2012年12月31日月曜日

2012年のおおみそか


2012年の夏至から始めた日々雑記、12月31日まで、休まずアップすることができました。

私はメインのブログもこちらのブログもランキングには参加していません。
見ていただくと、確かに励みにはなりますが、
それを追いかけないようにしています。
つまり、その「励み」がなくても続けられないと、意味がないと思っています。

「ありがとう」と言われるために仕事をやっていますという話もよく聞きますが、
私はずっと長い間、文句や無理な要求を言われることはあっても、「ありがとう」などと、
誰も言ってはくれない仕事をやっていましたので、
誰かのありがとうを追いかけるつもりもありません。
(そして絶対に必要なのに、誰からもありがとうと言われない仕事がたくさんあることも知っています)

誰かが何かしてくれることに依存してしまうやり方をすると、
必ず最後に破たんします。
「愛してる」と言ってくれるから愛するでは、
必ず最後、だめになります。

やりたいからやる、
好きだからやる、
自分で決めたからやる、
自分が愛する、
そこからすべて始めます。

昔、高校の演劇部の時代、
卒業後に日芸へ行き、後にちょっと有名になる劇団を立ち上げた先輩が、
「砂漠の真ん中の、誰も見ていないところで踊っても仕方ない」と言っていました。
そのときは、私もそうだと思いました。
誰かが見ていなければ、意味がないと。
けれども、今は違います。
砂漠の真ん中で、観客が誰もいなくても、私は踊り続けます。
それは誰かに見られるためではなく、私が踊りたいからです。

そんな私のダンスに付き合ってくれた皆さま、
本当にありがとうございました。
まだまだ踊り足りないので、
来年もこのダンスは続きます。
もしお気に召すようでしたらば、
来年も、またお付き合いくださいませ。

では、よいお年を!

☆写真:カメラ、壊れた・・・。仕方ないので、ありものの写真です。明日から写真なしです・・・。





2012年12月30日日曜日

なかなか捨てられないもの


大掃除の季節です。
私はもともと持ち物が少ないので、
大量に何かを捨てるということはないのですが、
その中でも多いのは本と雑誌です。
特に、ビジュアルと文字の組み合わせというのが大好きで、
1歳になる前に、本屋さんで絵本を買ってほしいとねだり、
乳母車に乗りながら本を見ていたら(たぶん読んではいない)、
見知らぬおばさまに、
「あら、赤ちゃんなのに本を読むのね」
と言われたというエピソードつきです。

だから実際のところ、なかなか手放せないのは本より雑誌のほうで、
まだ古いファッション誌や庭の雑誌を持っています。
3年ぐらい前までは、20年ぐらい前に買った、
「デジャ・ヴュ」というオールカラーの写真の雑誌を
創刊号からずっと大切に持っていたのですが、
古本屋で高く買い取ってくれると知って、
それは売りました。
(1冊400円で売れました)

私がそれを手放すかどうするかするときに自分に問いかけるのは、
次のせりふです。
「もし引っ越すとしたら、これを持っていく?」

それできのう、この問いかけを再び自分にしたところ、
やっぱり雑誌は持っていかないということになりました。
実際のところ、最近、見返すこともなかったですし、
ただ、保持しているだけの状態でした。

もちろん手放してしまえば、
雑誌ですから、もう二度と同じものは手に入ることはないでしょう。
だけれども、最近、何だか、
手放せば、もっといいものが手に入りそうな気がしているのです。

どっちにしろ、これらの雑誌は、もし引っ越すとしたら、
持っていこうとは思いません。
場所もとりすぎるし、重いし。
それよりも、荷物が少ないほうがいいです。
やっぱり身軽がいいです。

持っているものは、奪われると、ひどく自分が傷ついたと感じると思いますが、
自分で手放すと決めたものに関しては、何とも思いません。
握っているものが少なければ少ないほど、傷つくことからは遠くなるでしょう。
それはきっと、ものでも、思考でも、感情でも、同じなのだと思います。

☆写真:小学生のときに買ったファイル。まだ使っています。

2012年12月29日土曜日

とある実験


解放と再生のシーズンです。
私も、その例外ではなく、日々、解放の毎日です。

これはまだ実験段階で、絶対にそうだよとは言えないのですが、
きのうちょっと面白い経験をしました。

親の株の配当金を私が代理で郵便局に受け取りに行きました。
そうしたところ、局員の方が、委任状のサインが1人のものではないと言い張るのです。
何の根拠もなしに。
間違いなく1人の人がサインしたものなのに、違うと言い張ります。
私もちょっといらっときて、そんなことないですと言って、2人分の身分証を見せましたが、
いや、違うと言います。
そのとき瞬時に、この人にこれ以上、言っても無駄だとひらめきました。
ひらめいたので、その場はあきらめて、窓口から離れました。

そこは郵便局といっても、小さな街の局で、
もうちょっと行けば、大きな支局があります。
混んでいるかもしれないし、少し距離があるので、行こうかどうしようかちょっと迷いましたが、
そのまま大きい支局に行くことにしました。

そこへ着いたところ、拍子抜けするほど、局内はすいていました。
受付票をもらって、いすに座ったのですが、
もしかして、また違うと言われたらどうしようという不安がやってきました。
けれども、ここでその不安な感情を持ったままその書類を出したら、
また疑われると思い、
イメージの中でその不安を消していく作業を、待っている間、繰り返し、
何とか不安がなく、ニュートラルな状態までたどりつきました。

順番がきて、そのまま窓口に行って、書類を見せたところ、何も疑われることなく、
素早くお金をいただけました。
しかも、いただくときに、
「お待たせしてすみませんね」と、窓口のお兄さんはにこっと笑って言いました。

ついでにその局で、書き損じた年賀状4枚を新しいものに取り換えてもらうため、
違う窓口に行きました。
窓口のおじさまに、
「年賀状の書き損じなんです」と言うと、
「今きた人も年賀状の書き損じだったんだよ。ちょっと待ってくださいね」
とにこやかです。
私が、
「パソコンであて名書きをやっていたら、間違って印刷しちゃって」
と言いながら、書き損じはがきを渡すと、
「そうなんだよ。便利なようでいて、案外間違いやすいんだよねえ」などと言いながら、
受け取り、新しい4枚を袋に入れようとしました。
私ははがきが入っていた袋も持参していたので、
「袋も持ってきましたから」と、ちょっとぐちゃぐちゃの袋を出したところ、
「いいよ、いいよ、新しいのに入れてあげるよ」と言って、
きれいな袋に入れ直し、しかもおまけのティッシュまでつけてくれました。
書き損じの取り換えの料金は20円です。
20円でティッシュつきです。
この一連の出来事は、最初に行った局と、あまりに違います。

たぶん、最初のいらっとして、不安な持ちのまま窓口へ来ていたら、
同じことが繰り返されたでしょう。
けれども、そこでいったん感情を受け入れ、手放し、ニュートラルにしたら、
あらわれた現実は非常に違ったものになりました。

実は、ここ1カ月ぐらい、私はこの実験を繰り返しています。
とにかくその場で感じた感情を、いったん受け入れる、
けれどもすばやく手放す。
これを1日に必要なだけ、何回もやる。

感情にとらわれないようにする練習の効果は、
だんだん出てきたようです。
そしてこれがうまくいっているとき、
得も言われぬ幸福感に満たされます。
ハートに暖かいものが満ちていく感じです。

もうちょっとこの実験を繰り返していくつもりです。
そして、本当にこの方法が効果があるとわかったら、
また、どんなことがあったか、お伝えしたいと思います。

☆写真:いただいた赤いバラ

2012年12月27日木曜日

自分が一番欲しいもの


占星術のセッションで、クリエイティブな才能が明らかに出生のチャートに出ている方々が、
私のところへ多く来てくださっています。
本当にすばらしい。
ただ、その方々に共通点があるのです。
クリエイティブな才能をお持ちなんですけど、何かやってらっしゃいますかとおたずねすると、
何もやっていないと答える方がほとんど。
これはなぜなんでしょう。

思い当たるところが、私にもあります。
先日、ひとりっ子の姪の行動や、選択の仕方を見て、気付いたところがありました。
私だったら、あのタイミングであれは選べないなとか、
我慢するなとか、親には頼めないとか、思う場面がたくさんあるのです。

私は長女だったので、ほとんどの場合、一番欲しいなと思うものはもらえませんでした。
それと、欲しいと言うとすぐだめだと言われたので、
欲しいと言うことすらしないという、くせがついていました。

今でも忘れられないエピソードがあります。
小学生のとき、父がバレエのチケットを買ってくれると言ったのですが、
日頃から、節約、節約と母に言われていた私は、
バレエは見たいけれども、そんな高いバレエのチケットを買ってもらってはいけないと思い、
父にバレエには行かないと言ったのでした。
それは自分のしたいことは我慢することが最優先だし、
節約することのほうが大事だと、思いこんでいたからです。
私の行かないという言葉を聞いた父がたいそうがっかりしていた様子だったのを今でも覚えています。

姪の行動を見て、私ははたと思いました。
なんと今でも、そのくせが抜けていないのです!

私は今になるまでずっと、一番欲しいものは、私のところにはこない、と思いこんでいました。
なんという思いこみ!

この思いこみは、まるで監視ソフトのように、
私というコンピューターの知らないところでずっと作動していたようです。
急いでこれをアンインストールしないと、
永遠に、一番欲しいものは手に入らないプログラムが動きっぱなしです。
気付いたからには、早く取り除かなければなりません。

親に言われたこと、先生に言われたこと、周囲の人に言われたこと、
それを心が受け入れて、くせになってしまい、
大人になるまで続いていることがあるようです。
たぶん、才能のある皆さんも、できっこない、だめに決まっているなど、
誰かから言われて、
それをずっと信じ込んだまま、今まできてしまったのではないでしょうか。
そこには誰も、すごい才能だね、と言ってくれる人はいなかったのでしょう。

そうだとしても、今からでも遅くはありません。
親より、先生より、星たちの言葉のほうが大きいではないですか。
気付いたからには行動しましょう。
きっと、このタイミングで気づくことになっていたのです。

私も日々、私は一番欲しいと思ったものが手に入るという、
新しいソフトを作動させているところです。
まだなかなかなれませんが、
なれてくれば、本当にそうなると、思っています。

☆写真:クリスマスローズ

2012年12月26日水曜日

流行らなかったもの

ファッション業界は何か流行らせようとプロモーションをしかけてきますが、
それが必ずしも流行るとは限りません。
最近の例でいうと、
スヌードって、日本では流行りませんでした。

ちょっと説明しておくと、
スヌードというのは、マフラーの端と端がつながって、円になったもの。
だから、巻くのではなく、かぶることになります。
かぶるので、マフラーのように、巻き方がいろいろあるわけではなく、
大体、コートなどを着た後に、頭の上から最後、かぶるだけではないかな。
持っていないので、わかりませんが。

雑誌にもいろいろスヌードのスタイリングがのっていましたが、
あ、これ、いいなと心動かされるものはありませんでした。
そして、何より、コートを着た後からかぶらなければならないというのが、
もっともみんなが嫌がった要因ではないかと思います。
だって、髪型って、コートを着る前に整えるわけですから、
それからあれを上からかぶったら、
髪型が崩れてしまいます。
日本の女性はきれいに整った髪型の人が多いですし、
何かしらスタイリング剤を使っていたら、
もう上からかぶりたくはないですものね。
そんなわけで、スヌードがこれから流行ることもないと思います。

ではこれから流行りそうなものは何か。
今日のところは、何も思い浮かびません。
ただ、全体にリラックスの方向に向かっているので、
ゆるいもの、楽なものがいいでしょうね。
あんまりかっちり、疲れるものは当分、だめでしょう。

アグブーツもかなり流行っていますが、
あれは西海岸やオーストラリアのビーチで主にはかれていたものだそうなので、
ああいった、ビーチでのファッションの都会への進出というのも、まだあると思います。
ということは、都会がみんな小田急江ノ島線や江ノ電みたいになるのかしら?
まあ、どちらにしても、メインのテーマはリラックスでしょう。

ぎゅっと握りしめていたものを、
ぱーっと放したときの解放感。
きつく縛られていたものからの反動。
それに対するリラックスとか、軽やかさ。
そんな感じが、ファッションの主流になってくるのではないかと思います。

☆photo:poants from my garden

2012年12月25日火曜日

自分にとっての当たり前

もう長い間、自営業者なので、
普通の人がお休みのとき働いていて、
普通の人がお仕事をしているときお休みというパターンがずっと続いていましたので、
「よい週末を」とか、
「よいお正月を」とか言われても、
週末も正月も仕事なんだけど・・・
という気分で過ごしてきました。
私のほかにも、お休みの日にきっちり働いていらっしゃる方々は多いと思います。

今年も30日まではお仕事をしますが、
お正月は仕事をしないですむようになり、
ちょっと、いつもとは違います。

自分にとっては当たり前だと思っていることも、
他人にとっては全然そうでないということは、たくさんあります。

私は、どちらかというと、
普通の当たり前がものすごく少ないほうなので、
「よい週末を」という言葉以外にも、
返す言葉がないことを言われることが多いですが、
まあ、それもあまり気にしていません。
あんまりしつこいと、適当に嘘を言ってごまかすこともありますが、
その人が見ている世界と、
私が見ている世界はしょせん違うので、
その人の認識の私はどうせ別人ですから、
それにあわせても仕方ないし、
あわせようもないので、あわせず、かつ反論もせず、
適当に受け流すことにしています。

自分の当たり前を他人に押し付けると、
そこでもめごとが起こります。
自分の当たり前と、他人の当たり前は違うよねという認識を持っているもの同士ならいいのですが、
そうでないと、やっかいです。

そんなときいいのは、
反論しないで、そのまま流してしまうこと。
相手に反抗すればするほど、相手はもっと強大になって追いかけてきますから、
追いかけられたくなかったら、反撃するのではなくて、
そのまま行かせてしまえばいいわけです。
一番いけないのは、同じ立ち位置で対応すること。
はまってしまって、抜け出せなくなります。

服装についても、他人の評価ばかり気になるというのは、
その他人と自分の関係から抜け出せなくなっているということです。
抜け出すためには、ほかからの視点を入れる必要があります。
たとえば、タヒチに行ってみたら、美の基準は全く違うものになるでしょうし、
アラスカに行ってみたら、寒いので、何をそんなバカなことを、という話になるでしょう。
別にどこかほかのところへ行かなくても、
抜け出す道は必ずあります。

キリスト教を信仰している人以外にとっては、今日は普通の日です。
クリスマスだって、別に当たり前ではないのです。
自分にとっての当たり前は、他人にとっての当たり前でない、
このことをいつも忘れないよう、心がけています。

☆photo:plants from my garden

2012年12月19日水曜日

枯れた花

写真家のアラーキーは、
よく枯れた花の写真をとっています。
あるとき、個展を見に行ったら、
枯れた花ばかりだったときもありました。
もちろん、花は咲いているとき、美しいけれども、
本当の芸術家ならば、
枯れた花の中にも、美しさを見出さなければいけないのです。

花が美しいのならば、
葉も、
とげも、
茎も、
根も、
種も、
枯れた花びらさえ、
美しいに決まっています。
そして、それを見つける目を持つ者が芸術家です。

冬の曇り空の下、
枯れたシュウメイギクの種の写真をとりながら、
そんなことを考えました。

そして、私も、そこに美しさを見つけられたので、
シャッターを切りました。
霜柱の立つ土の上で、
茶色く枯れた茎から、
風に揺られて、
ふわふわと、
白い綿毛につつまれた種たちの、
旅立ちの、
その一瞬の、美しさを。

☆写真:というわけで、このふわふわしたものはシュウメイギクの種でした。

2012年12月18日火曜日

鳥のカップル


最近、うちの庭の木に、シジュウカラのカップルがやってきます。
何度も写真にとろうとするのですが、
近づくたびに逃げてしまいます。

このカップル、今までうちに来たことはなく、
今年初めてやってきました。
うちの窓からは、猫がこの2羽を眺めているのに、
全く気にならない様子。
毎朝、うちの庭のしだれかつらの木にとまり、
2羽で何やら話し合って、ささっと飛んでいきます。
しかも、ここ10日ぐらい毎日です。

何を話し合っているんだろうなと思っていたのですが、
きのう気付きました。
もしや、彼ら新居を探しているのかな?

ここの家の庭は、家の中から猫が見ているものの、
木の実もあるし、虫もたくさんいるし(農薬使わないからね)、
木の具合もちょうどいい、ここに住みたいんだけどなあ、
なんて話し合っているのではないでしょうか。

鳥が家に巣を作るのは吉兆だと、
風水ではよく言われています。

また、それが鳥であるにせよ、
仲のいいカップルを毎日見るというのは、気持ちのいいものです。
そして自分が毎日見ているものは、
必ず自分自身の生活に反映されます。
現実となってあらわれます。

だから、私はこのカップルのために、素敵な鳥のおうちを用意することに決めました。
この白、黒、グレーのスタイリッシュなカップルのために、
スタイリッシュなおうちを探すことにしました。
きっと喜んでくれるはずです。
そして、その喜びは、私のところに戻ってくるはずです。
いつの日か、きっと。

☆photo:plants from my garden

2012年12月16日日曜日

知りたいのは自分が自分のボスになる方法


20代のころ、サラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキー(ヴィッキー)という探偵を主人公にした
ミステリーにこったことがあって、
「サマータイム・ブルース」から始まるシリーズをずいぶんと読みました。
どんな事件だったかは、さっぱり覚えていませんが、
よく覚えているのは、
ヴィッキーがいつも言う、
「私は私のボスになるために探偵になった」というせりふです。
たしか最初は警察にいたのだけれども、
組織にいるのに嫌気がさして探偵になったという設定でした。

それは、自分でビジネスをおこして成功するとか、そういう話じゃなくて、
とにかく自分の意思でやることを決める、
決定権は常に自分にある、
それをしながら生活をしていく、ということで、
ヴィッキーはくじけそうになっても、
自分が自分のボスでいるために、決して探偵をやめません。

このシリーズを大体読み終わって、
似たような、たとえば、スー・グラフトンの探偵シリーズを読んではみましたが、
何かがやっぱり違って、
それ以降、ミステリーというものは、ほとんど読まなくなりました。

なぜあのシリーズを熱心に読んでいたのだろうかと、今考えてみると、
「私は私のボスになる」ための方法というか、
心構えというか、
心意気というか、
そんなことがあのミステリー全編にちりばめられていたからだと思います。
だって、これって、ほかではなかなか教えてくれないことですから。
なぜなら、私たちが教育を受けたほとんどすべての学校の先生は、
「自分が自分のボス」ではありませんから、
そんな心構えは知りません。

大学や専門学校に行っても、就職に必要な知識は教えてくれたとしても、
「自分が自分のボス」になる方法は教えてくれません。
でも本当に知りたいのは、そこでした。

ネットでビジネス展開して集客をする方法とか、
ブログの文章の最初に必ず自分の肩書きと名前を入れろとか、
これさえすればもうかる、なんていうのではなく、
自分が自分のボスであり続ける方法、
今でも知りたいのなと思うのは、やっぱりそこです。

☆photo:plants from my garden

2012年12月15日土曜日

過去


ちょっと考えるところがあり、
お金のため、だけにやっていた仕事を完全にやめて3カ月たちました。
きのう、その仕事で使っていた机を見ていたら、
「これは過去だ」という思いがふっと湧き上がりました。

時間にしてみれば3カ月ですが、
それは、もうそんな記憶さえもないほどに遠く、
私にとっては無関心の世界で、
どうでもいいことのように思えました。

よく、それまでやってきたことは何一つ無駄ではないと言います。
確かに無駄とまでは思いませんし、
1つの技術としては、どこかで役に立つかもしれませんが、
思いとしては、それは何もないのです。
何の思い入れもない世界が、過去、ただそこにあった、
そんな感じを持ちました。

結局、これも1つの執着であり、
何にも感じなくなったということは、
完全に手放すことができたという意味だと思います。

今は、安定した収入はありませんが、
心の中には、不思議な安心感があり、
何もなくても、誰かと会っていなくても、
心から湧き上がってくる幸せにひたることができる時間がふえました。

「あなたがいても、いなくても、
何もなくても、
どこにいても、
私はずっと幸せでいられる」
という境地を、私はずっと求め続けていたわけですが、
そこにまた一歩、近づけたような気がします。

☆photo:plants from my garden

2012年12月14日金曜日

シャネルのパリ・エディンバラ・コレクションが素晴らしい


さっき見て、あまりのすばらしさに感動したのでシェアします!

シャネルのエジンバラでのショー、本当にすばらしいです。
シェイクスピア好き、タータンチェック好き、アーガイル好きは必見。
そうでない人も、
これからの冬物のスタイルの作り方の要素がぎっしり詰まっていますから見てください。
特にデコルテから首にかけてのデコレーションの仕方を観察しましょう。
これからはこのバランスが重要です。
そのほかにも、最後のほうで出てくる、ケーブルニットとシフォン・スカートの組み合わせは、
明日からでもまねできるスタイル。
シャネルなんて買えないわ、なんて思いながら見るのではなく、
カールが示す、一歩先をいく時代の感覚をよく見てください。
ほんとうにヒントがたくさんあります。
全部で15分ぐらいなので、お時間があるときにぜひどうぞ。

湯たんぽ

きのうの夜から、湯たんぽを始めました。
私が湯たんぽを使い始めたのは去年の冬。
それまで、もちろん湯たんぽの存在は、知ってはいたのですが、
実際に使ったことがありませんでした。
うちの家族は、誰も湯たんぽを使わなかったからかもしれません。

それが、猫のためにと獣医さんがくださった湯たんぽを、
もう猫は使わないので、私が使ってみようかしらと思い立ち、
使ってみたところ、
そのすばらしさに感動しました。

寝る30分ぐらい前にお布団の中へ入れておいて、
湯たんぽでほんのり温まったお布団に入るときの、
あの幸せな気持ち。
そして、寝ている間も、暑すぎるということもなく、
朝までずっとほんのりした暖かさが持続します。

今度は朝起きると、その湯たんぽの中にあるぬるま湯を使って洗顔します。
なんという無駄のなさ。
1日のうちの3分の1の時間を、湯たんぽは、ほんのりした暖かさを提供してくれるのです。
エネルギーを持続させる、その技術が素晴らしい。
もっと早くから使えばよかった。
知らなかったこういうものが、いろいあるんですよね。
これからも、もっとこういうものを集めて生活していきたいです。








☆photo:plants from my garden

2012年12月12日水曜日

春への準備





そろそろ、水仙の芽が出てきはじめました。
水仙って、最初に球根を買うときはちょっと値段が高めだけれど、
1度植えたら毎年ちゃんと芽が出るし、
何より球根がどんどん増えていって、
銀行にお金を預けるよりずっといいよなどと、
私はよくふざけて言っています。

イングランドに行ったとき、
どうしてもシシングハースト・カッスルのホワイトガーデンを見たくて、
電車とバスを乗り継いで、
途中、バスがこないで、知らないカナダ人のおじさんと一緒に
タクシーに相乗りしたりして、頑張って自力でいきました。

ちょうど4月の頭だったのですが、
最も感動したのは、お目当てのホワイトガーデンではなくて、
芝生のいたるところから咲いているたくさんの黄色い水仙でした。
あれを見て以来、
私も庭に水仙を植えることを決意し、
毎年ちょっとずつ追加して、今ではうちの庭に400個ぐらい球根が植わっていると思います。

春の花がまだ少なく、
太陽の日差しも弱いころ、
黄色い水仙の花を見ると、体がゆるみ、ほっとします。
それは、まるで、
希望の光のように、庭を明るく照らします。
それは、どんなに冬が寒く厳しくても、
必ず明るい春が来るのだと、
教えてくれているかのようです。

春の準備をしている水仙を見ながら、
私もまた、新しい春へ向けて何かできたらいいな、などと思った、
小春日和の冬の午後でした。

☆写真:バラ

2012年12月11日火曜日

手放しの時期


最近、感情の解放とか、
古い執着の手放しとか、
そんなことばかり考えて取り組んでいたら、
会う方、会う方、
誰かや何かと別れたい方ばかりになってしまいました。
私が今取り組んでいるのは、人や出来事というより、
古い感情パターンなんかなのですが、
実際、目の前にあらわれる方々は、
具体的な人と離れたいという方が多いです。

洋服もそうなのですが、
人生、縛りが多ければ多いほど、
自由でなくなります。
だから、縛りが少なければ少ないほどいいんです。
それなのに、
自分の古い感情パターンという、
自分で作ったおりに縛られたら、身動きがとれなくなります。
いいことも同様に、執着になるので、手放さなければなりません。

結局、そうしないと、新しいソフトをただインストールしてもうまくいかないように、
また同じパターンにはまってしまいます。
何か新しいソフトを入れるためには、
前のソフトをアンインストールしないとだめなんです。

気づいたら、やっぱり手放すしかありません。
別れたい方がたくさん私のところに来るということは、
私がちょっとだけ、手放す方法を習得できたからかなと思います。
そしてその方法をちょっとだけ教えてあげれば、
みんな、うまく手放せるようになります。
いつだって、大きな変化のために必要なのは、
ほんのちょっとの小さなことなんですよね。

そして、別れたほうがいいという言葉は、
結構あちこちから、
たとえば、本の文章や、テレビやラジオから聞こえてきた言葉など、
もう既に聞こえてきているはずなんです。
あとは、きっかけだけですね。

☆写真:ゆり

2012年12月10日月曜日

シンプルって、簡単

メイクをミネラルに変えて、強いメイク落としがいらなくなったら、
過度の保湿をする必要がなくなり、
現在、ふだんの顔のお手入れは、
化粧水+アルガンオイルというシンプルスキンケアになってしまいました。

また、髪の毛もヘナ染めにしたら、
リンスやトリートメントというものがいらなくなり、
そして、どういうわけか、それまでより髪の毛が汚れにくくなり、
オーガニックのシャンプーで週に数回、洗うだけでよくなってしまいました。

オーガニックとシンプルはつながっていくようで、
今までどれだけ無駄なことをしていたのだろうという感じがします。

外からのケアだけではなく、
同時に今、肝臓のデトックスのためのハーブティーを毎日飲んでいるので、
その効果もあるのかもしれません。
(ちなみにそのハーブティー、妹も一緒に飲み始めたのですが、
2カ月たらずで、左ほほの肝ぱんによるシミが消えてしまいました。これは驚き)

なんだか私たちって、難しく難しく考えなければならないように思い込まされてきたみたいです。
やってみたら、
案外簡単で、
効果は最高で、
経費もかからないなんて、
そんなことが、世の中にはもっとたくさんあるのでしょう。
その情報は、自分で探しにいかなければわからないものばかりなのですが、
必ず誰かが発信しているので、見つけることは可能です。
そういうものにもっとたくさん出会って、よりシンプルな生活をしていきたいです。
シンプルというのは、リラックスにもつながるものですから。
そして、リラックスこそ、人生において大変重要なポイントですから。

☆写真:天狗さん

2012年12月9日日曜日

真冬にはだし

きのうの朝8時、電車で見かけた女性の姿。
何か気になって、観察が始まりました。
ベージュのダッフルコートに、同じベージュのかなり厚手のマフラーを首にぐるぐる巻き、
インナーはわかりませんが、
ボトムは黒に何か柄の入ったクロップト・パンツ。
ここまでは普通です。
けれども、よく見たら、足もとがはだしにオペラシューズだったのです。
思わず何度も見直してしまいました。
ストッキングをはいているのではと思いましたが、
肌の質感がリアルに見えます。
何度見てもはだしです。
きのうの湘南地方の朝の気温は、たぶん5度ぐらい。
はだしには寒すぎる気温です。

たしかに今期、抜け感が重要視されています。
けれども、この気温ではだしという女性は、初めて見ました。

これを見て、私だったらどうかと考えましたが、
寒くて無理です。
私はやっぱりブーツです。

でも、どうしてもおしゃれに見せたくて、抜け感を出したかったらどうするか。
それだったら、どこか行く先まではタイツなりソックスなりをはいて、
行く先で脱ぎます。
おしゃれ重視で風邪をひいては困りますから。

今、冷えとりスタイルが流行していて、
足もとがかなりもこもこと何重にも靴下をはいている女性を電車でも見かけます。
足はやっぱり冷えるんです。

おしゃれと健康、なかなか両立しない場合もありますけれど、
どちらかを選ぶとしたら、健康です。
だって、病気になってしまったら、おしゃれもへったくれもないですから。
おしゃれは、健康あってのものです。
入院してしまったら、もはやおしゃれなどありません。

☆写真:お寺の階段

2012年12月8日土曜日

終わらせるチャンス


この前、終わらせるのは難しいという内容のことを書いたのですが、
よく振り返ってみると、
必ず、終わらせるきっかけの出来事があるとわかります。
大体、終わらせるのが難しくなってしまうときって、
それを無視したときなんですよね。

そして、そういう出来事が起こる前にも、
全然関係ない人の口から、
終わらせたほうがいいよという意見を聞いたりするものです。
神様というか、上の存在というか、それは何でもいいのですが、
必ず合図を送ってくれています。

結局、そういった出来事を利用してしまったほうが、
終わらせたり、別れたりするのは簡単で、
そのときは一瞬、なんてひどい出来事なの、と思いますが、
少し時間がたてば、
ああ、あのときあんなことがあったおかげで今の状態がやってきたんだ、
神様、ありがとうという気持ちになります。
(最近、つくづく私はそういう気持ちになっています)

終わらせるチャンスがきたら、そこできっぱり終わらせるのが、やっぱりいいです。
不安や執着を手放して、
きっともっと次にはいいものがやってくると信じて、
いらないものはどんどん捨てて。
そして、
この終わらせ方、手放し方によって、人生、次の展開が変わってくるようです。
手放せば手放すほど、いいものがやってきて、
結果は、どれだけ手放せたかによるんだということに、
今更ながら気づきました。
ただいま、日々、手放し中です。

☆写真:しゅうめいぎく

2012年12月7日金曜日

落ち葉


握りしめているものを手放さなければ、次は入ってこないのだと、
わかっているけれども、なかなか手放せないことがあります。
自分では手放せたつもりでも、まだやっぱり残っていたりと。

よいと思われるものさえも、
握りしめ続ければ、それは執着となり、
もうそれ以上のものは入ってきません。

成長するために葉を落とす、落葉樹のように、
潔くすべて落として、
落とされた葉を成長のかてにできればいいのにと思います。

落ち葉は土にかえり、
そこからまた新しい芽が生まれます。

ずっと続くそのやり方が、
何よりも自然で、
人間にとっても、必要なものなのでしょう。

スコップで地面に穴を掘りながら、
むすんでいた手を開いて、
握りしめていたものを土に返そうと決意します。
きっと来年の春には、今年よりもっと美しい花が咲くはずですから。

☆写真:葉ボタン

2012年12月5日水曜日

ブンカの話⑤


ブンカには、いろいろな服装の学生がいます。
おしゃれがどうこういうより、とにかくみんなが自分の好きな格好をしてやってきます。
私がブンカに通っていた時代、特に目立つ学生が2人いました。
1人は、どう見てもインドのお坊さんのスタイルで学校へくる人。
(この人の名前は知りません)
そしてもう一人は、ボディコンスーツでくるおかまのじゅんちゃんでした。
(みんなが「おかまのじゅんちゃん」と呼んでいたので、私もそうします)

おかまのじゅんちゃんは、いつもひざ丈のタイトスカートにぴったりしたジャケットの、
OLさんみたいな格好で学校へきていました。
髪の毛はロングで、パーマヘアでした。
ばっちりメイクもして、背も高いので、特に目立っていたと思います。
どんなにばっちりメイクをしても、女の格好をしても、
じゅんちゃんがおかまであることは一目瞭然でした。
けれども、ここはブンカなので、誰もその格好をとやかく言いません。
どんな格好をしても、といっても和服は除くのですが、いいのです。

おかまのじゅんちゃんは、学校を欠席することもなく、
ちゃんと課題も提出し、まじめで優秀な学生でした。
ただ、問題は就職。
ブンカの中では誰も何も言われなくても、
利益を追求する企業に就職するとなったら、
そのスタイルは認められないかもしれません。

私たち学生の間でも、おかまのじゅんちゃんはアパレル企業に就職するのだろうかという疑問の声が上がっていました。
実際、入社試験を受けに行ったりすると、
どうやら会社というものはどんな格好でもいいというわけじゃなさそうだと、
みんなが気付き始めたからです。

案の定、じゅんちゃんはなかなか就職が決まらないようでした。
みんなの間でも、もうこのことについて言ってはいけないような雰囲気になり、
誰も話題にしなくなりました。

その間に、卒業制作の期限が迫ったりして、皆はそれぞれ忙しくなり、
すっかりおかまのじゅんちゃんのことは忘れていました。
そして、そのまま卒業の日を迎え、おかまのじゅんちゃんがどうなったか、
誰も知らないままでした。

卒業して半年ほどたったときでしょうか、
私は、神宮前でおかまのじゅんちゃんを見かけました。
当時、私が行っていた会社の目と鼻の先にある、
違うアパレル企業の玄関から出てきたところでした。
そして、それ以後、しょっちゅうおかまのじゅんちゃんがその会社から出てくるところを見るようになりました。
どうやら、おかまのじゅんちゃんは、そこで働いているようでした。
おかまのじゅんちゃんは、そのときも、ブンカに行ってたときと同じようなボディコンスーツに身を包んでいました。

私は、おかまのじゅんちゃんがいつもと変わらないスタイルで、楽しそうに会社から出てくる姿を見たとき、なんだかとてもうれしくなりました。
私は彼女(?)とは、クラスも違うし、話したこともないし、もちろん友達でも何でもありません。
だけれども、自分の好きな服装のままで、笑顔で会社から出てくるおかまのじゅんちゃんを見て、
とても感激したのです。
そして、自分の好きなスタイルをあきらめないで、ちゃんと働いている彼女を見て、とても尊敬したのです。

どうしてなのか、今でもときどき、友達でもないおかまのじゅんちゃんのことを思い出します。
それはたぶん、彼女が私の憧れだからだと思います。
自分がやりたいことをそのまま通した人だから。

今ごろ、おかまのじゅんちゃんは、あのスタイルのままで楽しく仕事をしているでしょうか。
きっと、そうに違いないと思います。
そして、おかまのじゅんちゃんが自分のスタイルを貫き通している限り、
彼女はずっと私の憧れの人でい続けるのです。

☆写真:葉ボタンとストック

2012年12月4日火曜日

服による影響


流行とかなくて、
人目を気にしなくていい環境で、
何でも好きなもの着ていいって言われたら、
一体、どんな格好するかなと考えてみます。

まずリラックスできる服だなとか、
締め付けるのは全部やめとか、
好きな色しか着ないとか、
肌触りのいいものだけとか、
軽くてとか、
歩きやすい靴でとか、
考えます。

そうすると、
今の格好とは結構違ってきてしまいます。
つまり、今はかなり無理しているということ。
服って、本当に縛りが多いです。

ものすごく細いウエストのためのコルセットとか、
中国のてん足とかじゃなくても、
今の時代のヒールの靴だって、かなり無理してはいています。

長い間、そんなことを体は受け入れてきたわけだから、
本当のところどうだったのか、どうしたいのか、
何だかわからなくなっちゃうよな、と思います。
だって、あまりに敏感だったら、生きていけないでしょう。

この一種の体に対する冷淡な無神経状態が、いろいろ不都合を生みだすのだと思います。
あまりにながい間、無視することになれていたから、
体の声なんて、聞こえません。

でもなあ、やっぱり聞かなきゃだめなんだ、というのが最近わかったことです。
無神経と抑圧が、体をむしばんでいるわけだから、
そろそろ解放してあげないと。

解放することがいっぱいで、宿題だらけの学生のような気分です。
心の中の部屋をのぞいたら、いらない荷物でいっぱいだった。
いらないということすら、気付いていなかった。
片づける方法さえ、知らなかった。
いつだって、私が知りたいのは方法です。

服による縛りの影響って、あんまり議論されることはないけれども、
何にもないわけではないと思います。
いらない服はどれだろうと考えながら、そんなことを考えました。

☆写真:シクラメンを買ったので写真に撮ってみました。ぼけたままシャッターを押すのが面白いです。

2012年12月3日月曜日

私とバラ

私がいきなりバラ好きになってしまったのは、
1994年です。
それまで、剣芯咲きと言われる、
中心がとがった、昔の高島屋の紙袋に描かれていたようなバラしか知らなかったのが、
オールドローズという品種があり、それはハイブリットティーのように剣芯咲きではないこと、
そして、ずっと香り高く、病害虫にも強いことなどを知り、
がぜん興味が出たのでした。
それからは、そんなバラを実際に植えてみたくて、
イギリスのナーサリーに、まずカタログを送ってくれるよう手紙を書き、
カタログが届いて、それから欲しい品種を選び、
注文書を送り、何カ月か待って、イギリスから裸苗の状態でバラの苗が届いたのでした。
届いたのはたしか今ごろだったと思います。
すごくうれしかったのと同時に、本当にこれが咲くのかしらと、少々不安でもありました。
それだけに、春になり、一斉にバラが芽吹きだしたときの喜びは大きかったです。
そして、夢にまで見たオールドローズやイングリッシュローズが自分のうちの庭で咲いているということの幸せで、胸がいっぱいになりました。

そのときに届いたバラは、何度か移植をしたので枯れてしまったものもや、
大きくなりすぎるオールドローズで切ってしまったものなどありますが、
まだ元気なものもあります。
大好きなイングリッシュローズのスイートジュリエットは、そのとききたものです。

あれから何年もたち、
今ではイギリスのナーサリーに手紙を書かなくても、
日本でも簡単にオールドローズやイングリッシュローズの苗が買えるようになりました。

ここニ、三年、体調が悪くて、ちょっとバラの世話をさぼり気味でした。
でも、こんなに寒い冬でもけなげに咲いているバラを見たら、
もう一回、ちゃんとバラを育てようという気持ちがわきあがりました。
だって、バラと接する喜びって、ほかの何物にも変えがたいんですもの。
そして、ほかの植物にはない特別な魅力で、いつも私に力をくれたから。

バラというのはやはり何か特別な力を持っているような気がします。
錬金術師の庭には、バラが植えてあります。
魔法にはバラが必要です。
庭に一歩、足を踏み入れ、香りに誘われて振り向くと、
そこにはいつも優美なバラが咲いています。
それは、私を呼ぶ、音にはならない声だと思うのです。

☆写真:冬のバラ

2012年12月2日日曜日

最近の庭仕事

きのうはちょっとだけ庭仕事。
最近、夏が暑いので、夏の間はほとんど庭仕事をしません。
だからその分、秋冬はやることがたくさんです。
まだチューリップの球根植えが半分残っています。

で、それとは別に最近、やり始めたのが、
野菜くずでの堆肥作り。
今までも、庭のすみに囲いを作ってみたり、
コンポストを作ってみたりと、
いろいろチャレンジしてはみたのですが、
なかなかこれといった方法がなく、続きませんでした。
野菜くずだけだと虫がいっぱい来るし、
今度、雑草や抜いた草なんか入れると、
堆肥になるのに時間がかかるし・・・。
それに、バラの剪定枝や花がらなんかも肥料になるといいのになあ、なんて思っていたのでした。

そこで最近、見つけたのがアスカマンという堆肥化を促進する菌。
アスカマンというネーミングは、地球を救うから、らしいです。
1カ月ぐらい前にネット通販で買ってみて、
早速、庭に穴を掘って、野菜くずとバラの剪定枝、落ち葉なんかを投入。
今日、掘り返してみたところ、見事に堆肥化に成功。
普通の土になっていました。
そして、ネットでもっと検索すると、
アスカマンを使ってバラの堆肥作りもできるということがわかり、
今日、バラのために穴を掘って、
堆肥のもとになる野菜くず、雑草、剪定枝、落ち葉、けいふん、
その上にアスカマン、土を入れ、
鉢植えで元気がなかった、マダムフィガロというバラを植えかえてしまいました。
本当は、肥料を入れてすぐ植えかえしてはいけないんだけど、
(発酵で土の温度が上がるから)
アスカマンは発熱しないので可能なんだそうです。
これでバラがよく育ったら、肥料はほとんど買わなくてよくなります。

バラも、ある程度育つと、ほとんど肥料はいりません。
私は、ある程度大きくなったバラには肥料をあげていません。
よく、どう見ても手入れなんかしていなさそうなおうちで、立派にバラが咲いているところがありますね。
あれはどれもある程度大きくなったバラだと思います。
地面がよくて、ある程度育って、太陽の日差しがあったら、もう肥料はいらないんですね。
ただ、そこまでいくには手を貸してあげなければいけません。

庭と向き合うと、
本当にたくさんのことを学べます。
一生懸命やっても枯れてしまうバラもあります。
一生懸命なんかやらないでもよく育つバラもあります。
一生懸命やった時点で、もうだめってことなんです。
植物は正直ですから、そこの場で無理してまで生き延びようとはしません。
一生懸命やればいいってもんじゃない。
それはもしかして人間のエゴじゃない?
そんなことを庭の植物たちは教えてくれます。

☆写真:冬のバラ

2012年12月1日土曜日

トレンチコートは現代の戦闘服なんだね


最近、トレンチコートで検索をかけてくる方が多いので、
なぜそんなにトレンチコートがと思っていました。
そうしたところ、きのう、会社の研修と思われる、
まだ新人の会社員の女の子たちの集団とすれ違ったのですが、
そのほとんど、8割ぐらい、コートがトレンチだということに気付きました。
どうやら、私の知らない間に、トレンチコートというのは、
会社員の通勤着用コートとして定着したらしいです。

それにしても、ああやって集団で歩いている姿は壮観です。
はっきり言って、後ろから見たら、誰が誰だかわからない。
会社というのは、それがいいのだろうと察しはつきますが、
みなそろって、ベージュのトレンチコートでした。
昔とは違う意味で、トレンチコートは戦闘服なんですね。

そして改めて、電車に乗っているトレンチコートの着こなしを見てみると、
やっぱりカジュアルよりはオフィシャルという感じの人が圧倒的に多い。
よく雑誌に紹介されているような、
甘い、ロマンチックなトレンチコートの着こなしの人はいませんでした。

毎日、会社へ行くときに着ていたら、
それ以外の機会にトレンチコートなんて着るのは嫌になるでしょうけれど、
もしそれでも着るんだったら、
うんと違うスタイリングをすると面白いし、楽しいと思います。
ロマンチックなドレスの上に羽織るとか、
ボーダーのニットとショートパンツの上に着て、UGGのブーツやコンバースとあわせるとか、
およそ戦闘できないよ、
つまり、これじゃ会社へは行けないよというイメージにするといいです。

張り付いた意味をとって、とって、
決まり切ったイメージを裏切って、裏切って、
そうやってスタイルを作っていくと、おしゃれは楽しくなります。
そうすると、ふだん見慣れたトレンチコートも、違うふうに見えてくるのではないかと思います。

追記:そうそう、みんな、トレンチを着る時期で調べていらっしゃいますが、基本的に真夏以外は着ていいと思います。特にウールのライナーつきは冬向きですからね。

☆写真:やっぱり今年はケーブルニットの気分。

2012年11月30日金曜日

落ち込んでいるときに選んだもの


体調とか、精神的な状態が悪いときに選んだものって、結局、だめだよねということで、
友達と意見が一致しました。
体調が悪くても、精神的に落ち込んでいても、そのときは何かが欠けているわけですから、
どうしてもそれを埋めようとするものを選んでしまいます。
けれども、その埋めようとした余計な出っ張りが、後々、いらないものであると気づくことになるのです。
かといって、病気や精神的に落ち込んでいるとき、
何も選ばないというわけにはいかないので、
それはそれで仕方ありません。
落ちた状態から回復したら、
以前、選択したものをそのままにしておかないで、
選択をし直す。
というか、そうせざるを得なくなります。

最近、いらないものの解放と決意というものが
私の中でテーマになっているのですが、
執着や愛着、失うことに対する恐れがあると、
解放がなかなか進みません。
モノを捨てるとか、片づけをするというのは、
物質的な面からの手放しだとは思いますが、
本当に重要なのは、物質面じゃなくて、いらない感情やいらない考え方の手放しなんですよね。
それができたら、余計なものを持っている必要がないですもん。
かえって、邪魔なぐらいだし。

新しい服を着ているのに、
なぜか古臭く見える人っていますが、
それは、服が古いんじゃなくて、
着ている人の握りしめている思い出や感情が、何十年も前のものだからかもしれません。
たぶん、それはとても楽しかった思い出とか、自分が素敵だと思えた頃のことなのでしょう。

きっと、いつでも、何歳になっても、
今の自分が一番楽しい、一番素敵だと思えたら、そんなことはないでしょう。
それは、服が新しかろうが、古かろうが、
関係のないことだと思います。
大事なのは、モノではありませんから。
そして、人が本当に見ているのも、服ではないですから。

☆写真:モデルが目を閉じている。

2012年11月29日木曜日

思い出はとっておかない


思い出はとっておかない主義です。
思い出のものとか写真なんかも、いらないです。
脳の記憶の倉庫に保存されているだけで十分です。
もしその倉庫が壊れてしまったとしても、
そのときはそのときであきらめます。

思い出はとっておかない主義なので、
嫌な思い出を想起させる服は手放します。
見るだけで思い出すとわかっているなら、
すぐにでも手放します。

気になるものがあると、
結局はエネルギー漏れします。
気もそぞろになって、集中できません。
だから、嫌な思いをしたときに着ていた服は、もう着ません。

これは、長く着ましょうという私の言葉と矛盾するようですが、
嫌な思いをしてまで着ることはないと思っています。
まだ着られるものだったら、誰かに譲ることもありますし、
そうでないのなら、廃棄します。

では、いい思い出のときに着ていたものはどうするか。
それは、まだ着られるものだったら、別に捨てません。
着られないのだったら、手放します。

よいものも、悪いものも、持ち続けていれば執着になります。
執着があると、行動を妨害します。
次へ移動できません。

いい思い出にも、悪い思い出にもつかまらないように、
もしつかまってしまいそうになったら、すぐに手放せるように、
心も、ものも、身軽でいきたいと、いつも考えています。

☆写真:おとら

2012年11月27日火曜日

問いと答え


おととい、何があってもインスタントにハッピーになれる方法があったら、
それこそ宝物だと自分で書いて、
何気なく、アマゾンのおすすめブックリストを眺めていたら、
そこに、私の問いかけの答えになるであろう本がリストアップされていました。
たぶん、そこに完全な答えではないにしても、ヒントとなる方法がのっているはずです。
早速、注文しました。

問いに対しては、必ず答えが用意されていると、
知ってはいましたが、こう早く適切だと、
驚かずにはいられません。

それとも、私が問いに対しては答えがあるはずと信じている、
つまり、そうだと決めているからそうなのかもしれませんが、
それにしても、これはすごいことです。

もしそうだとすると、
見えるもの、
聞こえる音、
におい、
感触、
すべてに答えを見ることになります。

青信号、
子供の笑い声、
バラの香り、
なめらかな肌触りなど、
すべてが何かのサインとなります。

この世はサインで満ちています。
問いかけさえすれば、教えてくれます。
ヘンゼルとグレーテルがことりに導かれてお菓子の家にたどり着いたように、
この、すべての小さなサインをたどっていけば、
夢見た場所へたどりつくのかもしれません。
それとも、それはもしかして、夢見た以上の場所かもしれません。
どちらにせよ、そこはきっと、自分の力だけではたどりつけない場所だろうと思います。
今日もサインを見逃さないように、
流れる雲の形に注意を払いながら、
でこぼことした道を歩いていきたいと思います。

☆写真:まるちゃん

2012年11月26日月曜日

しなくてもいい我慢はしなくていい


きのう、ほんのちょっとしたことなのですが、気付いたことがありました。
電車に乗って、席があいていたので、そこへ座りました。
右側が男の人で、左側が女の人でした。
車内はすいていて、ほかにもあいている席はありました。
私が座って、電車が動き出すと、
男の人が、鼻をずーっとすする音を出しました。
最初に聞いたときは、そのまま無視していました。
けれども、その人は、ある一定の間隔で鼻をずーっとすすって鳴らしました。
3回それを聞いたとき、私は席を立って、
その人から離れたあいている席に座りました。

失礼かもしれないけれども、
そのほうがいいんです。
彼は明らかに風邪をひいているし、マスクをしているわけでもない。
(私はマスクをしていたのですが)
昔、風邪をひいているおじさんの隣に座って、
まずいなと思いながらも、そのまま新宿まで座ってしまったら、
風邪がうつったことがありました。

私たちって、何か都合が悪いことがあっても、
ちょっとぐらいの不都合だったら我慢するくせがついています。
(私たちじゃないかな、私だけかな)
でも、このちょっとの我慢が、後々、悪い結果を生むのです。
あそこで妥協しなければよかったとか、
あそこで我慢しなければよかったとか、
そんな後悔ばっかりです。

今日は、あからさまで失礼かなと思いながらも、
席をうつった自分に対して、
ああ、いつもこうすればいいんだ、と妙に納得したのでした。

レストランで注文したものと違うものがきたら、
違うと言えばいいし、
最初に思ったものと違うことを言われたら、
やめますと言えばいい。
そこで小さなずれをそのまま置いておかないで、
すぐに修正すれば、きっとそのほうが結果はいいのです。

私も結構、わがままだと言われて育ってきましたが、
通したほうがいいわがままもあります。
だって、最後に責任をとるのは自分ですから。

服を着てみて、何だかしっくりこないときは、
どこかちょっと妥協しているんです。
我慢しているんです。
その我慢が、結局、着ないという結果を生みます。
着ないぐらいだったら、始めから我慢も妥協もしないほうがいいのです。
それを人はわがままだと決めつけるかもしれませんが、
そんな我慢も妥協も美徳ではありません。

本当にいいのは、選ぶ自分と選ばれるものがともに満足する関係であることなのですから。
服だって、あ、この人、私のこと我慢して着てるんだあ、なんて思うかもしれません。
そうしたら、服だって不幸です。
お互いが幸せになるように、不要な我慢や妥協はやめましょう。
そして、電車で隣の人が風邪をひいているとわかったら、即座に移動しましょう!

☆写真:この日は江ノ島まで歩かないで、七里ヶ浜の駅にもどりました。
電車は海岸沿いをずっと走っているので、嫌になったら電車に乗ればいいです。
これで、私の鎌倉ショート・トリップは終了。全部で3時間弱ぐらいです。

2012年11月25日日曜日

渚を歩く


渚を散歩するのが好きです。
天気がよくて、気温が高かったら、
はだしで歩きます。
目的は、ただ歩くこと。
1人でも楽しいし、
誰かと一緒でも楽しいです。
おしゃべりしながら、
いきなり波が近づいてきたら、ちょっと逃げたりしながら、
ただ、純粋に波打ち際を歩くことを楽しみます。
真夏の湘南海岸では無理だけれども、
秋冬になって、歩いている人がほとんどいない海岸では、可能です。

そして、このただ波打ち際を歩くという行為が、
何よりのエネルギー充電になります。
お寺や神社へ行くのも、それはそれでいいのですが、
エネルギーが枯渇したり、
心が疲れたときは、
海で散歩が一番、私にはききます。

たぶん、海の近くに住んでいて、
毎日、散歩しているような人は、
それだけで健康になっていくのでしょう。
私のうちからは、電車に乗らないと海までたどり着かないので、
そうしょっちゅう行くわけではありません。
それでも、何か煮詰まったときや、
何も考えられなくなったときなど、
海岸まで行って、
もくもくと歩いているだけで、
気持ちがすっきりします。

私にとって、すごく楽しいなと思えるのは、
海岸を散歩をしているとき、
大好きな人とおしゃべりしているとき、
バラを見ているとき、
イメージの世界に潜り込んでいるとき、
猫と遊んでいるとき、
好きな服の試着をしまくっているときなどです。
最近は、習ったヨガのマントラを唱えるというのも加わりました。
どれもほとんどお金はかからないけど、心は満たされます。

宝物って、こういうことではないかと思うんです。
どれだけ自分にとっての、インスタント・ハッピーを見つけられるか。
どんな状況になったとしても、
これがあればハッピーになれるという方法をいくつ持っているか、知っているか。
それは他人が教えてくれるものではないから、
自分で見つけていくしかありません。
自分しか教えてくれないものです。

そして、最終的には、何もなくても、誰もいなくても、天気がどんなであっても、
自分をハッピーに持っていける方法を習得したら、
怖いものはないと思います。
外がどんなに嵐でも、敵に包囲されても、誰も近くにいなくても、
それでもハッピーでいられる方法がわかったら、
それこそが、自分にとっての最高の宝物となるに、違いありません。

☆写真:秋冬の湘南海岸。本当に人がいません。歩けるところまで歩きます。元気なときは江ノ島まで歩きます。

2012年11月24日土曜日

枠を取っ払う

きのうのことですが、私の妹の旦那さんが、ちょっと変わったパンツをはいているので、
どこのものか聞いたところ、私の妹がランズエンド・キャンバスで買って、
大きすぎてはけなかったパンツだというのを聞いて驚いてしまいました。
まさか、女物とは思わなかった。
ちょっと素材が変わっていて、
男物ではあまり見ないようなグリーンだったので、気になったのです。
そうしたら、なんと、女物だったとは。

ただ、男性の中には女物を着ることもある人(女装という意味でなく、サイズの問題で)がいるそうで、
サイズさえ合えば、今の服は男女関係なく着られるものが多いです。

女の人が男物を着たり、
キッズ用のトレンチコートを着たり、
男の人が女物のパンツをはいたりと、
年齢とか性別とか関係なく、誰でも着られる服がたくさんあるのが現代です。
だから、そこをうまく見つけると、ちょっとしゃれて見えるものもあります。
なぜか女物だと、この色はないとか、この形はないとか、ありますからね。
作る人たちの頭が着る人に追い付いていない証拠だと思います。

性別だけでなく、年齢もそうです。
売る側は年齢別、年代別に作るテイストを変えてきますが、
年をとったからといって、
いきなりメーカーがすすめてくるようなスタイルが好きになるってわけではありません。
ここを抜け出すには、すべての服をターゲットにして、
自分が着たいか、着たくないか、
着られるか、着られないかで見るのがいいかもしれません。
とにかく、押し付けてくる枠から逃れる。飛び出す。

そういえば、うちの妹は男物のニットのカーディガンをよく着ていますし、
この前も、バーバリーの男物のポケッタブルのレインコートを買っていました。
理由は、女物だと袖丈が足りないから。
妹は、腕がちょっと長めなのです。
私は、逆に全体のサイズがどれも小さいので、
アメリカなどのボーイズサイズがぴったりだったりします。
今、家の中ではいている、コットンの裏地(これ、フリースの裏地じゃないというのがみそ)
のワークパンツはアメリカのもので、ボーイズサイズの14歳です。

こうやって、探す範囲を広めていくと、
ぴったりのものが見つかるかもしれません。
ない、と思ったら、
自分のエリアとは別のところへ行って、とりあえず試着してみるのがおすすめです。
枠なんて、飛び越えていいのだと思います。

☆写真:海を見ながら、海岸を散歩します。

2012年11月23日金曜日

大人のワードローブは悩みどころがたくさん

電車に乗ってて思うこと、
若ければ若いほど、服が新しいね、ってことです。
一番新しいのは赤ちゃん!
当たり前なんですけど。

学校に行っている間は、そんなにワードローブについて悩まない、たぶん。
まだまだ自分のワードローブというふうに考えていないし、
学生時代の服はしょせん、学生のときだから、
学校を終えるとワードローブも変わってくる。

だけれども、学生時代が過ぎて、
なにかほかのものになったとき、
それは勤め人なのか、自営業者なのか、奥様なのか、それとも全然別の何かなのか、
それぞれだと思いますが、
そうなってきたとき、服に悩むようになる。
つまり、自分の人生が始まったなあ、これからだなあというときになって、
はて、私って、どういう服着ていったらいいの、となる。

そして数年たつと、
自分が買いためていった服の残骸を見て、がっかりする。
今はもう着たくない、だけれども処分するほどでもない、
どうしよう。
そして、その後、もうこんなふうになりたくないからという思いから、
ワードローブについて真剣に考えるようになる。
とまあ、普通の人はこんな感じではないかと思います。

赤ちゃんは、ワードローブなんて考えなくていい。
だって、成長したら、前の服はもう着ないから。
だけれども大人になったら、
おしゃれの問題、経済的な問題、住居の問題、管理の問題、環境問題、
すべて考えなければならない。
子供のころは、こんなこと全く考えていなかった!
これを全部考えて、ワードローブを構築するのだから、
それはそれは大変です。
そんな簡単に、うまくできるはずありません。

簡単に、すぐにはできない。
だから、ちょっとずつ、ちょっとずつ、できるところからやればいいと思います。
一度に全部やろうとしないで。
今できる範囲の部分を一生懸命に。
この先ずっと付き合わなければならない衣服だから、
そんなに急ぐことはないと思います。
今いる場所で、できることを少しずつ。

そしてまずは自分の管理できる範囲内に服の枚数をしぼる。
押入れにしまってあるものは、見えないからないことにするとかしないで、
把握できる、手入れできる範囲にまずはする。
それからちょっとずつ始めていく。
それでいいと思います。
焦らず気長にいきましょう。

※もうクリスマスまで1カ月ということで、
私からのプレゼントとして、占星術(+タロットも含めて)、ファッションレッスン両方ともに、オラクルカード(主にエンジェルカード)を使った、来年へのワンポイントアドバイスのおまけをつけたいと思っています。
あとで詳細をアップしますので、よろしくお願い申し上げます!

☆写真:海岸に出ます。江ノ島が見えます。ここからは海岸沿いを歩きます!




2012年11月22日木曜日

デザイナー以外の人が作る服

おとといから、
「ほぼ日」で、大橋歩さんのブランド、+a.の秋冬ものが発売されました。
それで、どんなものがあるのかなと思いチェックしてみたのですが、
売り出しの日のお昼の時点で、2万円近くするカットソーは売り切れでした。
枚数が何枚用意されているかはわかりませんし、
大量に売ってるとは思いませんが、
用意されたものが売り切れるほどに売れているようです。

それと、今年の春夏から、モデルの梨花さんがジュンというアパレルメーカーで、
新しくブランドのディレクターを始めたそうで、
それもそこそこちゃんと売れているようです。

この方たち、2人とも、本職がデザイナーではありません。
けれども、ちゃんと作って売れています。

本来、デザイナーというのは、
ダーツの位置、長さ、ステッチの幅、種類、裾や裏の仕様まで考え、決定するのが仕事です。
それをするためには、専門的な知識が絶対必要です。

ただ、ディレクターとなったら、たぶん、裏の仕様やステッチの幅まで指示しないでしょう。
やるのはブランドのディレクション、
つまり方向性やイメージ作り、そして最後、でき上がった商品のチェックと修正だと思います。
そういう人たちに、
「ウエストのダーツを3センチから2.8センチに変えますか?」
と質問したところで、答えることはできないと思います。

だけれども、実際に今、みんなが欲しいと思っているのは、
デザイナーではなくて、それ以外の人たちがデザインした服なんですよね。

こういう人たちは、実際、自分たちが生活する中でその服を着ていて、
ブログなんかで発表しています。
そうすると、買うほうも、ああ、そうか、こういうふうに着るんだとか、
こういうときに着ればいいんだとか、
アイデアをもらうことができます。

それに比べて、普通の、いわゆるデザイナーたちって、
実際の生活のどういうシーンで着たらいいか提案がないし、
そもそも彼らの生活の実態が浮かび上がってこない。
インターネットなど、たくさんの情報がとれる状況になって、
それを通して、リアルな提案がなされている人たちの服が売れている、
そんな感じがします。

買う側にしてみれば、
これはとてもいいことです。
だって、普通に生活している人たちへ向けた提案がふえたわけですから。
生活者にとっては、ダーツが3センチだろうが、2.5センチだろうが、
どうでもいい話で、それについて専門的な知識がない人が作ったからって、
問題ないわけです。

この現象がいつまで続くかはよくわかりませんが、
当分は続くだろうと思います。
そして、本当に面白いもの、着たいものというのも、そっちのほうから出てくるかもしれません。
私はまだ、実物を見たことがないので何とも言えないのですが、
これで出している情報だけではなく、
作っているものもいいとしたら、
当然、みんな、そっちへ流れていくでしょう。
これからどんなふうに発展していくのか、見守っていきたいです。

☆写真:途中で海のほうへ出ます。

2012年11月20日火曜日

軽さ(ダウン 太って見える)


きのうの湘南地方は、日中も10度以下と、寒い1日でした。
そうなると、ダウンジャケットやダウンコートを着た人がぐっとふえてきます。

ダウンのいい点は、もちろん暖かいということですけれど、
何より軽いということだと思います。
90年代まで、ずっとコートって重かったですから。
それにあのころは、コートだけではなくて、中に着るニットも重かったです。
ボトムのパンツもスカートも、すべて厚地のウールでした。
とにかくすべてのものが重かったので、
着ているものを測ったら、今の倍ぐらいになるのではないでしょうか。

それに比べて、ダウンを初めとする、最近の冬物は本当に軽い。
1度軽いものになれてしまうと、なかなか重いものには戻れません。

最近、「ダウン 太って見える」で検索している方が多いのですが、
確かに、ダウンはやせては見えません。
やせては見えないけれども、実際に軽いので、軽そうに見えます。
もし太って見えるのが嫌だとしたら、
この、軽そうに見えるのほうをねらってみたらどうでしょうか。

たとえば色。
黒より白のほうが軽く見えます。
質感も、ウールよりポリエステルサテンやシルクのほうが軽そうに見えます。
太って、つまり膨らんで見えるのは仕方ないとしても、
軽そうに見せるほうは、いろいろ追及できます。

実際に重いとか、太っているとかが問題ではなくて、
どうやって印象を作るかが、いつだって重要です。
だったら、ダウンで「軽そう」に見える印象を作る。
これならできると思います。
いろいろ実験してみてください。

☆写真:ラ・メゾン・アンシィエンヌのアンティーク。

2012年11月19日月曜日

ペアルック


ペアルック(特に男女のペアルック)が、格好良くないと思われるようになって、
もうずいぶんたったと思います。
実際に、ペアルックをしているのは、
双子の子供とか、子供の姉妹とか、
かわいい子供たちの間だけです。

ところが、きのう、ちょっとこれはなかなかいいんじゃないと思わせるペアルックの2人を見ました。
一人は8歳ぐらいの女の子。
グレーのニットワンピースに黒いタイツ、黒いエンジニアブーツをはいています。
それに元気な黄色のマフラーです。
そしてもう一人はこの子のお母さん。
同じグレーのニットワンピース(これは本当に全く同じもののサイズ違いでした)
に黒いタイツに黒いエンジニアブーツ。
で、首にまいているのがトラ柄のスカーフ。
黄色は女の子と同じ色ですが、柄と質感が違います。
たぶん、シルクのスカーフでしょう。

もし、ここで2人が全く同じスタイルだったら、
それは子供が大人の格好をまねているだけなので、
おませには見えますが、
何となくかわいげないです。
だけれども、ここでこのお母さんは子供を自分の完璧なコピーにすることなく、
マフラーだけ子供っぽくすることで、
はずしてきたのです。
この場合、この黄色いマフラーの子供っぽさが、
まだこの子が大人じゃないということを示しています。

完璧に同じにしないで、1か所はずすことで、
この2人のペアルックには、いやみなところがなくなりました。
それがかえって、おしゃれな感じを出すことになりました。

これは男女でペアルックにするときも同じことが言えると思います。
あまりにも同じにすると、いやみなんです。
だから、本当にさりげなくやる。
自分たちしかわからないぐらいのさりげなさで、
2人だけの秘密にして、
ひっそりやる。
それぐらいだったら、ペアルックも悪くはないと思います。

☆写真:ラ・メゾン・アンシィエンヌの店内。オリジナルの石鹸や香りのものが売っています。
手造りせっけんは、なかなか質が高いです。
ところで、このお店、お食事も出しているのですが、行くときどきによって、味にばらつきがあります。
どうやら、作っている人がいつも違うみたい。
オーナーのイタリア人かフランス人の方が作る場合、本当にヨーロッパのお味なのですが、
そうでない場合、なんだかはっきりしない、よくわからない味の日もあり、当たり外れがあります。
パンもすごくおいしいときもあれば、そうでないときもあります。
洋服も売っていますが、ブラウス4万円なんて書いてあって、
私は見るだけです。
アンティークもたくさん扱っていて、古いレースの見本帳は、博物館にあるものと同じぐらいのレベルです。
狭い店内にものがぎゅっと詰め込まれていて、一度では全部把握しきれません。
オーナーの方(いわゆる白人のイタリア人、フランス人ではないです)は、アパレル会社をやっていて、ここは趣味みたいな店だそうで、パンも自分で焼くし、お料理も作ると言っていました。
アンティークも自分で仕入れるし、石鹸のレシピは古いフランスのレシピで作っているそうです。
いつもあまりにお客さんがいないので、どうしてこれで経営が成り立つのか謎だらけなのですが、
行くと面白いので、必ず寄ってしまいます。
ちなみに、単なる昭和の古い家なので、お店に入るときは靴をぬいであがります。



2012年11月18日日曜日

ポケットに100円玉


今、毎朝、犬の散歩に行っているのですが、
うちの近所を歩くときは、
必ずポケットに100円玉を2枚か、3枚、入れておきます。
あまりたくさん入れると、じゃらじゃらいいますが、
2,3枚だったら、別にどうってことないです。

なぜ入れているかというと、
歩いている途中で、何か売っているからなのです。
売っているのは主に野菜なのですが。
歩いて5分もしないところに、
無人、または農家の軒先の野菜の販売スペースがあり、
そこで何かしら売っています。

この前までは、栗なんか売っていましたが、
今は柿やサトイモ、カブなど。
夏だったら、トマト、キュウリは当たり前に売っています。

まあ、道端で売っているのは、オーガニックというわけではないのですが、
オーガニック八百屋ではすべての野菜がそろわないので、
何か食べたい野菜が見つかったら、買います。

野菜だけではなく、生みたて卵の自動販売機もあるのですが、
私は卵をたべないので買いません。
けれども、近くの養鶏場から直送なので、新鮮だと思います。

いつもポケットに、いつ使うかわからない100円玉を数枚入れているだけで、
心に余裕が生まれます。
何か売ってたら、その場で買うって決断できます。

必死で探しているわけでもなくて、
あくまで何かあったときのための、
買うかどうか決めてない小銭を毎日、ポケットに入れておく。
たったそれだけのことで、散歩が楽しくなります。
たった、200円、300円の心の余裕を持つだけで、
選択の自由も増えます。

偶然に出会うもののための余裕というものを、
常に準備しておくといいのかもしれません。
それは数百円のお金かもしれないし、
待ち合わせ場所へ5分前に到着することかもしれません。
予定どおりでない出会いが、
案外、人生をいい方向へ向かわせることもありますから。

☆写真:ラ・メゾン・アンシェンヌというお店兼カフェに寄ります。
昭和の古い家がお店とカフェになっています。ほとんど普通のうち。オーナーはフラン人かイタリア人(どっちかよくわからない)。長谷寺で休憩しないときは、ここのカフェで休憩。いつ行っても、人があまりいません。2階がカフェで1階がアンティークと服、ハーブティ、パンなど。この日はパンを買いました。写真は明日に続きます。

2012年11月17日土曜日

男のおしゃれ考③






きのう、電車の中で見た男子なのですが、
何となく、あれ、あの人の服装、いいなあと思ったのでした。
大体、なんかいいなあという感覚が先にきて、
その後から分析に入ります。
いいなあと思った時点では、自分でもどこがいいと思ったのか、
把握していません。

で、こんどはゆっくり、何がいいのか観察しました。
そうしたら、まずわかったこと。
鞄、靴といった小物に至るまで、
ちゃんと3色以内におさまっています。
知ってか知らずか、3色ルールを実践しています。
しかも、面白いのが、
ジャケットと鞄と眼鏡が黒、
シャツとパンツと靴がベージュ(カーキとも言いますね。チノの色です)なのですが、
差し色がバーガンディなんです。
しかも赤みの強い、ワインのような色のニットを着ていて、
それが黒いジャケットの袖口から見えています。
普通の人だったら、ここでバーガンディ―ってなかなか持ってきません。
無難なグレーやネイビーなんかではないでしょうか。
そこがバーガンディ―で、
袖口からちょっと見えている。
そのバランスがすばらしい。
男の人がこういった差し色を使う場合、
このくらいのバランスがちょうどいいです。
面積が大きすぎると、やりすぎな感じが出てしまいますから、
少なくして、さりげなくするというのは、とてもいいと思いました。
「おしゃれは好きだけど、それに命かけてるってわけじゃない。
だって、そのほかに大事なことがたくさんある」
という感じが表現されています。
(本当はどうか、わかりませんが)

やり過ぎない、これみよがしにしないというのは大事なポイントです。
わかってくれる人はわかるだろうけど、
わかってくれなくても、別にいいやっていう態度が、
男のおしゃれとしては、最高なんじゃないかと思います。

きのう見た人は計算してそれをやっているのか、
好きなものをあわせたら偶然そうなったのかわかりませんが、
ちょうどいいバランスでした。
全部作ってから、一歩引くぐらいがちょうどいいと思います。

☆写真:成就院の坂をおりて、道を渡ります。そうすると、次に行くお店の看板が出てきます。ここに寄ります。






2012年11月16日金曜日

ブンカの話④


ブンカでは、毎日ものすごい量の宿題が出ます。
(ただし、学科によってはそうでもないところもあります)
私の場合だと、大体、毎日夜8時から12時か夜中の1時ぐらいまで宿題をしていました。
土日は休みなのですが、
それでも日曜日は、お昼御飯を食べてから、やはり夜10時とか11時までやらないと終わらない量でした。
私たちが最も恐れているのは、「期限後」という印を押されることでした。
とにかく、期限内に出す。
これが鉄則です。
どんなにいい作品でも、期限後では意味がないのです。
趣味じゃないですから。
将来、仕事にするつもりで勉強していますから。

ですから1つの課題が終わるまで、
作業のための部屋を片付けることができません。
片づけをいちいちしていたら、時間が足りません。
だから、作業部屋はいつも散らかしっぱなしというのが普通です。

あるとき、一人暮らしをしていた友達のアパートに泥棒が入ったそうです。
それは、その子が急いで家を出て、鍵をかけるのを忘れたのが原因だったのですが、
そのとき来た警官がその部屋を一目見た瞬間、こう言ったそうです。
「ものすごく荒らされましたね」

もう大体お気づきだと思いますが、
部屋が荒れていたのは泥棒のせいではなく、
その友達が宿題のために作業をして、部屋を散らかしっぱなしにしていたから なのです。
それは警官が驚くほどの散らかりようです。
幸い、机の上にぺらっと置いてあった1万円だけ取られて、
あとは被害がなかったということでした。

私も小田急線の網棚に学校の荷物を置いて、
座席に座ったら寝てしまい、
気づいたら、荷物がとられていたということがありました。
すごくショックでした。
何がって、8割方完成していた課題が入っていたからです。
あれを一からやり直すなんて、想像することさえできませんでした。
私の場合も、途中の駅で荷物が見つかり、
ポケットに入っていた2000円とられただけですみました。
課題をどこかに捨てられるより、よっぽどましです。

今でも夢に見るのは、
何か課題を作っているのだけれど、期限に間に合いそうにない、
どうしようという心配の夢です。
実際には、一度も「期限後」になったことはないのですが、
いまでも夢に出てくるほど、「期限後」が恐ろしかったのでした。

その話を先日、ブンカの友達にしたら、
学校の夢なんて、一度も見ないよということでした。
もしかして、あんなに恐れてたのは私だけなのかしら?
とにかくブンカの思い出は、宿題、宿題、宿題、
それだけです。

☆写真:成就院から葉山方向への眺め。アジサイが咲いているときは混みます。

2012年11月15日木曜日

眉毛と唇

ここ数年、眉毛は細く薄くが主流でしたが、
本格的に太眉が復活してきそうです。
マーク・ジェイコブスもシャネルも、こぞって太眉です。

ところで、眉毛を太くするかしないか、
メイクの流行って、どうやって決まっていくのでしょうか。
私にもよくわかりません。
けれども、シルエットが大きいと、眉も太くなるというのは言えそうです。
服に負けそうだからかもしれません。

ラファエル前派のダンテ・ガブリエル・ロセッティが描く女神たちも、
みんな太眉でした。

ただ、唇は、眉毛が濃くなるとともに、
赤くなっていくのかいかないのか、それはよくわかりません。

私もそうなのですが、女性たちが出かけるとき、グロスやリップクリームだけで、
口紅を塗らなくなって、もうずいぶんたつと思います。
(私が塗らないのは口紅を塗ると唇ががさがさになるのと、
ブンカの友達から、唇の手術をしたら、皮膚に色素が入り込んでいたという話を聞いて、怖くなったから)
よく、出かけるとき口紅を塗るのだけは忘れないと、多くの女性が言っていましたが、
今、絶対忘れないようにするのはチークやマスカラでしょう。
化粧品メーカーはもう何年も赤い口紅を売りだそうとしていますが、
なかなかみんな、それには乗りません。
たぶん、そんな気分じゃないから。

唇を何で赤くするかと、文化人類学的に考えたら、
それは発情しているのを示すためなのですが、
(なんかロマンがない話)
自分が発情してるって、宣伝してもねえ、だからどうなのって感じです。
少なくとも今は。
太い眉は意志の強さ、それに赤い口紅だったら、まだそんな気分じゃないのではないでしょうか。
真っ赤な口紅の女神っていったら、メデューサみたいになってしまうし。

もうちょっと先、15年後ぐらいにはそういう時代になるかもしれませんが、
今のところ、太い眉に色の薄い口紅で、優しい女性イメージの時代が続くのではないかと思います。

☆写真:道の左側の坂をのぼり、成就院へ行きます。


2012年11月14日水曜日

選択するときの優先順位


だんだん朝晩が寒くなってきました。
ここ数年、某大手ファーストファッションチェーンが売り出した、
ハイテクあったか下着がおお流行りで、
持っていらっしゃる方が多いと思います。
私も何回か買ってみたことはあるのですが、
あれを毎日、身につけていると、最後にはなんだか疲れてしまいます。
心が疲れるのです。
たまのすごく寒い日や、外出する日だけだったら大丈夫なのですが、
毎日というのがだめなようで、
結局、うすいコットンのカットソーをインナーとして着ることになります。

ごく薄手のコットンのカットソーって、実はなかなか売っていなくて、
見つけたらまとめて買ったりしていました。
たぶん、すぐ破けるという理由で作らないのでしょう。
けれども、去年、alternativeを見つけたので、
もうこれからは大丈夫です。

alternativeのカットソーって、
日本の大手メーカーでは絶対OKが出ないような薄手だし、
縫製も、糸きり始末がちゃんとできてなかったり、
クオリティとしては、日本では考えられないようなものです。
だけれども、着るには何の問題もありません。
そう、何の問題もないんです。
結構、洗濯していますが、いまだ破れてはいません。
物作りにおいて、こだわっているところが違うんです、たぶん。
そして、そのこだわっている部分が、私は好きなわけです。
曲がったキュウリだけれども、オーガニックだからこっちを選ぶ、みたいな感じです。

もちろん、すべてパーフェクトが理想なわけですが、
そうでない場合、
ここの部分は譲れないという優先順位があるといいです。
自分にとって重要なのは何なのか。
糸始末がきちんとできていることなのか、
着ていて気分がいいことなのか。
食べ物ならば、ただおいしければいいのか、
コーンシロップは避けたいのか。

全部、理想どおりの買い物は、まだまだできていないけれども、
選択は力なので、
力を使うときは、慎重に使いたいです。
一つ一つの選択が、世界を変えるわけですから。

☆写真:力餅屋さんの角を右に曲がります。

2012年11月12日月曜日

来年の春夏

来年の春夏ものの小物類をずっと追いかけて見ました。
どうしてだかわかりませんが、
来年の春、一気にバッグの肩掛けひもがチェーンになります。
簡単にいえば、シャネルタイプ。
小さいバッグ(昔はポシェットとかいった)にチェーンの肩掛けひもの組み合わせを、
どのブランドも出しています。
どうしてチェーン?

はっきりした理由はわかりませんが、
1つは、いわゆるハイテク素材を嫌っている、というのがありそうです。
プラスチックじゃなくて金属を選ぶ、というような感じだと思います。
その延長だと、木というのも出てきそうですね。
とにかく自然素材を随所に取り入れる。
天然のクリスタルをくっつけたりするのも、その流れでしょう。
人工的から天然への流れです。

それと色ですが、
これは今年の春からちょっとずつ出てきている、黄色なんですね。
私もちょうど今年の春、紺色のコーディネイトに一色だけ、黄色いバッグというコーディネイトの人を見て、
目が釘付けになったのですが、パステルより、もうちょっと濃い黄色が随所にでてきます。
黄色ファンにとっては朗報です。
いろいろ選べます。
(だって、それまで黄色いバッグって、あんまりなかったよね)
同時にやっぱりピンクですね。
しかも、グレイッシュやヌードではなく、はっきりしたピンク。
そのほかの色も、
ブルーも、ネイビーではなくて、明度の高いブルーです。
全体の色合いは、ルネッサンスの絵画に似ています。
特にミケランジェロ。
復興がテーマかもしれません。

☆写真:御霊神社に到着。江ノ電と鳥居が一緒に撮影できるので有名なところ。お参りします。


2012年11月10日土曜日

ラナ・デルレイはやっぱり気になる


高校や大学のころは、
イギリスやアメリカのロックやポップスばかり聞いていました。
英語を覚えるためもあったけれど、
私はデヴィッド・ボウイが大好きだったので、
そこから始まっていろいろ聞きましたし、
ライブにも行きました。

歌詞もずいぶん覚えましたし、
聞き取れるように何回も聞きました。
実際、大学のとき、メアリー・アルトハウス先生のヒアリングの授業は、
英語のポップス、ベット・ミドラ―やビリー・ジョエルの歌のディクテーションでした。

だけれども、ここ何年かは、
私は欧米の歌を聴きすぎた、という反省もあって、
日本のミュージシャンのものを多く聞くようになっていました。
ヒップホップやラップが好きではないので、
欧米の音楽というか、ポップスがそっちよりになるのと同時に、
興味もだんだんなくなっていきました。
もう、誰かが気になることはないなと思っていました。

ところが、出てきました、ラナ・デルレイ。
まず初めはファッション誌で、そのルックスが取り上げられていたのを見ました。
ヨーロッパのファッション誌の表紙なんかにもなっています。
PVを見ると、
そこにはデヴィッド・リンチを思わせる、
アメリカの退廃的な世界がありました。
(もちろん昔、「ツイン・ピークス」見ていましたジュリー・クルーズのCDも持っていました)
ああ、はまりそう・・。

でも、これ、毎日、聞いていたら、人生だめになりそうです。
たまに聞くのがよろしい。
あたかもたまに食べる、体に悪い食べ物のごとく。

実際、アメリカの田舎って、こんな雰囲気なのでしょうか。
行き場のない焦燥感がひりひり伝わってきます。
どうやって抜け出していいのかわからない、あのいらいら感。
ヨーロッパの退廃とも違う、もっと安い感じ。家の素材も石じゃなくて木材なのよ、みたいな。

ラナ・デルレイ、時代のあだ花となるのか、それとも長く続くスターになるのか、
今のところ、判断しかねます。


☆写真:長谷寺を後にして、もときた道を途中まで戻ります。近道をして、極楽寺方面へ。看板が出ています。






2012年11月9日金曜日

好きな服は着たほうがいい

好きな服があるのなら、誰がなんと言おうと、
それを着たほうがいいと思います。

たかが服ですが、
好きな服が着られないと、
エネルギー漏れが起きます。

エネルギーがいつも漏れていると、
常に欠乏感を感じることになります。
欠乏感があると、病気になります。

欠乏感があると、人は何かでそれを埋めようとします。
けれども、その欠乏感は、ほかのどんなものでも埋まりません。

まずは、自分が本当はどういう服を着たいのか、
自分に問いかける。
そして、その服を自分で自分に着せてあげる。
(それはもしかしたら、試着しただけでもいいかもしれません。必ずしも所有する必要はありません)
ままならないことが多い世界の中で、
せめて服だけでも自分の好きにさせる。

男だけれども、女の服を着たいのなら、着ればいいと思います。
脚が太いけど、ミニスカートをはきたいなら、はけばいいと思います。

それは積極的にやらないと、すぐほかに負けてしまいます。
負けないように、
細心の注意を払って、
やってみてください。
ほんのちょっとの勇気があれば、できます。
そんなことをするだけでも、心と体の健康を保てます。

追記:そういう意味では、ブンカって、病気の子いなかったです。みんな好きな格好している。そして、それに対して先生も、友達も、誰も何も言わない。考えたら、えらいです。

☆写真:長谷寺からの眺め

2012年11月6日火曜日

ニットの下のシャツ



ニットの下にシャツを着るというのが苦手です。
あの、袖がもぞもぞする感じが、どうもだめです。
急いでいたり、適当に着たりするので、
いつもシャツが袖の途中でとまってしまいます。
特にこのところ、タイトなニットがはやっていたので、
余計に、ニットの下にシャツを着るのが嫌で、
大体は、下着のキャミソールの上にそのままニットを着ていました。

ただ、今年からのビッグ・シルエットの流れで、
ニットもだいぶ大きくなってきました。
そうしたら、ニットの下のシャツもいけるかもしれません。

見た目としては、
決して、ニットの下からシャツのえりが出るのは嫌いではないのです。
特に黒やネイビーの丸首やVネックのニットから、
シャツやブラウスの白い襟が見えるのは、
そこだけが、白いアクセサリーのようで、悪くありません。
60年代の映画みたい。
たとえば、カトリーヌ・ドヌーブのような。
何か隠し持っているけれども、
ちらっと見える襟と袖口は白、というのがいいです。
それは白い秘密です。
白い秘密を持っている人です。

でも、白い秘密を、聞いてはいけません。
秘密はあるけれども、なかったことになっています。
根掘り葉掘り聞くのが、最も下品です。
言いたくないことは、たくさんあります。

そう言えば、
小学生のとき、ドライブ中はカーステレオからずっとクラッシックが流れていたのですが、
それに子供たちがあきると、
ピンクレディを父がかけてくれました。
彼女らは、こう歌っていました。
「恋なんて、謎があるうちよ」。

肌を見せないということも謎です。
見せるくらいなら、シースルー、
または色をヌーディーにする。

ピンクレディのその歌は、
最後、こんな歌詞で終わっていました。
「運命に、みんな任せましょう」。

ニットの下のシャツから、とんだところまでやってきました。

☆写真:長谷寺は花のお寺としても有名。しゅうめいぎく。

2012年11月5日月曜日

グレーとベージュ

最近、グレーとベージュという組み合わせが気になりだしました。
私は、特に冬はグレーが好きなので、
ニットもパンツも帽子もグレーでそろえていますが、
ベージュはあまり持っていませんでした。
持っているのは、
去年、妹と交換した、家の中とヨガ用の、コットンのカットソー素材で裏打ちされたワークパンツと、
カシミアのカーディガン。
だけれども、ワークパンツはウエストのドローストリング部分が破けてしまっていますし、
カーディガンも、去年、肘が抜けて穴があいてしまいました。
どちらも、今年、最後かなというアイテムばかりなのですが、
また、ベージュ系を足そうかと思っています。

グレーと黒というのは、都会にとてもよく似合うと思いますが、
私が住んでいるようなカントリーサイドには、そんなに似合いません。
けれども、グレーにベージュを持ってくると、
とてもしっくりくるようになります。
これは、背景がビルやコンクリートの場面と、
木々や海という場面の違いだと思います。
自然なものが多いところでは、黒よりも、ベージュのほうが絶対に似合います。

グレー+黒だと、軽い緊張感ですが、
グレー+ベージュだと、これがリラックス感になります。

グレー+ベージュで全身、コーディネイトで、
江ノ島、鎌倉をめぐるデートなんて、似合いそう。
間違っても、全身黒で来ないでください。
全身黒で来てしまったら、それは緊張する相手です。
長く続けられるって、どれだけリラックスできるかです。

少しずつですが、ファッションはリラックスのほうへ向かっていきます。
リラックスできたときに、人は本領発揮できます。
そんなとき、グレー+ベージュは、かなり使える配色だと思います。
もちろん、グレージュの小物との相性はバツグンです。

☆写真:長谷寺、入って右手の洞窟。必ず入ります。

2012年11月3日土曜日

髪を短く切り過ぎたときには


髪の毛が伸びるのが早いので、
少し短めに切ろうと思ったら、
少しどころか、短すぎるヘアスタイルになってしまいました。
しかも、前髪は眉毛より下にならないようにとリクエストしたにもかかわらず、
でき上がったら、私の大嫌いな眉毛より上の前髪なっていました。
(カットするとき、眼鏡をとっていたので、よくわからなかったのです)

私は過去、何回もベリーショートにしていますから、
ショート自体は問題ありません。
いつもの話。

(そういえば、大学のころ通っていた美容院で、
「すっごく短くしてください!」って言ったら、
「ワダアキコみたいなの?」って言われたなあ。
でもそう言った美容師、
後にカリスマ美容師と呼ばれ、
○ムタクの髪型を担当しているってことで有名になったのでした)

私は高校生のころから、前髪が眉毛より上になると、
とても憂鬱になるので、気をつけていたのですが、
またしても、やってしまいました。
そして、過去何度か、眉毛より下にいかないようにと言ったにもかかわらず、
眉毛より上に切った美容師さんのところには、
二度と行かないということをやっています。
今回、これでたぶん4回目。

なぜ眉毛より上が嫌かというと、
私は眉毛がとてもうすいので、
ちゃんと描かなければいけなくなるからです。

それと、最近、気付いたのが、やっぱりバランスの問題。
全体にショートカットで、前髪まで眉毛の上だと、
ちょっと間違うと、
あの、NHKの半端な時間にやる、
日体大かどこかのラジオ体操をやるお姉さんみたいになるからです。
あれが嫌なのです。

で、ああならないためには、しっかりメイクをしなければなりません。
あまりにナチュラルだと、体操のお姉さんになってしまいます。
でも、出かけるとき以外、しっかりメイクをするのは嫌なのです。
最近は、出かけるときもメイクをさぼり気味でした。
でもこの髪型で、メイクをきちんとしないと、何かがおかしいのです。

最近(というか、ちょっと前か)、ハリー・ポッターのハーマイオニーちゃんをやっていた、
エマ・ワトソンがベリーショートにしていましたが、
しっかり濃いメイクですてきでした。
ツイッギーもそうですが、メイクは濃いです。
つまり、ショートカットは短ければ短いほど、濃いメイクをしないと、
体操のお姉さん、または単なる年配のおばさんになってしまうのです。

逆に、ロングだったら、どんなにメイクがうすくても、
体操のお姉さんのようにはなりません。
ナチュラル系の人に、ロングが多いのもうなずけます。
そのほうがバランスをとりやすい。

私の場合、救われているのは、
髪の毛が伸びるのがすごく早いということ。
前髪も、2週間もすれば、眉毛より下になると思います。

それまでは、仕方ない、濃いメイク(と言っても知れてますが)を心がけます。
特にマスカラはマストです。

追記:今までショートカットで素敵だと思った人たちは、ジーン・セバーク、ジェーン・バーキン、ツイッギー、ウィノナ・ライダー、「オープン・ヨア・ハート」のPVのマドンナ、「恋に落ちたシェイクスピア」のグウィネス・パルトロウ、「記憶の棘」のニコール・キッドマン、最近のアン・ハザウェイ。

video

☆写真:長谷駅に着きました。おります。
下の動画。腰越駅から鎌倉高校前の間、電車の中から窓の外をとりました!海が見えるところ。
(重かったらごめん)

2012年11月1日木曜日

ウールのコート

11月に入ったら、ウールのコート解禁、と自分で決めています。
大学生になった年に、何となくそう思って決めました。

私が最初に買ったちゃんとしたコートは、
大学1年の秋に、新宿伊勢丹で買った(大事なものを買うときはいつも伊勢丹!)
スタジオVの黒いウールのコートでした。
たしか4万いくらだったと思います。
これから4年間、一緒に通学するのにふさわしいコートをと思って、
真剣に選びました。
それが、スタジオVのテーラードカラーのシングルのロングコートでした。
ウールなんだけど、とても軽い素材で、
真っ黒ではなく、少しグレーの糸が混じっていました。
あのコートを着て、どこへでも行きました。
なかなか電車が来ない新小平の駅や、
大学近くの玉川上水の小道、
多摩川を渡る南武線、
照明係のお兄さんがすっごい意地悪だった三鷹芸術文化センター、
都内のあらゆる名画座と美術館、
ライブハウスやコンサートホール、
そしてもちろん武道館、
吉祥寺の「くぐつ草」という名のカフェ。
雪の降った日も着ていました。
その結果、
大学の4年間が終わるころには、裾と袖口がすり減って破けてしまい、
着られなくなってしまいました。

スタジオVというブランドは、
入江末男さんがデザインをなさっていたブランド。
現在はIRIEというブランド名で活動されていて、
青山にお店があります。

パリテイストの服を日本人に似合うように落とし込んだデザインは、
奇抜で目立つようなものではないけれども、
着てみると、ちょっとしゃれていて、
長く着られるものでした。

そんなブランドのコートが着られるようになったことがうれしくて、
毎日、着ていました。
そして、コートを中心に靴やかばんを選び、
コーディネイトの主役はいつもコートになるようにしていました。

あのコートを着ていて、恥ずかしいと思ったことは一度もないし、
もちろん寒いこともなかったですし、
疲れたこともありません。

まだまだ服に、人を元気にしたり、
応援したりする力があった時代の、
とてもいい出会いだったと思います。

あのころ信じられた服の力を、また信じたい。
そんな出会いを探しています。

☆写真:橋まで戻ってきました。

2012年10月31日水曜日

言われても、言われなくても


「ありがとう」と言われるのはうれしいけれども、
それをよりどころにしてしまったら、
すぐに不幸になってしまう。

この世には、「ありがとう」なんて言われない仕事はごまんとあって、
本当は、その「ありがとう」と言われない仕事で、世の中は成り立っている。

「ありがとう」と言われれば、そりゃ、はげみになるけれども、
そんなことをはげみにしていたら、
何かを続けることはできない。
いつも、判断の基準を自分の外に求めるのだから、
そんな、不安定なことって、ない。

外へ求めないで、
中へ中へ入っていく。
秘密の扉を見つけたら、
そこから新しい交信が始まる。

新しい交信の相手には、
「ありがとう」と言う。
それは本当の意味で、ありがとうだし、
必ず返ってくるものだから。

秘密の扉の先の住人と仲良くなれたら、
「ありがとう」の声が、空気を振動させて耳に入ってこなくても、
全く気にならない。

全く気にならない、秘密の王国で、
新しい知識を得る。
知識の対価は請求されない。
それはいつだって、求めれば、得られるもの。

秘密の王国で教えてもらった知識をもとにして、
わたしは続ける。
それは永遠に与え続ける、かれない泉。

重要なのは、
その泉のありかを知っているかどうかということ。
そして、いつでも行ける準備ができているかどうかということ。

それは誰かの問題ではなく、わたしの問題。
いつでも好きなだけ与えられるから。
わたしが望みさえすれば。
「ありがとう」と言われても、言われなくても、
ここで、続ける。

☆写真:渚にて。

2012年10月30日火曜日

Curiosity killed the cat.


Curiosity killed the cat.
とは、よく言ったもので、
私もこのタイプの人間です。
1度、スイッチが入ると、
すべて知らなくては気が済まなくなります。
たとえば、タロットの勉強をしていたとき、
売ってる本をすべて買いたくなってしまいました。
知らないことがその本に1ページでもあるのなら、
それを知りたくなるのです。

作家についても同じです。
その作家が好きとなったら、
全部読まなければ気が済みません。
だから、あんまり誰かのファンにならないように気をつけます。
(昔は、文学作品は死んだ作家のみと決めて読んでいました。
死んだ作家の作品は図書館にあるからです)

また、何かを始めたときもそうです。
もういいというところまで行ってみないと、気が済みません。
大体もういいところまで行くのに、10年はかかります。

いつでも何でも興味を持つと、止まらなくなります。
だけれども、私には自分の好奇心を満たすだけの財力が、いつだってありません。
本なら、図書館でただで借りられるからいいんです。
だけれども、大体のほかのものは、だめです。

この間も、ヨガの先生のところでマントラのチャンティングの練習をしていて、
「うまいから習えば」と言われたのですが、
そんなことしたら、インドまで行かなくては気が済まなくなります。
サンスクリット語も勉強しなくてはなりません。
だめです、だめです。
そんなお金、ありません。
(たぶん、お金に余裕があったらやる、私)

ほかにもはまらないように気を付けたのはバレエとオペラ。
両方とも、日本で鑑賞すると、何万円もかかります。
1度はまったら、本物を見なければ気が済まなくなります。
パリやロンドンに行ったときは、安い切符を買って何かしら見ますが、
それ以上は無理です。
(その点、コンテンポラリー・ダンスはチケットが安いの)

現在、自分の好奇心スイッチを入れないように注意している最中です。
入れてしまったら、大変です。
もう止まりません。
知りたくて死にそうになります。

幸いなことに、
私が全く関心がないのが人の噂。
小学校、中学校のころから、
何ちゃんは何君が好きという話には、全く興味がありませんでした。
今でもだれの旦那はどこの会社とか、全然、興味ありません。
これのおかげで、助かっています。

好奇心は大事だよねと言いますが、
そうとは限らないと、
私は知っています。

追記:ロンドンは美術館が無料なので、とっても助かります。ありがたい。

☆写真:かもめ、だよね。

2012年10月29日月曜日

ささいなことだけれども、できること


そろそろ10月も終わりですが、
今年の10月も、暖かい10月でした。
とてもウールを着られるような気温ではありません。
足もとはムートンブーツでも半そでなんていう人も見かけたりして、
秋と言っていいのかどうか、わからない月でした。

ただ、朝晩はそれなりに寒くて、しっかり秋の気配です。
朝だけは、少し厚めのコートを着たいなと思います。

最近、ついに私もエミュのブーツを買ってしまいました。
ムートンではなくて、ウールのライニングのものです。
今年から朝の犬の散歩という新しい任務がふえたので、
足もとを暖かくしたいなと思ったのです。
それで結局、ライニングがウールのもこもこのブーツを買ってしまいました。

はいてみると、
脚がすごく暖かい。
想像以上の暖かさです。
これを1度味わってしまったら、もうやめられないかもしれません。

私は、冬はほとんどブーツしかはかないのですが、
足首までのものをはいていると、
普通のパンプスが寒過ぎて、はけなくなります。
多分、足首から相当、熱が逃げるのだと思います。

同様に、帽子も1度かぶってしまったら、もう脱げません。
よく言われるように、
頭からも熱が逃げていきます。
足首と頭をおおうだけで、暖かさが全然違います。

昔、会社帰り、10時過ぎの東海道線に乗っていて、
冬になると、
冷たくて、角があって、固いものが嫌でたまりませんでした。
冷たくて、角があって、固いものとは、
電車の座るところの角が銀色の部分のところで、
それが手に当たったりするのが嫌だったのです。
それだけで、心がすさむのでした。

そうじゃなくて、私がほしかったのは、
暖かくて、丸くて、やわらかいものでした。
今、暖かくて、丸くて、やわらかいものを素足にはいてみて、
その優しさは、凍った心もとけるほどです。


五感を追及し過ぎると、堕落しますけれども、
五感の満足をあまりに無視すると、心が壊れます。
目に入る蛍光灯の光、
耳に入るテレビからの騒々しいノイズ、
肌にふれる冷たい金属、
味気ないジャンクフード、
コピー室の薬品のにおい、
それらに接している時間があまりに長かったら、
先に壊れるのは体ではなく、心です。

足もとを暖かくするだけで、瀕死の心は救われるのかもしれません。
自分が自分にできるのは、ほんのささいなことですけれども、
やると、やらないのとでは、結果に大きく差が出ます。
誰かの主義主張に負けないように、
自分を守る小さな一手です。
壊し屋は壊したきりで、決してもとに戻してはくれませんから。

☆写真:海岸に出ました。

2012年10月28日日曜日

派手に転ぶ

細い道を人をよけて自転車で通り抜けようとして、
うまくよけられなくてバランスを崩し、フェンスに激突、
派手に転びました。
幸いに、すごくゆっくり、
というか、ほぼ停止していた状態で転んだので、
ちょっと手に擦り傷ができた程度で、
けがはしませんでした。
けれども、
自転車のかごに入っていた鞄の中から、
本が外に飛び出たりして、
ドラマでよくある転ぶシーンのようになりました。
本当に鞄から本が出てくるんだ、
などと思いながら見ていましたけれど。

また、1度転んでしまうと、
なかなか素早い動作で起き上がれなくて、
少しの間、倒れたままになっていました。
車が通らない、裏道みたいなところだったので、
それでも大丈夫でしたが、
これが広い道だったら、大変です。

私がゆっくりした動作で起き上がろうとしていたら、
後ろから来たサラリーマンのおじさまが、
「大丈夫ですか」と明るい声で声をかけてくれて、
自転車をもとに戻して、荷物もかごに入れてくれました。
これもまた、ドラマでよくあるパターンで、
まだまだ日本にも、助けてくれる人がいるのだなあと、
感激しながら、お礼を言いました。

これがドラマだったら、
ここから物語が始まるわけなのですが、
現実世界なので、そういうわけではなく、
おじさまは、さわやかな笑顔で、
「無理しないで気をつけてくださいね」と言い残し、
去っていきました。

話はそれだけです。

それだけなんですけれども、
これは小さい出来事ながら、
タロットだったら、「タワー」です。
塔が崩れ落ちていく絵柄のカードです。
予期せぬ事態がいきなり起こる。

予期せぬ事態、しかも近視眼的には、いいとは思えない出来事も、
後になって、あのことがなかったら、
今の私はなかったかも、
と思えるような出来事になったりします。

ユングは、
「人の幸、不幸は死ぬときまでわからない」
と言っていますが、
本当にそのとおりで、
1つのよくないと思える出来事が、
本当によくない出来事かどうか、
早急に決めてはいけません。

その逆もまた言えて、
よいと思っていたことが、実はよくなかったということもあります。
だから、出来事はいつでもつながりを見ていかなくてはいけないのです。

多分なのですが、
おじさまが助けてくれたのも、偶然ではありません。
自転車で派手に転んだのは、電車からおりてからのことなのですが、
私は、その数時間か前に、
電車の終点で寝たまま気付かない高校生の男子に、
終点だということを教えてあげました。
なぜかというと、もう皆、電車からおりてしまって、
次の折り返し方向へと、電車が出発するところだったからです。
どういうわけか、おりる人たちは誰も彼を起こしてあげませんでした。
それで、新たに始発として出発しようとしている
電車に入っていった私が、彼を起こしたのです。

電車で乗りすごしそうになっている人を起こしてあげる、
自転車で転ぶ、
サラリーマンのおじさまに助けてもらう、
これは1つの流れです。
してあげたことが、返ってきているわけです。
次は、転んだことに対する何かが返ってきます。

こうやって、出来事の流れを追っていくと、
自分の人生もまた、立派な物語なのだと気づきます。

私は大きな流れにお任せしているので、
次のシーンのシナリオは書きません。
私は単なる役者であり、衣装係なので、
どんなシーンがやってきても大丈夫なように、
主人公の衣装だけは、きちんとしておくつもりです。

☆写真:今日は灯台近くまでで登りは終わり。また下っていきます。途中からハーバーを臨んで。

2012年10月27日土曜日

赤い靴


赤い靴というものは、
歌の歌詞にはなるものの、
実際にはいている人はとても少ない種類の靴だと思いますが、
今日は2人、赤い靴の人を見ました。
1人はブーツ、1人はストラップつきのパンプス。

赤い靴の人のイメージは、まず活動的です。
赤は火星の色でもあるので、
活発な感じがします。
自分から率先して行動する感じ。
活発で元気な女の子、
それが赤い靴をはいている女の子のイメージです。

特に今の秋から冬に向かう季節、
だんだんとみんなの足もとが黒くなっていくとき、
真っ赤な靴をはいているというのはとても目立つので、
私も目がぱっとその赤い靴へいきました。

そして、そういえば、私も20代のころ、
真っ赤なブーツ(これも伊勢丹で買ったもの)をはいていたなと思いだしました。
真っ赤で、スエードのショートブーツでした。
黒いパンツにあわせて、よく赤いブーツをはいていました。

たぶん、そのころの私のテーマ・カラーが赤で、
かばんもゴルチェの真っ赤なバッグだったので、
それにあわせて買ったのだと思います。
けれども、それだけではなくて、
「赤」という色の力を借りて、
積極的にいろいろ動き回ろうとしていたのだと思います。
色彩心理学など、全く知らなかった時代ではありましたが、
知らないうちに、自分で「赤」を選んでいました。

今はというと、
「赤」を選ぼうという気は全くなくなりました。
それはたぶん、もう「赤」が私に必要なくなったからだと思います。
「赤」の栄養を食べつくし、
もうそれが体の一部となったので、
もうこれ以上、取り込む必要がなくなりました。

ずっと好きな色というのがある一方で、
ある一定の時期、必要とする色というものもあると思います。
それは変わっていくのが当たり前だし、
変わっていかなければおかしい。

私の見えないエネルギーの場は、
色の栄養をとりこんで、
少しずつ成長しているはずです。
それは見えないかもしれないけれども、
必ず存在していて、
日々、変わっています。

何だか最近、この色が嫌だと思ったら、
やっぱり着ないほうがいい。
それとは逆に、この色が気になる、着たいと思ったら、
着たほうがいい。
足りない栄養を補うように、
エネルギーの場に不足しているものを、
色は補ってくれています。
そして、いつだって、
今、必要なのが何色かを知っているのは、
自分だけです。

☆写真:灯台まで登ったら、春にできたばっかりのカフェが。11時から開店でした。残念。

2012年10月26日金曜日

中性的な人

新しいものをあまりインプットしたくない最近なのですが、
逆に、古いものの見直しというか、
過去によく接していたものの見直しを今しています。

それで、最近よく聞いているのがユーリズミックス。
初めはベストを聞いていたのですが、
ミュージックビデオが見たくなって、
きのうからユーチューブでずっと見ています。

83年とか84年からですから、
かれこれ30年も前なのですが、
すごいのが、古臭さが全くないということ。
音もそうだけれども、それだけではありません。
あのときはわからなかったけれど、
アニー・レノックスのメイクや服装って、
時代を超えていたのだと今、気付きました。

アニー・レノックスは、ショートヘアにパンツスーツと、
中性的なルックスでずっと通しているのですが、
彼女がドレスを着て、かつらをかぶると、
まさに女装なんです。
女なのに女装というのが面白い。

そして、明らかに中性的なルックスから出発したほうが、幅が広いです。
何にでもなれる可能性を秘めています。
女にも、男にもなれます。

考えてみたら、
ファッション・モデルも、どちらかというと、中性的な魅力を持った人のほうが、
長く活動している気がします。
代表的な人はステラ・テナントかな。

中性的で、年齢をこえた感じ、
実はここがファッションを楽しむ上で、もっとも自由なポイントなのかもしれません。
女にも、男にも振れないで、真ん中にいること。
片側にいっても、すぐ戻ってくる。
あたかもホームに戻るように。
行ったきりではだめなんです。
行ったきりでは自由ではない。
つかまってしまいます。

考えたら、日本の着ものも、男女差がとても少ない衣服です。
だから、年をとっても似合うのではないでしょうか。
人間、年をとると、女とか、男とか、こえた感じにそれぞれがなっていきますから、
そこで、あんまり女の方向に針が振れた服装は似合わなくなる。
着られないことはないでしょうけど、
ものすごくいいかと言われたら、そんなことはない。

今、自分がしている格好が女装だとして、
自分の中間ポイントがどこなのか把握しておくと、
年をとって、何を着ればいいかわからないというときにヒントになるかもしれません。
年をとればとるほど、真ん中に戻ればいいわけですから。
現在のアニー・レノックスだって、着るものがなくて困るわなんて、微塵も思っていないはずです。

☆写真:中津宮に着きました。