。
長いです。

その前の日に、冬物の点検をしていて、
今シーズに最後にするものや、
もう着るつもりがないもの、これから新しく付け足したいものなど、
考えました。

そこで改めて感じたのが着用回数のことです。
わたしの場合、近所で買い物するときに着る普段着と、
ちょっと出かけるときに着るお出かけ着に分けていますが、
最近、かっこつけて出かける機会がものすごく減ったので、
お出かけ着の着用回数がものすごく少ないのです。
そのかわり、ご近所用のダウンジャケットは、
それこそ毎日のように着ているので、
かなりよれよれ。
ニットも普段に着ているカシミアのセーターは、
毛玉が出ているし、よく見ると、小さなしみもあります。
単純に、何年前に買ったものだから、
まだ着られるとか、着られないとかは、言えません。
年数よりも、頻度のほうが重要です。

ここからは、2つの考え方に分かれます。
1つは、着用回数が多いのなら、
もっと枚数を増やせばいいという考え方と、
ある程度、回数を着た段階で新しいものにとり変えていくという考え方。
わたしは後者の考え方なので、
ある程度、よれよれになったら、その段階で新しいものに変えます。
ふやすのは簡単だけれども、
やはり傷んでいないものは捨てるに捨てられないし、
かといって、リサイクルで回収するショップもまだまだ少ないので、
こちらを選びます。

ただ、お出かけ用にしているものは、
年数が経過しても、傷みは少ないので、そう簡単には捨てません。
ニットなどは、ある程度、毛玉が出たりしてきたら、
普段着に降格させて、
そこから普段にたくさん着て、
よれたころに捨てます。

普段着が少ないのは、
わたしは毎日、決まって同じ人に会わないせいもあると思います。
毎日同じ人には会わないので、
きのうときょうが同じコートだったとしても、どってことありません。
またこれが会社なんかだとしたら、
もうちょっと増えてしまうでしょうね。

捨てにくいのは、値段が高く、かつあまり着ていないものだということは、
もうすでに学習済みです。
だから、値段が高いならよく着るものを選べばいいわけです。
あんまり着ないとわかっているなら、安く探す。
この組み合わせをうまく使うと、
服全体の予算は、もっとタイトにできると思います。
やっぱり買い物は漫然としない、
これにつきます。

2013年10月28日月曜日

それでも雑誌が好き

きのうは、最近の雑誌のレベルにうんざりしているという記事を書きました。
それならいっそ、iPadでも買って、British Vogueをダウンロードで購読しようかな、
そうすれば、ネットでコレクションも見られるし、
いいブログもたくさんあるし、
わざわざ紙の雑誌を買うことないかなとまで思いました。

そんなことを考えながら、
近くの市民センター付属の小さな図書室へ行ったところ、
新しいプレミアムクロワッサンがありました。
いつもみたいにモデルさんの大写しの表紙ではなく、
たくさんのイメージがコラージュされた変わった構成なので、
おかしいなと思って、中を見ると、
パリ在住のデザイナーの入江末男さんの特集でした。

入江さんって、日本ではそんなに知名度が高くありません。
なんせ、現在、入江さんの服が買えるのは新宿伊勢丹だけ。
買ったことがある人もとても少ないと思います。

私にとって、入江さんの服は、
大学の1年のとき、大学に通うために着るコートとして選んだコートが、
スタジオVという、入江さんの前のブランドのものだったので、
今でも関心があるのです。
そういえば、あのコートも新宿伊勢丹で買いました。

そんな入江さんが、パリで30年成功し続けている理由をくまなく紹介したのが、
今回のプレミアムクロワッサンでした。

総特集とはまさにこのことで、仕事、生活、趣味、住まい、食、友だち、スタッフなど、
テーマ別にしっかりと記事になっています。
そこには、服だけではない生活全般を大切にし、
美術、映画、文学に精通し、友だちと交流し、
スタッフとの関係を大切にしている、
私が、実際に働くまでに思い描いていたとおりのデザイナー像がありました。


これら全部があって、IRIEはパリで30年間も愛されるブランドであり続けることができるのです。

それは、服以外のことに興味を持たず、
生活をおざなりにし、長時間を蛍光灯がこうこうと光る会社で過ごし、
スタッフにサービス残業を強いて、極限まで搾取しようとする、
私が日本で見てきたデザイナーとは、まさに真逆の姿でした。
服のことだけをやっていれば、長く続けることは不可能だということが、
この記事を読むとよくわかります。

そのほかにも、セルジュ・ルタンスの特集などもあり、
とても読み応えのある内容で、
熱中して、図書室の椅子で雑誌を読みつづけました。
夢中になってしまうと、今が何時なのかわからなくなります。
気づけば、小一時間たっていました。

そうそう、この楽しさなんです、雑誌が持っているものは。
知らなかったことを垣間見る喜び、
本にするほどでもないことを学ぶ楽しみ、
ビジュアルと文字の関係、
それすべてが混然一体となって、こちらを夢中にさせるのです。

プレミアムクロワッサンは、図書室にあればいつも読んでいたけれども、
こんなに面白いと思える号は今回が初めてでした。
そして、次号はどんな特集なんだろうかと確かめると、
なんと次号からは、アンドプレミアムと雑誌名も変わり、
新創刊になるとのこと。あら、終わりなの?
ただ、今回の号でここまで雑誌の面白さ、楽しさを表現できたのですから、
次の新創刊はかなり期待できますから、出たら買ってみるつもり。

まだまだ日本の雑誌も捨てたものじゃない、
もうちょっと付き合おうと改めて思った、休日の図書館でした。


2013年10月27日日曜日

誰かの持ち物ばかり見せられても

最近の雑誌や本は、
誰かのワードローブそのものとか、
何かのコレクションだとかを紹介する記事が、
多くなったように思います。
○○さんのワードローブみたいな本も、
たくさん出ています。
昔は、こんな企画、そんなになかったと思います。
どんなに素敵なモデルさんでも、
自分が着ている服をどんどん公開するなんてことは、
なかった。

その人のワードローブや持ち物を見るということは、
その人の選択と編集の力を見るということです。
この広い世界のどこから何を選択したのか、
そしてそれをどのように編集して使っているのか、
そのことがわかります。

でもね、
そう、ここででもねって思います。
選択と編集って、昔は雑誌を作る側のお仕事だったわけですよね。
その雑誌の選択や編集が好きだから、
その雑誌のファンになって、ずっと買い続けたわけで、
その大事な部分を、いわばゲストみたいな人たちにゆだねたら、
雑誌のよさというものがわからないと思うのです。

その雑誌の選択と編集と、そしてセンスが好きだったから、
わたしも昔、ずっと「オリーブ」を買い続けていました。

新しい雑誌がどんどん創刊されるけれども、
なかなか、その雑誌ならではの選択と編集が好きと思えるものには、
出会えません。
創刊したばかりでは、その雑誌の色もよくわからないし。
好きなものに出会ったら、ずっと買い続けたいと思っているんだけれども。

きのういつも買う雑誌を見ていて、
誰かの持っているものの紹介ばかりで、
ちょっとうんざりしたところでした。
雑誌で取り上げられる人たちがお金持ちで、
毎シーズン、たくさん服を買ってるってことはもうわかったから。
そうじゃなくて、雑誌としてのオリジナルな、新しい価値観が知りたいのに。

Vogue Italiaのインターネットのページには、
デボラ・ターヴァビルの新しい写真が掲載されていました。
こういうの見たいんだよな、日本の雑誌で、日本の感性で。
それは無理なのかしら?
このままだと、日本の雑誌文化がもっと衰退していきそうで、
心配です。

※追記:写真家のデボラ・ターヴァビルさん、お亡くなりになったそうです。
それで写真が出ていたんですね。イタリア語なんで、わからなかった。


2013年10月26日土曜日

好きな理由

何かや誰かを好きなことに理由がいろいろあるなら、
もしかして、それは本当に好きなのとは違うのかもしれないなと、
最近、思うようになりました。

本当に好きだと、理由なんて、ないでしょ。
ああだから、こうだからと、いろいろ理由を並べた時点で、
もうずれ始めるのかもしれません。

インテグレート・ヒーリングをある程度回数やったら、
どんな変化があらわれていくのか、いかないのか知りたくて、
うちのごく近くに住んでいるお友達2人に、2週間に1度ぐらい、
うちに来て、練習させてもらいました。

もちろん、身体がこれをやってというテーマから先にやりますので、
こっちが、勝手にお勧めしても、
やらないと言うのなら、やりません。

2人、それぞれ回数を進めていったら、
なぜか2人とも、「本当に好きな人と付き合う」みたいなテーマを
身体が指示してきて、そのとおりやりました。

そうしたらその結果、
2人とも、今付き合ってる人のことが、
どうでもよくなってしまいました・・・。
よかったのか、悪かったのか。
いや、よかったのでしょう。
身体がやってって言ったんだからね。

その前は2人とも、好きなのには理由がいろいろありました。
まずは、お金があるとか。
うーん、あとは知らない。


2人ともマインドで好きになったほうがいい相手を、
好きになったように考えていただけで、
本当に好きとは違ったみたいです。

本当に好きなほうは、逆に、マインドでは理解できない。
理由が思い当たらない。

もちろん、日常生活において、
マインド、つまり頭で考えていろいろ決めなくてはならないこと、
決めるべきことはたくさんあります。
お金の使い方とか、時間の使い方とか。
だけれども、マインドで決めないほうがいいこともたくさんある。
要は、バランスと方向です。

結果的に幸せになるならば、
いいわけなので、
「本当に好きな人と付き合う」で、今の人と別れたとしても、
問題ないのだと思います。

そんなことを考えていたら、
おとといぐらい、別れましたという連絡が入りました。
早い。
でも、きっとそれはいいことに違いありません。
運命の輪が、ちゃんと回り出したということです。

2013年10月25日金曜日

煮洗いしてみた

白いTシャツは、どう考えても消耗品だとしても、
白シャツは長持ちさせることは可能ではないかという疑問がありました。
また、このところ、白いシャツが好きな人のインタビューやなんかでも、
10年以上も同じ白シャツを着ているという記事も読みました。

白シャツが長持ちしないのは、生地にしみこんだ皮脂や汚れが、
目立って、落ちないからです。
春、夏と着ただけでも、特に襟は汚れていると思います。

そこで、白いものの汚れを落とす、最終的なやり方の煮洗いというものを、
やってみました。
ネットで検索すると出てきますが、
驚くほど白くなります、というようなことが書いてあります。
本当にそれほど白くなるのか、今年の春、夏と着た白いシャツを洗ってみました。

まず鍋に湯をわかして、
粉せっけんと酸素系の漂白剤を溶かします。
そこへ白いシャツを投入。
さすがにぐずぐず煮るのは気が引けたので、
そこで火を止め、温度が下がってくるまで2時間放置。
その後、洗濯機で普通に洗いました。

結果は、確かに白くなります。
なるけれども、驚くほどではありませんでした。
白いシャツの多くのものは、白でも何となく青っぽい白を使っていますが、
どうしても汚れが付着してくると、
その青さがなくなります。
煮洗いした結果、それはしないよりは汚れが落ちましたが、
青っぽさが戻るまでには至りませんでした。

確かにそれは襟の肌にあたる側の汚れなので、
脱がない限り、外からは見えません。
だから、これはもしかしたら、その汚れを気にするか、
気にしないかの問題なのかもしれません。
10年以上も着ていたら、
汚れがたまっていくはずですから、まっさらということはないでしょう。

以前、ランズエンドで買った、コットンにポリエステルが何パーセントか入った、
オックスフォード地のボタンダウンの白シャツは、
確かに10年ぐらいもちました。
汚れというよりは、擦り切れたので捨てました。
コットン100パーセントより、
化繊が入っていたほうが、汚れないようです。
長持ちさせたい白シャツが欲しいなら、
コットン100パーセントはやめて、
少し化繊が入っているものを選ぶというのも、
1つの手かもしれません。


2013年10月24日木曜日

服とリラックス




きのうヨガのプラクティスをやっていて、
最近、身体がすごくかたいことに気づきました。
原因はストレス。
ストレスも1つではなく、環境、社会、プライベートなど、
さまざまです。

もちろん、わたしだけがこういったストレスの下に生きているわけではなく、
日本にいるみんながそうなので、
自分だけ過剰なストレスだとは思いませんが、
特にきのうは、これはもしかしてヒールの靴で歩きまわったからかしらと思いました。

ファッションというのは、いろいろな無理を要求するもので、
その中でも靴のヒールなどというものは、
快適からほど遠く、身体から言えば、ストレス以外なにものでないと思います。

私の靴のヒールはせいぜい8センチ程度なので、
ものすごく高いうちには入りませんが、
それでもそれをはいて1日出かけた次の日は、
何となく身体ががちがちしているのがわかります。
たぶん、無理な筋肉の使い方をしたから、
身体が固くなってしまったんだと思います。

気分のリラックスは、好きな服を着ていれば保てますが、
身体のリラックスは、好きだけでは足りない。
身体にとって、ストレスなことを除いていかなければ、
真にリラックス状態になりません。

そうすると、服なんてどんどんだめになる。
化学繊維、しめつけるゴム、ちくちくする素材、
寒すぎること、暑すぎること、全部、ストレスです。

本当はリラックスしていたほうが、人間の力は十分に発揮できます。
それを服は阻害している。
せめて眠るときだけでも、十分なリラックスが得られるよう、
気をつけないと、自分の力を100パーセント発揮できないまま、
人生が終わってしまいそうで嫌です。
服とリラックスというのは、もっと考えてもいい課題だと思います。

2013年10月23日水曜日

ライバル

アニメや漫画の主人公には、大体、ライバルというものがいるものです。
スポーツものだったら、大体ではなく、必ずです。
ライバルがいるから、主人公が成長できます。
ライバルがいてこその、主人公の成長の仕方というのが、あると思います。

現実の日常において、ライバルという存在は、逆にうっとうしいかもしれません。
一生懸命頑張っても、どうしても抜けない相手なんて、
いないほうがいいのかもしれません。
だけれども、誰もいないよりも、誰かいたほうが、
やっぱり自分の実力は上がっていくのだと思うのです。
ライバルでなくてもいいから、
切磋琢磨して一緒に成長していける、同レベル、もしくはちょっと上レベルの相手というのは、
いたほうがいい。

それは相手にとってもいいことだと思います。
相手も、こちらの存在によって、より上へいけることができます。
1人でやっていたときでは不可能だった領域へ、
誰かがいることによっていけます。

私は何か習ったりすると、そういう相手を欲しがる傾向にあります。
誰か一緒に私と切磋琢磨していこうよ、そのほうが楽しいよと思うんだけど、
どうやらみんな、そうじゃないみたい。

どうやらみんなはそうじゃないみたいということは、
薄々感ずいていて、誰かを誘うたびに、あやふやにされたり、
軽くスルーされたりするので、あ、その気なんて一ミリたりともないなと思うんだけど、
次のことを習うと、またそれを忘れて、
一緒にやっていこうよって、誘ってしまいます。
だけど、誰ものってきません。笑っちゃうほどに。
(つまりふられ続けてるってこと?)
それで、結局1人であれこれやったり、本を読んだり、何か付け加えたりすることが多いです。

ただ、最近、
やはり誰かが誰かに影響を与えて、その人を引き上げたり、
新しい能力を開花させることができるのだと、改めて確認できました。
それは他人というものが、きっかけになるからです。
きっかけが必要で、そのきっかけがくるまで長いこと眠っていた能力が、
自分以外のものによってもたらされるからです。


誰かが押さなければ作動しないスイッチを、人はそれぞれ持っているのでしょう。
私がそれを押す可能性もありますし、
相手が私のスイッチを押す可能性もあります。
だから、やっぱりライバルは必要です。

2013年10月22日火曜日

おしゃれとおしゃれじゃないの二項対立

おしゃれじゃない人がいるから、おしゃれな人がいるわけで、
それはいつでも二項対立の概念。
それが嫌だ、もう付き合ってらんないと思ったら、
その二項から飛び出ることです。

で、飛び出てしまったらかっこ悪いかというと、
全然、そんなことはなく、
かえってそれがかっこよく、素敵だったりします。
「おしゃれ」と「おしゃれじゃない」から飛び出したのに、素敵というのが面白いです。

本当は、いっそのこと、そっちを目指しちゃったほうが楽。
だって今のファッション界におけるこの二項の対立って、
終わりの見えない、しかもいつも駆り立てられているゲームみたいで、
疲れちゃう。

情報がどんどん速く駆け巡り、
見ることにより消費され、古びれていくことに、
身体も、ものとしての衣服も追いつきません。
だって、服は、そんなに簡単に壊れないから。

しかも、その裏側のシステムに気づいちゃったら、
そんなのにのせられないわ、思います。
あおって消費のスピードを速めさせようとしているだけだから。
持続可能とか、有限とか、そんなこと考えず、
ただただ消費させたいから。
そしてその陰には、必ずアンフェアな行いがあるから。

知れば知るほど、
アンフェアはいやだわ、他人の犠牲の上に成り立つものなんて買いたくないわ、
これ以上、ごみをふやしたくないと思う。
だったら、この二項対立から抜け出すしかないです。

最終的には完全に抜け出す道を見つけたい。

そんなものがなくても生きていけるわ、
誰かになんか憧れないわ、
幸せだわと、
いつも常に感じていられるようになりたいです。
そのための武器は審美眼と自分を信じ続ける力かな。
たぶんそうでしょう。

2013年10月21日月曜日

ジャケットの上にコート

コートのシルエットが大きくなってきたので、
ここのところずっとできなかった、
ジャケットの上にコートというコーディネイトが復活してきたのですが、
先日、その話をしたら、
今まで生きてきた中で、ジャケットの上にコートを着ていた時代などない、
という人がいてびっくりしました。
大きくなってからは、もうすでにコートがタイトシルエットだったので、
コートの下にジャケットを着たことがないんだそうです。

私の記憶では、90年代の半ばごろまでは、
つまり、この前のタイトシルエットが流行るまでは、
コートの下にはジャケットを着ていたと思います。
トレンチコートの下にジャケットを着るのは当たり前でした。
このブログを読んでいる人の大半は(?)、
コートの下にジャケットを着ていた世代になると思うのですが、
どうでしょう?


でも今、考えたら、
ジャケットの上にコートなんて、
重そうだし、肩が凝りそうです。
もちろん私もずっと、そんなことしていません。

軽いダウンや、トレンチでもシルクなんかでできているコートの下に
ジャケットを着ることはできるかもしれないけれども、
大きな重いウールのコートの下にジャケットは、
もう無理かも。

もちろん、流行はそのまま繰り返されるわけではないので、
今の時代は今の時代なりの、
コートの下のジャケットスタイルができ上がってくると思います。
昔は、ダウンコートのような軽いコートなんていうのもなかったし、
素材やアイテムは増えていますから。

こんなふうに、シルエットの変わる時期はコーディネイトやスタイリングも変わっていきます。
今はまだ気づいていないけれども、
ああ、そういうやり方があったのかというスタイルが、
今後出てくることでしょう。
誰がどんなスタイルを発明するか、楽しみです。

2013年10月20日日曜日

バストと洋服

7号、9号などの洋服のサイズはバスト寸法によって決められています。
だから胸が大きい人は、11号や13号の服になります。
身体は細い、胸だけ大きいというのは、
いわば、洋服の似合わない体型です。

コレクションなどの写真を見ればわかるとおり、
モデルは皆スレンダーです。
身体の曲線の極端な人は、モデルには不向きな体型です。
特にモードにはその傾向があり、
グラマーな体型というのは、モードな服が似合いません。

なぜかと言われても、理由は知りません。
ただ推測できるのは、
身体が細くて胸だけ大きいと、
パターンが難しくなるからかな、ということです。
平面の生地を立体にするために、ダーツやら、切り変えやらが多く必要になり、
洋服の作りが複雑になるからです。

ギリシャやローマ時代の女神たちはの中にはふくよかな体型の方々が多いです。
だけれども、女神のみなさんが着ているのはドレープを多用した服で、
決してダーツや切り変えで構成された服ではありません。

そういうわけで、胸のサイズで選ぶなら、号数は大きくなります。
それが嫌ならお直しか、オーダーになります。

今、ファッションレッスンの際に、胸だけ大きいモデルが普通サイズのドレスを着て、
前の裾は上がるは、変なしわは出るわで、
絶対、ブンカの先生に怒られそうな、
とんでもないスタイリングの服の雑誌の写真をお見せしていますが、
こういう人は、まったくサイズが合っていないのです。
そそのかされても、買ってはいけない服なのです。

胸が大きくないほうが、既製服はきれいです。
いろいろな世界に、いろいろな価値観がありますが、
洋服の世界では、胸が大きくないほうが断然有利です。

2013年10月18日金曜日

ジャケットを洗ってみた

もう暑さは戻ってこないよね、ということで、
真夏以外に着ていたジャケットを洗ってみました。

1枚はシルクの一重のジャケット。
中を見てみると、見返しの裏にも接着芯はついていません。
あとは完全に裏なし。
洗面台にオーガニックの洗剤を薄めた液を作り、
押し洗いします。
そうすると、水に少し色がついていきます。
このジャケットは初めてこうやって手洗いするので、
これは汚れではなくて、生地の色が落ちて出たのかもしれません。
泥で汚れるほどは着ていませんから。
特に気になる襟ぐりと、袖口だけ丁寧に洗って、
あとはざっと押す程度。
3回ぐらいすすいだら、少し手で押して水気を切り、
ハンガーにかけて、風呂場へ干します。

次は、サマーウールのジャケット。
これは総裏です。
ただ、肩パッドも入っていませんし、
襟もとてもやわらかいので、厚い芯は入っていません。
さすがにこれを全部、水につけて洗うのは気が引けるので、
気になる襟ぐりと袖、それからパンくずを落とした個所だけ洗うことに。
ぬるま湯に洗剤を入れて、そこへジャケットの襟と袖を浸します。
ウールにアイロンをかけるときと同じ、あの独特のにおいが立ちます。
ごしごし洗わないで、押して洗うのみ。
3回、やはりぬるま湯ですすいで、
軽く押して水気をとったら、そのままハンガーにかけ、お風呂場へ。

2着とも、生乾きになったら、アイロンをかけます。
シルクの一重のジャケットは、もともとがゆるい形なので、
シャツにアイロンをかけるのと同じ感じで仕上げ。
ウールのほうは、てからないように当て布をして、
襟の形を整えて仕上げ。
これでこの2着はさっぱりと仕上がりました。

一重のジャケットは、まず自分で洗えます。
裏つきは、全体を水につけてしまわないで、
部分だけ洗えば大丈夫。
やろうと思えばできます。
特にレディスは、メンズほど複雑な芯地を使わないので、
簡単だと思います。

この暑い秋、もう真夏の気分ではないけれども、何か着たいというとき、
重宝したのは一重のジャケットでした。
これから毎年、暑い秋になるなら、一重のジャケットは持っていると便利です。
色を選べば、初夏にも着られます。
構造が簡単ですから、自分でも洗えますし、
これから狙い目のアイテムかもしれません。

2013年10月17日木曜日

好きなものだけ

伊藤まさこさんの「ザ・まさこスタイル」という本を買いました。
年間を通した、伊藤さんのお気に入りの自分のコーディネイトが載っています。
 寝巻も入っているけれども、全体で113パターン。
1年の3分の1。
しかも、これで服は全部ではないだろうし、
その年に買うもののあるだろうから、
ものによっては、1年に2回とかしか着ないのでしょうね。
まあ、伊藤さんは、私の言うところの特殊な職業のお方なので、
普通の人と比べてはいけません。
現に、これだけで本を作っているのですから、商売のもとです。
経費で落とせますし。

そんなことはどうでもいいんだけれども、
見事なのは、好きなものだけで貫いているということ。
トレンドなんて無視、です。
他人の意見も、たぶん無視です。
自分だけを信じて、鏡の中の自分だけと相談して、
感覚だけを頼りに集めたら、こんなふうになったという感じだと思います。

そこには、他人がどう思うだろうとか、
年だから、これを着たらだめでしょとか、
そういう考えは、たぶんない。
(全部たぶんなのは、わたしの推測なので)
でも、それでいいと私も思います。

これはどっちでもいいんです。
他人の意見に合わせるのが好きならそうすればいいし、
嫌なら、そうしなければいいし、
自分の好きな色を着たいなら、そうすればいいし、
他人が選んだ色を着たいなら、そうすればいいし。
「他人が選んだ色を私は喜んで受け入れます」という決断を、
自分でしたのなら、それでいいと思います。
トレンドを無視したかったら無視すればいいし、
トレンドは取り入れたかったら、取り入れればいいし。
とにかく、自分で決めたということが重要。
自分で決めたなら、何だっていいんです。

他人が決めたものをいやいやながら着ている、
または好きじゃないけれども、着ないといけないから着ているという状況が、
もっともよくないと思います。
それは癖となって、生活全般、しいては、人生全般にわたっていきます。

好きなものをまず選ばないという癖があるとしたら、
それはまず直したほうがいいです。
その癖がある限り、人生がまるで障害物競走のようになってしまいます。
まあ、障害物も楽しめれば、それでいいけれどね。


2013年10月16日水曜日

ウエストのゴム化が始まっている

ファッションの流れとして、いろいろなものがやわらかくなっていって、
それは主に素材なんだけれど、
それだけじゃなくて、今までかっちりしていたウエストが、
どんどんゆるくなって、
たとえばスーツのボトムのウールのパンツなんかでも、
ウエストの後ろ半分はゴムという傾向がいきなり加速しています。

今まで、スポーツウエアや、家で着る服のウエストは、
いわば公認のウエストゴムだったわけだけれども、
そうでないものまで、センタープレスのついたウールのパンツのウエストまでが、
ゴムになっています。

ジーンズはストレッチのさらに先を行く、
見た目は変わらないけれども、実はジャージー素材というものが、
2,3年ぐらい前から出ていたのは知っていましたが、
ついにここまできたのか、という感じです。
本当にすべてがやわらかく、ゆるくなっていっています。

ファッションの流れというものは、
1度なったら、もうもとには戻りません。
1度、ジーンズにストレッチ素材が入ったなら、
それはその後もずっと続いていきます。
ということは、このゴム化の流れはもう止められないし、
数年後には、ウエストゴムなんて、ほぼ当たり前になっているかもしれません。
(もちろんゴムではないものも残りますが)

とにかくゆるくしていっちゃうので、
今まで想像してもいなかった分野がゆるくなるかもしれません。
なんだろうな?
もうすでにジャージーのテイラードジャケットはあるし。
あと何?

この流れ、メンズはあんまり影響してないみたいです。
おじさんたちが、ジャージーのスーツで通勤する日は、
たぶん、来ないと思います。

2013年10月15日火曜日

確かに新しいものは魅力的だけれどね

10月も半ばになって、一気に寒くなって、
(といっても、明日はまた28度?)
お店へ行けば、新しいきらきらしたお洋服がたくさん並んでいて、
そりゃ、見てて、欲しいなと思う気持ちはわかるよ。
だけれども、あと2カ月半でもう来年なのよ。
来年になった途端、もうセール。
このきらきらした魅力も2カ月半の命なわけね。

今だけ考えたら、それでいいかもしれない。
食べ物だったら、思いつきで今日、食べたいものを決められる。
けれど、服は違う。
買ったら、壊れるまで、ずっと付き合うことになる。
なんとなくの気持ちで簡単に買うようなものでは、
本当はないんだよね。

なんとなくで買っちゃったものには、
最終的に悩まされる。
やけにコーディネイトするのが難しくて。
あれ、どうしてなんだろうね?
なんか着るものないな、なんて中途半端な気持ちで買ったものは、
後々、手に余るものとなる。

わたしは、その手に余るものがふえるのが嫌だから、
簡単には買えない。
維持するにも、捨てるにも、
労力がすごくかかる。
その労力はほとほと嫌。

見なければ欲しくはならない、というのは本当。
だから、
どうでもいいときに、
そういう気持ちになるところへは、
なるべく行かないというのも、1つの手だと思います。

2013年10月14日月曜日

ゆるふわとビッグシルエット

モード界ではビッグシルエットが流行し始めましたが、
それとは別の流れとして、ゆるふわのシルエットなるものも、あるみたいです。
ゆるふわシルエットと呼ぶのかどうかよくわからないけれど、
イメージとしては、とにかくだぶだぶで、
ジーンズの股したなんかもすごく下のほうにあるし、
全体的にだれーっとしていて、
それを着ている女の子の写真は、なぜか内またで、
下を向いている、あれです。

見る限り、ゆるふわは、ただ単に大き目に作っているだけなんですよね。
大き目だからビッグシルエットと同じでしょと言われると、
大きいという意味では同じなんだけれども、
やっぱり違うと、わたしは考えています。

どこが違うかというと、
ゆるふわのシルエットって、人間の体の軸を無視しているんです。
だから、服がずりずり体からずれていく、落ちていく。
だけれども、ビッグシルエットの服は、
軸があって、それに対して大きい形を作っているのです。

ゆるふわシルエットの服を平らな場所に置いたら、
たぶん、ほとんど凹凸がない、大きな布みたいな感じだと思います。
一方、ビッグシルエットは、ちゃんと立体感があります。

軸がない大きな服を着るときのだらだらした感じが、
ゆるふわシルエット、
軸の上に布を垂らしたり、張らせていくのがビッグシルエットです。

この軸のない感じの大きさは、80年代にもありました。
あのときも、服はだらーっとしていました。
服のパターンは四角に近いです。

この手の服は、若いときは似合うのですが、
そうでないと、だんだん難しいと思います。
服自体が自立していないから。
服の助けを借りたいとき、こういう服では助けてくれませんから。


大きくて楽ちんには、それなりのリスクがあるということです。

2013年10月13日日曜日

厳密に色を決めるとなると

ものすごく厳密に着る服の色を決めると言うのなら、
注意しなければならないことはたくさんあります。
肌の色、髪の色などは代表的で、誰もが思いつくと思うけれども、
それでは全然足りません。
まず、照明の色。太陽なのか、電灯なのか。
蛍光灯なのか、LEDなのか、白熱灯なのか。
朝なのか、昼なのか、夜なのか。
ヨーロッパの光なのか、アジアの光なのか。
背景も大事です。
山なのか、海なのか、都会なのか。
都会なら、緑の多い都会なのか、
雑多な建物しか背景にない都会なのか。
緑だったら、田んぼなのか、庭なのか。
ここまでは背景と照明の色。
次は、ほかの人の色。
自分以外の人たちはどんな色のものを着ているのか、
グレーのスーツが多いのか、紺色の制服の中なのか、
色の洪水のように色があふれているのか。
その中で、どんな色を選んで、どう見せたいのか。
そこまで決める必要が出てきます。

何が言いたいのかというと、
色を厳密にしようと思い始めたら、
きりがないということです。
写真や舞台の場合は、その都度、それをやっていくわけですが、
日常生活では無理でしょう。
肌の色との関係ばかりうるさく言う人もいますが、
それならなぜ照明についても言わないのか、
背景の色については言わないのか、疑問です。
決定するために必要な要素は肌の色だけではありません。

南の島のリゾートではとても似合った、
カラフルな色のドレスが、
東京に戻ってきたら、色がくすんで、全然似合わなかったとか、
雪山のスキー場で似合っていたウエアが、
東京の空の下で見たら、何だか変だったとか、
そんな経験は誰にでもあると思います。
背景と照明、つまり光の具合で、似合う、似合わないは変わってきます。

厳密に考えれば考えるほど、難しくなります。
映画の1シーンではないので、
それを実現するのは無理だし、必要ないと思います。
ほどほどにしておけば?しょせん無理なんだから、
というのが今の私のスタンスです。

2013年10月12日土曜日

暑い秋はどうしよう?

秋分の日までは、夏服でも仕方ないと思っていましたが、
10月の半ばなのに、気温が30度にもなると、
何を着ていいのやら、ほとほと困ります。
朝夕が涼しいのだったら、上にコートを羽織ればいいと思ったのですが、
この二、三日は、朝夕もそれなりに気温があります。
結局、インナーは薄いものや、ノースリーブ、キャミソール、
その上に何か羽織るという形で今をしのいでいます。
羽織るものは、ご近所へ行くだけなら、
オルタナティブの薄手のパーカー、
もっと遠くへどこかへ出かけるときは光沢のあるコットンのジャケット、
またはシルクの一重のジャケットです。

夏に引き続き、キャミソールもブラウスもジャケットも、
今、シルクをよく着ています。
寒いときは温かく、暑くても化繊のように蒸し暑くはならないので、
こういう時期にはちょうどいいです。
色も少しダークなものを選べば、季節感も出せます。

ポイントは、とにかく汗をかいてしまったら、
帰宅して、すぐに洗面所などで洗ってしまうこと。
ほとんどしぼらない状態でハンガーにかけ、
お風呂場に干してしまうことです。
今ぐらいの気温だと、次の日の昼間にはほぼ乾いてしまいます。
シルクは、本当に乾きが早いです。

見た目としては、シルクもポリエステルも変わりませんが、
質感や着心地はまったく別物。
お洗濯はひと手間かかりますが、ひと手間かけるのが、
大人というものでしょう。
それぐらいやらないと。

シルクは織り方によって、
表面がラフなもの、サテンのように滑らかなもの、
ジョーゼットのように透けているものなど、
その表情も豊かです。
人間の歴史の中で、長い間、衣服としてシルクが使われてきたのにも、
理由があると思います。
生地としての美しさ、温かさ、乾きの早さなど、
手入れが面倒だという点を除けば、美点が多いのです。

それにしても、この暑い秋、誰かがふさわしいスタイルの提案をしなければ、
結局、多くの人が夏服のまま過ごすことになってしまいます。
季節感がまったくないというのも、なんともさびしいです。
日の光の角度だけは、変わっているのですから。

2013年10月11日金曜日

草取り問題

今年の秋は順調に涼しくなるのかと思ったら、
そういうわけではなく、
台風がきたり、暑かったり、雨だったりで、
秋らしい日になりません。
そのため、涼しくなったら、まじめにやろうと思っていた草取りが、全然できていません。

草取りができていない状態が続いています。
ことの発端は、草取りをしている最中に猫が脱走したことから。
ちょっとがっかりきて、草取りをやめている間に、草がのびてきたので、
9月に入って取りかかったら、
今度はブヨに刺されました。
生まれて初めてブヨに刺されたのですが、夜中に目が覚めるほどのかゆさにびっくり。
足首あたりを刺されたのですが、足首がどんどん腫れて、
熱を持っていきました。
ブヨから刺されて2週間、かゆさもおさまり、再び草取りをしようと思って少しやったら、
今度はなんだかわからないけれど、毒虫に同じ足首付近を刺されました。
つまり、靴下とズボンの隙間をねらわれているようなのです。
たぶん、毒蛾か、毛虫のたぐいだと思うのですが、
またしても、広範囲にわたって赤く腫れあがり、
夜中に2度、3度、目が覚めるかゆさ。
あまりにひどいので、今度は皮膚科へ行って、
虫さされ用の塗り薬をもらいました。

そんなことをしている間に9月も終わり、
10月になって、涼しくなったら本格的に草取りに取り組むぞと思ったら、
この暑さ。
暑いのが苦手なので、具合が悪くなってまで草取りはできません。
涼しいと思ったら、今度は雨だったり。
途中までできたのですが、その先がなかなか進まず。
そしてここ最近の気温の高さで再び中断です。
草取り専門家のみなさんは、暑かろうが、雨が降っていようがきっとやることと思いますが、
わたしはやめておいたほうが無難なときはやめています。

ただ、この時期、どこのお宅を見ても、
あまり花もないし、雑草が少しは生えています。
びしっとしているのは、お寺さんとか、公園ぐらい。
日本の秋のこの時期、雑草がはえていなくて、
お花が咲いていて、などという庭を作るのは、たいそう難しいです。

それでも今朝、うちの庭で、少しバラが咲いていたり、
ホトトギスが咲いていたりするのを見ました。
短い秋が、通り過ぎようとしています。


2013年10月10日木曜日

来年に向けて買ってもいいもの

買わないほうがいいものばかり書いていますが、
買っても問題ないものも、もちろんあります。
これから続く流れのものは、買っても大丈夫。

では、それは何かというと、
まず透けている素材。
シルクシフォン、シルクジョーゼットなどの、
ブラウスやスカート、
それからレースのもの、
ラッフルやフリルのもの、
また、ジャケットやコートであっても、
なで肩でシルエットが大きいもの、
セーターもタイトでなくて、
ローゲージの大きいシルエットのもの、

これらは買っても大丈夫です。

それから基本として、
伝統のあるブランドが作る定番のもの。
ダッフルコートなど、
しっかりした作りで、流行に左右されない、
昔から変わらぬデザインのものは、
問題ありません。

簡単に言ってしまえば、
これから続く流れのものと、
ずっと変わらぬベーシックなもの、
これらは買ってもいいものです。

問題はその見分け方かな。
透けやレースは見てわかるだろうから問題ないけど、
シルエットがいいのか悪いのかは、わからないかもしれませんね。
とりあえず、わからなかったら買わないに限ります。
疑問や不安があったらやめ。
あと、変な打算があってもやめ。
いつも以上に、買い物は慎重にしてください。
そうしないと、来年以降、使えないものだらけになりますからね。

2013年10月9日水曜日

都会は記号であふれてる

都会は、記号と情報であふれているので、
ブランドが幅をきかせています。
その傾向は年々強まっているみたいです。
昔はそれほどじゃなかったと思います。
今はファッションとは関係のない人までもが、
いろいろなブランドと、その商品を知っていますから。

そういう意味では、それらの記号と情報に無関係な場所では、
ブランドの意味もなくなります。

ただ、記号としての意味はうせるけど、
ものとして、その存在そのもの自体の価値は問われます。
そのときに、ブランド物は、記号だけしか価値がなかったかというと、
そういうわけでもないので、これがまた厄介です。

技術と伝統、歴史など、ちゃんとしたブランドは持っているので、
記号も情報も物語もなかったとしても、
ものの存在自体の価値が高く、
美術館に置かれるようなものもまた、ハイブランドの中には多くあります。
それは本当にそうです。

だから、ブランド物だからいいとか、ブランド物だから悪いとか、
そんな問題ではなくて、
本当にそのものが、ものとしての価値があり、
それは何年たっても色あせないものであるとしたら、
それはそれでいいわけです。
数年で使い捨てするものよりずっといい。

だからわたしたちに必要なのはそれを見分ける力。
情報に負けていないか、記号が欲しいだけじゃないか、
本当にそのものの価値を見極めているのか、
たとえば、情報や記号なしに、
本当にそのものを選べたかなど、
問われるのは、こちら側の能力です。
それさえあれば、怖いものなしです。
ずっと使える、確かなものを選ぶことができるわけですから。

毎日の、なにげないことの中に、
それこそ、お茶のパッケージの中にさえ、
そういった美しさを見つけられるようになったら、
それはだんだん育ってきたのだと思います。
ただ、見た目に負けたっていうのは、同時に発生してしまうことですけどね。

2013年10月8日火曜日

シルエットはとにかくゆるいほうへ

これまでは、コーディネイトを考えるとき、
ゆるいニットには、タイトなボトムでした。
でも、これからのシルエットは、
とにかくゆるいほうへ、ゆるいほうへいきますので、
ゆるいトップスにゆるいボトムスという組み合わせが素敵、
ということになります。

流行とはシルエット、
だからそれを固定してしまったら、
即流行遅れになります。
その時代、その時代で素敵に見えるシルエットは違うので、
ルールはありません。

その流れを正確に、いち早く取り入れていくことができるのが、
すぐれたデザイナーです。

上も下もゆるく大き目のシルエットというのは、
80年代から90年代にかけてそうでした。
タイトなシルエットになれた今から見ると、
変なバランスですが、
あれがあのときは素敵だったのです。

上から下までタイトなシルエットだった、2000年代だって、
あとから振り返ったら、変なバランスに思えるのです。
ファッションはいつでも、そのときに流行っているバランスが一番で、
あとのものは時代遅れですから。

一番困るのがジャケットやコートでしょう。
インナーやスカート、パンツは何とかごまかせますけど、
コートはどうにもごまかせません。
タイトなコートを今まで着ていたとしたら、
そのコートはだんだん「古臭く」見えてきます。

こんなふうにシルエットが激変する時期というのは、
めったにありませんが、
こういう時期のワードローブのそろえ方が一番難しいかもしれません。
あんまりたくさん買わないことが、
リスクを最小限におさえると思います。



2013年10月7日月曜日

アクネを着てみた

いつものように整体へ行って、
その帰り道、市場調査とか言いながら、
近くのショッピングモールを探索します。
湘南とはいっても、一地方なので、そんなゴージャスなお店はないのですが、
ロンハーマンが入っています。
(いつもがらがらです)
先日は、ロンハーマンではなくて、違うショップへふと入ってみたら、
入口にはオリジナルの商品があったので、そういう名前のブランドのショップかと思ったら、
奥にはインポートが少しありました。
そして、そこにあったのです、アクネが。
まさか、藤沢でアクネを売っているなんて、思いませんでした。

夏物のアクネは、春に新宿伊勢丹へ行ったときに見たのですが、
そのときはTシャツなどがメインで、試着はしてみませんでした。
冬物を見るのは初めてです。

といっても、売っているのはニット数点のみ。
早速、カーディガンを試着してみました。
想像どおり、大きいです。
155センチの身長のわたしには、完全に大きすぎ。
ただ、やっぱり今の気分が満載でかわいいです。
ああ、これこれと思います。
シルエットはかなり80年代に近いです。
けれども、単なる80年代ではなくて、そこに何かプラスされた感じ。
ロックというか、グランジなのかな。
(ロックとグランジ、ファッションでは区別があいまいです。
わたしもどこを境界線にしているのか、よくわかりません)

難点はその質感。
お値段の割に、ニットの質はよくないです。
表示を見たら、化学繊維の含有率が高い。
この品質でこの値段?と思ってしまいます。
ただこれは、日本で売る段階でこの値段になったのかもしれません。
現地ではそんなに高くないかも。

ジャケットやコートはなかったので、
全体の雰囲気がつかめたわけではありませんが、
旬のブランドで、人気がある理由がわかりました。
これからアクネのフォロワーのブランドがふえそうです。

ネットや紙媒体で何度も見たものでも、
着てみることではじめてわかることがあります。
最近、都会にもほとんど行かないし、あまり試着する機会がありませんが、
ファッションにかかわるなら、着てみることが大事だと改めて確認しました。
特に、独特の新しい感じというのは、着てみたときにわかります。
これからどんどんシルエットが変わっていきますので、
着るたびに、このわくわくする新しい感じを味わえそうです。

2013年10月4日金曜日

レベル3を検討中

最近、ファッション・レッスンを受けてくださる方々がふえてきて、うれしいです。
ファッション・レッスンはわたしが自分で考えたオリジナルの方法なので、
ほかのどこかで習うことはできません。

そうなのですが、実は、クライアントさんの割合としては、占星術のほうが断然多くて、
ファッションを習いに来る方は少ないのです。
まあ、洋服について習わなくても生きていけるからだと思いますが。
もちろん、おしゃれでなくても問題ありませんし。

現在、ファッション・レッスンはレベル1と2に分けているのですが、
これらは両方ともおしゃれの基礎です。
お料理で言ったら、小林カツヨさんレベルです。
決して、上級レベルではありません。
けれども、みな、ここまでできていないというのも事実。
ここまでわかるだけで、相当な額のお金の節約になりますし、
毎日のコーディネイトも簡単になります。

最近、レベル2まで修了した方がふえてきたので、
そろそろその次のプログラムを考えてもいいかなと思いました。
基礎はベーシックなアイテムを中心にしましょうという考え方だったのですが、
次はベーシックから抜け出す方法です。

ただ、どんなメソッドでも同じように、基礎がないと、その上に何かをのせることはできません。
だから、あくまで、レベル2で教えたことができるようになった人が対象になります。

実際、受けにきてくださる方はほとんどいないかもしれませんが、
きのうちょっとイメージが浮かんだので、まとめてみようかと思っています。

きのういらした方もファッション・レッスンを受けてくださいましたが、
なんと、パーソナル・スタイリストさんにお買い物のアテンドをお願いしたばかりということでした。
そんなことはつゆ知らず、わたしが、その方が実際に持っていらっしゃるアイテムの画像を見て、
こんなの着ていたらおしゃれにならないと指摘したアイテムの数々は、
すべてそのパーソナル・スタイリストさんが選んだものだということでした。
恐るべし、パーソナル・スタイリスト。
そのはずし方は100パーセントです。
お店からマージンもらってるのかな?
それとも、これからもっと依存させようとしているのかな?
しかも、たくさん買ったのに、それでコーディネイトすることは不可能という破壊力。
それじゃ、相手はもう立ち上がれない。
その仕事ぶりで、豊かな生活ができているのだとしたら、
それもすごいです。

やっぱり、自分でできるようになるのが一番です。


2013年10月3日木曜日

大人のリュックについて考え中

リクエストをいただきまして、
大人のリュック(バックパックでもなんでもいいですけど)について考え中なのですが、
10月1日のシャネルの春夏コレクションで、
シャネルはリュックを提案していました。
シャネルのリュック、過去にもあったのかな?
(ないことはなさそう。だって、サーフボードまでシャネルつけて販売しているもんね)

シャネルというのはデザインチームがあって、
それぞれデザインしたものをディレクターがピックアップするのだと思うのですが、
今回、提案されているリュック、麻袋のようなラフな表面に、
シャネルのロゴがプリントされ、
意味のよくわからないひもやら金具がついています。
しかも、そのひももねじねじ巻かれていて、
グランジっぽくしようとしているのかなと思います。
きっとこれを30万とかで売るのでしょうけれど、
シャネルがやったら売れるのでしょうね。

ハイブランドのコレクションであんなにたくさんリュックが提案されるということは、
今までなかったと思うので、
これからフォロワーが生まれそうです。
そうすると、デザインの幅が出てきます。

ただ、リュックは誰がやっても、そう変わりはなく、
シャネルだからすごい、なんてことはありませんでした。

大人が背負うなら、プーマやアディダスなどの、
デザイナーがデザインしているシリーズか、
そうでなかったら、ノースフェイスやエーグル、マムートなど、
アウトドアブランドの、シックな色合いのものにするか、
どちらかがよいのではないでしょうか。
通好みで、一般にはあまり知られていないようなブランドのリュックも格好いいです。

やめたほうがいいのは、中途半端なファッションブランドのもの。
アウトドアでもなく、かといってすごくおしゃれでもなく、
どちらかわからない、みたいなのはやめておいたほうがいいと思います。
ファッションブランドだったら、それこそシャネルみたいなハイブランドにいっちゃう、
そうでなかったら、すごく機能的なのよという、マニアなアウトドアブランドにするのがいいと、
今のところは考えています。



2013年10月2日水曜日

来年は透けとレース

パリ・コレクションも終盤に差し掛かり、
毎日、おびただしい数のコレクションの写真がネット上にアップされています。

そして、そのほとんどのコレクションで使われている共通の素材が、
レースと、シフォンやジョーゼットなどの透ける素材。

レースは、裏地のついていないものが多く、
そのまま肌が見えるスカートやパンツが多いです。
もちろん、シフォンもジョーゼットも透けたまま。
裏地はついていません。

だから、実際に街で多くの人が着るようになったら、
そのままというわけにはいかず、
裏地、または何らかのインナーが必要になってくると思います。

わたしも前から、これからはレース、シフォン、フリル、ドレープだよと、
書き続けていましたが、
ここまでくるとは思っていませんでした。
2012年の頭から書いていたよね。
そのとおりになるまで、2年ぐらいはかかったわけですね。

当然、この流れはコレクションだけではなく、
日常着にも落とし込まれていきます。
こういうときは、どこかに1点、レースやジョーゼットなどのアイテムを投入していけばいいのです。

たとえば、今回、サンローランが提案していたように、
黒のスーツのインナーを透ける黒い素材にするとか。
そういうふうに、ちょっとだけ入れるだけで、
時代の気分になります。

流行のもので全身着飾る必要はないけれども、
今を生きているわけだから、
完全に無視するのも、ちょっと変。
ほんのちょっと取り入れるぐらいの距離感で、
全体のワードローブを構成するのがいいと思います。
今年の秋冬、付け足すアイテムも、
そこまで考えて買いましょうね、ということです。




2013年10月1日火曜日

都会も田舎も

久々に都会へ行きました。
わたしは、夏の都会は息ができないほど暑いので、
苦手なのです。
で、かなり久々に都会へまいりました。

都会へ出たときは、
必ずみんながどんな格好をしているかチェックします。
昔は、明らかに都会の人と郊外の人とでは、
着ている服装が違いました。

ただ、最近のわたしの観察の結果、
都会とその他のエリアでは、おしゃれの度合いには差がなくなってきているように感じます。

昔は、都会へ行かないと手に入らないものがありました。
具体的なものもそうですし、情報とか、カフェやレストランなどの雰囲気など。
だけれども、インターネットが発展して、
地球のどこへいても、同じ情報が同じタイミングで手に入ります。
ブランドの服だって、どんなエリアに住んでいても、
買うことができます。

そうなってくると、
都会とそれ以外の地域の地域差は少なくなります。
(もちろんまったくないとは言えませんけど)
そして、結局はおしゃれをしている人としていない人の差、ということになります。

都会の優位性は徐々に薄れつつあります。
情報に差がないのなら、
それ以外のものが豊富な郊外や田舎は有利です。
独特の余裕があります。

もしかして、日本のどこかに、
おしゃれな人たちが集う、特別なエリアが出現するかもしれません。
それはもう都会である必要がなくなっています。
あそこに行くと、素敵な服やカフェがあって、
素敵な人たちが集まるんだよ、というような、そんなエリアがあったら、楽しいです。
ヨーロッパの田舎町にあるような、
古い街並みや建物を利用した、
狭いけれども、特別なエリア。
そんなところがあるならば、ぜひ訪れたいです。


2013年9月30日月曜日

シルクの洗濯

比喩ではなくて、本当のシルクの洗濯についてです。
最近、シルクの入ったものを着ることが多いです。
しかも、暑い季節に着ていたので、
洗濯が必要になります。

大体、洗濯表示はドライクリーニングになっていると思いますが、
おしゃれ着用洗剤で、簡単に手洗いできます。
着たその日のうちに、
洗面所でささっと洗ってしまい、
手で水分を押し出す程度で、洗濯機の脱水にはかけず、
ハンガーにつるして、水滴が落ちてもいい、
お風呂場に乾かします。
そうすると、今の季節だと、次の日の朝には8割方、乾いています。

昔、ヨーロッパに行く際も、
シルクのキャミソールを持っていって、
やはりホテルの洗面台で洗い、お風呂場に干しましたが、
冬で暖房がきいていれば、すぐからからに乾きました。
シルクは、洗濯機洗いには不向きですが、
さほど扱いが難しい素材ではありません。

ただ、ある程度乾いたら、アイロンがけは必要になります。
しかし、脱水にかけたわけではないので、
さっとする程度で大丈夫です。
シルクにアイロンをかけると、表面がなめらかになり、
素材の美しさが引き立ちます。
来年は本当にシルクのシフォンやジョーゼットのものがあふれますので、
この方法は覚えておくといいと思います。

シルクは夏は暑くなく、
冬はインナーとして着ると温かいので、
実は1年じゅう、着られる素材ではないかと思います。
ニットの下に着るのでしたら、アイロンがけも見えるところだけでいいし、
冬場も案外重宝すると思います。
何より、化学繊維ではないので、かゆくならないのがいいです。
大事に取り扱えば、長持ちもします。

シルクに限らず、
着た日にすぐ手洗いして、軽くしぼって干すやり方をすると、
カシミアでも、高級なコットンのものでも、
洗うことによる傷みが少なく、長持ちします。
どれだけ丁寧に扱ったかで、結果が違ってきます。
だからこそ、丁寧に扱いたいなと思えるものを買ったほうがいいわけです。
そうじゃないと、雑に扱うから。

一点一点、丁寧に扱えば、どの服もみんな、長持ちするものです。

2013年9月29日日曜日

物語をはぎとる

服には、その本質とは全くかかわりのない、
情報や記号や物語が張り付いていて、
それに気を取られたり、
熱中している間に、
結局のところ、こちらがコントロールされてしまいます。

だから、ほんとのほんとにおしゃれになりたいと思ったら、
その情報や記号や物語にだまされないことが必要なのです。

情報や記号や物語をはぎとって、
それでも好きなのか考えてみるといいと思います。

それって、結婚相手選びに似ていますね。
その人物から、
情報やら記号やら物語やらはぎ取って、
それでも本当に好きなのか自問自答してみる。

結婚相手の場合、
相手は生身の人間なので、
一緒に生活してみれば、
いつわりの情報や記号や物語は吹っ飛びます。
そこで本質と出会ったとき、
それが本当に好きなものであったなら、
それは幸せなことでしょう。

服の場合は、どうやったらその本質と出会えるでしょうか。
とりあえず、情報や記号はのぞいて考えてみる。
ブランドのロゴとか、値段とか、何年のものだとか、
そういうのとは距離をとる。
その服が持っている物語、
たとえば、誰かに買ってもらったとか、
誰かが似合うと言ったとか、
そういうのも忘れてみる。
それでも本当に好きなのか。
買い物をするたびに、
それができたら、長く着られるものが選べると思います。

生身の本質はざらざらしていて、
さわったら熱かったり、冷たかったりで、
扱いにくいかもしれないけど、
それでもやっぱり好きなんだ、
ずっと一緒にいたいんだと思えたなら、
それはきっとそのとおりです。
しかも、それがきっと、幸せということなんだと思います。
なぜなら、情報も記号も与えられた物語を、
誰かを幸せにするものではないからです。
そのことはみんな忘れているけれど、
本当です。

2013年9月28日土曜日

見えない檻

多くの人がやりたいことが見つからないって言うけど、
その「やりたいこと」って、もしかしたら、
本当の意味での「やりたいこと」じゃなくて、
「やりたくて、かつお金になること」のことを言ってる場合が、
多いような気がします。

その時代、時代で、
お金になる能力とか技術というのは変わってくるし、
自分の才能と時代の流れは必ずしも一致しないので、
やりたいことがイコールお金になることとは限りません。
これは当たり前の事実だと思うんだけれど、
そのことを忘れているのか、無視しているのか、
考えていない人も多いです。

やりたいことと、お金になることが一致すれば、
それは最高だけれども、
なかなかそうはならないよねという中で、
なにをやっていくかということが大事だと思います。

お金になるとか、役に立つとかにこだわっていたら、
たとえば、大学の文学部なんて、いらなくなってしまいます。
美大だって、多くの人が画家や美術家になるわけじゃないから、
役に立たないものの範疇に入れられてしまいます。

お金にならないことをやるのは無駄なことだと思っているのかしら。
世界はたくさんの無駄なことでできているのに。

もちろん、それはその人自身の考え方じゃなくて、
社会や教育、親からの刷り込みの場合も多いです。
それはブロックです。
何もできないで、ただ考えているだけだとしたら、
そのブロックが強すぎて、動けなくなっている可能性は高いです。

お金にならないことには意味がない、
お金にならないことをやってはいけないという、
無言の圧力に長年、さらされ続けていたら、
それは見えない檻となって、
自分のやりたいこともわからなくなってしまうでしょう。

その見えない檻から出るためには、
自分でなにかやってみるしかありません。
誰に何と言われようが、
ときにはバカにされようが、
やってみるしかない。

誰も檻から出してはくれません。
ただ、それからは出られます。
自分で出ると決めさえすれば。
そう決められるかどうかが、分かれ道だと思います。


2013年9月27日金曜日

デザイナーに必要なこと

パリ・コレクションが始り、
きのうは、ドリス・ヴァン・ノッテンのコレクションの写真がもうすでにアップされていたので、
ゆっくり見ました。

ドリスは、日本人デザイナーが出てきた、そのあとの世代のデザイナーにあたりますが、
今でも十分通用するセンスで活躍しています。
そして、来年の春夏に向けても、
時代の気分を存分に表現して、
人気が出るだろうなという予感がします。

ドリスにしろ、ドルチェ・アンド・ガバーナにしろ、
長いこと活動を続けて、支持されているデザイナーたちは、
デザインの中に必ず時代の気分を取り込んでいます。
自分の表現したいものとか、作りたいものとか、
そういうものはひとまず置いておいて、
全体的な味付けは、そのデザイナーのものであっても、
時代から大きく離れるということはありません。

ひるがえって、
日本のデザイナーたちの多くを見てみると、
自分の表現にこだわって、時代の気分は二の次という方々が多いように感じます。
この結果、最近、めっきり、日本人デザイナーのなりはひそめてしまったわけです。

誰かが着ることによって完成する洋服に、
デザイナーのエゴイスティックな思いなど、不要です。
それは美術家とは違います。
自分にこだわり過ぎると、作品は、化け物のようになり、
人々の心には届きません。

自分はあくまで道具なのだ、自分を通して、
何かもっと大きいものの力が動いているだけだという認識がない限り、
それは傲慢で、小さなものになるでしょう。

服の神様に任せるということができなかったことが、
今の日本人デザイナーの状況を生みました。
自分の力で何かをやっているんだというエゴ、
それがある限り、
結局は、消えていきます。
それはどの世界でも同じことです。
どれだけ無私になれるか。
すべての行為のかぎは、そこにあります。




2013年9月26日木曜日

自分の才能を信じるということ

最近、お会いする多くの方たちに共通するテーマが、
「自分の才能を信じる」ということです。

自分の才能を信じるということは、けっこう難しいです。
なかなか自分自身を信頼できません。
本当にそうなのか、間違っていないか、
確信が持てません。

次に信じたところでも、
それを行動に移すのも、簡単なことではありません。
そこには必ず恐怖がつきまといます。
行動することの恐怖。

だけれども、リスクをおかさないと、
才能は使えません。
逆に言えば、
リスクをおかしてまでも、
自分の才能を信じた人たちが成功し、
天才と呼ばれるのだと思います。

多くの場合、
才能と、葛藤はセットで存在しています。
葛藤がないと努力しません。
なんでも簡単にスムーズにいく人のことを、
才能がある人とは呼びません。

やってみる前から、
才能がないとか、やっても仕方ないとか、
だめに決まっているとか、
そんなふうに考えている人は、案外多いです。
それは確かに才能がないことです。
「行動する」という才能に欠けています。

才能に関しては、やってみたところで、
そんなに大きな失敗は、多くの場合、ないです。
試してみて病気になったとか、死んだとか、しないです。
せいぜい会社をやめた、ぐらいでしょう。
その「せいぜい」ができないわけですけど。

誰かが言ってくれたからとか、
誰かに認められたから、自分の才能を信じるというのでは、
弱いです。
他人に依拠した自信は、他人によってくつがえされます。

根拠のない自信こそ、必要です。
他人が認めてくれなくても大丈夫です。
本当は1人ではありませんから。
見えない存在たちが、必ず応援してくれていますから。

2013年9月25日水曜日

関係に、永遠なんてない

最近、人間関係もいろいろ変わっておりまして、
年齢の離れた方々ともお友達になって、
長い間、しゃべったりしています。

年をとったら、友だちができにくいとか、
女同士の友情は育たないなどと、よく言われますが、
そんなこと、全然ない、と思います。

どれだけ心がオープンになれるかがカギで、
それができるならば、
年齢のせいで友だちができないということは、
ないとわたしは思っています。

ただ、当たり前ですが、変化というのはあって、
二十歳のころと今とでは、考え方も食べ物も着るものも違います。
(少なくとも、わたしは違います)
もちろん変わっていないところもあるけれど、
大きな部分で変わっているので、
その変化にそった人間関係というのは、ある程度、仕方ないかなと思います。

すべてのものは永遠じゃありません。
ずっとあると思ってはだめなんです。
今年の約束が、来年もまたできると思っては、
いけないのです。
今できること、今あるものは、今だけだから、
そのとき仲良しでも、来年どうかはわからないし、
仲が良くなかった人と、唐突に仲良くなるかもわからないし、
どこからともなく思いもつかなかった人と出会うかもしれない。
すべての新しい可能性を残しておくとともに、
すべてが終わる可能性も覚悟しておかないと。
ずっとこのままだよね、なんて、思っていたら、
次はありません。

うちに閉じこもったり、
かたくなになったり、
ずうずうしかったり、
人の心の中へ土足で踏み込んできたり、
約束を守らなかったり、
そんなことで関係は、簡単に壊れます。

関係は、壊れ物です。
注意が必要。

永遠ではない関係の中の、
今の一瞬をどう生きられるか。
過去と未来につながったままで、
誰かと会うことをやめたら、
いつだって、新しく人に出会うことができるし、
関係は生まれてくると思います。

2013年9月24日火曜日

情報として消費、その他

最近の雑誌は、セレブ、セレブとうるさいです。
誰々が何を着ていたか、こと細かにすぐ発表されます。
「セレブ」と呼ばれる方々も、そうされるたびに、
情報として消費されてしまいます。

また、有名人でご自分のブログに実際の自分自身のワードローブを公開している方も、
たくさんいらっしゃいます。
そして、その画像が知らぬ間に独り歩きし、
とんでもないところで目にしたりすることになります。
それでも彼女たちは、それが自分自身、
または自分のプロジェクトの宣伝になると知っているので、
特にとがめたりはしません。

ただね、そうなると、すぐに消費されてしまいますから、
ワードローブは常に常に新しくしなければならなくなります。
自分と会った人たちだけではなく、雑誌などの媒体、
自分のブログ、それから知らないところで、
想像をこえた数の人たちがそれを見て、
消費してしまっているわけですから。
そりゃあ、シーズンごと、あるいはシーズン中でさえ、
とっかえひっかえ服を変えます。

一般の人はそうではありません。
目にされる人の数はぐっと少ないです。
つまり、私たちは消費されていない存在なのです。
だから、有名な人や「セレブ」といっしょに考えてはいけないし、
比べることもありません。

それにしても、道を歩いているだけで誰かに写真を撮られ続けるなんて、
相当なストレスでしょうね。
そして、その撮られた写真を、今度はどこかの媒体で目にしたら、
それはそれでいい気分ではないと思います。
華やかそうに見えるけれど、
「セレブ」のみなさんも大変です。
つくづく、そういう立場の人間ではなくて、
よかったと思います。

2013年9月23日月曜日

残りもの

「残りものには福がある」ということわざもあるように、
残っているものイコール悪いもの、というわけではありません。
特に洋服においては、そのことが言えます。

売れ切れてしまったものは、
たくさんの人が欲しいものです。
そして、たくさんの人が買ってしまったものです。
ヒットの方程式の最大公約数をねらえば、
それなりに当たるでしょう。

しかし、何回も書いていますが、
たくさんの人が持っているものの中に、自分らしさはありません。
街に出たら、いろいろな人が同じものを着ている、
または持っている可能性があります。
もはやそこには、自分らしさを見つけることはできません。
だって、あなたはわたしじゃないから。

そこで残りものの話に戻ります。
残りものというものの中には、何種類かのものが含まれています。
もちろんよくないから売れ残ったものもあります。
しかし、そうでないものもあります。

たとえば、残るものの例として、たくさんの人が選ばない色、というものがあります。
ありきたりな色、黒や紺、グレーなどはそれなりに売れますが、
赤、オレンジ、黄色などは、その色のせいで残っています。
また、最近気づいたのですが、
シルク製品も残っています。
たぶん、洗濯の扱いが面倒だからだと思います。
(みなさんが思っているほど、シルクの洗濯は面倒ではありません。
手洗いでさっと洗って干すだけ。しかも早く乾きます)

これら色や素材で残ったものは、
その色や素材が好みな人にとってはお宝なわけです。

きのうは、お墓参りの帰りのお買いもので、
そんな「残りもの」を買いました。
実は、目をつけていたのは去年のこと。
これはわたしの色だけれども、絶対残るなと確信しました。
案の定、その色は残り、値段が下がりました。
そうしたら、そこで「買い」です。
デザイン的には問題がないので、去年出ていたものでも構いません。

残らないようなものばかり探して買っていると、
全体に自分らしさのない、
これといって特徴のないワードローブになります。
たくさんの人が欲しがるものは欲しがらないというのも、
おしゃれの1つの秘訣かなと思います。


2013年9月22日日曜日

さわって感じる

洋服について文章だけで表現するには、どうしても制限があり、
すべてを伝えることはできません。
特に難しいと思うのが、生地の質感について。
いい生地をたくさんさわっていけば、
ああ、この感じ、というのがわかるようになっていくのですが、
そもそもいい生地がどんな生地なのかわからないと、
その感じがわかりません。

かといって、それを文章で表現するのも、なかなか難しく、
滑らか、さらさら、ふんわりなど、
ありきたりな表現になってしまいます。
しかも、文章を読んでわかったつもりになっても、
絶対に実物は違うもので、
さわって感じたることによって理解したものに、
まさるものはありません。

100の言葉を並べても、本物の音楽や絵画を表現できないことと同じことが、
生地についても言えます。

あと、これはたぶんなのですが、
生地というものは、五感を超えた記憶を持っています。
まずはさわって、滑らか、つるつる、さらさらしているなど感じるのですが、
その先の何かにふれると、
じわじわと感動がわきあがる生地があります。
それはきっと、製造過程において、
何か特別なものがあるからなのだと思います。
それとは逆に、着ているだけで気分の悪くなる素材もあるでしょう。
たとえば、あれとかあれとか・・・。

わたしも素晴らしい生地のサンプルをたくさん持っていればいいのですが、
そうではないので、今、ファッションレッスンのレベル2の次の段階として、
実地訓練ツアーを開催しようかなと考え中です。
場所は御殿場のアウトレット。
ハイブランドの服をさわったり、試着し放題のあの場所は、
いわば、洋服のさわって体験できる美術館ですから。
ただ、まだこれは検討段階なので、決定ではありません。
やるとしたら、ファッションレッスンのレベル2終了の方が対象になります。

ネットでありとあらゆる情報が得られる時代ではありますけれども、
それでもまだ届かない世界があります。
実際にやってみて確かめる、行ってきて見てみる、さわってみる、聞いてみる。
それをおろそかにしてはいけないと思っています。


2013年9月21日土曜日

来年の黒

ニューヨーク、ロンドンと続いて、
ミラノコレクションも始りました。
プラダは変化球という感じの、ちょっとトレンドとは外れたコレクションでした。
好き嫌いは分かれるでしょうね。
なんせ、コートの全面に女の人の顔の絵がかいてあるのですから。

さて、来年の春夏、色がとにかく軽くなっています。
バーバリー・プローサムのテーマはイングリッシュローズ。
まさに、イングリッシュローズの色合いそのままに。

そんな中、では黒はどうなるのかという疑問がわきます。
イングリッシュローズの中では、黒は重すぎますから。
で、デザイナーのみなさんが出した答えはシアー。
つまり、透けです。
とにかく黒が透けています。
グッチがその代表例。
黒は使っている。
しかし、全身透けています。
ブラウスだろうが、スカートだろうが、パンツだろうが、
とにかくオーガンジーやシフォン、レースで透けさせています。

黒は使いたい、だけれども軽くなきゃ、ということで、
透けるという手段が選ばれたのだと思います。
黒だとしても、軽くなきゃだめなのです。
天女の羽衣、または妖精のドレスのように、
地上から離れるために軽く軽くがこれからの流れ。

シルエットも、もちろん変化したけれども、
使う素材も大きく変わっていった今のシーズン。
というよりは、今から始まる次の12年。
それぞれのワードローブの見直しは、
来年から本格的に始まるでしょう。
今年あまり着なかったものは、
来年はもっと着ない、というか、着られません。
今年は、着続けるものと着られないものの、
分かれ道の年かもしれません。
本格的な秋冬が始まる前に、
ワードローブの見直しをしようと思っています。



2013年9月20日金曜日

ケイト・モスが言うことには

ケイト・モスが、スチュワート・ワイツマンという靴のブランドの、
今シーズンのキャンペーン・モデルをつとめています。
そのための短いインタビュービデオがあって、
その中で、
「ショートスカートにはヒールの靴より、ロングブーツが合うと思うわ~」
みたいなことを言っています。
この意見、わたしも賛成です。
(この場合、ヒールとはパンプスのことのようです)

脚がまっすぐで、美しい方は、どんな靴をあわせても、
それなりにきれいだとは思いますが、
実際、日本人でそういう脚をお持ちの方はたくさんはいらっしゃいません。
となれば、脚のほとんどの部分は見せないで、
ブーツで覆い、
丈としても短さを楽しむほうが、
いいと思います。

ただ問題が1つ。
日本では、家に上がるとき、必ず靴を脱ぎますから、
せっかく全身でコーディネイトを完成させても、
家に上がったらおしまいです。
そうでなくても、脱ぎはきが面倒なブーツ。
ロングブーツでどなかたのおうちへお邪魔するのは、
なかなか勇気がいりますし、
脱いだときは、やっぱりもう違うバランスになっているわけで、
なんとなくおかしな感じがします。
ですから、ミニ丈にロングブーツというのは、
きょうは絶対、靴を脱がないとわかっているとき以外は、
やめておいたほうがいいわけです。

ブーツでなくても、ストッキングやタイツで補正ができる季節は、
秋冬ですので、そのまま生の脚を見せるより、
ずっといいと思います。
アンナ・デル・ロッソは、よく生脚でミニスカートをはいていますが、
やっぱり脚、特に膝上に年が出ています・・・。

ロングブーツのバリエーションは年々増えていっているので、
ミニ丈のパンツやスカートにチャレンジするなら、
今は適した時期だと思います。

2013年9月18日水曜日

ネットで春夏コレクション

きのうは朝から、ネットで14年春夏のバーバリー・プローサムのコレクションを見ていました。
19日には、プラダが春夏コレクションをストリーミングするそうです。
発表されたコレクションが、すぐにでも全世界に配信されています。

本当に20年前には考えられないことです。
チケットを持っているごく一部の人と、プレス以外、見られなかったコレクションが、
ネットにさえつながっていれば、
誰でもどこでも見ることができるのです。

昔はどちらかというと、秘密主義で、たとえば新しいコレクションは4体までしか、
雑誌媒体にはのせないなどと決まっていたようですが、
(デザインをすぐ盗まれるので)
今は、そんなことを気にせず、どんどん情報を流しています。
結果的にそのほうが、コレクションを発表するブランドにとっても、
メリットがあるからでしょう。
すべての人がショップにアクセスできる距離に住んでいるわけではないですから。

皮肉なことに、
こうやって、すべてを隠さず流してしまうブランドのほうが、
今では人気が出ています。
情報やコンテンツは無料なのか、という問題は、簡単にはいいことばかりだと、
言いきれませんが、結果的にはそう悪くはないのではないかと思います。

コレクションを見る行為と、実際にその服を着る行為は違いますし、
音楽にしたって、You Tubeのライブと実際とは違います。
情報を無料で流すことによって、
それぞれが、二次元とは違う、三次元での出会いを求めて動くならば、
そこには新しい動きが出るし、
たとえば、都会にいなければ知ることができなかったことを、
そうでない地域に住んでいても、知ることができるようになるということは、
大きいことでしょう。
特にファッション・ショーなどというものは、お得意客か、
プレスにしか実物は公開されていないわけですから、
テレビでもなく、ネットで流すことによって、特権が必要なくなります。

情報は無料で得るけれども、
実物に出会うために動く。
それがたとえ遠くであっても会いに行く。
そうすることによって、新しい動きとつながりが生まれる。
それがどんどん発展していけば、
いろいろ変わることが起きそうです。
新しいグリッドが、いたるところに生まれています。






2013年9月17日火曜日

ブンカの話⑦

きのうおしゃれブログのほうに高級生地ブランドとして書いたラッティ社には、
ちょっとした思い出があります。

ブンカの文化祭のとき、毎年、ラッティ社から生地の提供があって、
その生地を使ったデザインを考えて、
文化祭のファッションショーで作品を発表することになっていました。
クラスで何体とか決まっていて、
その中で私と友達で1体、製作を担当することになりました。
たしか、クラス全員ではなくて、先生が勝手に選んだメンバーだったと思います。

実はわたしは縫製はあまり得意ではなくて、
その時点で、先生の選抜はよくないと思いますが、
(ほかも似たりよったりだと言われればそれまでですけど)
なにか問題が起きなければいいなと思ったら、
やはり起きました。

今でも覚えていますが、色はフューシャピンクで、
コットンの生地でした。
それでハーフ丈のパンツを作ることになっていたのですが、
仮縫いのための切りじつけと裁断を、
わたしが任されていました。

切りじつけというのは、チャコで印つけができないときに行う、
生地への印のつけ方で、パターンを生地の上に置いてから、
しつけ糸で生地を2枚同時にすくって、周囲をぐるっと縫い、
最後に、その縫い目の中間を裁ちばさみで切っていくという、
特殊なものです。

そのときは、たしかそれが宿題になって、家で作業をしていました。
切りじつけの難しいところは、最後の段階で生地をいっしょに切らないようにすることです。
高価な生地だし、学校からのものだったので、
生地を切らないように気をつけて、切りじつけのしつけ糸を切っていったら、
なんと、生地まで切ってしまいました。
そんな失敗をしたのは、そのときが初めて。
あわてましたけれども、生地の端のほうだったので、
なんとかなるような気もしていました。

次の日、学校へ持っていって、
いっしょに製作をするパートナーの子に、生地を切ってしまったことを告白したら、
「大丈夫だよ、なおちゃん」とその子は言いました。
(その子だけ、わたしのことをなおちゃんと呼んでいました)

生地を切ってしまったのがばれないように、
どきどきしながら、先生の仮縫いチェックを受けました。
そして、その友達が最初に言ったように、
本当にばれないですみました。
そればかりではなく、
どういうわけか、その作品自体がボツになりました。
私たちは、ほっと胸をなでおろしました。
その後、その生地がどうなったかは覚えていませんが、
結局、仮縫いしただけで終わったと思います。

ラッティの名前を聞くたびに、
今でもあの切りじつけの事件を思い出します。
そして、いまだにラッティ社の生地で作られた服を、
着たことはありません。
たぶん、居心地悪いだろうと思います。
だって、それを着るたびに、あの切りじつけの失敗を思い出すわけですからね。
そんな思い出がなかったら、
ラッティ社の生地は、すばらしい生地だと思います。

2013年9月16日月曜日

来年の春夏は、変化が完了

ロンドンやニューヨークで春夏コレクションが始っています。
そして、もうすでにコレクションの写真がアップされています。
上がっているものだけをざっと見ても、
シルエットや傾向は、完全に変化してしまいました。

色も軽やかです。
白を中心とした、軽い色のコレクションがほとんど。
花柄も多いです。
これまでと同じ感覚では、
服は作れなくなっています。

こういうときに、新しいデザイナーやブランドの誕生があります。
それまでは、いいとは言われていなかった感覚の持ち主が、
にわかに脚光を浴びます。

1年ぐらい前から、今は大物、つまりコートやジャケットなど、
買うべきではないよと書き続けてきましたが、
ようやく来年は、買えそうです。
それはもちろん新しいシルエットのものです。

色も優しい色が増え始めました。
強い色のコントラストの服は少数派。
中間色のコーディネイトのは難しいですけれども、
選択肢は増えていくと思います。

感覚を先取りする人にとっては、
新しい時代が始まっています。
ただし、この新しさにその他大勢が追いつくのは、
もっとずっと後になることでしょう。
けれども、後戻りはもうできないということは、確かです。

2013年9月15日日曜日

パブリックコメントを出そう!

秘密保護法案についてのパブリックコメントが9月17日まで出せます。
逆に言えば、9月17日までしか出せません。

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=060130903&Mode=0

氏名などは任意なので、意見だけ書けばOK。
内容も「反対」なら「反対」だけでいいです。

私は、「1984年」の世界に住みたくはないので、反対です。

もしそんな世界に生まれたら、
EurythmicsのSexcrime (Nineteen Eighty-Four)の歌詞と
同じ思いをするでしょう。

How I wish I'd been unborn wish I was unliving here.

すごく簡単なので、みんなも書いてね。

追記:藤原紀香さんも、ブログに書いています。
http://linkis.com/www.norika.ne.jp/cgi/WMC5

靴の底

久々に台風で、大雨が降っています。
こうなると、お出かけはレインコートに長靴が必要になりますね。

ところで、雨のとき、気になるのは靴の底、ソールです。
最近、スニーカー以外で、ソールが滑りやすい靴が多いような気がします。
気をつけないと、こういう雨の日の、
特に駅などはすごく滑ります。

革底の靴も、見た目はそのほうが格好いいんだけれども、
やっぱり滑る。
特に駅の下りの階段は怖いです。
ヒールの靴だったら、なおさらです。

ソール1つとってもバカにできないで、
滑りやすい靴での、たとえば新宿駅で乗り換えのあるようなお出かけは、
躊躇してしまいます。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、
地下鉄へ下っていったりするのに、
靴底が滑ると、それだけで気になるから。

そんなことを考えていたのですが、
先週、いつもはいている、だけれども靴底が滑って困っていたブーツを、
底にラバーを貼ってもらう修理に出しました。
そして、きのうそのブーツが戻ってきました。

素材を指定したわけではないのだけれど、
裏に補強で貼ってあったのは、ビブラムソールでした。
登山靴で有名な、滑らないソールです。
早速、はいてみたら、全然違う!
ヒールで、しかも滑ることによって、
どうしてもつま先に力を入れていたのが、それだけで解消されました。

なんでもそうだけど、どうしてもっと早くしなかったのかしらと思います。
ほんのちょっと手を加えるだけで、
歩きよくなるなんて。
そのほんの少しの手間を躊躇させたのは、
面倒だったりとか、お金がかかるだったりとかするけれど、
その面倒やお金をかけてまでも、
したほうがよいことって、もっとたくさんあるかもしれません。

手間暇というものは、惜しんではならぬものです。

2013年9月14日土曜日

麻という素材

おしゃれブログのほうで、最近、アクセス数が多いのが、
麻について書いた投稿です。
みんな、麻について、どうしたらいいか、悩んでいるのですね。

わたしは、麻も秋冬に着ていいと思っていますし、
ちょっと毛羽だった、秋冬向けの麻の素材というのも、
今は出てきています。
インナーだって、麻にすれば、乾くのが早いし、
なかなか洗濯ものが乾かない冬の季節にぴったりだと思います。

ただ、麻といっても、実際にはいろいろ種類があって、
リネンと呼ばれているものは、いわゆる麻とは全然種類が違います。
可憐なブルーの花が咲く、繊細な草です。

そちらではなくて、これから注目されていくのは、
アサ科アサ属のヘンプのほうだと思うんですよね。

古くから日本に自生していて、
油もとれるし、実も食べられる。
育つのが早くて、電磁波を防御するとも言われています。

いいのだけれど、それとは違う問題があって、
現在は自由に栽培されていません。
だから、売られているのもごく少数です。

一方、リネンはリトアニアが産地として有名で、
今、わたしが実物を見てみたいなと思っている、
麻素材中心のコレクションを作っているデザイナーも、
リトアニアの方です。
日本では1か所でしか扱っていません。

麻という素材には、よれよれでも、着古してもよしいという、
独特の美が許されています。
化学繊維のように、つるつる、ぴかぴか、新しから美しいというのではなく、
着古した、なじんだ感じが美しい。
そんなことが許される麻素材の服は、
これからもっと注目されていいものだと思います。

2013年9月13日金曜日

ショップでの失敗

最近こそ、あまりお買い物はしませんし、
デパートへ行っても見ているだけですが、
昔は、ふつうにデパートで買い物をしていました。
そして、今ほど、販売員さんがしつこく要らないものを売ろうとは、
してこなかったと思います。
ただ、今も覚えている大きな失敗があります。

20代のころの話です。
渋谷西武のヨージ・ヤマモトのショップだったので、少し見ようと思ってのぞきました。
洋服を作っているので、見たり、試着したりするのは勉強の一部です。
そして、行ったそのときは知らなかったのですが、
後から聞いたところによると、無理やり買わせるということで有名な、
とある販売員の方につかまってしまいました。
まさに、つかまったという感じ。

わたしが欲しかったのは、当時、あまり売っていなかった、
赤いブーツでした。
試着してみて、サイズもぴったりだし、色もよかったので、
それだけ買おうとしたところ、
その販売員さんが、しつこくスーツの試着を勧めてきました。
試着だけならと思い、着てみると、
悪くはありませんでしたが、いるかどうかときかれれば、
そのときのわたしには必要のないものでした。
1度は断ったのですが、
その販売員さは、言葉たくみにわたしをうまくのせようとします。

半額ですから、確かに安くはなっていたのですが、
そのスーツ、形はいいとしても、
ウエストやら前やらの止めが、ボタンやファスナーではなくすべてホックで、
とても面倒くさいのです。
やっぱりいらないと思ったのですが、その販売員さんも負けません。
結果、その当時、販売員さんを適当にあしらう方法を知らなかったわたしは、
そのウールギャバジンのスーツを買いました。

ここまで書いたら、もうおわかりだろうと思いますが、
結果的に、わたしはそのスーツをあまり着ませんでした。
しかも、それを着ると、周りの評判もよくありませんでした。
わたしは、服について、周りから、それよくないというようなことは、
ほとんど言われたことがないので、
よほど似合わないスーツだったのでしょう。

似合わないし、ホックの開け閉めが面倒だし、
たいして気に入ってもいなかったので、
気づいたら、その服をほとんど選ばなくなっていました。

ただ、それ以降、販売員さんにのせられて何かを買ってしまうということは、
一切なくなりました。
いらないものはいらないと、結構はっきり言えるようになりました。
もちろん、その渋谷西武のヨージ・ヤマモトには、二度と行きませんでした。

ただ、最近はしつこい人をあしらうのも面倒なので、
そういう店には入りませんし、
たとえば、セールスの電話がかかってきても、
無視して出ません。
(セールスの電話は、用がない場合、放っておけば切れます)
無理に勧めるのもエネルギーがいると思いますが、
それをあしらったり、断ったりするのにもエネルギーがいります。

とりあえず、嫌な目にあったら、二度とそこへは行かない。
縁がなかったと思って、さよならすることにしています。

2013年9月12日木曜日

これからの新しい道

新しい雑誌に冬物のコートが掲載されるようになりました。
みな、当たり前のように、ビッグ・シルエットになっているのが、
なんだかおかしいです。
しかも、ほとんど外国のコレクション。

80年代、90年代に比べて、
日本のファッションの世界に対する影響力は確実に落ちたなと思います。

ただ、一方で、世界には発信しないけれども、
流行とは距離を置いた、
オリジナルなスタイルで、少量の服を生産している人たちも出てきました。
今後、期待できるのは、こちらの分野ではないかと思います。

彼らは、決して、表参道や青山にショップを開店するようなことはしませんが、
地道に、しかも、セールなどせずとも売れて、
コアなファンがついている人たち。
雑誌にも取り上げられないから、
有名ではないけれど、
買った人たちの心に満足と幸せを与えるような物作りをしています。
(でも、いまさら雑誌に掲載してもらったところで、
別にうれしくもないよね)

雑誌にも載らないし、
大量生産もしていないので、
そういうものたちは、見ることにおいて、消費尽くされていません。
これは理想的なことです。

たぶん、もうマーケットは大きくならないから、
そういったお店はコアなファンが支えればいい。

残念ながら、うちの近くに、そういう人たちはいないのですが、
わざわざ出かけていっても価値のあるような、
とっておきのお気に入りを見つけたら、
それについていきたいです。

(今、行ってみたいお店が2つあって、どちらもテーマは冬に着る麻なんだ)