2012年12月31日月曜日

2012年のおおみそか


2012年の夏至から始めた日々雑記、12月31日まで、休まずアップすることができました。

私はメインのブログもこちらのブログもランキングには参加していません。
見ていただくと、確かに励みにはなりますが、
それを追いかけないようにしています。
つまり、その「励み」がなくても続けられないと、意味がないと思っています。

「ありがとう」と言われるために仕事をやっていますという話もよく聞きますが、
私はずっと長い間、文句や無理な要求を言われることはあっても、「ありがとう」などと、
誰も言ってはくれない仕事をやっていましたので、
誰かのありがとうを追いかけるつもりもありません。
(そして絶対に必要なのに、誰からもありがとうと言われない仕事がたくさんあることも知っています)

誰かが何かしてくれることに依存してしまうやり方をすると、
必ず最後に破たんします。
「愛してる」と言ってくれるから愛するでは、
必ず最後、だめになります。

やりたいからやる、
好きだからやる、
自分で決めたからやる、
自分が愛する、
そこからすべて始めます。

昔、高校の演劇部の時代、
卒業後に日芸へ行き、後にちょっと有名になる劇団を立ち上げた先輩が、
「砂漠の真ん中の、誰も見ていないところで踊っても仕方ない」と言っていました。
そのときは、私もそうだと思いました。
誰かが見ていなければ、意味がないと。
けれども、今は違います。
砂漠の真ん中で、観客が誰もいなくても、私は踊り続けます。
それは誰かに見られるためではなく、私が踊りたいからです。

そんな私のダンスに付き合ってくれた皆さま、
本当にありがとうございました。
まだまだ踊り足りないので、
来年もこのダンスは続きます。
もしお気に召すようでしたらば、
来年も、またお付き合いくださいませ。

では、よいお年を!

☆写真:カメラ、壊れた・・・。仕方ないので、ありものの写真です。明日から写真なしです・・・。





2012年12月30日日曜日

なかなか捨てられないもの


大掃除の季節です。
私はもともと持ち物が少ないので、
大量に何かを捨てるということはないのですが、
その中でも多いのは本と雑誌です。
特に、ビジュアルと文字の組み合わせというのが大好きで、
1歳になる前に、本屋さんで絵本を買ってほしいとねだり、
乳母車に乗りながら本を見ていたら(たぶん読んではいない)、
見知らぬおばさまに、
「あら、赤ちゃんなのに本を読むのね」
と言われたというエピソードつきです。

だから実際のところ、なかなか手放せないのは本より雑誌のほうで、
まだ古いファッション誌や庭の雑誌を持っています。
3年ぐらい前までは、20年ぐらい前に買った、
「デジャ・ヴュ」というオールカラーの写真の雑誌を
創刊号からずっと大切に持っていたのですが、
古本屋で高く買い取ってくれると知って、
それは売りました。
(1冊400円で売れました)

私がそれを手放すかどうするかするときに自分に問いかけるのは、
次のせりふです。
「もし引っ越すとしたら、これを持っていく?」

それできのう、この問いかけを再び自分にしたところ、
やっぱり雑誌は持っていかないということになりました。
実際のところ、最近、見返すこともなかったですし、
ただ、保持しているだけの状態でした。

もちろん手放してしまえば、
雑誌ですから、もう二度と同じものは手に入ることはないでしょう。
だけれども、最近、何だか、
手放せば、もっといいものが手に入りそうな気がしているのです。

どっちにしろ、これらの雑誌は、もし引っ越すとしたら、
持っていこうとは思いません。
場所もとりすぎるし、重いし。
それよりも、荷物が少ないほうがいいです。
やっぱり身軽がいいです。

持っているものは、奪われると、ひどく自分が傷ついたと感じると思いますが、
自分で手放すと決めたものに関しては、何とも思いません。
握っているものが少なければ少ないほど、傷つくことからは遠くなるでしょう。
それはきっと、ものでも、思考でも、感情でも、同じなのだと思います。

☆写真:小学生のときに買ったファイル。まだ使っています。

2012年12月29日土曜日

とある実験


解放と再生のシーズンです。
私も、その例外ではなく、日々、解放の毎日です。

これはまだ実験段階で、絶対にそうだよとは言えないのですが、
きのうちょっと面白い経験をしました。

親の株の配当金を私が代理で郵便局に受け取りに行きました。
そうしたところ、局員の方が、委任状のサインが1人のものではないと言い張るのです。
何の根拠もなしに。
間違いなく1人の人がサインしたものなのに、違うと言い張ります。
私もちょっといらっときて、そんなことないですと言って、2人分の身分証を見せましたが、
いや、違うと言います。
そのとき瞬時に、この人にこれ以上、言っても無駄だとひらめきました。
ひらめいたので、その場はあきらめて、窓口から離れました。

そこは郵便局といっても、小さな街の局で、
もうちょっと行けば、大きな支局があります。
混んでいるかもしれないし、少し距離があるので、行こうかどうしようかちょっと迷いましたが、
そのまま大きい支局に行くことにしました。

そこへ着いたところ、拍子抜けするほど、局内はすいていました。
受付票をもらって、いすに座ったのですが、
もしかして、また違うと言われたらどうしようという不安がやってきました。
けれども、ここでその不安な感情を持ったままその書類を出したら、
また疑われると思い、
イメージの中でその不安を消していく作業を、待っている間、繰り返し、
何とか不安がなく、ニュートラルな状態までたどりつきました。

順番がきて、そのまま窓口に行って、書類を見せたところ、何も疑われることなく、
素早くお金をいただけました。
しかも、いただくときに、
「お待たせしてすみませんね」と、窓口のお兄さんはにこっと笑って言いました。

ついでにその局で、書き損じた年賀状4枚を新しいものに取り換えてもらうため、
違う窓口に行きました。
窓口のおじさまに、
「年賀状の書き損じなんです」と言うと、
「今きた人も年賀状の書き損じだったんだよ。ちょっと待ってくださいね」
とにこやかです。
私が、
「パソコンであて名書きをやっていたら、間違って印刷しちゃって」
と言いながら、書き損じはがきを渡すと、
「そうなんだよ。便利なようでいて、案外間違いやすいんだよねえ」などと言いながら、
受け取り、新しい4枚を袋に入れようとしました。
私ははがきが入っていた袋も持参していたので、
「袋も持ってきましたから」と、ちょっとぐちゃぐちゃの袋を出したところ、
「いいよ、いいよ、新しいのに入れてあげるよ」と言って、
きれいな袋に入れ直し、しかもおまけのティッシュまでつけてくれました。
書き損じの取り換えの料金は20円です。
20円でティッシュつきです。
この一連の出来事は、最初に行った局と、あまりに違います。

たぶん、最初のいらっとして、不安な持ちのまま窓口へ来ていたら、
同じことが繰り返されたでしょう。
けれども、そこでいったん感情を受け入れ、手放し、ニュートラルにしたら、
あらわれた現実は非常に違ったものになりました。

実は、ここ1カ月ぐらい、私はこの実験を繰り返しています。
とにかくその場で感じた感情を、いったん受け入れる、
けれどもすばやく手放す。
これを1日に必要なだけ、何回もやる。

感情にとらわれないようにする練習の効果は、
だんだん出てきたようです。
そしてこれがうまくいっているとき、
得も言われぬ幸福感に満たされます。
ハートに暖かいものが満ちていく感じです。

もうちょっとこの実験を繰り返していくつもりです。
そして、本当にこの方法が効果があるとわかったら、
また、どんなことがあったか、お伝えしたいと思います。

☆写真:いただいた赤いバラ

2012年12月27日木曜日

自分が一番欲しいもの


占星術のセッションで、クリエイティブな才能が明らかに出生のチャートに出ている方々が、
私のところへ多く来てくださっています。
本当にすばらしい。
ただ、その方々に共通点があるのです。
クリエイティブな才能をお持ちなんですけど、何かやってらっしゃいますかとおたずねすると、
何もやっていないと答える方がほとんど。
これはなぜなんでしょう。

思い当たるところが、私にもあります。
先日、ひとりっ子の姪の行動や、選択の仕方を見て、気付いたところがありました。
私だったら、あのタイミングであれは選べないなとか、
我慢するなとか、親には頼めないとか、思う場面がたくさんあるのです。

私は長女だったので、ほとんどの場合、一番欲しいなと思うものはもらえませんでした。
それと、欲しいと言うとすぐだめだと言われたので、
欲しいと言うことすらしないという、くせがついていました。

今でも忘れられないエピソードがあります。
小学生のとき、父がバレエのチケットを買ってくれると言ったのですが、
日頃から、節約、節約と母に言われていた私は、
バレエは見たいけれども、そんな高いバレエのチケットを買ってもらってはいけないと思い、
父にバレエには行かないと言ったのでした。
それは自分のしたいことは我慢することが最優先だし、
節約することのほうが大事だと、思いこんでいたからです。
私の行かないという言葉を聞いた父がたいそうがっかりしていた様子だったのを今でも覚えています。

姪の行動を見て、私ははたと思いました。
なんと今でも、そのくせが抜けていないのです!

私は今になるまでずっと、一番欲しいものは、私のところにはこない、と思いこんでいました。
なんという思いこみ!

この思いこみは、まるで監視ソフトのように、
私というコンピューターの知らないところでずっと作動していたようです。
急いでこれをアンインストールしないと、
永遠に、一番欲しいものは手に入らないプログラムが動きっぱなしです。
気付いたからには、早く取り除かなければなりません。

親に言われたこと、先生に言われたこと、周囲の人に言われたこと、
それを心が受け入れて、くせになってしまい、
大人になるまで続いていることがあるようです。
たぶん、才能のある皆さんも、できっこない、だめに決まっているなど、
誰かから言われて、
それをずっと信じ込んだまま、今まできてしまったのではないでしょうか。
そこには誰も、すごい才能だね、と言ってくれる人はいなかったのでしょう。

そうだとしても、今からでも遅くはありません。
親より、先生より、星たちの言葉のほうが大きいではないですか。
気付いたからには行動しましょう。
きっと、このタイミングで気づくことになっていたのです。

私も日々、私は一番欲しいと思ったものが手に入るという、
新しいソフトを作動させているところです。
まだなかなかなれませんが、
なれてくれば、本当にそうなると、思っています。

☆写真:クリスマスローズ

2012年12月26日水曜日

流行らなかったもの

ファッション業界は何か流行らせようとプロモーションをしかけてきますが、
それが必ずしも流行るとは限りません。
最近の例でいうと、
スヌードって、日本では流行りませんでした。

ちょっと説明しておくと、
スヌードというのは、マフラーの端と端がつながって、円になったもの。
だから、巻くのではなく、かぶることになります。
かぶるので、マフラーのように、巻き方がいろいろあるわけではなく、
大体、コートなどを着た後に、頭の上から最後、かぶるだけではないかな。
持っていないので、わかりませんが。

雑誌にもいろいろスヌードのスタイリングがのっていましたが、
あ、これ、いいなと心動かされるものはありませんでした。
そして、何より、コートを着た後からかぶらなければならないというのが、
もっともみんなが嫌がった要因ではないかと思います。
だって、髪型って、コートを着る前に整えるわけですから、
それからあれを上からかぶったら、
髪型が崩れてしまいます。
日本の女性はきれいに整った髪型の人が多いですし、
何かしらスタイリング剤を使っていたら、
もう上からかぶりたくはないですものね。
そんなわけで、スヌードがこれから流行ることもないと思います。

ではこれから流行りそうなものは何か。
今日のところは、何も思い浮かびません。
ただ、全体にリラックスの方向に向かっているので、
ゆるいもの、楽なものがいいでしょうね。
あんまりかっちり、疲れるものは当分、だめでしょう。

アグブーツもかなり流行っていますが、
あれは西海岸やオーストラリアのビーチで主にはかれていたものだそうなので、
ああいった、ビーチでのファッションの都会への進出というのも、まだあると思います。
ということは、都会がみんな小田急江ノ島線や江ノ電みたいになるのかしら?
まあ、どちらにしても、メインのテーマはリラックスでしょう。

ぎゅっと握りしめていたものを、
ぱーっと放したときの解放感。
きつく縛られていたものからの反動。
それに対するリラックスとか、軽やかさ。
そんな感じが、ファッションの主流になってくるのではないかと思います。

☆photo:poants from my garden

2012年12月25日火曜日

自分にとっての当たり前

もう長い間、自営業者なので、
普通の人がお休みのとき働いていて、
普通の人がお仕事をしているときお休みというパターンがずっと続いていましたので、
「よい週末を」とか、
「よいお正月を」とか言われても、
週末も正月も仕事なんだけど・・・
という気分で過ごしてきました。
私のほかにも、お休みの日にきっちり働いていらっしゃる方々は多いと思います。

今年も30日まではお仕事をしますが、
お正月は仕事をしないですむようになり、
ちょっと、いつもとは違います。

自分にとっては当たり前だと思っていることも、
他人にとっては全然そうでないということは、たくさんあります。

私は、どちらかというと、
普通の当たり前がものすごく少ないほうなので、
「よい週末を」という言葉以外にも、
返す言葉がないことを言われることが多いですが、
まあ、それもあまり気にしていません。
あんまりしつこいと、適当に嘘を言ってごまかすこともありますが、
その人が見ている世界と、
私が見ている世界はしょせん違うので、
その人の認識の私はどうせ別人ですから、
それにあわせても仕方ないし、
あわせようもないので、あわせず、かつ反論もせず、
適当に受け流すことにしています。

自分の当たり前を他人に押し付けると、
そこでもめごとが起こります。
自分の当たり前と、他人の当たり前は違うよねという認識を持っているもの同士ならいいのですが、
そうでないと、やっかいです。

そんなときいいのは、
反論しないで、そのまま流してしまうこと。
相手に反抗すればするほど、相手はもっと強大になって追いかけてきますから、
追いかけられたくなかったら、反撃するのではなくて、
そのまま行かせてしまえばいいわけです。
一番いけないのは、同じ立ち位置で対応すること。
はまってしまって、抜け出せなくなります。

服装についても、他人の評価ばかり気になるというのは、
その他人と自分の関係から抜け出せなくなっているということです。
抜け出すためには、ほかからの視点を入れる必要があります。
たとえば、タヒチに行ってみたら、美の基準は全く違うものになるでしょうし、
アラスカに行ってみたら、寒いので、何をそんなバカなことを、という話になるでしょう。
別にどこかほかのところへ行かなくても、
抜け出す道は必ずあります。

キリスト教を信仰している人以外にとっては、今日は普通の日です。
クリスマスだって、別に当たり前ではないのです。
自分にとっての当たり前は、他人にとっての当たり前でない、
このことをいつも忘れないよう、心がけています。

☆photo:plants from my garden

2012年12月23日日曜日

呪文のように

同じことを何度も何度もとなえていると、
言葉はやがて、形となり、
目の前に現実となってあらわれます。

自分で自分に魔法をかけるのは、
案外簡単で、
そうやって、
自分が望むことや、
または望まないことなど、
何度も何度も口に出して、
音にしてしまえばいいわけです。

やせなきゃ、やせたいという言葉の後ろには、
私は太っているという、確固たる自分の思いがあって、
その言葉を言えば言うほど、その現実は強まります。
やせなきゃは、やせていないです。

まず手放すべきなのは、
夢がかなっていないという、焦燥感。

追えば追うほど離れていく、
それは、そうでないという現実を、何度も何度もそうやって確認してしまうから。

追いかければ離れていくのだから、
追いかけるのはやめればいい。
追いかけている限り、たどりつかない。

そんなことにきっちり気付いたのは、
つい最近で、
追いかけるのをやめたら、
届きそうな気がしました。
そして、たぶん、届きつつあるのではないかと思っています。

追いかけるのはやめましょう。

☆写真:弁天様





2012年12月22日土曜日

私が毎日やっているヨガのプラクティスでは、
アーサナをやりながら、チャンティングをします。
つまり、動作と一緒に声を出すのです。

私は中学校から大学までずっと演劇部をやっていたおかげで、
発声は決して不得意ではないのですが、
ヨガを始めた当初、
全然、声が出ませんでした。

私の言う、「全然、声が出ない」というのは、
確かに声は出ているのですが、
自分の思うような声というか、
納得のいく発声の仕方というか、
誰かに届くような声というか、
それが出ていないということで、
全く声が出なくて、会話もできないほどだったということではありません。

けれども、やっぱり、私にとってそれは「全然、声が出ない」状態で、
たとえば、「シャンティ」とチャントするのも大変で苦しかったし、
何回も言っていると、最後には声がかすれて出なくなるほどでした。

この、声の出なさって、一体何なんだろう、
何かがきっと壊れていると、
ずっと感じていました。
(壊れていたのは喉のチャクラですが)

ただ、病気じゃないので、喉のチャクラが回復する方法は、なかなかわかりません。
それに、現代人のほとんどは、喉のチャクラが壊れていると言います。
届かない声の出し方とか、
言っていることがよくわからない話し方の人は、
喉のチャクラに何らかの障害があります。
ただ、こうすればよくなるという、絶対的な方法はないのです。

それがここ最近、やっと声が出るようになりました。
理由は複合的で、これだけとは言えないのですが、
1つは、もちろんヨガを毎日続けたこと。
それから、もう一つは、このブログを書き続けていることだと思っています。

というのも、喉のチャクラというのは声だけに関係しているわけではなく、
自分の意思を世界に向かって出しているかどうかにかかわるところだからです。

演劇部にいるときは、声が出ないということは、ありませんでした。
その後、ちょっとひどい会社にいたもので、
(今の言葉だったら、あれはブラック企業です)
声がちゃんと出なくなってしまい、それからなかなか回復しないでいました。
壊れるのはすぐだけれど、回復するためには、その何十倍もの時間がかかります。
たぶん、メニエールになった頃が、声が出ないピークでした。

そこから今、やっと声が出るようになってきたなと思えるようになりました。
まだ完全ではありませんが、
声がすっと出ると、本当に気持ちがいい。
届かなかったものが、少しずつですが、届きそうな気がします。

子供のころの、あの無邪気な声の出し方までは、
まだほど遠いのですが、
何となく、そうなる日も近いような、
そんな予感がしています。

☆写真:冬至の太陽

2012年12月20日木曜日

体の声を聞いていく

きっかけは、メニエールになったことによる、音の刺激に耳が弱くなったことでした。
小さな、優しい音ならいいのですが、
機械音とか金属音は、耳鳴りがするようになりました。

もう家にテレビはなかったので、その点は問題なかったのですが、
どうにも気になるのが掃除機の音でした。
それで、何かいい方法はないか考えたのです。
しかし、考えるまでもなく、
掃除機が発明されるまで、
私たちはほうきとちりとりという道具を使って掃除をしていたのですから、
ただ単に、それに戻ればいいだけということに気付きました。

幸いなことに、うちにはじゅうたんがありません。
じゅうたんがなければ、掃除機なしで、
つまり、ほうきとちりとりで家の掃除は十分できるのだということがわかりました。

ほうきというのは、本当によくできていて、
狭いところ、部屋の角など、すっと入って、ごみをかき集めてくれます。
むだにほこりも立ちません。
道具も軽いので、どこへでも持っていけます。
あんまり簡単なので、掃除するのが楽しくなります。
そして何より、あの音を聞くストレスから解放されます。

湯たんぽとか、ほうきとちりとか、
戻っているのか、進んでいるのかわかりませんが、
言えるのは、
体の声を聞いた結果、こうなったということです。

もっともっと体の声を聞いたら、
もっともっと違うものに出会うかもしれない。
今まで体がぶるぶる震えるものも我慢していたけれども、
もう我慢しなくていいかもしれない。
それはものであったり、
食べ物であったり、
場所であったり、
時には人であったり、
すべてにおいて。
そして、それは本当に簡単なことで転換できる。

そういえば、メニエールになったとき、
アメリカでアーノルド・ミンデルのマスター・コースを履修している人のワークショップに出て、
体の症状を人格化し、つまりそれを人に見立てて、
どうしたいか聞いてみる、というのをやったことがありました。
耳がよく聞こえなかったら、
どうして聞こえないの?
どうしたいの?
と聞いてみる。
わからなかったら、その痛みや症状を体全体で表現してみたり、
絵にかいてみる。
そうすると、その体の症状がどうしてあるのか、
体は何を訴えてるのかがわかるのです。

逆に言ったら、
そこまでしないと、
体の声はよく聞こえないということ。
長い間、無視し続けてきたのに、
今更聞いても簡単には教えないよ、という感じ。
それほど、体の声は繊細で、小さな声ということです。

そんな小さな体の声に耳を傾けて、
それが連れて行ってくれる、
私の知らなかった場所まで、
行ってみたいなと思います。

☆photo:plants from my garden

2012年12月19日水曜日

枯れた花

写真家のアラーキーは、
よく枯れた花の写真をとっています。
あるとき、個展を見に行ったら、
枯れた花ばかりだったときもありました。
もちろん、花は咲いているとき、美しいけれども、
本当の芸術家ならば、
枯れた花の中にも、美しさを見出さなければいけないのです。

花が美しいのならば、
葉も、
とげも、
茎も、
根も、
種も、
枯れた花びらさえ、
美しいに決まっています。
そして、それを見つける目を持つ者が芸術家です。

冬の曇り空の下、
枯れたシュウメイギクの種の写真をとりながら、
そんなことを考えました。

そして、私も、そこに美しさを見つけられたので、
シャッターを切りました。
霜柱の立つ土の上で、
茶色く枯れた茎から、
風に揺られて、
ふわふわと、
白い綿毛につつまれた種たちの、
旅立ちの、
その一瞬の、美しさを。

☆写真:というわけで、このふわふわしたものはシュウメイギクの種でした。

2012年12月18日火曜日

鳥のカップル


最近、うちの庭の木に、シジュウカラのカップルがやってきます。
何度も写真にとろうとするのですが、
近づくたびに逃げてしまいます。

このカップル、今までうちに来たことはなく、
今年初めてやってきました。
うちの窓からは、猫がこの2羽を眺めているのに、
全く気にならない様子。
毎朝、うちの庭のしだれかつらの木にとまり、
2羽で何やら話し合って、ささっと飛んでいきます。
しかも、ここ10日ぐらい毎日です。

何を話し合っているんだろうなと思っていたのですが、
きのう気付きました。
もしや、彼ら新居を探しているのかな?

ここの家の庭は、家の中から猫が見ているものの、
木の実もあるし、虫もたくさんいるし(農薬使わないからね)、
木の具合もちょうどいい、ここに住みたいんだけどなあ、
なんて話し合っているのではないでしょうか。

鳥が家に巣を作るのは吉兆だと、
風水ではよく言われています。

また、それが鳥であるにせよ、
仲のいいカップルを毎日見るというのは、気持ちのいいものです。
そして自分が毎日見ているものは、
必ず自分自身の生活に反映されます。
現実となってあらわれます。

だから、私はこのカップルのために、素敵な鳥のおうちを用意することに決めました。
この白、黒、グレーのスタイリッシュなカップルのために、
スタイリッシュなおうちを探すことにしました。
きっと喜んでくれるはずです。
そして、その喜びは、私のところに戻ってくるはずです。
いつの日か、きっと。

☆photo:plants from my garden

2012年12月16日日曜日

知りたいのは自分が自分のボスになる方法


20代のころ、サラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキー(ヴィッキー)という探偵を主人公にした
ミステリーにこったことがあって、
「サマータイム・ブルース」から始まるシリーズをずいぶんと読みました。
どんな事件だったかは、さっぱり覚えていませんが、
よく覚えているのは、
ヴィッキーがいつも言う、
「私は私のボスになるために探偵になった」というせりふです。
たしか最初は警察にいたのだけれども、
組織にいるのに嫌気がさして探偵になったという設定でした。

それは、自分でビジネスをおこして成功するとか、そういう話じゃなくて、
とにかく自分の意思でやることを決める、
決定権は常に自分にある、
それをしながら生活をしていく、ということで、
ヴィッキーはくじけそうになっても、
自分が自分のボスでいるために、決して探偵をやめません。

このシリーズを大体読み終わって、
似たような、たとえば、スー・グラフトンの探偵シリーズを読んではみましたが、
何かがやっぱり違って、
それ以降、ミステリーというものは、ほとんど読まなくなりました。

なぜあのシリーズを熱心に読んでいたのだろうかと、今考えてみると、
「私は私のボスになる」ための方法というか、
心構えというか、
心意気というか、
そんなことがあのミステリー全編にちりばめられていたからだと思います。
だって、これって、ほかではなかなか教えてくれないことですから。
なぜなら、私たちが教育を受けたほとんどすべての学校の先生は、
「自分が自分のボス」ではありませんから、
そんな心構えは知りません。

大学や専門学校に行っても、就職に必要な知識は教えてくれたとしても、
「自分が自分のボス」になる方法は教えてくれません。
でも本当に知りたいのは、そこでした。

ネットでビジネス展開して集客をする方法とか、
ブログの文章の最初に必ず自分の肩書きと名前を入れろとか、
これさえすればもうかる、なんていうのではなく、
自分が自分のボスであり続ける方法、
今でも知りたいのなと思うのは、やっぱりそこです。

☆photo:plants from my garden

2012年12月15日土曜日

過去


ちょっと考えるところがあり、
お金のため、だけにやっていた仕事を完全にやめて3カ月たちました。
きのう、その仕事で使っていた机を見ていたら、
「これは過去だ」という思いがふっと湧き上がりました。

時間にしてみれば3カ月ですが、
それは、もうそんな記憶さえもないほどに遠く、
私にとっては無関心の世界で、
どうでもいいことのように思えました。

よく、それまでやってきたことは何一つ無駄ではないと言います。
確かに無駄とまでは思いませんし、
1つの技術としては、どこかで役に立つかもしれませんが、
思いとしては、それは何もないのです。
何の思い入れもない世界が、過去、ただそこにあった、
そんな感じを持ちました。

結局、これも1つの執着であり、
何にも感じなくなったということは、
完全に手放すことができたという意味だと思います。

今は、安定した収入はありませんが、
心の中には、不思議な安心感があり、
何もなくても、誰かと会っていなくても、
心から湧き上がってくる幸せにひたることができる時間がふえました。

「あなたがいても、いなくても、
何もなくても、
どこにいても、
私はずっと幸せでいられる」
という境地を、私はずっと求め続けていたわけですが、
そこにまた一歩、近づけたような気がします。

☆photo:plants from my garden

2012年12月14日金曜日

シャネルのパリ・エディンバラ・コレクションが素晴らしい


さっき見て、あまりのすばらしさに感動したのでシェアします!

シャネルのエジンバラでのショー、本当にすばらしいです。
シェイクスピア好き、タータンチェック好き、アーガイル好きは必見。
そうでない人も、
これからの冬物のスタイルの作り方の要素がぎっしり詰まっていますから見てください。
特にデコルテから首にかけてのデコレーションの仕方を観察しましょう。
これからはこのバランスが重要です。
そのほかにも、最後のほうで出てくる、ケーブルニットとシフォン・スカートの組み合わせは、
明日からでもまねできるスタイル。
シャネルなんて買えないわ、なんて思いながら見るのではなく、
カールが示す、一歩先をいく時代の感覚をよく見てください。
ほんとうにヒントがたくさんあります。
全部で15分ぐらいなので、お時間があるときにぜひどうぞ。

湯たんぽ

きのうの夜から、湯たんぽを始めました。
私が湯たんぽを使い始めたのは去年の冬。
それまで、もちろん湯たんぽの存在は、知ってはいたのですが、
実際に使ったことがありませんでした。
うちの家族は、誰も湯たんぽを使わなかったからかもしれません。

それが、猫のためにと獣医さんがくださった湯たんぽを、
もう猫は使わないので、私が使ってみようかしらと思い立ち、
使ってみたところ、
そのすばらしさに感動しました。

寝る30分ぐらい前にお布団の中へ入れておいて、
湯たんぽでほんのり温まったお布団に入るときの、
あの幸せな気持ち。
そして、寝ている間も、暑すぎるということもなく、
朝までずっとほんのりした暖かさが持続します。

今度は朝起きると、その湯たんぽの中にあるぬるま湯を使って洗顔します。
なんという無駄のなさ。
1日のうちの3分の1の時間を、湯たんぽは、ほんのりした暖かさを提供してくれるのです。
エネルギーを持続させる、その技術が素晴らしい。
もっと早くから使えばよかった。
知らなかったこういうものが、いろいあるんですよね。
これからも、もっとこういうものを集めて生活していきたいです。








☆photo:plants from my garden

2012年12月12日水曜日

春への準備





そろそろ、水仙の芽が出てきはじめました。
水仙って、最初に球根を買うときはちょっと値段が高めだけれど、
1度植えたら毎年ちゃんと芽が出るし、
何より球根がどんどん増えていって、
銀行にお金を預けるよりずっといいよなどと、
私はよくふざけて言っています。

イングランドに行ったとき、
どうしてもシシングハースト・カッスルのホワイトガーデンを見たくて、
電車とバスを乗り継いで、
途中、バスがこないで、知らないカナダ人のおじさんと一緒に
タクシーに相乗りしたりして、頑張って自力でいきました。

ちょうど4月の頭だったのですが、
最も感動したのは、お目当てのホワイトガーデンではなくて、
芝生のいたるところから咲いているたくさんの黄色い水仙でした。
あれを見て以来、
私も庭に水仙を植えることを決意し、
毎年ちょっとずつ追加して、今ではうちの庭に400個ぐらい球根が植わっていると思います。

春の花がまだ少なく、
太陽の日差しも弱いころ、
黄色い水仙の花を見ると、体がゆるみ、ほっとします。
それは、まるで、
希望の光のように、庭を明るく照らします。
それは、どんなに冬が寒く厳しくても、
必ず明るい春が来るのだと、
教えてくれているかのようです。

春の準備をしている水仙を見ながら、
私もまた、新しい春へ向けて何かできたらいいな、などと思った、
小春日和の冬の午後でした。

☆写真:バラ

2012年12月11日火曜日

手放しの時期


最近、感情の解放とか、
古い執着の手放しとか、
そんなことばかり考えて取り組んでいたら、
会う方、会う方、
誰かや何かと別れたい方ばかりになってしまいました。
私が今取り組んでいるのは、人や出来事というより、
古い感情パターンなんかなのですが、
実際、目の前にあらわれる方々は、
具体的な人と離れたいという方が多いです。

洋服もそうなのですが、
人生、縛りが多ければ多いほど、
自由でなくなります。
だから、縛りが少なければ少ないほどいいんです。
それなのに、
自分の古い感情パターンという、
自分で作ったおりに縛られたら、身動きがとれなくなります。
いいことも同様に、執着になるので、手放さなければなりません。

結局、そうしないと、新しいソフトをただインストールしてもうまくいかないように、
また同じパターンにはまってしまいます。
何か新しいソフトを入れるためには、
前のソフトをアンインストールしないとだめなんです。

気づいたら、やっぱり手放すしかありません。
別れたい方がたくさん私のところに来るということは、
私がちょっとだけ、手放す方法を習得できたからかなと思います。
そしてその方法をちょっとだけ教えてあげれば、
みんな、うまく手放せるようになります。
いつだって、大きな変化のために必要なのは、
ほんのちょっとの小さなことなんですよね。

そして、別れたほうがいいという言葉は、
結構あちこちから、
たとえば、本の文章や、テレビやラジオから聞こえてきた言葉など、
もう既に聞こえてきているはずなんです。
あとは、きっかけだけですね。

☆写真:ゆり

2012年12月10日月曜日

シンプルって、簡単

メイクをミネラルに変えて、強いメイク落としがいらなくなったら、
過度の保湿をする必要がなくなり、
現在、ふだんの顔のお手入れは、
化粧水+アルガンオイルというシンプルスキンケアになってしまいました。

また、髪の毛もヘナ染めにしたら、
リンスやトリートメントというものがいらなくなり、
そして、どういうわけか、それまでより髪の毛が汚れにくくなり、
オーガニックのシャンプーで週に数回、洗うだけでよくなってしまいました。

オーガニックとシンプルはつながっていくようで、
今までどれだけ無駄なことをしていたのだろうという感じがします。

外からのケアだけではなく、
同時に今、肝臓のデトックスのためのハーブティーを毎日飲んでいるので、
その効果もあるのかもしれません。
(ちなみにそのハーブティー、妹も一緒に飲み始めたのですが、
2カ月たらずで、左ほほの肝ぱんによるシミが消えてしまいました。これは驚き)

なんだか私たちって、難しく難しく考えなければならないように思い込まされてきたみたいです。
やってみたら、
案外簡単で、
効果は最高で、
経費もかからないなんて、
そんなことが、世の中にはもっとたくさんあるのでしょう。
その情報は、自分で探しにいかなければわからないものばかりなのですが、
必ず誰かが発信しているので、見つけることは可能です。
そういうものにもっとたくさん出会って、よりシンプルな生活をしていきたいです。
シンプルというのは、リラックスにもつながるものですから。
そして、リラックスこそ、人生において大変重要なポイントですから。

☆写真:天狗さん

2012年12月9日日曜日

真冬にはだし

きのうの朝8時、電車で見かけた女性の姿。
何か気になって、観察が始まりました。
ベージュのダッフルコートに、同じベージュのかなり厚手のマフラーを首にぐるぐる巻き、
インナーはわかりませんが、
ボトムは黒に何か柄の入ったクロップト・パンツ。
ここまでは普通です。
けれども、よく見たら、足もとがはだしにオペラシューズだったのです。
思わず何度も見直してしまいました。
ストッキングをはいているのではと思いましたが、
肌の質感がリアルに見えます。
何度見てもはだしです。
きのうの湘南地方の朝の気温は、たぶん5度ぐらい。
はだしには寒すぎる気温です。

たしかに今期、抜け感が重要視されています。
けれども、この気温ではだしという女性は、初めて見ました。

これを見て、私だったらどうかと考えましたが、
寒くて無理です。
私はやっぱりブーツです。

でも、どうしてもおしゃれに見せたくて、抜け感を出したかったらどうするか。
それだったら、どこか行く先まではタイツなりソックスなりをはいて、
行く先で脱ぎます。
おしゃれ重視で風邪をひいては困りますから。

今、冷えとりスタイルが流行していて、
足もとがかなりもこもこと何重にも靴下をはいている女性を電車でも見かけます。
足はやっぱり冷えるんです。

おしゃれと健康、なかなか両立しない場合もありますけれど、
どちらかを選ぶとしたら、健康です。
だって、病気になってしまったら、おしゃれもへったくれもないですから。
おしゃれは、健康あってのものです。
入院してしまったら、もはやおしゃれなどありません。

☆写真:お寺の階段

2012年12月8日土曜日

終わらせるチャンス


この前、終わらせるのは難しいという内容のことを書いたのですが、
よく振り返ってみると、
必ず、終わらせるきっかけの出来事があるとわかります。
大体、終わらせるのが難しくなってしまうときって、
それを無視したときなんですよね。

そして、そういう出来事が起こる前にも、
全然関係ない人の口から、
終わらせたほうがいいよという意見を聞いたりするものです。
神様というか、上の存在というか、それは何でもいいのですが、
必ず合図を送ってくれています。

結局、そういった出来事を利用してしまったほうが、
終わらせたり、別れたりするのは簡単で、
そのときは一瞬、なんてひどい出来事なの、と思いますが、
少し時間がたてば、
ああ、あのときあんなことがあったおかげで今の状態がやってきたんだ、
神様、ありがとうという気持ちになります。
(最近、つくづく私はそういう気持ちになっています)

終わらせるチャンスがきたら、そこできっぱり終わらせるのが、やっぱりいいです。
不安や執着を手放して、
きっともっと次にはいいものがやってくると信じて、
いらないものはどんどん捨てて。
そして、
この終わらせ方、手放し方によって、人生、次の展開が変わってくるようです。
手放せば手放すほど、いいものがやってきて、
結果は、どれだけ手放せたかによるんだということに、
今更ながら気づきました。
ただいま、日々、手放し中です。

☆写真:しゅうめいぎく

2012年12月7日金曜日

落ち葉


握りしめているものを手放さなければ、次は入ってこないのだと、
わかっているけれども、なかなか手放せないことがあります。
自分では手放せたつもりでも、まだやっぱり残っていたりと。

よいと思われるものさえも、
握りしめ続ければ、それは執着となり、
もうそれ以上のものは入ってきません。

成長するために葉を落とす、落葉樹のように、
潔くすべて落として、
落とされた葉を成長のかてにできればいいのにと思います。

落ち葉は土にかえり、
そこからまた新しい芽が生まれます。

ずっと続くそのやり方が、
何よりも自然で、
人間にとっても、必要なものなのでしょう。

スコップで地面に穴を掘りながら、
むすんでいた手を開いて、
握りしめていたものを土に返そうと決意します。
きっと来年の春には、今年よりもっと美しい花が咲くはずですから。

☆写真:葉ボタン

2012年12月5日水曜日

ブンカの話⑤


ブンカには、いろいろな服装の学生がいます。
おしゃれがどうこういうより、とにかくみんなが自分の好きな格好をしてやってきます。
私がブンカに通っていた時代、特に目立つ学生が2人いました。
1人は、どう見てもインドのお坊さんのスタイルで学校へくる人。
(この人の名前は知りません)
そしてもう一人は、ボディコンスーツでくるおかまのじゅんちゃんでした。
(みんなが「おかまのじゅんちゃん」と呼んでいたので、私もそうします)

おかまのじゅんちゃんは、いつもひざ丈のタイトスカートにぴったりしたジャケットの、
OLさんみたいな格好で学校へきていました。
髪の毛はロングで、パーマヘアでした。
ばっちりメイクもして、背も高いので、特に目立っていたと思います。
どんなにばっちりメイクをしても、女の格好をしても、
じゅんちゃんがおかまであることは一目瞭然でした。
けれども、ここはブンカなので、誰もその格好をとやかく言いません。
どんな格好をしても、といっても和服は除くのですが、いいのです。

おかまのじゅんちゃんは、学校を欠席することもなく、
ちゃんと課題も提出し、まじめで優秀な学生でした。
ただ、問題は就職。
ブンカの中では誰も何も言われなくても、
利益を追求する企業に就職するとなったら、
そのスタイルは認められないかもしれません。

私たち学生の間でも、おかまのじゅんちゃんはアパレル企業に就職するのだろうかという疑問の声が上がっていました。
実際、入社試験を受けに行ったりすると、
どうやら会社というものはどんな格好でもいいというわけじゃなさそうだと、
みんなが気付き始めたからです。

案の定、じゅんちゃんはなかなか就職が決まらないようでした。
みんなの間でも、もうこのことについて言ってはいけないような雰囲気になり、
誰も話題にしなくなりました。

その間に、卒業制作の期限が迫ったりして、皆はそれぞれ忙しくなり、
すっかりおかまのじゅんちゃんのことは忘れていました。
そして、そのまま卒業の日を迎え、おかまのじゅんちゃんがどうなったか、
誰も知らないままでした。

卒業して半年ほどたったときでしょうか、
私は、神宮前でおかまのじゅんちゃんを見かけました。
当時、私が行っていた会社の目と鼻の先にある、
違うアパレル企業の玄関から出てきたところでした。
そして、それ以後、しょっちゅうおかまのじゅんちゃんがその会社から出てくるところを見るようになりました。
どうやら、おかまのじゅんちゃんは、そこで働いているようでした。
おかまのじゅんちゃんは、そのときも、ブンカに行ってたときと同じようなボディコンスーツに身を包んでいました。

私は、おかまのじゅんちゃんがいつもと変わらないスタイルで、楽しそうに会社から出てくる姿を見たとき、なんだかとてもうれしくなりました。
私は彼女(?)とは、クラスも違うし、話したこともないし、もちろん友達でも何でもありません。
だけれども、自分の好きな服装のままで、笑顔で会社から出てくるおかまのじゅんちゃんを見て、
とても感激したのです。
そして、自分の好きなスタイルをあきらめないで、ちゃんと働いている彼女を見て、とても尊敬したのです。

どうしてなのか、今でもときどき、友達でもないおかまのじゅんちゃんのことを思い出します。
それはたぶん、彼女が私の憧れだからだと思います。
自分がやりたいことをそのまま通した人だから。

今ごろ、おかまのじゅんちゃんは、あのスタイルのままで楽しく仕事をしているでしょうか。
きっと、そうに違いないと思います。
そして、おかまのじゅんちゃんが自分のスタイルを貫き通している限り、
彼女はずっと私の憧れの人でい続けるのです。

☆写真:葉ボタンとストック

2012年12月4日火曜日

服による影響


流行とかなくて、
人目を気にしなくていい環境で、
何でも好きなもの着ていいって言われたら、
一体、どんな格好するかなと考えてみます。

まずリラックスできる服だなとか、
締め付けるのは全部やめとか、
好きな色しか着ないとか、
肌触りのいいものだけとか、
軽くてとか、
歩きやすい靴でとか、
考えます。

そうすると、
今の格好とは結構違ってきてしまいます。
つまり、今はかなり無理しているということ。
服って、本当に縛りが多いです。

ものすごく細いウエストのためのコルセットとか、
中国のてん足とかじゃなくても、
今の時代のヒールの靴だって、かなり無理してはいています。

長い間、そんなことを体は受け入れてきたわけだから、
本当のところどうだったのか、どうしたいのか、
何だかわからなくなっちゃうよな、と思います。
だって、あまりに敏感だったら、生きていけないでしょう。

この一種の体に対する冷淡な無神経状態が、いろいろ不都合を生みだすのだと思います。
あまりにながい間、無視することになれていたから、
体の声なんて、聞こえません。

でもなあ、やっぱり聞かなきゃだめなんだ、というのが最近わかったことです。
無神経と抑圧が、体をむしばんでいるわけだから、
そろそろ解放してあげないと。

解放することがいっぱいで、宿題だらけの学生のような気分です。
心の中の部屋をのぞいたら、いらない荷物でいっぱいだった。
いらないということすら、気付いていなかった。
片づける方法さえ、知らなかった。
いつだって、私が知りたいのは方法です。

服による縛りの影響って、あんまり議論されることはないけれども、
何にもないわけではないと思います。
いらない服はどれだろうと考えながら、そんなことを考えました。

☆写真:シクラメンを買ったので写真に撮ってみました。ぼけたままシャッターを押すのが面白いです。

2012年12月3日月曜日

私とバラ

私がいきなりバラ好きになってしまったのは、
1994年です。
それまで、剣芯咲きと言われる、
中心がとがった、昔の高島屋の紙袋に描かれていたようなバラしか知らなかったのが、
オールドローズという品種があり、それはハイブリットティーのように剣芯咲きではないこと、
そして、ずっと香り高く、病害虫にも強いことなどを知り、
がぜん興味が出たのでした。
それからは、そんなバラを実際に植えてみたくて、
イギリスのナーサリーに、まずカタログを送ってくれるよう手紙を書き、
カタログが届いて、それから欲しい品種を選び、
注文書を送り、何カ月か待って、イギリスから裸苗の状態でバラの苗が届いたのでした。
届いたのはたしか今ごろだったと思います。
すごくうれしかったのと同時に、本当にこれが咲くのかしらと、少々不安でもありました。
それだけに、春になり、一斉にバラが芽吹きだしたときの喜びは大きかったです。
そして、夢にまで見たオールドローズやイングリッシュローズが自分のうちの庭で咲いているということの幸せで、胸がいっぱいになりました。

そのときに届いたバラは、何度か移植をしたので枯れてしまったものもや、
大きくなりすぎるオールドローズで切ってしまったものなどありますが、
まだ元気なものもあります。
大好きなイングリッシュローズのスイートジュリエットは、そのとききたものです。

あれから何年もたち、
今ではイギリスのナーサリーに手紙を書かなくても、
日本でも簡単にオールドローズやイングリッシュローズの苗が買えるようになりました。

ここニ、三年、体調が悪くて、ちょっとバラの世話をさぼり気味でした。
でも、こんなに寒い冬でもけなげに咲いているバラを見たら、
もう一回、ちゃんとバラを育てようという気持ちがわきあがりました。
だって、バラと接する喜びって、ほかの何物にも変えがたいんですもの。
そして、ほかの植物にはない特別な魅力で、いつも私に力をくれたから。

バラというのはやはり何か特別な力を持っているような気がします。
錬金術師の庭には、バラが植えてあります。
魔法にはバラが必要です。
庭に一歩、足を踏み入れ、香りに誘われて振り向くと、
そこにはいつも優美なバラが咲いています。
それは、私を呼ぶ、音にはならない声だと思うのです。

☆写真:冬のバラ

2012年12月2日日曜日

最近の庭仕事

きのうはちょっとだけ庭仕事。
最近、夏が暑いので、夏の間はほとんど庭仕事をしません。
だからその分、秋冬はやることがたくさんです。
まだチューリップの球根植えが半分残っています。

で、それとは別に最近、やり始めたのが、
野菜くずでの堆肥作り。
今までも、庭のすみに囲いを作ってみたり、
コンポストを作ってみたりと、
いろいろチャレンジしてはみたのですが、
なかなかこれといった方法がなく、続きませんでした。
野菜くずだけだと虫がいっぱい来るし、
今度、雑草や抜いた草なんか入れると、
堆肥になるのに時間がかかるし・・・。
それに、バラの剪定枝や花がらなんかも肥料になるといいのになあ、なんて思っていたのでした。

そこで最近、見つけたのがアスカマンという堆肥化を促進する菌。
アスカマンというネーミングは、地球を救うから、らしいです。
1カ月ぐらい前にネット通販で買ってみて、
早速、庭に穴を掘って、野菜くずとバラの剪定枝、落ち葉なんかを投入。
今日、掘り返してみたところ、見事に堆肥化に成功。
普通の土になっていました。
そして、ネットでもっと検索すると、
アスカマンを使ってバラの堆肥作りもできるということがわかり、
今日、バラのために穴を掘って、
堆肥のもとになる野菜くず、雑草、剪定枝、落ち葉、けいふん、
その上にアスカマン、土を入れ、
鉢植えで元気がなかった、マダムフィガロというバラを植えかえてしまいました。
本当は、肥料を入れてすぐ植えかえしてはいけないんだけど、
(発酵で土の温度が上がるから)
アスカマンは発熱しないので可能なんだそうです。
これでバラがよく育ったら、肥料はほとんど買わなくてよくなります。

バラも、ある程度育つと、ほとんど肥料はいりません。
私は、ある程度大きくなったバラには肥料をあげていません。
よく、どう見ても手入れなんかしていなさそうなおうちで、立派にバラが咲いているところがありますね。
あれはどれもある程度大きくなったバラだと思います。
地面がよくて、ある程度育って、太陽の日差しがあったら、もう肥料はいらないんですね。
ただ、そこまでいくには手を貸してあげなければいけません。

庭と向き合うと、
本当にたくさんのことを学べます。
一生懸命やっても枯れてしまうバラもあります。
一生懸命なんかやらないでもよく育つバラもあります。
一生懸命やった時点で、もうだめってことなんです。
植物は正直ですから、そこの場で無理してまで生き延びようとはしません。
一生懸命やればいいってもんじゃない。
それはもしかして人間のエゴじゃない?
そんなことを庭の植物たちは教えてくれます。

☆写真:冬のバラ

2012年12月1日土曜日

トレンチコートは現代の戦闘服なんだね


最近、トレンチコートで検索をかけてくる方が多いので、
なぜそんなにトレンチコートがと思っていました。
そうしたところ、きのう、会社の研修と思われる、
まだ新人の会社員の女の子たちの集団とすれ違ったのですが、
そのほとんど、8割ぐらい、コートがトレンチだということに気付きました。
どうやら、私の知らない間に、トレンチコートというのは、
会社員の通勤着用コートとして定着したらしいです。

それにしても、ああやって集団で歩いている姿は壮観です。
はっきり言って、後ろから見たら、誰が誰だかわからない。
会社というのは、それがいいのだろうと察しはつきますが、
みなそろって、ベージュのトレンチコートでした。
昔とは違う意味で、トレンチコートは戦闘服なんですね。

そして改めて、電車に乗っているトレンチコートの着こなしを見てみると、
やっぱりカジュアルよりはオフィシャルという感じの人が圧倒的に多い。
よく雑誌に紹介されているような、
甘い、ロマンチックなトレンチコートの着こなしの人はいませんでした。

毎日、会社へ行くときに着ていたら、
それ以外の機会にトレンチコートなんて着るのは嫌になるでしょうけれど、
もしそれでも着るんだったら、
うんと違うスタイリングをすると面白いし、楽しいと思います。
ロマンチックなドレスの上に羽織るとか、
ボーダーのニットとショートパンツの上に着て、UGGのブーツやコンバースとあわせるとか、
およそ戦闘できないよ、
つまり、これじゃ会社へは行けないよというイメージにするといいです。

張り付いた意味をとって、とって、
決まり切ったイメージを裏切って、裏切って、
そうやってスタイルを作っていくと、おしゃれは楽しくなります。
そうすると、ふだん見慣れたトレンチコートも、違うふうに見えてくるのではないかと思います。

追記:そうそう、みんな、トレンチを着る時期で調べていらっしゃいますが、基本的に真夏以外は着ていいと思います。特にウールのライナーつきは冬向きですからね。

☆写真:やっぱり今年はケーブルニットの気分。