2017年10月21日土曜日

自分で考えて自分で決める

私がいつも言っているのは、
自分で考えて自分で決められるようになりましょうねということで、
それがまあ、エンパワーメントということなんだけれども、
それができるようということは、
自分の人生のかじ取りを自分でできるようになるということのみならず、
さまざまな災難から自分を守ることができるようにもなる、ということです。
だまされにくくなる、ということもある。

依存的に生きている人もいるし、
そうしたいならそうすればいいと思います。
それはとめない。

だます人は多いから。
嘘であおる人も多い。
見極める目を持っていないと、
容易にだまされてしまいます。

ファッションに関しても、
自分で決められるようにならないと、
容易にだまされる。
簡単にかもにされてしまいます。

かもになりたくなかったら、
自分で決められるようになって自分で自分を守りましょう。

なんで今、これを思ったかというと、
値段は安いけれども、
それこそ2、3回洗ったらだめになりそうな服があまりにも多く売っているから。
1枚は安いけれども、何枚も買ったら同じか、それ以上にお金がかかる。
気をつけないと、よれよれのセーターばっかりということになる。
もうそんなことやっている場合じゃないと、
私は思う。

考え方を変えないと。
最終的に困るのは自分です。




2017年10月20日金曜日

ルーティン

毎日、今日の晩御飯はどうしようとか、明日の朝ご飯はとか、
お昼ご飯はとかばかり考えていたら、
人生が滞ってしまうのと同様、
服をどうするかばかりに心がとらわれていたら、
大事なことをするための時間がなくなってしまうだろうと思います。
だから、毎日のご飯にしろ、着るものにしろ、
ある程度のルーティンにするのがいいと思う。

そしてそのルーティンは、
ある時期ごとに見直し、改善して、
毎日がうまく運ぶようにしていく。

衣食住は何のために整えるかといったら、
人生がうまく回るためで、
それに忙殺されたり、悩まされたり、
心を奪われるためではないのだから。

ただ、そのルーティンはそれぞれ方法論が違うだろうし、
好みとか、性格の問題もあるので、
各自で確立することになるでしょう。
それは否めない。

スティーブ・ジョブズもそうだし、
多くのデザイナーがそうだけれども、
毎日の着るもののルーティンはちゃんとできていて、
それがスタイルにもなる。
そして、それはぶれない。

ぶれない人は格好いいです。
先日も20代女子と古い雑誌を見ながらしゃべっていて、
ぶれない人は格好いいよねという話になりました。
ぶれたらスタイルじゃないし。

そういう意味では、
おしゃれだけれども、
ぶれていて、格好良くないというのはある。
ぶれていて格好良くないというのは、
相当に格好良くないということです。

おしゃれだけどぶれまくってる人と、
おしゃれじゃないけどぶれない人、
どっちがいい?という話になって、
「おしゃれじゃないけどぶれない人がいい」ということで、
私たちの意見は一致したのでした。





2017年10月19日木曜日

スージー・メンケス

スージー・メンケスはイギリスのファッションライターで、
新聞のファッション欄を担当してから、
ヴォーグの外部エディターになっている人ですが、
経歴を見たら、
パリでオートクチュールの学校を出て、
ケンブリッジで歴史学で修士をとっているような、
インテリでした。

スージー・メンケスは印象的な髪形で、
背が低くて、太っているんですけれども、
そんなスージー、どんな格好しているのかなと思って、
観察してみたら、
基本、ワンピースかコートドレス、
またはhead to toe紫、みたいな、
そんなスタイルでした。
柄も結構好きみたいで、
チェックや謎の柄の服も着ています。

背が低く、
太っている場合、
スージーみたいな「つなげる」というやり方はお勧めです。

あと、スージーを見てて思ったけれども、
決して1年を通して、とっかえひっかえではありません。
いつも同じものを着ている。
そこら辺、さすが賢い人はわかっているのだと思います。






2017年10月18日水曜日

ファッションで人は不幸にもなる

私が「誰も教えてくれなかったおしゃれのルール」というブログを始めたのには、
2つの理由があります。
1つは、ひどいメニエール症候群の発作で、
一時、お金のために働いていた仕事が完全にストップして、時間があったから。
もう1つは、洋服が人を困らせていたからです。

これはおしゃれブログの一番最初のところに書いてありますが、
一番最初はミクシィの「断捨離コミュニティ」に、
洋服がたくさんあって困っている、
捨てたいけれども、何を残していいかわからないという質問に答えていました。
それが2010年の話。

後に、断捨離の人の考え方は、
服はワンシーズンで捨てるというものだったので、
作る側にいた者としては、おいおいそれは違うだろうということで、
そこに書いていたことをごっそり削除して、
ブログへ移行しました。
題名をつけるときも、同じ題名のブログや書籍はないということを確認した上でつけました。
(「誰も知らない」というのはありました)

今考えたら、あのころはまだ捨てるのが大変という悩みが大半で、
不幸の度合いもその程度でした。

あれから7年過ぎて、
ファッションが人を不幸にするパターンはふえていると思います。

たぶん、カード破産みたいな形で破産する人がふえているのではないでしょうか。
それから、貯金もないのにハイブランドの財布を買って、生活がかつかつとか、
ファッションがその人を不幸にしているケースが結構あると思います。
あると思うというか、私は実際、そういう人たちを見てきました。
正直、傍から見ていて危険すぎて恐ろしい。

おしゃれを優先して、精神的にも経済的にも追いつめられる。
その状態はハッピーとはとても呼べないと思います。

だから私はあえておしゃれが人生で最も重要ではないとか、
おしゃれをしない自由があると言っています。
ファッション誌では絶対そう言わないでしょう?

私はアパレル企業にいたからわかるけれども、
彼ら、もちろんすべてではないと思いますが、
消費者が破産しても知ったことではないと考えています。
消費者の生活の心配なんかしていません。

アパレル企業もファッション誌もあおったり、脅したりしてきます。
それをそのまま受けていたら、私たちが不幸になります。
その責任は誰もとってくれません。

不幸になる前に立ち止まって考え直さないと、
ファッションやおしゃれによって人生が破壊されます。

そうなるのを防ぐためにも、こちらは知識で自己防衛する必要があると思います。

私たち、風邪をひかないようにマスクをしたり、うがいしたりするんだもん。
おしゃれ病から自分を守らないとね。
それは恥ずかしいことでもなんでもないわ。

2017年10月17日火曜日

つながっていることの重要性

背が低い人が背を高く見せたい場合、
一番手っ取り早く背を高く見せる方法は、
「つなげる」ことです。
スーツでもドレスでも構わないし、
ブラウスとスカート、シャツとパンツでもいいです。
とにかく上と下を同じにすること。または同じ色にすることです。
これが一番確実。

日本の人は、全身黒以外は、
上から下まで同じhead to toeってやらない人が多いですけれども、
洋服の文脈において、
つながっていることは重要で、
それがすたれるということはないです。
これからもずっと続くでしょう。

それから、これは最近気付いたのですけれども、
ストリートスナップで取り上げられるスタイルも、
つながっているものが結構多いです。

それから複雑そうに見えるGUCCIなんかでも、
スーツやドレスを骨格としていろいろ盛っていきます。

複雑でセンスや思いつきにスタイリングしているように見えるかもしれないけれども、
ちゃんと基本は踏んでいるんです。

効率のいいおしゃれな見せ方というものはあります。
ただそれをするためには知識を得て、
自分で組み立てなければなりません。

どうするかは自分で選べるので、
皆様、お好きな方法を選んでください。






2017年10月16日月曜日

ジュエリーはそこそこでいいのではないか

洋服につきものなのはジュエリーよりはアクセサリーだと思います。
大体、ジュエリーは小さすぎて見えないので、
使うならアクセサリー。
つまり、貴金属ではありません。

先日、母親の持っていたもので、今は私の所有になっているジュエリーを
売り払ってきました。
私はどうも昔から、自分で選んだものじゃないと使わない、身につけないという性質があって、
気に入らないと全然使わないというか、使えないのです。
理由はそれだけじゃなくて、
ごみを処分するのにものすごくお金がかかっているので、
その費用の足しにするためです。
もう何万円も使ったから。10万は使ったと思う。藤沢市はごみ袋が有料です。
(私のごみじゃないです。その他の家族の者のごみです)
捨てるのにはお金がかかるんで、売れるものは売ろうというわけです。

それで売ってみたのだけれども、
売却額は買った額の10分の1にも満たないです。
20分の1ぐらいじゃないかな?

使う頻度を考えてみても、
費用対効果を考えてみても、
単に自己満足のためなら、
ジュエリーって、たくさんいらないと私は思いました。
もちろん社交界とか、そういうときに要るのよという、
事情がある方は必要でしょうけれども、
私の日常には必要ありません。
他人は必要、要ると思うかもしれないけれども、
私は要らないなと、
このお金で何か習いに行ったほうがいいなとか、
旅行でもしたほうがいいなとか、
そんなふうに思いました。
(お金持ちはたくさん買えばいいと思います)

それで、です。
服のシルエットが大きく、装飾的になってくると、
小さなジュエリーは余計よく見えなくなります。
それよりもアクセントになるような、印象的なアクセサリー使いのほうが
今の服には合うのです。

思い返せば、90年代はラインストーンのイヤリングやらネックレスが流行っていました。
それがまた戻ってきた感じ です。
(それは随分前におしゃれブログに書きました)

コスチュームジュエリーというのは、
貴金属じゃないから、アクセサリーです。
今の時代、服全体のバランスをとるとしたら、
ちまちましたジュエリーよりも、帽子、ストール、マフラーなどの小物、
そして大ぶりのアクセサリーのほうが合っています。

売却代金は一部は自分の好きなジュエリーにかえて、
あとはごみ処理費用です。
たぶんあと数万円、かかる予定です・・・

※あくまで「私は要らない」という話であって、たくさん要るという人を批判しているわけではありません。念のため。





2017年10月15日日曜日

立派な器だけれども中身がないよりも、側は大したことなくても中身があるほうがいい

立派な器だけれども中身がないよりも、
側は大したことがないけれども、
中身があるほうがいいと
私は考えます。
いつものように私はそう考えるということで、
いやいや、中身なんかなくていいから、
外側が立派なほうがいい、
という人もいるでしょう。

このところ、聞けば誰もが知っているような大企業に呼ばれたり、
またはそのメンバーとミーティングする機会があったけれども、
そこの方たち、建物も立派、設備もすばらしい、
それだけではなく着ているもの、持っているものも立派なのに、
アイデアが何にもないという話を立て続けに聞きました。
どれも東京の中心部にあるみんなの憧れの企業で、アパレル企業というわけではありません。
情報も集中してあるはずなのになぜ?

だからといって、おしゃれな人が全員中身がないとか、
おしゃれじゃない人なら中身があるとか、
そういうことにはなりません。
美人はみんな意地悪なんてことが全然ないのと同じ。

そうではなくて、外側の立派さと中身があるかどうかは必ずしも伴わないということです。

それで、結局、ブレインストーミングしても、その中心部の人からアイデアは出てこなくて、
周辺にリソースを求めるんだって。

ファッションもそうだけれども、
中心に人やアイデアがないとなったら、
周辺から取り入れます。
デザイナーもヨーロッパ人じゃない人とか、
あとデザインソースをアジアやアフリカに求めたりとか。
中心が枯渇したら、外に求めるということになっています。

アイデアが生まれるのは際だということは、
文化人類学なんかでもよく言われていて、
それはたとえば、
砂浜と海との境目である渚が最も活発に生物が生まれるのと同じです。
そして今は特に中心部のリソースが枯渇した模様。
いろいろな分野の人がそう言っています。

さて、お知らせです。
Bloggerでの「麻とヴェルヴェット」を10月末で削除します。
11月1日以降はこちらに移動します。
「誰も教えてくれなかったおしゃれのルール」は引き続きBloggerで更新しますので、
そちらは今後ともよろしくお願いいたします。