2012年9月29日土曜日

コウモリ

おととい、夕暮れの写真をとったのですが、
実はそのとき本当にとりたかったのは、コウモリでした。

「たそがれ」と呼ばれる薄暮のビルの合間を、
不思議な飛び方をする動物が、あっちからこっちへと、
こっちからあっちへと、ひらひらと飛んでるのがかすかに見えました。
見えるのはシルエットだけ。
あれは鳥の飛び方ではない、
けれども、蛾にしては大きすぎる、
しかも時間は、明りがなくては、
人々の顔がはっきり認識できないたそがれ時。

そのときふと、あれはコウモリなのだと気づきました。
2匹のコウモリが、たぶん、餌になる虫を探して、
ビルの間を行ったり来たりしています。
飛行機の曲芸飛行のような、不思議な旋回方法で、
猛スピードでひらひらと、
薄暮の中を飛び交っていました。

その姿を写真に撮りたいと思ったのですが、
やはり、被写体がはや過ぎてとても無理でした。

ここは都会ではないけれど、
人々がたくさん住む町で、
近所に山も海もないところ。
コウモリはどこからやってきたのでしょうか。

私の想像では、
あの2匹は夫婦で、子育て中で、必死にえさを探しているのだと思えました。
人間の目が弱くなったこの時間を狙って、
住宅街までやってきて、
命がけで餌をとっているところなのだと。
誰も自分たちに気づいていないと知りながら。

見たことがないものは存在しないとか、
聞いたことがないものは存在しないとか、
そんなふうに私たちは、勘違いしながら生きていますが、
こんな近くにコウモリがいるように、
はっきり見えなくても、
小さくて聞こえなくても、
どこかで出会ったことがなくても、
絶対に、そこに存在しているものはたくさんあるのです。

見てないふりだったり、
聞こえないふりだったり、
そんなふりばかりしている間に、
こぼれおちていくもの。

薄暮の中、
人間の目をかすめて、自由に空を飛ぶコウモリのような、
そんなたくさんの存在に気づけたなら、
起る出来事の意味は、もっと深くなって、
無視することができなくなるでしょう。
そして、見えることだけ、聞こえることだけで判断する、その間違いに気づきます。

見えないものを見ようとして、
聞こえない音を聞こうとして、
そうやって見つけたものの中にこそ、
真実があるような、そんな気がしています。

☆写真:某所。素敵な窓辺。

2012年9月28日金曜日

メイクの話の続き

メイクにも、もちろん流行があります。
今はメイクがすごく盛んな時だと思います。
女子高校生までフルメイクで登校してますから。

きのうも書いたように、
私がアパレル業界にいたころは、
どちらかといえば、あまりメイクは流行っていませんでした。
マスカラもほとんどの人はしていなかったと思います。
(ただ、口紅だけは付けているという人は多かったと思います)
今は二重つけまつげの人から、ノーメイクの人まで、
幅広い選択肢があると思います。

メイクとファッションにも、やはり相性があって、
濃いメイクが似合うものと、そうでないものがあります。
たとえば、ナチュラルな色合いのきなりの麻には濃いメイクは似合いませんが、
派手なひょう柄にはノーメイクは似合いません。
ヨガのレッスンウエアに、濃いアイラインは必要ないですが、
フラメンコの練習用の衣裳だったら、濃いアイラインも似合うでしょう。

よく言われるのが、着ものにノーメイクはだめだということ。
ノーメイクでもいいのは、旅館の浴衣ぐらいで、
着ものを着ているのにお化粧をしないのは、おかしいようです。
これは、木綿はノーメイクでもよいが、
絹にはメイクを、ということだと思います。

重厚な素材にはちゃんとしたメイクが似合う。
ナチュラルガールには限りなく薄いメイクでいいけれども、
ゴシックロリータは、やはり濃いメイクが似合う。

一概に、こういう場合はこのメイクをとは言えませんが、
いつも同じではなく、
着ているものの素材や、テイストによって、
ほんの少し何かを足してみたり、引いてみたりするだけでおしゃれに見えてくると思います。
それはライン1本、ほほ紅一はけでいいのです。
何を足したらいいのか、ひいたらいいのかは、
それぞれのお顔によって違うでしょうから、それは考えてみてくださいね。

☆写真:夕日

2012年9月27日木曜日

メイクの話



私がブンカに通っていた頃、
コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトの影響で、メイクをするのはコンサバ・ファッションの人で、
ノーメイクがモードっぽいとされていました。
ですから、友達もメイクをする派としない派が2つにわかれていて、
私も、どちらかというと、眉毛をかくぐらいで、メイクはあまりしませんでした。

ところが、働きだしてから、あまりにも不規則な生活のせいで、
顔じゅうがにきびだらけになり、自分でも鏡を見るのが嫌なほどになりました。
そのとき一緒に働いていた同僚のOさんも、私と同じように顔じゅうひどいにきびになり、
2人で、本当にひどい顔をしながら仕事をしていました。
平日の日中はもちろんのこと、土曜日も休みではなかったので、
病院にも行けず、2人で仕方なく仕事をしていたところ、
2つ上の先輩が見かねて、クロロフィル化粧品がいいと教えてくれました。
幸い、会社の近くにクロロフィルの支店ができたところで、
あるとき、私はOさんと一緒にそこへ行きました。

クロロフィルの化粧法は、一風変わっていて、
にきびを特殊な器具を使ってつぶし、その上から、お茶の成分が入った、
クリームでふさぐというものでした。
メイク落としも化粧水も何から何まで緑色で、
(あれはどう考えても何かの着色料だと思いますが)
とにかく、お茶の成分で殺菌して、空気や水に触れさせないという方法でした。
なるべく空気にふれないようにするため、日中は、その緑色のクリームの上に粉をはたき、
メイクをすることを勧められました。
それまでは眉を書きたすぐらいで何もしていませんでしたが、
それをきっかけに、私はクロロフィル方式の化粧法でメイクを毎日するようになりました。
そうしている間に、あんなにひどかったニキビは、見事になおりました。

数年間はその化粧法で化粧をしていましたが、
アパレル会社をやめて、自宅で仕事をするようになったことや、
クロロフィルの化粧水をわざわざ買いに行くのが面倒になったことなどから、
いわゆる普通の化粧方法に変えました。
それでも、誰とも会わない予定のときは、メイクはせず、外出のときだけ、
メイクをする日々でした。

最近、外出したり、お客様と会ったりする機会が多くなり、
いわゆるケミカルメイクでは、お肌がだんだん疲れてきました。
それで、ミネラルメイクにしようかと思い調べてみたところ、
下地の上に粉という方法は、
粉をのせる道具がはけとパフという点が違えども、
方法としてはクロロフィルのやり方と同じだということがわかりました。
クロロフィルの化粧をしていたころは、
旅行のたびにパウダーを持って歩いていましたから。
(ロンドンに行ったときも、クロロフィルの化粧道具を持って行きました。
だけれども、クロロフィルの下地って、すごい緑色なんです。
私は暗い明りの洗面台で化粧をして、下地を塗り過ぎた上に粉をはたいてしまい、
ものすごく顔色が悪い人のまま、街を歩いていたところ、
すれ違ったおばさんが、何やら気の毒そうな顔をして私のことを見るので、
何が変なのかしらと思い、
明るくなって鏡をみたら、自分の顔が真っ青になっていて、自分でも驚きました)

最近、またあの下地の上に粉という方法でベースメイクをしていますが、
ミネラルメイクだと、圧迫感がなくて、朝から晩まで、毎日やったとしても、
肌への負担はだいぶ軽くなったようです。
今、化粧水なども、オーガニックなものへ変えていっている最中なので、
トータルでオーガニックを使用することで、
肌がどんなふうに変化するか、楽しみです。






☆写真:秋の夕暮れ

2012年9月26日水曜日

秋が来た

きのうの湘南地方は、
最高気温が22度ぐらいと、ぐっと下がり、
頬を打つ風は、完全に秋の冷たさでした。

町ゆく人々は、
夏のままの装いの人と、秋の装いの人と半々くらい。
夏の装いが既に魅力的に見えないのは、
太陽の光の角度にもよると思います。
もうどんどん傾いてきて、影が長くなってきていますから、
夏用の素材や色が、どことなく、すすけて見えます。

おしゃれだなと感じたり、
はっとしたりする装いとは、
いいものを着ているとか、
センスがいいとかだけではなく、
こういった季節の光の変化をとらえ、
それに対応していく瞬発力というか、
対応の速さもあると思います。
もうちゃんと秋物を用意していれば、
きのうのような涼しい日には、それなりの装いができます。

光の具合、
風の勢い、
空の色、
木々の葉の色などの、
毎日のほんの少しずつの変化を敏感にキャッチする能力と感性。
それが四季がある日本という国においての、
最も根本的なおしゃれの基本ではないかと思います。

☆写真:熊本の右田さんのみかん。安全、おいしい。

2012年9月24日月曜日

アイロンがけ

私の苦手なものはたくさんありますが(入力作業とか)、
アイロンがけも苦手です。
だから、初めから完璧に仕上げようなんて思いません。
幸いなことに、びしっとアイロンがかかっているのがいいというのは、
最近の傾向ではないので、
ごくいい加減に、シャツだったら、襟と袖口、ピンタックのある部分と脇などの縫い目、
そこだけをしっかりやって、あとはざっとです。
そのときに、間違って、変なしわができてしまっても、
直さずそのままです。
どうせ着たら、すぐいろいろなしわがつくのだから、
あまり神経質にならないで、適当なところで終了しています。

だけれども、アイロンの仕上げというのは、その服のよさを左右するほどの威力を持っている、
ということも知っています。
一部上場している大手アパレルに勤める前、
ちょっとの間、東京コレクションに参加するようなデザイナーのブランドにいたのですが、
そのとき、コレクション用の服ができ上がってくると、
最終仕上げとして、「マジックプレス」と言われている、プレス屋さんに出していました。
そうすると、今までくたくたで、一体どこがいいのかわからないわ、
というような洋服が、ぴしっと、コレクション用に仕上がってくるのです。
それはまさにプロの技。
素人ではできません。
アイロンの仕上げだけで、服ってこんなに違うのだと思い知ったのでした。

ちなみに、ファストファッションの服がどれもよれよれで、ひどく見えるのは、
このプレス部分をけちってやっていないからです。
あれだって、マジックプレスをかければ、それなりに見えるようになると思います。

たとえば、ジャケットやコートなど、何でも自分で洗濯はできるのですが、
できないのが、この仕上げのアイロン部分。
洗ってくたくたになったジャケットをぴしっとプレスするのは、素人にはちょっと無理でしょう。
でも、そこさえクリアしてしまえば、洗ってしまっていいんです。

アイロンがうまい人は、尊敬に値します。
それだけで、服の価値が上がってしまうのですから。

☆写真:ゆきおとまる

2012年9月23日日曜日

服とことば

ある平日の昼下がり、
自宅近くの駅のプラットホームの待合室。
年のころは18,19あたりでしょうか。
金髪に近い染めたブロンズ色のロングヘアー。
小麦色に焼けた素肌に、プラットホームの12センチヒールのサンダル。
ぎりぎり脚を出した、ダメージジーンズのショートパンツの2人の女子。
一人は、トップスにひょう柄のキャミソール、
もう片方は、黒いシアーなTシャツ。
もうすぐ秋分の日だけれど、構わず真夏のスタイル。 
つけまつげを2つほどつけたら、そうなるかしらと思われるような、
黒い濃いアイメイクに、ノ―カラーの唇。
2人は並んで座っているものの、お互い携帯電話をチェックしている。
チェックしながらも、何やらおしゃべりに夢中。
耳を傾けると、こんなせりふが、
「もうそろそろ10分たったべ・・・」

ええ、ええ、そうなんです。
ここら辺の本当に地元の子は、こういうしゃべり方をします。
(ちなみに、私は新興住宅地育ちなので、このしゃべり方はしません)

面白いので、続けて話を聞いていると、
どうやら会話のテーマは片方の子がつけている眼帯の様子。
「あたし、絶対、この眼帯、似合わない!」
「ええ、どうして?いいじゃん」
「だって、片方っておかしいじゃん」
「そう?」
「そうだよ」
「じゃ、どうするの?」
「絶対、両方やったほうがかっこいいよ!」


両方だと、見えないのですが・・・。
そして、そのつけまつげはどうするのでしょうか。
携帯でチェックしていたのは、メールではなく、
自分たちの写真のようで、
盛んに眼帯について語り合っていました。

これを聞いていて、
着ているものと、しゃべり言葉のギャップがあるっていうのは、
すごく面白いなあと思いました。
言葉も含めて装いの一部です。

☆写真:秋分の日の寒川神社

2012年9月20日木曜日

最近、映画をあまり見ない

最近、あまり映画を見ません。
見なくなったきっかけは、メニエール症候群にかかってしまい、
めまいがひどくて、大きいスクリーンに耐えられなくなったことなのですが、
それだったら、DVDを見ればいいわけで、
それすらも、めっきり見なくなってしまいました。
(さすがにこの間のピナ・バウシュは3D映像を恐れながらみたけど、大丈夫だった。思ったほど3Dじゃなかった。もっとすごいものだと思い込んでいた)

10代から20代のころは、
毎月、「スクリーン」を買って、
週末になると、三鷹オスカーとか、大井武蔵野館とか、自由が丘ひかり劇場とか、早稲田松竹とか、
今はなくなってしまった名画座をいろいろ回ったものでしたが、
私が高校生のころから通っていた地元の映画館が、
ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」を最後に閉館したあたりから、
映画館へ行く足が遠のいてしまいました。

いつだったか、
中沢新一さんが、90年代に入って、見るべき映画がないと書いていて、
私もそう感じる日がくるのかなと思っていたのですが、
本当にそんな日がきました。
あれは、90年代という時代のことではなくて、
自分の年代かもしれません。
映画からもらえる栄養が、少なくなってしまいました。

ただ、まだ見たいなと思うのは、
私が10代や20代のころ、名画座で見た名画の数々です。
特にヴィスコンティとベルトルッチ、ルイ・マルやルイス・ブニュエルがお気に入りだったので、
そこら辺をもう一度、見直したいです。
あのころは、わかっていたつもりだったけれど、
今見たら、全然、印象が違うでしょう。
「ベニスに死す」のタージオも、同年代の男の子として見ていたものが、
今はずっと年下の少年なわけですから、物語を見る視点が変わってしまいます。

いい映画とは、何度見ても新しい発見がある映画だと思います。
何度見ても、いつも違う意味が浮かび上がってくる。
そして絶対にとけない謎がある。
その謎をといたら、その映画は面白くなくなってしまう。
その謎があるからこそ、永遠に生き続けることができるのです。
そんな映画を、もう一度、見直したいと思います。

追記:ちなみに、私が一番たくさん、映画館で見た映画は「地球に落ちてきた男」。主演はデヴィッド・ボウイ。監督はニコラス・ローグです。一番最後は、たしか吉祥寺で完全版を見ました。
それ以来、見ていません。
なぜなら、解けない謎がとけてしまったから。
私の中で、その映画はもう終わってしまいました。

☆photo:plants from my garden

2012年9月18日火曜日

最近、にわか雨(といっても、かなり土砂降り)の日が多く、
傘を携帯して出掛けますが、
町ゆく人の傘を見ると、
一時期より、ぐっと傘の質が落ちたように感じます。
ビニール傘というものが登場してからでしょうか。
いかにも使い捨ての傘を持っている人も多く見かけます。

先日見たテレビドラマでも、
傘をさすシーンが透明なビニール傘でした。
深い意味はないのだろうけれど、
やはりいい年の大人が使い捨ての傘を持っていると、がっかりします。

私は何でももの持ちがいいので、
すぐ壊れてしまうような、安い傘は買いません。
今持っている傘も、もう10年以上、使っていて、
そろそろ布地がうすく透けて見えるようになってきました。
それでも、その傘は使いよいので、
すぐ次というわけにはいきません。

1度、電車に傘を置き忘れてしまったことがあって、
おりてすぐ気がついたので、
駅員さんに連絡して、終点の駅までとりに行きました。

どんなものでも、
落としたら、とりに行きたいと思えるような、
そんなものだけを持っていたいです。
なくなったら捨ててもいいやというふうに、ものを扱ったら、
その態度はいずれ自分にも返ってきそうです。
自分が丁寧に扱われたいのなら、
ものに対しても丁寧に扱う。
結局、そんなふうにして、日々の小さな出来事は、
生まれてくるのだと思います。

☆写真:某所。入口が素敵なお花屋さん。

2012年9月16日日曜日

ブンカの話③

ブンカというところは、
メインの服飾の授業以外に、
その他の授業があって、
いろいろなところに連れていかれます。
よく覚えているのは、
クリーニング工場、
レース工場、
歌舞伎、
ミュージカル、
国技館でのファッションショーなどなど。
そのほか、軽井沢に行ったり、
京都に行ったりもしました。
だけれども、あくまでメインは課題の提出なので、
みんな、そういう日は乗り気でないのです。
しょうがないから行く感じ。
小学生の遠足みたいに、喜ぶわけではありません。
しかも、みんな、課題におわれていて、
前日徹夜をした、みたいな状態でいくので、
歌舞伎を見ても、ミュージカルを見ても寝ている人がすごく多かった。

私はせっかくだからと、頑張って見ていたのですが、
神楽坂にお能を見に行ったときはだめでした。
あれはほぼ、全員熟睡していたと思います。
前夜遅くか、朝まで課題をやっていて、
能なんて見せられたって、無理です。
私も始まってから5分ぐらいで寝てしまったと思います。
しかも、とても気持ちよく。

ただ、先生もこうなることはよく知っていて、
感想文の提出なんて、野暮な課題はありません。
あれは一応、こういうところにも行ったよ、というポーズかな。
ブンカ時代の友達にどこで何をしたねっていうことを聞いても、
みんな、記憶があいまいで、
何か行ったような気がする、程度です。

私が最もよく覚えているのは、クリーニング工場。
シャツを手仕上げアイロンする個人ブースで、
おじさんがスポーツ新聞を読んでいました。
しかも、堂々と。
新聞読みながらアイロンかけていいんだ、と思ったのをよく覚えています。
あのおじさんは、楽しくアイロンがけをしていたようです。

☆photo:plants from my garden

2012年9月15日土曜日

すべてにおいてバランスはとられる


服全体のコーディネイトについて考えるとき、
いつもバランスが大事と書いていますが、
これは日常生活においても言えるのではないかな、と思います。
プラスとマイナスのバランス、
陰と陽のバランス、
これらは常にゼロに戻るようになっています。

最近、雑誌などで、
「気分が上がる」服など、という表現がよく出てきますが、
私は「上がる」のは嫌です。
なぜなら、上がったものは、必ず下がるから。
下がったものが上がるのはいいんですけれど。
 ニュートラルでリラックスのほうがずっといい。

陰陽のバランスは必ずとられるということを知っている人たちは、
たとえば、 旅行に行く前、どこかに寄付をしたりするそうです。
それはあらかじめマイナスを作っておいて、
あとはプラスになるだけのようにしておくため。

人生全体を見たときも、
必ず陰陽のバランスはとられるのだそうです。
だから、今、陰だなと感じている人たちも、
あとは上がるだけなので、楽しみに待っていればいいと思います。
陰だけがずっと続くということも、
陽だけがずっと続くということも、
絶対ないのです。

すべてはゼロポイントに戻っていく。
季節もそうです。
そろそろ、昼と夜の長さが同じじなる季節のゼロポイント、
秋分点がやってきます。

photo:plants from my garden



2012年9月14日金曜日

アンナ・デッロ・ルッソが言うことには

ファッション・ディレクターのアンナ・デッロ・ルッソは、
「ファッションはアンコンフォタブルなもの」と言います。
つまり、快適であってはいけない、と。
西洋の洋服の目指すところは、この一言に集約されているような気がします。
何にとって快適でないか、というと、
もちろん肉体です。
肉体の快適さ、向かうところの否定、
それが西洋ファッションの根本です。

最近の10センチ以上も高さのあるスーパーハイヒールや、
スーパースキニ―の流行は、
まさにこのことを物語っています。
こんなものを身に付けたって、身体が快適であるはずがありません。
どうしてそこまで身体の快適さ、
つまり、自然性を否定するのでしょうか。

西洋の歴史は、
自然を支配する、コントロールする歴史です。
決して、自然との共存ではありません。
自然は支配されるべきもの、支配できるものという考え方が根底にあります。
ならば、人間の身体だって、支配できるはず。

けれども、人間が自然を支配しようとすればするほど、
自然は暴れ出します。
人類史が始まって以来、自然を完全にコントロールできたためしなど、ないからです。
人間の身体も同じこと。
いくら整形したって、髪を染めたって、運動したって、決して完全にコントロールなど、できません。

ファッションが極度のやせ体型を目指せば目指すほど、
実際の人間の肉体は太っていきます。
うちなる自然が暴れます。
ダイエットは終わりません。
なぜなら、戦っているから。
受け入れずに戦えば、それはずっと敵として存在するのです。
うちなる自然と戦わない野生動物に、
肥満したものなどいません。

西洋文化圏でない、
アジアの端に住む私たちが西洋の衣服を身につけるときに起きる葛藤は、
多分、ここにあります。
そして、抜け道も、きっとここにあるのです。
それはけもの道のようで、容易には見つけられないでしょう。
現に、いまだ日本人デザイナーで、この道を発見できた人はいません。
(だって、日本人デザイナーのヴィジュアルを見てください。いつも外国人モデルでしょう?)

この葛藤が嫌だったら、着ものを着ることになるでしょう。
だけれども、第三の道もあるはずです。
着ものでもなく、完全なる西洋ファッションでもなく、第三の道。
もちろん私も、まだそんな道は見つけられていませんけれども。

でも、あるとわかっているのだから、きっとあるのです。
それが見つけられるまでは、
翼が生えたスニーカーは持っていないけれども、
8センチヒールの靴で、
落とし穴に気をつけながら、歩いていくつもりです。

☆写真:夕焼け

2012年9月13日木曜日

翼の生えたスニーカー

翼の生えたスニーカー、というのは比喩でなくて、実在するものなんです。
私は知らなかったのですが、アディダスで、本当に翼がサイドから後ろに向かってついているスニーカーがあるんですね。
きのう、電車に乗ったら、その翼の生えたスニーカーをはいている男子がいました。
その彼、なかなか面白い格好をしていて、
パンツはトラ柄、
Tシャツは黒地にローリング・ストーンズのマーク、
そして、赤い帽子です。
こうやって書くと、何だか妙な格好なのですが、
ぱっと見た感じ、そんなに変な感じはしないのです。
なぜだろうと思ってよく観察すると、
なんと、全体のコーディネイトが3色以内におさまっているのです。
スニーカーは黄色と黒、
パンツも黄色と黒、
Tシャツは黒と赤、
帽子が赤、
鞄も黒。
ちょっと変わったアイテムを3色以内にまとめることによって、
おしゃれにシックに見えます。
これは知ってやっているのか、知らないで偶然なのかわかりませんが、
なかなかのつわものです。
これがもっと多色使いだったら、変な格好の若者になり下がったでしょう。

デザインが変わっているほど、
色数は少なくしたほうがおしゃれに見えます。
逆に多色使いをしたいのなら、
デザインはごく普通のものにしたほうがよいでしょう。
デザイン重視か、色重視か、どちらかを選ぶ。
これを両方やってしまうと、うるさすぎです。
色を引くか、デザインを引くか、
あれもこれもと欲張らないで、ちょっと引いてみる。
とにかくやり過ぎというのは、いつも格好悪いです。
たぶん、それは、そこに目立ちたいとか、
見せびらかしたいという、
欲が透けて見えるからでしょう。
欲とは下心のようで、
それに気付くと、
こちらはげんなりします。
そして、最終的にうまくいくことはありません。
他人から何かを奪おうとしないで、
与えるつもりで、おしゃれをしてみると、
いいのではないかな、と思います。

☆photo:plants from my garden

2012年9月12日水曜日

もうブーツ

今週から、ブーツをはき始めました。
ブーツが好きというのもあるけれども、
足がしっかりホールドされているので、
ヒールがあっても、やっぱり歩きいいのです。

で、今年の気分の足首の抜け感なのですが、
ボッテガヴェネタが提案していた、
クロップトパンツと靴の間に少し肌が見えるスタイル。
ボッテガヴェネタでは、パンプス+シアーの靴下という組み合わせだったのですが、
私はショートブーツで、これを作りたい。
ですので、それをするために、
去年はいていた、黒いパンツ、クロップトにカットする予定です。
去年も切ってしまおうかなと思っていたのですが、
とりあえずは長いままはいてみるか、という感じではいてみました。
でもやっぱり、私のような背の低い人(155.5センチです)には、
はんぱ丈のほうが、全体のバランスがとりやすいです。

パンツの丈詰めは、必ずそれにあわせてはく靴を一緒にはいてみて決めてくださいね。
靴によって、似合う丈が全然、違います。
いつも同じヒールの高さなら構いませんが、
そうでない場合、この靴にはこのパンツたけを、というふうにしたほうがよいです。
私なんかは、部屋の中に新聞紙を敷いて、
靴をはき、鏡の前に立ってみて、それで丈を決めます。

パンツの丈詰めは、ウールなんかだったら、手まつりで十分です。
きちんとアイロンをかけて、それからまつりましょう。
ウールだったら、縫い目も目立たないし、時間もかからず、そんなに難しくありません。
なんだかはかなくなってしまって、放っておいたパンツを、
丈詰めでリメイクするのもお勧めです。
クロップトパンツは今年の気分ですからね。

☆写真:ブンカの時から使っているアイロン。

2012年9月11日火曜日

もうすぐ手帳の季節

うちの家族は、メモ魔の反対で、
あまりメモしません。
だから、手帳の季節になり、
分厚い手帳が出て、買ってはみても、
いつもほとんど記入しないまま、終わってしまいます。

というのも、うちの家族は、みな記憶力がよく、
メモをしなくても、予定は覚えているのです。

大学時代、メモ魔の友達がいました。
いつも小さいメモを持って歩いていて、
事細かにメモをしています。
もちろん予定もきっちり、スケジュール帳に書きいれます。
しかし、そんな彼女があるとき、約束をすっぽかしました。
理由を聞いたら、忘れていた、ということ。
そのとき私は、その彼女が、どんな色のスケジュール帳に、
私と会ったどのタイミングで、どんなふうに書きこんでいたか、
そのノートの場所まで覚えていました。
しかし、彼女は、書いたことを覚えていない、というのです。

似たようなことが、中学生の家庭教師をしていたときにもありました。
先週やったことを全く記憶していない生徒に、
先週、教科書のどのページの、どの場所のどこら辺に、
そのことが書いてあって、あなたはちゃんと、それをノートに書いていたよと、
私はそこまで覚えているのですが、
当の生徒は書いたことを覚えていません。

メモをとることのメリットはいろいろ言われています。
アイデアの宝庫、
記憶の整理、
将来のため、
そして、行動の証拠として、などなど。
きっと、それはそうでしょう。
でも、デメリットも、同じぐらいあるのです。
書いただけで、覚えていない。
そして、この書いたメモを、誰がどうやって処分するのか。
処分するのは私なのか、それとも他人なのか。

手帳がいろいろ発売される季節、
私は来年のために、やはりうすい手帳を選びます。
メモの最大のメリット、
「行動の証拠」の部分は維持しつつ、
最大のデメリット、どうやって処分するのかを簡易にするために。
そして、どうでもいい備忘録のようなメモ、アイデアなどは、
evernoteに書きつけます。
パスワードさえ知られなければ誰にも見られない、
そして、消去するには、Deleteキー1つ。
たとえ、私が処分できなくなったとしても、
そのメモは、どこかの雲の合間で、ただ漂い続けるだけでしょう。
永遠の秘密のように。
それを開くキーは、私の頭の中にだけ、あるのですから。

☆photo:plants from my garden

2012年9月10日月曜日

リメイク・スカート

きのう電車に乗っていたら、
ドアの近くに立っていた若い女の子のスカートが面白い形をしていることに気付きました。
すそがイレギュラーで、何か脇についています。
柄はチェック。
ひざ丈ぐらいの長さで、素足にサンダルです。
最初はイレギュラーなすそのスカートだと思ったのですが、
途中で、あれはもしかしたらショートパンツの上から、シャツを腰にまきつけているのかも、
と思いました。
しかし、近づいてみると、脇に出ていた変なものはシャツの袖なのです。
ということは、袖でまきつけているわけではない。
運よく、同じ駅で彼女がおりたので、
近づいてみたところ、
それはシャツの襟部分に、ウエスト部分を付け足した、
シャツのリメイクスカートでした!
これを彼女が自分で手作りしたのか、売っていたものかはわかりません。
だけれども、あんなデザインのスカート見たことないし、
かわいいので、若い女の子にはぴったりです。
リメイクのよさは、ほかにないオリジナルのものができるということ、
そしてそれを着る人のセンスのよさが際立つこと、
そして、ちょっと変なスタイルでも、私はこれを着るわ、という、
心意気が感じられるところです。
これは、他人の目ばかり気にしていると、できません。

おしゃれとは、他人の目から自由になれた、
その瞬間から始まるものなのかもしれません。

☆写真:みけけ

2012年9月8日土曜日

昔から女子は就職難

なぜ大学を卒業してから、わざわざ専門学校へ行ったかというと、
就職がなかったからです。
あってもほとんど事務。
私は何が苦手って、事務がものすごく苦手。
特に、入力とか、書きうつすという作業が、とても苦手です。
私の入力は、いつも何かしら間違えています。
青色申告の書類を作るのですが、
大体3回は計算し直さないと、必ず間違っています。
これはもちろん、私のホロスコープに出ていて、
(水星と海王星のコンジャンクション)
このアスペクトの持ち主に、完璧に事務をやらせようとしても、無理な話です。
それは星のお墨付き。

で、別にアパレル業界に入るつもりではなく、
当初は衣裳デザイナーになりたかったのでした。
(だって、私は中学から大学まで演劇部!)
ただ、そんな方面の就職先はなく、
私もどうやったらなれるかわからなかったので、
とりあえず企業に就職し、
その中から道を模索しようと考えていたのでした。

それで、勤めて最初の、まだちょっと余裕があったころは、
友達がたまたま音楽事務所に勤めていて、
(かなりマイナーな事務所です。オーケンがいたところ。わかる人にはわかるかも?)
そこでファンクラブの会報誌を作っていたので、
ファンクラブ用のカレンダーのためのアーチストのスタイリングとか、
ステージ衣装の制作などを手伝っていたのですが、
残業と疲労で、そのお手伝いができなくなり、
もうそれ以降は、体調もよくなくて、立っているのがやっとの状態になってしまいました。

今考えれば、うそをついてでも、そっちのお手伝いを優先してやれば、
違う道が開けていたかもしれなかったなと思いますが、
当時の私には、それができなかったんですよね。

私は、仕事をして経済的に自立するため、という理由で専門学校へ行ったのですが、
結果は、経済的な自立は不可能な仕事と、ぼろぼろになった身体でした。

ただ、その結果、違うことをいろいろ学ぶことになったわけですから、
それはそれでよかったと、今は思います。

最悪なのは変容しないこと。
蝶になれるとわかっていて、ならないいもむし。
少なくとも、今の私はいもむしではありません。
さなぎという殻は、とっくの昔に脱ぎ捨てました。

☆写真:90年代のヴォーグ・イタリア。あのころはヴォーグ・イタリアが一番格好よかった。

2012年9月7日金曜日

アパレル業界って・・・

アパレル業界にいた頃、本当にどうにもこうにも身動きとれないと思ったことは、
労働時間の長さでした。
しかも、土曜日は休みではありません。
ちなみに、
残業しても、残業代は一円も出ません。
残業というのは、しかも初めから設定されていて、
全員残業です。残業しない人はいないんです。
就業時間の終わりが、勝手に夜の9時とか10時なんです。
日曜は疲れて寝ているだけなので、
世界がどんどんせばまります。
(※アパレル業界は、法律を守るという意識がとても低いのです。)

当時、遅くまでやっている本屋はなかったので、
本を買えるのはキオスクだけ。
会う人は会社の人だけ。
音楽も、美術も、映画も、誰か会社以外の人と会うことも、
すべてできなくなってしまいました。

携帯もパソコンもまだまだの時代だったので、
とにかく情報がせばめられていって、
私は、このままではおかしくなってしまうと、
危機感を抱いていました。

会社とファッションのことだけしか知らないなんて、
おかしいんです。
危険です。
私は体調を崩して、
早々とそこから抜け出せたけど、
あのままずっと続けていたらと思うと、
ぞっとします。
いろいろ学べたのは、会社員をやめてからです。

例えば、安定した収入とか、いわゆる正社員という安定もないし、
病気ばかりしているけど、
見えない部分の成長は、
やめてからのほうがずっと大きいです。

あの渦中にいたら、全くわからなかったことが、
後から後からわかるようになりました。

あの頃は途中でやめたという挫折感が強かったけど、
人生を振り返ったとき、
あれは必要な経験だったのだと、心底思います。
あの経験がなかったら、
私はもっとずっとつまらない人間になってたでしょう。

☆写真:まるちゃん




2012年9月6日木曜日

ブンカの話②

さて、ブンカの学生ですが、
私のように大学卒の人も、短大卒を含めると、5人ぐらいはいます。
1クラス50人ぐらいだったかな。
そのうち、男子はやっぱり5人ぐらい。
あと留学生が2人ぐらい。
何かしら働いていた人は1人ぐらい。
結構いろいろなメンバーです。

しかし、高卒で女子でない、
このイレギュラーメンバー、
とてもやめる率が高いです。
最後は半分も残ってなかったかも。
バイトしながらの男子、というのは、ほぼやめていました。

先生もほとんど女。
男性の先生もいますが、とても少数です。
ということは、学校の中は女ばっかり。
かなり偏った世界ですね。

この独特の閉塞感は、
いいときもあれば、悪いときもあります。
仲良くなるのは、とてもいいのですが、
似たような人ばかりなので、
異質な情報が入ってきにくい。
たとえば、音楽。
私が驚いたのは、
ブンカの学生って、あんまり音楽聞かないんです。
忙しいから、ライブにも行かない。
だけど、課題が終了すると、必ず音楽かけてショー形式で発表するので、
私はそのたびに、CD持っていってました。
だって、みんな、聞かないから、持ってないの。

あと、音楽だけでなくて、美術にもすごくうとい。
「アンディ・ウォーホールって誰?」
と聞かれたことがあります。

そして、この忙しさのまま、
もっともっと時間的拘束が厳しいアパレル業界に入ってしまうので、
これ以上、なかなか広がらないんです。
それが嫌なら、アパレルには行かない、という感じ。
私の友達も、普通のアパレルに行かなかった人が何人かいます。
あのときは、どうしてと思ったけれど、
今は、あの選択、正しかったなあ、と思います。
アパレルに行かないことによって、多分、将来の選択肢が増えたでしょう。
あの頃の私に、そのことを教えてあげたいぐらい。

小さい世界に入ってしまうと、
何かそれだけしかできないような気がするけれども、
本当は、もっともっと違う世界があるのですよね、いつもいつも。
そして、そちらの知らない世界のほうが、ずっと大きい。
小さい孤島と海ぐらいの大きさの違いです。
短い一生を孤島で暮らすのか、海まで行ってみるのか、
人生ということを考えると、とても大きな差だと思います。

最近、ブンカ出身のデザイナーがなかなか育たないのも、
そんな理由からかな、と思います。
(逆に、デザイン以外の分野の人は活躍していますからね)

photo:plants from my garden

2012年9月5日水曜日

シャツのすそ

シャツのすそをボトムに対して外に出す、つまりアウトにするのが格好いい、
という時代がかなり続いています。
90年代初期までは、シャツはパンツに入れたものでした。
だから、昔の写真を見ると、
そこが大きく違って、時代を感じさせます。

現在ですが、
そろそろ外に出すのも飽きた頃。
で、最近、雑誌などでよく見るのが、
シャツのすそをパンツの前側だけ入れ、後ろは出すというスタイル。
実際、町でこれをやっている人は、
まだ見たことがありませんが、
いきなり、「入れる」」の時代に移る前に、
これもありかなと思います。
ベルトを見せたいときなども、この方法はいけると思いますので、
やってみてください。
途中で違和感を感じたら、
出せばいいだけのことですしね。

こういうとき、
都会だと、あら、おしゃれな人って見られるんですけど、
田舎だと、変な人、になってしまう可能性があるので、
そこら辺は、
ご自分で判断してくださいませ。

photo:plants from my garden

2012年9月4日火曜日

思い出の町

最近、幼稚園から小学校のときに住んでいた町を、
妹の車に乗って、通り過ぎる機会がありました。

あれからもうずいぶんたっているのに、
私たちが住んでいたうちは、まだちゃんとありました。
ご近所さんも、半分ぐらいはそのままの家でした。

驚いたことに、
学校へ行くまでの桜並木も、
習字を習いにいった団地も、
いつものスーパーも、
角のパン屋さんも、
いつも「りぼん」を持ってきてもらってた本屋さんも、
まだ同じ形で残っていました。
昭和の雰囲気、そのままです。

ただ違うのは、すべてとても小さく見えるのです。
あんなに広いと思っていた、あの道も、
あんなに大きいと思っていた、あの建物も、
みんな小さく小さく見えました。

私の中の思い出と同じように、
小さくなってしまった、あの町。
でも、あの頃の大切な思い出は、
小さくも、濃縮されて、今でも時々、私を励まします。
なくなってしまっていなかったあの町。
毎年、あの桜並木の桜が咲くように、
何度でも何度でもよみがえり、
あのとき、道に迷って困っていた私を助けてくれた少年のように、
手を引っ張って、
「こっちだよ」と教えてくれているのです。

写真:まるちゃん

2012年9月2日日曜日

いちじくとラズベリー

いちじくとラズベリーはとてもおいしい組み合わせです。
私は子供のころ、いちじくのおいしさが全くわからなかったのですが、
ラズベリーと一緒に食べることによって、
俄然、好きになりました。
そして、いちじくの木を庭に植えることにしました。
植えてから3年目。
今年はたくさん実をつけました。
うれしい。
さて、いちじくの木の枝は、とてもやわらかいです。
イギリスやフランスの庭園では、
エスパリエといって、
枝を横に誘引し、
垣根のようにしたり、壁にはわせたりしますが、
いちじくは、そのエスパリエが可能なほどやわらかいです。
しかも、どんどん切っても、すぐ復活しますので、
好きな大きさに保つことができます。
大きな鉢植えなんかも、すてきです。

昔はラズベリーも植えていたのですが、
ラズベリーって、知らない間に地下茎がお隣へ入っていってしまうのです。
そこで、どこへ植えるべきか考えている最中で、まだ植えていません。
うちの近くの農家さんは、
やはり大きな鉢に植えているので、
それが一番無難かなと思います。
そうすると、いちじくとラズベリーを自分の家で収穫できます。

昔は、いちじくとラズベリーでジャムにしていたのですが、
最近、ジャムを食べないので、
もっぱらスムージーです。
これから毎日収穫できそうなので、毎朝、いちじく、ラズベリースムージーです。
おいしい組み合わせなので、ぜひお試しを。

☆写真:うちのいちじく

2012年9月1日土曜日

靴と鞄はいつも伊勢丹で買っていた

きのう、ふと気付いたのですが、
もうずっと伊勢丹新宿店に行ってないなあ、と。

ちょっと前ですが、ほぼ日で、
「わたしのデパート!」という、
ジョージさんという二丁目のゲイの方が伊勢丹新宿店の中を全部紹介して回るという
読み物があって、
うん、そうだよね、そうだよねと思いながら読んでいたのです。

そういえば、10年ぐらい前までは、
私のほとんどの靴、鞄は伊勢丹で買ったもので、
服も半分ぐらいはそうでした。
靴、鞄に関しては、私は伊勢丹さんに絶大な信頼を寄せていて、
新宿のデパートすべて回っても、結局、伊勢丹で買うことになるのでした。

伊勢丹新宿店では、
いらないものを無理やり勧められたり、
買ってみたら、説明と全然違ったり、
押しつけがましかったりという、
買い物でおきがちな、嫌な思いを全くしたことがありません。
もちろん品ぞろえも信頼できるのですが、
私がよく伊勢丹新宿店で買っていた理由は、
まさにこの点なんだと、
きのう地方都市のファッションビルで靴を見ていたときの違和感は
何だろうと考えていたら、
思いだしました。
伊勢丹新宿店でお買いものして、嫌だったな、もう二度といかない、
なんて思ったことはないのです。
(もちろん昔と今では違うでしょうし、中に入ったら入ったで、問題がいろいろわかるんでしょうけどね。)

最近は、不景気のせいで、販売員さんがアルバイトであることが多いです。
特にテナントが多く入っているファッションビルなんかは。
びっくりするぐらい、自分たちが売ってるものについて知らないですが、
アルバイトの人に、それを要求しても無理でしょう。
(知らないまでは許せますが、いい加減な嘘まで言うのは勘弁願いたいです)

私が最近、お買いものが嫌になったのは、
気分よくお買いものできるところが少なくなったというのも一因かなと思いました。
(ゆっくり見ていられない、不必要なものを勧めてくる、それを断るのが面倒、
それが面倒だから、そそくさと店を出るなどなど)
本当にちゃんとしたところは、
要らないというものを勧めないし、
あまりよくないと思ったら、それをちゃんと伝えてくれるんです。
だけど、近場にそういうお店はない。
それで最近は通販一辺倒になっていたのでした。
通販では、不必要なものを勧められる心配もないし、
商品の的確な説明がきちんとなされています。
この2つのポイントは、試着できないというデメリットよりも大きいのです。

お買いものは単なるもののやりとりだけではありません。
お店の雰囲気、販売員さんの言葉、全部含めての行為です。
だから、決意しました。
今度、いい靴とバッグを買いに行くときは、必ず伊勢丹新宿店に行きます!

☆写真:絵画モデル風に座ってみた。