2012年10月31日水曜日

言われても、言われなくても


「ありがとう」と言われるのはうれしいけれども、
それをよりどころにしてしまったら、
すぐに不幸になってしまう。

この世には、「ありがとう」なんて言われない仕事はごまんとあって、
本当は、その「ありがとう」と言われない仕事で、世の中は成り立っている。

「ありがとう」と言われれば、そりゃ、はげみになるけれども、
そんなことをはげみにしていたら、
何かを続けることはできない。
いつも、判断の基準を自分の外に求めるのだから、
そんな、不安定なことって、ない。

外へ求めないで、
中へ中へ入っていく。
秘密の扉を見つけたら、
そこから新しい交信が始まる。

新しい交信の相手には、
「ありがとう」と言う。
それは本当の意味で、ありがとうだし、
必ず返ってくるものだから。

秘密の扉の先の住人と仲良くなれたら、
「ありがとう」の声が、空気を振動させて耳に入ってこなくても、
全く気にならない。

全く気にならない、秘密の王国で、
新しい知識を得る。
知識の対価は請求されない。
それはいつだって、求めれば、得られるもの。

秘密の王国で教えてもらった知識をもとにして、
わたしは続ける。
それは永遠に与え続ける、かれない泉。

重要なのは、
その泉のありかを知っているかどうかということ。
そして、いつでも行ける準備ができているかどうかということ。

それは誰かの問題ではなく、わたしの問題。
いつでも好きなだけ与えられるから。
わたしが望みさえすれば。
「ありがとう」と言われても、言われなくても、
ここで、続ける。

☆写真:渚にて。

2012年10月30日火曜日

Curiosity killed the cat.


Curiosity killed the cat.
とは、よく言ったもので、
私もこのタイプの人間です。
1度、スイッチが入ると、
すべて知らなくては気が済まなくなります。
たとえば、タロットの勉強をしていたとき、
売ってる本をすべて買いたくなってしまいました。
知らないことがその本に1ページでもあるのなら、
それを知りたくなるのです。

作家についても同じです。
その作家が好きとなったら、
全部読まなければ気が済みません。
だから、あんまり誰かのファンにならないように気をつけます。
(昔は、文学作品は死んだ作家のみと決めて読んでいました。
死んだ作家の作品は図書館にあるからです)

また、何かを始めたときもそうです。
もういいというところまで行ってみないと、気が済みません。
大体もういいところまで行くのに、10年はかかります。

いつでも何でも興味を持つと、止まらなくなります。
だけれども、私には自分の好奇心を満たすだけの財力が、いつだってありません。
本なら、図書館でただで借りられるからいいんです。
だけれども、大体のほかのものは、だめです。

この間も、ヨガの先生のところでマントラのチャンティングの練習をしていて、
「うまいから習えば」と言われたのですが、
そんなことしたら、インドまで行かなくては気が済まなくなります。
サンスクリット語も勉強しなくてはなりません。
だめです、だめです。
そんなお金、ありません。
(たぶん、お金に余裕があったらやる、私)

ほかにもはまらないように気を付けたのはバレエとオペラ。
両方とも、日本で鑑賞すると、何万円もかかります。
1度はまったら、本物を見なければ気が済まなくなります。
パリやロンドンに行ったときは、安い切符を買って何かしら見ますが、
それ以上は無理です。
(その点、コンテンポラリー・ダンスはチケットが安いの)

現在、自分の好奇心スイッチを入れないように注意している最中です。
入れてしまったら、大変です。
もう止まりません。
知りたくて死にそうになります。

幸いなことに、
私が全く関心がないのが人の噂。
小学校、中学校のころから、
何ちゃんは何君が好きという話には、全く興味がありませんでした。
今でもだれの旦那はどこの会社とか、全然、興味ありません。
これのおかげで、助かっています。

好奇心は大事だよねと言いますが、
そうとは限らないと、
私は知っています。

追記:ロンドンは美術館が無料なので、とっても助かります。ありがたい。

☆写真:かもめ、だよね。

2012年10月29日月曜日

ささいなことだけれども、できること


そろそろ10月も終わりですが、
今年の10月も、暖かい10月でした。
とてもウールを着られるような気温ではありません。
足もとはムートンブーツでも半そでなんていう人も見かけたりして、
秋と言っていいのかどうか、わからない月でした。

ただ、朝晩はそれなりに寒くて、しっかり秋の気配です。
朝だけは、少し厚めのコートを着たいなと思います。

最近、ついに私もエミュのブーツを買ってしまいました。
ムートンではなくて、ウールのライニングのものです。
今年から朝の犬の散歩という新しい任務がふえたので、
足もとを暖かくしたいなと思ったのです。
それで結局、ライニングがウールのもこもこのブーツを買ってしまいました。

はいてみると、
脚がすごく暖かい。
想像以上の暖かさです。
これを1度味わってしまったら、もうやめられないかもしれません。

私は、冬はほとんどブーツしかはかないのですが、
足首までのものをはいていると、
普通のパンプスが寒過ぎて、はけなくなります。
多分、足首から相当、熱が逃げるのだと思います。

同様に、帽子も1度かぶってしまったら、もう脱げません。
よく言われるように、
頭からも熱が逃げていきます。
足首と頭をおおうだけで、暖かさが全然違います。

昔、会社帰り、10時過ぎの東海道線に乗っていて、
冬になると、
冷たくて、角があって、固いものが嫌でたまりませんでした。
冷たくて、角があって、固いものとは、
電車の座るところの角が銀色の部分のところで、
それが手に当たったりするのが嫌だったのです。
それだけで、心がすさむのでした。

そうじゃなくて、私がほしかったのは、
暖かくて、丸くて、やわらかいものでした。
今、暖かくて、丸くて、やわらかいものを素足にはいてみて、
その優しさは、凍った心もとけるほどです。


五感を追及し過ぎると、堕落しますけれども、
五感の満足をあまりに無視すると、心が壊れます。
目に入る蛍光灯の光、
耳に入るテレビからの騒々しいノイズ、
肌にふれる冷たい金属、
味気ないジャンクフード、
コピー室の薬品のにおい、
それらに接している時間があまりに長かったら、
先に壊れるのは体ではなく、心です。

足もとを暖かくするだけで、瀕死の心は救われるのかもしれません。
自分が自分にできるのは、ほんのささいなことですけれども、
やると、やらないのとでは、結果に大きく差が出ます。
誰かの主義主張に負けないように、
自分を守る小さな一手です。
壊し屋は壊したきりで、決してもとに戻してはくれませんから。

☆写真:海岸に出ました。

2012年10月28日日曜日

派手に転ぶ

細い道を人をよけて自転車で通り抜けようとして、
うまくよけられなくてバランスを崩し、フェンスに激突、
派手に転びました。
幸いに、すごくゆっくり、
というか、ほぼ停止していた状態で転んだので、
ちょっと手に擦り傷ができた程度で、
けがはしませんでした。
けれども、
自転車のかごに入っていた鞄の中から、
本が外に飛び出たりして、
ドラマでよくある転ぶシーンのようになりました。
本当に鞄から本が出てくるんだ、
などと思いながら見ていましたけれど。

また、1度転んでしまうと、
なかなか素早い動作で起き上がれなくて、
少しの間、倒れたままになっていました。
車が通らない、裏道みたいなところだったので、
それでも大丈夫でしたが、
これが広い道だったら、大変です。

私がゆっくりした動作で起き上がろうとしていたら、
後ろから来たサラリーマンのおじさまが、
「大丈夫ですか」と明るい声で声をかけてくれて、
自転車をもとに戻して、荷物もかごに入れてくれました。
これもまた、ドラマでよくあるパターンで、
まだまだ日本にも、助けてくれる人がいるのだなあと、
感激しながら、お礼を言いました。

これがドラマだったら、
ここから物語が始まるわけなのですが、
現実世界なので、そういうわけではなく、
おじさまは、さわやかな笑顔で、
「無理しないで気をつけてくださいね」と言い残し、
去っていきました。

話はそれだけです。

それだけなんですけれども、
これは小さい出来事ながら、
タロットだったら、「タワー」です。
塔が崩れ落ちていく絵柄のカードです。
予期せぬ事態がいきなり起こる。

予期せぬ事態、しかも近視眼的には、いいとは思えない出来事も、
後になって、あのことがなかったら、
今の私はなかったかも、
と思えるような出来事になったりします。

ユングは、
「人の幸、不幸は死ぬときまでわからない」
と言っていますが、
本当にそのとおりで、
1つのよくないと思える出来事が、
本当によくない出来事かどうか、
早急に決めてはいけません。

その逆もまた言えて、
よいと思っていたことが、実はよくなかったということもあります。
だから、出来事はいつでもつながりを見ていかなくてはいけないのです。

多分なのですが、
おじさまが助けてくれたのも、偶然ではありません。
自転車で派手に転んだのは、電車からおりてからのことなのですが、
私は、その数時間か前に、
電車の終点で寝たまま気付かない高校生の男子に、
終点だということを教えてあげました。
なぜかというと、もう皆、電車からおりてしまって、
次の折り返し方向へと、電車が出発するところだったからです。
どういうわけか、おりる人たちは誰も彼を起こしてあげませんでした。
それで、新たに始発として出発しようとしている
電車に入っていった私が、彼を起こしたのです。

電車で乗りすごしそうになっている人を起こしてあげる、
自転車で転ぶ、
サラリーマンのおじさまに助けてもらう、
これは1つの流れです。
してあげたことが、返ってきているわけです。
次は、転んだことに対する何かが返ってきます。

こうやって、出来事の流れを追っていくと、
自分の人生もまた、立派な物語なのだと気づきます。

私は大きな流れにお任せしているので、
次のシーンのシナリオは書きません。
私は単なる役者であり、衣装係なので、
どんなシーンがやってきても大丈夫なように、
主人公の衣装だけは、きちんとしておくつもりです。

☆写真:今日は灯台近くまでで登りは終わり。また下っていきます。途中からハーバーを臨んで。

2012年10月27日土曜日

赤い靴


赤い靴というものは、
歌の歌詞にはなるものの、
実際にはいている人はとても少ない種類の靴だと思いますが、
今日は2人、赤い靴の人を見ました。
1人はブーツ、1人はストラップつきのパンプス。

赤い靴の人のイメージは、まず活動的です。
赤は火星の色でもあるので、
活発な感じがします。
自分から率先して行動する感じ。
活発で元気な女の子、
それが赤い靴をはいている女の子のイメージです。

特に今の秋から冬に向かう季節、
だんだんとみんなの足もとが黒くなっていくとき、
真っ赤な靴をはいているというのはとても目立つので、
私も目がぱっとその赤い靴へいきました。

そして、そういえば、私も20代のころ、
真っ赤なブーツ(これも伊勢丹で買ったもの)をはいていたなと思いだしました。
真っ赤で、スエードのショートブーツでした。
黒いパンツにあわせて、よく赤いブーツをはいていました。

たぶん、そのころの私のテーマ・カラーが赤で、
かばんもゴルチェの真っ赤なバッグだったので、
それにあわせて買ったのだと思います。
けれども、それだけではなくて、
「赤」という色の力を借りて、
積極的にいろいろ動き回ろうとしていたのだと思います。
色彩心理学など、全く知らなかった時代ではありましたが、
知らないうちに、自分で「赤」を選んでいました。

今はというと、
「赤」を選ぼうという気は全くなくなりました。
それはたぶん、もう「赤」が私に必要なくなったからだと思います。
「赤」の栄養を食べつくし、
もうそれが体の一部となったので、
もうこれ以上、取り込む必要がなくなりました。

ずっと好きな色というのがある一方で、
ある一定の時期、必要とする色というものもあると思います。
それは変わっていくのが当たり前だし、
変わっていかなければおかしい。

私の見えないエネルギーの場は、
色の栄養をとりこんで、
少しずつ成長しているはずです。
それは見えないかもしれないけれども、
必ず存在していて、
日々、変わっています。

何だか最近、この色が嫌だと思ったら、
やっぱり着ないほうがいい。
それとは逆に、この色が気になる、着たいと思ったら、
着たほうがいい。
足りない栄養を補うように、
エネルギーの場に不足しているものを、
色は補ってくれています。
そして、いつだって、
今、必要なのが何色かを知っているのは、
自分だけです。

☆写真:灯台まで登ったら、春にできたばっかりのカフェが。11時から開店でした。残念。

2012年10月26日金曜日

中性的な人

新しいものをあまりインプットしたくない最近なのですが、
逆に、古いものの見直しというか、
過去によく接していたものの見直しを今しています。

それで、最近よく聞いているのがユーリズミックス。
初めはベストを聞いていたのですが、
ミュージックビデオが見たくなって、
きのうからユーチューブでずっと見ています。

83年とか84年からですから、
かれこれ30年も前なのですが、
すごいのが、古臭さが全くないということ。
音もそうだけれども、それだけではありません。
あのときはわからなかったけれど、
アニー・レノックスのメイクや服装って、
時代を超えていたのだと今、気付きました。

アニー・レノックスは、ショートヘアにパンツスーツと、
中性的なルックスでずっと通しているのですが、
彼女がドレスを着て、かつらをかぶると、
まさに女装なんです。
女なのに女装というのが面白い。

そして、明らかに中性的なルックスから出発したほうが、幅が広いです。
何にでもなれる可能性を秘めています。
女にも、男にもなれます。

考えてみたら、
ファッション・モデルも、どちらかというと、中性的な魅力を持った人のほうが、
長く活動している気がします。
代表的な人はステラ・テナントかな。

中性的で、年齢をこえた感じ、
実はここがファッションを楽しむ上で、もっとも自由なポイントなのかもしれません。
女にも、男にも振れないで、真ん中にいること。
片側にいっても、すぐ戻ってくる。
あたかもホームに戻るように。
行ったきりではだめなんです。
行ったきりでは自由ではない。
つかまってしまいます。

考えたら、日本の着ものも、男女差がとても少ない衣服です。
だから、年をとっても似合うのではないでしょうか。
人間、年をとると、女とか、男とか、こえた感じにそれぞれがなっていきますから、
そこで、あんまり女の方向に針が振れた服装は似合わなくなる。
着られないことはないでしょうけど、
ものすごくいいかと言われたら、そんなことはない。

今、自分がしている格好が女装だとして、
自分の中間ポイントがどこなのか把握しておくと、
年をとって、何を着ればいいかわからないというときにヒントになるかもしれません。
年をとればとるほど、真ん中に戻ればいいわけですから。
現在のアニー・レノックスだって、着るものがなくて困るわなんて、微塵も思っていないはずです。

☆写真:中津宮に着きました。





2012年10月25日木曜日

「意味するもの」と「意味されるもの」

久々に、
「意味するもの」と「意味されるもの」の関係について考えてみました。

「意味するもの」と「意味されるもの」の関係が絶対的だと、
それは硬直し、
やがて死を迎えます。
生き生きとすることはできません。
そして、「意味するもの」と「意味されるもの」の分かれ目は、
文化によって異なります。
虹を7色に分ける文化と、3色に分ける文化の違いです。

面白いことに、
虹を3色に分ける文化圏に住み、その地域の言葉を使い生活していると、
決して、虹を7色に見分けることはできません。
「虹は3色」というラベルがかたく張り付いて、
離れないからです。
自由になるためには、「虹は3色」という考え方から、遠く離れなければなりません。

実際のところ、人間も地球も生きているので、
「意味するもの」と「意味されるもの」の関係は絶対的ではないのです。
それは恣意的、つまり、必然的ではなく、ずっと自由なのです。
虹を3色に分けようが、5色に分けようが、7色に分けようが、
勝手なのです。

誰かが、
「あなたにはワンピースが似合う」と言います。
その瞬間、あなたの世界は、
「ワンピースが似合う私」と、「その他のものは似合わない私」
に分割されました。
けれども、それは絶対的ではありません。
人間は日々、いえ、一秒ごとに変化する生き物であり、
「似合う」という言葉に込められた感情も、永遠には続かないからです。

けれども、時たま、「あなたにはワンピースが似合う」という言葉を絶対だと信じて、
ずっとそれを信じ続けてしまうことがあります。
信じ続けて、
ワンピースだけを着続ける自分が生まれます。
しかし、そうすると、あなたの毎日は生き生きしません。
一秒前と違う自分が言われた言葉を、その後何年も信じ続けたから、
心が止まってしまうのです。

また、あるときは誰かほかの人に、
「あなたはパンツ・スタイルが似合う」と言われます。
前の人は、ワンピースが似合うと言ったのに、
なぜ今度はパンツなのでしょうか。
それは、その人と前の人の好み、つまり文化が違うからです。
好みが違えば、言うことも変わります。
つまり、文化の数だけ好みがあり、言うこともすべて違うのです。

誰かに何かが似合うと言われるのは、そういうことです。
それを受け止めてしまったら、
あなたの心は、外側から鍵がかけられたように、
自由に飛び出していくことができません。
けれども、その言葉を受け止めずに、ただ流して、
次の一瞬、生まれ変わったら、
あなたは生き生きとし続けます。
生きているとは、そういうことです。
一秒たりとも、同じではないということです。

☆写真:江島神社を抜けて、もっと登っていきます。途中からの眺め。

2012年10月24日水曜日

昔と同じアイテムを

流行は繰り返されますが、
それに自分がのるかどうかは、また別の問題です。
私が10代のころ、80年代だったわけですが、
あのころの感じをもう一度と言われても、
それほど気持ちは動かないなと思っていました。
ところがきのう、アニエスbのお店の前を通り、
あの例の前にスナップボタンがついたカーディガン、
(プレッション・ボタン・カーディガンというそうです)を見たとき、
何だか、あれをもう一度、着てみたいわ、
などと思ってしまいました。

アニエスbを私が最初に見たのは、
新宿伊勢丹だったと思います。
すごく驚いたことを覚えています。
なんせ、ボーダーの長袖Tシャツが6800円もしたのですから!
もちろん10代の私が買うようなものではありません。
実際に買えたのは、最初に見てから5年後ぐらいだったと思います。
ブンカの学生のころ、やっと1枚、買いました。
忘れもしません。
ライトグレーと白のボーダーでした。
私はそれによくホワイトデニムのジーンズをあわせて着ていました。

プレッション・ボタン・カーディガンは、もっとその後に買いました。
私が選んだのは、黒で、背中にアニエスbのメッセージが白字でプリントされた、
スペシャル・バージョンでした。1万円ぐらいしたと思います。
同じものはあれ以降、二度と売っていません。

自分が1度通り過ぎたことのある流行がまたやってくるというのは、
面白いことです。
それをそのままのスタイルでまた着たら、
昔に戻ったみたいでおかしいし、
かといって、無視するのも面白くないし、
どういうスタンスでいくべきか、迷います。

でも、取り入れるとしたら、やっぱり進化させないといけませんね。
今、私がプレッション・ボタン・カーディガンを着るとしたら、
どうやって着るのか、
何が昔と違うのか、
そして、それを20代のころの私が納得できるようなスタイルに進化できるのか。
実際に買う前に、
頭の中でいろいろ想像をめぐらしてみて、
うん、これならいけるというイメージができあがったら、
買うかもしれませんが、
どうしても進化することができないなら、
そのときはやめておきます。
だって、同じふうに着たって、つまらないですから。

☆写真:江島神社の本殿。ここの茅の輪くぐりは、なぜか1年じゅうあります。

2012年10月23日火曜日

お肌が乾燥する季節

乾燥する季節がやってまいりました。
もともとストッキングをはいただけで、肌がかゆくなるぐらいなので、
化繊のものには注意が必要なのですが、
ちょっと油断したら、ショーツのウエストのゴム部分がかゆくなり、
ウエストに湿疹が出てしまいました。
もうこうなってしまったら、
普通の下着は無理。
ゴムもレースもだめ。
ウエストが限りなくゆるゆるのものでなければなりません。
でも、そういう下着は本当に少ない。
去年はある有名メーカーの、ウエストがゴム仕上げでなく、
ただ単に折ってあるだけで、
限りなくゆるゆるなショーツを見つけたので、
それをまとめ買いして助かったのですが、
今年はもうそれらが全部、くたばり過ぎてだめ。
で、また同じの出てないかな~と思って、お店をのぞいたのですが、
しっかりゴム入りしかなくて、ゆるゆるウエストがなくなっていました。

改めてほかの商品のラインアップを見ると、
締め付けるタイプは豊富なのに、
ゆるゆるのものはほとんどといっていいほどありません。
でも世の中、私みたいな体質の方だっていらっしゃるはず。

仕方なく、きのうはネットで、
アトピー肌用下着を検索。
それでも、ほとんどヒットしませんでした。
あんまりないので、
もう自分で作るしかないのだろうかとか、
ふんどしでもするかとか、
もんもんと悩みました。

かろうじて、陸前高田に工場があるメーカーさんの、
ウエストにゴムを使っていないタイプのショーツを見つけたので、
それを注文しました。
今、到着するのを待っているところ。

それにしても、世の女性は、みな締め付けるタイプがお好きなのでしょうか?
それとも、これもマーケッティングの結果なの?
締め付けると、体にも悪いよ、きっと。
せめて夜寝るときぐらいは、ゆるめたくはないかしら?
大体、ゴム入りパンツはき始めたのなんて、戦後だよね。それまでは違うよね。
白木屋デパートで火事があったときから、
女性がズロースはくようになったって、日本史で習ったよ、確か代ゼミで。

まあ、それもあって、友達とランジェリーのブランド立ち上げようとしたのですけれど、
もう私はやるつもりはないので、
誰かおしゃれでゆるゆるの下着を作ってほしいです。
メジャーにはならないでしょうけれど、
必要な人はきっといるはずですから。

追記:注文していたものが届きましたが、ウエストの中のゴムがきつすぎ。これではかゆいところが、もっとかゆくなってしまいます。また次を探します。

☆写真:お出迎え。

2012年10月22日月曜日

帽子

全身のバランスがおかしくない限り、
雨や曇りの日を除いて、
お出かけのときは1年中、帽子をかぶっています。
理由は、帽子が好きというよりも、
太陽光の刺激による片頭痛を避けるためです。
目に直接、太陽光が入って、
まぶしいなと思ったら、もうそれは頭痛の前兆なので、
そうならないためにも帽子をかぶっています。

今でこそ、町中におしゃれな帽子屋さんがたくさんありますが、
私がブンカに行っているころは、帽子があまり流行っていなくて、
売っている数も、かぶっている人数もずっと少数でした。
売っている数自体が少ないので、
なかなかお気に入りのものが見つからず、
途中から、買ったものだけではなく、自分で作ったものもかぶり始めました。
帽子作りは、工程が少なく、
パーツも小さいので、手作りとしては割合、簡単な方だと思います。
ちょっとぐらいずれてしまっても、
何とかごまかしがきくものです。

ここ、ニ、三日、涼しくなったので、帽子もウールのものに変えました。
これは自分で作った普段用のキャスケットで、
買い物や散歩など、どこへでもかぶっていきます。
同じパターンで2つ作ったので、どちらかをかぶります。

普段用はこの2つで事足りるのですが、
今、ちょっと格好つけたいときにかぶる帽子がありません。
いろいろお店で見て、いつも、あ、いいなあと思うのは、
イタリアのボルサリーノ製のもの。
格式のある、いい帽子です。
ただ、お値段が・・・。
帽子は、かぶると必ず直射日光に当たるので、
生地がいたむのも早いです。
大事にしたとしても、
やはり紫外線で変色してしまったら、もうだめ。
だから、なかなか高い帽子を買うには勇気がいります。

帽子というのは不思議なもので、
かぶると、装い全体の格が上がるような気がします。
皇室の方々の装いには、帽子がつきものです。
そこにはいつも「正装」の雰囲気があります。
だから、実用とかおしゃれだけではなく、
ちょっと正式な感じを出したいとき、
帽子をかぶるというのは、いい方法だと思います。

私はヨーロッパ旅行に行くとき、
必ず帽子をかぶっていきます。
石の造りの重厚な建物には、
この「正装」の雰囲気が似合うと思うからです。

上質な靴とコートと帽子で、
「正装」の雰囲気をかもしだしたら、
ホテルへ行っても、レストランへ行っても、
きちんとした対応をしてもらえるように感じています。

☆写真:江島神社につきました。

2012年10月21日日曜日

ロング・ヘアとショート・カット

うちのすぐ近くには高校があって、
彼らの登下校時間に当たると、
歩道が高校生たちでふさがり、全く歩けません。
だから、なるべく彼らが移動する時間は外しているつもりですが、
きのうは平気だろうと思ったら、
どうやら文化祭だったらしく、大勢の人が高校へ向かって歩いていました。

そんな高校生、特に女子高校生を見ていて思うのが、
ほとんどの生徒、たぶん9割ほどがロングヘアーだということです。
しかも、ポニー・テールも、ツイン・テールでもなく、
ワンレンになびかせているだけの子がとても多い。
これを見て思いだすのが、高校生のころの自分です。
そうです。
私も高校生のころ、ロングヘアーでした。
しかも、結ばずに、なびかせていました。

ただ今と違うのは、
当時、ロングヘアーは全く流行っておらず、
1学年200人の女子生徒の中で、ロングだったのは、
天然パーマでくりくりヘアのMちゃんと、さらさらストレートの私との2人だけ。
200人のうち2人なので、1パーセントです。
昔は今よりずっと校則というものが厳しかったのですが、
別にロングがいけないという校則はなくて、
私はただの一度も先生に文句をつけられたことはありませんでした。
また、冬に制服の上に着るコートも、女子全員が紺色なのに、
学年でただ1人、私だけがベージュを着ていましたが、
それについても何も言われたことはありませんでした。

とにかくあのころは、80年代アイドルのショートカットが主流で、
ロングのストレートは、それよりちょっと前の70年代アイドルの雰囲気のせいか、
全然流行っていなかったのです。

なぜ私がロングにしていたかというと、
1つの理由は、伸びるのが早いから。
今もそうなのですが、私は髪の毛の伸びが他人より早く、
ショートを維持するのがとても大変なので、
髪の毛の手入れが面倒になると、ロングにするのです。
あともう一つは、やっぱりみんなショートだったので、
同じのは嫌だったから、だと思います。

今は逆にロングが流行っているのでしょうね。
アイドルもロングヘアのほうが多いのでしょうか。
もし今、私が高校生だったら、絶対ショートにしたでしょう。

その後、アパレルに勤めていたころは、
表参道や代官山のかなり有名な美容師さんに10年間ぐらい、
ずっとショートに切ってもらっていたのですが、
病気を期に、美容院のためにそこまで行くのが大変になり、
ずっとロングにしていました。
けれども、ちょうど1年ぐらい前から、またショートにしています。
というのも、病気をしてから急に白髪がふえてしまい、
それをヘナで染めるため、ロングだと大変過ぎるからです。
結局、いつも髪型を決める理由は、
大変だとか、大変でないとか、そこで決めています。

髪型も、ボリュームをコントロールすれば、
服装をがらっと変えることも必要はありません。
私の場合、ロングのときも、ずっとまとめていたので、
ショートカットにしたとしても、全体のバランスは変わりません。
それよりも、髪の毛の色を変えるほうが、影響が出ます。
まだ白髪が出てないときの話ですが、
表参道のシマから、仲間と独立して代官山に移った美容師さんに、
カラーを強く勧められました。
たぶん、それはまだお店が開いたばかりで、彼女が暇だったからです。
私も長年の付き合いだったので、
いいよと言って、お任せで染めてもらったところ、
青っぽい黒髪にしてくれました。
(ボブに青っぽい黒髪なので、今考えたら、パンクです)
店を出るまでは気付かなかったのですが、
街のショーウィンドウに映る自分の姿を見て愕然としました。
それまで着ていた服の色が、全く似合わなくなっていたからです。
ああ、髪の色を変えると、ここまで違ってしまうんだと思いました。

ボリュームと色さえ注意すれば、
髪型を変えても、ワードローブはそのままでも大丈夫ですので、
たまに髪型を変えてみると、簡単に今風を楽しむことができます。
あと、今回、ショートにするにあたり、
表参道から、地元の安いところまでいろいろな美容室に行ってみました。
そうしたところわかったのは、
必ずしも青山や表参道の美容師さんではなくても、感覚のするどいいい美容師さんはいるということ。
そして、それは値段とは関係ないということ。
逆に、青山、表参道で、どんなに高くお金を出しても、
どうってことない美容師さんるということです。
値段も場所も、美容師さんの感性には関係ないようです。

☆写真:ちょっと脇にそれて岩場へ。

2012年10月20日土曜日

見えない光

大学に入ったころから20代にかけて、
私はあるお金をすべて、本、美術展、写真展、舞台、映画、音楽のライブに使っていました。
特に美術展、写真展など、都内でやるめぼしい展覧会は、
好き嫌いにかかわらず、片っ端から行きました。
当時はまだ、西武デパートや伊勢丹で、かなり質の高い美術展が開催されていました。
とにかく行って、見てみる。
いいとか悪いとか関係なく、見る。
こんなことをずいぶん長い間、繰り返したと思います。

数多く見たおかげで、
そのうち、よい作品がどういうものか、わかってきました。
これは、なかなか口で説明するのは難しいのですが、
よい作品というものは、
形としての絵、
たとえば、キャンバスと絵具という物体の上に、
見えない光が放射しているのです。
そして、この光は、印刷媒体になったとき、消えてしまいます。

見えない光は、遠くからでもわかります。
そして、それは瞬時に判断できます。
最近では、展覧会の会場に入った瞬間、その光を発している絵を見つけることができます。

美術史を勉強して、
教えてくれるのは、その作品の来歴や、テーマ、技法などですが、
この見えない光については、教えてくれません。
それはただただ、実物を見る以外、知る方法がありません。
そういう意味で、絵画を見ることも、一種の出会いです。

その光のすさまじさを知ったのは、パリのピカソ美術館へ行ったときでした。
私は別段、ピカソが好きではなく、
たまたま泊まっていたホテルから歩いていける範囲だったので、
散歩がてら、行ってみたのです。
それまでは、作品集で見るピカソの絵に、さほど魅力を感じてはいませんでした。
しかし、美術館の入り口付近の自画像を見た瞬間、
すさまじい見えない光に圧倒されました。
それは技法でもありません。
使っている絵具の色合いでも、
テーマですら、ありません。
見えない光の強さ、大きさがすさまじく、
それに気付いた幾人かは、凍りつくように絵の前で立ち止まっていました。
そして、そのとき初めて、ピカソの絵が多くの人々を魅了する理由がわかったのです。

では、どうしたら、その見えない光を作品に込めることができるのか、
それは私にもわかりません。
たぶん、誰も教えることはできないでしょう。
もちろん、デッサンがうまいだけで、そんな光を入れることはできません。
デッサンでも、テーマでも、スタイルでもない、
それ以上のものがないといけないのです。
そしてその光を放つ絵は、永遠に生き続けることができます。

では、どうしたら、その光がわかるようになるのか。
それはとにかく、見えないものを察知できるよう、練習することです。
見えるものがすべてだと思わない。
見えるものにだまされない。
その、練習です。

今まで最高度の見えない光を感じたのは、
フィレンツェのサン・マルコ美術館のフラ・アンジェリコの天使の壁画です。
神に仕えた画家のとらえた光が、
この世で最も美しく、強い、見えない光でした。
サン・マルコ美術館へは、どうしてもまた行きたいのと同時に、
まだどこかほかにも、そんな光を放つ絵があるのではないかと、
新しい出会いを探しています。

追記:日本で断トツ、見えない光を放っているのは仏像ですね。

☆写真:カヌーなのかな?、います。

2012年10月19日金曜日

2番目に出会うもの

どういうわけか、妙な癖がついてしまって、
初めに、これ、いい、大丈夫と思ったものは、大体だめです。
私には、確かにちょっと悪い癖があって、
遠くまで行くのが嫌なので、近場で済ませようとしたり、
何回も交渉するのが嫌なので、一回で済ませようとしたりするのですが、
それがやっぱり間違いで、
初めにいいと思った理由が、
近いからとか、
紹介されたからとか、
最初にネットでヒットしたからとか、
そんな場合は、大体が失敗です。

ただ、その失敗のおかげで、2度めがすごくよいということがあります。
最初がひどすぎたのか、
2度めがすばらしすぎるのか、
まずいまいちなものに出会って、
その後、いいものに出会い、
よりいいということを知るということが多いです。

このパターン、何とかしたいと思うのですが、
いいものに出会うための1つの試練かもと思ってみたり、
陰陽の考え方では、先に陰がきたら、次には陽がくるから、
いいような気もするし、
複雑な気持ちです。
結果よければすべてよしなので、
文句はないのですけれども。

ちょっとそれとは関係ないのですが、
「ロミオとジュリエット」でも、最初、ロミオはジュリエットでない女の子のことを思っています。
で、それからジュリエットに出会う。
そして、それこそが運命の人と思う。
それまでに、そうでない人と出会うというシーンがちゃんと入っています。
ということは、これでいいのかも、とも思います。

ただ、洋服は別で、
私は相当うるさいので、よく言う「一目ぼれ」で買うということは、ありません。
考えて、考えて、考え抜いたものしか買わないので、
特に最近は、これは失敗だ、ほとんど着ないというものは出ていません。
それはなぜかというと、
毎日の生活にかかわるものだということ、
そして気にいらないと絶対着ないだろうということがわかっているからだと思います。
その慎重さで、ものごとをすべて決断すればいいのかもしれませんけどね。
なかなか難しいです。

☆写真:江島神社の参道の入り口に着きました。

2012年10月18日木曜日

マヌカハニーとティーツリーオイル


ニュージーランド旅行のおみやげで、マヌカハニーをいただいて以来、
マヌカハニーが大好きになりました。
ハニーとはいえど、普通のはちみつとは全然違う味で、
キャラメルのような甘さの中にナッツのような香ばしい味と、
ミントのようなすーっとする味がまざっています。
これを薬みたいと言う方もいるようですが、
私は、とてもおいしいと思える味でした。
(ちなみに、普通のはちみつは嫌いです)

ちょうどそのころ、原因不明のから咳が続いていて、
喉の調子が悪かったのですが、
マヌカハニーを食べることによって、徐々に改善されました。
また、去年の冬は、風邪もひきませんでした。
それ以来、マヌカハニーを欠かしたことはありません。

私がマヌカハニーに夢中なころ、
うちの妹は、ティーツリーオイルに夢中になっていました。
きっかけは、姪の小学校で流行ったシラミです。
姪が学校でシラミをうつされて、何をやっても改善されず、
ネットで調べたところ、ティーツリーオイルがいいということを発見し、
そのとおりやってみたところ、シラミがいなくなったそうです。
それ以来、ティーツリーオイルを常備し、
うがいや殺菌など、いろいろ使い、
旦那にはティーツリーオイルのシャンプーとボディソープを使わせ、
おふろの洗剤もティーツリーオイル入りに変えるなど、
うちの中には、どこかしらティーツリーの香りがする状態になったそうです。

マヌカハニーはティーツリーの花からとったハニーで、
成分は似ています。
どちらも殺菌効果があります。
また、ティーツリーオイルはラベンダーと並び、
直接、肌に塗っても問題のないオイルです。

私はマヌカハニーを妹に勧め、妹も食べるようになり、
妹はティーツリーオイルを私に勧めて、家に常備するようになりました。

私はティーツリーオイルをたまにお風呂に入れるぐらいの使用方法だったのですが、
きのう、虫にさされ、肌がかゆくなった箇所があったので、
そこに塗ってみました。
そうしたところ、これがよくききました。
市販のかゆみ止めより早く、よくききました。
ついでに、ほかの肌のかゆみ箇所にも塗ってみましたが、
かゆみがすっとおさまります。
そして塗った後も、オイルはさらっとしていて、かゆみ止めほど、べたべたしません。
ああ、もっと早く知っていればよかった!

まだまだナチュラルなもので、本当にきくものはあるようです。
ただ、知らなかっただけ。
やはり、昔から伝わるものはあなどれません。

マヌカハニーとティーツリーオイル、今年の冬も常備します。

☆写真:橋の途中から江ノ島を撮影。

2012年10月16日火曜日

江ノ島

久々に江ノ島まで行きました。
そろそろ夏の名残りも消えたかなと思いまして。
実際は、そうでもなかったですが。
ゴールデンウィークから夏までの間、
本当に海の近辺は混雑します。
聞くところによると、江ノ電のホームに人が入りきらず、
外まであふれ出ているということです。
(そんなときは、絶対に行かないので、実際に見たことはありません)

けれども、そんな騒がしい海岸エリアも、
冬になると、ぐっと人も減り、
静かな日々が訪れます。
ですから、行くなら絶対、秋冬がお勧めです。

江島神社は、うちから思いついたらすぐ行ける距離なので、
春分、秋分、夏至、冬至や、
何か行き詰ったときには訪れます。
独特のゆるい空気が流れていて、
神社なのにリラックスできる、不思議な場所です。

最近は、初もうでも江島神社に行くようになりました。
お正月もとても混んでいるので、
行くのは旧暦の正月が過ぎてからにしています。
そうすると、お祓いもあまり待たずに受けられます。

江島神社には弁財天がまつられています。
弁財天は、インドの神様のサラスヴァティからきていて、
琵琶を手に持った、芸能の女神です。

そのほかにも、江島神社は、たぎりひめのみこと、いちきしまひめのみこと、たぎつひめのみこと
の宗像三姉妹の女神さまが御祭神です。
つまりここは、女神パワーにあふれた場所なのです。

豊穣な雰囲気、リラックス感、優しい感じ、
これらの気に満たされたかったら、江島神社へ行くのがお勧めです。

また、ここは龍のエネルギーも流れている場所。
いわゆる、パワースポットです。
富士山から続いているエネルギーの流れがあると言われています。
何か流れが滞ったり、行き詰ったとき、
ここを訪れると、すっと流れがよくなるような感じがします。

最後に、江島神社は島の中にあります。
本殿と社殿が3つあり、どんどん島を登っていく形になります。
全部、回りたかったら、歩ける靴で来てください。
かなり階段を登ります。
(エスカーという有料エスカレーターもあります。けれども、それも途中までです)

また、江ノ島の南側には、岩屋洞窟という、もと江島神社があった、楽しい洞窟もあります。
そこへ行くには、橋の途中から出航している遊覧船で行くか、
島を登って、また下るかです。
船で行ったとしても、帰りは徒歩ですので、
その場合も歩ける靴と、体力があるときにしましょう。

電車の便もよく、駅からも近いので、気軽な小旅行や気分転換にはぴったりです。
もちろん、鎌倉と組み合わせて回ることも可能です。

☆写真:江島神社の中津宮の説明の看板。こんなことが書いてあります。

2012年10月14日日曜日

料理が教えてくれること

お店以外の場所で、誰かが作った料理を味わうというのもまた、
その人を知るよい方法ではないかと思います。
女とか、男とか、関係なく、
誰かが作ってくれた料理は、
それがおいしいにこしたことはないのですが、
それを食べることによって、
言葉以上の何かが伝わるのではないでしょうか。

すごく丁寧に、こちらのことまで考えてくれて作った料理を食べたなら、
その人の深い思いやりが感じられて、
おいしいという以上に感激しますし、
逆に、ぞんざいに作られていて、何だかそっけないな、という味もあります。

これは自分が自分に作る場合も同じことで、
私なども、やりたくない仕事をして、
心が疲れきっているときに料理をすると、
自分でも、何だかおいしくないなと感じられるものができ上がります。
疲れた、早く作りたい、
そんな気持ちが、料理にうつるようです。

お互いを思う気持ちを送ったり、送り返したりすれば、
2人の関係は深まるでしょうし、
どうでもいい気持ちを、料理を通して伝えたなら、
その関係は早々と消えるでしょう。

どんなにおしゃれをしても、
きれいにメイクをしても、
素敵な言葉を選んでも、
作る料理はごまかせません。
ごまかせないものが、いつでも何かの決定的な要因です。
見えないものとか、形のないものはごまかせない。
「おしゃれ」のことをあれこれ考えるのと同時に、
見えないけれども伝わってしまうものについても、
いつでも心を配らなければ、と思います。

☆写真:自作のテーブルクロスとナプキン




2012年10月13日土曜日

おもてなし

一時期、「おもてなし」に凝っていた時期がありました。
要は、お金がなかったので、外食するぐらいなら、
うちへ来てもらって、
私がスリー・コース・メニュー(前菜、メイン、デザート)を作って、
ついでにタルトなんかも焼いちゃって、
お茶を出すというスタイル。
12時ごろお呼びして、皆さん、帰るのが6時ぐらいな感じ。
買ってきたものを並べるということはなく、
私が作ったものとお茶というスタイルで、
10年ぐらい、2カ月に1度は誰かを呼んでいました。

1週間ぐらい前からメニューを考えて、
私の場合はデザートも作るので、
お気に入りのお菓子の本を片っ端からめくってみて、
その時期に食べたいものを考えて、
前日に買い物、掃除、お菓子の仕込みをして、
当日の午前中はトイレ掃除とご飯作り、みたいな感じで、
あわただしく用意するという形でした。

ただ、私の場合、大人数というのはいつも苦手なので、
お呼びするのは1人か2人。
いつもお呼びする仲のいいお友達もいれば、
何かで偶然お知り合いになった、
1回限りの方もいました。

そのために食器やカトラリーもそろえて、
テーブルクロスやナプキンは、麻布を買ってきて、自分で縫って、
庭のお花はいつも何かしら切れるようにして、
お茶の葉はハロッズやマリアージュ・フレール、
ときにはフランスのパレ・ド・テから個人輸入したりして、何種類か用意しておきました。
それでも外食するのに比べたら、ずっとお金がかかりません。
お茶1杯の値段なんて、知れています。

これをやり続けたおかげで、
掃除、仕込み、当日の花生け、料理とお菓子作り、自分のしたくを全部1人で短時間の中でこなすことができるようになりました。
一人でやるので、常に何か2つ以上のことを同時進行でやります。
ただ、ぼけっと、お菓子が焼けるのを待っていてはとても間に合いません。
これが自分の身に着いた最大の技術。

また、初めはお金がないという理由で始めたことでしたが、
誰かと自分の家というリラックスした空間の中で食べたり、お茶を飲んだり
(私の場合、お酒はなし。アルコールは自分が飲まないので出しません)
することによって、ただ、外でお茶を飲むよりも、
多くのことが分かったなと思います。
人は、リラックスして食べたり、飲んだりしているとき、
ふだんとは違う一面を見せるものです。

そうやって一緒に時間を過ごす中で、
ふいに想像もしていなかったような言葉が飛び出します。
それを聞いて、この人は信頼できるなと思えたり、
この人とは、これ以上、続かないかもと感じたりすると、
大体、そのとおりになりました。
関係を長く続けるには、
その人の、「よそ行きの顔」でない部分を知る必要があります。

家というリラックスできる空間で、
だらだらとお茶を飲んで、
他愛もない話を延々と続けて、
そこから生まれる関係。
それが楽しいなと思えた方たちとは、
どうやら、長く続くようです。

☆photo:plants from my garden






2012年10月12日金曜日

豊かな庭

なぜだかはわかりませんが、
今年の春から夏にかけて新しく植えた植物たちの多くが、
根づかずに、ほとんど枯れてしまいました。
場所が合わなかったのか、
夏が暑かったからなのか。

庭仕事をしていると、
自分の思い通りにならないことばかりです。
咲いてほしいバラはなかなか大きくならなくて、
どうでもいいやと思ったバラは大きくなります。
頼んでもいないのに、
どこからかバラの天敵であるカミキリムシがやってきます。
やっときれいに咲いたと思えば、
台風になぎ倒されて、
こぼれ種から、いろいろなところにカモミールは生えてきます。

植物たちは、その場所が気に入らなければ、
自分からどんどん枯れていきます。
合わせるなんてこと、しません。
気にいりすぎると、こちらが思った以上に大きくなります。
成長の速度がはやすぎて、
こちらのことを待ってはくれません。

去年の今ごろ、あの花が咲いたなと思っても、
今年も同じように咲くとは限りません。
大きく立派になったバロン・ジロー・ド・ランも、
ある日、ぱたっと枯れてしまいました。

そんなことを何年も繰り返していると、
こちらも、もうあきらめます。
無理に咲かなくてもいいよ、と思います。
だめなものは、だめだよね、と。

それでもどうしてなのでしょう。
庭に出ると、癒されます。
「癒し」などという言葉以上のものが起こります。
バラの香りが背後から私を呼んで、
すべてをふっと忘れてしまう瞬間があります。
私という身体の外側と、
バラの花びらの外側が溶け合います。
弱い日差しが続く冬の日、
黄色い水仙が咲くのを見ると、
寒さでかたくなった心が、ゼリーのようにゆるんでいくのを感じます。

雑草を抜いたり、
虫に食われた部分を切ったり、
庭仕事が終わる日はないけれども、
その労力以上のものを庭は与えてくれます。

その与える力は、
くめどもくめどもかれない泉のように、
底なしであり、
地球が健全に機能している限り、続いていきます。

私は、その地球からの恩寵をいただいて、
少しずつ元気になりました。
今まで、本当に癒す力を無償で、かつ無尽蔵に与えてくれたのは、
植物だけです。
植物は、本当の力を持っています。

☆写真:芝生、伸び放題。

2012年10月11日木曜日

すべての小さなワン・シーン

生活の1シーン、1シーンは、どれも等しく重要です。
仕事をしているときとか、
デートをしているときだけが重要なのではありません。
起きているときも、寝ているときも、
すべて同じように大事な1シーンです。

だけれども、ファッション業界の方々は、
すべての小さな1シーンについては関心がないようです。
通勤着、お出かけ着、パーティー・ウエアには力を入れても、
(もしくはスポーツ・ウエアなどある特定の分野)
そのほかのところは手抜きというか、
提案がなされていないように感じます。

というのも、今、私が困っているのは、
朝寒い時期のゴミ出しのときに何をはおるかということなのです。
悩むというほどではありませんが、
土日を除いて毎日必ずあるシーンで、
これがなくなるということもないですし、
結構いろいろな人と出会います。
近所で知っている方もいれば、全く知らない方など。
そんなときに着ていく服が見当たりません。

会社勤めの方などは、
通勤の途中で行くかもしれませんが、
私の場合、必要なのは、起きぬけに寝ていたときに着ていたものの上にちょっとひっかけて、
それでも誰かに見られてもはずかしくないレベルで、
しかも、さっきまで寝ていたのですから、
まだリラックスの途中というか、
いきなりウールのかちっとしたコートなんかじゃなくて、
レギンスの上にはおることもあるから、おしりが隠れる丈じゃないとだめで、
さっとはおれて、部屋に帰って着ていてもよくて、
軽いもの、
なんていうものなのです。
感じとしては、ローゲージニットのロングカーディガンなのですが、
あれは真冬には寒すぎます。
すかすかですから。
ローゲージニットのロングカーディガンぐらいのリラックス感で、
しかも寒くないもの。
そんなものを考えているのですが、
これが案外、ありません。

フリースのロングジャケットならいけるのかも、と思いますが、
それだってあまり売っていない。
私の場合、ごみ出しと犬の散歩は同じ上着でやりたい。
そうなると、キルティング、またはライトダウンのロングジャケットまたはコートかななど思うのですが、
これといったものがまだ見つかっていません。
(マッキントッシュのキルティング・コートはいいと思うのですが、値段がね・・・)

言えるのは、通勤着ほどたくさんの種類が出回っていないということ。
選べるほどないということ。
でもやっぱり、ごみ出しだって生活の中の大事な1シーンなんです。
しかも生活している人、みんなやっていること。
時間で考えたら、パーティーに出席するよりずっと長い時間、ごみ出しに費やしているんです。
その時間も格好つけたいということではなく、
その時間も納得のいくものが着たいということ。

そんなふうに考えると、
まだまだ隙間はあります。
生活のどんなシーンも等しく重要と考えないと、
そこからいろいろなものがこぼれ落ちます。
仕事だけが重要だと考えると、
仕事をしていないときを低く見ます。
だけど、絶対、そんなことはない。
どの時間も等しく重要なんです。

全部ひろい上げて、
全部大事にしたい。
一つ一つ、つなげる真珠をちゃんと選ばなかったら、
素敵なネックレスにならないように、
どこか一つでも手を抜いたら、
素敵な人生にはなりませんから。

追記:これはごみ出しだけのときじゃなくて、幼稚園のお迎えママたちを見ても思ったの。どうしてみんな似てるのかしらって。でも、あれしか選択肢、ないんだよね。幼稚園の送り迎えだって、立派な1シーンなのにね。

☆写真:いちじく+ブルーベリー+ラズベリーに、アサイー・パウダーを入れてみました。味は落ちるけど、抗酸化力アップ。

2012年10月10日水曜日

ラベルをつけないで


ワードローブの数はミニマムにしている私ですが、
デザインがシンプルなものばかり、というわけではありません。
ボトムは割と普通なものを選びますが、
そのほかは、どちらかというと、デザインもののほうが好きです。
人と同じというのが嫌いとか、
コンサバは苦手とか、
モードっぽいのが好きとかあって、
あんまり人が着ないようなものを選ぶことが多いです。
ときたま、コーディネイトするとき、間違って、定番ものばかりになってしまったりすると、
自分らしくないなと思い、失敗したなと思います。
みんなと同じというのが嫌なんです。

みんなと同じものって、
そこだけすごく情報がのっているというか、
意味づけがされているというか、
特定のイメージがついて回るので、
それが嫌いです。
そこから離れたい。
ずらしていきたい。
固定されたくない。
○○世代とか、呼ばれたくない。
マーケッティングされたくない。
名前をつけられたくない。
ラベルをつけないでほしい。

何かの講座でちょっと会っただけの相手に、
いきなり、
「あなた、それで一体いくつなの?」
と聞かれましたが、
そんなこと、私は答えません。
そんなことを聞いて、何を知ったつもりになるのでしょう。

どこまで逃げ続けられるか、
挑戦してみるつもりです。

☆写真:ミネラルメイク、快調です。パッケージのデザインもいい。そして、Beauty Without Crueltyという名前も素敵です。

2012年10月9日火曜日

全部、お任せ

「誰も教えてくれなかったおしゃれのルール」のブログのほうなのですが、
テーマは何となくあらかじめ決めてあっても、
実は書く内容は、ほとんど決まっていないまま書き始めています。
もう既に経験とか知識とか、頭の中には入っている世界のことを書いているので、
資料を調べて書くということも、ほぼありません。
(ごくたまに、語句と人名について調べたりしますが)
テーマだけ決めておいて、
どんどん書き始めてしまいます。
そして、書きながら、
この話はどこに落とし所がいくのだろうと、
どきどきしながら先に進みます。
実は、自分でも話がどこにいくのか、わかっていないのです。
特に最後の段落なんて、
全然、決めていませんし、予想もしていません。
ですから、書き終わってみて、
へえ、そうなんだとか、
そういうことを言いたかったのかとか、
自分で思います。

よく作家の人たちが、文章の神様がおりてきた、などと言いますが、
私も、自分ではない誰かがおりてきて、文章を書いてくれているような感じになります。
ただ、そういうときって、
イメージのほうが早く、書くスピードが追いつかないので、
結構、てにをはに間違いがあります。
私についている神様は、てにをはにはうるさくないようです。
とにかくイメージや、象徴的な言葉が先なので、
それを忘れないように書きとめている、というような感じです。

この、なにものかにゆだねる感覚は、とても面白いです。
行き先は任せるわ、
という感じで、全部、お任せです。

そういうわけで、いつもネタの在庫はありません。
そのときの思いつきです。
でも、心配はしていません。
私でない誰かがやってくれていることなのですから、
大丈夫でしょう。

そして、これは多分なのですが、
人生がうまくいき始めるのも、
このお任せのパーセンテイジが限りなく100に近づくときなのではないかと思っています。

自分で何でもやらなければいけないという思いを捨て、
流れに身を任せて、どこにたどりつくかはお任せしてしまう。
そうなったとき、人生がもっと楽しくなるような、そんな気がします。
(だからね、もう無理やり何かしようとか、しないよ!)

☆写真:球根、届いた。植えねば。

2012年10月8日月曜日

雑誌好きだけど

私は昔から、文章+ヴィジュアルという「雑誌」という媒体が大好きなのですが、
最近、電車に乗っていると、雑誌を読んでいる人は、本当に少なくなったなと感じます。
今ほど、インターネットが発達していないとき、
ファッションの情報の主な源は雑誌だけでした。
日本国内も含めて、フランス、イギリス、イタリア、アメリカ、
洋書を見なければ、どんな表現が、どんなスタイルがはやっているか、
わからなかったものです。
ただ、これだけネットが発達してしまうと、
コレクションの情報も含めて、ネットを見ればすぐ出てきます。
しかも、紙の媒体よりも、ずっと速い。

それでもまだ、私は雑誌が好きなのですが、
残念なことに、最近の雑誌は企業とのタイアップ記事が多く、
だんだんとカタログ化しています。
そして、編集方針が変わった途端、
名前こそ同じだけれども、何となく違った雰囲気を持った、
違う雑誌になってしまうことも多いです。
あと、何となくなんだけれども、
記事が編集内部で作られているのではなく、
下請に出している雰囲気がします。
もちろん内部事情は知らないけれども。
そうすると、雑誌のオリジナリティはどんどん薄れていくんですよね。
なんとなくどの雑誌も似てきているのは、
そんな理由もあるのではないかなと、推測しています。

アパレル業界にいたとき、すごくつらかったことは、
本屋に行けないということでした。
本屋があいている時間に帰らせてもらえないからです。
もちろん、まだアマゾンなんてものはありませんでした。
仕方がないので、いつも駅のキオスクで雑誌を買っていました。
そこでいつも買った「オリーブ」は、
本当に私の心の支えになってくれていたなと思います。
新しいことを教えてくれる窓口は、雑誌だけでしたから。

今でも毎月買っているのは「フィガロ」です。
私にとっては最後のとりでという感じ。
月刊になって、ちょっと感じは変わってしまったけれど、
そして、もう心の支えというほどでもないし、
唯一の情報源でもないけれども、
それでもやっぱり買いたいなと思える雑誌です。

海外にはまだまだ素敵な雑誌があるようです。
「Lula」とかね。
日本にも、そういう雑誌が生まれるといいなと思います。

紙をめくるときのわくわくした感じ、
何度も何度も繰り返して見て、
いつも新たな発見があって、
何年たっても、記憶の片隅にちゃんとあるような、
いつまでも捨てられない、
思い出以上に、影響力を持った、
そんな雑誌があったらいいですね。

☆写真:猫の横顔が好き。

2012年10月7日日曜日

昔の服が着られない理由

この前、友達と、昔の服を着ているかどうかという話になって、
彼女は、全然、着ないということを言っていました。
理由は、体型が変化してしまって、
つまり、太ってしまって着られないと。
確かに、いいものだろうと、まだ着られるものだろうと、
物理的に入らないという状況だったら、着られませんね。
私は、自分があまり体型変化がなく、
(たぶん、一番体重があったのは高校生のとき)
太ったから着られないというものがないので、
その視点は欠けているなと思いました。

体型の変化って、激しい人は、
やせたり、太ったりを繰り返すみたいだけど、
そのたびに服を全部変えていたら、大変ですね。

特に2000年ごろから、服がタイトになっていったので、
体型と服の関係はシビアだったと思います。
代表的なものはスキニ―・ジーンズでしょう。

もう既に、2013年春夏のコレクションが世界各地で始まっていますが、
今回のコレクションでシルエットの変化は決定的になりました。
ビッグまではいかなくても、
風をはらむようなシルエットが主流です。
そうなると、ウエストの5ミリの違いで似合わなくなるような服もなくなります。
2000年代以降って、ファッションとしては、難しい時代だったんじゃないのかしら。
それより前の80年代、90年代はもっとゆるかったですし。

きのうの新聞に摂食障害のことが載っていて、
「やせる」のがよいとされる風潮とともに、患者さんがふえているということでしたが、
そろそろ、その風潮も見直されてしかるべき時期にきていると思います。
というか、やっぱりそれはおかしいでしょう。

本当は、やせていようが、太っていようが、同じようにファッションは楽しめるはずです。

日本だって、着ものの時代はそうだったのだから、その感性を取り戻せばいいだけの話ですから。

☆写真:近所の農家から買った洋ナシ。うちの近辺は洋ナシも生産しています。

2012年10月4日木曜日

秋は「縛り」の少ない季節

きのうの湘南は、最高気温が20度ぐらいと、すっかり秋になりました。
桜の葉もずいぶんと黄色くなって、
風に吹かれて落ちています。

やはり、真夏の暑さや、真冬の寒さがないときのほうが、
おしゃれが楽しいのは事実。
人間ですから、まず暑さ、寒さ対策をするのは当たり前。
そして、それが1つの「縛り」になりますから、
その「縛り」は一つでも少ないほうがおしゃれはしやすいです。

けれども、「縛り」が何もなければいいかというと、
そうも言えないのも事実。
たとえば、ものすごいお金持ちで、
お金で何でも解決できる。
それこそ何でも買えてしまう。
洋服だけではなくて、スタイルも、美貌も、すべて欲しいものは手に入れられて、
何の「縛り」がないというのも考えものです。
なぜなら、何も「縛り」がなかったら、葛藤が生まれないから。
葛藤がなかったら、努力しません。
努力しないと、おしゃれ力もつきません。
お金があったら、
素敵なスタイリストを雇えるかもしれないけれども、
それじゃ、いつまでたっても、自分の力にはなりません。

今ごろのような、寒さ、暑さの「縛り」がない季節は、
それまでに培ったおしゃれ力を発揮できる、貴重な時期だと思います。
暑さ対策で悩んで、
寒さ対策で悩んで、
自分の体型に悩んで、
少ない予算に悩んで、
葛藤して、努力して、知らない間についたおしゃれ力は、今なら存分に発揮できます。

長いコートに身を包む前の、
ほんの短い季節だけれども、
今は、純粋に、単純に、子供のように、おしゃれを楽しみたい。
まるで、1つの葛藤から解放された、主人公のようにね。

☆写真:リコリス

2012年10月3日水曜日

お守りとしてのジュエリー

全体のコーディネイトとしてのジュエリーという装い方もありますが、
それとは別に、
お守りのように、いつも同じジュエリーをつけるという考え方が、私はとても好きです。
それは別に高価なものでなくてよくて、
それをつけていると何となく安心する、
うまくいくような気がする、
守られている感じがするといったことのために、
いつも同じものをつけるというやり方です。

一時期、ダイヤモンドのペンダントをつけていましたが、
最近はもっぱら、このジィオデシックのマジョペンダント。
ゴシック調の銀の爪にルチルクオーツが入っています。

マジョペンダントは、ジィオデシックの定番なのですが、
ルチルクオーツはある期間だけ扱っていたもので、
しかも、好きな石を選べる形だったので、
同じものを身につけている人はいないはずです。

ペンダントなので、自分では見えないのですが、
何となく不安になると、
無意識にこの石を手でさわっています。
ちょっと重量があるので、1日していると疲れるけれども、
最近、外出するときは、いつもこれです。

もちろんジュエリーにも流行がありますけれども、
洋服ほど激しくはありません。
そして、小さい規模でやっているブランドがたくさんあるので、
自分だけの一点を見つけて、それをずっと愛用するのが楽しいです。

あと私が気をつけているのは、
真鍮やメッキのものは、
どんなにデザインが気に入っても、買わないということ。
要らなくなったとしても、ちゃんとリサイクルできるものでないと、嫌だからです。

ジュエリーってたくさん持っている必要はないと思うけれども、
信頼できるものが1つでもあれば、
それは本当に心強い味方だと思います。

☆写真:ジィオデシックのマジョペンダント

2012年10月2日火曜日

ジェンダーをこえたファッションって・・・

時代によって、はやるファッションの方向性が変わるわけですが、
たしかに、海王星が山羊座だった時代、
男とか女とかいった、ジェンダーをこえたファッションがはやりました。
イメージとして、どんな感じかというと、
デヴィッド・ボウイや、アニー・レノックスです。
どちらも太陽星座が山羊座なのですが、
両性具有的で、ファッションも、男性だけど女物を、
女性だけど、男物をというスタイルです。

ただ、私は、これはこのときだけのものであると思っています。
もちろん、次の海王星山羊座時代には、どうなるかはわかりませんが。

こんなことを考えていた理由は、
おとといぐらい、電車でミニスカートの男性を見たからです。

その人は、年のころは30代半ば、上半身はワイシャツにネクタイ、
持っているものは黒いリュック、
足もとは靴下に男物の靴。
髪は長めではあるけれど、普通の男性の髪形。
もちろんメイクなど、していません。
それなのに、どういうわけか、
ボトムだけが、女子高生がはくようなミチェックのミニスカートでした。
気付いたのは、スカートから見える脚が、すね毛だらけだったからです。


一時期、ジェンダーをこえたファッションが流行したからといって、
それが主流にはならないだろうし、
今の人たちの気分じゃないだろうなと、
その人を見ながら、ぼんやり考えました。

さすがに、小田急線ぐらいだと、
見て見ぬふりをして、何事もなかったかのように皆、していましたが、
女子高生たちだけは、
ジェスチャーで、ほら、あれ、見て、見てと、
仲間に伝えあっていました。

スコットランドに行けば、
キルトのスカートの男性が本当に街を歩いていましたが、
あれはどちらかというと、民族衣装ですから、
日本でいえば、着ものと同じ扱いです。

偶然にも、その男性とおりる駅が同じだったわけですが、
その人は、そそくさと、何か急ぐように、走り去っていきました。
それを見て、
ああ、やっぱりこれはファッションでミニスカートをはいているのではなく、
何かの罰ゲームなんだと、私は思いました。
そして、罰ゲームだとしたら、本当に気の毒です。


男の人がスカートをはくことは、別に誰にとっても快感というわけではないでしょうし、
素敵なわけでもありません。
あと、あの姿では、いざというとき、戦えません。
そんなファッションは、やっぱり流行らないと思います。

☆写真:白いバラは買ったもの